2024年の投稿詩 第301作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-301

  杏里        

科野朝煙包一塵   科野の朝煙 一塵を包む

杏今栽培改良遵   杏は今 栽培 改良に遵る

勤行努力馳懷古   勤行 努力 懐古に馳せる

宿老安全無苦   宿老は安全 苦無く堰iととの)ふ

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 「千曲」… 千曲市、昔更埴市。

 更埴市訪問は二回目。一周間早過ぎてまだ蕾でした。
 前回来た時の、桃源郷のような雰囲気や、杏の甘い香りはなく、品種改良で白い花が二、三輪咲いていました。

<感想>

 更埴市は「アンズの里」で有名ですね。  起句の「一塵」は何の繋がりがあるのか、悩みます。「煙」と「塵」も似ていますので、「科野杏村包曉塵」などで。  承句は「杏」は要りませんので「現今」。  転句は、改良のために努力しているということは分かりますが、下三字は誰が「懷古」しているのか、これは「改良」を否定しているのですかね。  結句の「宿老」は、きっと杏栽培のベテランということでしょうね、そのまま読むと「年寄りは安全に苦労もせずに整える」ということで、そうなると、ここも品種改良の「勤行努力」を否定する形で、詩がまとまらないですね。  どこで食い違ったのか、検討してください。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第302作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-302

  走中部縦断道        

初夏遊行天未明   初夏 早朝 天未だ明けず

高程縦断靄然横   高程 縦断 靄然横たふ

短長隧道雨師動   短長の隧道 雨師の動き

出岳陽光一望平   岳を出れば 陽光 一望平かなり

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 千曲市に向かう往路、山岳を走れば悪天候、心配しましたが悪天候は山だけでした。

<感想>

 静岡から千曲市へということですと、この道路は「中部横断(自動車)道」ですね。日本列島を縦切りにするか輪切り(横切り)にするか、場所によっては東西と南北が変わることもあり、ややこしいですね。  起句の読み下しは初案の名残りかな、「早朝」では下と重なりますので「遊行」の方が良いですね。  承句の「高程」は「高い所を走る道」という意味でしょうか、「程」よりは「途」、あるいは「山間」ではどうでしょう。  最後の「靄然」は何が「靄然」なのか、このままですと「靄然」が「」たわるという表現になります。「」の主語をはっきり出すか、「雲」として「雲」の修飾語(「白」「淡」「薄」など)を考えるか、ですね。「雨雲」と出しても良いでしょう。  転句の「短長」は「長短」と同じ、この語は下に持ってきて、「重長短」。上二字でトンネルの様子を表しましょう。  結句は「山を抜けたら晴だった」ということで、「良かった」という気持ちが出ています。「一望平」という言葉で「辺り一面が見渡せる」、つまり、雨も上がったし、開けた場所になったということで、実感を伴った良い表現です。  となると、頭の「出岳」がいかにも付け足しに感じます。思考の流れとしては分かりますが、そのまま書く必要はありません。ここは感動の気持ちが強くなるように、「忽識」「卒遽」とかでどうでしょう。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第303作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-303

  虐待狂親        

文章切切請容赦   文章 切切 容赦を請ふ

制食痩身無識休   食を制し痩身せらる 休を識らず

公吏逡巡関与厭   公吏 逡巡 関与厭ふ

親権偏重世論憂   親権 偏重 世論は憂ふるなり

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 虐待の報道が続き、本当に胸が痛みます。
 子供たちが、身体だけでなく心までも痛み傷ついたことを思うと、親とは名ばかりの未熟な大人への怒りも抑えられません。
 教育、行政、地域の連携が何よりも求められること、本当にその通りだと思います。

 そうした憤りの気持ちを詩にする時は、客観的な自分が傍に居ないと、感情だけの詩になってしまい、注意が必要です。
 この詩の場合には、起句の内容が読者には伝わりません。
 これは題名に寄り掛かり過ぎで、「虐待」の話だと作者は分かっているつもりで書き始めてますが、読者は「文章」と言われてもピンと来ません。
 この句は必要かどうか、疑問ですね。
 例えば「児童虐待尚無留」と主題をまず述べるのも良いでしょう。

 承句は、ここだけ読むと、「食事制限のダイエットに夢中になった」と読みそうな穏やかさで、もっと厳しい表現が欲しいですね。
 「痩身」は「害身」、下三字ももっと強い表現を考えて下さい。

 後半は、結句への流れがやや飛躍していますが、これくらい勢いがあった方が良いですよ。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第304作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-304

  初夏即事        

雨餘白屋坐南軒   雨餘 白屋 南軒に坐す

觀樹掌中茶碗温   樹を観れば 掌中 茶碗温かなり

妻女評詩吾反駁   妻女 詩を評し 吾に反駁

襟懷日日共談論   襟懐 日日 共に談論す

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 わたしもとうとうこんな日々を送るようになったかと苦笑。

<感想>

 奥さまと詩を談じ合う、これは素晴らしい奥さまですね。
 私のところは、妻とはとても難しいので、孫に期待して何とか漢詩に興味を持たせようとしていますが、さて、うまく行くかどうか。

 さて、詩の方ですが、穏やかな時間の流れが感じられますね。特に起句は良いです。

 承句は「観樹」ですが、そのことと手の中の茶碗が暖かいことは無関係ですが、詩では関係ありそうで悩みます。
 起句の方を「對南軒」として、こちらに「坐」を持ってきましょう。

 転句は下三字、「吾に」という目的格ならばこの語順では無理です。
 この形ですと「吾は反駁す」で、それでも句意は矛盾しませんので、奥さまの意見に私が反論した、としておきましょう。

 結句では、「日日」は下三字に掛かりますので、連日詩を議論する、というのは多過ぎませんか。
 ここは控え目に「半日」、あるいは「怡暢」「舒暢」などとしても面白いですね。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第305作は桐山堂静岡の 一菊 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-305

  小港        

灯火微微波上舟   灯火微微たる 波上の舟

漁翁戴笠水悠悠   漁翁 笠を戴して 水悠悠

行帆一葉向何処   行帆 一葉 何処へと向かふ

月下潮声入海流   月下の潮声 海流に入る

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 港から漁師の出航を眺めている詩です。
 月夜に一艘の小舟が海へと出るところを描きたかったです。
 ぼんやりとした漁り火に漁師の姿が映し出され、最後に波の音とともに月光の中に消えていく・・・・
 そんな感じを出したかったのですが、結句に自信がありません。

  波上の舟に漁り火が微かに見え
  漁師は笠を被って水は悠悠としている
  去りゆく帆はどこへいくのやら
  月の下の波音は海流へと入ってい

<感想>

 起句は「微微」で微かに見えるというのは直接的で、「熒熒」(遠く小さくきらきらと輝く)が「星」とか「遠くの灯り」などに使われます。
「纎纎」も詩的な感じがしますね。
 この場合には舟がしっかり見えているようですので、光を強めて「搖搖」なども良いでしょう。

 承句の「水悠悠」が奥行きを出し、転句の「向何処」とよく対応をしています。
 この二句のまとまりが良いので、転句で詩が完結してしまい、結句の必要性が無くなっています。
 つまり、この景色の中で、締めくくりの句として何を出すか、前半とあまり変化の無い素材ですと、うまく行けば「まとめ」になるし、インパクトが弱いと蛇足になってしまいます。

 例えば、漁り火が波間に浮かび、舟が一艘流れて行く中で、月が照らしていた方が良いのか。
 もし、月を配置するならどんな月が良いか、更に言えば、この詩は季節が出ていませんが、無季のままで良いのかどうか。

 最後の「入海流」は「海に入りて流る」と読んで、王之渙の『登鸛鵲楼』の一節ですね。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第306作は桐山堂静岡の 子方 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-306

  戰後修學旅行        

雨過拂曉汽車奔   雨過ぎ 払暁 汽車は奔り

上野驛亭蟬噪喧   上野の駅亭 蝉噪喧(やかま)し

地下通路孤子並   地下通路に孤子並び

一齊展弁缶空陳   一斉 弁を展けば 缶空陳す

          (上平声「十三元」・「十一真」の押韻)


<解説>

 オート三輪で雨中、駅へ送ってもらい、蒸気機関車四時間で上野へ。
 地下洞の孤児達は昼食の我々に空き缶を差し出して物乞いを。

<感想>

 題名は「私の修学旅行」とのことですが、うーん、内容は七十年以上前、「戰後」とさせていただきました。

 前半は内容も伝わりますし、平仄の点でも規則外れは無いです。

 転句の「路」は仄声ですので、「地下道頭」としましょう。

 結句の末字、「陳」は「上平声十一真」ですので、押韻が合いませんので直す必要があります。
 中二字の「展弁」もわかりにくいです。
 まずは「午餉」「午食」としてお昼ご飯の時だと示しましょう。
 韻字を探すと「盆」が使えそうですので、「捧空盆」「出空盆」ですかね。  



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第307作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-307

  春遊        

遠近嬉春萬朶櫻   遠近 嬉春 万朶の桜

不寒不暖好清明   寒からず 暖かならず 好清明

前川滾滾東風渡   前川 滾滾 東風渡り

富嶽皚皚烟霧生   富岳 皚皚 烟霧生ず

滿目紅塵凝望眼   満目の紅塵 望眼を凝し

吹顏香氣動吟情   吹顔の香気 吟情を動かす

遊人高詠踏花影   遊人 高詠 花影を踏み

一路長堤雙屐輕   一路 長堤 双屐軽し

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 「前川」… 富士川
 「滾滾」… 水がさかんに流れるさま
 「皚皚」… 雪の白いさま

<感想>

 第一句で「萬朶櫻」が出て来ますが、次の三句は桜から離れ、第五句で思い出したように桜に戻るというのは、構成として苦しいように思います。
 富士山の「烟霧」まで眺めておいて、「滿目」「凝望眼」というのも、どこを見ているのか悩ましくなります。
 できれば「萬朶櫻」と「滿目紅塵」を近づけたいので、頷聯と頸聯を入れ替える形、そうなると反法粘法が合わなくなりますので、第一句と第二句も入れ替えて、平起式にしちゃうのはどうでしょう。

   不寒不暖好清明  寒からず 暖かならず 好清明
   遠近嬉春萬朶櫻  遠近 嬉春 万朶の桜
   滿目紅塵凝望眼  満目の紅塵 望眼を凝し
   吹顏香氣動吟情  吹顔の香気 吟情を動かす
   前川滾滾東風渡  前川 滾滾 東風渡り
   富嶽皚皚烟霧生  富岳 皚皚 烟霧生ず

 句の展開としては落ち着いたように思います。

 語句の問題としては、頷聯の「前川」と「富嶽」は一般名詞と固有名詞ですので対としては疑問に感じる点もあるでしょうが、「前」「富」ともに連体修飾語と見ることもでき、そうなると語の構成としては同じとも言えるので、これはこれで面白いと私は思いました。

 頸聯の上句、「滿目」と「望眼」で、どちらも「目(眼)」はよくないですね。
 また、下句の「吟」と次の句の「詠」も重複感があります。
 「吟情」は「詩情」でも通じると思います。

 尾聯はこんな感じでしょうか。

  遊客高歌踏花影  遊人 高詠 花影を踏み
  長堤一路屐聲輕  一路 長堤 屐声軽し



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第308作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-308

  春宵看櫻        

漠漠香雲皆是花   漠漠たる香雲 皆是れ花

芳魂薄命競相誇   芳魂は薄命 競ひて相誇る

清遊忘老千金景   清遊 老を忘る 千金の景

月色朦朧醉歩斜   月色 朦朧 酔歩斜めなり

          (下平声「六麻」の押韻)


<感想>

 どの句も分かりやすく、景色も鮮明に浮かびます。
 ただ、鮮明な分だけ逆に気になる所も見えてしまうわけで、後半は「春宵」とすっきり分かりますが、前半の景の方は、これは昼間の様子ですね。
 狙いとして、時間経過で昼から夜へと変わったということもしれませんが、特に後半がきれいに整っている分、冒頭の手慣れた表現が気になります。
 夜桜ならば問題無いのですが、そんな感じにできませんかね。

 あと、転句ですが、「清遊」も「千金景」も「老」とは関係無いですよね。
 ここは明確に「清遊一刻千金景」と蘇軾に頼っても良いと思います。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第309作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-309

  清水港(一)        

航行目標富峰姿   航行の目標 富峰の姿

三保松原港灣秀   三保の松原 港湾に秀づ

街道要衝常夜灯   街道の要衝 常夜の灯

古來清水侠情湊   古来清水 侠情の湊

          (去声「二十四宥」の押韻)


<解説>

 清水港、古くは新羅支援の出兵、江戸期は年貢米など江戸への運送。そして明治期に名を馳せたのは・・・

<感想>

 起句の四字目「標」は平声で使いますね。「標点」とか「標識」でしょうか。

「富峰」「三保松原」「清水」と駿河の要所を述べて、最後に次郎長親分の登場も楽しい内容になっていますね。  



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第310作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-310

  清水港(二)        

街道要衝地   街道要衝の地

古來水運昌   古来水運 昌へ

靈峰航路導   霊峰 航路の導き

松麹`湾装   松の緑 港湾装ふ

文化交流譽   文化交流の誉れ

物資蒐散倉   物資蒐散の倉

盛名清水湊   盛名 清水湊

任侠氣風強   任侠の気風強し

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 こちらも軽快な詩になっていますね。

 「水」の字が重複していますので、「水運」を「海運」にしましょう。
 ついでに、二字目が孤平ですので、上は「原(元)來」「由來」くらいでどうでしょう。

 四句目の「松香vは前の「靈峰」と対で考えると、「松樹」の方が良いかと思います。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第311作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-311

  奥本海黙(オッペンハイマー)        

理論物理究原子   理論物理で原子を究め

主導完成核彈威   主導完成す 核弾の威

戰勝英雄心不屈   戦勝の英雄 心不屈

直言開發續行危   直言す 開発続行の危うきを

          (上平声「五微」・上平声「四支」の通韻)


<解説>

 米国の原爆開発を成功させ「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーは、戦後水爆の開発に反対し、スパイの嫌疑をかけられ公職を追放され、プリンストン高等研究所長に専念。1904年生まれ、ドイツ系ユダヤ人。
 尚参考までに、1932年国際連盟の依頼によるアインシュタインとフロイト(共にユダヤ人)の往復書簡「ひとはなぜ戦争をするのか」より引用する。

[アインシュタイン]
 人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?
「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが暗示にかかりやすく、「知識人」こそ大衆操作による暗示にかかり致命的な行動に走りやすいのです。

[フロイト] 
 人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうもない。
 けれども、文化の発展が生み出した心の在り方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安、この二つのものが近い将来戦争をなくす方向へ人間を動かしていくと期待できる。
 文化の発展を促せば、戦争の終焉にむけて歩み出す事が出来る。


<感想>

 平仄で難しいのが、承句の「彈」で、動詞は平声、名詞は仄声。
 もう一つは転句の「勝」で、「たえる」で平声、「かつ」で仄声。どちらも正しく使われていますね。

 問題は押韻で、「威」は「上平声五微」、「危」は「上平声四支」ですので、これは直さなくてはいけませんね。
 「五微」と「四支」は通韻の範囲ではありますが、承句と結句で通韻はできません。
 オッペンハイマーは、つい先日映画が公開されましたね。私はまだ観ていませんが、歴史を大きく動かした人物は興味深いです。

 詩の内容はよく分かる展開ですし、アインシュタインとフロイトの言葉も重みがありますね。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第312作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-312

  清見寺懷古        

庭景添花淑氣回   庭景 花添えれば 淑気回る

古今同一臥龍梅   古今同一 臥龍梅

コ川切切昇平日   徳川 切切たり 昇平の日

無限繁榮世変哀   無限の繁栄 世変哀し

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 家康公手植えの臥龍梅もかつてと同じ花を咲かせ、限り無き世の繁栄も幕末の世変で哀しい思いで咲いているであろう

<感想>

 「清見寺」は家康公が今川に居た頃に学んだ地、後年、お手植えされたという梅が「臥龍梅」、樹齡四百年を誇りますね。

 起句の「添花」は良い表現ですが、これが梅の花を一足先に紹介した形になります。

 承句の「古今同一」はどうでしょうか、「同一」と言われると他にも梅があるような感じですね。
「不変」ということなのでしょうが、わざわざ「同じ」と言う必要は無く、例えば「古今麗色」「古今壮麗」など、梅の様子を述べれば、昔から変わらないという意味合いも含まれます。
 或いは、ずばりと「樹齡四百臥龍梅」も面白いですね。

 転句は、徳川家が天下の「昇平」を「切切」と願ったということで、結句の「哀」へと繋げようというお気持ちですね。

 転句はこれで良いと思いますが、結句の上四字と下三字は違いが大きいので、ちょっと苦しいですね。
「無限の繁栄」というのも大げさな印象ですので、これは逆に「有限」とし「限り有り 繁栄」とすると、下三字への流れも生まれますね。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第313作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-313

  日本平眺望        

瓊姿富士曙光紅   瓊姿の富士 曙光紅なり

北望峰峰耀雪雄   北望すれば峰々 耀雪雄なり

露彩茶園春尚淺   露は彩る 茶園 春尚ほ浅く

廻登山徑昔時同   廻り登る山径は昔時に同じ

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 日本平に登る旧道はグルグルと山を廻り、同じ港の景色が見える。この山径は昔と変わらない眺めである。

<感想>

 起句は朝日に映える富士山ということで、良い句です。

 承句は「雪」が「雄」というのはおかしく、本来は「峰」が「雄」なのでしょうね。
 となると、「峰峰」とするのではなく、「北望連山銀嶺雄」として「雄」に近づけておくのが良いでしょうね。

 転句の「露彩」は「茶園」がどうなっていたのでしょう、ちょっと分かりにくいですね。
 早春の茶畑を表す言葉は他には無いですかね、もう少し検討してください。

 結句は、突然に「昔時」と来ても、前の時がいつなのか悩みますね。「古今同」が良いでしょうね。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第314作は桐山堂静岡の 擔雪 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-314

  吃茶        

庭樹新陰春更姸   庭樹 新陰 春更に妍

檐頭坐見獨幽玄   檐頭 坐して見る 独り幽玄

八旬八夜桾覧   八旬八夜 薫風の裏(うち)

芳茗一甌一味禪   芳茗 一甌 一味の禅

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 八十八夜(新茶の時節)を迎えましたので、したためてみました。
 転句で「八十八夜」か「八旬」か、また、「一杯」か「一椀」か、題名も「吃茶」か「喫茶」か等と迷いました。

<感想>

 起句は「春更姸」ですが、「夏も近づく」八十八夜ですので「姸」が合うかどうか、後の繋がりから考えると「氣爽然」あたりが良いかと思います。

 承句は「幽玄を見る」というのが気になります。「檐頭獨坐意幽玄」ならば分かりますね。

 転句は「八旬八夜」の表記が違和感ありますね。どのみち和語ですので題名に入れるか、固有名詞と割り切って「八十八夜薫風裏」と平仄違いも無視するか、どちらかでしょう。
 「茶園好節」と入れるのはどうでしょうか。

 結句の「甌」は白居易の『食後』の詩に、「食罷一覺睡、起來兩甌茶」という句があります。
「椀」にするなら「一椀」を上に置き、中二字に「芳香」「鮮香」ですが、このまま「甌」でも良いと思います。
 その場合には孤平を避けて、「一服甌茶」とするのが良いでしょうね。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第315作は桐山堂静岡の 子方 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-315

  往茶畑        

加速登道廣茶園   加速して道を登れば 茶園広し

嫩葉柔條碧鵠ノ   嫩葉 柔条 碧緑繁り

扶翼援夭形旨茗   扶翼して夭を援け 旨茗を形にす

悠揚富嶽洗心魂   悠揚たる富岳 心魂を洗ふ

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 新しい芽の出た茶園を走った。柔らかい芽がきれいだ。茶園の向こうに富士が美しく見えた。

<感想>

 起句は「加速」がよく分からないのですが、上り坂だから車を加速したということですかね。
 車で走ったというだけですと、観光客みたいに感じますし「速」は仄声ですので、直す形で「登坡一望廣茶園」。

 転句の「援夭」は「若い人を手助けした」ということですか、「夭」を言う必要は無いと思いますので、中二字は「半天」(半日)や「一天」と期間を表す言葉などが良いでしょう。

 結句は駿河らしい良い句ですね。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第316作は桐山堂静岡の 子方 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-316

  同級生旅        

戰終苦節八拾齡   戦いは終わり 苦節八拾齢

二百同期五十豪   二百の同期は五十豪(にん)

今者生存一割弱   今は生存 一割弱なり

長岡温泉互慶勞   長岡温泉 互ひに慶び労(ねぎ)らふ

          (下平声「四豪」の押韻)


<解説>

 昭和二十年、分散教育を寺でやっていた小二の生徒達が敗戦で、本校へ二百五十名集まった。
 今年四月、大体一割位しか生存していなかった。

<感想>

 起句は「拾」は仄字ですので、「旬」とすれば合いますが、「齡」が下平声九青で韻に合いません。
 「歳」と踏み落としでしょうかね。

 承句は「豪」で人数を表せるかどうか、結句の「勞」は「いたわる」の意味では仄声ですので、韻字を別の韻目でと考えると、承句は「殘」、結句は「安」でどうでしょう。

 転句は承句と数字が合いませんので、「三割弱」で「下三仄」を避けますか。

 結句は「温泉」はどちらも平声、「泉水」とし、下は「喜慶安」「喜康安」としましょうか。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第317作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-317

  悼友雙杯獨酌        

櫻花爛爛又迎春   桜花 爛爛 又春を迎ふ

克芳芳尚待人   緑酒 芳芳 尚人を待つ

面貌飄飄虚空去   面貌 飄飄 虚空に去り

雙杯獨酌意惛惛   双杯 独酌 意は惛惛(こんこん)

          (上平声「十一真」「十三元」の押韻)


<解説>

   杯を 二つ並べて 亡き友と
       ゆく春惜しむ 花の舞かな

<感想>

 亡くなった友人と桜の花を見ながら杯を交わす、哀悼の気持ちがしみじみと伝わって来る詩ですね。
 結句の韻字が違いますので、ここは「惛惛」(心が乱れつらい)と同じ意味で探して「沈淪」で。

 前半は対句でまとめていますが、後半で畳語が更に二つも入るのは逆効果です。
 例えば、「飄飄」を「飄然」とするなど、ちょっとの工夫で随分違ってきます。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第318作は桐山堂静岡の 一菊 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-318

  母親節        

雨歇閑居夏氣C   雨歇みて閑居 夏気清く

贈香石竹有歡聲   香石竹を贈りて 歓声有り

團欒愉色母親節   団欒 愉色 母親節

人世何如骨肉情   人世 何ぞ如かんや 骨肉の情

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 母の日より少し前ですが、花を贈りました。
 骨肉の情が日本語だと少し強い印象ですが、漢詩でもそうなのでしょうか。家族の情くらいの言葉が良かったのですが。

  雨が止んで夏の空気で家は爽やか
  カーネーションを贈って喜びの声が上がる。
  団欒し私も笑顔になる母の日
  この世界で肉親の情以上のものがあるだろうか。

<感想>

 起句の「閑居」は「静かな住居」ということでしょうが、「俗世を離れた生活」という抽象的な意味もありますので、具体的になるように「閑庭」、「茅居」の方が良いですね。
 「香石竹」はカーネーション、「康寧香」とも書きますね。
 親子の愛情ということでは、「慈孝」という言葉があります。
「父子相愛則慈孝」と言われ、慈…親のいつくしみ 孝…子のいたわりの両方を表しますので、「骨肉」よりも心情面が強く出るかなと思います。

 「何如」は比較形の反語体ですが、「いかんぞ」と読んだ方が早いですね。
 でも、もっとすっきりと「不如(しかず)」とか「爲慶(よろこびをなす)」ではどうでしょうね。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第319作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-319

  初夏即事        

首夏晴空鯉幟翻   首夏の晴空 鯉幟(りし)翻る

陽光燦燦惠風暄   陽光 燦燦 恵風暄(あたた)かなり

徘徊半日新茶圃   徘徊 半日 新茶の圃(はたけ)

萬鵠@潮淨六根   万緑 潮の如く 六根を浄む

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 全体に「即事」らしく、さらりと書き上がっている印象ですが、少し重複がありますかね。

 起句の「晴空」と承句の「陽光燦燦」、晴れならば日が照るのは当然という気がします。
 「青空」なら良いですが、色をここで出すと結句に影響が出そう、「風」を持ってくるのが良いかな。

 後半も、転句の「新」と結句の「萬香vに重複感があります。
 「摘茶圃」とすれば「萬香vも新茶も含めて木々が緑一色という形で納得できるかと思います。
 あるいは、結句を「滿目C新」とすると、茶圃が主役にはなるでしょうね。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第320作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-320

  白子漁出艇        

今朝立夏欲天明   今朝 立夏 天明けんと欲す

港内無風羣艇   港内 風無く 群艇たふ

一擧出漁高浪湧   一挙 出漁 高浪湧き

暴音快速白鷗驚   暴音 快速 白鴎驚く

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 題名の「白子」は「しらす」と読みを書いていただきましたが、そうか、漢字で書くと「白子」なのですね。田子の浦のしらすが一番おいしいそうですね。

 さて、起句は下三字、「天欲明」が自然な語順ですが、入れ替えたのは平仄の関係でしょうか。
 朝ということももう出ていますので、「水光明」くらいでしょうか。

 前半の静から後半の動と変化を大きく出していて、映像を見ているような臨場感があります。
 最後の「白鷗驚」もどことなく滑稽で、楽しい詩になっていると思います。
 港の名前を入れて、場所を示したら、良い記念の詩になると思います。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第321作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-321

  田子浦港        

鷗鳥雙飛海氣涼   鴎鳥 双飛して 海気涼たり

細波蕩漾吐潮香   細波 蕩漾 潮香を吐く

三川流入成良港   三川 流入 良港と成り

商舶解維上遠航   商舶 維を解き 遠航に上る

          (下平声「七陽」の押韻)


<感想>

 起句の「鷗鳥雙飛」は古典でも使われていますが、良い句ですね。
 ここの下三字も鴎の鳴き声とかでまとめると句として収まりが良いです。
 「海氣涼」ですと、鴎とは関係が無い描写がポンと入っている印象で、承句の下三字を似た内容に感じます。

 承句は「細」がベストかどうか、転句でやや大きな視点で見ていますので、あまり差があると気になります。

 転句は自然になったという「成」より、「三川」が形づくったという形で「爲」の方が良いですかね。

 結句は良い句ですが、「四字目の孤平」になっていますので、残念です。
 「解」か「上」のどちらかを平声にしなくてはいけませんね。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第322作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-322

  田子浦        

輕衫木屐海邊游   軽衫 木屐 海辺に游ぶ

一脈涼風送白鷗   一脈 涼風 白鴎を送る

北士峯開田子浦   北のかた 士峰は開く 田子の浦

帆船漾漾映波浮   帆船 漾漾 波に映じて浮かぶ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 起句で「輕衫」「木屐」とありますので、旅行ではなく散歩かなと理解します。
 そうなると、「游」ではどうか。
 あるいは、承句の「白鷗」は必要かどうか疑問ですので、ここに「のんびりした午後のひと時」という感じの言葉を入れても良いでしょうね。

 転句は「士峯」は富士山というのは良いとして、本来は「士峯北開」という流れが句のリズムも整います。
 二つの景を一つの画面に入るということでしたら、「富嶽遙(遠)望田子浦」とはっきり書いた方が良いでしょうね。

 結句は「映」となるには上を「白帆」のように色を出しておきたいところです。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第323作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-323

  小諸懷古園        

千曲流風城址門   千曲 流風 城址の門

天涯一望雪微存   天涯 一望 雪微かに存す

旅情小諸思伸展   旅情 小諸 思は伸展

滿喫藤村高詠園   満喫 藤村 高詠の園

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 懐古園は桜は九十九パーセント、まだ蕾でした。
 懐古園の蕎麦屋に入ると藤村の詩がありました。

<感想>

 起句は細かいことですが、「流風」ですと名詞が三つ並びますので、「風流(風流れ)」と変化をつけたいですね。

 承句の「天涯一望」も「雪微存」も広い視野で良い表現ですが、二つ並ぶと違和感が出ます。
 空の果てに雪が残っているではおかしく、「遠山一望」「連山一望」のように、山に雪としなくてはいけませんね。

 転句は下三字、ここは「促懷古」としておくと、結句の「滿喫」の内容が小諸全体に拡がります。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第324作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-324

  北杜花園        

下午恐蕾歩櫻林   下午 蕾を恐れて 櫻林を歩けば

啼鳥銜花花發深   啼鳥 銜花 花は発いて深し

初識庭園情滿意   初めて識る庭園 情満意なり

閉門落日耐殘心   閉門 落日 残心に耐ふ

          (下平声「十二侵」の押韻)


<解説>

 懐古園と同じかな、と恐る恐る入ったら満開。穴場だったようで、人はあまりいなかった。
 帰路に入ってくるような感じの人ばかり。夕刻で満足しない内に出されてしまいましたが、また来年に来ようと思いました。

<感想>

 起句は二字目の「午」が仄声ですので、「午天」ですかね。

 「恐蕾」は「蕾(のままであること)を恐れて」というわけですが、前後の事情を知らないで読めば、「蕾が恐い」としか読めず、それなのに「桜の林を歩いた」となって、更に妙な印象。
 となると、句全体を見直して、「午後」ということも最後に「落日」がありますので要らないということで、「仲春北杜歩櫻林」でも良いかと思います。

 転句は「庭園」だけですと、「庭園の良さを初めて知った」という感じ、「此園」と限定しましょう。

 結句は残念な気持ちを表していますが「殘心」だけで十分、「耐」は余分ですので「尚」「逾」で行きましょう。  



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第325作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-325

  上田城        

觀櫻人集古城中   観桜 人集ひて 古城の中

木櫓覗窗滿地紅   木櫓 窓を覗けば 満地 紅なり

開祖良知今尚語   開祖 良知 今尚語られ

真田神社愛親窮   真田神社 愛親窮まる

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 上田城は丁度桜の花が見ごろで、七、八分咲き。中は二つの櫓があっていかにも戦国時代の構造、
 二階しかないから鉄砲の弾除けの為に窓は小さくて物見もロクにできないくらい小さい。
 異様なのは神社が城の真ん中に祀られていること。この土地の人は世程真田さんが好きらしい。

<感想>

 うーん、「異様」というより「特徴的」でしょうね。  それはさておき、小諸から北杜、上田までかなりの距離、別日程ですかね。  承句は「窗」だと小さくなりますので、「覗望」。  転句は「開祖」では弱いので、「名將」とした方が良いでしょうね。  結句は「親愛」を平仄のためひっくり返したのかな、「親を愛す」と読まれるのが心配ですので「久尊崇」。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第326作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-326

  流蘇樹        

清明新刻   清明 新緑の初

立夏白花餘   立夏 白花余す

翳樹絹綾飾   樹を翳るは絹綾の飾り

流蘇垂穂餘   流蘇 垂穂余す

          (上平声「六魚」の押韻)


<解説>

 流蘇:下垂的穂状飾物。「流蘇樹」は「なんじゃもんじゃ」

<感想>

 なんじゃもんじゃの木の名前の由来は色々と説があるようですが、私は「何と言うものじゃ」という疑問文が変化したというのが納得できました。
 名前のはっきりしない木を「なんじゃもんじゃ」と呼ぶそうで、「ヒトツバダコ」が一番ポピュラーのようです。
 この詩では四月の新緑を経て、五月の白い花が絹織物のように木を覆っている姿がよく出ていますね。
 ちなみに、花言葉は「清廉」だそうです。花の白さから来たのか、俗世を離れた様子から来たか、面白いですね。

 「餘」が重なっていますので、この韻目ですと、どちらかを「舒」で「のぶ」としておけば合うでしょう。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第327作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-327

  花花        

何奈希長壽   何奈ぞ 長寿希むは

會花花解言   花に会へば 花 言を解く

包容如慈母   包容 慈母の如く

忘老復童孫   老いを忘れ 童孫に復る

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

     花たち
 なぜに長生きしたいのか 花たちに会うためだ
 花は 花嫁のように いのちに満ち ひかりに溢れ
 わたしを若返らせ わたしを幸せにしてくれる
              『坂村真民 一日一詩』より


<感想>

 こちらの詩は、花を題材として、坂村真民さんの詩を元に漢詩にしたというところですね。

 承句は「花に会う (そうすれば)花は言葉を理解してくれる」というところでしょうか。

 後半はよく分かる、味のある句ですが、四字目の「慈」は平声、「如」を「若」にして挟み平でいきましょう。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第328作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-328

  東京天樹塔        

鐵塔六三四   鉄塔 六三四(ムサシ)

柱心千古智   柱の心 千古の智

緩衝塵劫存   緩衝には 塵劫存す

耐震萬全備   耐震 万全の備え

          (去声「四ゥ」の押韻)


<解説>

 鉄塔の高さ六三四メートル、心柱の長さ三七五メートル、内二五〇メートル可動。五重塔様式に倣う。
 この詩、数詞 小さい方から 塵、三、四、六、千、万、劫。塵劫また数学を云う。

<感想>

 五言絶句二十字の中に、数詞を散りばめたもの、「柱心千古智」というのは、NHKの『プロジェクトX』で描かれていましたね。
 しっかり頭に入りました。
 スカイツリーの見方がちょっと変わってきた近頃です。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第329作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-329

  C水港        

C水開港百餘年   清水開港 百余年

富士海上玉景然   富士 海上に玉景然たり

貿易觀光花火響   貿易 観光 花火の響き

繁榮祈念到交船   繁栄を祈念し 交船に到る

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 当たり前のように毎回花火の音を聞いているのに、改めて港の歴史を振り返り、明治三十二年、お茶の輸出が始まりました。
 五歳位の頃、ドスンドスンという音は港を大きくしているのだと聞いたのを思い出し、月日の経つのは早いものだとつくづく思いました。

<感想>

 清水と来れば港、「清水湊の名物はお茶の香りと男伊達」という歌がありましたね。
 更に転句で、新しい名物も紹介されて、地元の方ならではの詩になっていると思いますよ。

 前半は平仄が合わない箇所があります。

 起句の「水」は仄声ですので、「港灣」と書き出し、「開拓」「開鑿」などとしましょう。

 承句も「上」が仄声でしたので、「二四不同」になりませんでした。
 ここは「海上」に富士が見えるとなり、方向が逆に思いますので、「西天」「青天」とかを入れて調整してはどうですか。

 後半は良いですが、結句の「到(交船)」が分かりにくいですね。
 繁栄の願いを行き交う船に届くように、というお気持ちだと思いますので、「到」を削って「往來船」とか「望交船」とするだけでも伝わるでしょうね。



 by 桐山人(2024.5月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第330作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-330

  憶白居易詩讀        

葷腥齋戒斷儒窮   葷腥(くんせい) 斎戒を断ち 儒を窮む

居易詩文竹帛功   白居の詩文 竹帛の功

此道無戈遙覇遠   此の道 戈無くして 遥かな覇は遠し

白聲幾歳滿蒼穹   白声 幾歳 蒼穹に満つ

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 官職や詩作だけでなく、種々の教えを窮めるのは並大抵のことではなかっただろう。
 また、民のためにも尽くされた数々、本当にすばらしい人格の持ち主であったこと感心します。

<感想>

 白居易の人間性は色々な形で評価され、官吏としても優秀であったからこそ、晩年も高い身分で生涯を全うしたと言えます。
 彼が残した詩は、日本人の精神性にも影響を沢山与えたもので、どれを読んでも心が伝わってくる気がします。

 起句は話がやや乱れていて、「斎戒」でなく「葷腥を断つ」ではありませんか。「斷」がこの位置ですと「儒を断つ」ともなります。
「葷」だけでも「生臭いもの」という意味ですので「斷葷齋戒」として、下は「大儒」でしょうか。

 承句の「居易」は字(あざな)で、本名で呼ぶのは詩では失礼になりますので、ここは「白氏」が良いですね。

 転句の四字目は「戈」でなく「才」ですね、これなら平仄も合います。
 下三字は「遙」と「遠」が意味重なりですので、再読文字の「当」を用いるのが良いですかね。

 結句の「白聲」は「名聲」「頌聲」「コ聲」「芳聲」「誉聲」など色々ありますので、検討ください。  



 by 桐山人(2024.5月教室作品)