2004年の投稿漢詩 第241作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2004-241

  於杭州西湖(1)        

越女暮愁立柳塘   越女 暮れの愁い 柳塘に立ち、

看風湖面動波光   風が湖面 波光を動かすを看る。

江南不負佳人地   江南 負かず 佳人の地、

鬢髪与花競發香   鬢髪 花とともに 競いて香を發す。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 仕事で富陽に行った際、時間があったので西湖に立ち寄りました。
 さすが、蘇東波、白居易など多数の文人の愛した町 杭州。桂花の香りも芳しく、私ですら、詩心がわきました。
 最近テレビCMでもやっていますが、成田、関空 直行便が飛び、随分 杭州に行くのに便利になりました。本当にいい町でした。

<感想>

 「西湖」とくれば、やはりどうしても浮かぶのは「西施」ですね。越王句踐が呉王夫差に献じた美女ですが、古来多くの詩に詠われてきました。
 ニャースさんもここでは、愁いを含ませながら湖に立つという姿を目に浮かばせたのでしょう。

 起句が四字目の孤平になっていますので、ここは修正が必要でしょう。
 承句はやや表現が落ち着かないように思います。「看」の字が必要とはあまり思いません。主語は「越女」でしょうから、起句の段階で読者は女性の視点と自らの視点を融合していますから、せっかくの効果が消えてしまうように思います。どうしても「看」を入れるのでしたら、その前に形容語(虚字)を入れる方が良いでしょうね。

2004.12.20                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第242作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2004-242

  於杭州西湖(2)        

越地秋堤柳未枯   越の地の秋堤 柳未だ枯れず、

雷峰夕日照西湖   雷峰夕日 西湖を照らす。

善哉好景銭能省   善き哉 好景 銭をよく省く、

使我陶然酒不須   我をして陶然せしむるに酒をもちいず。

          (上平声「七虞」の押韻)

<感想>

 転句がやや俗臭くなりましたね。結句で「酒不須」としていますので、ここは別の言葉にした方が良いのではないでしょうか。
 前半は、西湖の夕景が目に浮かぶような印象ですね。

2004.12.20                 by junji


坂本定洋さんから感想をいただきました。

拝啓。ニャース様
 題に対してふさわしいかということならば、鈴木先生のおっしゃることもごもっともかとも思います。しかし私はこの転句が好きです。思わず笑ってしまいました。これで一本と言うものではないでしょうか。
 好みを言うのは恐縮ながら、私は大抵の場合結句に「酒」を用いたのは嫌いです。花を見ては酒、月を見ては酒、と何にでもこじつけてしまえる安直感が先に立ってしまうのです。
 この詩には毒を以って毒を制するような面白さがあります。また、「銭能省」だけでも「酒不須」だけでも説明不足と言うかピンと来ないと思います。昔のように酒は庶民の口に容易には入らない有難い存在でもありません。現代の作としては、むしろ必然性のある表現のように思います。
 敬具。 2004.12.22                   by 坂本 定洋






















 2004年の投稿漢詩 第243作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-243

  難算        

難算苦心経一年   難算苦心すること経(すで)に一年

徒空紙筆似駑鉛   徒に紙筆を空しくして駑鉛(どえん)に似たり

諸書電脳無勝用   諸書電脳の用に勝(た)うる無く

自彊何時可息肩   自彊(じきょう)何れの時に肩を息(やす)むべけんや

          (下平声「一先」の押韻)

「駑鉛」=駑馬と鈍刀

<感想>

 不勉強ですので、「難算」が何を指しておられるのかが分かりませんでした。お仕事の関係で数字と格闘していらっしゃるのかと勝手に推測しました。違っていたらごめんなさい。
 結句の「自彊」「自分を励まして頑張る」ということですから、その後の「何時可息肩」の嘆きとの間には、一呼吸が必要ですね。できれば、この「自彊」の内容を転句に持ってこれると、一層気持ちがよく伝わったのではないでしょうか。

2004.12.20                 by junji


坂本定洋さんから感想をいただきました。

拝啓。柳田先生。
 辛気臭い詩には付き合っておれないよと思うのが常の行儀の悪い私ですが、この詩には共感を覚えます。
 私とは毛色が似ている故と言うことは、私がそう感じている以上は私には否定できません。しかし柳田先生の才能、力量によるものもあると信じて疑いません。また、本当に辛い思いをしているのでしょうね。
 「こんなしんどい思いをするために今まで頑張ってきたのではない。」そんな声が聞こえる思いがします。
 詩以上のものに立ち入るのはどうかと思うし、どうせ役に立てるような知恵も私にはないのですが、「荘子」なと゛読んでみてはいかがでしょうか。 すでに読んだと言うのなら読み返して見てください。今は無理でも何かのときには役立つことがあるやもと思います。
 健康第一です。良いお年を。

2004.12.24                  by 坂本 定洋























 2004年の投稿漢詩 第244作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-244

  偶成        

西風快日過僧坊   西風の快日 僧坊を過ぎり

林径登尋古戦場   林径 登りて古戦場を尋ぬ

三度伏降千載恨   三度 降に伏す 千載の恨み

塁壕秋草自荒涼   塁壕の秋草 自ずから荒涼たり

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 〇古戦場とは深大寺城。
 天文六年(一五三七)扇谷上杉朝定が築城。三度の合戦に三度とも敗戦した悲劇の城。
   一・新田義貞の北条攻め。
   二・後北条の北条氏綱と扇谷上杉朝定戦い。
   三・豊臣秀吉の小田原北条攻め。
 江戸幕府成立に伴い廃城となる。

<感想>

 深大寺城跡は、調布市にあるのですね。私は知りませんでしたので、インターネットで調べました。
 古戦場には一種独特の空気があり、戦のどよめきも聞こえれば、敗者の苦痛も感じられるものですね。実際に現場に行ったわけではありませんので、断定はし難いのですが、転句の「千載恨」はやや表現が強すぎるのではないでしょうか。
 同じ時代の同じ人物が三度降伏したわけではないのですから、となると城そのものが恨みを抱いていることになりますね。その恨みの強さと結句の「塁壕秋草自荒涼」の荒涼感とはバランスが悪いように思いますが、どうでしょうか。

2004.12.20                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第245作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-245

  秋日尋古寺        

遙山霜葉淺深紅   遙山霜葉淺深紅なり

欲訪祇林苔徑通   祇林を訪ねんと欲して苔徑通ず

僧賦一詩談本願   僧は一詩を賦し本願を談じ

静聞梵唄寂寥中   静かに聞く梵唄寂寥の中

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 遥かな山々は霜が降りて薄い赤や濃い赤で彩られ
 お寺を訪ねようとすると苔むした道が通じている
 住職が一詩を作り本願を説き
 静かに節のついた経文を読み寂しく静かな中にある


<感想>

 静かな雰囲気の感じられる詩ですね。
 起句の「淺深紅」は、紅葉が濃い薄いのまだらになっている山の姿を表した言葉ですね。
 転句は「賦一詩」が分からないのですが、このお寺の住職さんは詩をお作りになる方なのでしょうか。「賦」「談」のつながりにもう少し説明がいるかもしれません。
 結句は、「静聞」のは作者だと思いますが、結びの「寂寥」の言葉と内容が重複しています。別の、例えば時間を表す言葉などを使った方が落ち着くでしょうね。

2004.12.20                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第246作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-246

  新秋偶成        

西風爽快月如眉   西風 爽快なるも 月眉の如し

戯出小庭虫語滋   戯れに 小庭に 出ずれば 虫語滋し

躍動五輪多感慨   躍動の五輪 感慨多し

青燈一穂賦新詩   青燈一穂 新詩を賦す

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 この詩は三国大会応募作品として、八月の下旬に毎晩深夜まで、テレビでアテネ五輪を感動しながら見ていた時に作詞したものです。
 メールがうまく発信できず諦めたものです。
やっとメールが入力できましたので送らせていただきます。

<感想>

 コンピュータの調子が悪かったということですが、私としても残念なことでした。

 前半の情緒豊かな雰囲気が、一転「躍動五輪」と動き、面白い展開ですね。内容だけではなく、時代までも一気に飛び越えたような気がします。
 特に、まだ脳裏にあのオリンピックの余韻が残っていますので、「躍動」の文字が生き生きとしていて、最後まで納得できる進行になっていますね。

2004.12.20                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第247作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-247

  喜雨        

焦熱沙石爛   焦熱 沙石爛く

炎天有遠雷   炎天 遠雷有り

K雲飛霹靂   K雲 霹靂飛ばす

一雨晩涼催   一雨 晩涼催す

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 酷い暑さですなや石がぎらぎら輝く
 炎天に遠くの雷が聞こえる
 K雲が霹靂を飛ばす
 一雨が晩涼を催す


<感想>

 起句は夏の暑さをよく表した表現になっていますね。
 承句と転句の違いがあまり明確ではないので、やや散漫な印象になります。ここは、承句に「雷」を出さずにおいた方が良かったかもしれませんね。前半に夏の暑さ、後半に雷から涼しさへと流すという展開が落ち着くでしょうね。

2004.12.20                 by junji


謝斧さんから感想をいただきました。

 漢詩を作り始めの時は、先ず、自分の思いを詠じ易い、句数の多い、七言絶句からの方がよいとおもいます。(実際には齟齬無く作るのには七言絶句の方が難しいのですが)、初心者のうちは、五言の調子は大変難しく、殆どの人は、七言絶句の調子で五言を作っているようにおもえます。
 起句は「焦熱沙石爛」○●○●●と失声しています。習作期は平仄は間違えてはいけません。
 「炎天有遠雷」は、普通の文章(散文)のようで詩的ではありません。
「有」よりも具体的な「響く」や「聞く」の方がよいのではないでしょうか。
「遠雷」「霹靂」も同じような詩語でくどくかんじます。

   炎熱焦沙石  炎熱沙石を焦し
   昊天聞遠雷  昊天に遠雷を聞く
   K雲俄覆地  K雲俄に地覆い
   白雨晩涼催  白雨晩涼催す


 原作と熟慮比較して下さい。

2004.12.24                 by 謝斧























 2004年の投稿漢詩 第248作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-248

  晩秋        

淨几重黄卷   淨几 黄卷を重ね、

長空有夕陽   長空 夕陽有り。

書窓秋色暮   書窓 秋色の暮れ、

一燭坐悲涼   一燭 坐に悲涼。

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 きれいな机に書物を重ねていると(読んでいると)、
 おお空には太陽が傾いている。
 書斎は秋の暮れで、
 一つだけの灯はなんとなく悲しく寂しい。

 これは最近作ったものです。
 全くの想像で、何か李商隠の「楽遊原に登る」(合っているでしょうか)の様な感があるものを作りたかった、というかそれに近いふいんきを出そうと思いましたが、このようなものとなりました。

<感想>

 味わいのある詩です。そこはかとない晩秋の寂しさがよく表れていて、作者の年齢をつい忘れてしまいそうです。
 一人土也さんの詩への感想については、私自身はできるだけ年齢のことは考慮せず、一般の人と同じ目で見ようといつも考えています。用語などの点では勿論、配慮はしていますが、作品を拝見すると、小学生であるというフィルターをかけて見ることは避けなくてはいけない、と思うほどの内容だからです。
 とは言っても、それでも完全に忘れることができるわけではないし、一人土也さんの年齢だからこその新しい発見や視点が感じられることも多々あります。
 そして、今回の詩ですが、これはもう一つの世界を築き上げていて、まとまり感もあり、申し分ないですね。「黄巻」「書物」のことですが、そこから行くと転句の「書窓」は重複感がありますね。「西窓」などではどうでしょうか。

2004.12.22                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第249作は 揚田 苔庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-249

  客中書懷        

已閲七霜飛雁天   已り閲す 七霜飛雁の天

破窓獨酌轉悽然   破窓獨り酌ば 轉た悽然たり

回頭撫剣去郷日   頭を回せば、剣を撫せし郷を去りし日を

枕上阿嬌今那邊   枕上の阿嬌 今那邊ぞ

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 転句の「撫剣去郷日」は現代で考えると時代がかった表現なのですが、青雲に登らんとする青年の気概を感じさせて、重みを伝えてくれるように感じます。そうした展開から進んでいくと、結句の「阿嬌」も単に「幼女」というよりも、もう少し艶っぽく考えた方が良いのでしょうか。

2004.12.22                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第250作は 点水 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-250

  平城宮跡        

万里晴空涼気流   万里晴空 涼気流れ

一群赤卒眼前遊   一群の赤卒 眼前に遊ぶ

平城宮跡眠黄土   平城宮跡 黄土に眠り

只有基壇新建楼   只有るは基壇 新建の楼

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 10月の良い天気の日に平城宮跡付近をハイキングしました。
 以前ここは草原でしたが、今は半分ほどは発掘が行われています。したがって、まだまだ、いろいろと新しい発見があるでしょう。
 ただ、現在は復元ということで、朱雀門が精巧に建築されています。この建物が本当の復元とはいえないことは当然のことですが、あたかも本当のものであるような幻想もおこってきます。その点で複雑な気持ちを抱いて、帰りました。

<感想>

 結句への展開が巧みで、時の推移を描いた結句へと自然に流れていきますね。恐らく千数百年前の平城宮でも前半の描写と同じ様な風景が見られたことだろうと思います。
 悠久の過去へと思いを馳せるのは、こうした古代の都を旅した時に感じるものです。復元は確かに本物ではないのでしょうが、私たちの時代が過去を捨て去ったのではないことを伝えるべきものなのだと私は考えています。

2004.12.22                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第251作は 菊太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-251

  賞菊     菊を賞す   

秋天佳日一園香   秋天佳日 一園香し

紅紫白黄誇艶粧   紅紫白黄 艶粧を誇る

招友雅筵籬落下   友を招き 雅筵 籬落の下

遥懐陶令菊花觴   遥かに陶令を懐い 菊花の觴

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 大輪菊作りを始めて8年、4月末の挿し芽から6ヶ月、丹精を込めれば11月に良い花を咲かせてくれます。
 菊作りの苦労を織り込んだ詩を作りたいのですが、目下推敲中です。

撮影日付: 2004/11/ 7 露出: F2.9 1/30秒 フラッシュ 発光 撮影日付: 2004/11/ 7 露出: F4 1/60秒 フラッシュ 発光 撮影日付: 2004/11/ 7 露出: F3.5 1/320秒 フラッシュ











<感想>

 「陶令」「陶潜」のことを指しますね。彼が彭沢県令になっていたことからの呼び名です。
 菊の花がくれば、陶潜を思い浮かべるのは漢詩の伝統ですが、そこを意識した上で、どう新しさを出すか、ですね。
 承句の「紅紫白黄」とこんなに色を並べることは、普通は野暮ったく感じますが、菊の場合にはまさにそのとおり、という感じで許される気がしますね。

 菊を愛づる詩は多くありますが、菊を作る側からの詩はそれほど多くありませんから、是非完成させて下さい。楽しみに待っています。

 菊太郎さんからは、ご自宅の菊の花の写真も送っていただきましたので、ご覧下さい。

2004.12.22                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第252作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-252

  高縄寺春之縁日        

新緑繁風佳氣融   新緑風に繁って佳気融す

櫻花半散古禅宮   桜花半ば散ず古禅宮

白紅撒餅欣然裏   白紅撒餅欣然裏

伸皺郷民笑語同   皺を伸ばして郷民笑語同じゅうす

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 北条市の高縄山頂にある高縄寺は、中世伊予の守護職で名を馳せた河野(こうの)一族によって建立された古刹です。
 平成16年4月人事異動で秘書業務担当になり、翌月まだ環境に慣れず緊張の中、数名の幹部役員に随行して千メートルほどの山を車で登り、縁日の模様を拝観しました。
 新緑の好季節、読経の合間に句をひねってみました。

<感想>

 高縄寺の縁日のにぎやかさが伝わってくる気がしますね。サラリーマン金太郎さんを始め、このサイトでは多くの方が地元に根ざした詩に向かわれておられます。それは大切なことだと私は思っています。
 ご当地ソング的な、名前さえ入れば喜ばれる時代ではありませんから、そこに生きる人々の暮らしや地域に融けこんだ生き生きとした風景などが詩にも求められるのですが、それらは、その土地への愛着がなくては生まれません。
 そして、それはかつての唐宋代の詩人たちも見失わなかった視点ですね。

 今回の詩では、結句の「白紅」が花ではなくて「餅」である点が狙いどころですね。ただ、それを際だたせるには、承句の「櫻花」がややあざとく感じられるかもしれませんね。

2004.12.24                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第253作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-253

  新秋夜游鹿島書感     新秋夜鹿島に遊びて感を書す   

回船孤島鹿聲哀   孤島に船を回らせば、鹿声哀し

清景不看心若灰   清景看えず、心灰の若し

台風惨禍今初識   台風の惨禍今初めて識る

待望復興浮月中   復興を待望す月を浮かぶの中(うち)

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 平成16年の秋はほんとうに台風が多かったですね。いわゆるに日本本土に上陸したのは10個と史上最高を記録しました。そしてこの影響で木の実が落ち、人家に多数の熊が出没し、国民に不安を与えている現状です。
 居住する沖合い約百メートルのところには景勝地・鹿島が有り、古来より神島(鹿嶋神社)として、神遣いとされる野生の鹿がいます。愛媛県の天然記念物に指定されています。
 秋の行楽シーズンたけなわのこの時期なのに、惜しむらくも台風18号が襲来し、防波堤や遊歩道、桟橋とことごとく破壊してしまいました。37年こんな惨状は過去一回(13年くらい前の台風19号)有ったのを記憶するのみです。

 一日も早い復興を月中の杯に祈念した次第です。

<感想>

 結句の「中」は入力ミスでしょうか。多分「杯」と最初は作られたのではないかと思います。何かの関係で変わってしまったんでしょう。
 平仄の点でも、起句の頭の字「回」と転句の同じく頭の字「台」は「上平声十灰」の韻字ですので、冒韻になっています。

 内容的には、承句の「心若灰」は、比喩としては分かりにくいですね。また、四句ともに全て心情が入っていますが、これももう一工夫が欲しいところでしょう。

2004.12.24                 by junji





















 2004年の投稿漢詩 第254作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-254

  志隠人     隠人を志す   

蒼天風月好   蒼天 風月好し、

獨見葉紅秋   獨り葉紅なる秋を見る。

我不關人次   我 人次を關せず

人間厭了憂   人間の憂に厭了す。

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 青い空、自然は素晴らしく、一人、紅葉の秋を眺める。
自分は人類の事などは関わりない。人の世の憂いが嫌になったのだ。

 これは、風邪で休んでいる日に、昔の詩人のことを考えて作りました。なれるならば自分もなりたいと思っています。朝露(大地につかぬ水)だけで命を保ち、雲に乗る仙人のごとくに質素に生きるというのはとても素晴らしいと思います。

<感想>

 うーん、何と言えばいいのかわかりませんが、一人土也さんのような若い(?)方が、隠者にあこがれるというのは、まずその点で違和感がある、と言うよりも、はっきり言えば方向が間違っていると私は思います。

 漢詩に描かれる世界は、確かに陶潜に代表されるように、世と離れて生きることを理想としているものが多いのですが、かと言って、誰もが実際に実行できるわけではありません。あこがれとして、あるいはほんの少しでもそこに近づきたいという気持ち、でもそれは現実の生活を繰り返し、繰り返し、努力し、努力し、その上でのものです。
 自分自身がどんな可能性や能力を持っているのか、それは人と交わり、世の中と交わることで確認されることです。その上で、自分の持っているものが世の中で生かせるのか、それとも世と離れた方が生かせるのか、そうした選択をするわけです。
 煩わしいから避けたい、というのでは単なる逃避です。また、世と交わることすらも最初から否定するのは、単なる怠け者です。
 厳しい言い方になりましたが、一人土也さんが持っていらっしゃる可能性は、作っておられる漢詩を見るだけでも、これからどんどん広がっていくことを感じさせるものです。せっかくの力を、今の段階で自分から閉ざすことはありません。
 また、仮に心の中に願望としてあったとしても、口に出してはいけないこともあるのです。言葉として出た時には、その言葉は本人の意図とは離れて、やがて形になろうとするものです。昔の人は、口から出る言葉の重みをしっかりとかみしめていたんですよ。

 そして、最後にもう一言加えれば、世の中も人生も、そう捨てたものではないですよ。人と人との出会いも、別れも、そしてうまく行くことも失敗することも、これから一人土也さんが体験する一つ一つのことは、きっと一人土也さんにとってはかけがえのない体験となるはずです。
 まだまだ人生は楽しみがいっぱいですから、「隠者」になってはもったいないですよ。

 先生のお叱言みたいになってしまいましたが、一人土也さんのこれからの方向性ということで、あえて書かせてもらいました。

2004.12.24                 by junji


逸爾散士さんから感想をいただきました。

 一人土也さま
 鈴木先生とは別のことを書きます。

 隠者(隠人は聞きなれないけど)にあこがれるのは漢文学の常道ですが、さて隠者は仙人のような暮らしかしらと、ふと思いました。私もあんまり詳しくはないのですが、六朝文学などには「遊仙」「招隠」といった詩が多い。
 乱世や腐敗した朝廷を見限った文化人の現実逃避なのでしょうが、村里で隣のおじいさんと酒を飲んでいるのと、仙界を飛行するのはだいぶ違いそう。少年の目からみれば仙界に遊ぶような詩はつまりファンタジーで、世を避けてひっそりと暮らす詩人の世界とは違うでしょうね。一人さんの詩を拝読して、隋唐以前の古い詩をもっとファンタジーとして読み直してみようかな、と思いました。
 田舎に隠退した詩人たちも、農民になって働かなくてもいいぐらいの生活の糧はあったはずで、世を避けたポーズはちょっとブリッコです。というより彼らの乱世の苦悩を汲み取るべきかもしれません。中国の詩人たちは宮廷人あるいは官僚ですから、政治の世界で切ったはったしていた人たちだというのをわかったあげないと可哀想かもしれませんよ。

 ところで漢詩はなるべく熟語を並べて作るほうが「らしく」見えます。「葉の紅なる秋」より「紅葉の秋」のほうが収まります。この場合は前の句と平仄が合いませんが、そこは工夫です。また「紅葉」といえば、「見る」や「有る」といわないでも読者はイメージをもちます。

 あんまり「我」というような人称代名詞は使わないほうが、特に短い詩形では句が引き締まります。「人間の憂に厭了す」のは「厭了人間憂」でしょう。(ただし平三連になりますね)

   蒼天風月好し
   紅葉満山秋なり
   厭了す人寰の事
   山行は仙客の遊

 みたいな感じ。「山」の同字重出が気になるなら「彷徨」とか別の字になるでしょう。

2004.12.29                    by 逸爾散士






















 2004年の投稿漢詩 第255作は 知秀 さんからの作品です。
 

作品番号 2004-255

  故郷廃家     故郷の廃家   

渓声寂歴邑人稀   渓声寂歴邑人稀に

石蕗花開淡夕暉   石蕗花開夕暉淡し

廃宇往時思不尽   廃宇の往時思へども尽きず

四山秋染晩鴉帰   四山秋は染めて晩鴉帰る

          (上平声「五微」の押韻)

<解説>

  谷の瀬音の ひびくさと
  つわぶき咲いて はや日暮れ
  すたれた家に 夕日さし
  紅葉の山にからすは帰る

 故郷の廃家はついに解体しました。大黒柱の頂に文化2年とかいてあって、当時の戸主の名が記されていました。200年経っていたのですね。
 思うことは、その家の歴史、栄枯盛衰、時代の移り変わりです。短歌では10首以上書かないと思いが出せませんが、その点漢詩は簡にして潔、何とかその雰囲気は出すことが出来ます。漢詩のよさは行間にあると思います。
 貴ページに出会って、生きがいを感じております。微韻で作りましたが題が晩秋ですので、交流詩ではなく、こちらにに投稿させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

<感想>

 漢詩のよさは行間にある、というのは、本当にその通りだと私も思います。
 短歌は日本語であるために三十一文字とは言え、実際に素材として扱える数には限度がありますが、漢詩の場合には一文字が意味を持っていますから、随分沢山のことが言えるように思います。ただ、やたらと多く並べても散漫になるだけですし、実際には絞りに絞られていくわけで、そうした時に行間が生きてくることを実感します。
 全体に統一された情感があり、整った詩だと思います。転句の「思」は、この書き方ですと名詞として「思ひは尽きず」と読みがちですし、その場合には平仄が違ってしまいます。漠然とした「思」よりも、もう少し明確な言葉の方が良いのではないでしょうか。

2004.12.25                 by junji