第181作は 金先生 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-181

  訪学舎跡        

此地君通処   この地 君通ひし処、

共過青春時   共に過ごすは青春の時。

季移学舎無   季移り学舎は無く、

唯語対緑枝   ただ緑枝に対して語る。

誰待石階跡   誰待つか石階の跡、

今在人不知   今あるを人知らず。

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 広島大学は現在広島市内には無く、「西の筑波たらん」として、東広島市に統合移転しています。
 私の大学生時代(1980年代前半)は、ようやく移転が始まった頃でした。広島市の千田町にあった本部キャンパスは最後まで残っていましたが、1980年代末には完全移転が完了し、現在利用のめども立たずただっぴろい公園となっています。
 被爆建物でもある旧理学部は保存のため?に建物は残っていますが、他の校舎などはすべて更地になっています。キャンパス当時の道と並木はそのままです。私自身は広島大学は受験しましたが不合格だったため、他の大学に通いましたが、サークルの関係で半分広大生のようにキャンパスに出入りしていました。
 先日この跡地公園を訪れたところ、当時の道のそば、旧教育学部と思われる所に校舎の基壇が残っていたのを見つけ、この作品ができました。
 中学・高校と一緒だった女の子が教育学部に通っていましたので、もしかして姿が見られないかな・・と、よく教育学部には顔を覗かせていましたのですぐに判りました。
 作品中の「君」「人」はこの女の子と考えてもいいですし、同時代に此処で学生時代を過ごした不特定の人々としてもいいと思います。

<感想>

 六句による詩は、王維や李白の作品にも幾つか見られますよね。高青邱にもかなりありましたから、独特の面白さがあるようです。構成的には、絶句プラス二句という感じでしょうかね。
 三句目の「学舎無」は主語述語の関係からは「無」の字を前に置きたいところです。「学舎朽」という形にした方がよいでしょう。
 五句目はよく分かるのですが、六句目は原文で読んでも書き下しを読んでも、意味がよく分かりません。「在」「不知」の主語が異なることが原因かもしれません。あるいは、「在」「残」とか「遺」にするとよいかもしれません。

 全体では、時の流れをベースにして、金先生独特のどこか甘い香りのする寂しさが漂い、つい「そうそう、そういう気持ちわかるなー」とつぶやいてしまいますね。
2001.12. 2                 by junji





















 第182作はひさしぶりの 観水 さんからの作品です。
 お手紙もいただきました。

       鈴木先生
      ごぶさたしています。
      漢詩投稿も3月以来ですね。

       それなりに職場にも慣れ、
      ようやく、詩を作ってみようかとも思うだけの
      心の余裕が出来たようです。
       余裕が油断に転じないように、
      気をつけないといけませんね。

作品番号 2001-182

  感青衿      青衿に感ず  

臥竜動地起雲雨   臥竜 地を動がして 雲雨を起し

雛鳳震天送大風   雛鳳 天を震わせて 大風を送る

君伐西戎吾北狄   君は西戎を伐て 吾は北狄

青衿早已是英雄   青衿 早く已に 是れ英雄

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 半年ぶりくらいに「漢詩を創ろう」ホームページにアクセスしてみましたが、若い方々の活躍が目ざましいことに驚かされました。

 私よりも先に投稿されていた舜隱さんに加え、中学生の徐庶さん、マヨっちさん、そして大学生の楚雀さん(私自身、去年の今頃、初めて投稿した時は大学4年でした)。
 これからとても楽しみですね(……って、自分も精進せい)。

<感想>

 久しぶりですね、本当に。就職という環境の変化の中で、少し自分を見る余裕が出たという時期でしょうか。お元気そうで、うれしく思います。
 若い世代の活躍は、まさに職場の活力、漢詩の世界でも同じことですよね。観水さんも勿論お若い世代ですが、それにしても「後生畏るべし」という感じ、まったく同感ですね。
 観水さんの最新作は、まさに若い世代の才能を歓迎すると同時に、共に頑張っていこうというあたたかい気持ちにあふれていて、読んでいてほんのりと優しい気持ちになってくる作品です。
 生意気に言わせていただけば、観水さんが心の面でもまた一回り大きくなったことを感じさせられるようで、若者っていいなぁとこれも久しぶりに思わせていただきました。感謝感謝です。
 転句の句中対が効果的で、スケールを大きくしていますね。

2001.12. 2                 by junji





















 第183作も 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-183

  秋夜偶成        

富貴何論高志人   富貴 何ぞ論ぜん 高志の人

自誇短褐弊裘身   自ら誇る 短褐 弊裘の身

寒窓月下還家夢   寒窓 月下 還家の夢

絡緯声中見老親   絡緯 声中 老親に見ゆ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

   志が高い人は、富貴の事は気にしません。
   ひどい身なりも、むしろ誇りです。
   夢の中で、両親も誉めてくれることでしょう。

 まだ暖房は使っていないし、かといって特に厚着をしているわけでもない。
だからもういいかげん夜は寒いです。
 そんなおりに出来たものです。

<感想>

 うーん、親の心情として「短褐弊裘」の息子の姿を誉めるのかどうか、は難しいところですね。
 私はまだまだ未熟者ですので、子どもの姿を見てはつい文句を言いたくなる場面が多いのですが、観水さんのご両親はきっと観水さんに信頼を寄せて下さってるんでしょうね。反省反省。
 起承転結の構成で言えば、この転句は大きく展開していて、とても良いですね。下宿や一人暮らしの姿が目に浮かび、胸に迫るものがあります。結句の「見老親」をどういう気持ちとして読むべきか、ここからだけでは分かりません。でも、そこが読者にゆだねられているのだと思えばよいのでしょう。
 私は、「ぼろは着てても心は錦、という気持ちで頑張っているが、夜中に月明かりの下、故郷の夢を見た時に、その夢の中に年老いた親の姿を見せて、ふと寂しくなってしまった」という構成で読みましたが、それもまた良い詩だと感じました。

 そうそう、題名については、「偶成」を取って、「秋夜」だけの方が良いでしょう。

2001.12. 2                 by junji





















 第184作は 楚雀 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-184

  題畫      画に題す  

峻嶺連天雲往還   峻嶺 天に連なって 雲往還す,

泉聲静處是仙寰   泉声 静けき処 是れ仙寰。

長年住在長松下   長年 住んで長松の下に在り,

偏愛清流又愛山   偏に清流を愛して 又た山を愛す。

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 「桐山堂」の方でも話題になっている日中友好漢詩協会に入会することになりました。国内では珍しく現代韻による作詩を奨励している吟社ということで、私も現代韻の勉強を始めてみたのですが、まだ入声の扱いや韻目が減ったことによる冒韻の処理などにいま一つ慣れていません。
 当面は平水韻で書いていこうと思っています。

 さて、最近なかなか詩が書けない状態が続いていたのですが、何か無理にでも題を設けて書いてみようと思い立ち、近所の日本画の展示を見に行きました。
 帰りがけに買いこんできた絵葉書の画に詩を付けてみようと試みて、どうにか1首完成したものです。
 もとの画の方はほぼ詩の内容通り、山居の図でした。

<感想>

 今にも白鬚の翁が姿を現してくるような、いかにも「山居」と言うにふさわしいような詩になりましたね。転句がややもたれたような感じがしないでもないですが、結句のリズム感がうまく救っていると言えます。
 逆に結句はリズムの良さに流されてしまったようで、清流を「愛」するは書き過ぎでしょう。「泉聲静處」「長松下」「長年住在」しているのですから、好きなのは分かりますので、ここは「汲」なり「濯」なりの動作が欲しいところでしょう。
 対の効果は薄くなりますが、そう展開させれば、結句の下三字も生きてくると思います。

 それにしても、その絵はがきの所にこの詩を添えれば、きっと映えることでしょう。楽しみですね。

2001.12. 3                 by junji





















 第185作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-185

  少年行        

近頃数聴凶行多   近頃数々聴く凶行の多きを

無乃少年憑妖魔   乃ちや無からんや 少年妖魔に憑るを

勿笑老人易為感   笑う勿れ 老人感を為すこと易く

看眼時事奈憤何   眼に時事を看ては 憤を奈何せん

荀卿説道人性悪   荀卿説く道らく 人の性や悪しと

不教義方道理錯   義方を教へず 道理錯つ

何異猛虎放城市   何ぞ異ならん 猛虎城市に放つを

少年多是性凶虐   少年多くは是れ性凶虐なり

脅得朋友奪金銭   朋友を脅し得ては 金銭を奪い

拉致衆人心平然   衆人を拉致して 心平然たり

或作狸奴狗児看   或は狸奴狗児の看を作し

徒好殺戮不畏天   徒に殺戮を好んで 天を畏れず

無奈先生教育拙   いかんともする無し 先生教育拙に

当事袖手遂蹉跌   事に当りては 手を袖にして遂に蹉跌する

縱遇苛虐無由逃   縱え苛虐に遇っても 逃るに由し無し

平生唯思生命絶   平生唯だ思うは生命を絶つを

       (下平声「五歌」・入声「十薬」・下平声「一先」・入声「九屑」の押韻・換韻)

<解説>

 また古詩で申し訳ありません。
比較的短いので許して下さい。

[語釈]
  「荀卿」:荀子「性悪説」を主張
  「義方」:家庭内の徳義の教訓。
  「道理」:人のふみ行うべき正しい道。    『荀子』(修身) 其行道理也勇
  「先生」:老人で学問を教える人 転じて日本語の教師と同じ
  「教育」:教えて立派な人物に育てあげる。 『孟子』(尽心) 得天下英才而教育之
  「袖手」:何もしないでいる 手を拱く

<感想>

 「少年行」と言えば、王維や李白の作品を思い浮かべます。

       少年行        王維
   新豊美酒斗十千      新豊の美酒 斗十千
   咸陽遊侠多少年      咸陽の遊侠 少年多し
   相逢意気為君飲      相逢うて 意気 君が為に飲む
   繋馬高樓垂柳邊      馬を繋ぐ 高楼 垂柳の辺


       少年行        李白
   五陵年少金市東      五陵の年少 金市の東
   銀鞍白馬度春風      銀鞍 白馬 春風を度る
   落花踏盡遊何處      落花 踏み尽くして 何れの処にか遊ぶ
   咲入胡姫酒肆中      (わら)って入る 胡姫 酒肆の中


 どちらの詩も、盛り場で遊び尽くす若者の姿を描いた詩です。そういう点では、いつの時代も若者という存在は年輩者からは白い眼で見られるものなのでしょう。ただ、謝斧さんが仰る現代の少年の姿と王維や李白の見る少年とは違いがありますね。
 王維や李白のとらえ方には、少年達の行動を、困ったものだとしながらもそれでも認めてやろうか、というような温かさがあるように感じます。極端に言えば、かつてはオレもそうだったけども・・・というような、そんな先輩としての目があるのではないでしょうか。
 現代の少年達への見方は、どうもそうしたものではなく、まったく異質の存在、相容れることのない異人種としてしか捉えられない、そんな息苦しさが感じられます。
 考えてみると、王維や李白のような見方は、千年以上も昔のことではなく、つい30年ほど前までは私たちの身近に存在していたように思います。
 私自身を振り返っても、学生時代に夜中に騒いだりしたことも、周りに迷惑かけたこともあったのですが、当時のお巡りさんは寛大な人が多かったですね。
 現代の若者がもはや社会の連帯者にはなれないということは多くの人が直感的に思っていることかもしれませんが、もしそれが正しいとなってしまうと、まさに新世紀は切ない時代になってしまいますね。
 期待をこめた目を向けられるような、そんな若者を育てなくてはいけない、と私はつよく思っています。

2001.12.12                 by junji





















 第186作は 三耕 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-186

  和秋        

白雨何時思   白雨に 何れの時をか思ふ

天晴帰路忘   天晴れ 帰路忘る

済他大楽舟   他を済たす 大楽の舟

五色和秋浪   五色 秋浪に和す

          (去声「二十三漾」の押韻)

<解説>

 ご無沙汰しておりました。三耕です。
久しぶりに新体詩ができましたので投稿させていただきます。

NHKの「聖徳太子」を観ての作です。
ちょうど「法華経」を読んでおりまして、聖徳太子の著とされる「法華義疏」も手元に置いているところです。

 [語釈]
 「白雨」:秋雨。「白」は秋を表す色。白秋。
 「済」:わたす。
 「五色」:紅葉の様。

<感想>

 三耕さんの作品を久しぶりに拝見しました。五言の中に深い含蓄、三耕さんのいつもの息づかいが感じられるような詩だと思いました。
 起句の「白雨」は、にわか雨という意味だと思っていましたが、こうした用例はあるのでしょうか。「白」が秋を表すのは分かりますが・・・
 あと、転句が難しいですね。「大楽舟」というのは何か典拠があるのでしょうか。私は「私はここで紅葉に見入っているのだが、他の人はそんな私を放って行ってしまった」という意味かな、と思いましたが、どうでしょうか。
 結句の「五色和秋浪」はスケールの大きな表現ですね。

2001.12.12                 by junji



三耕さんからお返事をいただきました。

「和秋」、掲載ありがとうございます。

 起句の「白雨」は造りました。

 転句については、お示しいただいたように読み良いように読んで頂ければよいと思っています。
あえて典拠というならば、弘法大師さんの「大欲」「大楽」、これは仏の欲、仏の楽しみから頂きました。
 また、「他を済たす 舟」は、自らは苦しみの此岸に立ち戻って衆生を彼岸に渡さんとする菩薩の大願・慈悲でもあります。ドラマの中で聖徳太子の戦う姿に重なりました。
 さらにまた「法華経」を読みまして「楽」「ねがう」と訳されておりましたので「菩薩の大願」とつなげてみました。

2001.12.19                 by 三耕





















 第187作は 西川介山 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-187

  遊天龍寺      天龍寺に遊ぶ  

龍閣亀頭秋氣白   龍閣の亀頭 秋気白く

曹源池畔錦楓浮   曹源池畔 錦楓浮かぶ

仰望天濶雲光淡   仰望 天濶く 雲光淡し

借景嵐山滿兩眸   景を嵐山に借りて 両眸を満さん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 西川介山先生の詩の感想ですが

「仰望天濶雲光淡」は少し工夫が足りないと感じています。
「天濶」とすれば、仰望したことがわかりますので、強いて断る必要はありません。「天高雲崩夕陽淡」とでもしたいのですが、どうでしょうか

2001.12.15                 by 謝斧



 転句の「仰望」については、私も意味としては必要は無いと思います。ただ、強調の効果という点から見ると、「仰望したら初めて天の濶さに気がついた」という表現もあり、そうした見方からすれば、強いて直す必要はないように思います。
 謝斧さんのご提示なさった「天高雲崩夕陽淡」」は、「天濶雲光淡」の五字を七字に引き延ばしたようで、リズム感としては元句の方が面白く感じます。

2001.12.14                   by junji





















 第188作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-188

  深秋漫語        

桂花花発幾家秋   桂花花発いて 幾家秋なり

籬外呼吾勧少留   籬外吾を呼びては、少く留るを勧む

手折香葩強分与   手ずから香葩を折っては、強いて分かち与え

主人得意語何休   主人意を得ては、語ること何んぞ休せん

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

   木犀の花が咲いて、それぞれの家に秋の気配が感じられます。
   散歩している私を、籬を隔てて呼んで、少し休んでゆきなさいと声をかけられました。
   その人は、自分で育てた、香りのよい木犀の花を、わざわざ手ずから折って、私にくれました。
   その人は誇らしげに、此花の可憐さを、休むことなく、私に語りかけます。

 此の作は自分の作品の中でもいい出来の方と思っています。
陸放翁の風を倣いました。

<感想>

 庭の主人と作者である謝斧さんが、木犀の枝を挟んで向かい合っている光景が目に浮かぶようです。
日常の生活の一場面を切り取るのに、やはり日常の言葉を用いることが効果を出して、ほのぼのとした優しい詩になっていると思います。
 秋の爽やかな陽射しまでもが感じられるような、そんな詩ですね。

2001.12.14                 by junji





















 第189作は謝斧さんのご推薦による 揚田苔菴 さんの作品です。
 

作品番号 2001-189

  偶作        

傾国諌言吟裏忘   傾国の諌言 吟裏に忘れ

老師鞭撻酔中聴   老師の鞭撻 酔中に聴く

詩壇諸彦如相問   詩壇の諸彦 如し相問わば

馬耳東風座右銘   馬耳東風は 座右の銘と

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 謝斧です
 この詩は揚田苔菴先生の作品です。(本人には無断で投稿しました)  先生は、広島のかたで、54歳 作詩歴は10年です。最近、漸く習作を脱さられた感じの詩が多く、作品は安定しています。多くは田園風景を叙述された詩が多いようです。
 今回は一風変わった詩です。戯れに作られた詩ですが、それなりに巧みにつくられています。

<感想>

 「傾国」「老師」「詩壇諸彦」と重ねながら、言葉で楽しく遊ぶという様子がいいですね。
 「傾国」は推し量るには奥様のことでしょうか。私などは無駄な本買いでいつも「家を傾ける」と叱られていますので、うかつにこの言葉は使えません。
 転句の「諸彦」は、謝斧さんは「諸友」の方が良いのでは、と仰っておられますが、私もその方が良いと思います。ただ、どちらが好きか、という程度の感覚での判断ですので、是非にということではないのですが。
 結句は全体をまとめあげた佳句で「もう、これしかない!」という感じですね。まさに私の「座右の銘」として貰いたいくらいの面白さです。

 揚田苔菴先生からのご指摘ですが、押韻については、起承が対句であり「忘」は仄用にしたとのことです。

2001.12.16                 by junji





















 第190作は高槻市の 祥苑 さんからの初めての作品です。
 いただいたお手紙では、
 今年9月から始めたばかりの、インターネット初心者です。でもこんな素晴らしいページが有るなんて驚きました。先生はご病気だったご様子ですが全快されたのでしょうか?
 最近は更新も間隔が短くて、それも楽しみです。
 私は十年程も作詩歴がりますが、実際には年間5〜6首創れたらいいほうで、創ってみようという気が起きるまで時間が掛ってしまいます。時たまでもこちらへ送らせて頂きたいと思っていますので、どうぞ厳しいご批正をお願い致します。

作品番号 2001-190

  大唐西域壁画有感      大唐西域壁画感有り  

卅年追約致   三拾年 約を追いて致し

西域伽藍中   西域 伽藍の中

茫漠沙場阻   茫漠たる 沙場阻し

森厳須弥崇   森厳たる 須弥崇し

法師求法跡   法師の 求法の跡

画伯滅私功   画伯の 滅私の功

描得一仙境   描き得たり 一仙境

陶然塵気空   陶然 塵気空し

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 二千一年元旦、薬師寺三蔵院伽藍では、平山画伯による、三十年前に高田管長との誓約による大壁画が完成されました。
 玄奘の偉業を偲ぶこの壁画は13の壁面に7場面の構想を持って、長安大雁塔からインドまでに至る仏教求法の道を描かれました。中央の三つの西方浄土須弥山中央がご本尊、また左右は日光・月光菩薩を表わすものだそうです。

 画伯は構想から完成までの30年以上の年月、中国・西域・インド等140回以上にのぼる取材旅行にも制作費も一切無償で、ただ玄奘三蔵に捧げる為にとの思いで描かれました。

<感想>

 実は先月の23日、私も奈良の薬師寺に出かけ、平山画伯の描かれた「大唐西域壁画」を拝観してきました。
 薬師寺の東塔から再建のなった西塔、回廊を眺め、しばし古代へのタイムトリップを楽しんだ後、壁画へと足を進めましたが、天井に描かれた星星の微かなきらめきにまで細かな配慮をされた大作に、しばし圧倒されて、足をつい停めてしまいました。
 休日だったために拝観者も多く、残念ながら人の流れにあまり棹をさすわけにも行かず、すぐにまた歩き始めたのですが、一人ならば時を忘れて眺めていたいような、素晴らしい壁画でした。
 別世界が突如出現したような、そんな思いに浸って、感慨深い一日を過ごしました。

 祥苑さんのこの詩は、壁画の姿をよくとらえていて、「西域伽藍中」の句などはまさに納得の一句ですね。また、尾聯の「陶然塵気空」も、拝観者の心を余す所無く詠っていると思います。
 頸聯の「法師」「画伯」の対も壁画を語って、更に1000年の時の流れを一気にまとめ上げてあり、作者の工夫の感じられる表現ですね。

2001.12.16                 by junji



謝斧さんから感想をいただいています。

 謝斧です。
高槻市有田町は北村白節老師の住まはれたところです。藤井竹外、高階春帆、市村水香も摂津高槻藩藩士と聞き及んでいます。ご存じでしょうか。

 措辞に杜撰な句はありませんし、格調も高く、佳作でしょうか。
 首聯はなかなか好いとおもいます。
中の対句が少し気に入りません。「画伯滅私功」は、「法師求法跡」に強いて合わせたような感じがします。「滅私功」はもう一つ工夫がいるのではないでしょうか。
 尾聯の「陶然塵気空」は収束として平凡です。詩人の心情がもう一つ読者に伝わってこない理由ではないでしょうか。

 幾らかの難点は在るものの好い作品だと思います。

  一篇ニ無クンバ好結句 可見其人終ニ無成也 律詩結尾固難 而其関繋人之成功與否
  余雖未敢定 然余敢断言者 詩無好結句終非好詩也 
(王漁洋)

2001.12.17                  by 謝斧





















 第191作は ニャース さんからの作品です。
 

作品番号 2001-191

  歳暮        

歳暮寒風舞   歳暮 寒風舞い、

門前落葉頻   門前 落葉頻り。

悲愁何故発   悲愁は何故発するか、

月照白頭人   月は照らす白頭の人。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 早くも年が変わろうとしています。
先生はいかがお過ごしでしょうか。

 それにしても温暖化の影響か、身を切るような寒さというのが、都会では少なくなってきましたね。

 なにか もの悲しくなります。一年一体何をしてきたのか。
 予算達成を目的にする会社勤めですが、年月の過ぎゆく早さに圧倒されます。せめて、漢詩くらいは自分らしく書きたいものです。
 先回の投稿につきまして、謝斧さんから感想、ご指導いただき、ありがとうございました。

<感想>

 五言絶句の引き締まった句の展開にふさわしい、冬の厳しさを詠った作になりましたね。
転句から結句のまとめ方もよく、冬の夜の荒涼とした雰囲気がよく出ていると思います。「白頭人」が誰を指すのか、ということを考えながら、私は『去来抄』「月の客」の一節を思い出しました。

    岩鼻や ここにもひとり 月の客  去来

  先師上洛の時、去来言はく
 「洒堂はこの句を、月の猿、と申しはべれど、予は、客、勝りなんと申す。いかがはべるや」
  先師言はく
 「猿とは何事ぞ。汝、この句をいかに思ひて作せるや」
  去来言はく
 「明月に乗じ山野吟歩しはべるに、岩頭また一人の騒客を見付けたる」と申す。
  先師言はく
 「ここにもひとり月の客と、己と名乗り出づらんこそ、いくばくの風流ならめ。ただ自称の句となすべし。
 この句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける」
となん。
  予が趣向は、なほ二、三等もくだりはべりなん。先師の意を以つて見れば、少し狂者の感もあるにや。


 少し長くなりましたが、去来松尾芭蕉の門弟です)の句、「岩鼻や ここにもひとり 月の客」について、この「月の客」を誰と考えるか、という話題なのです。
 洒堂という人は、これを「月を見ている猿」と捉えて南画の世界を表出しようとしました。
 一方、作者去来自身は、「月を眺めて歩いていたら、もう一人、同じように月を眺めている風流人に出会った」と考えていました。
 ところが、二人の師匠にあたる芭蕉は、この「月の客」「己と名乗り出づらん」とし、「自称の句となすべし」と見たわけです。
 それぞれに意味があるわけで、どれを一番と決めるものではないのですが、作者自身の思惑を離れて句が生きたもののごとくより良い意味を求めて行くという、作品の存在の面白さが感じられる話です。
 ニャースさんの「白頭人」も、色々な解釈が生まれそうで、楽しみな作品ですね。

 転句の「何故」とありますが、「何処」の方が落ち着くと思いますが、いかがでしょうか。

2001.12.16                 by junji



謝斧さんから感想をいただきました。

 謝斧です。

 どういった詩趣の詩でも作りこなせて感心してます。今回の五絶も、詩形にあった内容になっていますね。
 年のせいか詩人の心情がひしひしと伝わってきます。

「何故発」は先生らしくない、少し生硬なようにかんじます。

2001.12.17                  by 謝斧





















 第192作は東京都の 暗香琴室 さん、三十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 いただいたお手紙を紹介します。

 はじめまして。
 皆さんの交流が楽しそうに見えました。何というか、いい意味の縦のつながりと横のつながりというか。 人と人の関係が希薄な今日、詩というものでそれぞれの感性とか人生観等々が触れ合い世代を超えて感じあえる。
 昔の私の大家族を懐かしく思い出しました。

作品番号 2001-192

  看菊      菊を看る  

清香繞舎又重陽   清香 舎を繞りて また重陽

素蕋年年凝艶粧   素蕋年年 艶粧を凝らす

満地佳人争料得   満地の佳人は いかでかはかるを得ん

手栽久客在他郷   手ずから栽えし久客 他郷に在り

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

[訳]
    清らかな菊の香りが家の周囲に漂い今年も重陽の時節となった
    白い花は年毎に艶やかに美しさを増してゆく
    地にいっぱいに溢れるように美しく咲き誇るあなたはきっと知らぬことでしょう
    あなたをこの手で植えた私がもう長いこと異郷に暮らしていることを


 実は投稿をずっと迷っておりましたが、歓迎していただいて安心致しました。

 実は私も投稿欄を創ったことがありまして、現在も作品募集中です。人には声を張り上げ「投稿せよ」と言う割には自分は駄目なものです。
 以下が投稿欄の所在です。

    ***************************************************
    
         三陸新報社

      宮城県気仙沼市松崎柳沢228−100
         三陸詩窓さんりくかんしのまど係

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 三陸付近に住む人か、三陸に縁のある人の作品、または三陸、東北の自然や歴史、文化等にちなんだ作品が投稿の条件です。
 機会がございましたならばぜひご投稿願います。

 気仙沼は明治期に清国の王漆園も立ち寄り、詩を残しております。 それではまた。   

<感想>

 少し遅くなりましたが、改めて菊の花を楽しませていただきました。
 仰るとおり、菊の美しさは香りと姿という、嗅覚と視覚に訴えるものによって成り立っていますね。その菊を丹誠こめて育てていらっしゃるのだろう、そんな作者の姿も目に見えます。
 転句の「佳人」の比喩は、それでも私の心の哀しみを理解してくれない、という愛憎なかばするアンビバレンスなもどかしさでしょうか。冷たい美人を連想させて、ここでの比喩としてはとても適しているのではないでしょうか。
 

2001.12.16                 by junji



暗香琴室さんから、掲載のお手紙をいただきました。

 鈴木先生
 このたびはお世話になりまして有難う存じます。

三陸詩窓の件まで貴重な空間を割いて取上げて頂けるとは存じませんでした。かさねて御礼申し上げます。

 私は東京と中国との往来が頻繁でなかなか三陸の詩友に会えませんが、僧侶から神官、文人、茶人、船乗り、その他ユニークな人々が待っていてくれます。みんな詩を作るよりも集まって書籍を見せ合ったり、書画を鑑賞したり、庭木の話をしたり、茶を飲んだりが楽しいのですが、皆さん脚が衰えたりで交通も不便な土地柄集まるのも年々儘なりません。
 気仙沼は落合直文の生家の鮎貝家があることから、短歌は何とか若い人にも続いております。がしかし直文の甥にあたる先々代御当主を伊達家筆頭家老鮎貝氏の居館であった煙雲館を訪ねた帰路、思わず

    門無車馬東家老
    庭樹令人語盛衰
 と口をついて出る程、往時隆盛の面影を偲ぶのも難きの感がありました。
 彼が何とか守りたいといっていた回遊式庭園の柏の名木も真に解する人も少なく、樹医の介護むなしく朽ちそうです。(細枝のゼニ苔をまめに取れば助かるのですが)

 余談が多くなりましたが鈴木先生のホームページは世代がいろいろで本当にとてもいいですね。
私は幸せなことに、大学の時代に鈴木先生のような先生方にめぐり合いました。当時開眼したものはすべて変化と発展を遂げながら確実に現在に続いております。

 長くなりましたが今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

辛巳十二月十七日 於麻布知足斎

                     by 暗香琴室



謝斧さんから詩への感想をいただきました。

謝斧です。
嘯嘯会の庄司一嘯先生は仙台出身で、高野山大学の元教授で、大槻盤渓の研究をしていました。先生の近くではないでしょうか。

 起句承句は分りやすく、好句だとおもいます。
個人の好みもあるでしょうが、私なら

    清香繞舎値重陽 
    素蕋経年凝艶粧

 とします。
対句になってしまうかもわかりませんが

 梅を美人と表現しますが、菊を「佳人」(秋菊有佳色は陶淵明でしたか、忘れました)と表現する用例はあるのでしょうか、浅学のためよく知りません。
 「満地佳人」となっているので、なにを無粋なとしかられそうですが、結句の表現は稚拙な感じがします。舌足らずで、七字に無理やり詩人の心情をつめこませようとする意図が感じられます。
 内容は大変好く、詩趣は非凡ですが、叙述がついて行けてないのではないでしょうか。

2001.12.17                  by 謝斧



三耕さんから感想をいただきました。


 「対」がうまく盛り込まれたすばらしい詩だと思います。例えば、「清香」「艶粧」「満地佳人」「久客在他郷」です。
 ただ「重陽」「年年」が字面の上で短詩形のゆえ重複感があるというのは贅沢な注文でしょうか。逆に狙いなのか・・

 それはそれとして、このまま「唐詩選」に入っていても違和感のない一篇を拝見させて頂きありがとうございました。

2001.12.20                 by 三耕




 暗香琴室さんから再度お手紙をいただきました。

 鈴木先生、年末のお忙しい時節にお世話になりまして実に有難う存じます。
 そして、同じく感想をお寄せくださいました謝斧さん、三耕さん、併せて御礼申し上げます。

 「看菊」は私が十代のころの作です。
十代の方々がたくさん投稿していらっしゃるので、十数年前のものを引っ張り出しました。

 私は事情からある地方で育ち、大学進学で東京に帰るまで、地域の人達からも、子供たち、先生たちからも家族ともども蔑視、誤解され続け、精神的、肉体的に苦渋に満ちた日々を送りました。それ故、私は庭の花だけが心の支えでした。暗香草堂、または暗香琴室は私の堂号で、灌園、酔花山農と号するのも花達と暮らしてきた日々に由来します。
 今は書斎で遅咲きの寒蘭が咲いています。蘭は二十年以上栽培してます。

 私たち家族は日々孤独な暮らしを噛み締めながら、「今年もまたみすみす辛い土地で年を送るのだ」といった悲哀を、時の移ろいとともに親しい花々から皮肉にも知らされ続けてきたのです。
 田園の生活は好きですし、決して徒に泣いて暮らしたわけではありませんが、時々ふっとため息が漏れるのです。田舎の暮らしは、変化も乏しく、交際する人もなく、家族と花だけの時間が毎年毎年淡々と過ぎてゆきます。志は抱きながらもどうしようもないこともあるものです。

 ですから起句の下三字はどうしても「又重陽」でなくては、「又」の用法でなくては私の複雑な溜息は表現し切れません。
 私には詩は日記のようなもので、頭の回路がうまくつながれば官話で頭から出てきます。ですから表現上のテクニックなど考えたことも無いので、ご指摘いただいてから、なるほどと却って新たな発見をしております。
 杜工部の絶句にも「今春看又過」の句があったと思います。官話でも「又来了」なんていわれるとあまり好ましくない繰り返しのニュアンスが多いと感じます。重ねにかさねて又重陽なのです。

 ですから三耕さんがご指摘の重複感は私の屈折した心の底から出た人生の繰り返しに対する溜息交じりの音声表現と捉えていただけませんでしょうか。

  you chong yang ・・・・・ nian nian

とかごらんの通りです。敢えて狙ってないけれど、これしか口から出なかったので勘弁してください。

 それから承句の「年々」ですが、音の問題については今申し上げたとおりですが、謝斧さんの「経年」としますと、花の繁茂が過去から現在に至って完結してしまい、いつまでも鳴かず飛ばずの自分に対比して無情にもお構いなし、どんどん美しく進行形でわが世を謳歌する菊の繁茂して行くニュアンスが伝わりにくいのではと感じて「年々」を用いたことを記憶しています。
 わかりやすい例で申しますと、中国の正月などによく見る吉祥語に「年々有余」というのがありますが、これを「経年有余」としたらニュアンスがだいぶ違ってきます。

 それから菊を「佳人」の用例は、とのご質問ですが、ちょうど今書斎に掛けてある満州貴人の対聯の片割れに「詞伝香草美人心」と記してあります。
 美人というと現在では、今も窓の外を六本木方面に外車を飛ばしていくのがわんさか見えますが、きれいなお姉さんと相場が決まってしまいましたが、昔は確か立派な男性に用いたはずでよね。「佳人」も同じかと思います。
 特に菊は隠逸のとか高潔の士のイメージがありますから女性のイメージはどうかとおっしゃるかもしれませんが、才子佳人小説等、小説ばかり読んできた私は、号の灌園をご覧になってお判りのとおり「三言」に出てくる花狂いの爺さんよろしく、花の墓まで作って暮らしてきたものですから、自分の庭の花には美しい女の子のイメージがとても強いのです。

 宋詞のような用語、とりわけ口語を多用する癖は詩の格調とは程遠いといつも叱られていましたが、私の未だに舌足らずな北京官話と同じでこれが限界かもしれません。謝斧さんの舌足らずとのご指摘は直接口から

  shou zai jiu ke zai ta xiang

 と、昔のもっと舌足らずの北京官話から呟いたせいかもしれません。
 というのは冗談ですが、心が屈折しきってやりきれないときは言葉もぶっきらぼうになります。叙述がついていけないのではなく、ついて行かない頓挫の感覚を敢えていじらなかった、記録としてありのまま人生の記録を残した十代の自分を振り返り、三つ子の魂百までかと苦笑を禁じ得ません。

 今度は育てた解語花に同じ目を見たときに結句を相応に変えようと考えていますが、そんなことはないように祈りたいです。花も語を解すると一寸面倒が多いです。解語花の経験は浅いので鈴木先生はじめ諸兄のご指導を頂戴できれば幸いと存じます。

 それでは皆さん良い新年をお迎えください。

2001.12.28                      by 暗香琴室




謝斧さんから新しい感想です。

 先生の解説により「又重陽」「年年」の意味が分かりました。
 これは私の詩の解釈が浅かったせいでしょうか、全編を読んで、先生が解説されたように理解するには、少し無理があるように感じられますが、如何なものでしょうか。ここでも、叙述しきれて無く、説明不足で舌足らずの感が残ります。恐らくは、「又重陽」「年年」で詩人の心情を読み取れというのでしょうが(比興)それは無理な事とおもいます。もう少し具体的な叙述が必要かと想いますが(舌足らずの感が残る)。

 転句結句は、私なりに、「地に咲き誇る菊はどうして私の心を分かってはくれないのであろうか、手ずからあなたを栽た私は、今旅に疲れて他郷にいるのに」でしょうか。
 転句結句は内容はおもしろい表現で非凡ですが、もう一つ工夫がいるように思えます。旅に疲れて他郷にいる苦しみをもう少し具体的に叙述するべきだと感じています。
 前回のように、解釈が間違って、違う方向を向いた感想であれば許して下さい。

2002. 1. 3                      by 謝斧





















 第193作は千葉県にお住まいの 李 白日さん、五十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙を紹介します。

 偶々、ベージに出くわし、面白そうだったので、漢詩のルールもそこそこに作って見ました。
 落着きましたら、正式に勉強したいと考えています。
 宜しくお願いいたします。

作品番号 2001-193

  上学府      学府に上る  

河上之水帯薄陽   河上の水は、薄陽を帯びて

艾在萌芽被晩霜   艾は萌芽に在りて 晩霜を被る。

汝欲漕船上学府   汝は船を漕ぎて学府に上らんと欲す、

勿忘母待何日還   忘るること勿れ 母の何れの日にか還らんことを待つを。

          

<解説>

晩春の河沿い、いつもの通り朝日が川面を照らしている。
萌え始めた蓬は折りからの晩霜で白く覆われていた。
そんな日に私は田舎を後にした。
都会の書生暮らしは決して楽ではないが楽しい事だってあるものだ。
ふと故郷に残した母をわすれてしまい長い間帰省をしなかった慙愧の念が今でもよぎる。
その母はもういない。


<感想>

 投稿ありがとうございます。
 漢詩で何かを表現してみる、ということは、実行するまでのハードルが結構高く感じるものですよね。私も以前は「漢詩を自作するなんて自分とは無縁の世界さ」と考えていました。でも、始めてみると、決して低くはないけれど、ハードルを越える楽しさも十分にあります。是非、李白日さんもその楽しさを味わっていただき、このサイトの仲間に入って下さい。

 さて、「正式な勉強」はこれから、ということですが、一句の構成(二字+二字+三字)、あるいは(四字+三字)という基本のリズム、漢文法については、それ程大きな破綻はなく、あとは平仄と押韻の問題だけだと思います。平仄については、このページの漢詩の音韻あたりから読んでいただけると、大体のきまりは分かってくると思います。
 押韻は、これは詩を作る上での基本ですので、これは最低限守るようにしましょう。今回の詩では、起句の末字「陽」と承句の末字「霜」が同じ韻ですので、あとは結句末に下平声七陽に属する字を持ってくれば良かったわけです。
 結句では、「忘」が一応下平声七陽に属していますので、これを最後に持って行ければ万事解決とはなりますが・・・・

 内容としては、やはり結句が複文構造になっているため、誰が「何日還」なのかが分かりにくくなってます。一気に行こうとせずに、例えば「勿忘」などは思い切って省くなどすると、首尾が整うと思います。

 この詩は、李白日さんの若いときの思い出を詩にしたものでしょうか。前半のもの寂しい叙景が旅立ちの不安な気持ちをよく象徴していますし、後半の「母」が一気に詩を切実で違和感のない作品に持ってきていますね。やはり「母の力」は偉大だということでしょうね。

 もう十分に整った漢詩を作る力量をお持ちですので、是非、次は押韻にチャレンジ、次は平仄にチャレンジ、という形で一歩ずつ進んで下さい。楽しみに自作を待っています。

2001.12.26                 by junji


謝斧さんからの感想です。

  押印平仄ともに破格ですが、詩は実によく出来ています。
  承句はわたしなら、「風吹棘心被晩霜」とします。これならば、結句がもうひとつ生きてくるとおもいます。是非一考ください。
 結句は大変好いのですが、常套手段なのですが、「倚門」という詩句を使うことがしばしばあります。何か謎めいたことをいいましたが、こういったことが、漢詩の独特な表現方法と思っています。如何なものでしょうか

2001.12.28                    by 謝斧





















 第194作は 暗香琴室 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-194

  与工廠長同避官賊土匪密発浮梁喜達潯陽江頭  
      工廠長とともに官賊土匪を避け密かに浮梁を発して潯陽江頭に達するを喜ぶ

秋浦高楼穿荻花   秋浦の高楼 荻花を穿ち

登臨客路尽天涯   登りて臨めば 客路の天涯に尽く

長風万里潯陽餞   長風万里 潯陽の餞

換酒浮梁朋故茶   酒に換える 浮梁朋故の茶

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 潯陽江は九江付近の長江の呼び名で白楽天『琵琶行』の舞台として有名。
 また江畔の潯陽楼『水滸伝』の英雄、宋江が壁に詩を書き付けたくだりで有名。
 隣接する鎖江楼は明代の役人が洪水の鎮静を祈念して建設させた楼閣で、わが国の砲撃で損傷したというが本当か。
 筆者の祖父が終戦時、武装解除後に抑留され、命が助かったのも九江。ここから長江を下り帰国する。工廠長は筆者と景徳鎮磁器の中興を目指す。彼の父親の胴体には日本の弾が貫通した傷痕がある。同じ江西省での出来事である。
 今、兄弟の契りを結んだ工廠長とともに制作した官窯並の磁器の逸品を目にするとその存在と、われわれ二人の存在がいかに偶然が重なり奇跡的に存在するか、戦争が如何に惨いかあらためて思う。
 しかし、友好のための磁器研究開発の成功は不幸にして金に目がくらんだ人達に争いを生むことになった。
 この詩は悪人から命からがら逃れんとする筆者を工廠長が助けながら、共に景徳鎮を脱出し、九江に到着した折のものである。

 怒り心頭の出来事も戦々恐々の道中も水平線が見えるほどの長江の雄大な眺めに考えるのも馬鹿らしくなり、別れに一杯やろうと思ったらこんな道中ゆえ酒も間に合わない。
 しかし、さすがは茶の名産地景徳鎮の人。茶の葉だけは携えていた。餞に茶で一献と洒落込んだ訳である。

 [訳]
秋の江のほとりで楼閣は高く生い茂る葦原を穿つがごとく聳え
楼閣に登って見下ろせば今来た道もこれから行く道も遠く天に接する辺りで見えなくなっている。
彼方から風が万里を吹き渡る潯陽での餞の席、
酒の代わりに景徳鎮の友人が携えてきた茶を頂くとしよう。


<感想>

 送られてきた詩の題名を見た時には、一体いつの時代の話なんだと思いましたが、解説を読んで理解しました。
 しかし、詩の方は特別な事情を知らなくても、友人との別れの一こまとして読めば、十分に整った作品ですね。「酒」ではなく「茶」というところも、言われればそう言うシーンもありそうに思います。
 漢詩での送別や別れというと、つい酒がつきもの、「勧君一杯酒」という感じになりますが、そこを敢えて裏切るところに、個性的な場面が創出されていて、お茶でも違和感がありません。
 解説に書かれたように、人の世の愚かしい出来事も「長江の雄大な眺めに考えるのも馬鹿らしくなり」という体験は、その程度の違いはあるかもしれませんが、誰もが人生のどこかで一度は感じるもの。大切なのは、それを何時体験し、その後の人生に生かしていけるか、かもしれません。

2001.12.26                 by junji



謝斧さんからの感想です。

 措辞叙述ともに問題が在りませんし、内容も詩人の心情が読者に好く伝わってきます。大家と云われる人に批正を乞うても、詩句の訂正もないと思います。

 唯、無理やりに重箱の隅を突っつくようなことをいえば、内容は、やや陳套で新味を欠くような気もします。そのためか、詩をつまらなくさせているようにおもえます。詩句も故人の詩を連想させるようなものが多く 起句だけでも、李白、杜甫、白楽天の詩が想いおこされます。
 起句の「穿」は気に入りません。恐らくは荻花の咲き誇るなかに高楼がそびえ立つような表現かと理解しますが、やや生硬な感じがします。
 承句の「尽る」は、なかなかよいとおもいます。我々才の少ないものは、「遥」、「遠」などを使ってしまいますが、然し百尺竿頭一歩を進めるで、此の字を工夫することにより、より良くなるように感じます。こういったことをおろそかにする人がいますが、これは大変大切なことだと感じています。
 「長風万里潯陽餞」が感興を乏しくさせているのでしょうか、「長風」が詩人の境遇を象徴させていると理解して読ませて頂きました。

 ともあれ、ともに詩を語れる人を得てうれしくおもいます。

2001.12.28                  by 謝斧
























 第195作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2001-195

  秋日即事        

些装騒客乗秋後   些か騒客を装いて 秋に乗じし後

鶉服入村迎吠狗   鶉服 村に入りて 吠狗に迎えらる

午余衢巷転悽然   午余の衢巷 転た悽然

落葉翻空風伯走   落葉 空に翻って 風伯走る

          (」の押韻)

<解説>

 秋のハイキングの時の情景です。
 最初は転結を「松蕈陳舗値等金 飃香応飲一杯酒」 としたのですが、どうも結句が底の浅いものにしかならず、断念しました。
それで、李賀の「白昼万里閑凄然」を下敷きにしましたが、実際の情景でもあります。

<感想>

 うーん、転結については、解説に書かれた初稿も楽しくていいんじゃないですか。松茸は高いから香りだけを貰って酒を飲む、なんて風情は、どことなく江戸の庶民の粋な姿のようで、私はこういう詩も好きですよ。
 でも、そりゃあ作者である禿羊さんの意向が第一でしょうけど、初稿の生き生きとした息づかいに比べると、どうも決定稿のほうはやや理屈っぽいような、持って回った感じがします。
 発想的には決定稿の「風伯」を持ってきてなかなか面白いとは思いますが、初稿を見てしまうと褪せてしまうように感じます。
 決定稿も一つの詩、初稿も一つの詩として、二回分楽しんでみたら良いかもしれません。どちらもそれくらい整っていると思います。

2001.12.26                 by junji




謝斧さんからの感想です。

 分り易い軽い作品で好いのですが、反面平板な感じがします。
 以前に空に関していろいろ議論しましたが、今回の使い方はピッタリだと思います。
古人の使われかたを、特に李賀等の詩から、帰納的に考えれば、空の概念は、地上と天との間に存在するものと理解しました。だから中空とか、半空と云う表現があるとおもいます。
 鶉服はおかしくはないのですが、この詩の場合はいかがでしょうか、他の表現のほうが好いと思いますが。「風伯」の表現は妥かではないと感じます。結句に風伯をだすのであれば、承句に工夫がいるのではないでしょうか。
 起句の「些装騒客」の句が、それ以降に何も触れられていないので、詩に締りがなく散漫な感じをあたえます。

2002. 1. 3                  by 謝斧



禿羊さんからお返事をいただきました。

 鈴木先生、ご丁寧な感想有難う御座いました。

 この詩、最初に転句「松蕈陳舗値等金」が出来、そのため仄韻としたのですが、結句をどう付けるかで困惑してしまいました。
「一年不啗其何有」など、いろいろ考えたのですが、どう付けても自分の人間としての底の浅さを露呈しているようで、趣味の世界とは云え結構怖いものだと感じた次第です。

 謝斧先生、もっともなご指摘ありがとうございました。
 起句は「騒客」を使って、自分では気の利いた句かなと思っていたのですが、確かにこう出た以上は後に詩について一言無ければ不自然でした。
 昼下がりの村の内は人気がなくちょっと不気味な感じが致します。それで「風伯」がピッタリかと思ったのですが、転句の叙述が不十分だった様な気がいたします。五十歩百歩かもしれませんが、「午余衢巷寂淒迷」のほうがまだ雰囲気が出ているでしょうか。

2002. 1.10                   by 禿羊