2019年の投稿詩 第151作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-151

  己亥春季釋菜獻詩        

春祠供臘酒   春祠 臘酒を供へ

留客足鶏豚   客を留めて 鶏豚足る

楷樹和簫鼓   楷樹 簫鼓に和し

衆民浴至恩   衆民 至恩に浴す

悠悠君業屬   悠々として 君業属き

翼翼聖文尊   翼々として 聖文尊し

一世惟忠恕   一世 惟れ忠恕

人倫千古源   人倫 千古の源

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 4月18日は、多久市の「多久聖廟」にて、春の釋菜が行われ、その折の献詩です。


<感想>

 平成から令和へと元号が変わる中で、新しい時代が「人としての道」が守られ、平和な世が続いていくことへの願いが伝わって来る詩ですね。

 頸聯は特に平成天皇(作詩の時点で)のお気持ちを慮って、とのことですが、その趣きも伝わってきます。

 6句目は「蒸民」とすると完璧ですね。



2019. 6.16                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第152作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-152

  看櫻        

月朧芳岸復多聲   月朧(おぼろ)なる芳岸  復た声多く

瞰下白楂千里程   瞰(み)下(おろ)す白楂 千里の程

難去花衣瞻老樹   去り難き花衣 老樹を瞻(み)れば

百燈不揺照殘櫻   百灯揺るがず 殘桜を照らす

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 普段は人のいない堤防の桜並木に、かなり人出がありました。
 川面は、散って流れる花びらでいっぱいです。

 妻に誘われて出かけましたが、盛りを過ぎても桜の方は綺麗でした。
 来年は、当然、妻の運転で持参すべきものを持って早めに出かけるぞ。

 「芳岸」「白楂」「花衣」「殘桜」と、桜関連の詩語が多く、「看」「瞰」「瞻」も使い分けたつもりですが?
 ほどほどに厳しい感想をお待ちしています。

<感想>

 今回の詩は作者自身がお書きになっているように、桜関連の言葉が続きます。堤防、川面、老樹と、あそこにもここにも桜の花、という感じで、読者の心に桜が強く印象づけられる効果はあります。
 ただ、その分散漫になる印象は拭えませんね。結局、どこの桜が良かったかと聞けば、「全部!」と答える形です。

 前半は景色を広い視野で描いていますので、どちらも好句です。桜を少し控えて、後半に焦点を絞っていくならば、「芳岸」を「春岸」「堤畔」「堤堰」などとします。
 承句は「白楂」、つまり「花筏」ですが、これがあれば目線の動きは下向きに決まってきますので、「瞰下」は無駄な言葉です。
 「碧水白楂」と対応させると色彩が鮮やかになりますね。

 その他の言葉としては、承句の「千里」は誇張し過ぎです。平仄の関係で「千」の平字しか入れられなかったのかもしれませんが、千里(約500キロメートル)も続く堤防を想像するのは難しいです。日本で一番長い信濃川でも360キロ程、ご不満かもしれませんが、「三里」でも良いかと思います。

 結句の「不揺」はどうやって固定しているのか、逆に「揺揺」の方が堤防の上らしく風に吹かれている風情が出ませんかね。

 遙峰さんからは「ほどほどに厳しく」というご要望がチラチラとする中での感想でしたが、あまり変わらないですかね。




2019. 6.17                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第153作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-153

  忠臣待遇        

美人妖乱舞   美人妖しく乱舞し

雖尽酒樽中   酒樽の中を尽くすと雖も

君子非心穏   君子心穏やかに非ず

忠臣絶王宮   忠臣王宮に絶ゆれば

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 五言絶句に挑戦してみました。また、虚字もはじめて使用してみました。
 詩というよりは教訓のような感じなっているような気がしますが、どうぞよろしくお願いします。

 美女が妖艶に乱舞し、浴びるほど酒を飲む宴席が毎夜開かれる。
 栄華を極めた王であっても、信頼できる臣下がそばにいなければ心休まるときはない。
 現代社会でも信頼できる部下をもつことは難しい。
 だからこそ高慢にならず人を大切にしよう。

 そういう自戒をこめて詠んでみました。

<感想>

 五言絶句に挑戦、うーん、ここに「自戒」の気持ちを含ませると、確かに教訓のようになりますね。
 それは、起承転結の流れが崩れていて、散文のように感じさせるからです。

 五言絶句でも七言絶句でも、起句承句でひとまとまり、転句からは少し変化をつけると、詩の趣が出て来ます。
 この詩では「雖尽」という形で転句に逆接で繋いだため、中の二句がどんと居座る形になっています。
 ここを「尽酔」として、ひとまず文を完結させて、前半で華やかな宴の様子を言い、転句で「君子が楽しんでいない」とすると、読者に「あれ、どうして楽しんでいないのかな」と疑問を抱かせておいて、その理由が結句に出るとインパクトが強くなりますね。

 結句は「王」の平仄が違いますね。「王となる」「王とする」という動詞用法の時は仄声ですが、名詞用法は平声ですので、「二四不同」になっていません。
 宮殿を表す言葉を探してみましょう。



2019. 6.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第154作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-154

  冬日偶成        

小陽春夕冷風疏   小陽春(こはるび)の夕べ 冷風疏(とお)る

群雀中庭枯葉疎   群雀の中庭 枯れ葉は疎(まばら)なり

殘菊數輪秋艷老   残菊 数輪 秋艶老ゆ

禿翁曝背愛閑居   禿翁 背を曝し 閑居を愛す

          (上平声「六魚」の押韻)

<感想>

 冬の日だまりの中で日向ぼっこをしながら、のんびりと庭を眺め、目に入ったものを描いたという感じの詩ですね。

 「冷風疏」「枯葉疎」「秋艶老」と下三字に冬の気配を感じさせるものを並べましたが、変化に乏しいので、三句ともに同じようなことを言っている印象です。
 簡単に言えば、どれも「冬になった」というわけで、さて、それを受けての結句は「愛閑居」はどこからこの気持ちが出てくるのかが見えません。
 また、「枯葉疎」「殘菊数輪」も視点もイメージも近く、起句承句に置くなら良いですが、この位置では逆効果でしょう。

 せめて「愛」の字だけでも検討してはいかがでしょうか。



2019. 6.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第155作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-155

  四時酒(二)        

静初音囀屠蘇香   静かな初音の囀り 屠蘇香る

驟雨林亭麥酒涼   驟雨の林亭 麦酒 涼し

錦繡風光楽英酌   錦繍の風光 英を楽しみ酌む

除夜百八嗜懐觴   除夜の百八 懐觴を嗜む

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 四季それぞれでお酒を楽しみを順に描いたものですね。
 こうした詩は、どんな素材を拾い出すかが大切で、読者が「そうそう、それが旨いんだよね」と納得し共感すると同時に、「あ、そうか」と改めて気付かせる新鮮さも欲しいですね。
 今回の詩は、正月から始まって除夜で終るという展開が、また起句にすぐ戻る感じで、面白くできていると思います。

 起句は上四字が読みにくいので「初音静韻」として、結句は平仄が合いませんので「歳鐘百八」というところでしょう。



2019. 6.18                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第156作は 緑風 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-156

  看桜        

東風駘蕩坐青茵   東風 駘蕩 青茵に坐す

堤上連筇花事人   堤上 筇を連ぬる 花事の人

片片紅華漂水面   片々と紅華 水面に漂ふ

将桃源静弄芳春   将に桃源 静かに芳春を楽しむ

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 鈴木先生 今年の春は寒暖の差が大きく、桜シーズンも予想以上に長く続きました。
 例年楽しむ相川堤の桜を作詩しました。

<感想>

 全体にしっかりとまとまっていますので、部分的に目についたところだけ書きましょう。

 結句の「桃源」は「看桜」ですので、例えとしても違和感がありますね。
「陶然酔境」くらいが良いでしょうね。

 転句の「紅華」は直前に「花」があります。字は違いますが、意味も発音も同じですので、「紅英」とした方が整うと思います。



2019. 6.19                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第157作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-157

  花時出遊        

春風吹起解紅裙   春風吹き起こって 紅裙解く

白脛細腰誰不欣   白脛細腰 誰か欣ばざらん

老叟豈図神力漲   老叟豈に図らんや 神力漲り

看花下午気氛氳   看花の下午 気氛氳たり

          (上平声「十二文」の押韻)

<解説>

 桜はやっぱり気もそぞろにしてくれますね。
 母校をはじめ、市内の桜の名所を尋ねて写真を撮ったり、詩を書きます。
 今年は事務所の女の子達と花見を兼ねて昼ご飯を食べに出かけました。一瞬、幸せな気分になりました。
 久米の仙人は神通力が失われたようですが、私は逆に元気になりました。

<感想>

 起句の「解紅裙」ですと、次の「白脛細腰」と続いて、どうもスカートの奥の方まで覗いているように感じるのは、私の心の問題でしょうか。
 「解」を「舞」くらいにすると穏やかに読めるのですが。

 承句で反語形、転句でも反語形なのは気になりますね。反語形は基本的には強調表現ですので、それが二回も繰り返されると、圧迫感が出て来ます。
 転句を「不図」とすれば柔らかくなりますが、承句に「不」を使ったために「豈」にしたのでしょうか。
 ここは承句の下三字を直すように考えた方がよいでしょうね。



2019. 6.20                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第158作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-158

  狐死首丘        

小狐忘故道   小狐故道を忘れ

雖泣哭不休   泣哭すると雖も休まず

異郷行千里   異郷千里を行く

之如死首丘   之死して丘に首するが如し

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 前いただいたコメントで、北海道らしい句をというのがありましたので、宿題にしておりました。
たまたま先日、通勤途上で子狐と出くわし、それにちなんだ詩を作ってみました。

 故郷への道を忘れてしまった狐の子は、泣きながらも休まず、異郷の中、故郷への遠い道を歩んでいきます。
 故郷の丘の方に頭を向けて死んだ狐の故事のようです。

 先日、通勤途中の路上に子狐がひょっこり飛び出してきました。
 函館では、最近ではやや珍しい光景です。
 親にはぐれたのでしょうか?
 泣きながら故郷を探し回る姿が浮かびました。

 ちなみに、「狐」を漢和辞典で引くと「狐死首丘」という礼記のたとえが出てきます。
 わたし自身、和歌山県生まれで今は故郷を遠く離れた北海道に暮らしています。
 異郷での辛い暮らしの中で故郷を懐かしむ気持ちを、たまたま出くわした狐に託して詠んでみました。

<感想>

 おっしゃる通り、解説を拝見するといかにも北海道らしい詩です。
 ただ、解説を読まないと、それは分かりません。
 初めから子狐に焦点を当てているために、この子狐は何処に居るのか、何故子狐を見たのか、そういった情報が伝わってきません。
 また、起句の「子狐忘故道」は「狐死首丘」のたとえと逆のことになります。

 全体の構成を考えると、起句では「或る日子狐に遭遇した」という述べた上で、その子狐の様子を語る方向が良いでしょう。
 その上で、一心不乱に巣へ戻ろうとする姿を描写すれば、結句と繋がりが生まれ、雷鳴さん独自の世界が描き出せる詩になると思いますよ。

 細かい所では、承句は平仄が合っていません。「不」は打ち消しの意味で使う場合は仄声です。

 転句は「千里」が長過ぎで、作者が狐の行為をそれだけ見ていたわけではないでしょう。起句承句を直して時に、ここも検討すると良いですね。

 結句は「之」は無駄な字で、入れるならば「宛」「猶」でしょう。



2019. 6.20                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第159作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-159

  復活節        

春光芳樹径朝行   春光芳樹の径を朝行けば

教会鐘音召友迎   教会の鐘音友を召き迎ふ

相喜入堂沈静待   相喜びて堂に入り 沈静して待つ

耶蘇復活祝歌声   耶蘇の復活を祝ふ歌声

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 4月21日の日曜日はキリスト教の復活祭(イースター)でした。
 教会には久々に礼拝にやってきた方々もいます。
 その再開を喜びつつも、礼拝中は心を静めて、礼拝後の復活を祝う会を待つ、という瞬間を漢詩にしてみました。

 春の日差しの中、芳しい花が咲く木々の間を朝歩いていくと、
 教会の鐘の音が懐かしい友を招いて迎えてくれています。
 再会を共に喜びつつ教会堂に入り、心を静めて待ちます、
 キリストの復活を祝う賛美の歌声が響く瞬間を。

<感想>

 流れとして、季節や時間、場面をまず出して、復活祭の教会の雰囲気を後半で述べるのは、構成として十分なものです。
 使ってある用語もそれぞれ適切で、良い選択をしていると思いました。

 直すところとしては、起句が七言句の基本である「二・二・三」のリズムを崩しているため読みにくいですね。下三字はこれは何のことなのか悩みます。
 「径」を省いて「早朝行(早朝の行)」、「径」が必要なら「早朝径」として踏み落とすかでしょう。「早」は他の言葉にしても良いと思いますし、上を「花径」のように持って行くことも可能ですね。

 転句の「相喜」は「友を迎えた喜び」のようですが、これは余分で、承句と転句がずるずると流れてしまい、せっかくの転換の効果が消えてしまっています。
 また、「喜」「入」「待」と動作が三つも並ぶのも説明的で煩わしいです。複数の行為がポンポンと流れて行く時にはこうした表現も使いますが、ここはその必要は無いところです。

 最後の結句は下三字が残念です。この読み下しで行くと「祝」の字は句頭に置かなくてはいけません。
 「耶蘇の復活 祝ふ歌声」とすれば一応読むことはできますが、それなら「響歌声」とした方がすっきりしますね。



2019. 6.20                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第160作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-160

  大隠隠朝市        

天上片雲無月琴   天上 片雲 月琴無し

独愉山水有清音   独り愉しむ 山水 清音有り

但希何日隠朝市   但だ希む 何れの日か朝市に隠れんと

相対桂香明鏡吟   桂香に相対して 明鏡と吟ず

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 空の上にはちぎれ雲、美しい音楽はない。
 人里離れたこの山奥には、風のささやきや小川のせせらぎがある。
 そんな静謐な今の暮らしを一人楽しんでいる。
 ただ、心のどこかに、大隠は朝市に隠れるという理想を追い求める気持ちがある。
 揺れる気持ちも抱えながら、桂の芳香を相手に、すっきりとした気持ちであるかのように、詩を吟じるのだ。

 漢詩が伝統的に詠んできたものを詠んでみようと思い、遊仙を主題にして作ってみました。「月琴」は楽器名です。

<感想>

 「大隠」を希望として持ちながらも、現在の言わば「小隠」を楽しんでいる自分の気持ち、ある意味矛盾した考えですので、それをどう整理して描くかがポイントですね。
 そういう点では、「大隠」の気持ちは転句だけにして、他の句と分離して小さく描いた構成は良いと思います。
 率直な疑問としては、これだけ楽しい生活をして、満足だろうに、「隠朝市」と願うのは、何となく頭でっかちと言うか、理想主義的な気もしないではないですが。

 起句の「無」は承句の「有」に対しての語でしょうが、対句ではないので逆に目立ちます。
 起句と承句の下三字を入れ替えて、「明鏡臨」「弄月琴」とした方が話が収まると思いました。



2019. 6.20                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第161作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-161

  祝子生成        

蛙声竹蔭緑盈疇   蛙声 竹蔭 緑 疇に盈つ

孟夏新秧翠欲流   孟夏 新秧 翠 流れんと欲す

我子生成牙歯整   我が子 生成して 牙歯整ふ

家人喜見百花休   家人 喜び見て 百花の休

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 田植えの済んだ田んぼには、竹林の影も映え、緑豊かで、蛙の声が聞こえてくる。
 苗の緑も鮮やかに、緑ミドリの初夏の爽やかさである。
 我が子も成長して、ようやく歯が生えそろってきた。
 家族は喜び、周りの花々も祝い見守ってくれているようだ。

 私は子育てに格別な思いがあり、中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」が好きです。
 その子どもの成長を喜び祈る気持ちをイメージして作りました。

 「休」には「庇護」の意味があり、最後の「百花休」は、花々もその子の成長とそれを喜ぶ親を優しいまなざしで見ていてくれるというイメージにしたつもりです。

<感想>

 中村草田男の句は、「万緑」という「あらゆるものが生き生きと育っている季節」という詩語と「子供の歯が生え始めた」という、二つの「生長」のイメージを重ね合わせた名句です。  「新緑」ではなく「万緑」としたことが、句の世界を大きく広げていますね。
 恕水さんのこの詩は、この句の世界を漢詩で表そうという意欲的な作品ですね。

C  転句までが草田男の句の世界を描いたもので、大きな食い違いはないと思います。
 結句は俳句には書かれていない部分で、草田男がこの句で何を言いたかったのか、それを表したもの。一見説明的な感じもしますが、漢詩にはこれが必要で、俳句で描かない作者の感情の方向性をより明確にする役割があります。
 そういう観点で句が機能しているかがポイントになります。

 結論としては、最後の「百花休」がもう一歩でしょう。
 まず、「休」の字についてですが、恕水さんは「庇護の意味がある」と書かれていますが、どれくらいの読者がそう読み取るか疑問です。
 多分ほとんどの人は「百花休む」と読むでしょうが、それを「庇護」と解釈する方向に持って行く情報は無く、逆に「喜見」と同種の意味だと敢えて考えることの方が難しいでしょう。
 また、私の感覚では、「休」という動作を止める言葉は、「生長」という主題と逆行する結びだと思います。

 更に言えば、「万緑」をなぜ季節違いの「百花」としたのか、そこも気になりますので、ここを別の韻字にして、例えば「頭」を用いて場所を表すとか、「謳」や「留」なども含めて、一番大事なこの結句を検討してはいかがでしょうか。



2019. 6.21                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第162作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-162

  安達原黒塚        

奇岩積累奥州郷   奇岩 積累 奥州の郷

黒塚老婆如鬼狂   黒塚の老婆 鬼の如く狂ひて

欲食心肝翻白髪   心肝を食はんと欲して 白髪翻すという

古伝幻想映幽光   古伝の幻想 幽光に映ず

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 GWに福島県福島市の妻の実家に帰省しています。
 今年は、松尾芭蕉が『奥の細道』に記されているように、福島県を訪れてから330年になるそうです。

 そこで、今回は芭蕉ゆかりの地の一つ、安達ケ原の鬼婆伝説で有名な二本松市の黒塚に取材して漢詩を詠んでみました。

 奥州安達ケ原に奇岩が積み重なった黒塚というところに住む老婆が狂って鬼となり、人の臓物を食おうとして白髪を振り乱すという古い伝説が、岩陰の幽かな光の中にほの見えた気がした。

<感想>

 旅行に行った時に、記録や記念の意味で作詩をすることは、漢詩に限らず大切なことです。
 日常生活の中だけでも勿論詩は書けますが、家を離れると、心が新しい世界に感応して、イメージが豊かになるものです。

 この詩も、承句と転句でひとまとまりという構成になっています。起承転結ではなく、序論・本論・結論という感覚でお作りになっているようですね。
 それも構成として悪いわけではありませんが、句の順番をあれこれといじってみることで、詩の世界が劇的に変化することもあります。

 例えば結句の「古伝」を承句に持って行って、「黒塚古伝浮暗光」のように「鬼婆」を出さないでおくと、前半がひとまとまりになります。

 後半で老婆を登場させ、伝説の内容を述べると、話がうまく展開すると思います。
 例えば、「狂鬼老婆翻白髪 眼前如迫覚恐惶」のような形でしょうか。





2019. 6.22                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第163作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-163

  謝金婚式祝宴        

金婚賀宴集児孫   金婚の賀宴 児孫集ひ

饌玉破顔佳酒樽   饌玉 破顔 佳酒の樽

五十年華閑適裏   五十年華 閑適の裏

誠心饋贈意温温   誠心 饋贈 意 温温たり

          (下平声「十三元」の押韻)

<感想>

 岳城さんは金婚式をお迎えになったそうで、おめでとうございます。
 お子さんやお孫さんがお祝いの宴を開いてくださったようで、ご夫婦お二人ともご健在であるからこそのお祝い、ご家族もお喜びだと思います。

 規則的な問題は拝見しても問題無く、おめでたい気持ちとこの場合は感謝の気持ちもよく表れていますね。
 承句の「饌玉」は「すばらしいご馳走」、結句の「饋贈」は「贈り物」、内容的には両者は逆に置いた方が、つまり「ご馳走と贈り物とおいしいお酒」「まごころと笑顔と気持ちぬくぬく」と並んだ方が本来はしっくりくるでしょうが、どちらもおめでたい言葉ですので、気にはならないでしょう。

 転句はご夫婦で過ごした五十年を振り返っての感想、「閑適」で「ゆったりと心にかなう生活」を送られたのは、これは奥様のご功績が大きいかもしれませんね。



2019. 6.23                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第164作は八王子市の 俄文人 さん、70代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙には
 初めまして。
 三年半ぐらい前に漢詩の創作に挑戦して、30作品になります。
 中国の旅や歴史に興味があり、それを詩の題材にしています。
 独学で楽しんでいましたが、今回投稿できることを知り、思い切って送付することにしました。

 今まで漢詩づくりは一人で学んで楽しむしかないと思っていました。
 と、御挨拶いただきました。

作品番号 2019-164

  神山        

経幡飄放掃寒空   経幡 飄を放ち 寒空を掃ふ

朝日畫稜肌錦楓   朝日 稜を画き 肌錦楓

梅里雪山排俗界   梅里雪山 俗界を排し

黄雲舞處適天宮   黄雲舞ふ處 適(まさ)に天宮なり

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 早朝、五色の経幡がまるで寒風を巻き起こしているかのよう、
 オレンジ色に染まった未踏峰は神秘的な美しさでした。

<感想>

 新しい漢詩仲間を迎え、とても嬉しく思っています。
 俄文人さんもお書きのように、現代では漢詩を作っていてもなかなか同好の士が見つからず、「一人で楽しむしかない」と思っていらっしゃる方も多いと思います。
 でも、このホームページもそうですが、まだまだ漢詩を自作して楽しんでいる方は沢山います。そうした方々の交流の場になればと思い、このサイトを開設しましたが、少しでもお役に立てれば嬉しく思います。
 俄文人さんは八王子市にお住まいとのことでしたので、深渓さん達が活動されている「調布漢詩を楽しむ会」のご案内を差し上げましたら、早速、今月の例会からご参加くださるそうです。
 調布の皆さんもとても喜んでいましたよ。

 さて、作品を拝見しました。
 これまでに30作程とのこと、独学で進めてこられたわけで、随分ご勉強なさったことがわかりますね。
 平仄などの漢詩の規則については、丁寧に確認なさっていると思います。

 舞台の「神山」はチベットの近くの「梅里雪山」ですね。
 冒頭の「経幡」は寺院で五色にたなびく幡、それが鮮やかに目に浮かび、一気に読者を日常から遠く連れて行ってくれますね。
 次の「朝日畫稜」も、朝日の中に山々の稜線が浮かび上がってくる光景で、風景ビデオを見ているようです。
 このあたりは気合いを籠めて書かれたところでしょうね。

 部分的に気になるのは、起句の「飄放」は文法的には語順が逆ですが、平仄絡みでしょうか。「風にはためく」という意味では「飄颺」(颺は平仄両用)という語もありますので、そうした語を用いた方が良いでしょう。

 また、承句の「肌」は「山肌」のことでしょうが、伝わりにくいですね。上四字の主語が「山」ですと、「稜線は・・・、表面(肌)は・・・」という形で理解しやすいのですが、ここは「朝日」が主語ですので、「肌」が突然現れたという印象になります。
 「抽錦楓」のような形で、「朝日」を主語として一句を通すのが良いかと思います。

 後半は勢いのある句で、作者の感動する心が伝わって来るような表現になっていると思います。

 調布の例会でお会いできるのを楽しみにしています。



2019. 7. 2                  by 桐山人



俄文人さんからお返事をいただきました。
桐山人先生、ご丁寧なご指導ありがとうございました。
少し時間を頂き、ご指摘内容で再考してみました。

起句の「飄放」はおっしゃる通り平仄を優先させてしまいましたが、「飄颺」という熟語を教えて頂き、代えさせてもらいました。

承句の「肌」は「朝日」が主語であると指摘されてみると不適でした。
この部分、私に全く問題意識がなく勉強になりました。
更に「抽錦楓」の「抽」の字に“引き出す”等の意味があることをはじめて知りました。
「染」や「映」もあるかと思いましたが、「稜」が孤平になり、やはり「抽錦楓」が最善だと知りました。

ということで、ご指導内容そのままですが以下に修正します。

    神山
  経幡飄颺掃寒空  経幡 飄颺 寒空を掃ふ
  朝日畫稜抽錦楓  朝日 稜を画き 錦楓を抽く
  梅里雪山排俗界  梅里雪山 俗界を排し
  黄雲舞處適天宮  黄雲舞ふ處 適に天宮なり


読み下しの古文調の仮名遣いは難しいですね。これも学ばなければと考えています。
自分の詩を、これも独り善がりで始めた習字ですが、「飄颺」の文言、風の偏と旁をどう書けば良いのか楽しみです。

これからもご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。  

2019. 7. 9              by 俄文人























 2019年の投稿詩 第165作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-165

  梅天閑詠        

濛濛密雨昼猶暗   濛々たる 密雨 昼猶暗し

黙座煎茶懶出門   黙座して 茶を煎 門を出るにも懶し

日霽驕陽新竹緑   日霽り 驕陽 新竹緑なり

一池水漲乱蛙喧   一池 水漲って 乱蛙喧びすし

          (上平声「十三元」の押韻)

<感想>

 梅雨のけだるい心理が前半に出ていますね。
 後半はそこから晴れ間が出た時の景色へと移るわけですが、「驕陽」とありますので、梅雨明けとまでは行かないでしょうが、雨の後の眩しい日射しでコントラストを強調したのでしょう。
 ただ、ちょっと急ぎ過ぎた感がありますね。

 竹の緑や溢れそうな池、蛙の声などは、日射しの強さとは関係ないわけで、極端に言えば、雨の中で傘を差して出かけたとしても良いわけです。
 そうなると、この「日霽驕陽」は何だったのか、家の中から外へと出かける理由を述べたという感じで、「懶出門」への言い訳というか、説明臭さを感じます。

 例えば、「持傘」とか「庭(窓)外」のような言葉で展開させれば、承句からの流れも不自然では無くなりますよ。



2019. 7. 3                  by 桐山人


地球人さんから再敲作をいただきました。

    梅天閑詠(再敲作)
  濛々密雨昼猶暗
  黙座煎茶懶出門
  窓外庭中新竹緑
  一池水漲乱蛙喧


2019. 7.12            by 地球人


 転句を直されましたね。
 全体にまとまったと思います。
 表記の問題ですが、まず起句の「々」はこれは記号ですので、勿論平仄もありません。漢詩では畳字の場合、面倒でも漢字を二つ書きます。
多分ワープロが勝手に変換したと思いますが、気をつけましょう。

 もう一つ、承句の「座」ですが、場所の場合は「座」、すわるという行為は「坐」とするのが良いですね。

2019. 8. 6            by 桐山人






















 2019年の投稿詩 第166作も 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-166

  消夏雑詩        

江村潑剌嗅潮香   江村 潑剌 潮香を嗅ぐ

無雨驕夏厭日長   雨無く 驕夏 日の長きを厭ふ

倚棹銀波消午熱   棹に倚り 銀波 午熱を消す

軽航如矢海風涼   軽航 矢の如く 海風涼し

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 起句の「潑剌」は「生き生きと元気が良い」ことを表します。魚が潑剌というなら分かりますが、「江村」に対しては使うのは変ですね。
 承句の「夏」は平仄が合いませんので、起句に持ってくれば「盛夏」「徂暑」「九夏」など色々と考えられますね。
 五字目の「嗅」ももう少し詩的な言葉になりませんかね。「吐」「漾」「泛」などが考えられますが。

 承句は前作にも用いた「驕陽」で良いと思います。

 転句は舟に乗って涼しくなった、という展開ですが、よく見ると結句もほぼ同じ内容ですね。
 ポイントになるのは「消午熱」「海風涼」のどちらを残すか、つまり「涼しくなった」ことを主題にするかどうか、ですね。
 「消午熱」を残すならば、そこから更に発展する心情が欲しくなりますし、「海風涼」を残すなら転句は舟に乗ることにした事情とか、岸辺の様子とかの場面描写を出しておくのでしょう。



2019. 7. 3                  by 桐山人



地球人さんから再敲作をいただきました。

    消夏雑詩(再敲作)
  江村瀲灔漾潮香
  無雨驕夏厭日長
  倚棹櫓声魚忽踊
  軽航如矢海風涼


2019. 7.12            by 地球人























 2019年の投稿詩 第167作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-167

  夫婦桜        

蝦夷臨海松前城   蝦夷に臨海する松前城

昔日忠臣落勇名   昔日 忠臣 勇名を落とす

酔客誰知逃戦火   酔客 誰か知らん 戦火を逃れ

相思夫婦化双桜   相思の夫婦 双桜と化すを

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 GWに、家族で松前城の桜を見に行ってきました。
 函館からは渡島半島を海岸沿いに2時間ほど車で行きますと、海を臨んで松前城が見えます。
 様々な種類の桜が咲き誇り、取れたてのウニやカキをいただきましたが、こうした宴席の喧騒から少し離れたところにポツンと咲く「夫婦桜」が印象に残りました。
 そこで、夫婦桜を主題に漢詩を詠んでみました。

 蝦夷の海を臨む松前城ではかつて忠臣が戦争で命を落としたという。
 酒に酔った花見客は知っているだろうか、戦火を逃れた愛し合う夫婦が一対の桜と化したことを。

<感想>

 掲載が遅くなり、すみません。

 松前城の夫婦桜、一つの梢から別々の桜の花が開くということから、仲の良い夫婦に見立てた命名だそうですね。
 ただ、この桜には「戦火を逃れた愛し合う夫婦が一対の桜と化した」という事実や言い伝えがあるのでしょうか。
「松前城の夫婦桜」ということで調べても、昭和の初めまでしか遡れませんでした。

 順に詩を読んでいきましょう。

 起句は「下三平」で、これは避けるべきところ。
 固有名詞を使うとどうしても平仄の規則から外れてしまうことはありますが、この場合ならば題名を「松前城夫婦桜」とすれば、この下三字に敢えて固有名詞を入れる必要は無くなります。
 北海道のお城ということで「北天城(北天の城)」というような一般名詞に持って行くことも可能ですね。

 転句は「酔客」が疑問です。
 単なる「ヨッパライ」ということで考えれば、桜の由来を知ってようが知らなかろうが、本来はどうでも良いこと、しかし、「花見客」ということになると、知識があるかどうかは意味を持ってきます。
 ところが、詩では花見客だと分かる情報は事前に出ていません。
 これは、作者自身が花見に来ているからで、「酔客」と言えば当然「花見客」だと思い込んでしまっているからです。
 しかし、読者は松前城にも来ていなければ、花見客の酔態も見ていないわけで、そこの所に読者目線が落ちてしまったわけです。
 「花客」と一文字変えれば落ち着く筈です。

 また、「誰知」の内容が「逃戦火相思夫婦化双桜」と二句に跨がっていて、ここもどうもすっきりしませんね。
 まず、「逃戦火」が必要かどうか、です。
 直前に「忠臣落勇名」と出ていますので、この「逃戦火」には「戦場から脱走した」というイメージが浮かびます。
 そのことが「夫婦桜」にとって大切な要素ならば分かりますが、「相思」ということで良いならば、この「逃戦火」は要らないと思います。
 結句はこれだけで完結した句になっていますので、転句は独立した形で良く、せっかくですので、桜の花の爛漫な様子などを描いてはどうでしょうか。



2019. 7. 4                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第168作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-168

  悼池袋車禍        

何堪車禍瞬陷フ   何ぞ堪へん車禍 瞬間の惨

最愛令妻慈愛孩   最愛の令妻 慈愛の孩

会見良人唯悽斷   会見の良人 唯だ悽断

萬民一意懊餘哀   万民一意 余哀に懊む

          (上平声「十灰」の押韻)

<解説>

 最近、傷ましい交通事故が多発しています。
 特に東京池袋の事故は、若いお母さんと幼い御嬢さんを亡くされた、御主人の会見の様子を見ても、胸が痛みます。
 老若を問わず、運転は注意しなければと思います。

<感想>

 高齢者の事故はきっと以前からもあったのでしょうが、今年に入ってからの事故は悲惨な事例が多く、私も胸が痛んでいます。
 車を自分で運転しなければ日常生活も維持できない状況は、ご本人の事情だけでなく、住んでいらっしゃる地域などの事情も関わっていて、免許を返納するということは生活の方図が立たなければなかなか難しく、しかもそれを自分一人で決断しなくてはいけない方がほとんどでしょう。
 テレビなどでは「高齢者の運転による事故」の報道が繰り返されていますが、被害に遭われた方々の悲しみと、現代の高齢化社会そのものの問題点と、二つを考えされられます。
 東山さんの結句、「萬民一意」という言葉が良く伝わります。

 転句の「悽」は「いたましい」という意味で通常は平声ですので、ここは「唯」を仄声の言葉にして、挟平格で収めておくと良いですね。



2019. 7. 6                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第169作は 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-169

  憩緑陰        

菁莪苒苒揺林光   菁莪 苒苒 林光に揺れ

緑樹成陰一味涼   緑樹陰を成し 一味涼し

村老伸腰茶話莚   村老 腰を伸ばし 茶話の莚

水田風起撓新秧   水田 風起ちて 新秧を撓む

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 「菁莪(さいが)」: シャガの花の別称。
 「林光」: 木漏れ日。
 「撓(たわ)」: たわめる。まげる。


 緑陰は、オアシスです。
 田圃からあがり、自然の涼しさのなかで、シャガを愛でながら、一服する人たち。
 人のいなくなった水田に風が・・・好景より植えたばかりの早苗は大丈夫かな。

<感想>

 シャガの清楚な白い花は、本当にホッとするような美しさですね。
 緑陰の涼しさを言う前に、真っ先にシャガを出したこと、また「苒苒」は「しっとりと生い茂る」ことで、林の木立を抜けてくる光に揺れるという繊細さとよく調和し、まとまった良い句の書き出しだと思います。

 起句が画面をしっかりと描いて、「林の中に居るのだな」と伝えていますので、今度は承句の「緑樹成陰」「林光」の直後でしつこく感じ、勿体ないですね。
 承句は「緑陰」とだけにして、他の情報を加える形、例えば「初夏緑陰生一涼」のようにしてはどうでしょう。

 転句は末字の「莚」、この字は「筵」と似ていますが、「草が延びる」という意味です。「むしろ」「ござ」を表すこともありますが、それは和習です。
 平声の「筵」は「むしろ、敷物、座席」で、「宴」の代用として使われることも多いですね。
 今回は「宴」では合いませんので、仄声の「莚」を使ったのかと思いますが意味が違ってしまいます。ここは「座」としておけば良いでしょう。

 結句の「水田」は唐突ですね。
 事前に田植えをしたとか農作業をしたことが出ていればまだ分かりますが、読者はこれまで「林の中、緑陰の涼しい場所、村の老人達と茶飲み話」という展開で来ていたわけで、近くに田があるとは思っていません。
 「水田の横の林だ」と言うのも苦しいし、農作業の後の茶飲み話とシャガもしっくり来ません。
 「田」を「池」に替えて、「野池」「池塘」「湫池」など検討してみてください。



2019. 7. 6                  by 桐山人



遥峰さんから推敲作をいただきました。

 結句の冒頭「水田」は、確かに唐突でした。
「腰を伸ばす」で田植えが終わったと思うのは私だけでした。
「莚」は、辞書に「国」とありました。「漢和辞典で、一字一字、…。」と「漢詩 はじめの一歩」271pにありました。

 いただいた感想に添って推敲しましたが、結句は変更しないで、転句で工夫してみました。

    緑陰小景(推敲作)
  菁莪苒苒揺林光   菁莪 苒苒 林光に揺れ
  初夏緑陰生一涼   初夏の緑陰 一涼を生ず
  畊了老農閑話座   畊了へて 老農 閑話の座
  甫田風起撓新秧   甫田風起ち 新秧を撓める

「甫田」: 苗を一面に植えた、美しい田。

2019. 7.10            by 遥峰























 2019年の投稿詩 第170作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-170

  登大雁塔        

寒光凍雀雪花中   寒光 凍雀 雪花の中

独上皚皚大雁穹   独り上る 皚皚たる大雁の穹

遠望西天存火焰   遠く望む 西天 火焔存り

懐巡万里古人功   憶ひは巡る 万里 古人の功

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

  雪のちらつく寒い朝、一羽の雀が寒そうに凍えている。
  雪で真っ白な大雁塔を一人登っていく。
  はるか西を望めば、思いは火焔山。
  孫悟空を引き連れて、天竺から経典を持ち帰った三蔵法師の苦労と功績がしのばれる。

 30年前に西安で大雁塔に登った事を思い出して作りました。
 周辺では、青い目をした西域風の男たちがシシカバブー(串羊肉)の屋台を出しているのが印象的でした。

<感想>

 西安はどこに行っても「古都」を感じさせてくれる場所があり、大雁塔もその一つですね。
 現在は大雁塔の前に、巨大な三蔵法師の像が建てられて、嫌でも(?)思い出させてくれます。

   

 転句は大雁塔から火焔山が見えたということでしょうか。
 うーん、私の知っている火焔山は吐魯番(トルファン)にありますが、それでしたら幾ら大雁塔でも遠くて見えないですね。
 天竺まで行くのに火焔山はまだ半分も来ていないし・・・。
 「シルクロードを思った」とか「天竺を想像した」というならば分かるのですが、「何故火焔山?」という感じです。
 「遥想絲綢天竺路」と三蔵法師につながる路をはっきり示すのも一案です。

 結句は「懐巡」は表現として甘く、転句の繰り返しになります。
 三蔵法師の功績を表すことが何か欲しいですね。「伝経万里」ならば通じますかね。



2019. 7. 6                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第171作は 幸青 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-171

  讃令和己亥中島敦        

奇才超大海   奇才 大海を超え

志向放文言   志向 文言を放つ

太史公承義   太史公の義を承け

問天中島敦   天に問ふ 中島敦

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 今年は敬愛する中島敦の生誕110年ということで作ってみました。
10年前にはまとまらなかったテーマですが、斧正のほどを宜しくお願いいたします。

<感想>

 中島敦は現代でも高校の教科書に必ず載っている作家ですね。
 『山月記』『名人伝』『李陵』、特に『山月記』は何度授業で扱ったかしれません。
 他の教材では生徒を指名して朗読させるのですが、『山月記』だけは最初の授業は私の範読、「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた・・・・」とリズム良く、「その声は我が友、李徴子ではないか」と芝居っ気たっぷりに、李徴の独白の所などは胸の奥から絞り出すような苦悩の調子で、最後まで気持ちよく朗朗と読み聞かせたものです。
 今にして思えば、三十分近く、生徒達は私の自己陶酔に付き合ってくれていたわけで、迷惑だったかもしれませんね。
 しかし、他の作家はそんなに熱を入れて読んだりはしなかったわけで、中島敦の文章の力によるのでしょう。

 起句の「奇才」は勿論中島敦ですね。
 「超大海」は最初、彼が南方パラオに赴任し海を渡ったことを指すのかと思いましたが、「越」でなく「超」が使われていますので、彼の才能は大きな海よりも優れていたということでしょう。

 転句は、このままですと「太史公が義を承けた」となります。どうしましょうね。
 「義」のここでの意味も分かりにくいのですが、「業績」というところでしょうか。
 それとも、司馬遷が「列伝」で繰り返し語った「天道是邪非邪」の絡みで、三十三歳という若さで亡くなった才能有る中島敦を、天はどう見ているのかという意味を結句に持たせているのでしょうか。
 それにしても、結句の「問天中島敦」は、やや乱暴な表現です。

 率直に言うと、この内容を五言絶句で語るのは難しいのではないでしょうか。
 できれば、同じ趣旨を情報がもう少し多い七言絶句で書いてみると、必要な言葉が選別できるかと思いますので、更に挑戦をしてみてください。



2019. 7.12                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第172作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-172

  梅雨即事  其二        

剪定柴扉茂   剪定せる柴扉茂り、

風通孟夏家   風は通ふ 孟夏の家。

蛙鳴含水土   蛙鳴 水を含む土、

転笑紫陽花   転笑 紫陽の花。

繁路蒸雲急   繁路 蒸雲急に、

軽雷雨脚斜   軽雷 雨脚斜めなり。

忽虹明彩町   忽虹 明るく町を彩り、

日照又無遮   日照 又遮る無し。

          (下平声「六麻」の押韻)

<感想>

 初夏の趣をまず述べて、爽やかな首聯。頷聯で「蛙鳴」「紫陽花」で梅雨らしさを持ってきて、頸聯でようやく雨が降り出しますね。
 それが尾聯ではもう虹が架かり、暑い日差しが戻ってきたという展開は、随分慌ただしく感じますね。
 「梅雨即事」ですが、何となく理屈っぽいと言うか、やや雑な展開は、梅雨になる前に作ったからでしょうかね。

 用語で気になるのは、例えば第一句の「剪定」は入れる必要があるでしょうか。ひょっとして次の「風通」を言うための伏線でしょうか。
 剪定して茂っている、というのは、やはり変ですね。

 第五句の「繁路」は樹木が繁った道のことですか。
 うーん、これは町に出たことを暗示する狙いなのでしょうが、唐突な場面転換の印象は拭えませんし、下の「蒸雲急」と合いますかね。
 首聯が家の中を感じさせますので、頷聯で少し変化させ、「青田蛙黽市 水畔紫陽花」のようにすると、外出したとも取れますし、冒頭の「家」は歩いている途中で見かけた農家とも考えられ、場面転換ができるようになります。

 最後は「虹」までにしておくと、梅雨の晴れ間、という感じで終われますが、「遮るものもない直射日光」と来ると夏のにわか雨になりますので、第八句は検討するのが良いでしょう。



2019. 7.12                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第173作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-173

  梅雨        

幽斎黙坐雨声深   幽斎に黙坐すれば 雨声深く

午下思詩空撫琴   午下に詩を思ひて 空しく琴を撫でる

連日天昏無客訪   連日天昏くして 客の訪ふこと無く

懐人酌酒又閑吟   人を懐ひ 酒を酌みて 又閑吟す

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 静かな書斎にひとり黙って座れば、雨音が激しく聞こえる。
 そんな午後に詩を考えながら空しく琴を触っている。
 連日の雨で日は差さず訪ねてくる客もいないので、
 人恋しくなって酒を酌み、また詩を静かに吟じている。

<感想>

 雷鳴さんのお手紙では、北海道も六月中旬に梅雨入りをしたそうですね。
 丁度その頃に私も中国の黄山にツアーで出かけましたが、着いたらガイドさんから「こちらは昨日から梅雨に入りました」との第一声、結局、黄山の雲海と廬山の雨を堪能する旅でしたが、帰国した後、ニュースでは雲南省では大雨による土砂災害が起きたようです。
 その画像と重なるように、日本でも九州で大雨被害、梅雨の概念が少しずつ変わって行きます。
 まだまだ梅雨明けには遠いようで、雨の続いている地域の皆さんの安全をお祈りします。

 さて、雷鳴さんからは何首かいただいていますが、「梅雨シリーズ」ということで、掲載順を少し変えさせていただきました。

 まとまった内容の詩で、梅雨らしい詩語も齟齬なく配置されていますね。
 詩と音楽と酒、必要な素材も十分整っています。

 転句の「無客訪」の直後に結句で「懐人」と来るのは話が収まり過ぎで、「誰も来ない→人を懐ふ」では単なる説明になってしまいます。
 その結果として、この部分があまり寂しい感情になると、後の「酌酒」「閑吟」も寂しさを紛らすためのものになり、前半の「思詩」「撫琴」も仕方ないからやっているような印象になります。
 結句の頭を「悠然」と気持をゆったりさせたり、「一窓」と単に場所を示すだけにすることでも、梅雨の閑適という形に持って行けます。



2019. 7.13                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第174作は 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-174

  梅天家居        

衡門六月屋梁涔   衡門の六月 屋梁涔るも

蕉雨韻無簷溜音   蕉雨の韻きは無みす 簷溜の音

尚有紫陽覗半牖   尚ほ紫陽有り 半牖に覗へば

淡青亦赤染庭陰   淡青 亦赤 庭陰に染みる

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 梅雨も楽しめます。
 「紫陽(花)」は、よろしいでしょうか?

<感想>

 梅雨の季節も、じっくりと眺めていれば良い風物に出会うし、何よりも出かけるのを諦めて家で詩作に耽ることができると考えれば、なかなか良いものでしょうね。

 起句の「衡門」は本来は「柱を横に渡しただけの粗末な門」のこと、そこから「隠者の家」という意味にも使われます。
 「屋梁涔」「屋根が雨でしっとりと濡れる」こと、ここから考えると門ではなく、後者の「粗末な家」ということでしょう。
 しかしながら、下三字で家に居ることは分かりますので、「衡門」の言葉が必要かどうか、「梅天六月」とした方がインパクトが強いと思いますが、いかがでしょう。

 承句は、芭蕉の葉を叩く雨の音が、軒端の雨だれの音を掻き消す、という二つの音を重ねて表すという発想はとても良いですね。
 「無」の「ないがしろにする」の表現が適しているか、がポイントです。せっかく二つ音を出したのですから、片方を消すのではなく、「重」「頻(ならぶ)」として両方を生かす方が良いかと思います。

 転句は「紫陽」だけでアジサイと見るのは無理で、「紫花」とした方がまだ良いですね。
 結句で細かな色を出していますので、転句にも色を出して「紫陽花」と書くか、逆に色を避けて「八仙花」と別名にするか、そこは考え所ですね。



2019. 7.14                  by 桐山人



遥峰さんからさっそく推敲作をいただきました。

  梅天家居(推敲作)
 新秧山郭已梅霖   新秧 山郭 すでに梅霖
 緑葉韻頻簷溜音   緑葉の韻は頻(なら)ぶ 簷溜の音
 更八仙花覗半牖   さらに八仙花 半牖に覗へば
 淡青亦赤路辺深   淡青また赤 路辺深し

          (下平声「十二侵」の押韻)

先生のアドバイスのとおり推敲できましたか、どうでしょう。
・起句は家に居ることを示す言葉を減らし、家を囲む景色にしました。

・承句の「無」は「頻」に変更し、前向きの内容になりました。

・「八仙花」の使い方は、これで良いでしょうか。

・下三字を変えてみました。


 毎月、ご指導ありがとうございます。一回一回、いろんなことが身に付きます。
 何より、楽しく勉強させていただいております。


2019. 7.15         by 遥峰


 起句は田植えの季節感を出したところですね。
 「秧風茅屋」と書き出しても良いですね。
 承句は家の中ではなくなりましたので、「緑葉」と替えた形、でも初案の「蕉雨」も捨てがたい気がしますね。

 結句の下三字、「路辺」は「徑陰」でどうでしょうね。

2019.7.20         by 桐山人























 2019年の投稿詩 第175作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-175

  蝦夷七夕        

牽牛織女渡河時   牽牛織女河を渡る時

北朔幼童群竹枝   北朔の幼童竹枝に群がり

斉唱叩門点心請   斉唱して門を叩き点心請ふ

蝋花揺影喜歓辞   蝋花影を揺らし喜歓して辞す

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 七夕の日、北海道では、子供たちが「ろうそく一本ちょうだいな」と歌いながら一軒ずつ家を訪ねてお菓子をもらうというハロウィンのような風習があります。
 そこで、この様子を漢詩にしてみました。

  牽牛と織女が天の川を渡る時、
  北の国に住む子供たちは笹のある所に群がる。
  歌を斉唱して門を叩きお菓子をねだり、
  ろうそくの火がその影を揺らす中、歓喜しつつ去っていく

<感想>

 お話を伺うと、本当にハロウィンのようですね。
 子ども達が笹を持って町を歩く姿もめっきり見なくなりましたが、一年に一度お願いを書くという習慣は大切にしたいですね。
 保育園(最近はこども園と言うそうですが)に通う孫は今年のお願いで「お医者さんになりたい」と書いていて、じーちゃんとしては「そんな大望を持っているなら応援してやらなくちゃ」と気合いを入れていたところ、どうやらテレビの影響で「(放射線)技師になりたい」というのが本音だったようで、ちょっと複雑な心境でした。

 今回の雷鳴さんの詩は、身近な素材を取り入れたこともあり、それぞれの言葉が生き生きとしていますね。
 前作の「梅雨」は詩語を探してちょっと「よそゆき」の感がありましたが、こうした眼前の景を描くと、そうしたことも練習となって、結果身を結ぶという印象ですね。

 どの句も無理が無くて良いと思いますが、結句の下三字「喜歓辞」だけは結びとして弱いですね。
 ここは子供の気持ちに入る必要は無く、叙景として終るのが良いところ、「夕冥辞」などを考えてはどうでしょうね。



2019. 7.20                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第176作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-176

  送別会醉後作        

愿朴C香少婦辭   愿朴 清香 少婦の辞

生涯一度冶遊時   生涯 一度の冶遊の時

嬌聲窈窕眞絶景   嬌声 窈窕 真に絶景なり

老叟無那輕薄兒   老叟 無那 軽薄の児

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 5月に、やっとこさ退休しました。
 10年前に比べ、2度目の引退は寂しさがなく寧ろ爽やかでした。
 消防を離れて以降実に様々な場所を渡り歩きましたが、其処は概ね公共の空間だったので、
 清貧を旨とする生き方を変えるまでには到らず、誠に幸いでした。

 さて、若い娘に囲まれた最後の夜はまさに絶景で、軽率きわまりない爺になりました。

<感想>

 二度目のお勤め、お疲れ様でした。
 以前にいただいた作品でも、バレンタインのチョコレートのお話や花見のお話などがありましたね。
 うちとけた職場なんだな、と想像していましたが、送別会も楽しい雰囲気だったようですね。

 起句の「愿朴」(げんぼく)は性格が真面目で慎み深いこと、次の「清香」は香りというのはどうでしょうか、「清眸」「花顔」など姿を形容した方が良いと思います。

 承句の「冶遊」は「心がとろけるように華やかに遊ぶ」ことで、かなり豪勢な送別会だったのでしょうね。
 「冶遊」は芸者さんを呼んで遊ぶことを指しますので、そうなると後半の「嬌聲窈窕」も芸者さんたち(今ですとコンパニオンでしょうか)を表現したものになりますね。
 起句に登場した「少婦」は職場の女性の方々かと思いますので、やや違和感があります。
 同じ女性たちを表しているならば後半はもう少し控え目に、別だというなら起句は「送別会」だということが分かるような表現にして、二つの女性を登場させない方が良いと思いました。

 とても楽しい雰囲気だったことはよく伝わってますので、その勢いでやや筆が走り過ぎましたか。
 時間を置いて再敲されると、まとまりのある内容になると思いますよ。



2019. 7.27                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第177作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-177

  愛孫恤病     愛孫の病を恤(あわれ)む   

担當醫伯躁胸肝   担当の医伯 胸肝 躁ぐ

凋傷片肺震警言   凋傷の片肺 震警の言

急時手術突然報   急時の手術 突然の報

藥液紆身看愛孫   薬液 身に紆(まと)ふ愛孫を看る

          (上平声「十四寒」・上平声「十三元」の通韻)

「胸肝」: 心の中
「凋傷」: しぼみ衰える
「薬液」: 点滴

<感想>

 お孫さんの突然の病気、手術ということで、随分ご心配なさったことと思います。
 同じく孫を持つ身として、本当に辛く、心労も甚だしかったお気持ちがよく分かります。

 次の作品を読ませていただき、ホッとしました。

 緊迫した状況が細かく描かれていると思います。

 起句は「担當醫伯」「胸肝」「噪」がせたと読めないことはないですが、この下三字は作者の心情かと思います。
 ここは転句からの言葉で「突然急報」として、「醫伯」は使うなら転句に入れてはどうでしょう。

 承句は「二六対」が崩れていますので、ここは直す必要があります。
 結句は「藥液紆身」が作者自身のように読みますので、語順を含めて、また検討されてはいかがでしょう。



2019. 7.28                  by 桐山人



岳城さんから推敲作をいただきました。

    愛孫恤病(再敲作)
  寫眞現實躁胸肝   写真の現実 胸肝 躁ぐ
  片肺凋傷正斷魂   片肺 凋傷す 正に断魂
  急時醫療突然報   急時の医療 突然の報
  藥液紆身看愛孫   薬液 身に紆(まと)う愛孫を看る

「断魂」: 非常に悲しむ 心を痛める 「医療」: 手術 2019. 8. 1           by 岳城























 2019年の投稿詩 第178作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-178

  愛孫全癒        

喫驚回復藥王功   喫驚の回復 薬王の功

手術萬全安堵中   手術 万全 安堵の中

出院愛孫眞是悦   院を出る愛孫 真に是 悦び

恩光耀耀望蒼穹   恩光 耀耀 蒼穹を望む

          (上平声「一東」の押韻)

「薬王」: 良医
「恩光」: 万物を育てるという光
「耀耀」: きらきらと光が輝く

<感想>

 手術も無事に終わり、退院できたということ、本当に良かったですね。
 心配なことはまだまだお有りかもしれませんが、結句の光に盈ちた明るい青空が、お孫さんの前途の輝きを象徴していると思います。
 こちらの詩は、このままで、お孫さんが漢詩を読めるようになったら、贈ってさしあげると良いでしょうね。



2019. 7.28                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第179作は 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-179

  海岸詩翁        

有磯松影碧空晡   有磯 松影 碧空 晡(く)れて

明滅渺茫漁火朱   明滅 渺茫 漁火朱し

麻紵有観千古浪   麻紵 有(ま)た観る 千古の浪

不知能得妙詩無   知らず 能く妙詩を得るや無や

          (上平声「七虞」の押韻)

<解説>

 越前海岸居倉の風景です。
 磯は山に続き、新緑も魅力的な海岸です。

 散々、釣りに通った場所が、今は詩を作るポイントの一つになりました。
 題が適切か、転句の「観る」を「聴く」にすべきか迷いました。
 「読者目線」も心配です。

<感想>

 有磯は富山湾かと思っていましたが、越前もそう呼ぶのでしょうか。あるいは「荒磯」でしょうか。
 末字の「晡」は名詞として使う場合が多いですが、ここでは動詞用法ですね。「碧空の晡」と読んでおいた方が良いかもしれません。

 承句の「渺茫」は「杳渺」と同じで、「はるか遠くでかすか」という意味合いが強いので、明滅する漁り火の赤さに対して適切かどうか。
 夕暮れで(まだ夜中ではないので)灯りも弱く見えたということかもしれませんが、その割りに「漁火朱」が鮮明ですね。
 この中二字は「遠くに拡がって見える」ということでしょうから、他の言葉も幾つかありそうですので検討しましょう。

 転句は何故「有」という、あまり使わない用語を持ってきたのか、起句と同字重出でもありますので、ここは直しましょう。
 更に、何を指して「また」と言っているのかがはっきりしません。
 私が以前も来たことがあって「また」なのか、白布のような波が次々に「また」なのか、昔も今も「また」なのか、その辺りが説明不足ですね。
 ここが心配された「読者目線」の落ちているところでしょう。
 「観」か「聴」かは、「見」「聞」と違って心のこもった動作、どちらが良いかですが、「麻紵」を使った段階で視覚になっていますから、迷うことはないと思います。

 結句は実体を持たない字が続いていて、結局何を言いたのかが伝わってきません。
 そもそもこの場所が美しい風景だからこそ眺めているわけで、詩ができるかどうかは作者の問題、それを「不知」ではここの海岸に責任があるかのようです。
 この句は再検討でしょうね。



2019. 7.29                  by 桐山人



遥峰さんからお返事をいただきました。

    夏夜詩翁(推敲作)
  汀沙蒼海昊天晡   汀沙 蒼海 昊天の晡(くれ)
  漁火煌煌如繋珠   漁火 煌煌 珠を繋ぬるがごとし
  一杖遥看千古浪   一杖 遥かに看る 千古の浪
  頷時吟去得詩無   時に頷き 吟じ去る 詩を得しや無しや


「有磯」はご指摘のとおり「荒磯」の誤りでした。でも、和習では?
 夏バテではなく、いろいろあって元気がなくなりました。
「読者目線」で見れる老眼鏡を探しています。

2019. 7.31           by 遥峰


 「読者目線」の老眼鏡はありませんが、眼鏡は無い方がよく見えることもありますから、あまり心配しないようにしてくださいね。

 転句の「一杖」はよく分かりませんが、前回の「麻紵」で良かったと思います。
 結句は「頷時」は語順が逆ですね。そうすると平仄が合いませんが、「頷」というのは付け足しのような印象ですので、この二字を検討されてはどうでしょう。

2019. 8. 7          by 桐山人





















 2019年の投稿詩 第180作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-180

  恋歌 其四        

約会同遊楽   約会 同遊の楽しみ、

幾開日記文   幾開せし日記の文。

涼風頻恋恋   涼風 頻りに恋恋、

嘆息更云云   嘆息 更に云云。

対鏡涙伝頬   鏡に対せば 涙頬を伝ひ、

看空月隠雲   空を見れば 月雲に隠る。

美貌猶不久   美貌 猶久しからず、

何以可羈君   何を以て君を羈すべし。

          (上平声「十二文」の押韻)

<感想>

 久しぶりの掲載で、遅れてすみません。

 「恋歌」シリーズですが、今回は展開が早すぎて、読み取りに苦しみました。
 首聯はデートの約束、日記もきっと楽しいことが書いてあるのかなと思いましたが、頷聯では何を「嘆息」しているのか。
 この嘆息の理由が尾聯の「美貌猶不久」であるとしたら、ちょっと違うかなと思います。
 大好きな彼との逢瀬の前に、鏡を見ながら美貌の衰えを嘆いて涙を流すような心理は極端で、リアリティが無いですよ。

 うーん、これはまた奥さんから「頭の中で考えた」と叱られる詩ではないですかね。

 初めをデートの前ではなく、まだ片思いの段階ならば分かるかな、新しい閨怨詩への挑戦ですね。

 第二句は「二の字目の孤平」、第七句の「貌」は仄字ですので、直した方が良いですね。



2019. 8. 6                  by 桐山人