作品番号 2020-391
秋日遊行葡萄園
甘香誘我叩園扉 甘香 我を誘ひて 園扉を叩く
滿架葡萄顆顆肥 満架の葡萄 顆顆肥ゆ
逸樂暫時秋美味 逸楽す 暫時 秋の美味を
出棚天闊被風歸 棚を出づれば 天闊し 風を被(う)けて帰る
<感想>
場面が目に浮かぶような詩になっていると思います。
転句は「逸楽」なのに「暫時」では短くないですか。
実は「逸楽」と「秋美味」が遠いので、この中二字で繋ぐような気持ちで「滿腔」と入れてはどうでしょうね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-392
秋日遊行矢勝川
長提漫歩淡斜暉 長提 漫歩 斜暉 淡し
石蒜花然江水圍 石蒜花 然え 江水囲む
無數紅蜻風裏戲 無数の紅蜻 風裏に戯れ
路傍幽草蛩聲微 路傍の幽草 蛩声微かなり
<解説>
「矢勝川」(やかちがわ): 半田市と阿久比町境を流れ、堤に300万本の彼岸花を植栽
「石蒜花」: 彼岸花
<感想>
結句の「蛩」は「上平声二冬」の平声、「蛬」は「漢語林」では平声ですが、「詩韻含英」などの韻書では大抵「平仄両用」とされています。
ここは「蛬」で仄字用法としておかないと下三平になってしまいます。
色として、「斜暉」「石蒜花」「紅蜻」と赤が続く点、「紅蜻」と「蛩聲」と虫が続く点、その辺りの重複感をどう感じるかですね。
起句の「淡斜暉」は結句に持ってきて、風を吹かせてはどうでしょう。
承句は「江」では広い印象です。もう少し狭くして「瀬水」と流れを出すと良いでしょう。
転句は「無数」でも良いのですが、もう少し何か言えないでしょうかね。「乱舞」「隊伍」など、赤トンボの様子が出てほしいところですね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-393
秋來
挙頭臨宙白雲威 頭を挙げて 宙を臨めば 白雲威
閉目懷ク稲穂輝 目を閉ぢ 郷を懐へば 稲穂が輝く
散歩涼風金気感 散歩で涼風 金気を感ず
蜩聲高樹視聴稀 蜩声 高樹 視聴稀なり
<解説>
毎日の散歩で感じる一コマです。
<感想>
起句の「臨」は「望」でないといけません。「臨」なら「○○を」ではなく「○○に」となります。
承句は対句を考えてのものですね。ただ対句にすると下三字は「名詞+動詞」になりますので、「威」も動詞で「おどす」となってしまいます。
「白雲は威厳がある」という表現は面白いですが、ここは「飛」としておくべきです。
転句は「金気感」の語順が違います。「感」を「起」「立」としておきましょう。
結句は上四字は良いですが、「視」は何を見るのか、また「稀」となると「蜩声」は聞こえないわけで、ならば「高樹」と場所を示すと却って妙なことになります。
「蜩声」をポイントにするなら韻字は「微」でしょうね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-394
秋日遊行
細徑小橋人跡稀 細径 小橋 人跡稀なり
秋光楓葉遠山微 秋光 楓葉 遠山微かなり
閑居淨几C幽極 閑居 浄几 清幽極まる
落下松毬敲竹扉 落下の松毬 竹扉を敲く
<解説>
散歩に行った神社でベンチに坐っていたら、頭の上にドングリが落ちてきました。その時の思いを詩にしてみました。
<感想>
起句は「人跡」ですと、そこまで見に行く必要があります。
ここは遠くから見ている感じで、「人影稀」が良いですね。
承句は鮮やかさで行くなら「遠山緋」、句としては素材がバラバラとしていますので、まとめる方向で考えると「秋光映水錦楓緋」としても良いですね。
転句から場面が室内に移りますが、前半の景色から見てもここは室内よりは「山居」「閑庭」が良いでしょう。
そうすると中二字も「獨佇」「一日」などとしていきましょうか。
結句は「落下」では詩情がなく、ビックリ動画みたいになります。
「松子」と上に持ってきた方が中二字に幅ができますね。
「両三」と数を出すとか、「転毬」「丁丁」「丁当」など状態を表す言葉が良いですね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-395
秋日即事
黄稻小村蓑笠歸 黄稲 小村 蓑笠帰る
秋花陋屋著芳菲 秋花 陋屋 芳菲著く
虫吟切切幽窗下 虫吟 切切 幽窓の下
明月素風人跡稀 明月 素風 人跡稀なり
<感想>
起句の「蓑笠」は通りがかりの人ですかね。
「黄稻」が鮮明なのでこの「蓑笠」が目に残ります。
書き出しを「日暮」としておくと、夕暮れの風景で流すことができます。
承句はこのままでも良いですが、花を明確にして「黄花陋屋菊香圍(幃)」なども考えられます。
転句は良いですね。
結句は「人語」の方が「幽窓下」には合うでしょう。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-396
秋日閑居
秋天爽氣四山圍 秋天 爽気 四山囲む
茅屋空庭虫語微 茅屋 空庭 虫語微なり
只有佳朋酬唱樂 只だ有り 佳朋 酬唱の楽しみ
月明小徑送君歸 月明 小径 君を送って帰る
<感想>
こちらは起句と結句で時刻にずれがあります。
朋との楽しい時間が長くなり、いつの間にか月を見る時刻にとなってしまったともとれますが、起句が爽やかな秋晴れ過ぎるので、どうしても違和感が出ます。
全体的には夕暮れから夜というのが自然でしょうから、起句を直すのが良さそうですね。
「涼秋暮色四山圍」としておけば、他はこのままで齟齬は無いと思います。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-397
祝曾孫誕生晩秋
天高菊屓纒又 天高く 菊宸閨@槭楓緋(あか)し
蘇水清流紅葉飛 蘇水 清流 紅葉飛ぶ
曾孫次子祝詞聽 曾孫 次子の祝詞聴く
慶賀誕生美酒圍 誕生を慶賀して 美酒を囲む
<感想>
拗体ということで読ませていただきます。
まず、起句ですが、「宦iケイ)」と「薫(クン)」は別字です。「宦vは「かおる」という動詞の用法はありませんので、ここは「かぐわシ」と読んで下さい。
ここは「菊花芬郁」としても良いですね。
承句は、「蘇水」と突然来ますと、作者が木曽川の近くに住んでいるのかと思います。
ここは「曾孫」のところに来たという場面、それでしたら、題名を「曾孫誕生祝賀宴」としておくと多少は理解が早くなるでしょう。
あるいは「秋水天高」ともできます。
同様に、転句も「曾孫生誕賀筵夕」と宴だと分かるようにすると、結句の「美酒圍」に繋がると思います。
結句は四字目の孤平です。ここは宴の楽しげな雰囲気が出るように直すと良いかと思います。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-398
歸省新秋
新秋歸郷錦楓微 新秋に帰郷 錦楓微なり
參詣墳塋草葉肥 墳塋に参詣 草葉肥ゆ
永別祖先知晩節 晩節を知りて 祖先に永別す
拜辭寂寂涙沾衣 拝辞して 寂寂 涙衣を沾す
<解説>
老病のために、自分の身体が思うにまかせず、長女、長男に介添えしてもらって帰省、墓参しました。
紅葉には早く、紅くなりかけでした。
<感想>
起句の「ク」は平声ですので「歸省」とする必要があります。
さて、その上で題名についてですが、本来は「新秋帰省」(新秋に帰省す)という語順の題名になります。
そうなると、題名と全く同じ言葉が詩の冒頭に来る形になり、起句の冒頭からもう已に色あせた感じがしてしまいます。
題名を「帰省」だけにしておくと良いですね。こちらは「帰郷」でも大丈夫です。
承句の「参詣」は和語ですね。「墓碣蕭蕭」とか「陵下墳塋」という感じでしょう。
転句は「永別」よりも「永訣」として、言葉で別れを告げる形が良いですね。
下三字の「知晩節」は「老年を知って」ということですね。「悟天命」とするのも考えられます。
「拝辞」も良い言葉ですが、転句の「永別」との違いが欲しいところ、「西風」とか「山風」「野風」など、墓所の様子が分かるような言葉も良いでしょう。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-399
秋興(一)「泊高原」
天際遙岑萬里秋 天際の遥岑 万里の秋
歸鴉蕎圃暮村幽 帰鴉 蕎圃 暮村幽なり
隔窗蟋蟀頻欹枕 隔窓の蟋蟀 頻りに枕を欹てしむ
夜半金風白露稠 夜半の金風 白露稠からん
<解説>
十年前に、信州戸隠高原に詩吟の中まで遊行した。
<感想>
起句は「萬里秋」という形ですが、転句から宿での様子になりますので、あらかじめ旅先だということが分かるような言葉が欲しいですね。
「羇旅秋」「行客秋」などはどうでしょう。
承句の「蕎圃」は信州らしさを出していて良いですね。
転句から時刻が夜になりますが、起句を旅先だという画面にしておけば、それほど違和感なく入れると思います。
あとは、結句の「金風」ですが、「白露」と色を対応させたのかもしれませんが、逆効果で、夜中に「金」はおかしいですね。
「凄風」「涼風」でどうでしょうか。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-400
秋興(二)「登高」
羊腸行路一途斜 羊腸の行路は 一途斜めにて
雉野荒墟遠岱賒 雉野の荒墟 遠岱賒(はる)かなり
傾盞微吟重九慶 傾盞 微吟す 重九の慶
醉餘フ菊壽康嘉 酔余 菊をフして 寿康を嘉す
<解説>
東海市加木屋町雉子野、旧尾張侯の狩場跡。標高六十米、市内最高地で緑地公園になっている。
地元では「お雉子山」と称す。濃尾地震で生じた加木屋断層跡がある。
北東に恵那山(二一九〇米)、茶臼山(一四一五米)を望み、晴天時は御嶽山(三〇六二米)も遠望できる。
近年フジバカマを植栽し、渡り蝶アサギマダラが十月中旬飛来してくるので有名になった。
毎年十月末登っている。
<感想>
重陽の節句は旧暦の九月九日、お書きになったように現在の十月末、丁度その頃に旧暦九月十三日の月を眺める「十三夜」があります。
空がきれいに澄む季節、遠くの山々がくっきりと見える季節ですね。
承句の「雉野」は実際の地名と文字の持つ古雅な雰囲気が合っていると思います。
全体に、高い所に登った様子が出ていないので、例えば「酔餘」に替えて「天高」としてみると、「登高」の副題が生きて来るかなと思います。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-401
秋興(三)「高原夜景」
攜杖高原到岬潯 携杖して 高原 岬潯に到る
蕎花四望白紗臨 蕎花 四望す 白紗臨む
杪秋滿目群星耀 杪秋 満目 群星耀す
過雁蟲鳴亂客心 過雁 虫鳴 客心を乱さしむ
<解説>
二〇〇五年十一月、かつての学友達(山岳部)と御嶽山登山を志し、開田高原(標高一〇〇〇米)に泊した。
なお、御嶽山の噴火は二〇一四年九月である。
<感想>
「岬」は谷間のことで、日本語とはイメージが異なりますね。
承句の「蕎花」は「四望」よりも「一面」と平面的に描いた方が良いですね。
転句は中二字を「天霽」「晴夜」としておくと、「群星」との関連が良いですね。
結句は「夜景」ですので雁も鳴き声にして、「蟲韻雁聲」としておいてはどうでしょう。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-402
秋興(四)「高原朝立」
新霽霜晨野景荒 新霽 霜晨 野景荒れ
露光畦畔菊花香 露光の畦畔 菊花香る
遙岑錦繡秋將老 遥岑 錦繍 秋将に老いんとす
萬里望雲客思傷 万里の望雲 客思傷む
<解説>
晩秋開田高原の朝立ち
<感想>
それぞれの句は良いですが、起句の「霜」と転句の「露」が似たような印象ですね。
また、起句の「野景荒」や結句の「客思傷」という描写から行くと、承句の「菊花香」「錦錦繡」で賞翫してしまうと、気分がしっくり来ないですね。
承句は「菊花畦畔纏殘香」で行けば、転句の「錦錦繡」は気にならなくなります。
あと、「朝立」ということですと、寂しげな趣は合わないですので、ここは「高原早曉」くらいで止めておくと良いと思います。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-403
防疫秋興
雨餘空碧暫徜徉 雨餘 空碧 暫し徜徉(しょうよう)
街陌木犀花已黄 街陌の木犀 花已に黄なり
須待衆過除口罩 須らく衆過を待ちて 口罩(こうとう)を除き
清芬一吸緩愁腸 清芬 一吸 愁腸を緩む
<解説>
「口罩」… 防疫マスク
<感想>
今年はいつもに比べてキンモクセイの花がやや遅れて、その分、香りが強かったように感じました。
私もこの時季には毎朝、孫と図書館の方に散歩に出かけて、香りの中で胸一杯に空気を吸っています。
転句が今年の秋ならではの光景ですね。ただ、いかにも理屈っぽいように感じます。
「窃」という語を使えば同じ意味合いが伝わると思います。
また、現代語の「口罩」を使うならもっと印象強くしたいですね。
頭に置いて、「口罩窃除人過後(口罩窃かに除す 人過ぎし後)」「口罩詩翁候人去(口罩の詩翁 人去るを候つ)」など。
結句も、こここそ「満喫」が使いたいところですが、和習でしたね。
遠慮がちに「一吸」としたのも、今年の秋らしいと言えば納得できます。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-404
初冬即事
菊花紅葉追風散 菊花 紅葉 風を追ひて散じ
賀客茶梅浴日開 賀客 茶梅 日を浴びて開く
煨薯賣聲停歩履 煨薯の売声 歩履を停め
園池渡鳥告冬來 園池 渡鳥 冬来を告ぐ
<解説>
「賀客」… 水仙
「茶梅」… 山茶花
「煨薯」… 焼き芋
<感想>
全対格で作った作品ですね。作詩に工夫を籠めていることがよく分かります。
ただ、対句であるために逆に単調になることもあります。
例えば前半、秋から冬の植物を出しましたが、「菊だ、紅葉だ、水仙だ、茶梅だ」と四つ並べた形になっては単なる羅列になってしまいます。
作者の狙いは季節の変化の筈ですので、それならば下三字ではっきり違いが分かるように描く必要があります。
起句の方は已に花が終った、承句の方は今から勢いを出す、そこを明確にしたいですね。
取りあえず、下三字だけ考えると「菊花楓葉凍風散 雅客茶梅短日開」でしょうか。
尚、承句の「賀客」は「雅客」、これは「水仙」の別名ですが、他の「菊」「紅葉」「茶梅」が名前を直接表しているのでこれだけ浮いています。
例えば「菊」を異称で「隠逸」と呼ぶようなものです。
また、「風雅なお客が来た」と誤解も受けやすいので、別の物が良いかと思います。
花を四つ出すのではなく、秋冬それぞれ一つずつにして、それを丁寧に語るのも一つの方法ですね。
「前山楓葉已衰散 林徑茶梅漸笑開」のような描き方もあるでしょう。
転句は「賣」は「賈」が良いでしょう。
ここで「煨薯」と具体的な物を描いていますので、結句の「渡鳥」も「鳧雁」とするとバランスが良いですね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-405
訪仙嚴園
遠路行遊畫裏攀 遠路 行遊 画裏に攀ず
川流繞嶽淥潺湲 川流 岳を繞り 淥潺湲
錦江内海做池水 錦江内海 池水と做し
櫻島烟峰是假山 桜島煙峰 假山と是す
邸閣朱門天宇下 邸閣 朱門 天宇の下
青松黄菊石巖間 青松 黄菊 石巌の間
瞰臨苑地眞雄大 瞰臨す 苑地 真に雄大
不覺光陰心自閑 不覚 光陰 心自から閑なり
<解説>
仙厳園」: 薩摩島津家の別邸。眼前の桜島を築山に、鹿児島湾(通称:錦江湾)を池に見立てた、他に類を見ないスケールの大きな借景庭園。
<感想>
第二句は白居易の「春江」の詩、律詩の最後の句の「縈砂繞石淥潺湲」からでしょうね。
頷聯は庭園からの眺めになりますので、ここに来る前に「仙嚴園」に入ったことが分かるような言葉が必要ですね。
出来るならば頷聯と頸聯を入れ替えれば、視点の流れは自然になりますが、全体を直すのは難しいので、ひとまず頷聯で工夫してみてはどうでしょう。
第五句は「邸閣」は「青松」との対ですと「高閣」が良いですが、高い建物は無いですか。
次の「朱門」は色をあまり出したくないので(次の句が色対ですので)「錫門」とすると、ここは「賓邸」でしょうか。
尾聯は「不覺」は狙いがはっきりしませんので、別の語が良いかと思います。「悠遠」でしょうか。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-406
冬夜詩作
夜色沈沈古寺鐘 夜色 沈沈 古寺の鐘
新霜寂寂既窮冬 新霜 寂寂 既に窮冬
苦詩漸就孤燈下 苦詩漸く就(な)り 孤燈の下
老骨書齋捉筆慵 老骨の書斎 筆を捉りて慵し
<感想>
前半はどちらも中二字に畳語が使われていますので、せっかくですから対句にしましょう。
「夜色沈沈聽遠鐘 霜華寂寂告窮冬」のような形ですね。
転句は中二字、「漸就」は「だんだんとできる」という意味で、「やっと出来た」にはなりません。
そうなると、ここは「敲句」くらいが良いでしょうね。
結句は老境の寂しさが出ていて良いですね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-407
懐秋
山遥黄葉白雲飛 山遥 黄葉 白雲飛び
茅屋小村人跡稀 茅屋 小村 人跡稀なり
散策西風秋起立 散策 西風 秋が起立
空庭斜日畏寒威 空庭に 斜日 寒威に畏る
<解説>
幼少時代の我が家の風景を、ふと思いだした句。
<感想>
転句の下三字の「起立」ですが、「秋が起立」はおかしいですね。「秋立つ」で収めておくべきです。
ただ、山の木々が黄葉するのを秋の初めとするのは季節ずれですので、ここは使えません。
起句は通じますので良いとして、承句、「茅屋」と自分の家を言って、「小村」と拡がるのは視野が混乱しますし、「小村」に「人跡稀」はホラーのような感じです。
「人跡稀」なのはどこかを考えると、もう少し狭い場所、遠くの山や白雲が見えることも条件に考えて、「幽径秋林人跡稀」が矛盾が無いでしょう。
転句は「散策小村」とすれば流れが自然です。
下三字は「風寂寂」でしょう。
結句はそのまま郊外に居る形を維持して、「西空斜日」とすると、これも自然な流れになりますね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-408
見政治
公言自助政治危 自助を公言すれば 政治危(あやう)し
忖度官僚姦佞卑 忖度の官僚 姦佞卑(いや)し
首相不云民不解 首相云はざれば 民解せず
未來日本滅亡時 未来の日本 滅亡の時
<感想>
現代的なことを表現すると、どうしても話し言葉風になりますので、仕方ないですね。
読み下しを考えて、自然な日本語になるようにしましょう。
転句の「云」は起句で「言」を使ったからでしょうか。
「言」とあまり変化が無いので、いっそのこと「明(あきらかにす)」としても良いですよ。
結句は「未だ来たらず 日本滅亡の時」となり、これは作者の気持ちと正反対ですよね。
「但虞(ただおそる)」としておくと逆にはなりません。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-409
深秋即事
晩煙村落暮鐘微 晩煙 村落 暮鐘微なり
黛色群鳴萬里歸 黛色 群鳴 万里帰る
山麓閑庭殘菊在 山麓の閑庭 残菊在り
故交攜酒叩門扉 故交 酒を携へ 門扉を叩く
<感想>
深秋らしく仕上がっていると思います。
承句は「黛色群鳴」が何を指しているのか、具体的に書いた方が良いでしょうね。
「渡雁鳴聲」という感じでしょう。
ただ、雁は晩秋に渡ってくる筈で、「萬里歸」だと方向が逆になりますね。
「歸」は良いですので、方向を出さない形で「群影歸」として、「鳴聲」は「哀鳴」と寂しげな感じにしても良いでしょうね。
転句は「殘」がどうしても「残った」というイメージが先行しますので、そうなると「在」と意味が重複して来ます。
「黄菊」と菊を詳しくするか、「冷」「佇」「獨」などの意味を加える方向が良いでしょうね。
結句は「故交」は「昔からの交際」となります。
「友人」ということでしたら、「朋」の字を使った方が良いですね。
「有朋」とするのもリズムが良いでしょう。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-410
初冬即事 一
霜風茅屋拂窗吹 霜風 茅屋 窓を払って吹く
落盡庭柯草木萎 落尽 庭柯 草木萎ゆ
獨坐殘書眠不得 独坐して書を残すも眠り得ず
閑情煎茗夜深時 閑情 茗を煎ず 夜深き時
<解説>
庭のもみじや柿の木が葉を落として、掃除している時に感じた事を書いてみました。
<感想>
起句の「拂窗吹」は冬の風の強さを表していて良いですね。
承句も良いですが、「木」については上四字で「落盡庭柯」と書かれていますので、再度出すよりも「苔草」「砌草」が良いでしょう。
前半の庭の景色から急に夜中の室内に移るのが、やや苦しいですね。
せめて夕暮れの時間帯に持って行きたいので、下三字を「知短日」、結句の「夜深時」を「立冬時」とか「小寒時」としてはどうでしょう。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-411
初冬即事 二
筧水霜痕午日暄 筧水 霜痕 午日暄たり
寒鴉枯木夕陽村 寒鴉 枯木 夕陽の村
茅庭殘菊無人訪 茅庭 残菊 訪るる人無し
夜靜醉吟明月軒 夜静かに酔吟 明月の軒
<解説>
満月を見ていて詩語を探しました。この頃の月は、色濃く見える時が多く感じます。
<感想>
起句の「午日」と承句の「夕陽」、結句の「夜」と時間の変化を出しているのですが、慌ただしい感じですし、「暄」の直後に「寒」も気になります。
時間帯を揃えるには「明月」が邪魔ですが、解説を拝見すると「月」からの作詩のようですので、これは残さないといけません。
せめて、夕方から夜への時間にする方向で、起句の「午日暄」を「殘菊垣」としましょうか。
また、「夕陽村」は家を出て村を眺める印象ですので、韻字を替えましょう。
月を強調するためには「夕陽」は避けて、「叫聲喧」「暮天喧」「暮風翻」などでどうでしょう。
転句は中二字、ここに「迎夜」「夜靜」を入れて時間変化を明確にしておき、結句の上二字にはそうですね、「閑坐」「暫且」などが落ち着くでしょうね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-412
懷ク
錦袷歸ク夕照紅 錦袷の帰郷 夕照紅なり
竹朋還土四隣空 竹朋 土に還り 四望空し
山川舊態遊子涙 山川 旧態たり 遊子の涙
非訪有懷一老翁 訪に非ず 懷に有り 一老翁
<解説>
二〇一二年、長姉の法事で帰郷した時の感想である。
山川の景色以外は、全く他郷に来た一介の老遊子と化し、「故郷は遠くに在りて懷ふもの」と悟った。
<感想>
室生犀星の名句が浮かんで来ますね。
起句は良いですが、この後にすぐ「山川依舊」と来た方が流れは自然ですね。
と言うのは、転句の「山川旧態」から「遊子涙」がどうも繋がりが悪いからです。
下三字は韻字に「風」を持ってきてはどうでしょう。
転句は六字目の「子」の平仄が違いますし、結句は「四字目の孤平」ですので、どちらも直さなくてはいけませんね。
「竹朋」は「竹馬の友」のことですか、それとも王徽之ですかね。
意味が伝わりにくいので、「親朋故友多還土」とし、結句は孤平を解消する形で「揮涙翁」「零涙翁」、あるいは「遊子空」でしょうか。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-413
丈山苑
輕寒竹徑遠來尋 軽寒 竹径 遠く来たり尋ぬ
楓葉青苔流水音 楓葉 青苔 流水の音
獨座林亭呑一椀 独り座す 林亭 一椀を呑む
閑雲歸鳥倚松吟 閑雲 帰鳥 松に倚って吟ず
<解説>
先日、愛知県安城市の丈山苑に行きました。石川丈山の漢詩を読みながら、初冬の苑の風情を味わいました。
結句を「閑雲野鶴」として、丈山の境地を入れることも考えました。
<感想>
起句は問題無いですね。
承句は「青苔」「流水」ですので、「紅葉」の方が良いでしょう。
転句の「座」は、「すわる」という動作の時は「坐」が良いです。
「林」は韻字ですので「幽亭」か「野亭」で。
また、「呑」は「酒ではない」ことを表して「茶一椀」としましょう。
結句ですが、「倚松吟」しているのは作者ですね。しかし、作者は「林亭」で一人で茶を飲んでいた筈で、動きが速すぎます。
「氣蕭森」というところでしょうか。
「閑雲野鶴」でも良いですが、丈山の気持ちだと分かるようにする必要があります。
読者はどうしても「作者の心情」と読もうとしますので、混乱します。
すっきりと「閑雲野鶴主人心」でしょうね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-414
冬夜偶成
深更窗外滿庭霜 深更 窓外 満庭の霜
昴宿天空凛凛光 昴宿 天空 凛凛の光
悠遠衆星詩世界 悠遠 衆星 詩の世界
崢エ歳晩患難忘 崢エたる歳晩 患難忘る
<解説>
夜更けに窓外の庭は一面の霜。冷気の空に寒オリオンやスバルが瞬いている。
年の暮れ、憂きことを忘れ、悠久の自然に身を置いた。
<感想>
冬の夜らしい構成になっていますね。
承句は「昴宿が凛凛光」となるわけですが、間に「天空」が入りこんで、「天空が凛凛」という感じになってしまいました。
スバルを出したんならオリオンも並べて「昴宿天狼」としてはどうでしょうね。
結句は「患難を忘る」ではなく、「患忘れ難し」となって意味が逆になります。
「難」は名詞として使うと仄声になりますので、ここは平声、形容詞でないといけないからです。「患憂忘」とすると良いでしょうね。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-415
歳晩書懷
霏霏六出古松枝 霏霏たる六出 古松の枝
一陣狂風啼鳥窺 一陣の狂風 啼鳥窺ふ
世路崢エ寒徹骨 世路 崢エ 寒骨に徹す
凍雲暮色歳云移 凍雲 暮色 年云(ここ)に移る
<解説>
年末に雪が降りました。
雪景色と年末の慌ただしさ、世の中の状況の厳しさをあわせて創りました。
<感想>
全体に無理がなく、良いですね。
特に、転句で「世路崢エ」と出しましたが、「霏霏」「狂風」「凍雲」などの言葉が冬の厳しさを表していて、単なる年末の忙しさだけではなく、不穩というか不安な現今の様子を感じさせます。
難を言えば、起句の「六出」は風雅な表現、「白雪」と表した方が世相を描くには良いです。
承句の「啼鳥窺」は何を「窺っている」のか、「一陣狂風」だけでは分からないので、「飢」「衰」とした方が良いですね。
後半は問題無いと思います。
2021. 2.28 by 桐山人
作品番号 2020-416
新譜・二千二十年祭詩
山雞舞鏡, 山雞(きじ)が鏡に舞ふごとく,
樗翁傾盞, 樗翁 盞を傾け,
年暮祭詩, 年暮に祭る詩,
二千七百首。 二千七百首。
晩境無聊, 晩境は無聊,
遐思免費, 遐思は免費(ただ),
神遊騎鶴, 神遊して騎る鶴は,
張翰仙姿清痩。 翰(はね)を張り 仙姿 清らかに痩せをり。
避新冠疫鬼, 新冠の疫鬼を避け,
春湖耀處, 春湖 耀くところ,
欣賞櫻雲, 櫻の雲を欣賞し,
筆潤金觴緑酒。 筆は金觴の緑酒に潤ふ。
○ ○
夏天有意扮青蠅, 夏天には意ありて青蠅(はえ)に扮し,
鼓翅尋餐館, 翅(はね)を鼓して餐館を尋ね,
惜啜殘杯紅友。 殘杯の紅友(さけ)を惜しみ啜る。
秋戀孀娥, 秋には孀娥に戀し,
佯鰥見面, 鰥(やもお)の佯(ふ)りして見面(あ)ひ,
共玩星漢, 共に星漢を玩び,
對飲霞漿延壽。 霞漿を對飲して壽を延ばせり。
掃素箋積雪, 素(しろ)き箋に積もる雪を掃き,
冬吟呵硯, 冬吟 硯を呵し,
朗朗高歌, 朗朗と高歌し,
自詡文才挺秀。 自詡(うぬぼれ)り 文才 挺秀たりと。
<解説>
山雞舞鏡:四字成語。山雞が鏡に映る自分の舞う姿にうっとりすること。自己陶酔。
無聊:退屈。
遐思:現実を超越した思索、想像。
免費:無料。
新冠疫鬼:新型コロナウィルス。
紅友:酒の別名。
孀娥:嫦娥のこと。孀婦(やもめ)であるので孀娥ともいう。
霞漿:仙人の飲み物。
自詡:自誇。自画自賛。
挺秀:抜きんでて秀でていること。
私には平仄から自由になりたいという思いがあり、そのためには多作に勤め、訓練を重ね、平仄を血肉に出来れば、と考えました。
そこで良い作品の要件など難しいことは考えずにひたすら作詩に励んできました。
毎年2000首がノルマ。
今年は新型コロナウィルスで外出を控えたこともあり,閉門覓句、2700首余りを詠みました。
詞が1700弱、詩(絶句・律詩)が600弱、残りの400強は漢俳、十七字詩などの漢語俳句や、十二言絶句などの新詩体を試みたものです。
上掲の拙作は「新譜」です。新譜は、既存の詞譜を見ずに詞を詠もうというものです。
つまりは詞を自由に詠むものですが、私の場合は、1万7千首あまりの填詞の経験を踏まえ、平仄を調えつつ詞の句法を活用しており、新しい詞体として通用するものと自負しています。自由詩ではありません。
年間2700首は過去最高ではありません。詞の1700も然りです。
しかし、今年は90字以上の長い詞を多く詠め、充実していたと思います。
60字の詞が10分,70字が15分,90字が30分で詠めたりすると、平仄の舟から舟へ自由に跳び移る牛若丸のような気分で、まさに山雞舞鏡。
私の作品は多いです。しかし、詩想はそれほど豊かではなく、同じ詩材を違う詩体で詠んでみる、ということをしています。同工異曲です。
上掲の拙作では、春には櫻,夏は蠅,秋は嫦娥が出てきますが、それらは、今年の私の同工異曲の詩材です。
そして冬の今は「山雞舞鏡」で始まる詞を同工異曲中。年を越してしまいますが、おそらく全200首程度の同工異曲集になります。最短は27字,最長は157字。今日は104字。残りは十首ほど。
同工異曲は、詞体を換えつつ詠むことで詩材を生かす最適の詞体を搜す推敲だ、と嘯くこともできます。しかし、実際は、平仄のリズムに乗って白紙の詩箋を氷の上のごとくに滑走する、そういう自由を味わいたいだけのことに思えます。
これもつまりは山雞舞鏡。
お笑いください。どうぞよいお年を。
<感想>
2020年度の投稿詩は、鮟鱇さんからいただいた詞で締めさせていただきます。
コロナに振り回された一年、私の漢詩教室も対面式はやめて通信講座へ変換、感染が少し収まった時に大慌てで対面式を開いて、次の月にはまた感染拡大で通信に戻ったり、あたふたあたふたと心に余裕の無い毎日でした。
投稿掲載が今年も遅れ遅れで、去年と変わりないと言われそうですが、気力とか粘りというか、そういうテンションを上げることが難しかったのも事実です。
新しい年こそ掲載を早く、と思ってはいるのですが・・・
2021. 2.28 by 桐山人