2025年の投稿詩 第331作は桐山堂半田の 向岳 さんの作品です。
 7月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-331

  老翁餘生        

 大川一曲抱街条   大川 一曲 街を抱き条(のび)る

 貧困庶民生活憔   貧困の 庶民 生活に憔(くる)しむ

 相近相親観小犬   相近づき 相親しむ 小犬を観る

 自来自去睨緇貓   自来 自去 緇猫を睨(にら)む

 老妻穏穏房中憩   老妻 穏穏 房中で憩(いこ)ふ

 稚子嬉嬉苑内跳   稚子 嬉嬉 苑内で跳(は)ぬ

 服薬予防高血圧   服薬で 高血圧を 予防し

 氷清玉潤自身邀   氷清 玉潤を 自身に邀(もと)む

          (下平声「二蕭」の押韻)


<感想>

 こちらの律詩は、杜甫の「江村」をかなり意識して作られたようですね。
 これだけ用語が重なると、題名に「倣杜甫江村詩」としないと、先人に無礼を働くことになってしまいます。

 それでも、対句のところの「相近相親」と「自來自去」の対と、「老妻」と「稚子」の対は、これは駄目です。
 対句は詩人が最も心血を注ぐところ、組み合わせの巧みさ、完成作をそのまま使ってはパクリとしか見られません。

 「相…相…」とか「自…自…」を拝借するまでが限界でしょうね。

 その他では、第一句「村」を「街」に替えましたが、人の住む土地を「抱」と表現したのは杜甫の苦心したところでしょうね。
 また、「大川」ですが、「大きな川が街をぐるりと取り囲んで延びている」は結構危険な地区ですね。
 「清風一颯野情饒」など、杜甫の句を参考にしながら自分なりの発展をさせていくことが大切ですね。

 第二句は、ここで「庶民の暮らしが厳しい」ことを述べることが、頷聯以降の穏やかな生活とどう関わるのか、これは繋がりが乏しい感じです。

 尾聯は急に「高血圧」と現代語になりましたが、ここで病名が必要でしょうか。
「服薬」を用いた古人の作では、「服藥閑眠養不才」(中唐 韋応物)・「服藥壽偏長」(耿湋)・「閑談勝服藥」(白居易)などが面白いですね。

 末句の「氷C玉潤」は「清く気高い人格」という意味ですが、本来の語義は「父親(氷C)と娘婿(玉潤)のどちらも徳を持っている」ことです。
 そこを考えると、四字熟語の選択も別の語を考えてはどうでしょうね。


【参考】
   江村        杜甫
 清江一曲抱村流  清江一曲 村を抱いて流る
 長夏江村事事幽  長夏江村 事事幽なり
 自去自來梁上燕  自から去り自から来たり 梁上の燕
 相親相近水中鷗  相親しみ相近づく 水中の鴎
 老妻畫紙爲棊局  老妻は紙に画きて棊局を為り
 稚子敲針作釣鉤  稚子は針を敲きて釣鉤を作る
 多病所須唯藥物  多病 須(ま)つ所は唯だ薬物
 微軀此外更何求  微躯 此の外に更に何をか求めん

 by 桐山人(2025. 7月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第332作は桐山堂半田の 酔竹 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-332

  晩夏海濱        

 十里汀沙疊浪痕   十里の汀沙 畳なる浪痕

 已消游客樂聲喧   已に消ゆ 游客楽声の喧

 一竿堤上誰垂釣   一竿 堤上 誰か釣を垂る

 潮滿跳鱗日欲昏   潮満 跳鱗 日昏れんと欲す

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 夏の海浜、昼は海水浴で賑わいますが、夕方になるとさすがに閑かになります。
 光景としては「晩夏」に相応しいイメージですね。

 承句はこの語順ですとどうしても四字目に切れ目を入れますので、「人々は已に去ったが音楽がうるさい」と読んでしまいます。
 これは言いたいことと逆ですね。
 「游客」か「樂聲」のどちらかが消えたということでも伝わりますので、上四字でまとまると思います。
 起句で季節感があまり出てませんので、下三字は季節が感じられるようにすると前半がうまくまとまると思います。

 転句からは近景に持ってきて、最後は余韻の残る形になってますね。

 以前釣りに凝っていた頃、衣浦湾でもトビウオやボラの跳ねる姿をよく見ました。
 結句を拝見して思い出しました。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第333作は桐山堂半田の 酔竹 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-333

  初秋時珍        

 茅簷庭角作蔬園   茅簷の庭角 蔬園を作す

 夏過凋衰淒已繁   夏過ぎ 凋衰 淒已に繁し

 唯有鮮妍茄子色   唯有る鮮妍 茄子の色

 凉宵酌酒供盤飧   涼宵 酌酒 盤飧に供さん

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 詩題の「時珍」は「その季節の産物」ということで、「珍」は敬称です。
 我が家も、実家が農業をされているお隣さんから茄子を十本近くいただき、早速夕餉の「盤」に載りました。

 承句の下三字、「已」は上に「夏過」という時間経過を表す言葉がありますので、ややしつこく感じます。

 転句の「唯有」を考えると、承句で「時」を強調する必要は無いですので、「淒色」「淒氣」などが良いでしょう。

 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第334作は桐山堂半田の 酔竹 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-334

  懐京都五山送火        

 夜涼風細鴨川原   夜涼 風細 鴨の川原

 杳杳重巒火字存   杳杳 重巒 火字存り

 書軆遒遒有靈驗   書体 遒遒(しゅうしゅう) 霊験を有し

 自人偏念祖先恩   自から人 偏へに念ず 祖先の恩

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 京の晩夏の風物、大文字です。

<感想>

 お盆の時にテレビニュースでも報道されていますが、恒例の大行事ですね。

 題名の「懷」は、多分直接見ているのではない、というお気持ちからだと思いますが、内容的に懐旧の要素があるわけでもないですので、「京都五山送火」で良いでしょう。

 転句の「遒」は「引き締まって力強い」という意味で、火文字の趣を感じさせる言葉ですね。
 「遒麗」としても良いですが、平仄から畳字にしたのでしょう。

 結句は、「人」を主語にして「念」を修飾する「自」と「偏」の二つの副詞が上下にあるため、煩わしい印象です。
 副詞を一つにするのが良いですので、「衆人」「庶人」「萬人」とか、「専念」「志念」などお考えください。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第335作は桐山堂半田の 向岳 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-335

  晩夏村        

 群蟻自然巢窟屯   群蟻は 自然に 巣窟に屯(たむろ)す

 亂蟬交錯樹間喧   乱蝉は 交錯し 樹間で喧(かまびか)す

 炎天道路含高熱   炎天 道路が 高熱を含(お)ぶ

 雨後涼風未現村   雨後 涼風 未だ村に現(あらわれ)ず

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 前半は対句にしたかったところでしょうか。

 起句の「自然」は、蟻の屯のどういう点が「自然」なのか、やや主観的過ぎるので、別の言葉にするか、下を検討するかが必要でしょう。
 特に、転句で「炎天道路」が出て来ますので、蟻がここで必要かどうか。

 承句は「樹間」で空間が「喧」というよりも「樹林」と場所を示した方が良いです。

 「含」を「おぶ(おびる)」と訓読する理由が分かりません。
 普通に「ふくむ」の方が分かりやすいと思いますが。

 結句ですが、通常は「涼風」だけで良く、「雨後」と条件を付加するのは何か意図がありますかね。
 確かに、ここのところ夕立すら無くて全く雨が降らないですから気持ちは分かりますが、晩夏らしい季節を表す言葉の方がすっきりするでしょうね。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第336作は桐山堂半田の 向岳 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-336

  晩夏(一)        

 蚯蚓遲遲路上呈   蚯蚓 遅遅 路上に呈(あらわ)る

 寒蜩札札樹間萌   寒蜩 札札 樹間に萌(はじま)る

 水田稻穗看天宇   水田の 稲穂 天宇を看る

 去夏來秋物候明   去る夏 来る秋 物候で明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 前の詩もそうですが、作者の居る場所が今一わかりにくいですね。

 「蟻」と「炎天道路」、この詩では「路上」と「水田」、どちらも「路」の使い方が無造作に感じます。
 「群蟻」や「蚯蚓」が「晩夏」と関係するならまだ良いのですが。

 起句「呈」の読み下しは「あらは(わ)る」と下二段活用になります。

 転句は「晩夏」ですと「稲穂」はまだ空に向かって伸びる時季ですかね。

 結句は上の四字を「夏去秋來」と入れ替えた方が実感が出ませんか。

 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第337作は桐山堂半田の 向岳 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-337

  晩夏(二)        

 炎天晩夏樹陰搜   炎天 晩夏 樹陰を捜し

 日課逍遙發汗惆   日課 逍遥 発汗惆(うら)む

 群蟻連連庭内竝   群蟻 連連と 庭内に並ぶ

 亂蟬嘒嘒藪中周   乱蝉 嘒嘒(けいけい) 藪中で周る

 冬瓜大玉荒田育   冬瓜 大玉 荒田に育つ

 柑子小丸前苑稠   柑子 小丸 前苑に稠(しげ)る

 稻穗向陽偏直立   稲穂 陽に向かひ 偏へに直立

 豐穰刈穫待涼秋   豊穣 刈穫 涼秋を待つ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 第一句は、「炎天」で季節が出ていますので、「晩夏」と来ると季節が重複されて、句がもたつきます。
 「午下」と時刻を示した方が流れは良くなります。

 第二句は通常の年ならば問題無いのですが、去年や今年の危険な暑さが続いていますと、つい心配が先に来てしまいます。
「數里」「一霎」ならば熱中症に対しては安心かな。
 末字の「惆」は「うらむ」と感情が入ってきますと、その後の情景も「鬱陶しい景色」という印象で流れてしまいます。
 ここは感情を出さずに「稠」と叙景として述べるべきですね。

 頷聯は絶句と同じくまず蟻に目が行くようですが、句を並べて見ると、第三句が近景、第四句が遠景、第五句が近景、第六句が遠景ですので、頷聯と頸聯が同じような形で対立して流れが悪いですね。
 第三句と第四句を逆にすると、中四句が整います。
 また、畳字を用いる時に中二字に使うことが多いですが、説明文的でどうしても単調になりますので変化をつける意味でも、「嘒嘒亂蟬」「行行群蟻」という語順で書き直してはどうでしょう。

 頸聯は対句としては悪くないですが、「大玉」と「小丸」の対比が単調です。
 「冬瓜長果」「柑子克」など、構成に少し変化をつけると、画面に奥行きが出ます。

 最後も「稲穂」の話で終るわけですが、どうも尻すぼみですね。
 「待涼秋」を作者の気持ちにすると、詩の展開が明瞭になりますので、上四字も含めて、ここで作者の気持ちを出すようにしたいですね。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第338作は桐山堂半田の 福江 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-338

  雨窗感懐        

 八仙花滿雨聲微   八仙花満つ 雨声微なり

 野媼茅庭蕺草肥   野媼の茅庭 蕺草肥ゆ

 探韻忘憂呑一椀   探韻して憂ひを忘れ 一椀を呑む

 黃梅鳥啄語人稀   黄梅 鳥啄み 語らふ人稀なり

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 隣家の梅の木から熟した実が落ちました。
 音がする程静かな時間でした。
 見上げると鳥が見えたので作ってみました。

<感想>

 「八仙花」、つまりアジサイがいっぱい開いたとなると、雨音がいつもよりも大きく聞こえるのではと思います。
 ここは「微」よりも「圍」の方が落ち着きます。

 承句の「蕺草」はドクダミでしたね。
 このドクダミが育っているわけですので、「茅庭」と草の名を入れた表現は謙遜のためとは言え、不釣り合いですね。
 「閑庭」「南庭」で。

 転句は良いですが、結句は、上四字と下三字では、どう繋がっているのか悩みます。
 ここで「黄梅」とまた植物を出す必要も無いでしょうから、室内に居ることを示すために、「幽窗鳥語客來稀」(客の来たること稀なり)としておくと題名としっくり合う形になりますね。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第339作は桐山堂半田の 福江 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-339

  雨窗感懐 二        

 合歡花搖午風微   合歓の花揺れて 午風微なり

 碧落雲生帶夕暉   碧落に雲生じ 夕暉帯ぶ

 閤閤只聽庭院靜   閤閤 只聴く 庭院静かなり

 喜憂多少一觴希   喜憂 多少 一觴希む

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 鳥が運んでくれたのか、庭のかたすみにねむの木が一本あります。
 昨秋短くしたので花が下の方に咲いて風に揺れて、かわいいです。

<感想>

 全体に穏やかな情景で良いですね。

 起句の「午風」から承句の「帶夕暉」まで、やや短い気もしますが、午後のゆったりとした時間が過ぎたという思いでの表現と考えると許容範囲ですかね。
 「午風」に替えるとなると「夏風」くらいでしょうか。

 転句は「閤閤」で聴覚を働かせたところ、下三字は芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と同じ手法。
 「蛙の声しか聞こえてこない」ということですので、中二字の「只聽」で作者が登場するのは余分です。
 「閤閤蛙聲」とすると下三字が生きて来ます。

 結句は「喜憂」がどこから来たのか、「多少」は「沢山」ということでしょうが、庭を眺めていたら、愉しかったことや辛かったことなど、色々思い出したということでしょうか。
 「喜憂」は具体性が出ますので、「遣懷」とか「自遣」「消遣」などが良いでしょう。
 「平頭(四句とも頭が平字)」を避けていくと、「孤窗自遣一觴幃」でしょう。

 あと、詩題の「雨窗」が合いませんので、これは直しておきましょう。



 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第340作は桐山堂半田の 福江 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-340

  梅雨明雷        

 深更雷雨四山圍   深更 雷雨 四山囲む

 破曉日高炎熱威   破暁 日高く 炎熱威なり

 野老庭除無限草   野老の庭除 無限の草

 楊枝碧蔓掩柴扉   楊枝 碧蔓 柴扉を掩ふ

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 七月初め、夜中の雷を詩にしてみました。
 梅雨明けの雷かと思いましたが、人間より草木は元気です。

<感想>

 詩の内容は夏になった庭の様子で、「雷」は主体ではないですので、題名は「梅雨明」だけにした方が良いです。

 承句は「破曉」と「日高」と時刻を表す言葉が二つ出ているのは困ります。「破曉已知」「忽覺曉天」でしょうね。

 転句は「野媼」を他で使ったので「野老」としましたか、どうしても男性のイメージが強くなりますので、「媼」の方が自然かな。
 転句からは、草の逞しい姿がよく出ていると思います。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第341作は桐山堂半田の 輪中人 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-341

  新秋偶成        

 蟋蟀秋聲數畝園   蟋蟀 秋声 数畝園

 新涼爽氣照東軒   新涼 爽気 東軒を照らす

 殘炎一洗天如水   残炎 一洗 天水の如し

 淡淡籬邊郊外村   淡淡たる籬辺 郊外の村

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 素材がうまく組み合わさっていない印象です。
 句として画面が出来上がるかを検討すると落ち着きますよ。

 起句は結局「蟋蟀」が「園」で鳴いていたということですか、でもそこに「秋聲」が入ると混乱するわけです。
「蟋蟀鳴聲籠畝園」と統一しましょう。

 承句は「新涼」と「爽氣」が重なるのと、「爽氣」が「照」はおかしいので「新秋爽氣滿東軒」が良いですね。

 転句は「天如水」が不釣り合いで、「涼如水」とすれば、句としてまとまった良い形になります。

 結句は上四字は良いのですが、これもまた下三字との繋がりが悪く、「籬邊」を見ていた筈が結びで突然「郊外村」と広い視野になってしまい、作者はどこに居るのか分からなくなります。
 前半の秋の爽やかな趣を受け取るならば、「塵外門」「詩老門」のように韻字を替える形でしょう。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第342作は桐山堂半田の 輪中人 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-342

  新秋卽事        

 飛燕一笛拷A門   飛燕 一笛 緑陰の門

 星漢天空月照軒   星漢 天空 月は軒を照らす

 秋氣不知殘暑退   秋気は知らず 残暑は退く

 新涼瑟瑟滿田園   新涼 瑟瑟 田園に満つ

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 起句の「燕」は通常は仄字ですので、ここは「一聲飛燕」が良いです。
 ただ、この燕の声と下の「緑陰門」は繋がりが無いですね。

 承句はここだけ急に夜の場面になりますが、燕が飛んだり、田園を眺めたりは昼でないとおかしく、この句だけが孤立しています。
 また、この句自体も画面が整わず、「星漢」の空なのに「月照軒」となり、これでは星が見えなくなります。
 夜の場面を持ってくるにしても、時間経過から行けば結句に持ってくるべきですね。

 転句は、秋の実感は無いが暑さは収まってきたということで、季節の微細は変化をえがこうという狙いですね。
 涼しくはないが暑くもない、という状態だと、結句がおかしくなりますね。
 それに、承句では十分に秋らしい景色が出ていますので、この四字は再検討ですかね。

 結句は広がりのある、秋らしさの感じられる句になりましたね。

 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第343作は桐山堂半田の 聲希 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-343

  祝妻喜壽        

 相約挑山既幾霜   相約して山に挑みて 既に幾霜

 君迎喜壽不堪慶   君は喜寿を迎へ 慶びに堪へず

 多艱難樂二人路   艱難多けれど 楽しかりし 二人の路

 未見巓頭何景光   未だ見えざりし巓頭では 何という景光なりしか

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

   一生を互いに約して結婚してから今年で何年になるだろうか
   君は喜寿を迎え、私は慶びに堪えない。
   多くの艱難があったけれども、君と二人の路行きは楽しい
   まだ二人の人生登山の頂上は見えていないが、頂上ではどんな風景が待っているのだろう

<感想>

 奥さまも喜寿ということで、お祝いの作詩は素晴らしいですね。
 人生を「挑山」と喩えたということは、お二人とも山登りがお好きなのでしょうか。
 お二人だけで通じ合うものがあるのでしたら、まあ、このままで良いですが、「登山の約束」では分かりにくい場合には「携手倶生」などでも。

 承句は「喜壽」で「七十七歳」を表すのは和語になりますが、贈る相手が奥さまならば良いでしょうね。

 転句はこれも句のリズムが崩れています。人に贈る場合には読みやすいようにすることも大切で、その場合には漢詩のリズムを保つことも重要です。
 ここは「樂」を言うと結句の答にもなってしまいますので、「雖多艱難二人路」としておきましょう。

 結句は「未見」と打ち消しの表現よりも、「正見(正に見ん)」「正樂(正に楽しまん)」と期待を籠めた言葉の方が良いですね。
 合わせて、「何」を「玉」「好」としておくと良いですね。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第344作は桐山堂半田の 聲希 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-344

  秋來叙情        

 夕陽姸姿有西隅   夕陽の妍姿 西隅に有り

 風立撫顏黃稻回   風立ち顔を撫で 黄稲を回る

 林裏寒螿高韻暮   林裏の寒螿 高韻の暮

 猶炎天正是秋來   猶 炎天なれど 是れ 正に秋は来ている

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

   丘の上で西の方を見たら、真っ赤な夕日が沈んでいくのが見えた。
   風が吹いてきて顔を撫でるように吹き過ぎ、田の黄色く色付いた稲穂の方に流れていった。
   林の中ではツクツクボウシが声高に盛んに鳴いている
   なお、夏の炎天が猛威を振るっているが、これらの状況を鑑みると、正に秋は既に来ていると感じた

<感想>

 押韻ですが、起句の「隅」は「上平声七虞」韻です。「上平声十灰」韻ということですと「隈」でしょうね。

 作者の居場所が丘に居るのか、田圃に居るのか、林の近くなのか、歩いて回っているのでしょうが、読者には分かりにくくて画面がぼやけてしまいます。
 転句の「林裏」を「遠聽」として下三字も「吟響暮」として場所を書かないようにすると良いかと思います。

 結句は句のリズムが崩れているのと、作者は逆接の積もりでも伝わりにくく、読者は「まだ残る炎天はこれこそまさしく秋が来たのだ」と読みます。
 秋の訪れを転句までで表していますので、突然「炎天」が来るのも違和感があります。
 「閑遊詩老覺秋來」など。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第345作は桐山堂半田の 健洲 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-345

  立秋偶成        

 紫薇花發掩閑庭   紫薇花発いて 閑庭を掩ふ

 何處蟬聲暫側聽   何れの処か 蝉声暫く側聴す

 午熱暑威未消却   午熱の暑威 未だ消却せず

 欲呼秋氣響檐鈴   秋気を呼ばんと欲して檐鈴響く

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

 紫薇花が咲き残蝉がなくと、涼しさが少し感じられるようになるが、今年は猛暑が依然として収まらず、風鈴も秋気の来るのを催促しているようだ。

<感想>

 全く「立秋」という言葉が無意味に感じた今年の八月でしたね。
 蝉もあまりの暑さにへばり気味、七日の命も全うできないような様子で、いつもなら煩しく感じる鳴き声もつい愛おしくなってしまいました。

 分かりやすい詩になっていると思いますが、転句は「午熱」だけで分かることですので、「暑威」が必要かどうか。
 ここは「炎蒸」と形容する言葉を入れた方が良いかと思います。

 結句に登場の風鈴(「檐鈴」)も涼しい風が吹いてこそ存在意義を感じますが、暑さの中では空しく響きます。
 ここでは「欲呼秋氣」と擬人的に表していますが、気持ちはよく分かります。
 ただ「呼」ですとありきたりな印象で、もう少し個性的な言葉でインパクトを強くしたいところですね。
 「催」とか「須」、「喚招」など、色々入れてみてはどうでしょうね。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第346作は桐山堂半田の 健洲 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-346

  晩夏池邊散歩        

 池邊午熱尚殘存   池辺の午熱 尚残存す

 鳥語拷A分靜喧   鳥語 緑陰 静喧を分かつ

 持續炎威催倦怠   持続する炎威 倦怠を催し

 漫然閑歩到黃昏   漫然と閑歩すれば黄昏に到る

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 まだ真夏の暑さの残る池辺を散歩した。
 長く続く暑さで気力も失せ、ゆっくり歩くうちに夕方になった。

<感想>

 起句の「午熱尚残存」と転句の「持続炎威」は同じ内容になりますね。
 どちらかをまとめれば、もう一つか二つ、池辺の素材を入れることができそうです。
 そう考えると、起句の方を検討するのが良いですね。
 「池邊散歩」とありますが、具体的にはあまり池と関わるものが出てないですから。
 どんな物が見えたか思い出して、並べてみてはどうでしょう。「荷池衰葉碧波渾」など。

 承句は面白い表現ですが、「鳥語拷A」と「靜喧」の対応が逆なのが残念です。
 下三字は韻字の関係で直せないでしょうから、上を「幽苑鳥鳴」とかでどうでしょう。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第347作は桐山堂半田の 香裕 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-347

  立秋(猿聲驚心)        

 猿聲蕭瑟拷A村   猿声 蕭瑟 緑陰の村

 蟲語凄涼月照軒   虫語 凄涼 月軒に照る

 飄葉驚心疑影動   飄葉 心を驚かし 影動くかと疑ふ

 幾時一去叩柴門   幾時 一たび去って 柴門を叩く

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 猿の啼く声を静かな村で聞いた。風に散る葉の音に、猿が来たかと驚く。ひと時の後、友人の家に着いた。

<感想>

 猿の声については、「蕭瑟」という寂しげな表現が合いますかね。
 また、同じような意味の「凄涼」が承句にあり、二句とも「音」というのは面白くない感じ。承句を「蕭瑟秋風」と先ずしておきましょうか。

 韻字が「村」「軒」「門」と皆場所を表す言葉になったのは仕方無い所もありますが、「軒」だと自宅に居るように感じます。
 承句の下三字を「夕日昏」でどうでしょうね。
 起句は「猿聲」は大事ですので、「猿聲時聽」ですかね。

 転句は上四字は良いですが、下三字は何のことを言うのか、「如影動」の方が分かりやすいですかね。

 結句の「柴門」は粗末な門、自分の家には使えますが、他人の家ですと妙な言い方になります。「幽門」とするのが良いでしょう。
 中二字の「一去」は「いったん去って」ですが、ここで使うのはどうでしょう。
 友人の家に行く道の様子などを表すと良いかと思います。あるいは作者の姿を描いて「悠然閑歩」など。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第348作は桐山堂半田の 香裕 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-348

  報秋        

 涼風萬戸入新秋   涼風 万戸 新秋に入る

 先知香信菊徑頭   先づ知る 香の信り 菊径の頭(ほとり)

 仰見暮山明月出   仰ぎ見る 暮山に明月出で

 蛩聲孤雁興偏幽   蛩声 孤雁 興偏へに幽なり

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 涼しい風が秋を知らせ、菊の香りが径に。夕方の山に月が昇り、虫声と孤雁はなお静かな秋の趣を感じさせた。

<感想>

 平仄の点では、承句の二字目と四字目が合いませんので、これは「香信先知」と順番を入れ替えましょう。

 内容的には、起句から「涼風」「菊香」「暮山・明月」「蟲聲・孤雁」と五感を生かして、秋の素材を上手に配置してありますね。
 作者の「興」がどこにあるか、ということでは、「蛩聲」「孤雁」というやや寂しげな「幽」にありますので、そこに「明月」が合うかどうか。

 視野の広さで眺めると、起句は遠、承句は近、転句は遠、結句は近と遠となっていて、慌ただしい点もあります。
 できれば転句に「蛩聲」を持ってきて「瑟瑟蛩聲暗叢裏(挟平格)」、結句は「暮山孤雁興偏幽」とすると、遠近が落ち着きます。
 ただ、実景の記録として「暮山明月」も捨てがたいということでしたら、このままの配置でも理解はできます。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第349作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-349

  夏日偶成        

 灼灼高穹百日紅   高穹に灼灼たり 百日紅

 蟬聲加勢積雲隆   蝉声加勢し 積雲隆たり

 籠居茫昧過俄頃   籠居して茫昧 俄頃を過ごす

 翔翺燒軀遙昔夢   翔翺して躰を焼く遥昔を夢む

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

  高い空に向けて百日紅の花が盛んに咲いている  蝉の声が勢いをかけ積乱雲がもくもくと育っていく
  部屋に閉じこもりぼんやりとその光景を見ていると
  遥昔に真っ黒になって日差しの中を走り回ったころのことが思い浮かべられた

<感想>

 起句はこの語順では、「灼灼たる高穹」と「灼灼」は「高穹」を修飾する形になってしまいます。
 また、「穹」は「上平声一東」の字ですので、韻字を他の場所で使う「冒韻」という禁忌にあたります。
 形としては、「百日紅」を前面に出す方向で、「灼灼○○百日紅」と中二字にも百日紅を形容する熟語を入れるのが良いです。

 承句では、「積雲」ですが、これを「積乱雲」という現代語を勝手に省略したものとして使うのは駄目です。
 古典でも「積雲」の用例はありますが、積み重なった雲、厚い雲というくらいの意味にしておきましょう。
 内容的には面白い表現ですので、「白雲隆」くらいが良いでしょう。

 転句は「俄頃」としましたが、これだけで「短い時間」を表します。
 従って余分なのは「過」、ここに別の字を入れれば情報が増えます。
 例えば、「坐俄頃(坐すること俄頃)」とか、「夏天午」と時間を広げても良いでしょう。

 結句は二字目の「翺」は平字です。
 この「翔翺」は基本的には鳥が飛び回る時に使いますので、子供が走り回る比喩として適するかどうか。
 もう少し合う言葉を探した方が良いでしょう。

 次の「燒軀」は「日焼け」というのは日本語での表現で、このまま読んだら大変な話になります。
 日本語をそのまま漢字に書き換えても通じないことがほとんどです。書いた後で再度「和語でないか」と点検や確認をするようにしてください。
 最後の「夢」は「ゆめみる」の意味では仄字、上平声一東韻の場合は「くらい」ということになり、結論としては韻字が合っていません。
 この結句は作り直した方が良いでしょう。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第350作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-350

  立秋偶成        

 散見蟬骸坐小軒   散見す 蝉骸 小軒に坐す

 烏鳴歸巢日黃昏   烏鳴いて巣に帰る 日黄昏

 過般酷暑成難耐   過般の酷暑 耐へ難き成も

 老骨時遷復活援   老骨時遷りて 復活を援きよせる

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

  八月七日くしくも立秋に庭先に蝉の骸を見つけました  夕刻でもあり烏がねぐらに帰っていきます
  つくづくこの夏の耐え難い酷暑を思い  でも、季節は廻りまた老体にも復元力が出てきました

<感想>

 うーん、分かりやすい詩になっていますが、承句の「巢」の平仄が違うので、残念ですね。
「歸鴉」とすれば次の二字の幅が広がりますね。
 鳴き声を出しても良いし、烏の数を出しても良し、検討してください。

 転句の「成」ですが、読み下しを見ると「耐へ難きなるも」ということですが、この場合の「なる」は断定の助動詞で「大なり」「大人なり」「鮮やかなり」などと同様、送り仮名で表記するものです。
 対して「成」は動詞で、物事の変化を表す言葉、「大きく成る」「大人に成る」のように使います。
 従って、詩の読み下しとしては「耐へ難く成るも」となりますが、意味としては「耐えがたい状態に成った」となりますので、それで良いですか。
 無理に「成」を使わなくても「正」「眞」などの副詞を置いても大丈夫ですね。
 「過般」は「さきごろ」という意味ですが、酷暑のことで言えば「昨今」「近年」と広げた方が共感が出やすいでしょう。

 結句は力強いですね、「時遷」ですといつの話になるのか分かりませんので、「須秋(秋をまち)」とか、少し控え目に「仍然」なども良いでしょう。

 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第351作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-351

  參議院選偶感        

 民心不固世情渾   民心固まらず 世情渾ごる

 國政陰雲政局煩   国政に陰雲 政局煩わし

 天下亂調無喜悦   天下乱調して 喜悦無く

 奉身糾正大人存   身を奉じて糾正せし大人存せん

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

  参議院選が終わり与党が過半数を取れず自民党は騒然となっています
  そもそも自民不評の原因は金権政治のはず
  下らぬ石破降ろしに躍起になっている様にマスコミの不甲斐なさも感じて怒り心頭です

<感想>

 詩の題名は大切ですので、「參議院(議員)選擧」とせめて「擧」までは入れましょう。
 「参議院選」では「参院選」とほぼ同じです。

 起句、承句は良く分かる句ですね。
 承句は「政」の字が重なっていますが、「國政」から「政局」へと動くという意味では重複の効果も出ているでしょう。

 転句は「調」ですが、「調」は「ととのう」の意味では平字、「しらべ、音色、調子」の意味では仄字、この場合の「乱調」は「乱れた調子」ということですので仄字になります。
 太刀掛先生の「誰にでもできる漢詩」にも、両韻字がまとめてありますので、日頃から目を通すようにしておくと、作詩の時に「あれ、この字は確か・・・・」と気がつくようになりますよ。
 この句の下三字、「無喜悦」は主語がよく分かりません。
 今回の選挙でも一部の党は数を増やして「喜悦」しているでしょうから、「天下・・無喜悦」というのは合いません。
「擾擾(じょうじょう)喜悲天下動」

 結句はそのまま読むと「奉身糾正の大人が存す」となり、もう存在していることになります。
 「居て欲しいものだ」という形に持って行くなら、「何(誰)人」から始めるようにすると良いでしょう。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第352作は桐山堂半田の 快寔 さんの作品です。
 9月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-352

  盆墓参偶感        

 C掃墓碑揚羽存   清掃せし墓碑に揚羽存す

 山隅告遠m鵑繁   山隅緑翠 杜鵑繁

 輪廻転命憶人鬼   輪廻転命 人鬼を憶ふ

 先祖馳思将鎮魂   先祖に思ひを馳せ 将に鎮魂

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

   お盆に墓掃除を兼ね墓参しました
   墓を清めて花を供え手を合わせると、どこからともなくアゲハ蝶が飛び舞いました
   さらに目を上げると山の緑が美しく時にホトトギスが鳴きます
   これぞ輪廻転生先祖の生まれ変わりだと心静かに今の安寧を感謝しました

<感想>

 墓参りすることを「墓参」とするのは和語です。
 漢詩では「展墓」と言いますので、題名は「展墓偶感」となります。

 起句の「清掃」も和語ですね。
 漢和辞典で「掃」を見ると熟語が沢山載っていますので、そこから拾うようにしましょう。
 「墓碑」は四角い墓石、「揚羽」も和語で漢語では「鳳蝶」「燕尾蝶」と表記します。
 ただ、ここは蝶の種類にこだわらずに「飛蝶」「遊蝶」と回りを飛ぶ様子を表す言葉の方が良いかと思います。
 通常使うような日本語をそのまま漢詩に用いる時には、一旦足を停めて、日本語用法ではないかと確認をしましょう。
 私の経験から言うと、スイスイと上手く言葉が出て来た時は特に注意深さが必要です。
 ここは直すなら「灑掃(せいそう)墓碑飛蝶存」という感じですか。

 承句は下三字で「杜鵑繁」とあると、ホトトギスが群れて集まっているようですね。
 ここはホトトギスの声が沢山聞こえたということで「杜鵑喧」かな。ただ、蝶もホトトギスも生まれ変わりと思ったようですので、「喧」では失礼かも。
 そうなると、前の「飛蝶」と同じで「鳥聲繁」が無難な表現でしょう。
 しかし、ただの蝶や鳥ではなく、アゲハやホトトギスでなければ輪廻転生の感覚は出て来ない、ということですと、なかなか難しいですね。
 起句踏み落としとか韻目を換えるなどが必要かも知れません。

 転句は「輪廻転生」ではなく「輪廻天命」という言葉もあるんですね。
 「憶人鬼」が「生まれ変わりと思う」の部分になりますが、「憶」は結句の「馳思」と重なります。
 「生まれ変わり」ということをしっかり出すなら「憶」を「爲」としておくのが良いでしょう。

 結句は目的語(「先祖」)と述語(「馳思」)が逆ですので、そのままでは「先祖が思いを馳す」となってしまいます。
「先祖芳恩」「孝妣高恩」としておけば繋がりははっきりしますね。


 by 桐山人(2025. 9月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第353作は桐山堂静岡の F・U さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-353

  歳晩偶成        

 鼎鼎流光似隙駒   鼎鼎たる流光 隙駒の似(ごと)し

 又迎歳晩老來迂   又歳晩を迎へ 老来迂(う)なり

 瓦全消息向誰語   瓦全の消息 誰に向かって語らん

 自愧仍然滯半途   自ら愧ず 仍然(じょうぜん)として半途に滞りしを

          (上平声「七虞」の押韻)


 「鼎鼎」… 年月が早く過ぎ去る形容 
 「迂」… うとい、にぶい。世事に疎い。
 「瓦全」… 大したこともせず、節操なく生きながらえる
 「仍然」… 相変わらず、なおも。
   「半途」… 中途、道の半ば、途中

<感想>

 各句それぞれで見ますと無理なく仕上がっていると思います。

 承句の「老来迂」、転句の「瓦全」、結句で「自愧仍然」とどの句にも自分を述べた言葉が並び、卑下し過ぎかな、と感じます。
 どこかを換えるだけで違ってきますが、一番強いのは「瓦全」ですので、これを「年年」。
 承句の「歳」と重なる感があれば、「歳晩」を「臘盡」でも良いかと思います。


 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第354作は桐山堂静岡の 擔雪 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-354

  歳晩書懷        

 茅屋蓬扃落照邊   茅屋 蓬扃(ほうけい) 落照の辺

 西風吹盡墨池乾   西風 吹き尽くし 墨池乾く

 虛堂寒日圍爐坐   虚堂 寒日 炉を囲んで坐す

 門巷蕭条歳晩堅   門巷 蕭条 歳晩堅し

          (下平声「一先」の押韻)


「蓬扃」… 粗末な離れの門

<感想>

 承句の「乾」は「カン・かわく」で「上平声十四寒韻」、「ケン・いぬい」で「下平声一先韻」になります。
 この場合には前者ですので、韻が合わないことになりますね。

 この承句の「西風」は「秋風」のイメージが強いですので、「朔風」「霜風」で。

 転句の「虛堂」は「何も無い座敷」となりますが、そこに「爐」があるのはおかしいですね。
 また、ここで坐ってしまうと、結句の景色はどこから見たのか、悩ましくなります。
 場所の統一を考えると、承句の下三字に「虛堂」を持って行き(韻字は「前」かな)。
 下三平を避けるために「草堂前」「小堂前」で行きましょう。

 転句は「酷寒一日圍爐坐」で行けますね。

 結句は「巷」ですと家の外に出てしまいますので、「門外」と内から眺める形ですかね。
 最後の「歳晩堅」は「晩歳堅」ではないですか。
 これは劉禹錫の詩の一節で、「松筠晩歳堅」となり、「晩年になっても松筠(節操)を堅く持つ」という意味になります。
 韻字を換えて「歳晩天」とか「歳月遷」、あるいは別の言葉にして「歳晩」を転句の「寒日」に換えるというのも考えられますね。


 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第355作は桐山堂静岡の 擔雪 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-355

  冬夜偶作        

 霜降深深落葉重   霜降 深深として 落葉重なり

 稜稜蕭寂入窮冬   稜稜 蕭寂 窮冬に入る

 風寒窗外吹微雪   風寒く 窓の外は微雪吹く

 坐聽C幽半夜鐘   坐して聴く 清幽 半夜の鐘

          (上平声「二冬」の押韻)


<解説>

「一句の中に二つの畳字は認められていない」と聞いたけどどうでしょうか?

<感想>

 畳字は意味的にも強調になりますし、口で読んだ時に繰り返しの(強調)効果が生まれます。
 インパクトが強い分、意識して使わないといけないと注意する意味での言葉でしょうね。
 「複数の畳字は禁止」とまでは言えませんが、必要性を考えてということでしょう。
 一般的には、対句や句中対など、意図的に強調する時には無理なく使えます。
 この詩の場合には、「稜稜」と「風寒」が似通っていますので、ややしつこいですね。
 「稜稜」を「寒風」として、転句を考えても良いでしょう。

 前半で外の景色を作者は眺めていましたので、転句で「窗外」とあらためて言われると、今までの景色はどこなのか悩みます。

 「寒窗一日吹微雪」として、先ほど承句に使った「寒風」は「凄風」「北風」としましょう。  結句はこのままで良いですね。

 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第356作は桐山堂静岡の 擔雪 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-356

  野翁參萬日偶感        

 ク國信州東海遷   郷国信州 東海遷る

 道心思索曹洞禪   道心 思索 曹洞禅

 迂疎世路嘗辛苦   迂疎 世路 辛苦を嘗め

 參萬老翁復迎年   三万の老翁 復た歳を迎ふ

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 生まれ故郷の長野を後に、東海(駿河・静岡)に移り、僧侶の道を曹洞に求める。
 しかし世間に疎く、世渡りも下手で苦労の連続。
 人生気がついたら三万日、今年もまた一つ年を迎えた。

<感想>

 私がパソコンに打ち込んでいましたら、中学生の孫が覗き込み、「三万日を三百六十五日で割ると、何年になるのかな」と言いながら、計算をし始めました。「閏年もあるからな」と私もつい乗って、電卓を引っ張り出しました。

 詩は用語もまとまっていて、お気持ちが伝わってきます。

 ただ、平仄については承句と結句で合わない所がありますので、せっかくの詩ですので合わせて行きましょう。
 起句の下三字「東海に遷る」と読むのはやや苦しいところ。
 ただ、「出國信州」とすると分かりやすくはなりますが、説明的過ぎますね。
 読者に何とか雰囲気で分かってもらう、という形ですので、「東海」が必要かどうかも含めて、下三字はもう一工夫というところでしょう。
 「棲海邊(海辺に棲む)」とか。

 承句は下三字の平仄が「○●◎」で、「洞」は仄声です。
 この「曹洞禪」は大切でしょうから残すとなると、結句に入れるしかありませんね。入れ替える形で考えましょう。

 結句は「四字目の孤平」なのと「迎」が平声という所を直す必要がありますが、承句に持ってくるなら「老翁參萬復迎年」で平仄は落ち着きます。
 ただ、これだと「參萬」が「日」でなく「年」のようにも見えます。
「復新年」の方が良いですかね。

 転句はこのままで良いですので、「曹洞禪」を結句に持ってきましょう。
 平仄を合わせる形で語順を入れ替えて、「思索道心曹洞禪」


 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第357作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-357

  傍若無人 一        

 無視地球溫暖化   地球温暖化を無視して

 石油掘削再開號   石油掘削再開の号び

 約條破棄侮天下   約条の無視 天下を侮る

 大國盈憍日日騷   大国の盈憍(えいきょう) 日々騒がし

          (下平声「四豪」の押韻)


<感想>

 大統領に就任して以来のトランプ氏の発言や行動は、私だと「我田引水」かな、自分だけ良ければ良いという論理と、それを隠さない姿は、「仁」を今でも大切にしている日本人には聞くにも見るにも耐えられないものですね。
 人の痛みとか苦しみが理解出来ない人間が権力を握ると世の中はどうなるのか、まだ観客席から三文芝居を見ている立場で居ますが、嫌なものを見せられて退場もできないのは困ったものです。

 転句は本文と読み下しが違いますが、「無視」が重複するので直した本文の方が正解ですね。

 結句の「盈憍」は「傲りに満ちる」、本当に毎日が騒がしいですね。

 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第358作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-358

  傍若無人 二        

 大國小人群   大国 小人群がり

 音聲喝采雰   音声(おんじょう)喝采の雰

 約盟離脱恣   約盟 離脱恣に

 世界正紛紛   世界 正に紛々

          (上平声「十二文」の押韻)


<感想>

 トランプ政権の顔ぶれを見ると、やはり「類は友を呼ぶ」と言うか、起句に書かれた通りで「成り上がりの小人」ばかりの印象(偏見かな?)ですね。

 この起句のスパッとした表現は良いですね。
 批判や忠言を聞かぬお殿様と、おこぼれを狙う家老達、この配役でも人気があるのが不思議です。

 今パソコンで「政権」を入力したら「聖賢」が表示されました。
 機械にも嘆きが感染したようです。


 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第359作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-359

  四季櫻        

 寒山半日遠來尋   寒山半日 遠来して尋ぬ

 変態初看楓樹林   変態初めて看る 楓樹の林

 秋櫻一里憐白色   一里秋櫻 憐の白色

 C幽青女戀花心   清幽青女 花を恋する心なり

          (下平声「十二侵」の押韻)


<感想>

 転句は「の語順ですね。

 冬枯れの茶色っぽい風景の中で、薄紅の四季桜は本当にかわいいですね。

 承句の「変態」は表現がキツイですね。また、この形ですと「ちょっと変わった風樹の林を初めて看た」ということで、楓が主役になってます。
 ここは転句を生かすためにも「楓樹」の寂しげな様子を書いておくだけで良いでしょう。
「楓樹蕭然霜氣深」

 転句の語順は「一里秋櫻憐白色」ですね。
 ただ、「秋櫻」だと日本ではコスモスと読まれてしまう心配があります。「忽看淡紅櫻樹里」「一里櫻雲可憐色」

 結句は作者の工夫したところですね。「青女」は雪の女神ですので、この句は「女神が(冬でも)花が欲しいと思ったのかな」というロマンチックな結びで、四季桜の美しさを象徴的に語ったわけです。
 「C幽」が曖昧な言葉ですので、自分の気持ちということで「遙知」とかも面白いでしょう。


 by 桐山人(2025. 2月教室作品)

























 2025年の投稿詩 第360作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 2月の作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2025-360

  二月        

 新霽搜春深院C   新霽 春を捜して 深院清し

 一枝千蕾草芽生   一枝 千蕾 草芽生ふ

 花香未至遲光長   花香未だ至らずも遅光長く

 嬌鳥開憂歩歩輕   嬌鳥 憂ひを開きて 歩歩軽し

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

  庭の梅に蕾がつき始めてきました。
  まだ咲いてはいませんが、日が少し長くなって、鳥の声にも春を感じて気持ちが晴れやかになります
  そんな詩を作りたかったです。

<感想>

 起句は韻字の「C」がここで必要な情報かどうか、「庭院明」かな?

 承句は具体的で、直に目で見た印象がくっきり出ています。

 その分、転句でまた「花香未至」と梅の話に戻るのはどうでしょうね。
 結句から鳥を持ってきて、ただ「嬌鳥」は「美しい声で啼く鳥」なので、ちょっと時期的には早いかもと思います。
 下三字の「遲光長」は「長」を仄字で使いましたね。
 仄字の場合には「育つ」「生長」の意味ですので、「遲光」、つまり「春の光が育つ」ではおかしいですね。
 まとめると、「偶聞澁舌鶯聲短」でどうですかね。

 結句は「憂」が唐突です。「遲日悠悠歩歩輕」が収まり良いかと思います。

 by 桐山人(2025. 2月教室作品)