2002年の新年漢詩 第16作は 藤原鷲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-16

  春暁聴鴬        

風和元旦麗初   風和やかに 元旦 初陽麗らかに

庭上芳梅綴玉   庭上の芳梅 玉香を綴る

早暁喫茶心気爽   早暁 茶を喫せば 心気 爽かに

花間何処聴鴬   花間 何処ぞ鴬簧を聴く

          (下平声「七陽」の押韻)

 






















 2002年の新年漢詩 第17作は 咆泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-17

  新春書懐        

瑞気満天雲彩   瑞気天に満ちて雲彩長し

風和大地早梅   風は大地に和み早梅香ばし

破顔一笑浮生事   破顔一笑浮生の事

飲酒賦詩百慮   酒を飲み詩を賦し百慮忘る

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 元旦の午前中までは、こちらは良い天気でした。
 例によって、裏山に登ると、旭日に雲が映えとても綺麗でした。
今年も過去のいやなことは忘れ、前向きに生きようとの志を表わしてみたつもりです。






















 2002年の新年漢詩 第18作は 中山逍雀 さんからの詞の作品です。
 

作品番号 2002-18

  祝賀午歳新禧戯賦三十六馬(秋夜月)        

駸騨闖駱騒驪,  速く走る白き銭斑の馬 不意に現れた黒きたてがみの馬 騒ぐ黒馬、
馭驍騎。  強き馬を御して騎る。
駐馬瑪覊驗驀,  馬を止める美しきくつわ 乗りこなす証、
駻驅騏。  暴れ駆ける青黒の馬。
      
馴駢駟,  馴れ並ぶ四頭だて、
驩駈驥,  喜び駆ける優れたる馬、
騙碼騅。  美しき青黒の馬に飛び騎る。
隲駭騾驢駝騁,  登りて驚く騾馬驢馬駱駝の馳せるを
驫駒馳。  多くの馬が馳せる。
























 2002年の新年漢詩 第19作は 舜隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-19

  元旦與朋友登金華山      元旦 朋友と金華山に登る  

昧爽出牀風凜   昧爽 牀を出づれば風は凜然

會朋相揖賀新   朋に会して相揖し新年を賀す

峯臨寒月映雲海   峰より臨めば寒月 雲海に映ず

囘首坐看東嶺   首を回らして坐に看る 東嶺の煙るを

          (下平声「一先」の押韻)























 2002年の新年漢詩 第20作は 渡辺紫山 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-20

  新年偶成        

新年遠嶺凛寒光   新年の遠嶺寒光凛たり

氷結湖心梅気香   氷結の湖心梅気香しし

須識洞山真面目   須く識るべし洞山の真面目

雪蔵白鷺露堂堂   雪は白露を蔵して露堂堂

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 曹洞宗の洞山大師が書かれた「宝鏡三昧」を意識してのものです。
 そのなかに、「銀碗盛雪 明月蔵鷺」とあり。平等の中に差別があることのたとえです。雪も白鷺もともに白色であることは同じだが、その間に自ら差別あり。
「露堂堂」は、全部見えている。真理は、はっきりしているの意です。





















 2002年の投稿漢詩 第21作は 舜隱 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-21

  歳暮        

明朝早發冒新   明朝 早に発し 新霜を冒さんとす

今且閲書閑坐   今は且く書を閲せん 閑坐の牀

普信閣鐘盈小室   普信閣鐘 小室に盈つ

夢中何用絶滄   夢中 何ぞ用いん 滄茫を絶るを

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 今年の除夜の鐘はソウルの普信閣(ポシンガク)の鐘でした。ということで今年の正月は韓国で、という訳ではなく、偶々ラジオをつけたらKBSで普信閣から中継をしていたのが聞こえただけですが。
 友人たちと朝五時に集まって金華山に登った時のことを詠んでみました。「歳暮」の中にある「明朝早發」とはこのことです。

<感想>

 新年になって初めての感想です。この名誉を受けるのは主宰者の権利ですので、お許しを。

 元旦は穏やかな朝でしたから、きっと岐阜の金華山も暖かかったのではないでしょうか。登高して四方を眺めるには、金華山は本当に適地、私も何度か登りましたが、広々とした濃尾平野を長良川がゆったりと縦断していく景色は、しばし時を忘れるような雄大さがありました。
 況んや「元旦の朝」ともなれば、一層気持ちとしては盛り上がるものがありますよね。
 そうした高揚感を今はひとまず抑えて勉強に励む作者の姿が、起句承句によく表れていると思います。最初読んだときには、承句へのつながりが唐突な感じがしましたが、高校3年生、センター試験直前の舜隱さんの状況を思うと、この「今且」の二字に万感の思いがしますね。

 以前投稿して下さったまよっちさんも、今年は高校受験だそうです。若いお二人を始めとして、受験生の皆さん、「良い春」が来ますように、祈っていますよ。
 そうそう、風邪だけは引かないように、気をつけて下さいね。

2002. 1.17                 by junji




 鮟鱇さんから感想をいただきました。

 鮟鱇です。
 舜隱さんの連作2首(「歳暮」「元旦與朋友登金華山」)楽しく、また、羨ましく読ませていただきました。わたしのように歳をとってしまいますと、感受性が鈍くなり、詩に書こうとする題材を見つけるのがむずかしくなります。理想的には、自分の身辺で起きていることから新鮮な感動を受けることが出来、それを自分の言葉で詩にできたらと思うのですが、これがなかなかむずかしいのです。大抵のことは、もう面白くなくなってしまっているので、敢えて詩にしてみようという気持ちになれないのです。

 元日、正月らしい詩を書いてみようかと思いました。わたし自身の身辺に目を向けた詩を書こうとしたのです。
 妻と会社員の息子と、年に数度の家族そろっての朝ご飯。「おめでとうございます。」があってお屠蘇がわりのお酒。おせちとお雑煮。息子に年に一度くらいは一年の計を聞いてみようかと思うのですがが、なにをいまさらといわんばかりの息子のメセン(まなざし)が頭に浮かんでなにも聞かず。平成14年の私の元旦はそんな具合でした。
 しかし、わたしはそのことを詩にしようとは思わなかったのです。その風景が詩になるとは思わなかった。そこで、わたしが、どうしたかといいますと、「正月らしく」という思いがありましたので、お酒と作詩を題材にして書いてみようかと思いました。正月らしくお酒を飲んでゆったりとした気分になって一年の計、詩についての思いを詩に託す詩、しかし、そういう詩材はあまりにもありきたりでわたしには面白くないので、結局は書かなかった。

 わたしの頭に浮かんだ息子のメセン、これは詩に書けたと思います。
 舜隱さんの詩を読んだ今は、そう思います。わたしの場合は、「正月らしく」という思いがわざわいして、詩が書けなかった。「正月らしく」ということは、もちろん舜隱さんにもあったかも知れません、ただ、舜隱さんはちゃんと新鮮な詩材をみつけ、わたしはそれができなかった。
 この違い、ほんとうは舜隱さんとわたしとの感受性の深さの違いなのかも知れませんが、わたしはそれを、歳のせいにしたいのです。わたし自身の感受性の鈍さをわたし自身に対してとりつくろうために。

 さて、前置きが長くなりましたが、舜隱さんの詩をわたしが面白く読ませていただいた点。

1.元旦與朋友登金華山

  転句・結句がとても清清しく、わたし自身、若返ったような読後感があります。転句・結句がよく書けているというより、承句の「賀新年」の明るい声(情)が、転・結の景にのびやかに反映していくからではないかと思います。

會朋相揖賀新年。
 東京の若い人たちは、徹夜で明治神宮に初詣に出かけ、電車が動き出したら帰ります。しかし、年寄りは行かない。舜隱さんがお書きになった風景、これは東京の年寄りには書けません。わたしにはとても新鮮でした。

峯臨寒月映雲海
 この風景はわたしにも書けます。そういう風景を目にすれば。しかし、わたしの場合、「寒月」を書くことに、いささか抵抗があります。

 私自身は、「唐」を手本に詩を書くことはもうやめていますが、日本の漢詩界では「唐」を手本にすることが貴ばれています。その基準に即せば、元旦の詩は春節基準で書くのが常道。春節は新月です。元旦の未明に、新月ではない月が描かれることは、「唐詩」にとてもくわしい詩人にはとても許されません。
 わたしは、石川忠久先生の言葉として、「唐詩」を手本に詩を書くなら、旧暦で書かなければならない、元旦に満月を仰いだという詩を書いたとすれば、それは、厳密な意味で、「唐詩」を手本にしたとは言えない、という教えを知っています。
 そこで、もし、わたしが元旦未明の寒月を描くなら、それに合理性が生まれるような工夫をするかも知れません、「唐」基準で詩を書かれる方の批判をかわすために何かしようとする。
 そういう努力は、詩の本質にかかわらない馬鹿馬鹿しいことだけに、実際には何もしないかも知れませんが、元旦未明の風景に「寒月」を描くことに、無意味ないささかの葛藤を覚えると思います。
 そんなことに躊躇わずに書くのがよいに決まっています。また、舜隱さんの詩にも、その躊躇いはない。この点は、小生、いささか羨ましく思う点。

 しかし、

   峯臨寒月映雲海,囘首坐看東嶺煙。

 この2句は、正直にいうと、だれでも書けるだけにつまらないですね。ただ、「賀新年」の明るい声は、誰にでも書けないと思います。絶句は、全部自分の言葉で書けば、おそらく誰にも理解されない。しかし、4句のすべてが、誰にでも書ける語句で構成されているなら、これはつまらない。わたしが書こうとした「お酒」と「詩」の書き初め、という詩材の組み合わせは、どうしてそういう詩を書いたかということはおそらく多くの漢詩愛好家に理解されます。しかし、どのように工夫してみても、徹底してつまらない詩になると思います。なぜなら、そういう詩は、散々書き散らされているから、なんだ又かになってしまいます。

2.歳暮

普信閣鐘盈小室
 ソウルの「普信閣鐘」、意表をつく詩材です。舜隱さんがご自分の生活のなかでたまたま見つけた詩材とのこと。しかし、誰でもそういう詩材を見つけられるものではありません。大晦日にKBSの放送をたまたま聴くひとは決して少なくない、しかし、どれだけの人は、大晦日にKBSの放送で除夜の鐘を聴いたという詩を書いたでしょうか。舜隱さん以外のだれかがどこかでそういう詩を書いているかも知れません。しかし、わたしはそういう詩をみたことがない。そこで、この詩は、わたしにとって、まぎれもなく舜隱さんの詩です。

 ただ、惜しむらくは、ということで少々。

 桐山人先生の解説「そうした高揚感を今はひとまず抑えて勉強に励む作者の姿が、起句承句によく表れていると思います。最初読んだときには、承句へのつながりが唐突な感じがしましたが、高校3年生、センター試験直前の舜隱さんの状況を思うと、この「今且」の二字に万感の思いがしますね。」

 この解説、卓越しています。この解説があってはじめてわたしも大晦日・KBS・除夜の鐘の組み合わせに、詩を読む感動を覚えました。舜隱さんの置かれた状況が、先生の解説によってわたしの脳裏にも実に生き生きと浮かんだのです。そして、この解説によって、ソウルの「普信閣鐘」が生きた。
 しかし、本当のところはどうだったのでしょう。

今且閲書閑坐牀
 この「書」は、受験参考書だったのですか?あるいは、受験が、舜隠さんの心にどのくらい影を落としているのでしょうか?わたしはあまり影は落としていないと思う。なぜなら、影を落としていれば、「賀新年」ということばはなかなか出てきません。
ただ、ほんとうはどうなのか、その辺の事情が、舜隠さんの詩だけではわからないのです。わからない、というよりイメージがまるで浮かばない。桐山人先生の解説があってはじめてイメージが浮かぶ。

舜隠さんの年頃では、若者に特有の衒いがあります。そういう衒いはおそらく時代時代によって異なる。わたしの年代では長髪のヒッピー、舜隠さんよりすこし前か同世代では茶髪・黄髪。そして、わたしの年代と舜隠さんの世代に共通の「衒い」は、「受験勉強」カッコ悪い。もし、舜隠さんに「受験勉強」カッコ悪いという思いがあったとしたら、「閲書閑坐牀」と書かざるを得なかった背景が分かります。その衒いが「書」「閑坐」というおざなりな言葉を舜隠さんに書かせています。桐山人は、そのおざなりを無視して「今且」の錬字に注目しました。そこでわたしは、おざなりを指摘しておきます。

連作2首、詩材では「歳暮」、唐詩基準の完成度では「元旦與朋友登金華山」だとおもいます。それぞれによいと思います。

舜隠さん、わたしの感想・疑問にお返事は書いていただかなくて結構。返事を書くということは、ある面、時間の浪費です。その時間があるなら、とりあえず受験と妥協して勉強してください。妥協する気にはなれないなら、詩を書いてください。

それから、この場を借りて舜隠さんの弟の年齢の徐庶さん、あなたもとりあえず受験と妥協してください。妥協する気にはなれないなら、詩を書いてください。

それから、妹の年齢のまよっちさん。わたしはあなたが受験生がどうかわからない。そこで、勉強してくださいとはいいませんが、もし受験生なら、とりあえず勉強してください。まよっちさん、このあいだは感想を書かなかったけれど、あの詩、よかった。
そして、舜隠さん、徐庶さん、マヨッチさん、4月になって学校の勉強をとりあえずはサボッていい頃になったら、思い切り詩を書いてください。

ご返事無用。以上、みなさんのおやじを通り越したオジイの感想です。

2002.1.21                  by 鮟鱇





















 2002年の投稿漢詩 第22作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-22

  正月暁起        

重重落葉才埋滅   重重たる落葉 才(わず)かに埋滅し

壌露祗宜嫩草   壌(つち)露れて 祗に嫩草の萌ゆるに宜し

外気凄凄風少軟   外気凄凄たれど 風少しく軟(やわ)らぎ

旭暉光遍喚春   旭暉光遍ねくして 春声を喚ぶ

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 大晦日は、夜早くに寝てしまいましたので、初日の出や紅白歌合戦などは全然見てなかったのです。
でも、そのおかげで早く起きることができ、少し散歩してきました。
 感想は、「新春といってもまだ寒い!!!」。

今年も宜しくお願いします。

<感想>

 昨年は徐庶さんから若々しく新鮮な漢詩をいくつも投稿していただき、多くの方から若い仲間を得た喜びのお手紙をいただきました。私もとてもうれしくて、「中学生の人がこんなにすごい詩を作るんだよ」とつい周りの仲間に言いふらしてしまったり。
 徐庶さんの詩は、「中学生の」という修飾語をつけては却って失礼なくらいの作品ばかりですが、それでも私はうれしくて言ってしまうんですね。つまりは、「漢詩は年輩の人の文学ではないんだよ」ということを強調したいからですので、徐庶さん、まよっちさん、お許しを。

 今回の詩では、起句承句で、裏山あたりで土を触りながら春の息吹をじっと感じ取っている姿、まるで生物の授業での課外観察をしているような、そんな視線の細やかさが出ていて、徐庶さんの個性がよく表れていると思いました。
 転句があまり大きく変化せず、承転結の句に「春」を表す言葉が出てきていますから、全体としては穏やかな新春の印象を受けますね。これはこれで、まとまっていると思いますよ。

 難としては、「重重」「凄凄」と、畳字が二つ使ってあることで、近体詩ではあまり多用するとリズムが重くなりますから、効果的にここぞという所で使いたいところでしょう。

2002. 1.17                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第23作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-23

  華夏有先鞭        

統合欧州通貨成,   欧州を統合するの通貨成り,

洋人三億發歡声。   洋人三億 歓声を発す。

却思華夏存長策,   却(かえ)って思う 華夏の長策を存(たも)つを,

秦帝先鞭度量衡。   秦帝先鞭す 度量衡。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 欧州通貨統合のニュースをテレビでみながらの雑感です。
 他民族の国家・共同体であることは中国もヨーロッパも同じ、あらためて秦始皇帝の偉業を思った次第です。

 [語釈]
 「洋人」:現代中国語で西洋人のこと
 「華夏」:中国のこと
 「長策」:良い施策、また、長続きする施策

<感想>

 あ、こういう詩って、私は好きですね。思いがけないもの同士をつないだり、全く新しい観点を教えられたりすると、詩とか文学の持つ役割をあらためて噛みしめたくなります。
 二千年以上も昔に、世界を軍事で統一した人物が、次に統一を進めたのは貨幣・文字・度量衡、そして思想でした。始皇帝の国は短命でしたが、残した遺産・功績は多大なものがありました。
 現代のユーロの統合は、未来の人々からはどのような歴史的評価を受けるのでしょうね。

 詩の雰囲気としては、転句の「却思」が説明的で、せっかくの展開の面白さを薄れさせているような気がします。読者に「ん・・??」と思わせるくらいでもいいのではないでしょうか。

2002. 1.17                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第24作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-24

  約観楓遊値雨不得        

数問秋光彩   数々(しばしば)秋光彩るを問えば

伝聞物候移   伝え聞く 物候の移るをと

偕期討紅葉   偕に紅葉を討ねんを期すも

何為在茅茨   何の為か 茅茨に在りや

聞雨開窓処   雨を聞いては 窓を開けし処

読書依几時   書を読んでは 几に依る時

無聊空抱膝   無聊 空しく膝を抱き

有意獨支頤   意有っては 獨り頤を支えん

探句難排悶   句を探るも 悶排し難く

待晴閑問奇   晴を待っては 閑に奇を問わん

怡顔誘香客   顔を怡ばす 香に誘われし客

當目傲霜枝   目に當かうは 霜に傲れし枝

石径停車意   石径 車を停める意

東籬采菊姿   東籬 菊を采るの姿

縦令違興趣   縦令(たとい) 興趣は違うも

興趣両相宜   興趣は両ながら相い宜し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

去日相約与西川介山先生観楓遊。当日値雨而不得。閑居頗無聊也。
作詩遣悶而不得意。雨少止即出門、信足散策於武庫川河畔。
偶過親故之宅、即叩門而見主人。
主人在好懷、見我怡顔少立談、而後誘我於庭裏、使我鑑賞菊花併見奨酒。
為賦長律、報主人之厚情。

此の作は去年の秋に作ったものです。
臆面も無く排律を投稿しました。習作の為とおもって許して下さい。

 [大意]
しばしば山は秋景色になりましたかと問うと
もうすっかりと景色は移りかわりましたとのこと。
ともに紅葉を見ようと約束したのですが、
それなのに、まったく何のせいで茅屋にいるのでしょうか。
雨の音を聴いては恨めしく窓を開いて空を眺め、
書を読んでは机に寄りかかっています。
退屈で何もすることが無く膝をいだいては思いを巡らしています。
詩意が浮かべば独りあごを支えて詩句を探ります。
詩句を探るにもあきては、悶は排し難く、
雨の晴れるを待って、外の景色を眺めにゆきます。
菊の香が私を誘うように流れてきて、私を喜ばせます。
その姿は私の目の前に向かってくるようです。
彼の詩人が紅葉を見るために車を停める意と
東籬に菊を采って、南山を見た姿も
たとい興趣は違っても
興趣は二つとも甚だ好いのです。
(何も雨で観楓の遊を出来なかっても悔やむことはないではないか)


<感想>

 排律は長くても古詩とはまた違った緊密感があり、楽しく読みました。

 読みとりが不足しているのかもしれませんが、前半の四句とそれ以降の句とのつながりが弱く感じました。観楓に行けなかったことの事情説明がかえって連結を薄くしているように思います。
 後半の詩趣は、対句も熟練の筆という感じで流れて行き、印象も深いですね。収束も納得できる形で落ち着いたと思いますが、「興趣」の繰り返しの効果はどうでしょうか。
 謝斧さんの意図も教えていただけると面白いと思います。

2002. 1.28                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第25作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-25

  論 詩       

古人説道道無形,   古人説道(いうならく) 道に形なくんば,

吟客當知知有情。   吟客 まさに知るべし 知に情ありと。

絞尽腦汁成對偶,   腦汁を絞り尽して対偶をなせば,

山河空處順心清。   山河の空なるところ 心に順(かな)いて清し。


<解説>

 現代韻で書いています(通韵第14部巾韻) 。
転句「汁(zhi1) 」は、平水韻では入声・仄韻ですが、現代韻では平声です。

 次の字義も、現代の中日辞典にあるものです。
 「説道」    :道を説くの意もあるが、ここでは単に「言う」
 「絞尽腦汁」 :脳味噌を絞る。
 「對偶」    :ここでは対句と同義。
 「順心」    :心にかなう。思いどおりになる。

 詩に「道」を説く方が少なくありませんが、それがどういう「道」であるのか、たとえば儒教でいう「道」なのか、道教でいう「道」なのか、あるいは日本人がよく口にするところの「人の道」なのか、よくわからない場合が多いと思います。わたしがここでいう「道」は老子を意識しています。
 「道」に形が無ければ、詩はその対極にあるものと思えます。「道」を言葉に尽くすことはできない。一方、詩は、言葉を信じる。
 山河は本来虚しいものです。つまらない文章と同じです。空洞であるといってもよい。その空虚に詩を書くわれわれは、たとえば対句を張りつけます、お釈迦様の指にイタズラ書きをする孫悟空みたいに。するととても気持ちがよくなる。詩に託すことのできる情とは、おそらくその気持ちのよさであると思います。
 どう考えても山河(存在・無)そのものに情があるわけはなく、詩の世界では、人の知(言葉・有)が情を生むのだと思います。つまり、われわれは、人の知を働かせてはじめて、詩がもたらすカタルシス(浄化作用)を覚えるのであって、感動が詩を生むのではなく、詩が感動を生むのだと思います。
 こう考えれば、詩を書く行為を通じて、「道」を知ることなどできない。というのが拙作の趣旨です。



<感想>

 私はもう30年来の趣味で、今でもギターを弾いたりもしているのですが、友人とちょっとセッションをしようか、なんて時には、ブルースの曲をよく演じます。
 適当に合わせながらアドリブを入れていきます。ブルースの場合は十二小節を単位として、ほぼ決まった和音の進行が繰り返されるので、あまり深く打ち合わせやら練習やらをしなくてもあわせやすいのです。
 十二小節のリズムを体の中で同調させて、「ここらで一つ盛り上がって」、とか、「ここは音を抑えて静かにしておこう」、とか、一瞬の気配を感じ合ってメンバーの息がまとまった時などは、全く至福の瞬間です。
 傍の人から聞けば、各自が好き勝手なことをやって滅茶苦茶な演奏に聞こえても、決まった和音進行を基盤にして、ある意味その制約の中で自由に羽を広げる。
 別段、感動したことがあって、それを音楽で表現したいから演奏するわけではありません。逆に、感動を得たいから演奏をすると言った方が良いでしょう。こういう音楽の楽しみ方もしています。
 一方、まったく逆に、感動を何とか伝えたくて曲を作ったり、歌を歌ったりもします。その時には、結構緻密に構成を練り、イントロだのサビだの、あの楽器を入れたり、このリズムを使ったりと大忙しです。
 そして、どちらも私には大切な演奏体験です。何と言ったってどちらも楽しいのですから。

 音楽を自分で演奏することと、詩を作ることは似ていると私は思っています。何と言っても、ミュージッシャンが「音楽道」なんてことを言っているのは聞いたことはありませんから。

2002. 1.28                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第26作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-26

  詩 神        

詩神時似野鶏妖,   詩神 時に野鶏の妖しきに似て,

不問賢愚貴賤交。   賢愚貴賤を問わず交わる。

花陣春烟引佳客,   花陣の春烟 佳客を引き,

柳營秋月映芳醪。   柳營の秋月 芳醪に映ず。

醉裡煽情鼓吟志,   醉裡に情を煽って吟志を鼓し,

梦中翻袖舞飛橋。   梦中に袖を翻して飛橋に舞う。

艷姿如意常奔放,   艷姿 意のごとくに常に奔放,

送旧迎新笑貌嬌。   旧を送り新を迎えて笑貌嬌たり。

<解説>

 この詩も現代韻で書いています(通韵第9部夭韻) 。
 まず使いたかった韻字は、起聯第2句押韻の「交」です。「交」は平水韻では肴韻ですが、同韻字が少なく扱いにくそうでしたので、現代韻で書きました。
 そうすることで、韻字に醪(平水韻:豪韻),妖,橋,嬌(いずれも蕭韻)を用いることができました。

 さて、拙作は、詩の女神は娼婦のようだ、ということを書いています。「野鶏」はいわゆる「よたか」です。詩のユニバーサルな背徳性は、たとえばボードレールが自分の詩集に「悪の華」と名付けたあたりにも窺えるのですが、詩の女神はとても淫乱で、賢愚貴賤貧富を問わず誰とでも交歓し、誰にでも詩を書くことを許します。つまり、あらゆる詩をわけへだてなく愛し許す、そういう豊穣さに詩の源泉があると小生は思い、この詩を書きました。

 この詩の発端:
 地之穢者多生物,水之清者常無魚。  (菜根譚)
  (地の穢れる者は多く物を生じ、水の清める者は常に魚なし)


<感想>

 こうした天を駆けるような自由な表現は、鮟鱇さんの独壇場ですね。

 用われている言葉の一つ一つが作者の指先で命を与えられたように、生き生きとして、現実感のあるものになっていますね。
 詩心を拒否しようとなさる鮟鱇さんですが、読者に伝わるものはまさしく「今」を描き出す鮟鱇さんの詩心、対句も美しく、得心のいく作品だと思います。

2002. 1.28                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第27作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-27

  天地歌        

一十百千萬億兆   一十百千万億兆

坤輿變化徐幽眇   坤輿の変化 徐ろに幽眇

欲將人世比悠久   人世を将(も)って悠久を比せんと欲すれば

颯颯烈風維幾秒   颯颯烈風維れ幾秒

          (上声「十七篠」の押韻)

<解説>

 一年十年百年・・・
 大地はゆっくりと微かに変化している。
 人の世とその悠久さを比べてみれば、
 人の世はさっと吹く風のように短い。

 一句目は羅隠の「京中正月七日立春」の一句目に「一二三四五六七」とあるのからとりました。
 平仄の決まりを破っていてしかも仄韻です。

<感想>

 スケールの大きな詩が出来上がったのも、新年のもたらす気でしょうかね。徐庶さんの目には、きっと宇宙の尺度でのこの地球というものが見えているのではないでしょうか。
 古代の人々がとらえた「悠久」という概念は恐らく観念的な、あるいは宗教的な要素が強かったと思うのですが、現代の(特に若い世代の)とらえ方はもっと現実的で、映像的なリアリティを持っているように感じます。
 どちらが良いとか悪いとかのことではないのですが、そのこと自体が「變化徐幽眇」の象徴のようで、不思議な気持ちになりました。

 以前に徐庶さんには七言絶句の創作をお勧めした経緯がありますので、今日はちょっと例外として、
 今回の詩は仄韻ということもありますので、古詩の風をより生かして、こうした詩ならば五言詩にするのも面白いと思います。それぞれの句の下の五字だけを並べてみると、説明的な言葉が消えて、イメージがより大きくなるようにも感じます。
 

2002. 1.28                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第28作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-28

  連休前        

殘月徐徐薄   残月徐々に薄らぎ

枝枝漸景盈   枝々漸く景(ひかり)盈つ

連休宜嬉戲   連休宜しく嬉戯すべし

往路計時程   往路時程を計る

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

【語釈】
   嬉戯:楽しみ遊ぶこと
        史記の孔子世家より、「孔子爲兒、嬉戯常俎陳豆」とあることから。

[訳]
  残月は段々薄らいでゆき、
  枝々には日の光が満ちてきた。
  連休は遊び楽しむのがよい、
  学校への道すがら、連休の計画を立てる。

<感想>

 休みを楽しみにする気持ちがよく分かりますね。休日の前日からもう楽しみでウキウキする、というのは、大人でも子供でも一緒です。
 私も休日にはどう過ごすか、を楽しく考えます。勿論、そんなに大げさなものではありませんし、寒くなりましたから遠出するわけでもないし、せいぜい何時からプールに行こうか、とか、昨夜録画したビデオは午後に見ようか、という程度ですが、それでもうれしいものです。

 詩についての感想ですが、「徐徐」の語が次の「漸」と重複してますので、これは気になりました。
 また、「枝枝」は、「あの枝もこの枝も」として、結びの「盈」を生かそうとしたのでしょうから、ここで「畳語」の効果を出すためにも、起句の「徐徐」は避けたいところです。

 古代の詩では同音でのリズムのために「畳語」を多用する詩もありますが、音韻の研究が進んだ近体詩ではあまり好まれません。
 字数に制約のある近体詩では、同じ字を二度も三度も使ってしまっては書くべき内容が少なくなってしまうことから、明確な強調の意図をこめた時に使います。
 ですから、「畳語」があれば、そこは強調された部分として意識されますから、あそこもここも「強調」となると、却って印象がぼけてしまいます。ここぞ、というところを見極めることが必要でしょう。

 結句は「往路」が直接的な表現過ぎますし、「計時程」も何のことなのか分かりにくいと思います。予定の内容を具体的に言ってみる、例えば雪山を思い描くとか、読書を楽しみにするとか、そうした構成にするとより生き生きとした詩になるでしょう。

2002. 2. 3                 by junji





















 2002年の投稿漢詩 第29作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2002-29

  参禅後看月        

雖坐僧堂夜   僧堂の夜に坐せども、

但愁向晩年   ただ晩年に向かうことを愁う。

帰途回白首   帰途白首を回らせば、

素月在寒天   素月は寒天にあり。

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、本年もよろしく御願いします。
 昨年は謝斧さんからもいろいろアドバイスを頂き、大変感激いたしました。自分もこのページにもっと積極的に参加しようと新年から決意したのに関わらず、新年漢詩をつくれませんでした。
 こんな私ですが、またご指導ください。

 昨年の「歳暮」の続編みたいになってしまいましたが、『百人一首』
     ほとどぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
をイメージして作りました。

<感想>

 五言絶句らしい簡潔な表現の中に、余韻の残る詩ですね。
 結句の「真っ白な月が寒々とした空に浮かんでいる」という一句は、『新古今和歌集』に収められた藤原家隆の歌
     志賀の浦や 遠ざかりゆく 波間より 氷りて出づる 冬の夜の月
を思い起こします。
 私はこの家隆の歌の特に後半が、刀の刃先のような冷たさと鋭さとで大好きなのですが、ニャースさんの結句も同じ様な印象を受けました。

 起句の「雖」と承句の「但」の虚字が前半の表現を説明的にしていて、臨場感が薄れています。起句だけでも、「孤坐」「静坐」「久坐」などの言葉にすると、随分感じが違うと思います。

2002. 2. 3                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 詩人には深い感慨があってのことでしょうが、読者には、「雖」の字が機能してないような気がします。
 起句と承句の関連が希薄なので、junjiさんの言われるような「孤坐」「静坐」「久坐」を避けて、「雖」の字を使ったのでしょうか、そうであれば、「沈思僧堂坐」ではどうでしょうか。

 「帰途」は少し気になります。これは私だけが思っていることかもしれませんので、或いは間違っているかもわかりません。
 「帰途」は字面から、遠い旅先から故郷にかえってといった感じがします。また僧堂にいた時から帰途迄の間の叙述がないので、帰途の句は突出のような感じをうけています。

 結句は何か印象的な、余韻の残る句です。
「素月」は詩人自体を象徴しているのでしょうか、読者になにかを想像させるに充分な収束だと感心しています。

 個人の好みかもしれませんが、私ならばこうするのですが、どうでしょうか。

     沈思僧堂坐     沈思して僧堂に坐せば、
     但愁向晩年     ただ晩年に向かうことを愁う
     窓前空挙首     窓前 空く首を挙れば
     素月在寒天     素月 寒天にあり。

2002. 2. 5                by 謝斧





















 2002年の投稿漢詩 第30作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2002-30

  放言        

斯道旁落詩人憂   斯道旁落して 詩人憂い

夙慕高韻追前修   夙に高韻を慕って 前修を追わん

延頸鶴望麗澤友   頸を延き鶴望す 麗澤の友を

偕争文采崇風流   偕に文采を争って 風流を崇ぶ

糞牆朽木浅薄輩   糞牆 朽木 浅薄の輩

曝褌花下無心羞   褌を花下に曝して 心に羞ずる無き

勿爲区区列七字   為す勿れ 区区として 七字を列ね

誇示詩賦知何求   詩賦を誇示しては 知んぬ何をか求めんを

故弄摘句趣易陋   故さらに句を摘むを弄しては 趣 陋になり易し

徒好衒学嘲難休   徒らに学を衒うを好んでは 嘲 休むこと難し

剰攻異端欲作俑   剰つさえ 異端を攻めては 俑を作らんと欲し

井蛙語海誰能尤   井蛙の海を語るを 誰か能く尤めん

真金放輝不用鍍   真金 輝を放ちては 鍍するを用いず

羚羊挂角君知不   羚羊 角を挂ける 君知るや不や

吐露心情正本義   心情を吐露するは 正に本義なり

野狐外道論無由   野狐外道論ずるに由し無し

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 古詩一韻到底格 平韻の詩を投稿します。

 古詩にも平仄は有ります。
 私は此の詩形では二作目で殆ど作っていませんが、平仄は出句仄三連にして落句は平三連にしています。 あるいは、少し緩くして、出句は孤仄にして落句は孤平にもします。
 呂山先生等は、韻別表が使える様に孤平孤仄(孤仄は四仄五平ともいいます。四字目を仄に五字目を平にするため)を勧めています。

   ××××●●● 或いは ××××●○● 出句
   ×××●○○◎ 或いは ×××●○●◎ 落句

 拙詩は落句は全て平三連にしています。
七言古詩の一韻到底格は偏格です。概ね七言古詩を作る場合は改韻格で作ります。

 [語釈]
 「旁落」:あまねく廃る
 「前修」:先賢
 「麗澤」:友人同士が励ましあって勉学や修得につとめる
 「文采」:文章著述の立派さ
 「糞牆朽木」:朽たる木は彫ることが出来ないし糞土の牆は塗ることが出来ない
 「衒学」:学問のあることをみせびれかす
 「異端」:正統でない学問
 「作俑」:悪い前例をつくる
 「鍍」:メッキ
 「羚羊挂角」:羚羊は角を枝に挂けて眠る 技巧を表に出さない
 「野狐」:野狐禅 悟ったような振りをしているがその実は悟っていない


 詩に対して、誤ったことを言う人が多いようですが、此れは仕方の無いことと想います。著名な先生でも、平気で失声した詩を世に問うています。
 参考とする本が世の中には出回ってないせいです。

 森槐南博士斎藤荊園先生などの漢詩の隆盛期に、泰斗と目された人の著述書は、図書館にはあるのですが、殆どは書庫に眠っています。残念乍ら、漢詩創作のためのバイブルであった、斎藤荊園先生『漢詩入門』は昭和二九年に初版され昭和四五年に増補改訂され、昨年まで版を重ねましたが、絶版になりました。
 図書館の書庫に眠っている漢詩に対する書の情報の開示をおねがいしたく想っています。

<感想>

 古詩の平仄を私はよく理解できていなくて、下三連をするとか孤平を入れるとか反粘を破るなどといった、いわば近体詩の平仄を意図的に破ることが規則かな?と漠然と理解していましたので、あらためて齋藤荊園先生の本を読もうという気持ちになりました。
 図書館でも漢詩創作のための書籍はなかなか開架の棚には並ばないことが多い、というのは同感です。最近の流行も多少は影響しているのか、漢詩鑑賞用の書籍は新刊も含めてある程度は並んでいるのですが、創作までは(しかも新刊が少ないわけですから)スペースを取れないようですね。
 書店にはほとんど並んでいない状況ですから、図書館ではせめて書庫から出して置いてほしいと思います。ふと、手にとって新しい世界に足を踏み入れる可能性は、誰にでもあるのでしょうから。

2002. 2. 3                 by junji