2022年の投稿詩 第211作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-211

  薬草        

麦秋慈雨潤霑坤   麦秋 慈雨 坤を潤霑し

此地閑庭蕺劇繁   此地の 閑庭 蕺が劇繁する

重歳心身防老化   歳を重ねて 心身の 老化を防ぐ

煎茶妙薬健康元   煎茶の 妙薬は 健康の元

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 高血圧を指摘されてから、飲んでいます。

<感想>

 起句は「乾坤」でまとめた方が分かりやすい言葉ですので、「潤乾坤」とするべきですね。

 承句は「此地」とわざわざ言う必要は無いと思います。庭の様子をもう一言入れることができますね。
 また、「蕺」は「蕺草」とすれば、はびこっていることが想像できますので、「劇」は要らなくなります。

 転句は「心身の老化を防ぐ」とした場合には「心身老化」でひとまとまりになりますので、分割した形ではこのように読むことは無理です。
「年を重ねし心身 老化を防ぐ」とは読めますが、それでも「心身」を主語とすると「心身が老化を防ぐ」となりますので、ここは「重歳心身徴老化」が自然でしょう。

 結句は「元」は「源」かな、似たような感じですが。「恩」の方が良いかと思います。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第212作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-212

  薔薇園        

白日輝輝照映坤   白日 輝輝 坤を照映し

薔薇灼灼馥芬園   薔薇 灼灼 園を馥芬する

人間悪疫憂愁続   人間 悪疫 憂愁が続くが

現在開場衆庶軒   現在 開場 衆庶が軒(よろこ)ぶ

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 社宅内の散歩コースの薔薇園

<感想>

 起句は「照乾坤」が良いですが、平仄を合わせて「照午園」としましょう。

 承句は下三字を「馥芬門」で。

 転句は良いですね。

 結句は「現在」がまず説明的なこと、「開場」は「開園」でしょうが承句でもう分かっていることです。
 バラの花と香りに誘われて人々が来ている、ということを言えば、それまでの話をまとめる形で結句の意義が出てきます。
「芳艶誘人來往繁」とすると題名にもピッタリになると思います。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第213作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-213

  訪友宅        

北地卜居生活禅   北地 卜居 生活禅なり

起床屋外入温泉   起床 屋外の 温泉に入る

静閑野鳥清声麗   静閑 野鳥の 清声麗し

朝霧林間日色鮮   朝霧 林間 日色鮮なり

山頂滔滔看大海   山頂 滔滔 大海を看る

津涯匆匆見漁船   津涯 匆匆 漁船を見る

間雲孤鶴心身宓   間雲 孤鶴 心身宓(やすらか)なり

重歳楽天耕作田   歳を重ね 楽天に 田を耕作する

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 以前七言絶句を七言律詩にしました。「北地」は北海道の白老温泉の近くです。

<感想>

 第一句の韻字「禅」は「しずか」という意味で使ったのだと思いますが、「禅」を形容詞で使う例はほとんどありません。
 「然」を置いて、上の字(六字目)を探してはどうですか。「晏然」などが良いでしょう。

 第二句は「屋外の温泉」と読んではいけません。
「起床 屋外 温泉に入る」と読むことになりますが、そうすると「屋外に起床した」つまり「屋外に寝た」とも解釈しそうですので、「入」を形容する言葉を探すと良いですね。
「起床氣爽入温泉」(起床すれば気爽たり 温泉に入る)

 頷聯は対句として作り直しましょう。

 頸聯は下句の「匆匆」の平仄が違います。
 また、「山頂」までは山の林の中、突然「津涯(水際)」では話が分かりません。
 内容的にも「看大海」から「見漁船」では変化が少ないので面白くないですね。

 尾聯はひとまず良いですが、頷聯次第というところですね。
 詩題ですが、これは友人を訪ねたというよりも、友人の生活そのものですので、変更した方が良いですね。

※恒川さんから早速再敲作をいただきました。

    友人之状況(再敲作)
  北地卜居生晏然   北地 卜居 晏然と生(くら)す
  起床気爽入温泉   起床 気爽たり 温泉に入る
  黄鶯頭上清声麗   黄鶯 頭上 清声麗しく
  朝日樹間斜影鮮   朝日 樹間 斜影鮮なり
  港澳衆人聞怒号   港澳 衆人の 怒号を聞く
  津涯海水反漪漣   津涯 海水 漪漣反(くりかえ)す
  閑雲孤鶴心身宓   閑雲 孤鶴 心身宓(やすらか)なり
  重歳華胥始墾田   歳を重ね 華胥で 墾田始める  

 第四句は「斜影」だと夕日をイメージしますので、「輝影」が良いです。
 第五句は、こういう形で動詞を間に挟んでしまうと「衆人の怒号」とはならず、「衆人が怒号を聞く」となりますね。
 「聞」と作者を登場させたのがいけませんので、別の言葉にしましょう。
 また、「怒号」と言うと人々が喧嘩しているのかと思います。
 単に大声で話しているというだけでしょうから、もう少し 別の言葉を探すべきですね。

 第六句は「津涯」で「海水」では当たり前でつまらないですね。何か修飾語をさがしましょう。

 第七句は「宓」のような普段目にしない字(詩では使われない字)はできるだけ避けます。普通使う「健」では何か問題がありますか。

 第八句の「華胥」は「理想郷」、ただこの語は「昼寝」という意味もありますので、この句は「歳とって昼寝をしては田を耕す」と解される可能性が高いです。
 別の語を考えた方が良いですね。

 全体として、友人は「北の地で朝温泉に入り、鶯の声が聞こえて朝日が望める、港の近くに住み、ノンビリと世俗を離れて、農耕生活をしている」というところですかね。
 頸聯の「港に近い」というのは白老温泉の特徴を表しているのでしょうが、完全に浮いていて、温泉に入っていたらどうして港に来たのか、悩みますよね。
 最低でも題名に「白老温泉」の言葉を入れる方向が良いでしょう。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第214作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-214

  工場之神社        

為生製紙四旬回   生る為に 製紙で 四旬回(めぐ)る

開発研窮貢献纔   開発 研窮で 貢献纔(わずか)なり

構内天神思金命   構内 天神 思金命なり

工場長久冀無災   工場の 長久の 無災を冀(こいねが)ふ

          (上平声「十灰」の押韻)


  <解説>

 「思金命」は『古事記』に「知者」として、登場します。

<感想>

 起句ですが、「爲生」は内容的には「生きるために仕方なく」というニュアンスが出ますが、本当にそう思っていますか。
 謙遜はあまり効果がありません。「營營」で良いでしょう。

 承句も「貢献纔」とわざわざ言う必要は無いですね。ここも無駄な謙遜です。「貢献催」が良いです。

 転句は下三字の「金命」が、まさか『古事記』とは思いませんでした。
 和習ですので「固有名詞」だとわざわざ注を付けたのでしょうが、わざわざ神様の名前を出して何が言いたいのか、単なる場面の説明ではいけません。
 「知恵の神様」ということで直前の「開発研窮」と繋げたいならば「司慧智」のようにすることを考えましょう。

 結句は、前の詩の「屋外の温泉」と同様で、「長久の無災」と本来はひとまとまりの言葉の間に「冀」を入れた形でお考えのようですが、それは無理です。
 「長久に冀ふ」という修飾関係にするならば通じますね。
 で、工場内の神社でお祈りをした、ということで何を言いたいのかが出ていないですね。
 ここで祈ったおかげで四十年間勤務できた、ということならば、前半にもう少し自分なり仕事なりを誉めてあげないと、ただ「祈った」というだけで終ってしまいます。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第215作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-215

  悲小林多喜二作家        

戦前思想統治喧   戦前 思想の 統治喧しく

北地兵戈反對論   北地で 兵戈  反対を論ずる

警察執拘多喜二   警察は多喜二を執拘する

嚴刑拷問殺傷痕   厳刑の拷問 殺傷の痕

          (上平声「十三元」の押韻)


  <解説>

 「北地」… 北海道  六十年前ぐらいに、小林作家の本を読む

<感想>

 起句の「統治」の「治」は「おさめる」という意味で仄声です。
 平声で探すと「統監」が近いでしょう。

 承句は、この語順ですと「北方での戦争が起き、反対論が上がった」となります。
 本来では「反戦」という省略言葉でも分かりますが、目的語が下に来て「反対兵戈」となるもの。
 下三字も「反対を論ず」と読みたいならば「論反対」です。
 プロレタリア文学者としての多喜二も描くとすると、「反戰救勞潜隱論(戦に反し労を救はんと 潜隠して論ず)」くらいでしょうかね。

 結句は最後の「殺傷痕」が物足りない。これでも良いのですが、要するに「拷問」を言い換えただけですので、「だから…?」という気持ちになります。
 詩全体を通して、出来事を列記してありますが、そこから作者がどう感じたのか、何を考えているのか、が描かれていないのが寂しいところ。その辺りを検討ください。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第216作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-216

  偶成        

無門無藏又無衡   門無し 蔵無し 又衡無し

小戸次男貧乏氓   小戸の次男 貧乏の氓

積學下風憂苦極   積学 下風で 憂苦極り

盡心足跡動言晶   尽心 足跡 動言で晶かなり

          (下平声「八庚」の押韻)


<解説>

 第一句は亡父の口癖でした。

<感想>

 起句の「衡」は米を重さを量るはかりとのこと。

 転句は「積學」と下五字が繋がりません。
 「学問に励んだけれど」と逆接ですかね。
 この「積學」は転句の「足跡」のところに持って行き、お父様がどんな生活をされたのかを具体的に表したいですね。

 また、下の「憂苦」ですが、「貧苦」ならば客観的に分かりますが、心情を表す「憂」ですと、お父様の人生をそうまで言って良いか、疑問です。
 作者本人の気持ちならば「憂苦極」でも良いですが・・・。

 結句は「言動」をひっくり返しましたか、これは意味が通じません。
 「盡心」と似るかもしれませんが、「懐」「情」などの語を使うと良いでしょうね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第217作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-217

  犹太教之都        

信徒古里復歸頻   信徒は 古里へ 復帰頻なり

聖者黒衣須髪呻   聖者の 黒衣で 須髪に呻く

嘆壁衆多論懺悔   嘆の壁で 衆多 懺悔を論(の)べ

一心唯一固持~   一心に 唯一の 神を固持する

          (上平声「十一真」の押韻)


<感想>

 起句は分かりますが、承句は何を「呻」くのか、よく分かりませんね。

 転句の「論」は筋道を立てて話すことが字義ですので、これですと「多くの人が懺悔について各々の見解を語っていた」ということになります。
 「爲懺悔」とか、「專懺悔(懺悔を専らにす)」でも良いです。

 結句は「唯一神」で一つの言葉、勝手に分解しては駄目でしたね。
 これでは「一心にひたすら固持する」となります。
 「唯一神」として使いたければ平仄の関係で承句に入れるわけで、それなら「一意固持唯一~」で行けると思います。
 それでも前半は通じますので、結句を再考してはどうでしょうね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第218作は桐山堂半田の 向岳 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-218

  立秋偶成        

冬瓜若若上軒稠   冬瓜 若若 軒に上り稠り

胡蝶営営覓蜜流   胡蝶 営営 蜜を覓め流(うつりゆ)く

生物炎天望降雨   生物は 炎天で 降雨を望む

庶民室内午眠優   庶民は 室内で 午眠で優(やわら)ぐ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 起句の「若若」は「元気一杯」を表します。蔓が勢いよく伸びているということですね。
 韻字の「稠」はもともとは「作物がびっしり詰まった」ことを表しますので、本来は「稠し」と形容詞に読む方が自然ですが、承句の「流」を意識して動詞にしましたかね。
「上」は「掩」の方が「稠」の邪魔をしないでしょうね。

 承句は「流」ですとどこかに行く形になりますね。「周」「遊」が良いでしょう。

 後半は対比の面白さを狙ったのでしょうが、「生物」は「萬物」、「庶民」は「吾人」とした方が強調されて面白みが出ると思います。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第219作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-219

  水村初夏        

青風習習滿田園   清風 習習 田園に満つ

千里陽光農事繁   千里 陽光 農事繁し

首夏挿秧深酷H   首夏 秧を挿して 深緑滴る

麥秋新翠兩隣村   麦秋 新翠 両(ふたつなが)ら隣する村

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 我が故郷の初夏の水田の風景です。黄色と緑が入り混じっています。

<感想>

 起句の「青風」は「C風」ですね。
「田園」を表すのに「千里」は長すぎますね。「百里」くらいが限界でしょうね。

 前半はそれでまとまると思いますが、後半は言葉の重複が感じられ、やや疑問があります。
 転句の「深香vと結句の「新翠」は同じような色を表していますね。
 また、転句で「首夏」と言い、結句で「麥秋」と同じ季節を表しますので、おやおやという感じがします。
 お書きになった「黄色と緑が入り混じる」ということでは麦が欲しいでしょうから、中二字に「麥熟」「麥穗」などを語を入れる形で、上二字を考えてはいかがでしょう。
 色にこだわらなければ、「家家笑語」なども良いと思います。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第220作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-220

  林居初夏        

首夏林居昼尚昏   首夏 林居 昼尚ほ昏し

火雲慈雨拷門   火雲 慈雨 緑は門を掩ふ

東風松籟侵窗入   東風 松籟 窓に入って侵す

皐月中庭草色喧   皐月の中庭 草色喧なり

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 承句は「火雲」が奥深い林の暮らしと不調和、また、すぐ「慈雨」ですとどういう関係なのか、悩みます。
 上四字と下三字の繋がりも悩ましいですね。「蕭然慈雨」と修飾語を入れてみましょうか。

 転句は「東風」では春風になります。夏の風の「南風」では、これまた暑さを感じます。
 次の「松籟」が雨の中で不似合いなので、合わせて「細風松影」とし、松の影が窓に映るという感じでどうでしょうか。
「侵窗入」は「窓を侵して入る」と訓じます。

 結句は「皐月」と言うのは、起句の「首夏」と重なります。
 例えば、実際とは異なるかもしれませんが、起句を「多度山居」のように具体的な地名を入れると、景色がより鮮明になると思います。

 最後の「喧」はおかしいですので「暄」でしょうか。
 これも時期としては合わないので「蕃」「繁」(どちらも「しげる」の意味)の韻字がよいでしょうね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第221作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-221

  蘇水頭        

蘇水洋洋勢海頭   蘇水洋洋 勢海の頭

好天迅急採漁舟   好天 迅急 採漁の舟

昔年堤破常災被   昔年 堤破れ 災を被るを常とす

異國工人築改修   異国の工人 築き改めて修める

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 木曽川河口の今昔をまとめてみました。「蛤」を入れたかったのですが、平仄の関係で駄目でした。

<感想>

 木曽川の治水工事は明治になってオランダ人技師のヨハニス・デ・レーケの設計で行われたということです。
「木曽川河口の今昔」という狙いですが、前半は今、作者の見ている景色、後半は昔というより歴史ということですので、どうやって繋げるかが課題ですね。

 洪水の多かったこの地が明治の工事によって被害も少なくなった、ということから考えると、前半に穏やかな河口や海の様子を入れたいですね。
「洋洋」ですと「広い」というだけですので、「溶溶」とすると「ゆったりとした流れ」という意味が加わりますので、こちらの方が良いでしょうね。

 承句の「迅急」も「速い」という形容だけですので、漁師さんの気持ちを少し入れて「怱卒」、逆にノンビリとさせたいのなら「緩網(網を緩くし)」、「漫走」です。ゆったりの方が流れが良いですね。

 転句はちょっと分かりにくいですね。「昔年堤壊被災地」でどうでしょう。

 結句は下三字の「築」と「改」が同じような言葉ですね。
「爲改修」くらいが落ち着くでしょう。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第222作は桐山堂半田の 輪中人 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-222

  梅天偶感        

閑人五月草堂中   閑人 五月 草堂の中

雲氣天空麥浪風   雲気の天空 麦浪の風

陰鬱模糊檐溜下   陰鬱 模糊として 檐溜の下

柴門細雨財a濛   柴門 細雨 緑濛濛たり

          (上平声「一東」の押韻)


<感想>

 こちらの詩も前半の爽やかな初夏の風景と後半の鬱鬱とした梅雨の景が噛み合わないので、別々の詩のように感じます。
 題名から行くと、後半に合わせるべきでしょうから、まずは「五月」と「細雨」を入れ替えて、梅雨の季節だと最初に示しましょう。

 承句はもう梅雨ですので「麥浪」は無理、「天空」も広々とした晴れた空のイメージが出て苦しいところ。
 起句で「雨」を入れましたので、承句にすぐに「陰鬱模糊」と持ってきてしまいましょうか。
「陰鬱模糊窗外風」でどうでしょう。

 転句は「檐溜」(軒の雨垂れ)が来ましたので、取りあえず「燕」を入れて「乳燕飛來檐溜下」ならば通じますが、ここは作者自身で目に見える物を想像して入れ直してください。
 結句は「柴門五月財a濛」ですっきりすると思います。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第223作は桐山堂半田の 健洲 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-223

  秋湖遊行        

曉天過雨洗新秋   暁天雨過ぎて新秋を洗ふ

携内同回湖水頭   内を携へて同に回る湖水の頭

車兩不通人不見   車両通らず 人見えず

彩雲景色畫中収   彩雲の景色 画中に収まる

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 早朝雨上がりの秋景色の湖畔を家内と散歩した。
 車も人通りもまだなく、色鮮やかな雲と併せ絵を見ているような景色だった。

<感想>

 起句と承句の描写は逆でも良いのですが、この並びですと、「雨が上がった」ことを見てちょっと散歩に出たという軽快な感じが出ます。
 逆ですと、散歩に出てみたら丁度雨が上がった、となりますね。

 起句の「過雨」は「通り雨」、読み下しのように「雨が過ぎる」とするなら「雨過」の語順ですね。
「過」はこの意味ですと平仄両用で使えます。
「朝の空の通り雨が綺麗にしてくれた」というのも良いですので、読み下しを変えてはどうですかね。

 転句の句中対もリズムが有って良い詩になっていると思います。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第224作は桐山堂半田の 健洲 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-224

  秋日感懐        

閑庭獨座意悠悠   閑庭独座して 意悠悠

處處虫聲月一鉤   処処の虫声 月一鉤

有朋來談人世事   朋有り 来たり談ず 人世の事

把杯數歳又過秋   杯を把り 歳を数へ 又秋を過ぐ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 秋の気配のする庭で寛いでいると、友人が訪ねてきた。
 世間話をしながらお互い又歳をとることに感傷的になった。

<感想>

 秋の一日らしい詩になっていますね。

 起句は「意悠悠」と心情と出していますが、後半の心情と合いませんので、ここは叙景にしておくのが良いでしょうね。
「竹風流」「暮風幽」ですかね。

 転句は「有」が余分ですので「舊友」「酒友」が良いですね。

 結句は「歳を数へ」ではなく「数歳(何年も)」と読んでしまいます。「數刻」ならば大丈夫でしょう。
 最後の「過秋」は「經秋」が自然ですね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第225作は桐山堂刈谷の 岱岳(老遊) さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-225

  初夏即事        

紫雲舊磧八橋園   紫雲の旧磧 八橋の園

新燕頡頏廊閣軒   新燕頡頏す 廊閣の軒

天蓋翠松風習習   天蓋の翠松 風習習

地筵茶席客言言   地筵の茶席 客言言

主人下笈涼爐炎   主人 笈を下ろせば 涼炉の炎

鐵銚鳴泉玉露恩   鉄銚 泉を鳴らせば 玉露の恩

一椀何辭供石塔   一椀 何ぞ辞せん 石塔に供ふるを

詩歌吟詠憶王孫   詩歌吟詠して 王孫を憶ふ

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

「紫雲」… 「かきつばた」の紫色の雲の如く咲き乱れる形容。(水谷祖堂:考察集)
「舊磧」… 知立市の八橋のかきつばた史跡一帯を指す。(かきつばた園、無量寿寺、業平塚、在原寺等)『伊勢物語』六段で有名。
「廊閣」… 屋外の渡り廊下
「言言」… 楽しく話す
「笈」… 茶道具等を運ぶ竹製の背負い籠。
「涼炉」… 素焼き陶製の携帯用小型かまど。
「鉄銚」… 鉄製の湯沸かし釜。
「炎」「恩」は共に名詞。
「石塔」… 業平公が納骨される五輪の塔。業平塚。
「詩歌」… 業平公が八橋で詠んだ歌「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」
「王孫」… 天皇また貴族の子孫。業平公の父は親王、祖父は平城天皇。

<感想>

 律詩としての体裁も整い、場面もよく分かる内容ですね。

 「紫雲」をカキツバタの比喩として用いるならば、題名にカキツバタのことを入れないとけません。
 「紫雲」自体に瑞雲の意味がありますので、八橋に目出度いことが起きたのかと読んでしまいます。

 また、そのカキツバタについての記述がこの「紫雲」しかないのも問題で、カキツバタが在って初めて「王孫」、つまり業平に繋がるわけです。
 燕や松を描くよりもせめて一句分くらいはカキツバタの描写が欲しいですね。

 「舊磧」の具体的な描写が無い代わりに、茶席のことが四句、つまり半分を占めるのもバランスが悪く感じます。
 そうなると、落ち着くのは四句目にカキツバタか「旧磧」の様子を描く形が良いでしょうね。

 題名は「燕子花苑茶事」というところでしょうか。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第226作は桐山堂刈谷の 岱岳(老遊) さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-226

  立秋偶成        

颯颯西風催早秋   颯颯たる西風 早秋を催す

梧桐初落雁天丘   梧桐 初めて落つ 雁天の丘

二更坐眺新涼月   二更 坐して眺むる 新涼の月

喞喞鳴蛩慢惹愁   喞喞たる鳴蛩 慢ろに愁を惹く

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

「催」… 急がせる。せきたてる。
「雁天」… 雁が渡りをする秋空。
「喞喞」… 虫の鳴く声。
「二更」… 夜十時から十二時頃。 

<感想>

 素直にお作りになっていると思います。
「梧桐」は「桐一葉落ちて天下の秋を知る」の葉だと言われていますね。

 やや気になるのは「二更」の時刻、前半の夕暮れ(?)から夜の十時までですと時間が空きすぎるように感じます。
 つまり、「二更」に設定する意味です。

「夜陰」と時刻をぼかす形とか、「書窗」と作者の居る場所を示す形などが良いでしょう。

 結句の「慢」は「おこたる、なまける」ですので、ここは「漫」でしょうね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第227作は桐山堂刈谷の 岱岳(老遊) さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-227

  立秋偶成 二        

颯颯西風催早秋   颯颯たる西風 早秋を催す

梧桐初落雁天丘   梧桐 初めて落つ 雁天の丘

鳩烏草草停頻啄   鳩烏草草 停まりて頻りに啄む

鴻鵠遙遙去不留   鴻鵠遙遙 去って留まらず

人世幾回傷往事   人生幾回 往事を傷(いた)む

故山依舊枕寒流   故山 旧に依りて 寒流に枕(のぞ)む

二更坐眺新涼月   二更 坐して眺むる 新涼の月

喞喞鳴蛩慢惹愁   喞喞たる鳴蛩 慢ろに愁を惹く

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

「草草」… あたふたと粗雑、簡略にすませる様。
「遙遙」… 距離が遠く離れている様。

<感想>

 頷聯の対句は鳥が出てきますが、直前にも「雁」が居ます。
 また、「鳩」「烏」「鴻」「鵠」がそれぞれ別々の鳥ですので、「雁」と合わせて五種類も出てくるのは、やはりしつこく感じます。

 律詩にするならば、第二句の「雁」の代わりの物、あるいは「暮天丘」のように「丘」を修飾する言葉を考えてはどうでしょう。

 頸聯の「故山依舊」は作者の居場所がはっきりしていないので、どういう状況なのかが悩ましくなります。
 例えば、第二句を「故山丘」とすると、事情がかなり確定してきます。

 第六句は第五句を受ける形で現在の姿が見えてくると対応が良くなると思います。
「野翁老病」でしょうかね。

 尾聯の「二更」については、やはり、絶句の時と同様に感じますので、修正した方が良いでしょう。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第228作は桐山堂刈谷の 岱岳(老遊) さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-228

  仲秋觀月        

寒蟬鳴止夕陽収   寒蝉 鳴き止み 夕陽収まる

白露充林入仲秋   白露林に充ち 仲秋に入る

碾破玉輪三五夜   碾破の玉輪 三五の夜

一竿弄月極風流   一竿弄月 風流を極む

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

「寒蟬」… つくつくぼうし
「白露」… 仲秋八月の節気。
「碾破」… 月輪が昇ること
「一竿弄月」… 世俗を離れ月を愛でて楽しむ

<感想>

 承句の「入仲秋」ですが、「中秋」と「仲秋」の違いは何か、ということで辞書を調べますと、厳密には「仲秋」は陰暦八月、つまり「仲」という字は「二番目」ということを表します。
 対して「中秋」は真ん中、ということで「秋の中頃、陰暦八月、八月十五日」となります。
 この場合は「二番目の秋」、つまり陰暦八月ということで、「入」と言われると転句の「三五夜」とはズレが生まれます。
 題名に「仲秋」と入っていますので、ここは韻字を替えて、ありふれていますが、「古渡頭」「村里幽」のように作者の居る場所を示す形ではどうでしょう。

 転句は良いですね。

 結句は本来は「一竿風月」、下の「風流」での重複を避けたのでしょうね。
 ただ、そうなると「弄月」は夜の趣になりますので、「一竿」は昼の趣という対応になります。
 昼も釣りをしてのんびり、夜も月を賞してのんびり、ということです。
 そうなると、承句の下三字はただ場所を示すだけでなく、「清浄秋」「爽氣稠」など、作者の感情が少しでも入るような言葉にすると、昼も夜も「風流」だよという感じになりますね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第229作は桐山堂刈谷の 岱岳(老遊) さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-229

  仲秋觀月 二        

寒蟬鳴止晩風停   寒蝉 鳴き止み 晩風停(とど)まる

白露充林送暗馨   白露林に充ち 暗馨送る

眺盡玉輪三五夜   眺め尽くす玉輪 三五の夜

天寒一雁想來坰   天寒の一雁 坰に来たるを想ふ

          (下平声「九青」の押韻)


<解説>

「寒蟬」… つくつくぼうし
「白露」… 仲秋八月の節気。
「暗馨」… なんとなくよい香り
「坰」… 都市から遠く離れた郊外

<感想>

 良い趣ですが、「寒」の字が重複してしまいましたね。

 承句の「暗馨」は何の香りなのか、この下三字は浮いていますね。

 結句は「月に雁」の趣ですが、「坰に来たるを想ふ」ですと、雁が来てない感じですので、上の「天寒一雁」の言葉が無駄になってしまいます。
「想」を「已」「渡」などで考えてはどうでしょう。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第230作は桐山堂刈谷の T・K さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-230

  初夏偶吟        

紫藤花發掩柴門   紫藤の花発いて 柴門を掩ふ

簾外香盈草色暄   簾外 香盈ちて 草色暄なり

濃陰庭上苔痕濕   濃陰の庭上 苔痕湿る

新国コ村農事繁   新緑の村村は農事繁し

          (上平声「十三元」の押韻)


<解説>

 夏に向かって行く自然の様子を書こうと思いました。
 上四字と下三字の関係がうまく行かず、拗体になってしまいましたが、どうでしょうか。

<感想>

 初夏らしい言葉が各句に入って、季節感はよく出ていますね。
 しかし逆に、起句から転句まで、あまり動きの無い叙景が並んで変化が乏しいとも言えます。

 また、場所を表す言葉がそれぞれの句に入っていて、「柴門」「簾外」「庭上」と自宅の中を眺めていると、結句で一気に「村村」と広がった景色になり、驚きます。
 承句の「簾外」は室内からの景色という趣で特に狭いので、ここに「庭裏」を入れて、我が家の景色は承句までとしておき、転句では作者を外に連れ出してはどうでしょうか。

 拗体については、間違いではありませんから良いです。
 ただ、三句分の素材を二句にまとめるわけですので、言葉を入れ替えるなどすれば、正格にもって行けるように思いますので、検討してみてください。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第231作は桐山堂刈谷の T・K さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-231

  立秋偶成        

伴友趁時共吟遊   友を伴ひ 時を趁って 共に吟遊す

意行不定是風流   意行定めず 是も風流

丹丹桃果黄黄菊   丹丹の桃果 黄黄の菊

一路風光秋又秋   一路 風光 秋又秋

          (下平声「十一尤」の押韻)


<解説>

 親しい友との遊び、目的も無く秋を歩く、赤い桃の果、黄色の菊が目に入る、一路の景色は秋そのものである。
 「丹丹」「黄黄」「秋又秋」と重複する語があり、これで良いのかが心配です。

<感想>

 「丹丹」「黄黄」などの「畳語」は重複とは考えませんので、使っても構いません。
 ただ、七言絶句の中にあまり頻繁に出てくるのは考えものですが、二つくらいなら全く気になりません。

 逆に、ここでは「風」のように離れて同じ字が出てくるのは「同字重出」として瑕疵となります。

 起句ですが、「二六対」が乱れているのと「四字目の孤平」になっています。
 「吟」を上にして「伴友行吟」、下三字は「七月遊」のような言葉にすれば良いでしょう。

 承句の「意行」は「目的地」ということでしょうが、あまり見慣れない言葉ですね。「前途」で通じると思います。

 結句は「風光」を直す形になりますが、本来は「一路C(涼)風」として上四字だけでも「秋」を感じさせると、下の「秋又秋」の繰り返し表現が生きたものになりますね。
 そうなると、承句の「風流」を再検討した方が良いかもしれませんね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第232作は桐山堂刈谷の T・K さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-232

  大都東京        

高樓林立對晴空   高楼 林立 晴空に対す

雜踏人車盈市中   雑踏 人 車 市中に盈つ

別見靜然新樹   別見 静然として 新樹緑なり

逍遙御苑太平風   逍遥す 御苑 太平の風

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 東京の空を「蒼穹」と初めは考えましたが、晴れた時の空にしました。

<感想>

 東京のイメージとしては「高層ビル」、「沢山の人や自動車」がまず浮かびます。
 が、実は東京駅の真ん前に皇居の森があり、新宿御苑、上野の森など東京は案外緑が多く目に入る所です。
 そんな気持ちがこの詩には描かれていると思いますが、うーん、何となく説明文を読んでいるようで、詩として作者が何を言いたいのか、そこが無明瞭ですね。
 御苑の落ち着いた雰囲気や自然に焦点を当てて描いていく方向でしょうね。

 前半は先述したように誰もが抱くイメージで、上手にまとめてはありますが、どうしてもありきたりの印象を拭えません。
 御苑に比べて雑然とした感じを出して「高樓聳秀大都空 鬧鬧衆人街巷中」のように、ちょっと嫌だなという心情を匂わせておくのはどうですか。

 転句からは一気に御苑の趣を出したいので、「忽見鬱然」と書き出しておきましょう。

 結句は中二字に「塵外」と入れて、「逍遙」を何か別の言葉、「滿身」とか、色々考えてみてください。
「御苑」の言葉は題名に入れて、「新宿御苑」でも「初夏御苑」としておくと良いですね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第233作は桐山堂刈谷の T・K さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-233

  中秋觀月        

西風吹露濕階庭   西風 露を吹いて 階庭を湿(うるお)し

待月良宵坐小亭   月を待つ 良宵 小亭に坐す

明鏡C光秋漾漾   明鏡 清光 秋漾漾たり

陰蟲切切鳴草扃   陰蟲 切切 草扃に鳴く

          (下平声「九青」の押韻)


<感想>

 起句は「吹露」から「濕」がストレートで、どうにも説明っぽい感じです。
 また、結句は「陰蟲」が「鳴草扃」ではこれまたストレートで面白くないですね。

 組み合わせを換えて「陰蟲切切濕階庭」とすると「濕」が斬新な比喩になると思います。

 承句で「待月」とありますが、転句で「明鏡」と来ると、やや急ぎ過ぎな印象。
 せめて「明鏡」が結句に行くと、時間経過があって月が昇ったのだと考えることができます。
 まとめてみると、「陰蟲切切濕階庭」と始めて、結句を「清光明鏡」としますか。

 「秋漾漾」が良い言葉ですのでどの語と組み合わせるかも考えところですね。
 私の感じでは「西風」と組むと良いかなという気がしますが。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第234作は桐山堂刈谷の 聖陽 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-234

  麥秋雜詩        

麥秋碧浪隴雲園   麦秋 碧浪 隴雲の園

槐夏呢喃乳燕翻   槐夏 呢喃 乳燕翻る

遙想道書傳萬世   遥かに想ふ 道書 万世に伝ふ

時交好伴養吟魂   時に交はる好伴 吟魂を養ふ

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 題名の「麦秋」のすぐ横にまた「麦秋」が来ますので、題名は「首夏雜詩」が良いでしょうね。

 また、起句で季節を表す「麥秋」が来て、承句でもまた「槐夏」と来ると、何のための重複か、疑問ですね。

 転句の「道書」は「道教の書物」のことだそうですが、唐突でちょっと分からないですね。

 結句は、仲間と共に漢詩を楽しむことを表しているので、これは良いので、転句がうまいこと繋がるようにできると良いですね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第235作は桐山堂刈谷の 聖陽 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-235

  立秋偶成        

坐見蜻蜓心上秋   坐ろ見る 蜻蜓 心上の秋

吟懷如水月光幽   吟懐 水の如く 月光幽なり

桂花香氣江樓上   桂花 香気 江楼の上

涼露暮雲想同遊   涼露 暮雲 同遊を想ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 まず、「桂花」「涼露」と立秋の季節が合いませんね。
 また、時刻としても「月光幽」と「暮雲」ではこれまた悩みます。

 時刻については、月を最後に持ってくるようにすれば流れはできますので、ひとまず結句の方を「如水吟懷月影幽」としましょう。
 ただし、こうすると「如水」は「吟懷」を修飾します。
 月の光を修飾したいならば「如水月光吟意幽」でしょう。

 起句の「心上」は「心の中」を表す言葉ですので、「心の中だけで感じる秋」ということになります。
 あまり用例の無い言葉ですが、その意味から行くと、逆に「心以外では秋が感じられない」ことになりますので、色々と出さない方が良いことになります。
「立秋」という題には合いますが、この詩は景物が沢山出ていますので合わないですね。

 建物の中に居る設定で、「窗上秋」「堂上秋」でしょうか。あるいは、「江畔樓」として、「秋」を残しておいて、結句の「幽」と替えても良いです。

 承句は「暮雲涼露憶同遊」と入れ替えれば良いですが、承句のこの位置で「同遊」を出して良いか、これは検討事項でしょうね。
 転句は「桂花」が合わないわけで「荷花」に、下三字は「上」も重複していますので「江亭畔」くらいですかね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第236作は桐山堂刈谷の 聖陽 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-236

  秋日京都        

鐘韻斜陽萬樹楓   鐘韻 斜陽 万樹の楓

京華遙憶慕遺風   京華 遥かに憶ひ 遺風を慕ふ

斷雲氣爽西郊景   断雲 氣爽やか 西郊の景

紅葉白雲秋滿空   紅葉 白雲 秋空に満つ

          (上平声「一東」の押韻)


<感想>

 京都を主眼に置くわけですが、素材のどれも京都を連想させるような存在感が薄いですね。
 漠然と「京都」を思い描くよりも、京都の中のどこかを想定した方が出しやすいかもしれませんね。

 起句の「鐘韻」は古都らしいです。「斜陽」は後半の景色と不具合ですので、もう少し拡げて、お寺のことななどを書いてはどうでしょうね。
「萬樹楓」は良いですが、結句で「紅葉」と来るとくどいですね。これは結句を直しましょうか。

 承句の「京華遙憶」は課題に合わせるために無理矢理入れたという感じです。
 この言葉で作者の居場所が京都ではなくなってしまい、現実感が一気に冷めてしまいます。
 承句全体で具体的な京都の景色を持ってきたいですね。

 転句は「西郊」とするから漠然としてしまいます。
 「洛西」とすれば「金閣寺」「嵐山」「渡月橋」などイメージが膨らみますね。

 結句は上四字を直しますが、今京都に居るという設定で考えると、「詩客吟行」のように作者自身が登場する形が良いでしょうね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第237作は桐山堂刈谷の 聖陽 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-237

  秋夜感懷        

山茶花發晩風停   山茶花発き 晩風停まる

寂寂寥寥月滴亭   寂寂 寥寥 月亭に滴る

墜露無聲殘柿在   墜露 声無く 残柿在り

星光虫語帶秋聽   星光 虫語 秋を帯びて聴く

          (下平声「九青」の押韻)


<感想>

 起句は「山茶花(サザンカ)が発く」と読みそうですね。
 ツバキですので「茶梅」という言い方もありますので、「茶梅花發」とすれば間違いは無くなります。

 承句はきれいな表現ですが、「月が滴る」は極端で、言葉不足に感じます。「細月寥寥影滴亭」ですかね。
 でも、それでしたら結句の「星光」の方が合いそうな気もしますね。

 転句の「無聲」は露の音でしょうか、結句の「虫語」がありますので矛盾します。どちらかは諦めるべきです。
 ここで「殘柿」が出てくるのは時刻が合わないわけで、夜中に柿の木を眺めるというのは妙です。
 「殘柿」は承句の位置が自然ですが、無理に入れる必要があるかは疑問です。

 結句は「月」と「星」の両方はちょっと欲張りかな、月は沈ませてしまった方が良いです。
 そうなると、起句の「晩風」は「夜風」が妥当、夜にツバキの花を見るというのはどういう状況ならば可能か、それを検討すると素材の選択もできると思いますよ。
 最後の「帶秋聽」は雰囲気が調和して良いでしょう。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第238作は桐山堂刈谷の 汀華 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-238

  南禪寺春景        

韶光春暖太平風   韶光 春暖 太平の風

方丈幽庭克叢   方丈の幽庭 緑樹叢し

三門樓登眺帝里   三門の楼に登り 帝里を眺む

悠悠絶景百花中   悠悠たる絶景 百花の中

          (上平声「一東」の押韻)


<解説>

 歌舞伎で、石川五右衛門が満開の桜を眺めて言うセリフ、「絶景かな、絶景かな」はこの三門が舞台だそうです。
 役五百年後の今も、素晴らしい京都の街並みです。

<感想>

 承句は、「方丈の幽庭」と「方丈」を一般化すると、「一丈四方」という四畳半くらいの広さの庭になってしまいます。
 固有名詞として「方丈庭園」とまとめた方が良く、また、下三字の「克叢」は季節が「春景」に合わないですので、「古趣窮」としましょう。

 転句は「門」が平声で「二四不同」が崩れています。また、「眺」が仄声ですので「下三連」となっています。
 「樓登」は語順としては「登樓」となりますので、「獨上三門望帝里」「門上登樓望帝里」ですかね。

 結句は「悠悠絶景」が石川五右衛門の台詞をよく表していますよ。
「百花」は「萬花」で春爛漫としたいですね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第239作は桐山堂刈谷の 汀華 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-239

  麥秋鞍ヶ池        

薫風颯颯拷A繁   薫風 颯颯 緑陰繁し

C淺瑤池白鷺翻   清浅の瑤池 白鷺翻る

芳草凄凄茫洋岸   芳草 凄凄 茫洋の岸

遊人緩歩別乾坤   遊人 緩歩 別乾坤

          (上平声「十三元」の押韻)


<感想>

 題名の「ケ」は要りません。「初夏鞍池」がすっきりしますね。

 平仄は転句の六字目、「洋」が合いません。
 「洋」を「畔」「水」などに替えて行くこともできますが、全体を検討してから考えましょう。

 この風景の中では「別乾坤」が主眼の言葉になると思いますが、「遊人緩歩」では弱いですね。
 他の語句で探すと、私の見方では「C淺瑤池」でしょうかね。

 仮に、結句を「瑤池C淺別天地」とすることにして、次に承句を考えますが、「緑陰繁」の後ですので植物繋がりで「草」を持ってきましょうか。
 「芳草凄凄白鷺翻」(芳草 凄凄 白鷺翻る)として対句に持って行くと、ちょっと目の動きが辛い点はありますが、立体感が出ますね。

 転句は変化を出して人間を登場させるのが良いですから、取りあえず「緩歩遊人」としておいて、下三字を考えましょう。
 その結果で上二字も何か別の適語が浮かぶかもしれませんね。

                     by 桐山人























 2022年の投稿詩 第240作は桐山堂刈谷の 汀華 さんからの作品です。
 秋までの勉強会で出された作品と、私のその折の感想を添えておきます。

作品番号 2022-240

  立秋偶成        

古刹疎鐘氣流   古刹の疎鐘 気(こうき)流る

斜陽蕭索照客愁   斜陽 蕭索 客愁を照らす

經聲無已人歸去   経声 已に無く 人帰り去る

淨界樓頭月一鉤   浄界の楼頭 月一鉤

          (下平声「十一尤」の押韻)


<感想>

 起句の「氣」は「広々とした空に秋の気」ですので、上の「古刹疎鐘」にも合いませんし、詩の他の部分ともそぐわないですね。

 承句は「斜陽」が悩み所、結句で「月」がありますので、時間の流れが大丈夫かな。
 どちらかを削りたいですが、結句は詩の要、大切ですので「月」を残しましょう。
 「斜陽」を「秋風」にして、自動的に起句の「氣」も空気でかぶりますので、「古刹鐘聲隱隱流」と鐘の音に絞りましょう。
 「秋風蕭索催ク愁」で前半は落ち着きますね。

 転句は平仄の関係ですか、「無已」は文法上では語順が逆ですので、「已歇」としましょう。

 結句は、月をどこに配置するか、ですね。
 「浄界」は最初に「古刹」と出ていますので、お寺と言うことは分かっています。
 具体的な建物が入ると良いですし、その関係で言えばどこでも良いですが、想定しているお寺の名前が題名にでも入ると良いですね。

                     by 桐山人