作品番号 2024-301
杏里
科野朝煙包一塵 科野の朝煙 一塵を包む
杏今栽培改良遵 杏は今 栽培 改良に遵る
勤行努力馳懷古 勤行 努力 懐古に馳せる
宿老安全無苦 宿老は安全 苦無く堰iととの)ふ
<解説>
「千曲」… 千曲市、昔更埴市。
更埴市訪問は二回目。一周間早過ぎてまだ蕾でした。
前回来た時の、桃源郷のような雰囲気や、杏の甘い香りはなく、品種改良で白い花が二、三輪咲いていました。
<感想>
更埴市は「アンズの里」で有名ですね。
起句の「一塵」は何の繋がりがあるのか、悩みます。「煙」と「塵」も似ていますので、「科野杏村包曉塵」などで。
承句は「杏」は要りませんので「現今」。
転句は、改良のために努力しているということは分かりますが、下三字は誰が「懷古」しているのか、これは「改良」を否定しているのですかね。
結句の「宿老」は、きっと杏栽培のベテランということでしょうね、そのまま読むと「年寄りは安全に苦労もせずに整える」ということで、そうなると、ここも品種改良の「勤行努力」を否定する形で、詩がまとまらないですね。
どこで食い違ったのか、検討してください。
作品番号 2024-302
走中部縦断道
初夏遊行天未明 初夏 早朝 天未だ明けず
高程縦断靄然横 高程 縦断 靄然横たふ
短長隧道雨師動 短長の隧道 雨師の動き
出岳陽光一望平 岳を出れば 陽光 一望平かなり
<解説>
千曲市に向かう往路、山岳を走れば悪天候、心配しましたが悪天候は山だけでした。
<感想>
静岡から千曲市へということですと、この道路は「中部横断(自動車)道」ですね。日本列島を縦切りにするか輪切り(横切り)にするか、場所によっては東西と南北が変わることもあり、ややこしいですね。
起句の読み下しは初案の名残りかな、「早朝」では下と重なりますので「遊行」の方が良いですね。
承句の「高程」は「高い所を走る道」という意味でしょうか、「程」よりは「途」、あるいは「山間」ではどうでしょう。
最後の「靄然」は何が「靄然」なのか、このままですと「靄然」が「」たわるという表現になります。「」の主語をはっきり出すか、「雲」として「雲」の修飾語(「白」「淡」「薄」など)を考えるか、ですね。「雨雲」と出しても良いでしょう。
転句の「短長」は「長短」と同じ、この語は下に持ってきて、「重長短」。上二字でトンネルの様子を表しましょう。
結句は「山を抜けたら晴だった」ということで、「良かった」という気持ちが出ています。「一望平」という言葉で「辺り一面が見渡せる」、つまり、雨も上がったし、開けた場所になったということで、実感を伴った良い表現です。
となると、頭の「出岳」がいかにも付け足しに感じます。思考の流れとしては分かりますが、そのまま書く必要はありません。ここは感動の気持ちが強くなるように、「忽識」「卒遽」とかでどうでしょう。
作品番号 2024-303
虐待狂親
文章切切請容赦 文章 切切 容赦を請ふ
制食痩身無識休 食を制し痩身せらる 休を識らず
公吏逡巡関与厭 公吏 逡巡 関与厭ふ
親権偏重世論憂 親権 偏重 世論は憂ふるなり
そうした憤りの気持ちを詩にする時は、客観的な自分が傍に居ないと、感情だけの詩になってしまい、注意が必要です。
承句は、ここだけ読むと、「食事制限のダイエットに夢中になった」と読みそうな穏やかさで、もっと厳しい表現が欲しいですね。
後半は、結句への流れがやや飛躍していますが、これくらい勢いがあった方が良いですよ。
<感想>
虐待の報道が続き、本当に胸が痛みます。
子供たちが、身体だけでなく心までも痛み傷ついたことを思うと、親とは名ばかりの未熟な大人への怒りも抑えられません。
教育、行政、地域の連携が何よりも求められること、本当にその通りだと思います。
この詩の場合には、起句の内容が読者には伝わりません。
これは題名に寄り掛かり過ぎで、「虐待」の話だと作者は分かっているつもりで書き始めてますが、読者は「文章」と言われてもピンと来ません。
この句は必要かどうか、疑問ですね。
例えば「児童虐待尚無留」と主題をまず述べるのも良いでしょう。
「痩身」は「害身」、下三字ももっと強い表現を考えて下さい。
作品番号 2024-304
初夏即事
雨餘白屋坐南軒 雨餘 白屋 南軒に坐す
觀樹掌中茶碗温 樹を観れば 掌中 茶碗温かなり
妻女評詩吾反駁 妻女 詩を評し 吾に反駁
襟懷日日共談論 襟懐 日日 共に談論す
<解説>
わたしもとうとうこんな日々を送るようになったかと苦笑。
<感想>
さて、詩の方ですが、穏やかな時間の流れが感じられますね。特に起句は良いです。
承句は「観樹」ですが、そのことと手の中の茶碗が暖かいことは無関係ですが、詩では関係ありそうで悩みます。
転句は下三字、「吾に」という目的格ならばこの語順では無理です。
結句では、「日日」は下三字に掛かりますので、連日詩を議論する、というのは多過ぎませんか。
奥さまと詩を談じ合う、これは素晴らしい奥さまですね。
私のところは、妻とはとても難しいので、孫に期待して何とか漢詩に興味を持たせようとしていますが、さて、うまく行くかどうか。
起句の方を「對南軒」として、こちらに「坐」を持ってきましょう。
この形ですと「吾は反駁す」で、それでも句意は矛盾しませんので、奥さまの意見に私が反論した、としておきましょう。
ここは控え目に「半日」、あるいは「怡暢」「舒暢」などとしても面白いですね。
作品番号 2024-305
小港
灯火微微波上舟 灯火微微たる 波上の舟
漁翁戴笠水悠悠 漁翁 笠を戴して 水悠悠
行帆一葉向何処 行帆 一葉 何処へと向かふ
月下潮声入海流 月下の潮声 海流に入る
<解説>
港から漁師の出航を眺めている詩です。
月夜に一艘の小舟が海へと出るところを描きたかったです。
ぼんやりとした漁り火に漁師の姿が映し出され、最後に波の音とともに月光の中に消えていく・・・・
そんな感じを出したかったのですが、結句に自信がありません。
波上の舟に漁り火が微かに見え
漁師は笠を被って水は悠悠としている
去りゆく帆はどこへいくのやら
月の下の波音は海流へと入ってい
<感想>
承句の「水悠悠」が奥行きを出し、転句の「向何処」とよく対応をしています。
例えば、漁り火が波間に浮かび、舟が一艘流れて行く中で、月が照らしていた方が良いのか。
最後の「入海流」は「海に入りて流る」と読んで、王之渙の『登鸛鵲楼』の一節ですね。
起句は「微微」で微かに見えるというのは直接的で、「熒熒」(遠く小さくきらきらと輝く)が「星」とか「遠くの灯り」などに使われます。
「纎纎」も詩的な感じがしますね。
この場合には舟がしっかり見えているようですので、光を強めて「搖搖」なども良いでしょう。
この二句のまとまりが良いので、転句で詩が完結してしまい、結句の必要性が無くなっています。
つまり、この景色の中で、締めくくりの句として何を出すか、前半とあまり変化の無い素材ですと、うまく行けば「まとめ」になるし、インパクトが弱いと蛇足になってしまいます。
もし、月を配置するならどんな月が良いか、更に言えば、この詩は季節が出ていませんが、無季のままで良いのかどうか。
作品番号 2024-306
戰後修學旅行
雨過拂曉汽車奔 雨過ぎ 払暁 汽車は奔り
上野驛亭蟬噪喧 上野の駅亭 蝉噪喧(やかま)し
地下通路孤子並 地下通路に孤子並び
一齊展弁缶空陳 一斉 弁を展けば 缶空陳す
<解説>
オート三輪で雨中、駅へ送ってもらい、蒸気機関車四時間で上野へ。
地下洞の孤児達は昼食の我々に空き缶を差し出して物乞いを。
<感想>
前半は内容も伝わりますし、平仄の点でも規則外れは無いです。
転句の「路」は仄声ですので、「地下道頭」としましょう。
結句の末字、「陳」は「上平声十一真」ですので、押韻が合いませんので直す必要があります。
題名は「私の修学旅行」とのことですが、うーん、内容は七十年以上前、「戰後」とさせていただきました。
中二字の「展弁」もわかりにくいです。
まずは「午餉」「午食」としてお昼ご飯の時だと示しましょう。
韻字を探すと「盆」が使えそうですので、「捧空盆」「出空盆」ですかね。
作品番号 2024-307
春遊
遠近嬉春萬朶櫻 遠近 嬉春 万朶の桜
不寒不暖好清明 寒からず 暖かならず 好清明
前川滾滾東風渡 前川 滾滾 東風渡り
富嶽皚皚烟霧生 富岳 皚皚 烟霧生ず
滿目紅塵凝望眼 満目の紅塵 望眼を凝し
吹顏香氣動吟情 吹顔の香気 吟情を動かす
遊人高詠踏花影 遊人 高詠 花影を踏み
一路長堤雙屐輕 一路 長堤 双屐軽し
<解説>
「前川」… 富士川
「滾滾」… 水がさかんに流れるさま
「皚皚」… 雪の白いさま
<感想>
不寒不暖好清明 寒からず 暖かならず 好清明
句の展開としては落ち着いたように思います。
語句の問題としては、頷聯の「前川」と「富嶽」は一般名詞と固有名詞ですので対としては疑問に感じる点もあるでしょうが、「前」「富」ともに連体修飾語と見ることもでき、そうなると語の構成としては同じとも言えるので、これはこれで面白いと私は思いました。
頸聯の上句、「滿目」と「望眼」で、どちらも「目(眼)」はよくないですね。
尾聯はこんな感じでしょうか。
遊客高歌踏花影 遊人 高詠 花影を踏み
第一句で「萬朶櫻」が出て来ますが、次の三句は桜から離れ、第五句で思い出したように桜に戻るというのは、構成として苦しいように思います。
富士山の「烟霧」まで眺めておいて、「滿目」「凝望眼」というのも、どこを見ているのか悩ましくなります。
できれば「萬朶櫻」と「滿目紅塵」を近づけたいので、頷聯と頸聯を入れ替える形、そうなると反法粘法が合わなくなりますので、第一句と第二句も入れ替えて、平起式にしちゃうのはどうでしょう。
遠近嬉春萬朶櫻 遠近 嬉春 万朶の桜
滿目紅塵凝望眼 満目の紅塵 望眼を凝し
吹顏香氣動吟情 吹顔の香気 吟情を動かす
前川滾滾東風渡 前川 滾滾 東風渡り
富嶽皚皚烟霧生 富岳 皚皚 烟霧生ず
また、下句の「吟」と次の句の「詠」も重複感があります。
「吟情」は「詩情」でも通じると思います。
長堤一路屐聲輕 一路 長堤 屐声軽し
作品番号 2024-308
春宵看櫻
漠漠香雲皆是花 漠漠たる香雲 皆是れ花
芳魂薄命競相誇 芳魂は薄命 競ひて相誇る
清遊忘老千金景 清遊 老を忘る 千金の景
月色朦朧醉歩斜 月色 朦朧 酔歩斜めなり
あと、転句ですが、「清遊」も「千金景」も「老」とは関係無いですよね。
<感想>
どの句も分かりやすく、景色も鮮明に浮かびます。
ただ、鮮明な分だけ逆に気になる所も見えてしまうわけで、後半は「春宵」とすっきり分かりますが、前半の景の方は、これは昼間の様子ですね。
狙いとして、時間経過で昼から夜へと変わったということもしれませんが、特に後半がきれいに整っている分、冒頭の手慣れた表現が気になります。
夜桜ならば問題無いのですが、そんな感じにできませんかね。
ここは明確に「清遊一刻千金景」と蘇軾に頼っても良いと思います。
作品番号 2024-309
清水港(一)
航行目標富峰姿 航行の目標 富峰の姿
三保松原港灣秀 三保の松原 港湾に秀づ
街道要衝常夜灯 街道の要衝 常夜の灯
古來清水侠情湊 古来清水 侠情の湊
<解説>
清水港、古くは新羅支援の出兵、江戸期は年貢米など江戸への運送。そして明治期に名を馳せたのは・・・
<感想>
「富峰」「三保松原」「清水」と駿河の要所を述べて、最後に次郎長親分の登場も楽しい内容になっていますね。
起句の四字目「標」は平声で使いますね。「標点」とか「標識」でしょうか。
作品番号 2024-310
清水港(二)
街道要衝地 街道要衝の地
古來水運昌 古来水運 昌へ
靈峰航路導 霊峰 航路の導き
松麹`湾装 松の緑 港湾装ふ
文化交流譽 文化交流の誉れ
物資蒐散倉 物資蒐散の倉
盛名清水湊 盛名 清水湊
任侠氣風強 任侠の気風強し
「水」の字が重複していますので、「水運」を「海運」にしましょう。
四句目の「松香vは前の「靈峰」と対で考えると、「松樹」の方が良いかと思います。
<感想>
こちらも軽快な詩になっていますね。
ついでに、二字目が孤平ですので、上は「原(元)來」「由來」くらいでどうでしょう。
作品番号 2024-311
奥本海黙(オッペンハイマー)
理論物理究原子 理論物理で原子を究め
主導完成核彈威 主導完成す 核弾の威
戰勝英雄心不屈 戦勝の英雄 心不屈
直言開發續行危 直言す 開発続行の危うきを
<解説>
米国の原爆開発を成功させ「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーは、戦後水爆の開発に反対し、スパイの嫌疑をかけられ公職を追放され、プリンストン高等研究所長に専念。1904年生まれ、ドイツ系ユダヤ人。
尚参考までに、1932年国際連盟の依頼によるアインシュタインとフロイト(共にユダヤ人)の往復書簡「ひとはなぜ戦争をするのか」より引用する。
[アインシュタイン]
[フロイト]
人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?
「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが暗示にかかりやすく、「知識人」こそ大衆操作による暗示にかかり致命的な行動に走りやすいのです。
人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうもない。
けれども、文化の発展が生み出した心の在り方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安、この二つのものが近い将来戦争をなくす方向へ人間を動かしていくと期待できる。
文化の発展を促せば、戦争の終焉にむけて歩み出す事が出来る。
<感想>
問題は押韻で、「威」は「上平声五微」、「危」は「上平声四支」ですので、これは直さなくてはいけませんね。
詩の内容はよく分かる展開ですし、アインシュタインとフロイトの言葉も重みがありますね。
平仄で難しいのが、承句の「彈」で、動詞は平声、名詞は仄声。
もう一つは転句の「勝」で、「たえる」で平声、「かつ」で仄声。どちらも正しく使われていますね。
「五微」と「四支」は通韻の範囲ではありますが、承句と結句で通韻はできません。
オッペンハイマーは、つい先日映画が公開されましたね。私はまだ観ていませんが、歴史を大きく動かした人物は興味深いです。
作品番号 2024-312
清見寺懷古
庭景添花淑氣回 庭景 花添えれば 淑気回る
古今同一臥龍梅 古今同一 臥龍梅
コ川切切昇平日 徳川 切切たり 昇平の日
無限繁榮世変哀 無限の繁栄 世変哀し
<解説>
家康公手植えの臥龍梅もかつてと同じ花を咲かせ、限り無き世の繁栄も幕末の世変で哀しい思いで咲いているであろう
<感想>
起句の「添花」は良い表現ですが、これが梅の花を一足先に紹介した形になります。
承句の「古今同一」はどうでしょうか、「同一」と言われると他にも梅があるような感じですね。
転句は、徳川家が天下の「昇平」を「切切」と願ったということで、結句の「哀」へと繋げようというお気持ちですね。
転句はこれで良いと思いますが、結句の上四字と下三字は違いが大きいので、ちょっと苦しいですね。
「清見寺」は家康公が今川に居た頃に学んだ地、後年、お手植えされたという梅が「臥龍梅」、樹齡四百年を誇りますね。
「不変」ということなのでしょうが、わざわざ「同じ」と言う必要は無く、例えば「古今麗色」「古今壮麗」など、梅の様子を述べれば、昔から変わらないという意味合いも含まれます。
或いは、ずばりと「樹齡四百臥龍梅」も面白いですね。
「無限の繁栄」というのも大げさな印象ですので、これは逆に「有限」とし「限り有り 繁栄」とすると、下三字への流れも生まれますね。
作品番号 2024-313
日本平眺望
瓊姿富士曙光紅 瓊姿の富士 曙光紅なり
北望峰峰耀雪雄 北望すれば峰々 耀雪雄なり
露彩茶園春尚淺 露は彩る 茶園 春尚ほ浅く
廻登山徑昔時同 廻り登る山径は昔時に同じ
<解説>
日本平に登る旧道はグルグルと山を廻り、同じ港の景色が見える。この山径は昔と変わらない眺めである。
<感想>
承句は「雪」が「雄」というのはおかしく、本来は「峰」が「雄」なのでしょうね。
転句の「露彩」は「茶園」がどうなっていたのでしょう、ちょっと分かりにくいですね。
結句は、突然に「昔時」と来ても、前の時がいつなのか悩みますね。「古今同」が良いでしょうね。
起句は朝日に映える富士山ということで、良い句です。
となると、「峰峰」とするのではなく、「北望連山銀嶺雄」として「雄」に近づけておくのが良いでしょうね。
早春の茶畑を表す言葉は他には無いですかね、もう少し検討してください。
作品番号 2024-314
吃茶
庭樹新陰春更姸 庭樹 新陰 春更に妍
檐頭坐見獨幽玄 檐頭 坐して見る 独り幽玄
八旬八夜桾覧 八旬八夜 薫風の裏(うち)
芳茗一甌一味禪 芳茗 一甌 一味の禅
<解説>
八十八夜(新茶の時節)を迎えましたので、したためてみました。
転句で「八十八夜」か「八旬」か、また、「一杯」か「一椀」か、題名も「吃茶」か「喫茶」か等と迷いました。
<感想>
承句は「幽玄を見る」というのが気になります。「檐頭獨坐意幽玄」ならば分かりますね。
転句は「八旬八夜」の表記が違和感ありますね。どのみち和語ですので題名に入れるか、固有名詞と割り切って「八十八夜薫風裏」と平仄違いも無視するか、どちらかでしょう。
結句の「甌」は白居易の『食後』の詩に、「食罷一覺睡、起來兩甌茶」という句があります。
起句は「春更姸」ですが、「夏も近づく」八十八夜ですので「姸」が合うかどうか、後の繋がりから考えると「氣爽然」あたりが良いかと思います。
「茶園好節」と入れるのはどうでしょうか。
「椀」にするなら「一椀」を上に置き、中二字に「芳香」「鮮香」ですが、このまま「甌」でも良いと思います。
その場合には孤平を避けて、「一服甌茶」とするのが良いでしょうね。
作品番号 2024-315
往茶畑
加速登道廣茶園 加速して道を登れば 茶園広し
嫩葉柔條碧鵠ノ 嫩葉 柔条 碧緑繁り
扶翼援夭形旨茗 扶翼して夭を援け 旨茗を形にす
悠揚富嶽洗心魂 悠揚たる富岳 心魂を洗ふ
<解説>
新しい芽の出た茶園を走った。柔らかい芽がきれいだ。茶園の向こうに富士が美しく見えた。
<感想>
転句の「援夭」は「若い人を手助けした」ということですか、「夭」を言う必要は無いと思いますので、中二字は「半天」(半日)や「一天」と期間を表す言葉などが良いでしょう。
結句は駿河らしい良い句ですね。
起句は「加速」がよく分からないのですが、上り坂だから車を加速したということですかね。
車で走ったというだけですと、観光客みたいに感じますし「速」は仄声ですので、直す形で「登坡一望廣茶園」。
作品番号 2024-316
同級生旅
戰終苦節八拾齡 戦いは終わり 苦節八拾齢
二百同期五十豪 二百の同期は五十豪(にん)
今者生存一割弱 今は生存 一割弱なり
長岡温泉互慶勞 長岡温泉 互ひに慶び労(ねぎ)らふ
<解説>
昭和二十年、分散教育を寺でやっていた小二の生徒達が敗戦で、本校へ二百五十名集まった。
今年四月、大体一割位しか生存していなかった。
<感想>
承句は「豪」で人数を表せるかどうか、結句の「勞」は「いたわる」の意味では仄声ですので、韻字を別の韻目でと考えると、承句は「殘」、結句は「安」でどうでしょう。
転句は承句と数字が合いませんので、「三割弱」で「下三仄」を避けますか。
結句は「温泉」はどちらも平声、「泉水」とし、下は「喜慶安」「喜康安」としましょうか。
起句は「拾」は仄字ですので、「旬」とすれば合いますが、「齡」が下平声九青で韻に合いません。
「歳」と踏み落としでしょうかね。
作品番号 2024-317
悼友雙杯獨酌
櫻花爛爛又迎春 桜花 爛爛 又春を迎ふ
克芳芳尚待人 緑酒 芳芳 尚人を待つ
面貌飄飄虚空去 面貌 飄飄 虚空に去り
雙杯獨酌意惛惛 双杯 独酌 意は惛惛(こんこん)
<解説>
杯を 二つ並べて 亡き友と
ゆく春惜しむ 花の舞かな
<感想>
前半は対句でまとめていますが、後半で畳語が更に二つも入るのは逆効果です。
亡くなった友人と桜の花を見ながら杯を交わす、哀悼の気持ちがしみじみと伝わって来る詩ですね。
結句の韻字が違いますので、ここは「惛惛」(心が乱れつらい)と同じ意味で探して「沈淪」で。
例えば、「飄飄」を「飄然」とするなど、ちょっとの工夫で随分違ってきます。
作品番号 2024-318
母親節
雨歇閑居夏氣C 雨歇みて閑居 夏気清く
贈香石竹有歡聲 香石竹を贈りて 歓声有り
團欒愉色母親節 団欒 愉色 母親節
人世何如骨肉情 人世 何ぞ如かんや 骨肉の情
<解説>
母の日より少し前ですが、花を贈りました。
骨肉の情が日本語だと少し強い印象ですが、漢詩でもそうなのでしょうか。家族の情くらいの言葉が良かったのですが。
雨が止んで夏の空気で家は爽やか
カーネーションを贈って喜びの声が上がる。
団欒し私も笑顔になる母の日
この世界で肉親の情以上のものがあるだろうか。
<感想>
「何如」は比較形の反語体ですが、「いかんぞ」と読んだ方が早いですね。
起句の「閑居」は「静かな住居」ということでしょうが、「俗世を離れた生活」という抽象的な意味もありますので、具体的になるように「閑庭」、「茅居」の方が良いですね。
「香石竹」はカーネーション、「康寧香」とも書きますね。
親子の愛情ということでは、「慈孝」という言葉があります。
「父子相愛則慈孝」と言われ、慈…親のいつくしみ 孝…子のいたわりの両方を表しますので、「骨肉」よりも心情面が強く出るかなと思います。
でも、もっとすっきりと「不如(しかず)」とか「爲慶(よろこびをなす)」ではどうでしょうね。
作品番号 2024-319
初夏即事
首夏晴空鯉幟翻 首夏の晴空 鯉幟(りし)翻る
陽光燦燦惠風暄 陽光 燦燦 恵風暄(あたた)かなり
徘徊半日新茶圃 徘徊 半日 新茶の圃(はたけ)
萬鵠@潮淨六根 万緑 潮の如く 六根を浄む
起句の「晴空」と承句の「陽光燦燦」、晴れならば日が照るのは当然という気がします。
後半も、転句の「新」と結句の「萬香vに重複感があります。
<感想>
全体に「即事」らしく、さらりと書き上がっている印象ですが、少し重複がありますかね。
「青空」なら良いですが、色をここで出すと結句に影響が出そう、「風」を持ってくるのが良いかな。
「摘茶圃」とすれば「萬香vも新茶も含めて木々が緑一色という形で納得できるかと思います。
あるいは、結句を「滿目C新」とすると、茶圃が主役にはなるでしょうね。
作品番号 2024-320
白子漁出艇
今朝立夏欲天明 今朝 立夏 天明けんと欲す
港内無風羣艇 港内 風無く 群艇たふ
一擧出漁高浪湧 一挙 出漁 高浪湧き
暴音快速白鷗驚 暴音 快速 白鴎驚く
さて、起句は下三字、「天欲明」が自然な語順ですが、入れ替えたのは平仄の関係でしょうか。
前半の静から後半の動と変化を大きく出していて、映像を見ているような臨場感があります。
<感想>
題名の「白子」は「しらす」と読みを書いていただきましたが、そうか、漢字で書くと「白子」なのですね。田子の浦のしらすが一番おいしいそうですね。
朝ということももう出ていますので、「水光明」くらいでしょうか。
最後の「白鷗驚」もどことなく滑稽で、楽しい詩になっていると思います。
港の名前を入れて、場所を示したら、良い記念の詩になると思います。
作品番号 2024-321
田子浦港
鷗鳥雙飛海氣涼 鴎鳥 双飛して 海気涼たり
細波蕩漾吐潮香 細波 蕩漾 潮香を吐く
三川流入成良港 三川 流入 良港と成り
商舶解維上遠航 商舶 維を解き 遠航に上る
承句は「細」がベストかどうか、転句でやや大きな視点で見ていますので、あまり差があると気になります。
転句は自然になったという「成」より、「三川」が形づくったという形で「爲」の方が良いですかね。
結句は良い句ですが、「四字目の孤平」になっていますので、残念です。
<感想>
起句の「鷗鳥雙飛」は古典でも使われていますが、良い句ですね。
ここの下三字も鴎の鳴き声とかでまとめると句として収まりが良いです。
「海氣涼」ですと、鴎とは関係が無い描写がポンと入っている印象で、承句の下三字を似た内容に感じます。
「解」か「上」のどちらかを平声にしなくてはいけませんね。
作品番号 2024-322
田子浦
輕衫木屐海邊游 軽衫 木屐 海辺に游ぶ
一脈涼風送白鷗 一脈 涼風 白鴎を送る
北士峯開田子浦 北のかた 士峰は開く 田子の浦
帆船漾漾映波浮 帆船 漾漾 波に映じて浮かぶ
転句は「士峯」は富士山というのは良いとして、本来は「士峯北開」という流れが句のリズムも整います。
結句は「映」となるには上を「白帆」のように色を出しておきたいところです。
<感想>
起句で「輕衫」「木屐」とありますので、旅行ではなく散歩かなと理解します。
そうなると、「游」ではどうか。
あるいは、承句の「白鷗」は必要かどうか疑問ですので、ここに「のんびりした午後のひと時」という感じの言葉を入れても良いでしょうね。
二つの景を一つの画面に入るということでしたら、「富嶽遙(遠)望田子浦」とはっきり書いた方が良いでしょうね。
作品番号 2024-323
小諸懷古園
千曲流風城址門 千曲 流風 城址の門
天涯一望雪微存 天涯 一望 雪微かに存す
旅情小諸思伸展 旅情 小諸 思は伸展
滿喫藤村高詠園 満喫 藤村 高詠の園
<解説>
懐古園は桜は九十九パーセント、まだ蕾でした。
懐古園の蕎麦屋に入ると藤村の詩がありました。
<感想>
承句の「天涯一望」も「雪微存」も広い視野で良い表現ですが、二つ並ぶと違和感が出ます。
転句は下三字、ここは「促懷古」としておくと、結句の「滿喫」の内容が小諸全体に拡がります。
起句は細かいことですが、「流風」ですと名詞が三つ並びますので、「風流(風流れ)」と変化をつけたいですね。
空の果てに雪が残っているではおかしく、「遠山一望」「連山一望」のように、山に雪としなくてはいけませんね。
作品番号 2024-324
北杜花園
下午恐蕾歩櫻林 下午 蕾を恐れて 櫻林を歩けば
啼鳥銜花花發深 啼鳥 銜花 花は発いて深し
初識庭園情滿意 初めて識る庭園 情満意なり
閉門落日耐殘心 閉門 落日 残心に耐ふ
<解説>
懐古園と同じかな、と恐る恐る入ったら満開。穴場だったようで、人はあまりいなかった。
帰路に入ってくるような感じの人ばかり。夕刻で満足しない内に出されてしまいましたが、また来年に来ようと思いました。
<感想>
「恐蕾」は「蕾(のままであること)を恐れて」というわけですが、前後の事情を知らないで読めば、「蕾が恐い」としか読めず、それなのに「桜の林を歩いた」となって、更に妙な印象。
転句は「庭園」だけですと、「庭園の良さを初めて知った」という感じ、「此園」と限定しましょう。
結句は残念な気持ちを表していますが「殘心」だけで十分、「耐」は余分ですので「尚」「逾」で行きましょう。
起句は二字目の「午」が仄声ですので、「午天」ですかね。
となると、句全体を見直して、「午後」ということも最後に「落日」がありますので要らないということで、「仲春北杜歩櫻林」でも良いかと思います。
作品番号 2024-325
上田城
觀櫻人集古城中 観桜 人集ひて 古城の中
木櫓覗窗滿地紅 木櫓 窓を覗けば 満地 紅なり
開祖良知今尚語 開祖 良知 今尚語られ
真田神社愛親窮 真田神社 愛親窮まる
<解説>
上田城は丁度桜の花が見ごろで、七、八分咲き。中は二つの櫓があっていかにも戦国時代の構造、
二階しかないから鉄砲の弾除けの為に窓は小さくて物見もロクにできないくらい小さい。
異様なのは神社が城の真ん中に祀られていること。この土地の人は世程真田さんが好きらしい。
<感想>
うーん、「異様」というより「特徴的」でしょうね。
それはさておき、小諸から北杜、上田までかなりの距離、別日程ですかね。
承句は「窗」だと小さくなりますので、「覗望」。
転句は「開祖」では弱いので、「名將」とした方が良いでしょうね。
結句は「親愛」を平仄のためひっくり返したのかな、「親を愛す」と読まれるのが心配ですので「久尊崇」。
作品番号 2024-326
流蘇樹
清明新刻 清明 新緑の初
立夏白花餘 立夏 白花余す
翳樹絹綾飾 樹を翳るは絹綾の飾り
流蘇垂穂餘 流蘇 垂穂余す
<解説>
流蘇:下垂的穂状飾物。「流蘇樹」は「なんじゃもんじゃ」
<感想>
「餘」が重なっていますので、この韻目ですと、どちらかを「舒」で「のぶ」としておけば合うでしょう。
なんじゃもんじゃの木の名前の由来は色々と説があるようですが、私は「何と言うものじゃ」という疑問文が変化したというのが納得できました。
名前のはっきりしない木を「なんじゃもんじゃ」と呼ぶそうで、「ヒトツバダコ」が一番ポピュラーのようです。
この詩では四月の新緑を経て、五月の白い花が絹織物のように木を覆っている姿がよく出ていますね。
ちなみに、花言葉は「清廉」だそうです。花の白さから来たのか、俗世を離れた様子から来たか、面白いですね。
作品番号 2024-327
花花
何奈希長壽 何奈ぞ 長寿希むは
會花花解言 花に会へば 花 言を解く
包容如慈母 包容 慈母の如く
忘老復童孫 老いを忘れ 童孫に復る
<解説>
花たち
なぜに長生きしたいのか 花たちに会うためだ
花は 花嫁のように いのちに満ち ひかりに溢れ
わたしを若返らせ わたしを幸せにしてくれる
『坂村真民 一日一詩』より
<感想>
承句は「花に会う (そうすれば)花は言葉を理解してくれる」というところでしょうか。
後半はよく分かる、味のある句ですが、四字目の「慈」は平声、「如」を「若」にして挟み平でいきましょう。
こちらの詩は、花を題材として、坂村真民さんの詩を元に漢詩にしたというところですね。
作品番号 2024-328
東京天樹塔
鐵塔六三四 鉄塔 六三四(ムサシ)
柱心千古智 柱の心 千古の智
緩衝塵劫存 緩衝には 塵劫存す
耐震萬全備 耐震 万全の備え
<解説>
鉄塔の高さ六三四メートル、心柱の長さ三七五メートル、内二五〇メートル可動。五重塔様式に倣う。
この詩、数詞 小さい方から 塵、三、四、六、千、万、劫。塵劫また数学を云う。
<感想>
五言絶句二十字の中に、数詞を散りばめたもの、「柱心千古智」というのは、NHKの『プロジェクトX』で描かれていましたね。
しっかり頭に入りました。
スカイツリーの見方がちょっと変わってきた近頃です。
作品番号 2024-329
C水港
C水開港百餘年 清水開港 百余年
富士海上玉景然 富士 海上に玉景然たり
貿易觀光花火響 貿易 観光 花火の響き
繁榮祈念到交船 繁栄を祈念し 交船に到る
<解説>
当たり前のように毎回花火の音を聞いているのに、改めて港の歴史を振り返り、明治三十二年、お茶の輸出が始まりました。
五歳位の頃、ドスンドスンという音は港を大きくしているのだと聞いたのを思い出し、月日の経つのは早いものだとつくづく思いました。
<感想>
前半は平仄が合わない箇所があります。
起句の「水」は仄声ですので、「港灣」と書き出し、「開拓」「開鑿」などとしましょう。
承句も「上」が仄声でしたので、「二四不同」になりませんでした。
後半は良いですが、結句の「到(交船)」が分かりにくいですね。
清水と来れば港、「清水湊の名物はお茶の香りと男伊達」という歌がありましたね。
更に転句で、新しい名物も紹介されて、地元の方ならではの詩になっていると思いますよ。
ここは「海上」に富士が見えるとなり、方向が逆に思いますので、「西天」「青天」とかを入れて調整してはどうですか。
繁栄の願いを行き交う船に届くように、というお気持ちだと思いますので、「到」を削って「往來船」とか「望交船」とするだけでも伝わるでしょうね。
作品番号 2024-330
憶白居易詩讀
葷腥齋戒斷儒窮 葷腥(くんせい) 斎戒を断ち 儒を窮む
居易詩文竹帛功 白居の詩文 竹帛の功
此道無戈遙覇遠 此の道 戈無くして 遥かな覇は遠し
白聲幾歳滿蒼穹 白声 幾歳 蒼穹に満つ
<解説>
官職や詩作だけでなく、種々の教えを窮めるのは並大抵のことではなかっただろう。
また、民のためにも尽くされた数々、本当にすばらしい人格の持ち主であったこと感心します。
<感想>
起句は話がやや乱れていて、「斎戒」でなく「葷腥を断つ」ではありませんか。「斷」がこの位置ですと「儒を断つ」ともなります。
承句の「居易」は字(あざな)で、本名で呼ぶのは詩では失礼になりますので、ここは「白氏」が良いですね。
転句の四字目は「戈」でなく「才」ですね、これなら平仄も合います。
結句の「白聲」は「名聲」「頌聲」「コ聲」「芳聲」「誉聲」など色々ありますので、検討ください。
白居易の人間性は色々な形で評価され、官吏としても優秀であったからこそ、晩年も高い身分で生涯を全うしたと言えます。
彼が残した詩は、日本人の精神性にも影響を沢山与えたもので、どれを読んでも心が伝わってくる気がします。
「葷」だけでも「生臭いもの」という意味ですので「斷葷齋戒」として、下は「大儒」でしょうか。
下三字は「遙」と「遠」が意味重なりですので、再読文字の「当」を用いるのが良いですかね。