2024年の投稿詩 第271作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-271

  万巻書        

欲極書香未達成   書香を極めんと欲し 未だ達成せず

衰鬚弱視恰如盲   衰鬚弱視 恰も盲の如し

無知怠惰真吾事   無知怠惰は 真に吾が事なり

睡後梅花満本棚   睡後 梅花 本棚に満つ

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 若いころは、万巻の書を読破しようという気概があったが、とてもできなかった。
 年も喰って目が弱り、小さな字は読めない。
 無知な上に怠け者、昼寝から覚めると、書香の代わりに、空きだらけの本棚を梅の香りが満たしている。

<感想>

 身につまされる詩で、私のことを言われているような気がします。
 本当に日ごとに目が悪くなっていくのを実感します。
 本棚の本も存在が装飾品に近くなってしまいました。

 共感ばかりで納得してしまうのですが、転句の「眞」はあまり強調し過ぎると煩わしいので「是」にしましょう。
 また、結句の「梅花」は花が本棚に並んでいるようですので、「梅薫」「梅芬」とした方が良いでしょうね。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第272作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-272

  芦湖朝景        

浅眠旅客佇朝暉   浅眠の旅客 朝暉(ちょうき)に佇(たたず)む

残雪幽湖孤灯微   残雪の幽湖 孤灯微なり

早起村舟迫水鳥   早起の村舟 水鳥に迫れば

黄雲倒映忽然萎   黄雲の倒映 忽然と萎(しぼ)む

          (上平声「四支」の押韻)


<感想>

 こちらの詩は、平仄としては承句の六字目、「灯」は平字ですので、「孤火」「灯火」が良いですね。

 転句は下三字が仄字ばかりですので、「迫」を「追」に。

 内容としては、「朝暉」と「孤燈」が光る物で重なりますので、「風細微」あたりで。

 結句の「倒映」は「倒影」でしょうか。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第273作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-273

  窮而変        

戦雲密密蓋孤城   戦雲密密として 孤城を蓋う

守将端端集残兵   守将端端として 残兵を集む

莫侮蟷螂存一斧   侮(あなど)る莫(な)かれ 蟷螂(とうろう)一斧(ふ)を存すれば

窮而血路自成生   窮而(きゅうすれば)血路 自(おのずか)ら成生す

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 圧倒的に不利な状況からでも、闘志さえあれば戦局を一変させることができる。
 人生には、こうした不思議なできごとがあるものだ。

<感想>

 この「窮而変」は、『易経』の言葉で「窮則変、変則通、通則久」だそうですが、同じく「困窮而通」というものもあります。
 この「変」も「(自分自身が)変化しなくてはいけない」というのと「情勢の変化が生まれる」と二通りあります。日本では「窮すれば通ず」ですね。

 平仄としては承句の六字目、「残」は平声ですので「二六対」が崩れています。
 「甲兵」「羸兵」でしょう。

 ここの「端端」がどんな意味なのか、また、前半を対句にするならば上二字を合わせたいので、「守将」を「塞将」でどうでしょう。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第274作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-274

  能登地震        

暖冬一月未氷生   暖冬一月 未だ氷は生ぜず

地震重来北陸傾   地震重ねて来たり 北陸は傾く

涙雨無情濡廃屋   涙雨(れいう)無情にして 廃屋を濡らす

蒼生幾万溢嗟声   蒼生幾万 嗟声(させい)溢る

          (下平声「八庚」の押韻)


<感想>

 起句の下三字は本来「氷未生」あるいは「未生氷」となるところ。  平仄の関係だということで許容できますかね。  その他はよく伝わる内容で、特に転句の「涙雨無情」は胸に染みる表現だと思います。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第275作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-275

  能登地震 其一        

家族團欒元日夕   家族団欒 元日の夕べ

怒濤地震襲能登   怒濤 地震 能登を襲う

寸時倒壊無防御   寸時の倒壊 防御無し

離別無情悔恨憑   離別無情 悔恨 憑りつかん

          (下平声「十蒸」の押韻)


<感想>

 能登の地震は元旦の午後、我が家でも息子一家が孫を連れて来ていて、丁度お年玉を渡していた時に緊急地震速報が流れました。
 その後は孫達も不安そうな顔になり、お正月気分も飛んでしまいました。
 災害に遭われた方々もきっと、穏やかな正月を過ごしていたのだろうと思うと、「よりによって今日」と辛い気持ちになります。

 そうした思いが起句によく表れていて、承句以降の描写も報道されていた通りで現実感が強く、結句の心情を一層明瞭にしていると思いました。

 転句結句の「無」の重複だけは直さなくてはいけませんね。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第276作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-276

  能登地震 其二        

海底隆昇阻港湾   海底 隆昇し 港湾阻む

陸行寸断救援艱   陸行 寸断 救援 艱し

寒愈降雪宿営阻   寒さ愈々 雪降り 宿営阻む

對策徹宵真摯顔   対策 宵を徹して真摯な顔

          (上平声「十五刪」の押韻)


<感想>

 転句の「愈」は平仄的には仄声で使われることが多く、「逾」は平声、「愈」は仄声、「兪」は両用という印象ですので、「逾」ならば問題は無いと思います。

 前半で被災地に行くことの困難さを海からも陸からも、という形で表し、「救援艱」を示した上で、更に避難所生活の厳しさを加えて、緊迫感のある結末にしていますね。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第277作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-277

  糖黍        

糖黍寒威如竹堅   糖黍は 寒威 竹の如く堅し

媼刲翁叩似書箋   媼は刲(さ)き 翁は叩いて 書箋に似る

旧懐戦後飢甘味   旧懐 戦後 甘味に飢る

咀嚼今知歳月遷   咀嚼 今知る 歳月は遷る

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 珍しいものを頂き、昔を思い出して作りました。

<感想>

 これはサトウキビ(砂糖黍)ですね、「甘蔗」が漢名です。

 起句の「寒威」は突然ですが、「サトウキビが寒威」では分かりません。「寒い日」ということでしょうかね。
 ここで「如」、承句でも「似」と比喩が並ぶのも良くないので、「寒日供餐甘蔗堅」。

 承句は面白い対になりましたね。「書箋」ということで、ペラペラの紙のようになったということでしょうか。

 転句は前からの流れを出すなら「因懷(因りて懐ふ)」「爲懷(爲に懐ふ)」。
 下三字は「甘」は使えませんので「甜」で行きましょう。

 結句は「今」ですと「今になって初めて」という意味合いで、これは大げさですね。
「尚知年月遷」が適当です。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第278作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-278

  白菜        

白菜堪寒美味加   白菜 寒に堪へ 美味加わる

容姿透映確乎嘉   容姿 透映 確乎の嘉

忽然想起故宮寶   忽然 想起 故宮の寶

彫刻如生異彩誇   彫刻 生のごとし 異彩誇る

          (下平声「六麻」の押韻)


<解説>

 同じ人に頂きました。
 台湾の故宮で見た白菜を思い出しました。
 白菜を見るたびに宝物を見る思いがします。

<感想>

 故宮博物館の目玉収蔵品ですね。
 この詩は展開も分かりやすく仕上がっていると思いますよ。
 最後の「彫刻」は「翠玉」としておきましょう。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第279作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-279

  満月        

目醒何知刻漏針   目は醒める 何ぞ知らん 刻漏の針

高窓皓皓夜光侵   高窓 皓皓 夜光侵す

詩朋逝去一旬日   詩朋 逝去して 一旬の日

魂魄無声覚降臨   魂魄 無声 降臨を覚ゆ

          (下平声「十二侵」の押韻)


<解説>

 友達が亡くなって十日目に満月になり、夜中の満月は静かでした。

<感想>

 起句の「刻漏針」ですが、水時計に針というのはどうでしょうか。
「音」として、中二字は「孤牀」とか「閑聞」ですかね。

 転句は「一旬」と魂が戻ってくるということは関連がありますか。この書き方ですと、十日目に戻ってくるという言い伝えでもあるように感じます。
 単に十日経ったということなら「已旬日」としておくのが落ち着きます。

 結句はどうでしょうね、ご自身の気持ちを出した方が良いと思います。
 「哀切無窮」として、下三字をご検討されてはどうでしょう。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第280作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-280

  春雨        

漠漠陰雲重嶺靜   漠漠たる陰雲 重嶺静かに

絲絲冷雨滴聲微   絲絲たる冷雨 滴声微かなり

庭梅花白恰如雪   庭梅 花白く 恰も雪の如し

老大縮身寒作威   老大 身を縮め 寒は威を作す

          (上平声「五微」の押韻)


<解説>

 前対格 「漠漠」… 薄暗いさま  「絲絲」… 糸のように細いさま

<感想>

 前半の対句は構造としては問題ありませんが、「重嶺」と「滴聲」が内容的に対応が悪いですね。
 どうかな、「山色」と「泉声」くらいではどうでしょうね。

 転句での白梅を雪に例えるのはありきたりで、「恰如雪」と言うと大げさに感じます。
 雨に打たれた梅花はどんな風情なのか、という観点が欲しいですね。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第281作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-281

  春日郊行        

踏一路浴春光   踏青 一路 春光浴(あび)る

尋到村郊野水傍   尋ね到る村郊 野水の傍(かたわら)

堤上風和深柳細   堤上 風和らぎ 深柳細く

橋頭日暖早梅香   橋頭 日暖かに 早梅香し

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 後対格  「深柳細」… 深く茂った柳の枝が細い

<感想>

 起句の末字「春光」は結句の「日」と重なりますので、あまり面白くないですね。
「樂春望」として光を出さない方が良いですね。

 後半の対句は問題無いですが、「深柳」は「新柳」の方が春らしいと思いますが、どうでしょう。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第282作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-282

  元旦一題        

馬齡歳旦酒盈杯   馬齢にして歳旦 酒杯に盈つ

援筆題詩松竹梅   筆を援りて 詩を題す 松竹梅

佳句何如無一首   佳句 何如 一首無からん

春禽勿笑待思來   春禽 笑ふ勿かれ 待てば思ひ来たらん

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 元旦から一題でもと思い筆をとるが頭に浮かんでこなくて、外に鳴く鳥に嘆きをと・・・・

<感想>

 よく整った詩になっていますので、部分的に直すくらいで良いですね。

 起句は「馬齡」と謙譲しておられますが、「甲辰」と干支を言うだけでも華やかさが出ます。

 転句は「何如」は「どのように」という意味ですので、ここでは「何爲」(なんすれぞ)の方が「どうしてだろう」という感じが強くなりますね。p  結句は最後の「待思」がちょっと分かりにくい。「待時來」(時の来たるを待たん)が良いでしょうね。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第283作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-283

  拜久能山兜        

コ川麗雅揚葵權   徳川 麗雅なる葵の権を揚(かか)ぐ

瑞氣留嚴久能邊   瑞気 厳かに留む 久能の辺り

一望山東啼鳥影   一望する山東 啼鳥の影

飾兜自耀玉香鮮   飾られた兜 自ら耀き 玉香鮮なり

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 久能山博物館で徳川の鎧兜を見た時を思い出し、作詩しました。

<感想>

 こちらは平仄の点で違いがあります。
 起句の「揚」は平声ですので、「下三平」になってしまいました。これは禁忌です。
 また、承句の六字目「能」も平声ですので「二六対」が合わないので、直す必要があります。

 全体を見ますと、承句と転句で山の景色となっていて、博物館内の様子を描いた起句と結句がバラバラという感じです。
 遠景から近景が分かりやすいと思いますから、転句の内容を起句に持ってきちゃいましょう。
「久能山上鳥聲旋  久能山上 鳥聲旋(めぐ)り」

 承句は「一望瑞雲東海邊」くらいでまとまるかと思います。

 転句に起句のことを持ってきますが、平仄を合わせなくてはいけませんので、語順を変えましょうか。
「麗雅コ川葵旆舘」としますが、博物館の趣などを入れても良いでしょうね。
 結句はこのままで良いと思います。



 by 桐山人(2024.2月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第284作は桐山堂静岡の 子方 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-284

  駄駄茶豆之詠        

青菽夕映届日淪   青菽(しゅく)は夕映えに届き 日淪(しず)む

北里山形未見津   北里の山形は 未だ津を見ず

昔月若人今故世   昔月の若人 今は故世

懷思碧豆慰予人   懐に思ふ 碧豆 予人を慰む

          (上平声「十一真」の押韻)


<解説>

 前に友人の息子の仲人をやったら山形の豆を送ってくれた。
 優秀な男だったが病に倒れた今は私が皆に豆を送っている。

<感想>

 「駄駄茶豆」は山形の特産品、それを引き継いで育てているという内容ですね。

 起句の「菽」は豆、夕日の赤色と豆の青色が映えている光景ですね。
 ただ、この字は仄字、六字目の「日」も仄字ですので、平仄が合いませんね。
 下三字は「夕陽淪」で良いので、中二字に「菽」、上は「映」を使いたいですがうまく入りませんので、「鮮明」ではどうでしょうね。

 承句は下三字の「未見津」が何のことなのか、直訳すれば「未だ津を見ず」ですが、『論語』を引いてきたと考えると、ご友人がまだ(学問の)道半ば」ということでしょうかね。

 転句は「人」の重複もありますが、「昔月」もおかしいですね。また、「昔は若者だった」というのは当たり前過ぎますので、どんな若者だったかを書く必要がありますね。
「今」を使うなら「昔」という言葉自体も要らないでしょうから、「精励舊朋」「知友力行」のように友人のことをしっかり出してあげましょう。

 結句の「予人」は「私と他の人」ということで考えれば通じます。
 この句の頭の「懷思」は昔の事を思い出す言葉ですが、この句の後半はご友人が「故世」(お亡くなりになる)した現在の話ですので、合いません。
「君殘」とストレートに言っても良いかと思いますよ。  



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第285作は桐山堂静岡の A・S さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-285

  春雨        

二月東風氣漸和   二月 東風 気漸く和し

終朝窗外雨聲多   終朝 窓外 雨声多し

散絲且莫催花發   散絲 且く花発くを催すこと莫かれ

春景一來如箭過   春景 一たび来たれば 箭の如く過ぐ

          (下平声「五歌」の押韻)


<解説>

 「散糸」は雨のこと。春の雨は開花を促すことから「催花雨」とも言われます。

<感想>

 起句の「漸」は似た言葉ですが「稍」とした方が春まだ浅いという感じが出ますかね。
 句末の「和」は「和す」だと仄声、「和(やわら)ぎ」と読んでおきましょう。

 承句は、ここで「雨」を出してしまうと、転句の「散糸」がぼやける気はします。
 「窗外」に合わせて「滴聲」が考えられます。
 「散絲」は比喩で、雨のことだとすぐに分からないかも、という心配もあるでしょうが、題名に「春雨」とありますので、大丈夫だと思います。

 後半は、転句がややバタバタした感じ。「催花」と「發」は同じことで、読み下しがそのために難解になりました。
 対句の形でまとまってはいますので、これが収まり所かなとは思います。

 結句の読み下しも「来たらば」と仮定形にしておきましょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第286作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-286

  立春遇雨 其一        

蕪菁収穫入籠全   蕪菁の収穫 籠に入れて全し

遇雨騷然濡圃田   遇雨 騒然 圃田を濡らす

鵠註カ生排地汚   緑白 生生 地の汚れを排す

雪肌根菜土流姸   雪肌の根菜 土流れて妍たり

          (下平声「一先」の押韻)


<感想>

 承句で雨が降って来た場面、大慌てでバタバタとしている姿もユーモラスな雰囲気ではあります。
 ただ、そのことと後半のカブの姿とは繋がりが無いのが苦しいですね。

 転句の「汚」は平声です。ここは仄声にしないといけませんね。
 カブに付いている土の汚れを落とす、ということですが、結句の「土流姸」と同じことで、どちらも「土の汚れを落としてきれいになる」ということ。
 そう見ると「緑白」「雪肌」もちょっとしつこいですかね。

 結句の最後を「雪肌姸」とすれば、少し緩くなると思います。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第287作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-287

  立春遇雨 其二        

遇雨闋晴思立春   遇雨 闋(や)んで晴れ 立春を思ふ

群鵯擧啄沫頻頻   群鵯 挙って啄めば 沫頻頻

不知水滴行行處   知らず 水玉 行行の処

飛當翁顔一驚巾   翁顔に 飛当 一驚の巾

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 起句の三字目「闋」は「終る」ということですが、「遇雨」は「雨に遇う」ことが「終る」というのは回りくどいですね。
 「立春を思う」ということで行くと、「寒雨忽晴」ですかね。

 承句の「沫」は水の粒、転句の「水滴」も同じです。
 そうなると、雨が止んで、残っていた水滴が鵯にかかり、それが何処に行くのか分からないと思っていたら私の顔に当たったということで、雨が回り回ってということですかね。

 結句は平仄も疑問ですし、最後の「巾」もよく分かりませんので、再考をお願いします。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第288作は桐山堂静岡の 甫途 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-288

  上學少女        

傾首兒童少女前   傾首の児童 少女の前

三餘上學口爲虔   三余 上学 口 虔しむらる

訓蒙欲教別離卒   訓蒙 教はらんと欲すれば 別離の卒

歸北風聞七十年   帰北 風聞 七十年

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 「上学」… 三歳上  「帰北」… 北朝鮮に帰る

<感想>

 これは七十年前の思い出の場面ということでしょうね。

 まず、起句から画面が分かりにくいのですが、題名になっている入学してきた少女と子供達が顏を合わせたという場面ですかね。

 承句はその少女の説明で、三歳上だったので話し方も自然に虔みを持っていた、ということでしょう。
「口爲虔」は受け身形よりも「口虔しみを為す」とした方が分かります。

 転句は「教わらん」、つまり自分が教わりたいということでしたら、「請」「習」。下の「別離」は分かりますが、「卒」は「卒業」でしょうか。

 結句は「歸北」は「北」だけで北朝鮮を表すのは略し過ぎで、「國」としておきましょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第289作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-289

  春分過雨        

彼岸墓参道   彼岸 墓参の道

雨餘新緑殊   雨余 新緑 殊なり

拈香暫瞑想   香を拈み 暫し瞑想

翁媼近冥途   翁媼 冥途近し

          (上平声「七虞」の押韻)


<感想>

 お彼岸はあの世との距離が一番近い時、結句のようなお気持ちが出るのも自然な流れですね。
 私も毎朝仏壇に向かう時、祖父母から始めて冥界の親族皆に呼びかけていますが、声を掛けるだけでも近づいた気がしています。

 承句の「新緑」はどうしても初夏の語感がありますので、「新草」ではどうですかね。

 全体に五言の軽やかさがよく出ていると思います。  



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第290作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-290

  能登地震 其三        

突如火焔捲朝市   突如の火焔 朝市を捲く

無奈消防全斷水   奈ともする無し消防 全断水

高屋塗師房半傾   高屋 塗師の房 半ば傾く

廢墟輪島矜恃矣   廃墟の輪島 矜持あらんか

          (上声「四紙」の押韻)


<感想>

 今回の詩は輪島の火災ですね。

 仄韻の詩ですが、結句の六字目「恃」は仄声です。混同して用いられる「矜持」で良ければ平仄は整います。
 この最後の「矣」は語調を強める役割ですので、ここは「誇り高くあってくれ」という感じでしょうね。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第291作は桐山堂静岡の 常春 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-291

  能登地震 其四        

月餘搜索尚懸命   月余の捜索 尚懸命

避難集團心漸勁   避難の集団 心漸く勁し

不久復興繁喚聲   久しからず 復興の喚声繁がらん

民間公共須施政   民間 公共 施政須たん

          (去声「二十四敬」の押韻)


<感想>

 起句は救援の側、承句は避難の側に沿っての句ですね。

 転句の「不久」はその前半の二句を受けてのものですが、句として見ると「復興」そのものが長くはないということで悲観的な話になってしまいます。
「不遠」ならば良さそうに思いますが、どうでしょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第292作は桐山堂静岡の 一菊 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-292

  春分遇雨        

靜聽泠泠風雨聲   静かに聞く泠泠たる風雨の声

閑看翳翳府中城   閑に看る翳翳(えいえい)たる府中の城

喫茶一椀待新霽   一椀の茶を喫して新霽(しんせい)を待ち

群雀啼花春草生   群雀は花に啼きて春草生ず

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 対句の練習として、前半を対句にできるように試みました。

 お堀のそばにあるカフェで雨の日にお堀を見たことを思いながら、お題と合わせて作りました。
 雨が春の恵みをもたらすことを感じる詩にしたかったです。

  静かに清らかな雨音を聞き
  長閑に暗い駿府城看る
  お茶を一杯飲みながら晴れるのを待ち
  (雨上がりを告げる)雀の群れは花影で鳴き、春風に草が生ずる


<感想>

 前対格は対句としては分かりやすい場所で、律詩への練習にもなります。

 まず、その対句についてですが、句の構造としては「副詞・動詞・畳語・連体修飾語(名詞)・名詞」とどちらも同じ構成ですね。
 細かく言えば、「風雨」という同種語の熟語に対して「府中」は「府の中」という修飾語+名詞なのが構造的に違いがありますが、これくらいは許容範囲で良いでしょう。
 上の「靜聽」と「閑看」は対句としては問題ありませんが、内容としては変化が無く、どうも「ありきたり」です。

「靜」と「閑」は同意語ですし、「聽」と「看」もどちらも五感の一つ、対句は予想外の組み合わせが作者の感性を発揮するところです。
 そうですね、例えば「獨聽」と「僅看」とすると、作者は一人で居て、雨に霞むようなお城を見ているという場面設定が最初に示されるという形になります。
 対にすることで情報量が当然増えて行くわけで、「靜」「閑」のどちらかを他の言葉に替えてみるだけでも変化が愉しめますよ。

 転句は良いですね。

 結句は「群」だとちょっと数が多いように感じます。数を出さずに「小雀」ですかね。
「啼花」は「花陰」が落ち着くでしょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第293作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-293

  二宮尊徳翁        

寒村數百滿窮民   寒村 数百 窮民に満つ

累累荒田自棄貧   累々たる荒田 自ら棄て貧し

尊コ終身奔救苦   尊徳 終身 奔(はし)りて苦を救へば

至今餘慶潤人人   今に至るも 余慶 人人を潤す

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 かつてはどこの小学校にも「負薪読書」の二宮尊徳像が校門の近くに建っていました。
 昭和の終わり頃(一九七〇年代)から「歩き読書は交通事故の不安」があることで、徐々に修復しない形で撤去されるようになったようです。
 現在の「ながらスマホ」で歩いている人も、見た目は一緒ですよね。

 静岡と二宮尊徳の関わりは私もよくは知らないのですが、相模、伊豆、駿河が大飢饉に陥った時に救済を図ったようですので、今回の詩はその辺りの事情でしょうか。

 起句は「數百」を「幾百」の方がやや数字がぼやけます。

 結句は「餘慶」は「先祖や先人から受ける恩恵」で、この言葉が翁への感謝と尊敬をよく伝えていますね。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第294作は桐山堂静岡の 梁山 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-294

  春雨偶成        

濛濛細雨撫春花   濛々たる細雨 春花を撫で

淡淡殘年専愛茶   淡々たる残年 専(もっぱ)ら茶を愛す

此旦餐中驚訃報   此の旦(あした) 餐中 訃報に驚き

消魂瞑目聞烏鴉   消魂 瞑目 烏鴉を聞く

          (下平声「六麻」の押韻)


<感想>

 前半は、せっかく畳語で二句を始めていますので、下三字を合わせたいですね。
 起句の「(細雨が)春花を撫で」というのは味わいがありますので、承句の方を「愛茗茶」としてはどうでしょう。

 転句の「此」は「今」が分かりやすいでしょうね。

 結句の「消魂」は「おどろく、ショックを受けがっかりする」、日本語の中に「たま(魂)げ(消)る」として定着しています。
 同じような言葉に「銷魂」がありますが、こちらも同様に使えます。

 最後の「聞烏鴉」は、悲しげというか不吉というか、印象的な終り方ですね。
 「聞」はこの場合には平声ですので、両韻字の「聽」にするか、「噪」「聒(かまびすし)」などでも良いでしょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第295作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-295

  春日訪古寺        

春晴祈賽古香臺   漠漠たる陰雲 重嶺静かに

緩渡東風吹面來   緩やかに渡る東風 面を吹いて来る

鳥語蕭蕭人不見   鳥語 蕭蕭 人見えず

木蘭冷艷爲誰開   木蘭 冷艶 誰が為に開く

          (上平声「十灰」の押韻)


<解説>

 「木蘭」… ハクモクレン(白木蓮)

<感想>

 前半は春の穏やかな風が吹いて春らしいうららかな趣、転句から「蕭蕭」「人不見」「爲誰開」となり急にトーンが下がるのはどういう狙いでしょう。
 前半に「惜春」などの雰囲気だけでもあれば納得できるのですがね。

 流れから行けば、転句は「黃鳥澄明」、結句は「木蘭C艷」のような展開で、下三字も転句は「好音渡」、結句は「素花開」と春を楽しむ形が良いと思います。
 願わくば、結句に「古寺」の要素を出しておくと締まりが良いですが、後半が対句ということならば無理に寺を入れなくても行けるでしょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第296作は桐山堂静岡の 柳村 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-296

  春雨閑居        

窗前孤坐冶春時   窓前 孤坐す 冶春の時

遠寺鐘聲萬感滋   遠寺の鐘声 万感滋(しげ)し

院落梅紅風剪剪   院落 梅は紅(くれない) 風剪剪

回塘柳拷J絲絲   回塘 柳は緑 雨絲絲たり

茅居懶出聞擔滴   茅居 出づるに懶(ものう)し 擔滴を聞き

書室煎茶題小詩   書室 茶を煎(に)て 小詩を題す

盡日空濛人不到   尽日 空濛 人到らず

閑愁一脈更堪思   閑愁 一脈 更に思ふに堪へたり

          (上平声「四支」の押韻)


<感想>

 第二句の「萬感滋」、「遠寺鐘聲」で「萬感滋」は重いですね。
 作者自身の感懐を出すには早いので、「憂色滋」「古色滋」と鐘の音について語るという形が良いかと思います。

 頷聯の対句は分かりやすいですが、「雨絲絲」と「風剪剪」の両方だと、天気がかなり悪い感じがしますね。
 上句は「香細細」と両存させる形を考えるのが良いかと思います。

 第五句六字目の「擔」は「簷」「檐」ですね。
 対句の形で見ると、頸聯の「慵出」と「煎茶」、「檐滴」と「小詩」の対応が気になります。
 前者は「煎茶」を「無爲」に、後者は「題小詩」を、「閲杜詩」「讀李詩」と人物名を入れるなどが良いかと思います。

 尾聯はまとまりがあって良いです。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第297作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-297

  待春        

河邊梅笑彩霞中   河辺 梅笑ふ 彩霞の中

跳魚鵜潛春水通   魚跳ね 鵜潜り 春水通ず

殘雪芙蓉猶料峭   残雪あり 芙蓉 猶ほ料峭

待香引友野村東   香を待ちて 友を引(まね)く 野村東

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 梅の花の開花を待ちて、楽しく友と相約束する。

<感想>

 結句の「待春」はまだ春が来ていませんが、「待香」は梅の開花の話になりますので、「待(香)」の字は入れない方が混乱しないでしょうね。
 また、この「香」は梅のものだと思いますが、そうなると起句からは離れ過ぎのようにも感じます。
「待時」としておけば、話がすっきりするでしょうね。

 平仄としては、承句の「魚」が引っかかります。四字目の「潛」は平仄両用の字ですので、上二字と中二字を入れ替えると良いでしょうね。
「鵜潛魚跳」で収まります。

 結句は「野村」という言葉はあまり見ませんので、「引」も直接的過ぎますので、「待時誘友僻村東」でしょう。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第298作は桐山堂静岡の 香裕 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-298

  悼無二親友亡        

人生有限感無常   人生 限り有り 感無常

九十黄泉不厭狂   九十の黄泉 狂ふを厭はず

喜悲浮沈渾一夢   喜悲 浮沈 渾て一夢

難留寂寞涙沾裳   留め難し 寂寞 涙裳を沾す

          (下平声「七陽」の押韻)


<解説>

 七十余年の親友が急逝し、あれこれ思い出ばかりが頭から離れず、毎日悲しい思いで過ごしました。

<感想>

 題名ですが、「悼」と書けば「亡」は必要ありません。
 「親友」ですので「無二」も削ることはできますが、大切な宝物という意味合いを籠めてのものと理解はできます。

 起句の「感無常」は「無常を感ず」と読み下しが良いです。

 承句の「九十黄泉」は「黄泉が九十有るのか」と思いますので、「君逝黄泉」としておきましょう。
 下三字の「不厭狂」は自分の悲しみでしょうが、表現が過激な印象ですので、「獨嘆傷」くらいにしておきましょう。

 転句の「喜悲」は平仄が逆ですので「悲喜」で。
 下三字はここに「齢九十」とか「九旬歳」と年齢を入れるのも良いでしょうね。

 結句は問題なく、悲しみのお気持ちがよく表されていると思います。



 by 桐山人(2024.3月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第299作は桐山堂静岡の 擔雪 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-299

  彼岸墓参        

年芳紅塵花綻時   年芳 紅塵 花綻ぶ時

新陰處處愛風姿   新陰の処処 風姿を愛す

夜臺掃墓疎鐘外   夜台の掃墓 疎鐘の外

追慕音容已七年   追慕す 音容 已に七年

          (上平声「四支」の押韻)


<感想>

 彼岸の詩ということですが、「墓参」というのは和語ですね、「展墓」としましょうか。

 起句の「年芳」は「花の開く春」、「紅塵」は一般には「世の中」を表しますので、世間が花の綻ぶ良い季節になったというのが全体の意味ですね。ただ、「芳」は平声ですので「芳季」くらいが良いでしょう。

 承句の「新陰」はこれはどうでしょう、「新緑」を表しますが、ちょっと早いかな?

 転句の「夜臺」は「墓穴」ですが、この場面で「夜」の字が出て来ると違和感がありますね。
 結句で「追慕」となってますので、ここはお墓にいらっしゃる方が分かるようにしてはどうでしょうか。
 お寺とお墓は別なのでしょうかね。お寺に居て「疎鐘外」はおかしいので「聞鐘韻」。

 また、最後の「年」は韻目が合いませんし、同じ字が起句にも出ていますので、「歳月悲」くらいでどうでしょう。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)

























 2024年の投稿詩 第300作は桐山堂静岡の 擔雪 さんの作品です。
 6月までの作詩教室での作品です。
 その折の私の感想も添えます。

作品番号 2024-300

  佛降誕會        

春遍風暄花滿瓶   春は遍し 風暄かく 花瓶に満つ

香湯灌佛佛生聽   香湯 灌仏 仏生を聴く

無憂迦樹瞿曇師   無憂迦樹 瞿曇の師

瑞院臺天地   瑞院 青台 天地青し

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

 釈尊の三仏忌の一つ、花まつりを詠みました。「降誕会 … 無憂樹」「成道会 … 菩提樹」「涅槃会 … 沙羅双樹」

<感想>

 こちらの詩では、転句の末字「師」の平仄が違いますね。

 専門用語が多い感じで、間違っていたら教えていただかなくてはいけませんが、「香湯」は「甘茶」、「灌仏」は「灌仏会」、「佛生」も同じですが「聽」が分かりにくいですね。

 転句の「無憂迦樹」は「無憂樹」「阿輸迦(アショカ)樹」と言われるものだそうです。
 この春の花で「降誕会」を表し、「瞿曇」は「ゴータマ」の音訳、お釈迦様の姓ですので、「師」がついて仏僧でしょうね。

 結句は「瑞院」も「青台」もお寺の建物ですかね。「青」が重複していますので、「香臺」の方が良かったですかね。



 by 桐山人(2024.4月教室作品)