作品番号 2024-241
春分遇雨
郊墟古刹遠含滋 郊墟の古刹 遠く滋(うるおい)を含む
偃蹇暖霞終古枝 偃蹇(えんけん)たる暖霞 終古の枝
嫋嫋披猖垂到地 嫋嫋の披猖 垂れて地に到る
依微風笛放晴時 依微たる風笛 晴を放つ時
<解説>
しだれ桜の有名な寺(行福寺)でオカリナの演奏することになった。
樹齢三百年の木の様子を詩に出来たらと思う。
<感想>
「郊墟」… 郊外の村 「偃蹇」… 高くそびえる、多く盛ん 「終古」… 昔、永遠に
起句は、「滋を含む」のが「郊墟」なのか「古刹」なのか、「遠」が分かりにくくしています。
承句の「偃蹇」も「枝」に懸かっていくのだとすると、中の「暖霞」が邪魔ですね。
転句は枝を一杯に広げた古樹の力強さを印象的に描いていると思います。
結句の「風笛」は注に書かれた「オカリナ」ですか。
「行福寺」は地図で見ますと、岡崎に近い辺りで、樹齢二百五十年以上の枝垂れ桜が有名だそうですね。
今回は難しい熟語が沢山使われていますね。確認をしておきましょう。
「嫋嫋」… 風に揺れ、しなやかな様子 「披猖」… 狂ったように乱れる 「依微」… ぼんやり微か
眼前に在る「古刹」に焦点を絞るなら「遠」では合いませんので、別の言葉を考えましょう。
下三字は「雨」の字を入れた方が画面がしっかりするかと思います。
特にこの「霞」は詩題の「雨」がどこかに飛んでしまいますので、ここは「老櫻」「櫻花」として下五字をひとまとまりにすると、「偃蹇」の修飾関係もはっきりします。
「古」が起句と重複していますので、どちらかを直しましょう。
「依微」と弱々しく出すよりも、力強い形が下三字とも合うでしょうから、合奏だったら「一齊」なども面白いでしょうね。
作品番号 2024-242
松阪城觀櫻
塁壁堂堂聳碧空 塁壁 堂堂 碧空に聳ゆ
櫻花萬朶淡如風 桜花 万朶 淡如の風
情懷先哲舜庵句 情懐す 先哲 舜庵の句
幽賞流鶯春影中 幽賞す 流鶯 春影の中
<解説>
桜の季節に、松阪城・鈴屋を訪れたことを想い出し創りました。
舜庵(本居宣長)の句は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」
<感想>
転句ですが、「先哲」「舜庵」と重なりますので、ここに「先哲櫻花句」ともっと具体的にした方が印象が強くなります。
承句の方は「紅英」「淡紅」として、風の修飾語を考えると良いでしょう。
転句までの流れで、結句は「幽賞」が良いかどうか、これは考えていただきましょうか。
松阪城、桜、歴史と、色々な思いがうまくまとまっていますね。
後半は対句にしようという狙いですかね。
そうなると、具体的な歌の内容も分かりますので、上二字は「懷」よりも「吟」くらいの行動が合うでしょう。
作品番号 2024-243
梅剪定
破蕾先華點玉英 蕾破りて先華 玉英を点ず
拂柔柯歳歳爲榮 柔柯を払ひて 歳歳栄を為す
教親櫻不伐行某 親に教はる 桜伐らず 某は行ふ
一朶搜瓶絳蕚生 一朶 搜瓶 絳蕚生ず
<解説>
梅剪定の感想です。梅花枝を切るのが惜しいですが、生花にして楽しもうと思いました。
<感想>
承句の「拂」だけでは「歳歳榮」の理由になりません。「剪」としておくべきですね。
転句は「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」という言葉の言い換えですね。
結句は「捜瓶」は良いですが、その後に「絳蕚生」では順番が逆ですね。
起句の「先華」は「先開」でしょうかね。
「教親」では「親に教える」になります。
また、「某」を「梅」の古字として用いるならば、当然「上平声十灰」の平声になりますので、転句末字に使うことはできません。
ここは桜の話は不必要で、内容を混乱させます。
疑問なのは、「梅剪定」について、この詩だと花が開くや否や枝を切り取るという感じですが、そんなに早く剪るのでしょうかね。
起句と結句は「早春梅花」、中二句が「剪定」で季節にずれがあるように思います。
承句と転句は句の切れ目も不自然ですので、再考しましょう。
作品番号 2024-244
孫兒共業
吾當喜壽白須傷 吾当に喜寿 白須傷(かなし)まんや
已二七孫歸故ク 已に二八なる孫 故郷に帰る
筋骨隆隆援力穡 筋骨隆隆 力穡(しょく)を援(たす)く
新功共業興何狂 功新たに共業 興何ぞ狂す
<解説>
正月に遊びに来た孫に仕事の応援を求め、やり方がゲーム感覚で大変面白かったです。
<感想>
起句は下三字、「白須(白くなったあごヒゲ)」を「傷しむ」と読み、反語形にはなりません。
転句は下三字の語順、「力援穡」でないといけません。あるいは「正援穡」で、どちらも挟平格です。
結句も「新功」は「功新たに」と読むなら語順は「功新」、この「新」で「ゲーム感覚」という雰囲気を出したいのでしょうね。
最後の「狂」は一般に「(程度が)常軌を逸する」という意味です。
お孫さんに「穡(農作業)」を頼んだということですが、「筋骨隆隆」という立派な身体で、素直に手伝いをするというお孫さん、一緒に作業をしていても愉しかったことでしょうね。
ゲーム感覚の力仕事、というのはよく分かりませんが、嬉しそうなお気持ちがよく出ています。
承句への流れとして見ても、「傷しむ」の方が自然で、問題はありません。
承句に書かれたお孫さんの年齢ですが、本文は「二七」、読み下しは「二八」と違っていますので、統一を。
「功」でそれが出せるかというと疑問です。別の言葉をもう少し探すのが良いと思います。
意味合いとしては「無茶苦茶に面白い」というニュアンスで使ったと思いますが、お孫さんとの交流という場面としては字面が悪く感じます。
「下平声七陽韻」は韻字も多く、使える字は沢山在りますので、何でわざわざ「狂」を使うのか、と思います。
作品番号 2024-245
責孫女
一家無恙欲昇平 一家 恙無き 昇平を欲す
已二六孫女里迎 已に二六 孫女里に迎へ
壓歳錢欣窮不語 圧歳銭 欣び窮まりて語らず
問忘口笑謝辭耕 口を忘れたかと問へば笑って謝辞を耕(ほりおこ)す
<解説>
孫にお年玉を渡し、語り少し要求した問答です。
<感想>
承句は句のリズムを崩した理由が無いですし、「里迎」も語順がおかしいですね。
転句の「壓歳錢」は「お年玉」。この句もリズムが乱れていますし、「不語」では意志が働きますので「無語」で。
結句は「問」では何を問うたのか分かりません。
起句は「一家無恙」なのに「昇平」を「欲」すというのはどうですかね。「喜」の方が自然だと思います。
平仄的にも「四字目の孤平」になっていますので、直しましょう。上四字を「二六兒孫」にすれば、リズムも平仄も落ち着くと思います。
「忘口」も日本語ですね。お孫さんとのやり取りは、楽しい雰囲気が伝わって来ますが、せっかくの場面ですので表現をもう少し検討すると良いですね。
作品番号 2024-246
別ク友
ク友離憂乘渡船 郷友 離憂 渡船に乗る
蒼波落日起風漣 蒼波 落日 風漣起こる
一灣燈火別愁港 一湾 燈火 別愁の港
可惜去檣銀漢流 惜しむべし 去檣 銀漢の天
<解説>
瀬戸内海で育った私には港は身近で華やかな場所でした。今は寂れて閑散としています。
紙テープを投げていたのが懐かしいです。
<感想>
承句は「落日」で夕方、結句に「銀漢」がありますから、時間が流れていくという設定ですかね。
転句の「灣」と「港」も違いがあるのか無いのか、「一灣」は具体的な地名などが入ると良いですが・・・。
結句は去って行く友人の船と銀河を重ねる構図は印象的です。その分「可惜」が余分な感情に見えます。
起句の「離憂」と転句の「別愁」は同じ意味ですね。「故友將辭乘渡船」とか。
でも、友人の乗った船(「去檣)」が「銀漢」の下にまだ見えているという感じですので時間経過はおかしいし、どちらも同じ時間帯とすると夕暮に銀河が見えるのも妙ですね。
更に言えば、「波」と「漣」もかぶりますね。「漣」と残す形で行くと、「秋風瑟瑟起微漣」のような方向で。
友人ではなく自身が去って行くという設定は話が分かりやすいので、推敲してみると良いと思いますよ。
作品番号 2024-247
遊石垣島
凌波蒼海石垣島 波を凌ぐ蒼海 石垣島
粉蝶飛飛一剥衣 粉蝶 飛飛 一たび衣を剥ぐ
需餌小猴遊十指 餌を需める小猴 十指に遊ぶ
童心時止欲何歸 童心 時を止め 何ぞ帰るを欲せん
転句の「小猴」は注では「家族旅行の一員」と書いてありますが、ご自宅から連れて行ったのですか?
結句はお書きになったようには読めず、「時止」は「時に止む」、「欲何歸」は「欲して何ぞ帰らん」としか読めませんので、句の意味は逆になってしまいます。語順ミスです。
<感想>
起句は、波と海と両方は要らないので、「凌波」がどうしたか、あるいは「蒼海」がどんな状態なのか、を書いた方が良いですね。
その広々とした起句から、承句の「粉蝶」は視点の変化が大きすぎて、臨場感が消えます。
こうした旅の詩は、読者は基本的に共同体験はできないわけですから、より読者に寄り添う気持ちがより大切です。
例えば、堤防とか砂浜とか、間に一つ入ると、小さな蝶へ目が向かうことができます。
ここの「一剥衣」はよくわかりません。
もしそうなら、わざわざ詩に書く必要は無いですね。
「遊十指」は「指一本一本に遊んだ」ということで十匹くらいいることになります。「遊掌裏」でしょうね。
「無止」で「止む(こと)無く」、「不思歸」で一応収まります。
全体に、石垣島の思い出として「粉蝶」「小猴」がメインに出されるというのは、素材として妥当でしょうか。
「もっと他に無いの?」とつい突っ込みたくなるのが正直な感想です。
「蝶」や「猴」にどんな強い思い出があるのか、これを使うなら説明が必要でしょうね。
作品番号 2024-248
初夏
滿院菖蒲嫩紫鮮 満院の菖蒲 嫩紫鮮やかなり
蛙聲閤閤小池邊 蛙声 閤閤 小池の辺
拷A亭子桾覧 緑陰の亭子 薫風の裏
鯉幟翩翻五月天 鯉幟 翩翻す 五月の天
<解説>
連休に家族で知立公園に行きました。
初夏の日射しの中、菖蒲が綺麗でした。
<感想>
良い詩なので欲をかきますが、「閤閤」は蛙の声、「翩翻」は鯉のぼりの表現としては定番の言葉、このどちらかでも良いですから、自分自身の感覚で言い表すと、ご自分の詩集に載せるに足る作品になりますね。
起句で視覚、承句で聴覚、転句で触覚と言うか肌感覚ですね。
でも確実に「菖蒲」や「小池」「緑陰」「亭子」を配して、具体的な景がしっかりと目に入るようにして、良い構成、素材の配置になっていると思います。
悩ましいのは、結句の「五月」で、漢詩流の旧暦の「五月」は新暦では六月くらい、もう仲夏、でも「四月天」とすると日本の感覚的には鯉幟は早過ぎるし、作詩の時に悩んだことと思います。
こういう微妙な部分は「逃げるに如かず」で、私でしたら「初夏天」と別の言葉にするとか、「C朗天」と空の形容を使うようにします。
「初夏」という詩題は変更しても良いですし、この詩の場合でしたら、場所をもう少し明確にしても良いかと思います。
作品番号 2024-249
大浜逍遙
江城漾黒イ墻連 江城 緑を漾はし 粉墻連る
C晝無人古社前 清昼 人無く 古社の前
藤蕊垂纓櫻亂落 藤蕊 纓を垂れ 桜乱れ落つ
桾酪K習到橋邊 薫風 習習 橋辺に到る
<解説>
碧南・大浜の川べりの町を歩きました。昔からの街並みと、晩春から初夏への季節の移り変わりを感じました。
結句下三字を「意悠然」として、逍遥の気持ちよさを表すか迷いました。
<感想>
全体としては、景色も丁寧に描かれていますので、良い詩だと思います。
良い景色が出ていますので、推敲で愉しんでください。
まず、悩まれた結句の下三字、「意悠然」はあまり良くないですね。
心情を表す言葉は、詩全体からジワーと感じられるのが基本で、それを文字で書いてしまうと、すっきりはしますが余韻も余情も消えてしまいます。
例えば「意」を「歩」と変えるだけでも、感情を表した言葉が行動、つまり叙景に変わり、落ち着きます。
あるいは、どんな「橋」なのか、「到」は別の言葉は無いか、などと探してみるのも良いですよ。
題名ですが、「大浜」だけですと一般名詞ともとれますので、地名だと分かる王にするには「三州大浜」かな、もう少し町が限定できるような言葉を入れると良いですね。
素材としては、「櫻亂落」と丁度同じ画面で二つの物が見られた、ということですが、藤を強調して、色とか揺れる様子など、「風」を転句に入れても良いかも。
そうすると、結句に自由度が出ますね。
作品番号 2024-250
初夏偶成
羽短差池燕學飛 羽短し 差池 燕飛ぶを学ぶ
蝸牛雨潤上柴扉 蝸牛 雨潤ひて 柴扉に上る
茫乎知見繁華跡 茫乎 知見 繁華の跡
簇簇夏雲倚暮暉 簇簇(そうそう)とした夏雲 暮暉に倚る
承句は「蝸牛上柴扉」が句の主語と述語ですので、「雨潤」ですと別の主語が入り込む形、勿論そうした構成もありますが、ここは「喜雨」と蝸牛の主語で統一した方が分かりやすいでしょう。
結句の「簇簇」は「群がり集まる」こと、「簇(ささ)」が群生する様子を表した言葉です。
<感想>
起句の「差池(しち)」は『詩経』が出典の言葉ですね。「燕燕于飛、差池其羽(燕燕于きて飛び、其の羽を差池す)」とありますが、「互いに入れ違う、不揃い」の意味です。
「羽短」や「學飛」は子燕が巣立ち始めた様子でしょうね。そうなると、最初に「幼燕」とまず出しておくのが良いでしょうね。
ただ、結句はもう雨は上がっていますので、転句で雨が止んだことが入れば良いです。
逆に、転句では書かないならば、承句の中二字で「雨過」と書く必要があります。
ここは、夏の雲がもくもくと湧いて、夕日に近づいているというのでしょう。
「倚」は仄声なので「四字目の孤平」になってしまいますね。「依」にしておきましょうか。
前半の可愛らしい生き物の姿から、結句で雄大な景色へと進み、ダイナミックな印象が良いですね。
作品番号 2024-251
初夏
殘花委地送春時 残花 地に委し 春を送る時
新樹扶疎草又肥 新樹 扶疎 草又肥ゆ
桾欄ョ處多生意 薫風動く処 生意多し
静坐無心對夕暉 静坐して 無心 夕暉に対す
承句の「新樹」は「扶疎」と「新」が重なりますので、「林樹」「園樹」が良いです。
この時季は、春が終る寂しさと新しい夏を迎えた歓びの両面が現れるわけで、その同時性を結句がうまく表しています。
<感想>
春の視点から起句、承句から夏の視点へ移動するのは、季節の推移と同じで分かりやすいですね。
下の「又」は「亦」「復」も考えられますので、比較検討してみましょう。
全体に落ち着いた詩で、結句も結びとして余韻が残り、良いですね。
ただ、ちょっとしんみりし過ぎのようにも感じますので、「夕暉」を「午暉」とすると、転句までの景色が夕方から昼に移行し、明るさが強くなると思いますよ。
作品番号 2024-252
小豆島天使道
殘星雲錦澹晨光 残星雲錦 晨光澹(あわ)し
蚤已落潮銀浪香 已蚤(つとすで)に落潮 銀浪香(かんば)し
路出開通前小島 路は出で開通す 前の小島
閑閑渡歩海風涼 閑閑渡歩 海風涼し
<解説>
「エンジェルロード」は小豆島にある、一日2回、干潮時になると現れる、近くの島をつなぐ砂浜の道。
大切な人と手をつないで渡ると、願いが叶うと言われているロマンティックな場所だそうです。
<感想>
承句は「夙」が自然ですが、「早くも」となります。
転句の方を「一路落潮維小島(一路 落潮 小島を維ぐ)」とひとまず押さえて、ここで「一路」に「天使」が表すような奇跡のようなイメージを加える言葉が見つかると良いですね。
起句の「雲錦」は「錦のように美しい朝霞」、「殘星」との対応が効果を出していると思います。
「落潮」は風雅な言葉で引き潮、下の「銀浪香」だと潮が満ちてきた方が合うと思うのですが、どうですか。
逆に転句の「路出」の方に寄せた方が意味がしっかりしますね。
承句の方は「海峡睫前」のような形でしょうかね。
作品番号 2024-253
訪下田
風暖吹來伊豆津 風暖かく吹き来る伊豆の津
遊觀盡日滿村春 遊観 尽日 満村の春
北ク懷古開邦港 北の郷 懐古 開邦の港
悲運名花最愴~ 悲運の名花 最も神を愴(いた)ましむ
転句の「北ク」はどこを指すのか、ちょっと分からないのですが、下田の北部ということですかね。そうだとすると、その情報は必要なのかどうか、「此郷」ではいけませんか。
結句もよく分かる表現になっています。
<感想>
前半は穏やかな海村の風景が感じられます。
それとも別の場所だとしたら、それが分かるようにしたいですね。
ここの中二字を「往昔」にした場合に上の「ク」が「孤平」になることを心配されているようですが、七言絶句については、「孤平」が問題になるのは「四字目」についてですので、二字目が孤平になっても大丈夫です。
句末の「港」は起句の「津」と重なるように思いますから、下三字は「初開國(初めて国を開く)」、あるいは「港」を「地」にするだけでも重複感は無くなるでしょう。
作品番号 2024-254
山寺花模様
光風曲巷拷A中 光風の曲巷は緑陰の中
空院萋萋樹色同 空院は萋萋 樹色同じ
再訪丹葩紅影亂 再訪す 丹葩 紅影乱れ
映陽花杪望蒼穹 陽に映ず 花杪から蒼穹を望む
<解説>
人の手の入らなくなった山寺の初夏の様子です。
一度目から四、五日経った後で行って、そこの景色の移り変わりにビックリしたので作りました。
<感想>
承句の方は、「萋萋」が「草木のさかんに繁る様子」、句としては良い形ですが、起句にも「緑陰」がありますので、やや勿体ないかな。
承句は「香vの字を入れたいので、「告F同」とか「告F中」でも良いでしょう。
転句は何の花なのでしょう、中二字に具体的な季節の花の名前が入ると、時の流れを表すこともできますね。
結句は、「花」が「葩」と同じです。
明るい日射し、草木の新緑、誰も居ない庭、前半は初夏の趣がよく出ていますね。
起句の方を直す形で、丁度「風」が「上平声一東」韻ですので、これを句末に置くようにしたいですね。
「夏初曲巷遍光風」。
転句に花の名前が入るなら、「花」で良いです。
作品番号 2024-255
梅天喜晴
雨霽青蒼意豁然 雨霽れ 青蒼 意豁然たり
池頭未草轉C姸 池頭の未草 転た清妍なり
飛來蜀鳥南椏n 飛び来る蜀鳥 南薫渡る
日照拷_漂碧漣 日は緑雲を照らして 碧漣に漂ふ
<解説>
「未草(ひつじぐさ)」は「睡蓮」のことだが、「睡蓮」だと冒韻なのと平仄が合わないために「未草」にしました。
<感想>
承句は「睡蓮」が使いたかったということ、うーん、「未草」だと画面がぼやけて感じます。
転句の「南栫vを生かすなら「風」を「氣」にして「轉C姸」に戻す形になります。
起句は「青蒼」と同じ色を重ねましたが、辺り一面青青とした木々に囲まれたというイメージでしょうかね。
何が青いのかが出せると良いのですが、「雨霽樹青心豁然」とか。「意」を平字にすると、中二字の選択肢が増えます。
結句を見ると「香v「碧」とまた似た色がありますが、起句を優先して「告V」などを使うのも考えられます。
韻字ということならば逆に使うことにしてはどうですかね。結句ならば入れることができます。「日照池頭紅睡蓮」とか。
そうなると、承句は「雲」を持ってきて、後は「漣」を使うか「姸」を使うかですが、転句の目線は高いですし、「雲」があるなら「漣」ではない方が良いですかね。
「雲流風爽」などとすると、下も「氣C姸」として対句に持って行けます。
転句は承句に「風」を使っちゃうと直さなくてはいけません。
鳴き声を使って下三字を「高聲渡」でも良いかも知れません。ご検討を。
作品番号 2024-256
梅雨
數株梅子欲収初 数株の梅子 収めんと欲する初め
雨氣園林密又疎 雨気 園林 密又は疎なり
破屋茅檐庭院寂 破屋 茅檐 庭院寂に
蝸牛試篆月光書 蝸牛 篆を試む 月光の書
<解説>
蝸牛の這う跡が文字の跡に見えるというのは無謀でしょうか。
<感想>
承句はこのままで良いです。
転句は「破屋」ですと人も居ない荒れ果てた印象ですので、「茅屋南檐」が良いでしょう。
結句は、カタツムリの動いた跡が篆書の字のように見えるというのは、「蝸篆」と言う言葉がありますので問題ありません。
起句は「梅子」ですので、「數珠」の書き間違いですかね。
数を言うよりも「碧珠」「克」と色を出してはどうですかね。
下の「月光書」は月明かりの下で光る文字という話ですね。
印象に残る結びで、ドキッとするような美しさが感じられます。
作品番号 2024-257
小垣江觀螢
夏夜水邊螢亂飛 夏夜 水辺 螢乱飛す
一星流迸點吾衣 一星 流れ迸り 吾が衣に点ず
熒熒明滅如瓔珞 熒熒 明滅 瓔珞の如し
風靜淙潺涼氣微 風静かに淙潺 涼気微かなり
<解説>
梅雨の時期に刈谷市の小垣江に螢を見に行きました。一匹の螢が私の服にとまり、感動しました。
<感想>
結句の「風靜」ですが、通常は「螢亂飛」を見ている時には「風」は気にならない、つまり吹いていない状態だと思います。つまり、転句までの場面では、已に「風静か」と理解していますので、そこにまた「風靜」と来ると、「風静まり」と読んで、「今まで風が吹いていたのか」と思ってしまいます。
起句に「夏夜靜風」と持ってきて、結句に「水」を置いた方が分かりやすくなりますね。
承句は「迸」が勢いよくて、「一星」というか弱そうな描写とは合いません。「流落」で良いでしょう。
転句の「瓔珞(ようらく)」はお寺のお堂にぶら下がっているキラキラした飾りですが、これも「一星」には合わないので、視点が「亂飛」の方へ移ってしまいます。それならば、「瓔珞」を承句に持って行き、前半は群螢の話にするのが構成的には良いです。「熒熒瓔珞暗叢輝」かな。
転句で「自分の服に一匹飛んで来た」ことを書けば、結句で水の流れる音が来れば、聴覚も加わり、画面が奥行きが出て来ますね。
作品番号 2024-258
初夏閑吟
桾苓ヌ雨轉C涼 薫風 雨霽(や)み 転た清涼
藤架引梢紫色香 藤架 梢を引きて 紫色香し
掠水燕雛廻上下 水を掠むる燕雛 上下に廻る
田禾到處自生光 田禾 到る処 自ずから光を生ず
<解説>
家の近くを散歩して風景を詠みました。
<感想>
承句の「藤架」は藤棚ですね、棚が「梢を引く」というのはどういう場面か悩みますね。
結句は「田禾」ならば「禾が光る」、「禾田」ならば「田が光る」。
起句は「雨霽」の語順です。
四字目の孤平でもありますし、ここで藤のことを完結させるならば、「紫蕊條垂藤架香」ですね。
画面が拡がるのは「禾田」の方でしょうね。
作品番号 2024-259
初夏漫興
憶昔柔桑葉不摘 憶ふ昔 柔桑 葉を摘むべし
舍東細麥並纖姸 舍東の細麦 繊妍並べ
如今蟬響已春過 如今 蝉響き 已に春を過ぎる
飛燕銜泥首夏天 飛燕 泥を銜(くわ)へ 首夏の天
<解説>
昔と今を対比しました。旧は桑摘、麦刈 今は田の光影
<感想>
この素材ですと、昔も今も変わらず初夏の景色だとなりますので、「憶昔」「如今」を削る形で行けば話としてはまとまると思いますよ。
起句は本文と読み下しが合いませんね。「摘まず」なのか、「摘むべし」なのか。
昔と今がどう対比されているのか、違いがはっきりしませんね。
現在の姿として「蟬響」「飛燕」が昔は居なかったのなら分かるのですが。
作品番号 2024-260
樂石垣島鍾浮洞
門戸醉芙蓉赤鮮 門戸 酔芙蓉 赤鮮やかなり
水琴水雫響音連 水琴 水雫 響音連なる
海生鍾浮龍宮似 海から生じ 鍾乳 龍宮に似たり
熱帶空間物外牽 熱帯 空間 物外に牽く
<解説>
貝の化石を見て、海中から出来た鍾乳洞と知りました。
<感想>
起句は「醉芙蓉」を使うのは良いですが、この位置ですと、切れ目がおかしいですね。
承句は「水琴」「水雫」は何かよく分かりませんので、注を添えておくと良いですね。
転句の下三字は語順に無理があります。
結句の「空間」は本来は「地域」でしょうが、それを「空間」というのはどうか。「風光」くらいが自然だと思います。
題名も含めて、「浮」は「乳」の間違いですね。
「二・二・三」あるいは「四・三」のリズムは出来るだけ守るようにすると、詩が落ち着きます。
この場合には一番良いのは「醉芙蓉花」と上四字に収める形ですが、平仄が合いません。
ひとまず「花醉芙蓉赤色鮮」としましょうか。
本来は「似」が上に来なくてはいけませんので、ここは「龍宮殿」と比喩を直喩から隠喩にしましょう。
作品番号 2024-261
懷春分廿一日
公轉地球時候流 公転 地球 時候流る
春分廿一毎年収 春分 廿一 毎年収む
妻尋祝日違何事 妻に尋ぬ 祝日 何事ぞ違ふ
閏日忘乎笑點頭 閏日 忘れたかな 笑ひて点頭す
<解説>
妻との会話を取り上げてみました。
<感想>
春分は計算で出しますので、年によって変わります。
転句は、これですと「妻が尋ねた」になります。目的語は述語の後に来ます。
最後の「笑點頭」は微笑ましい場面ですので、ここだけ残して上四字は検討してください。
こちらの書き出しは雄大で良いですね。
今年は二十日、来年も再来年も春分は二十日で、「閏日」は直接関係しません。
となると、この「廿一」は記憶として残っている話ですので、削った方が良いでしょうね。
作品番号 2024-262
長春花
強風猛雨幾酸辛 強風猛雨 幾酸辛
獨立炎陽洗暑塵 炎陽に独立し 暑塵を洗ふ
盛發静落猶未了 盛発静落 猶未だ了(お)わらず
花期脈脈更無倫 花期脈脈 更に倫(たぐひ)無し
「長春花」… 日日草。半年以上、風雨暑さに負けず静かに咲き続けます。
「盛發」… 花が満開
「更無倫」… 比べるものがない
<感想>
結句は「脈脈」で長さが伝わるかどうか、そのままストレートに「半歳」とするのは大胆過ぎますかね。
他のところは良いですね。
起句は「強風」と「猛雨」で対応がよく分かりますが、承句は「獨立」が「炎陽」と対にならず、拍子抜け。
後ろを見ると、転句でまた対が出て来るので、上四字を入れ替えてはどうでしょうね。
作品番号 2024-263
篆刻
古代篆文方寸涵 古代の篆文 方寸に涵(いれ)る
字圖所思獨敲姿 字は 所思を図して 獨り姿を敲く
刻如鼠齧樂心地 刻むは 鼠の齧るが如し 心地を楽しむ
印整均衡更果湛 印 均衡に整ひ 果を更に湛(たの)しむ
承句は韻字が合いませんので、ここは直しましょう。
承句からは、「字は・・・、刻は・・・、印は・・・」という展開は、説明文のようになってしまいます。
転句の「鼠囓」の比喩ですが、これで「樂心地」という人は居ないですね。別の例えを探した方が良いでしょう。
結句は「果」で何を表しているのかが分からないですね。
<感想>
起句の「方寸」は通常は心のことですが、ここは文字通りの「一寸四方」の印の大きさを表したのですかね。
せめて結句だけは、全体をまとめるような流れが良いですね。
作品番号 2024-264
篆刻佳品
布字篆文方寸涵 布字 篆文 方寸に涵る
剛柔彫石鈍刀探 剛柔 石を彫り 鈍刀は探る
似傷古代卜亀甲 傷に似る 古代 卜いの亀甲
偶出絶佳愉悦覃 偶たま 絶佳出れば 愉悦は覃なり
承句は「鈍刀」が良いのでしょうか、「鈍」を入れた意図が分からないです。
転句の比喩は、これも「傷」ではマイナスイメージです。
結句は「偶出」が運次第ということで、素直な表現だとは思いますが、話としては「逐鏨(鏨を逐らせ)」くらいで展開した方が分かりやすいと思います。
<感想>
起句の「布字」は篆刻の作業の中の一つ、文字を石や木に逆さまに転写することですね。
作品番号 2024-265
夕暮散歩
寒林雁去夕陽沈 寒林 雁去り 夕陽沈む
山色峰峰落葉深 山色 峰峰 落葉深し
獨歩荒園聲細細 荒園 独歩すれば 声細細
歸閑野徑晩鐘音 閑かな野径を帰れば 晩鐘の音
※
<解説>
夕暮れのさびしい散歩道
<感想>
最後の「晩鐘音」が余韻を醸し出しています。
戻って起句からですが、「寒林」は悪くはありませんが、「空林」として「誰も居ない」ことを出しておけば、転句の「聲細細」と同じような趣は出せると思います。
承句は「山色」が下の「峰峰」と重なりますので、「遠近」「遙望」などが良いでしょう。
転句は「荒」ですと「寒(空)林」と同じようなニュアンスになりますので、「ク村」「郊村」で。
結句は「歸」は「晩鐘」があるので必要無いでしょうから、「靜閑野徑」でどうでしょう。
寂しげな夕暮れに歩く気持ちが良く出ていますね。
ただ、直前に「声細細」と音が出ていますと、重なる印象になります。ここは「聲」でなく「風」としておくと良いですね。
作品番号 2024-266
宿望一夜
窗寒乘興醉成天 窓寒く 興に乗じ 酔うて天を成す
舊處客人獨不眠 旧処の客人 独り眠らず
宿望觀悦千里遠 宿望の観悦 千里遠く
遙憶碧景故ク邊 遥かに思ふ 碧景 故郷の辺り
<解説>
長い間楽しみにしてきた景色の良い宿でも、故郷の空を思い、眠れなかった一夜でした
<感想>
承句は起句の楽しさを受ける必要がありますので、「素望得嬴山水邊」「素望嬴(か)ち得たり 山水の辺」
転句の四字目、結句の二字目は平仄が違いますので、結句から貰ってきて「猶憶故ク千里遠」「猶ほ憶ふ 故郷 千里遠く」。
起句の「成」と結句の「爲」が重なるような気がするなら、起句の方を直した方がよいですね。
また、題名は「旅宿一夜」「秋夜旅宿」としておくと良いですね。
起句は「窗寒」と下の「乘興」「醉」「成天」という楽しげな言葉と繋がりが弱いですね。「宿坊」としましょう。
結句は「寒窗孤客未爲眠」「寒窓 孤客 未だ眠りを為さず」でどうでしょう。
作品番号 2024-267
立春偶成
嫩日風和草木蘇 嫩日 風和らぎ 草木蘇(よみがえ)り
喈喈春鳥互相呼 喈喈と春鳥 互ひに相呼ぶ
不知昨夜過微雨 知らず 昨夜 微雨過(よ)ぐるを
數朶庭梅發馝濡 数朶の庭梅 馝(かおり)を発して濡(うるお)ふ
「喈喈」… 鳥がむつまじく鳴く声
「濡」… しっとりとぬれる
<感想>
転句は「春曉」を思わせるような展開ですが、立春ですので、まだ花が落ちることはありませんね。
「濡」が韻字で丁度良いというのはありますが、「帶露梅花」と雨をもう少し印象つけても良いと思いますよ。
起句の「嫩日」は「昇ったばかりの太陽」、これで朝の景色だと伝える狙いですね。
「風和」「草木蘇」「喈喈春鳥」など、春を感じさせるのが前半。
梅の花が雨を纏って香を放っているということで、転結を繋いでいますね。
作品番号 2024-268
早春偶成
江村蕭寺老梅 江村の蕭寺 老梅たはり
已發玉葩春意生 已に玉葩を発いて 春意生ず
冷蕊孤芳疎影外 冷蕊 孤芳 疎影の外
初聞黃鳥兩三聲 初めて聞く 黄鳥の両三声
承句と転句の二つで梅の花をしっかり描いていますので、詩題も「偶成」ではなく「梅」の字を入れてあげた方が落ち着きます。
結句は「初」が早春を表していますが、転句まででも十分に伝わりますので、ここは「時」「偶」が良いでしょう。
<感想>
起句の「蕭寺」は「静かな寺」ということでしょうかね。
作品番号 2024-269
不去探望
一朶紅梅露未乾 一朶の紅梅露未だ乾かずして
大寒侵曉畏春寒 大寒の侵暁 春寒を畏れる
舊人病臥雨餘里 旧人病臥す 雨余の里
和氣消風会面難 和気は風に消え 会面難し
<解説>
ちょうど大寒の日は雨が降ったりやんだりで、病気の友達のお見舞いをしたいけれど、寒さに会えなくなったことを詩にしました。
詩は少し前に作ったものなので、まだ寒さが残る感じで、冷たい朝を表現したかったです。
題の「不去探望」の「探望」は見舞いを意味させたかったのですが、分からなかったので現代中国語から持って来たので、違えば教えてください。
一枝の紅梅は未だ乾かず
大寒の朝は春の寒さを恐れる
友達は病気で雨後の里におり
春の気配は風に消えて会うことが叶わない
<感想>
友人が病気であるという情報は詩中にありますので、題名は「訪友不逢」でも良いと思います。
検討するところとしては、起句の「露未乾」、「露」の理由になる「雨余」が出て来るのが転句ということですので、ここで「露」が分かるかどうか。
また、承句の「寒」の字の重出ですが、これは効果的と見られるかどうか。
承句では、もう一つ、友人を見舞うという設定で「侵曉」という時間帯で良いのか。
転句は中二字「臥病」、下三字は場所でも良いし、「約期日」でも。
結句も「大寒」で行くなら「和氣」は疑問ですので、「短景」「短日」。
「探望」には「(はるばる)見舞いに行く」という意味が現代語にはありますが、漢詩では通じますかね。「良い景色を求めて遠くまで出かける」となりそうです。
「去」も同じで古典語としては「去らず」であり、現代語の「行かず」の意味には取れません。
あるいは、「約病友不逢」。
ちょっと間が空きすぎるかな、という気がしますね。
旧暦と新暦がややこしく、正月に「迎春」と言っていますが、「大寒」と書くとこの詩は「二十四節気」で季節を考えますよと宣言するわけです。
「大寒」は立春の前、つまりまだ春になっていないのに対して「春寒」は春先の寒さですので違和感が残ります。
となると、承句に「雨上がり」という情報を入れるようにして、「閑庭雨後畏春寒」。
この形ですと「大寒」は削りましたので「春寒」で良いですし、「大寒」の詩だということならば「春寒」を「殘寒」として、題名に「大寒」を入れると良いでしょうね。
中二字は「風嚴」など。
作品番号 2024-270
寒梅
寒日山門不見人 寒日 山門 人を見ず
石庭泉水淨無塵 石庭 泉水 浄くして塵無し
千年碧蘚含霜露 千年の碧蘚 霜露を含み
一朶白梅唯識春 一朶の白梅 唯だ春を識る
<解説>
以前、寺で見た梅をイメージして作りました。
<感想>
詩題の「寒梅」を最後に持ってきたのは、工夫されたところでしょうね。
起句の「寒日」は「不見人」の理由を示していますが、これはちょっと説明的かな。
転句は「碧蘚含露」ですと夏のイメージ、「霜」を入れて冬にもって来たわけですが、寒い季節も苔は青青としているのでしょうか。
山門から入って行き、庭を眺めて、苔へと視点の移動が自然で、実際にお寺を歩いている雰囲気が出ていますね。
ふと目を動かすと白梅が見え、春の来たことを示しているということで、結びも印象的です。
「千年碧蘚」とあるように歴史のあるお寺のようですから、「古寺」という言葉も入れておきたいですね。
題を「古寺看梅」「古寺節分」、あるいは「寒日看梅」として起句の書き出しを「古寺」とするのも考えられます。
これは単純な私の疑問です。