作品番号 2000-46
  知床旅情        緑柳
知床海岬 瑰発   知床の海岬
瑰発   知床の海岬  瑰(まいかい〉発き
瑰(まいかい〉発き
請想起来吾徒営   請う想い起こせ 吾が徒の営みを 
喝酒喃喃登小阜   酒を喝み喃喃 小阜に登る
逍遥国後白夜明   逍遥たる国後 白夜は明ける
旅愁携酒独彷徨   旅愁に酒を携え 独り彷徨す
月出沙汀照白浪   月は沙汀に出て 白波を照らす
必定今宵君擁抱   必定今宵 君を擁抱せんと
夷妍微笑礒岩傍   夷妍(ピリカ)は微笑む 岩すその傍
作品番号 2000-47
  傷時事          謝斧
堪恨世間名利窩   恨むに堪えり 世間名利の窩
眼看時事奈難何   眼に時事を看ては 難きを奈何
豺狼當道肥狸狐   豺狼道に當りて 狸狐は肥え
野老仰天為一歌   野老天を仰で 一歌を為す
<解説>
 最近の警察官の不祥事等を見ると、悲しみにたえません。
 恐らくは、此れらは氷山の一角にすぎないと思います。こういった不満は、誰に訴えればよいのでしょうか。
 元好門等はよく「老眼の天公」等と表現しますが、悪賢い豺狼や狸狐のような人間が大手を振って歩いているのを見ると、天公はやはり老ているようです。
 「野老仰天為一歌」の「仰ぐ」は平に読みたいのですが無理でしょうか。(平の場合は「怒る」になりますが)それだと「為一歌」は「為に一歌す」と訓読みできるのですが。
<感想>
 謝斧さんの言われるように、最近の色々な事件を見ると、「怒り」を超えて、本当に「悲しく」なります。
 世を嘆くのは、古来から詩が担ってきた役割ですが、きっと私たちと同じように、どうしようもない「悲しみ」の気持ちで詠って来たのでしょう。
 羊羊さんの「時事有感」も心に残る詩でしたが、謝斧さんのこの詩も、胸に突き刺さるような思いがします。
 尚、「仰」の平読みについてですが、「仰天」という語が熟し過ぎていますから、この語を「天を仰ぐ」以外に読むのは難しいと思います。「嘆」いたり、「怒」ったりという意味を加えるのならば、「仰」の字そのものを替えた方が良いと私は思いますが、いかがでしょうか。
2000. 3.26                 by junji
作品番号 2000-48
  守愚安分      愚を守りて分に安んず  鮟鱇
花多日本楽和平   花多き日本 和平を楽しみ
老若猶聴民主声   老若 猶聴く 民主の声
最好人間擲名利   最も好きは 人間(じんかん)に名利を擲(す)て
守愚安分不須争   愚を守り分(ぶ)に安んじて 争ふを須(もち)ひず
<解説>
「和平」は平和。「名利」は名誉と利益の意味です。
 羊羊さんの「時事有感」二首、拝読いたしました。
  「多年撃壌緩官民,妄執私権疎五倫。」(其一)
  「萬般爲己小人常,一見公論殆慾望。」(其二)
 いずれも私も見聞きした感があり、戦後民主主義のもとで欧化し、徳を忘れた日本人の心の問題を突きつけられる句に思えます。
 さらに、羊羊さんは触れられてはおられませんが、戦後の日本については、平和、民主、人権という政治マターのほかに、経済のありようが果たしてきたプラスとマイナスがあると思います。戦士は企業戦士となり、人権は解放されたが思いやる徳は失われた歴史。いずれにしても、わたしたち日本人の心のタガが、はずれ始めているという感想はわたしにもあります。
 しかし、それで何が悪いかという思いがあります。タガがしっかりかかっていたときに、われわれの日本は何をしてきたでしょう。戦前の張り詰めた精神は戦争に走り、出かけていって隣人たちを殺し、戦後の日本は国土復興のために、出かけていって巨利を求めました。日本人一億の幸福は、世界の65分の1の富を享受できればよいはずです。しかし、わたしたちの父や兄たちは、一時はアメリカと互しうるほどの財力を誇ったものです。
 日本の近代を思うにつけ、われわれ日本人には、民族の強迫観念として、「優秀」でなければならないということがあると思います。日本人は民族として優秀であらんとして富国強兵を求め、西欧植民地主義の毒牙を逃れ得てみずからの優秀さに自信をもち、覇権によりアジアの盟主たらんとして近隣の諸国を傷め、戦後は王道を求めて経済に心を砕き、よく戦いよく稼ぎました。
 しかし、優秀であるということは、グループにとって有用であり、会社にとって有用であり、社会にとって有用であり、おそらくは国にとって有用であるのであり、優秀であるその人自身の個人にとって有用なものではありません。もしそれが個人にとっても有用であるとすれば、羊羊さんの句にあることですが、私利私欲のためでしかありませんから、これは煩悩です。
 人間がその私利私欲のみで行動すれば、世の心の荒廃窮まることは目に見えています。日本の将来はどうなるのでしょう。わたしには、日本の近代が求め続けてきた「優秀」のタガが、確かにはずれ始めているように思えます。しかし、日本の将来は知命を超えた私が口を挟む問題ではなく、これからの若者たちの肩にあります。現代の若者見ますと、食うに飢えを知らず、着るに金銭にいとめを知らないことはおおむね共通ですが、一方にわたしたちの精神を継いで、ガムシャラでハチャメチャな若者がおり、一方にとても心やさしくボランティアや介護やらに勤しむ若者たちがいます。また、日本の近代がなおざりにしてきた東洋にも、復権のきざしがあります。これまでのように、物質的には豊かではないかも知れないが心やすらかな道が見え始めているように思います。
 長くなりましたが、拙作「守愚安分」は、そんなことを考えながら、詩にしたものです。
 なお、「民主」についてはいろいろな考え方があるのですが、なぜ民主かといえば、放っておけば誤解や争いのもととなることを予防するためには、腹蔵なく話し合うことが大事ではないかとわたしは考えています。
<感想>
 現代と、戦後のこの五〇年をどうとらえるか、というテーマでの詩が続いていますね。単に2000年という区切りの年だから、ということではなく、やはり現代が抱える問題が大きいことの証でしょう。
 鮟鱇さんの言われる「守愚安分」を、私たちはやはり忘れて来ていると思います。それも、この二〇年程の間にではないでしょうか。人間としての「恥」を恐れ、「誇り」を見失わない生活に戻るために、もう一度、私たちは自分の足元を見つめ直さなくてはいけないと痛感します。
2000. 3.26                 by junji
作品番号 2000-49
  賞梅花有感      書き下し  作者
随伴唐人渡海香   唐人に随伴して海を渡って香り
雪君在日幾星霜   雪君の在日 いく星霜ぞ
皚皚月下流風韻   皚皚として月下に風韻を流せば
今促夷唇吟興長   今に夷(えびす)の唇を促し、吟興長し
<解説>
[語釈]
「雪君」   :白梅
「皚皚」   :白いさま
「風韻」   :風雅なおもむき
 蝋梅はすでに散り、遅咲きの梅も散り始め、まもなく桜の季節です。日本人にとってはなんといっても桜なのかも知れませんが、桜を鑑賞する風習、実は平安時代の初めまでは中国から渡来した梅を鑑賞していたものが、梅園が枯れてしまい、そこでかわりに日本の在来種である桜を鑑賞するようになったと聞き及んでいます。
 また、桜は、中国にもあるのですが、中国の友人に聞いたところでは桜よりも梅の方が好きだとのこと、その理由は、@梅の方が早く咲き、春を告げるのでうれしい、A桜は梅に比べ散りやすく長持ちしない、花が散るのは悲しい、とのことでした。散りぎわのよさというようなことは、彼の発想にはなさそうでした。
 なお、結句の「夷」ですが、わたしは生来粗忽無粋で、「風流」がよくわかりません。そんなわたしの気持ちをこめています。
 たとえば、承句の「在日」ですが、「蓬島」としたほうがより風雅であるのかも知れませんが、根本的なところで「風雅」に自信がなく、普段着で行くことにしました。
<感想>
 3月の下旬にいただいた詩ですので、少し掲載が遅れている間に、桜の季節になってしまいました。
 梅は咲いている期間も長く、私も花として楽しむには桜よりも梅の方が好きですが、桜は一つの風景としての美しさを持っているように思います。山の桜、公園の桜、小庭の桜、写真に撮るなら大きな構図で、風景全体を入れながら撮りたいという気になります。
 樹木そのものが大きい、という理由だけではないようにも思うのですが、うまく説明できませんねぇ。
2000. 4. 9                 by junji
作品番号 2000-50
  探梅武州百草園           木屑
芳園無比武州丘   芳園比ぶる無し 武州の丘
素艶吐香足雅遊   素艶 香を吐き 雅遊に足る
倒影青旗心字沼   影を倒(さかしま)にする青旗は 心字の沼
凭欄半酔見羅浮   欄に凭り半酔 羅浮を見る
<解説>
 多摩川に近き百草園は春は梅、秋は紅葉、近隣随一の名園である。
 古来、多くの文人墨客が訪れ、花を愛で、月を賞して歌を詠んだ名苑、今も牧水、芭蕉等の歌碑が心の字をかたどった美しい池の畔に配置され、古賢の抱いた詩趣と同じ心地に浸る事が出来る。
 茶楼に上がり、軽く飲んだ酒でほろ酔いかげん、ふと池をめぐる梅樹によりかかれば、写真を写すお嬢さん達、梅の精を見た様な気がして、隋の趙師雄の見た羅浮の夢を思い出す。
<感想>
 「羅浮」は、中国の梅の名所、梅花村として名高い所だそうです。
 「羅浮の夢」とは、解説に木屑さんが書かれているように、隋の趙師雄という人物がこの羅浮の梅花村を通った時に梅花の精に出会ったという故事から生まれた言葉です。
 梅花の精は「一女人淡粧素服」であったと古書には書かれていますので、今で言う「素肌美人」、飾らない衣裳で月下の酌の相手をしてくれたのですが、酔うて寝て起きてみれば大梅樹の下であったという話。うーん、この梅を桜に替えてみると、日本でも聞いたことがあるような気がしますよね。
 前作で鮟鱇さんが、中国の梅と日本の桜について書かれていましたが、花の精でも、中国では梅花、日本では桜花、何となくそんな関係があるように思いませんか。
 転句の「青旗」は、杜牧の例の「水村山郭酒旗風」(『江南春』)の「酒旗」ですね。唐代、酒屋は青い旗差し物を立てていたそうです。だから、この「青旗」と結句の「半酔」が対応して、まとまった詩になっていますね。
 楽しく読ませていただきました。
2000. 4. 9                 by junji
作品番号 2000-51
  太平時:賞   桜           鮟鱇
日本花多万径桜   日本、花多く万径の桜
競雲明         雲の明るきと競う
千枝長袖喜風声   千枝の長袖、風声を喜び
舞軽盈         舞って軽盈たり
游客当携壷満酒   游客まさに携うべし、壷に満ちる酒
楽閑情         楽しむべし、閑情
陽光泛艶盞中瑛   陽光、艶(つや)を泛(う)かべれば、盞中の瑛
酔郷傾         酔郷に傾く
<解説>
 律詩の投稿フォームをお借りして、宋詞の投稿、ご容赦ください。
 絶句といえば、五言か六言か七言、八・九・十言はありません。しかし、宋詞には九言あるいは十言の「絶句」ではないのかと思える詞牌(詩形)があります。もちろん、誰も絶句とは呼びませんが。。。
 「大平時」はそういう詞牌で、十言の「絶句」のようにわたしには思えるものです。その平仄は次のとおりです。
 前段4句、後段4句の構成ですが、その2句ずつをあえて絶句と比べてみますと、次のとおりとなると思います。(ただし、粘法・反法はありません)
  前段:
 △●△○△●◎、●○◎ (1・2句=絶句・起句)
 △○△●●○◎、●○◎ (3・4句=絶句:承句)
  後段:
 △●△○○●●、●○◎ (1・2句=絶句:転句)
 △○△●●○◎、●○◎ (3・4句=絶句:結句)
 なお、宋詞では、平仄については孤平がかなり厳しく忌避されている一方、押韻については東と冬韻、支と微と斉韻、庚と青と蒸韻など、おおむね古詩における通韻可能な範囲が同じ韻部として扱われるほか、仄声では上声と去声の通韻(たとえば腫と宋韻、有と宥韻など)が可能であるなど、現代中国語により似通ったものとなっています。
 「太平時」は、絶句を作っていて書き足りず、かといって律詩のように対句にするのも大変というときに、気軽に作れる詩形に思えます。そんなとき、みなさんもいかがですか。
<感想>
 ようやく桜の便りが聞こえてくるようになりました。
 昨年の今頃にも、鮟鱇さんから花見の詩をいただきましたね。( 「賞花夜宴」 ・ 「春夜感傷」 ・ 「桜陰夢」 )
 昨年は丁度今頃、私は病院に入っていましたが、もうあれから1年。今日は妻と近くの公園まで花見に出かけてきました。人混みの中を杖をつきながら歩いていると、この1年の出来事が夢のように早く流れて行きました。
 病気や怪我をしない方が良いに決まっていますが、でも、病気になったからこそ分かったことも沢山ありました。自分自身が以前に比べて確実に強くなったことも感じています。だから尚更、今年の桜は印象深く、鮟鱇さんのこの詞の描く美しさをしみじみと味わいました。
2000. 4. 9                 by junji
作品番号 2000-52
  蜜蜂           緑丘
悠然尽日逐蜂児   悠然として尽日(ひねもす) 蜂児を追う
桜椿桃菜何処之   桜、椿、桃や菜や、何れの処にか之(い)かん
新樹如潮春四月   新樹 潮の如き 春四月
我家無客夕陽遅   我が家 客無く 夕陽遅し
<解説>
 頂いた蜜蜂の巣箱を軒下に吊るし蜂の動きを追う。
 どの花の蜜を運んで来るのやら、行き先は判らぬが懸命に働いている、まるでノルマを背負つたセールスマンの動きにも似て。
 何もかも新しく生れ代わるこの四月、我が家では何事なく一日を過している。
<感想>
 春らしい詩で、のどかな雰囲気が漂ってくるようです。
 起句・承句、蜜蜂を媒介にしながら、まさに百花繚乱、色鮮やかな野山がくっきりと目に浮かびます。
 転句では、「春四月」ということは、起句承句で十分伝わっていますので、改めて強調する必要は無いように思いますが、いかがでしょうか。結句のやや沈んだ雰囲気を導くために、転句で何か予感させるものを入れると良いように思います。
2000. 4.11                 by junji
作品番号 2000-53
  祝陳家喜事其一           東坡肉
金屏響笑満堂春   金屏 笑いを響きて 満堂の春
華燭照顔羞赧新   華燭 顔を照らして 羞赧新し
喜酒銘心偕老契   喜酒 銘心す 偕老の契
甘糖不忘永相親   甘糖 忘れず とこしえに相親しむ
<解説>
 この詩は、私めの中国語教師である陳さんの弟さんが結婚されるのを祝って作った連作の内の第一作です。
 各句の冒頭に一応結婚式関連の言葉を並べてみました。
 「金屏」「華燭」「喜酒(中国では結婚式で飲むお酒の事をこう言います)」「甘糖(中国では結婚式の時に必ずキャンディを送る習慣があり、これを本来は『喜糖』と呼びますが、ここでは諸般の事情により(^^;こう呼んでいます)」の四つがそれです。
 まあ、最初から狙っていたわけではなくて、途中から気が変わって並べてみただけですが……(^^;。
 あと、言葉の意味を書いておきます。
  [語釈]
「羞赧」:恥ずかしがって顔を赤らめること。
「偕老」:夫婦がともに老いる事。中国では結婚式のお祝いの言葉として「白頭偕老」(共白髪になるまで添いあいましょう)と言う言葉があります。
 では、現代語訳です(^^)。
  [訳]
金の屏風は笑い声を反響して、まさに「満堂の春」
華やかなろうそくは、顔を照らして、恥ずかしげな赤ら顔が新鮮だ。
「喜酒」を飲んでは、心に刻む「偕老の契」
「喜糖」を食べては、忘るる事なし とこしえに添い従う
作品番号 2000-54
  祝陳家喜事其二           東坡肉
前年此日我題詩   前年 此の日 我 詩を題す
今載今朝又祝詞   今載 今朝 また祝詞
夜半銀盤還未満   夜半 銀盤 還た未だ満たず
団円名月待何時   団円 名月 何時を待たん
<解説>
 この詩も私めの中国語教師である陳さんの弟さんの結婚を祝った作品です。
 この詩を理解するには「陳家の事情」を知らなければなりません(^^;。
 その事情とは――かいつまんでお話ししますと、陳家は、3人兄弟であります。(人呼んで「陳家の3兄弟」(^^;)
 で、その長男が私めの中国語教師であります。その3兄弟のうち、まず、一昨年の5月1日に弟の一人が結婚し、私めが詩を作りました。さらに今年の5月1日にもう一人の弟さんが結婚されることになり、この詩を私めが作ることになったのです。――と言うことは要するに、現在「陳家の3兄弟」の中で独身なのは長男だけという状況でありまして――これが「陳家の事情」であります(^^;。
 で、以上の事情をふまえて、以下に詩の解説をします。
  [語釈]
「前年」:中国語で一昨年のこと。「以前の年」ととってもらってもかまいませんが。
「今載」:今年のこと。
「銀盤」:月のこと。
「団円」:丸いと言う意味ですが、「家族が全部そろう」「すべてが丸く収まる」と言う意味もあり、ここではどっちもかけています。
  [訳]
おととしのこの日、私は詩を作った。
そして、今年の同じ日に、また喜びの言葉をのべている。
真夜中に見上げるお月様は、まだまだ満ちていない。
果たして何時になったら曇りのない「満月」が見られるのだろうか?
<感想>
 「其一」は、いかにも結婚式らしく、華やかで明るい言葉が散りばめられていますね。「其二」の方は、裏というか、対になって、やや落ち着いた雰囲気になっています。
 こうしたお祝いの詩によって、贈る方も贈られる方も嬉しさが一層深まるものです。
 折に触れ、様々な機会に漢詩を作ることができれば、とても幸せなことですよね。
2000. 4.11                 by junji
作品番号 2000-55
  紀念成川美術館展        成川美術館展を紀念して
      贈米寿後藤全久翁       米寿後藤全久翁に贈る    羊羊
感興深湛一志全   感興深湛 一志全し
玻璃畫彩極幽玄   玻璃の画彩 幽玄を極む
嶽湖清影存窓外   岳湖の清影 窓外に存し
殊藝精華内燦然   殊芸の精華 内に燦然 
  成川美術館在函嶺蘆湖畔望富嶽景勝之地
<解説>
[語釈]
「深湛」:没頭する
「玻璃」:ガラス
「岳湖」:富士山と芦ノ湖
 米寿を迎えられた元医師の後藤全久翁は、長年ガラス絵の制作に研鑽を積んでこられた。
 ガラス絵とは、板ガラスに直接に絵を描き、反転して(つまり裏側を)観賞に供するもの。ガラスの持つ光の微妙な屈折が、彩色と一体となって独自の効果を出すユニークな技法である。
 この度、翁の長年のご精進が実り、箱根の成川美術館での長期展示(6月20日まで)の機会を得られたので、賀して一首を呈した。
<感想>
 箱根の美しい風景と、色鮮やかなガラス絵の重なりが、目に浮かぶようです。芦ノ湖に行く機会がありましたら、ぜひ美術館に立ち寄りたいと思います。
 お祝いの詩は、祝賀の気持ちも勿論ですが、何をどうして祝うのか、必要なことを含ませた表現にしなくてはいけません。
 この詩では、後藤先生が長年ガラス絵に取り組んでこられたこと、その作品が箱根で展示されていること、この二点が大事でしょう。きっちりと詠い込んであり、工夫された詩ですね。
 抑制され落ち着いた表現が為されていますが、やや客観的にも感じます。羊羊さん自身の気持ちがもっと全面に出ても良いかな?と思いました。
2000. 4.16                 by junji
作品番号 2000-56
  詠狸奴          謝斧
誰家狸奴暗窺餐   誰が家の狸奴ぞ 暗に餐を窺い
不獲泥吾纏脚頻   獲らざれば 吾に泥りて脚に纏うこと頻なり
嬌態媚聲一投餌   嬌態 媚聲に 一たび餌を投じれば
剥牙銜口急逃身   牙を剥き口に銜えては 急ぎ身を逃れんとす
<解説>
 起句は今月の詩から盗みました。
 内容をどう理解してくれるのでしょうか、読者諸氏に御任せします。
<感想>
 狸の、人になれた面と野生の面とが面白く表現されていますね。
 色々なタイプの人間に例えられることの多い「狸」ですが、それだけ昔から人間との関わりが深かったのでしょう。山が荒らされ、人里に餌を求めて逃れてくる狸も増えているそうです。
 と、私は素直に読みましたが・・・・・・?
2000. 4.16                 by junji
作品番号 2000-57
  月瀬観梅      月ケ瀬観梅  真瑞庵
村傍寒渓漸欲春   村は寒渓に傍い 漸く春ならんと欲し
両三梅樹発紅脣   両三の梅樹 紅脣を発す
清香玉貌誘鶯語   清香玉貌 鶯語を誘い
仙気幽風隔世塵   仙気幽風 世塵を隔す
亭上点茶華裾女   亭下茶を点ず 華裾の女
花辺潤筆白頭人   花辺筆を潤す 白頭の人
遠鐘斜日山郷暮   遠鐘斜日 山郷の暮
暮靄溶暉景亦新   暮靄暉に溶けて 景亦た新なり
<解説>
 観梅の詩を送るには聊か時期を逸した感が有りますが,お許し下さい。
 3月13日、妻と月ケ瀬ノ里を訪れました。例年なら、里全体が梅の香りに包まれ、観梅の人々で一杯の筈ですが、今年は、10日〜2週間ほど遅れているとの事でした。
 そんな訳で、ちらほら咲きながらの梅の香りと清楚な姿を満喫することが出来ました。
<感想>
 「白頭人」が真瑞庵さんでしょうか。のどかな春の夕暮れ、霞に煙る遠くの山、かすかに伝わる梅の清香、近景に置かれた人物、真瑞庵さんらしい素材の整った詩ですね。
 真瑞庵さんも、近々ご自身のホームページを開設されるそうです。お手紙が添えてありました。
何時も楽しいHPを有難う御座います。ページが更新される度に新たな感動を味わっています。完成が楽しみですね。
私事で恐縮ですが,小生も、HPを開く準備をしています。
実は,詩吟仲間20名ほどが良き師を得て、少しでも先人の詩情に近づこうと作詩の勉強会を開いています。まだまだ未熟で,初心の域を出ませんが,HPに掲載する事で皆の励みとなり、又、漢詩愛好の輪が広がればと思っています。
どんなHPに成るのか聊か自信が有りませんが,どうかご支援のほどお願い申し上げます。
作品番号 2000-58
  東行忌           緑丘
来会僧堂憶旧盟   会して僧堂に来たり 旧盟を憶ふ
高吟鴉散笛声清   高吟に鴉散じて 笛声清し
遊人誰解東行志   遊人誰か解せん 東行の志
間眠夢醒半日程   間眠 夢は醒める 半日の程
<解説>
 4月14日 東行忌 にて
 東行(高杉晋作)は、西行の生き方にもあこがれていた。短い生涯でありながら、300篇の漢詩を残し今も多くの人に慕われている。
 墓前で尺八に合わせて彼の詩が吟じられたが、はたして理解した人は?。
 来年、紅葉山入り口に碑が建つようですが「漢詩ではなく、歌が三首刻される」そうです。やはり時代なのですね。
<感想> 
  留滞京城已一旬   京城に留滞して已に一旬
 高杉東行は、幕末の志士として名高い人物ですが、緑丘さんの解説にもあるように、漢詩人としても才豊かな人です。
 転句に「東行の志」とありますが、それを自身で述べた詩がありますね。
  更無一事報君親   更に一事の君親に報ずる無し
  傍人若有問吾志   傍人若し吾が志を問ふ有らば
  酒国詩郷寄此身   酒国詩郷に此の身を寄すと
 これは、京都での政治活動が思うに任せず、詩や酒に耽っている自分を責めたものです。しかし、幕末の志士の中では、酒と詩が最も似合うのは、やはり高杉晋作でしょう。
 もう一首、これもよく知られた詩を紹介しましょう。
  夜深人定四隣閑   夜深く人定まりて四隣閑かなり
  短燭光寒破壁間   短燭 光は寒し 破壁の間
  無限愁情無限恨   無限の愁情 無限の恨み
  思君思父涙潸潸   君を思ひ 父を思ひて涙潸潸
                          (『獄中作』)
 この詩は、晋作二六歳、萩の野山の獄につながれていた時の作ですが、前の『訪楢崎節庵』と同じく、「君」や「父」への思いを切々と詠いあげ、晋作の人となりがよく窺われる詩だと思います。
 同じく彼の「詩作品」としては、
    おもしろきことも無き世におもしろく
 という句も有名ですが、彼の漢詩も、もっと世に知られてほしいものですね。
2000. 4.19                 by junji
作品番号 2000-59
  春眠           真瑞庵
破暁微風敲茆 破暁の微風 茆
   破暁の微風 茆 を敲き
を敲き
啼禽処処紙窓聴   啼禽処処 紙窓に聴く
老生扁愛酣春睡   老生扁に愛す 酣春の睡
不覚桜花散小庭   覚らず桜花 小庭に散ずるを
<解説>
老生閑居刻遅々
自然世俗時早々
<感想>
 孟浩然の『春暁』の七絶版というところでしょうか。
 真瑞庵さんの、詩を楽しんでいる姿が目に浮かぶようです。と言っても、真瑞庵さんのお顔を拝したことは一度もないのですが、不思議ですね、詩を読ませていただいていると何となく顔が見えるような気がします。
 『春暁』に承句がつき過ぎていると言われることもあるかもしれませんが、私は構わないと思います。そんなこと承知の上での言葉の娯しみ、それ以上に転句の「酣春睡」という言葉が非常に生き生きとして、印象深くなってます。
2000. 4.24                 by junji
作品番号 2000-60
  三國(日・中・韓)人        鮟鱇
我是純粋日本人   我は是れ 純粋な日本人にして
幸生蓬島養長身   幸いにも蓬島に生まれて 長身を養う
常無護照游京邑   常に護照無くして 京邑に遊び
時有過言迷世塵   時に過言有って 世塵に迷う
不識祖先墳墓地   祖先の墳墓の地を識らず
却思三國血縁親   却って思う 三國血縁の親しきを
黄肌黒髪從何處   黄肌黒髪 何処より
渡海凌濤来絶垠   海を渡り涛(なみ)を凌いで 絶垠に来たらんかと
<解説>
[語釈]
「長身」:私の身長は185cm。
「蓬島」:日本のこと。
「護照」:パスポートのこと。
「京邑」:みやこ。
「過言」:失言。
「世塵」:俗世。
「絶垠」:世界の涯。海を渡ってやってきた私の先祖の眼には、私が生きているこの日本は世界の涯と思えたはず。
 一応律詩のつもりですが、起句の「純」は冒韻ですし、「護照(動詞+名詞(写真)」と「過言(動詞+名詞)」、「墳墓地」と「血縁親」の対句、自信がありません。
 また、石原都知事の「三国人」の発言が騒ぎとなっていますが、わたしには都知事の真意がわかりませんので、その言を論難する詩のつもりでもありません。
  ただ、中国を支那と呼んだり、三国人という言葉を使うことは、漢語として好ましくないし、適切でありません。拙作の「三国」は、日・中・韓(朝)のつもりです。
 漢語で詩を作っていますと、わたしたちの先祖がいかに中国との親善に尽くし、中国の文化を受け入れる努力をしてきたかということがよくわかります。また、かつての日本では、日・中・韓(朝)の三つの国の交流がとても開かれていて、三つの国の人人が、共通語を漢語として、ともに宴を楽しみ、詩の応酬を楽しむということがありました。もちろん、この場合の詩は、お互いの不信や憎悪を詩に託すものではなく、お互いの親善を確かめあうためのものです。
 少々飛躍しますが、漢語には、かつて大陸に分散していた数多くの民族を、言葉を異にする不信や憎しみを超えて、ひとつにまとめあげた実績があり、言語として優れた特質があります。わたしは、漢語を使う以上、その優れた性質を生かした使い方をしたいと考えています。
 なお、私は倭人としては長身であり、満族の弁髪がいかにも似合う顔だちです。私の体を流れる先祖の血は、決して中国東北部だけのものではないと思いますが、わたしの想像上、遠い祖先墳墓の地のひとつに、現在の黒龍江省があるように思っています。
<感想>
 鮟鱇さんご自身のルーツ(何か懐かしい言葉ですね)を想像しつつ、やがて遠い歴史の流れの中での日中韓の交流を思い描くという、空間的にも時間的にもスケールの大きな詩になっていると思います。
 つい先日、授業で『百人一首』の阿倍仲麻呂の歌を詠みました。十七歳で遣唐使として中国に渡り、以後帰ることのなかった仲麻呂の生涯を説明した時に、そもそも何故「遣唐使」が派遣されたのか、を高校生があまり理解していないことに気付きました。
 逆に言えば、「遣唐使」によって何が我が国にもたらされたのか、についての認識がないということですね。
 隣り合った国と国との関係は、文化交流の盛んな穏やかな関係の時代もあれば、不幸な戦争の時代もあります。しかし、個々人の交際においても憎み合ったり蔑み合ったりを続けたいと願う人は居ないように、国同士の交際でも親善を深くしたいというのは、時代を超えて人々の願いだったと思います。
 漢詩を愛すること、それは千年以上もの我が国の国際親善の歴史を再認識することでなくてはならないと、私は強く思っています。
2000. 4.25                 by junji