2019年の投稿詩 第121作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-121



  武漢大學賞櫻 十三        

佳人漢服薄如紗,   

三兩成游過珞珈。   

花似顏紅紅若粉,   

徘徊樹下不歸家。   

          (下平声「六麻」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第122作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-122



  武漢大學賞櫻 十四        

當年花下好傾杯,   

今日黄昏寂寞回。   

代代學生來復去,   

早櫻開後晩櫻開。   

          (上平声「十灰」の押韻)





















 2019年の投稿詩 第123作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-123



  武漢大學賞櫻 十五        

煩君持證薦遊園,   

春色惱人花欲言。   

未及相詢今大幾,   

已從花徑渺無痕。   

          (上平声「十三元」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第124作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-124

  武漢大學賞櫻 十六        

東瀛昔日苦思家,   

今見長江一線斜。   

三月徘徊櫻木道,   

靜聽朴樹那些花。   

          (下平声「六麻」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第125作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-125

  武漢大學賞櫻 十七        

珞珈山下賞花人,   

海内曾經嘆比鄰。   

風捲櫻花吹滿地,   

萬林藝術館邊春。   

          (上平声「十一真」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第126作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-126

  武漢大學賞櫻 十八        

武漢久聞多種櫻,   

其中一半自東瀛。   

白鴿飛處無爭戰,   

毎思南京心不平。   

          (下平声「八庚」の押韻)
























 2019年の投稿詩 第127作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-127

  武漢大學賞櫻 十九        

狂走櫻園五公里,   

花飛池上待青蛙。   

圖書館上刻年月,   

七十年來依珞珈。   

          (下平声「六麻」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第128作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-128

  武漢大學賞櫻 二十        

春來何處復紛繁,   

遊客如蜂擁入園。   

揮手辭花花不解,   

但為雲彩掛黌門。   

          (上平声「十三元」の押韻)

























 2019年の投稿詩 第129作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-129

  寒霞渓觀楓        

空中索道斷塵縁   空中索道 塵縁を断つ

奇岩群猿亂石巓   奇岩 群猿 亂石の巓

眼下觀楓紅似錦   眼下の観楓 紅 錦に似たり

寒霞渓谷競秋妍   寒霞渓谷 秋妍を競ふ

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 寒霞渓は香川県の小豆島にある国立公園、日本三大渓谷美の一つ(ちなみに他の二つは大分県中津市の耶馬渓、群馬県の妙義山だそうです)で、ロープウェイからの絶景は素晴らしいとのことです。
 起句でそのロープウェイを描いていますが、「斷塵縁」が地上からどんどん離れて行き、作者の心も美しい景色の中に入り、俗世から浄化されて行く気持がよく表れていますね。
 承句からは渓谷の美しい景色ですね。「群猿」「亂石」に比べるとやや弱い感じもします。ただ、「啼猿」「叫猿」と音を出すのも微妙なところではありますね。
 目で見た景色ということで統一する現行が良いかもしれませんね。





2019. 4.29                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第130作は 蒼山游 さん、広島県の二十代の女性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2019-130

  京城元夕        

千尺春灯月色中   千尺の春灯 月色の中

小童嬉笑勝花紅   小童嬉笑し 花に勝りて紅なり

夜鐘殷殷年云尽   夜鐘殷々として 年云(ここ)に尽くも

交酌金尊興未窮   金尊酌み交わし 興未だ窮まらず

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 春節に、故宮を訪れた際に作りました。
 新月や、道沿いに飾られた提灯の灯の下、子供達が嬉しそうにはしゃいでいる姿、新年を告げる鐘の音に、又一年、年は尽きたけれど、大人達は、かまわずお酒を酌み交わし、興はまだまだ尽きないといった情景を描きました。

<感想>

 新しい漢詩仲間を迎えて、とても嬉しく思います。

 押韻、平仄、漢詩の規則に則り、作詩経験は三年ほどとのことですが、きちんとお作りになっておられますね。
どこかで習っていらっしゃるのでしょうか、お若い方が漢詩に取り組んでいらっしゃることは大変嬉しいことです。
今後のご参考に、感想を差し上げます。

 起句の「千尺春灯」は長い町並みに提灯が飾られている場面、華やかさが簡潔に表わされていると思います。
 「月色中」も画面の背景としては良いと思いますが、旧正月ですと月は無いのでは?と悩みます。細い月が架かっていたということでしたら、「新月中」として、題も「元夕」を「春節」とした方がリアリティがあるでしょうか。
 それでも月の時刻が気になりますので、「映故宮」のような形で、月から離れてはどうでしょう。

 承句は「勝花紅」の比喩もこの句だけで見れば悪くはありませんが、「千尺春灯」と色が重なっていることで、「小童」「春灯」もどちらも印象が薄くなります。
 特に「小童」ですので、ここは美しさを形容するよりも「はしゃいでいる姿」という動作を表した方が良いでしょう。

 転句は良いですね。

 結句は最後の「興未窮」が常套句で、一首の締めとしては物足りません。解説を拝見するとその場に居た大人達を描いたというお積もりでしょうが、普通に詩だけを読めば作者の感懐だと解釈します。
 そうなると、これは「感情形容語」による結びとなってしまいます。
 周りの人々だと言うなら、それを分からせる言葉が欲しいですし、作者も含めてということでしたら、具体的な事物でなくても「芳節中」とか、「充」「融」「風」など使えそうな韻字は他にもあると思いますので、推敲を楽しんで下さい。
 (春節でなければ、先ほどの「月色中」なども効果的な結びになりますね)



2019. 4.29                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第131作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-131

  麗日        

光淡春畦雲雀聲   光淡き春畦 雲雀の声

摘蔬少婦暖風輕   蔬を摘む少婦に暖風輕し

對花黄蝶相追去   花に対す黄蝶 相ひ追ひて去り

孫女呼爺招耀睛   孫女 爺と呼び 睛を耀かせて招く

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 近くに住む娘が、孫娘二人を連れて、老妻の家庭菜園へ来たときの様子です。
 嫁いでしまった娘は、もう可愛くないですが、孫娘は「爺ちゃん」と呼んで、おいでおいでをするのです。

<感想>

 仰る通りで、孫は本当に可愛いもので、私も同感です。
 しかしながら、「嫁いでしまった娘はもう可愛くない」というのはちょっとひどいですよ(笑)。

 起句承句ともに、穏やかな春の日を感じさせる素材が丁寧に配置されていると思います。

 転句は「對」が堅いですね。「戯」「旋」など、動きが感じられる言葉が良いです。

 結句は二点、まず下三字の「招耀睛」ですが、読み下しは「招きて睛を耀かす」となります。
 もう一点は登場人物ですが、承句で「少婦」(これが娘さんですね)、結句で「孫女」とそして「爺」、三代の勢揃いですので作者としては嬉しい場面です。
 しかし、この詩だけを読んだ人が果たしてそう理解してくれるか、というと疑問です。
 菜園に居る「少婦」に対して孫が「爺」と呼んだというややこしい話になりそうな気がします。
 詩の主題はお孫さんの可愛さですので、「少婦」を「農老」「閑老」として、作者自身を早く登場させておくと詩としてまとまると思いました。
 娘さんも詩のためなら、画面から隠れても許してくださると思いますよ。



2019. 4.29                  by 桐山人



遥峰さんから推敲作をいただきました。
 ありのままの詩ですが、孫娘との思い出がありますので大事にしたく思っています。
  麗日(推敲作)

光淡春畦雲雀聲   光淡き春畦 雲雀の声
摘蔬農老暖風軽   蔬を摘む農老に暖風軽し
戯花黄蝶相追去   花に戯る黄蝶 相ひ追ひて去り
孫女呼爺指輝睛   孫女 爺と呼び 指さして睛を輝かせる

2019. 5.24            by 遥峰


 承句の「農老」が作者自身を指すことは分かりやすくなりました。
 転句の「相追去」というのは、蝶が何匹か戯れ合っているということですか。それならば「黄蝶」よりも「雙蝶」とすれば確実になります。
 ただ、「農老」で登場した作者が「爺」と呼ばれるという承句と結句の流れの中に、この蝶の句は入り込んでいるわけで、この蝶が詩の中でどんな役割を果たしているのかを考えなくてはいけません。
 遥峰さんは「ありのままの詩」と書かれていますから、実際に蝶をご覧になったのでしょう。しかし、いつも言いますが、作者には「ありのまま」でも読者には見えていないわけですから、伝わるにはどうするかを考慮しなくてはいけません。

 大事にしたい詩だとのことですので、頑張って推敲をしましょう。
 方向としては、承句と転句を入れ替えて「農老」と「孫女」を近づけること、「呼爺」は不要で、お孫さんの描写にもっと字数を用いた方が良いと思います。


2019. 5.24            by 桐山人




観水さんから感想をいただきました。

 結句で「招」が「指」に改められたことで、転句での蝶の描写が生きるようになったと思います(「招」く対象は「爺」でしたが、「指」さす対象は「蝶」であると解しました)。

 おだやかな春の日の風景のなかの、お孫さんの愛らしい動作がよく伝わります(お嬢さんなので「花」と「蝶」の組み合わせも良いですね)。
 佳い作品になるとと思います。

2019. 5.26             by 観水























 2019年の投稿詩 第132作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-132

  春寒        

蕭蕭銀竹驟寒生   蕭々たる銀竹 驟寒を生ず

村落逍遙踏雪行   村落 逍遙 雪を踏み行く

日照陽風梅数点   日照り 陽風 梅数点

韶光燦燦一鶯鳴   韶光 燦燦として 一鶯鳴く

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 以前に見せていただいた作品から、随分構成を変えましたね。

 食い違いが感じられるのは、起句の「銀竹」は白く見えるような激しく降る雨ですので、上の「蕭蕭」と合いますか。「沛然」「滂然」「紛紛」などの言葉で考えてはどうでしょう。

 同様に、承句の「踏雪行」「銀竹」とは齧み合わない印象です。

 転句からの穏やかな春の日射しの下、梅や鶯が登場しますので、前半と後半が別の画面に思えますので、「銀竹」については今回は控えて、全体の流れを重視しましょう。

 例えば起句を「早曉驟寒生」として時刻を示すと、朝早く、雪の残る村を散歩したことになり、そこで日が昇り、辺りが一気に明るい景色になったという展開に持って行けます。

 転句の「日照」と結句の「韶光」が重なりますので、その辺りも調整するとこんな感じでしょうか。

  謐謐早曉驟寒生
  一月郊村踏雪行
  野水東風梅数点
  韶光燦燦一鶯鳴




2019. 5. 2                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第133作も 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-133

  看桜        

竃Z百事使人愁   竃Zな百事 人をして愁い使む

信歩東郊登小丘   歩に信せ 東郊 小丘に登る

塵外寺庭人不見   塵外の寺庭 人を見ず

桜雲明媚忘千憂   桜雲 明媚にて 千憂を忘る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 年度の変わり目の最中、気晴らしに散歩して、一息ついている様子を表現してみました。

<感想>

 「看桜」という題ですがなかなか桜が出てこず、はらはらしました。
 一般的に「看桜」は「桜を見に出かける」わけですが、今回の地球人さんの詩では桜は目的ではなく結果としての存在ですね。
 それならば、「忙日遇桜」とか「○○寺見桜」でも良いでしょうね。

 起句の読み下しは「竃Zたる百事 人をして愁へしむ」とします。
 「○○な」という形容は現代語ですので、古典では「○○なる」か「○○たる」となります。「○○」が和語や一字の漢語の場合には「なり」(「静かなり」「穏やかなり」など)、「○○」が漢語の場合には「たり」をつけるのが原則です。
 また、「使」(「令」「教」も)は日本語では助動詞で、これは助詞と同様に平仮名表記が原則ということです。「愁ふ」の活用も気をつけましょう。

 結びの「忘千憂」は、桜によってほっと一息ということで、お気持ちはわかりますが、冒頭に「竃Z百事」とありますので、収まり過ぎてインパクトが弱い感じです。
 「千憂」は起句に持っていって、「竃Z百事積千憂」と数字を近くに置いた方が生きます。

 転句の「人不見」、最近はどこもかも桜の下には人が一杯な場所が多いですが、静かな場面に桜を出すために「塵外寺庭」としたのは良いですね。
 そうなると、結句もあまり派手な桜ではなく、「桜花一朶忘千憂」とすると、これも数字が近くて良いですね。



2019. 5. 2                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第134作は 衡石 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-134

  看花        

歸舟兩岸一堤霞   帰舟の両岸 一堤の霞

詩景西東鳥語譁   詩景 西東 鳥語譁し

今古江頭如夢裏   今古の江頭 夢の如き裏

故山遲日獨看花   故山の遅日 独り看る花

          (下平声「六麻」の押韻)

<解説>

 花見帰りの舟が通る両岸、堤には桜が咲き誇り、
 あちこち良き景色の中で、小鳥の鳴き声が騒がしい。
 今と昔の川のほとりを懐かしめば、思い出は正に夢のようで、
 故郷の春の長き日に、独り花見をする私だ。

<感想>

 起句は良い場面ですね。
 承句も広がりが生まれていると思いますので、起句の下三字は「滿堤花」という画面にして、「花」を初めに持って行くのが良いと思います。
 「詩景」も「好景」と素直に述べておきましょう。

 転句の「今古」は、作者が見たかつての様子も今の様子も夢のようだということですと、前半の鮮やかな景色は何なのか、疑問になります。
 下三字の読み下しは「夢裏の如し」となりますが、「夢」がどうもすっきりしませんので、「江頭」を中心に置いて、「依舊江頭」で始まるように、例えば「依舊江頭延佇老」のように持って行ってはどうでしょうね。

 結句は「故山」を「春山」として「依舊」との重複を避けましょう。



2019. 5. 4                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第135作は千葉県にお住まいの 竹里 さん、四十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 お手紙には
 これほど多くの方の投稿詩と、それに対する感想や斧正を読むことができるサイトは他にないと思います。
 ときおり他の方の詩を見ては意欲を新たにしています。

 また、平仄を調べるツールも便利でよく利用させていただいております。

 とホームページの感想をいただきました。

作品番号 2019-135

  海城飲酒        

海辺楼上酌芳醪   海辺の楼上に芳醪を酌む

大酔披襟意気豪   大酔し襟を披いて意気豪なり

窓外水天無限闊   窓外の水天 無限に闊し

擬将鉤月釣霊鼇   鉤月を将って霊鼇を釣らんと擬す

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 作詩歴は十年ほどありますが、コンスタントに作り続けてきたわけでもなく、また完全に独習なので、どなたかに批正を乞うのは初めての経験です。
 拙い点などあるかと思いますが、よろしくお願いします。

 酒を飲むとやたらと気が大きくなってしまう人がいます。
 それでもこんな風な羽目の外し方なら風流ではないかと思いました。

 はじめは荘子から引いて鯤を釣ろうかと考えていましたが、釣鼇客の故事を知りそちらに変更しました。


<感想>

 はじめまして、新しい漢詩仲間を迎えて、とても嬉しく思います。
 今後ともよろしくお願いします。

 作詩歴は十年、独習とのことですが、しっかりとお作りになっていると思います。
 平仄は勿論ですが、構成の面でも、前半で詩の場面設定と「大酔」して良い気持になっている状況を述べた後、海楼から眺める空と海の景色、そして「釣鼇客」の故事で締めくくる形で良いですね。
 酔って豪快な気分、目に入る雄大な景色、こうしたスケールの大きな画面を受けた場合、最後の結びがなかなか難しく、せっかくの大きな詩境がしぼんでしまうことも多いものです。
 今回は、心情や景色から一旦離れて、豪放さを表す故事を持ってきて、広がり感を残していると思います。

 その「釣鼇客」は、李白の故事ですね。
 かつて李白が宰相に謁した時に、「海上釣鼇客 李白」と自分を紹介した句を示しました。宰相がどうやって鼇を釣るのか尋ねると、李白は「虹霓を釣り糸にし、三日月を釣り鉤とし、餌は豪放雄渾な私の心だ」と答えたという内容です。

 竹里さんの詩は、よく錬られた作品で、漢詩として十分な仕上がりと思います。

 更に作詩を楽しんでみるということで言えば、結句の「擬(将)」がやや説明的、散文的な印象がありますので、「虹霓鉤月釣霊鼇」とばっさり示したり、「詩仙乗月釣霊鼇」と李白を登場させるなど、考えられます。

 また、承句の「意気豪」は、主題に近く、結句の心情でもありますので、ここでは隠して「聞夜濤」と穏やかにしておく形もありますね。



2019. 5. 4                  by 桐山人



観水さんから感想をいただきました。

 スケール感のある豪快な作品、楽しく拝読させていただきました。

 勉強のためと多作を意識していても、いざ出来た作品を見直してみると、大抵は小さくまとまった似たり寄ったりのものとなりがちで、今回の竹里さんのような作品は、作りたくてもなかなか思うようにいきません。

 そういう意味では、うらやましい作品です。

2019. 5.26            by 観水























 2019年の投稿詩 第136作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-136

  大夜        

越前晩夏愛嬪棺   越前 晩夏 愛嬪の棺

蓋柩雕肝内助丹   柩を蓋ひ 雕肝す 内助の丹

去汝離魂何杳也   汝を去って 離魂 何ぞ杳(はるか)なるや

埋玉遺媽誰与安   埋玉 媽を遺し 誰と与(とも)にか安らわん

          (上平声「十四寒」の押韻)

<解説>

 昨年八月に弟の嫁が64歳で亡くなりました。
 著名人もそうですが、身近な人が次々と世を去り、私も少々浮き足立っています。

 食後は睡魔に勝てず、そうでなくても短い一日の時間を無駄にしています。
 詩作がまだまだ思うに任せず、今は鈴木先生の本を初めから読み直しています。

<感想>

 詩を送っていただいてから随分経ってしまいましたが、お悔やみを申し上げます。
 64歳という年齢ですと、まだまだこれから、第二の人生が始まったばかりと言われる頃、お心残りは多かったかもしれませんね。

 承句の「雕肝」は「心にしみこませる」、「丹」は「丹心」でまごころのことですね。
 亡くなって改めて故人のお人柄がしのばれるという句意ですね。

 結句の「埋玉」は「すばらしいものを埋める」ということで「惜しむ、残念に思う」という意味です。
 この句は二四六字とも全て仄字ですが、ここは本来は二四字が平字の「平句」になるところ、直すとすれば「傷懐遺媽与誰安」でしょうか。



2019. 5. 4                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第137作は 哲山 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-137

  客愁        

道之云遠日西傾   道の云(ここ)に遠く 日は西傾く

奈退深溪進峻崢   いかんせん 退くも深渓 進むも峻崢

無位真人何處會   無位の真人 何れの処にか会ふ

空山百舌一殘聲   空山 百舌 一残声

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 詩の題名は「客愁」ですが、哲山さんの旅は人生という旅でしょうね。

 承句は「深い谷(深渓)と険しい高い嶺(峻崢)」の対比で、深い谷底からようやく登ってきたらまだ先には険しい峰が待っている、という状況で、起句の「日西傾」と重なって、押し詰まった感じを出していますね。

 転句の「無位真人」は禅語で、「全てのしがらみを超越した真の(自由な)自己」あるいは「真の自己を悟った人」です。ここで用いた「何処」は実際には時間を表して、「いつになったら」というお気持ちでしょう。

 結句は「舌」と「殘聲」がよく対応していると思います。



2019. 5. 4                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第138作は 陳興 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-138

  荒城望月        

春近高樓杯影愁,   

千秋松樹萬枝柔。   

陣營霜色今何在,   

雁伍鳴聲昔避矛。   

月照荒城光更冷,   

草纏敗壁蔓還抽。   

狂風吹徹枯榮換,   

人世繁華一夢收。   

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 詩譯自日本現代詩人土井晩翠名作《荒城之月》。

<感想>

 土井晩翠の「荒城の月」は七五調の馴染み深い歌ですが、陳興さんが七言律詩にしたものです。
 「荒城の月」は四句一聯で四聯構成ですので十六句、それを律詩の八句で漢訳をしたということではなく、本歌の素材や構成、そして詩情を生かした形ですので「詩訳」と仰ったのでしょう。
 「荒城の月」の原詩を載せておきますので、陳興さんがどのように工夫されたかを味わうのも楽しいですよ。

春高樓の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出し
むかしの光いまいづこ

秋陣営の霜の色
鳴き行く雁の數見せて
植うるつるぎに照りそひし
むかしの光いまいづこ

今荒城のよはの月
変わらぬ光たがためぞ
垣に殘るはただかづら
松に歌ふはただ嵐

天上影は替わらねど
栄枯は移る世の姿
寫さんとてか今もなほ
あぁ荒城の夜半の月




2019. 5. 7                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第139作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-139

  偶題        

雨水山巓殘雪消   雨水の山巓 残雪 消え

朝晴道次古梅条   朝晴の道次 古梅の条

平成御世彌終極   平成の御世 弥いよ 終極

鶯語初音新代招   鶯語の初音 新代 招く

          (下平声「二蕭」の押韻)

<感想>

 「平成」が終わり、「令和」という元号が発表された直後にいただいた作品です。
 この新元号、天皇の譲位に関する詩を他の方からもいただきましたので、この後続けてご紹介しましょう。

 岳城さんの季節の推移と時代の遷りを重ねて、祝意の措辞が整っていると思います。



2019. 5.24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第140作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-140

  祝天皇陛下在位三十年        

民庶安寧一向望   民庶の安寧 一向(ひたすら) 望み

平成御代象徴王   平成の御代 象徴の王

天皇禪譲愈愈迫   天皇の禅譲 愈愈(いよいよ) 迫れば

懇願曉搓K慶長   懇願するは増増 幸慶の長きを

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 こちらも四月上旬にいただいた作品です。

 転句の「愈愈」は辞書によって別れますが、私は「逾」が平声、「愈」「兪」は仄声として考えています。
 また、「逾」は一文字で「いよいよ」と訓じますので、ここは「時逾迫」としておくのが良いと思います。

 結句の「曉掾vを「ますます」とするのは和語です。おめでたい言葉は沢山有りますので、例えば「榮」とか「華」などの文字を用いると良いでしょう。
 そのまま「榮華」の語もありますね。



2019. 5. 24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第141作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-141

  偶成        

令月韶光遍   令月 韶光遍く

和風習習新   和風 習習として新たなり

元來將立夏   元来 将に立夏ならんとするも

年改又迎春   年改まり 又た春を迎ふ

          (上平声「十一真」の押韻)

  良き月に 光あまねく
  やわらかに そよ風の吹く
  本当は 夏も近いのに
  改元に また春をみる

<感想>

 句頭で「令和元年」を置く折句であることと、後半の季節を重ねる機知が良いですね。

 「令月」は元号の出典として『萬葉集』の言葉がよく知られるようになりましたね。
 「うるわしい月」「陰暦二月」として使われますが、「令月吉日」と組み合わせて使うことも古詩では見られます。




2019. 5.24                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第142作は 恕水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-142

  発表新元号日        

天長地久百花魁   天は長く 地は久し 百花の魁

瑞気盈盈野外梅   瑞気 盈盈 野外の梅

譲位相看無一事   譲位 相看る 一事無し

平成閉幕令和開   平成閉幕し 令和開く

          (上平声「十灰」の押韻)

 天地は永遠に尽きない。新天皇の御代が長く続きますように。
 めでたい雰囲気が世に満ちて、梅が花々の先がけとして咲いている。
 天皇の譲位を国民みんなが注視するなか、粛々と事が進められていく。
 平成の時代が幕を下ろし、令和という新しい時代が開かれる。

<感想>

 「百花魁」は「寒梅」を表す言葉ですが、その上の「天長地久」との流れが弱いですね。
 また、「譲位」「即位」という変化を表す状況に対して、永遠を表す「天長地久」がどう関わるのか、作者の気持ちが大きすぎて、繋がりが読者には分からないですね。
 何とか繋げて「元号が変わっても天地は不変だ」と解釈すると、本来の祝賀の気持と乖離してしまうでしょう。

 承句からはまとまりがありますので、起句だけが梅の重複(「百花魁」と「(野外)」が同意)もあって、働いていない句に感じます。
 大事な書き出しですので、この句だけは検討されると良いでしょう。



2019. 5.25                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第143作は 雷鳴 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-143

  令和元年        

落花如雪舞   落花 雪の如く舞ひ

竹葉似琴鳴   竹葉 琴の似く鳴る

令和元年始   令和元年の始め

青穹麗日迎   青穹の麗日を迎へたり

          (下平声「八庚」の押韻)

 桜の花は雪のように舞い、竹の葉は風に吹かれて琴のような音を奏でています。
 令和元年の始め、清々しい青空の温かい日を迎えました。

<感想>

 前半は対句に挑戦したということですが、形としては問題無いと思います。
 最初は書き出しを「桜花」とし、冒韻のために「落花」に変更されたようですが、「竹葉」の対としては「桜花」の方が更にぴったり対応しますね。
 ただ、先の恕水さんの「発表新元号日」ですと四月で良いのですが、「令和の始まり」となると五月一日、「桜花」や「落花」は季節がずれる感じになります。

 「令和」の「和」は、「和む」の意味で使えば平声、「調和する」の意味ならば仄声です。
 『萬葉集』の出典では「和む」と訓じていますので、ここは平声として用いるべきでしょう。
 そういう点で、この転句を検討されて、先に述べました季節のずれも調整できると良いですね。



2019. 5.25                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第144作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-144

  賞満濃公園菜花        

閑談遊歩國営園   閑談 遊歩 国営の園

人造小丘華彩繁   人造の小丘 華彩 繁し

七十萬本金色海   七十万本 金色の海

菜花芳艶合桃源   菜の花 芳艶 合に桃源

          (下平声「十三元」の押韻)

<感想>

 「閑談」ということですから、お友達と出かけられたのですね。
 わざわざ「朋」「友」の語を使わなくても同行者が居たということが分かる、良い書き出しだと思います。

 対して承句の「人造」はわざわざ言う必要があるでしょうか。
 どうしても「自然」に対する語として「人造」が浮かびますので、後半の美景も「作り物」という印象が出てしまいます。
 古都の名庭にしても「人造」であることは同じですが、それをわざわざ強調するのは否定的なニュアンスが感じられます。

 結句の「菜花」の咲き誇る美しさは私も好きですが、それを「桃源」と呼ぶのは違和感があります。
 「菜花」はあくまでも「菜花」で「桃」ではありませんので、ここは「仙源」くらいが良いでしょうね。



2019. 5.31                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第145作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-145

  賀畢業        

和風習習度家山   和風 習習として 家山を度り

八十八人開笑顏   八十八人 笑顔開く

庭上老松猶翠色   庭上の老松 猶ほ翠色

他年必見錦衣還   他年 必ず見ん 錦衣の還るを

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 みんなのふるさとそよそよと やさしく渡る春の風
 吹くは八十八人の 卒業生の笑い顔
 校庭すみの松の枝 いつもと同じ緑色
 諸君が錦を飾るのを 変わらぬ姿で待つだろう

 去年、次男の小学校入学の詩を作ったと思ったら、今年は長男の卒業式。
 中学校は、寮のある遠方の学校に行くことになりました。
 ほとんど何も考えていなかった父母とは大違い。
2つ目の作品は、餞別として贈った詩のうちの一首です。

<感想>

 観水さんは昨年度の全日本漢詩連盟主催の「扶桑風韻漢詩大会」で最優秀賞を受けられ、先日、東京で表彰式がありました。
 私も同席しましたが、觀水さんの詩境がいよいよ円熟に近づいたことを感じました。
 これからの觀水さんの作品が本当に楽しみです(プレッシャーをかけるわけではありませんよ)

 さて、今回の詩ですが、私の住む愛知県は、地元志向、公立志向の強い地域ですので、中学から親元を離れるということは大変なことと感じます。
 しっかりと勉学に励まれて来られたのでしょう、卒業、入学、おめでとうございます。
 頑張る姿勢は「父親譲り」とお子様に自慢して良いと思いますよ。

 転句の「猶」が意図がやや漠然としていて、本来は「更に一層鮮やかになる」という成長や未来志向が良いと思いました。
 平仄の関係もあるのでしょうが、「逾」などが激励に合うかと思いました。



2019. 5.31                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第146作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-146

  示兒        

已數春秋十有三   已に数ふ 春秋 十有三

家ク安樂不勝甘   家郷の安楽 甘んずるに勝へず

當忘細細乃翁語   当に忘るべし 細細たる乃翁が語

自省却誇青出藍   自ら省み 却って誇らん 青藍より出づと

          (下平声「十三覃」の押韻)

 月日は流れ十二歳 とうとうお前も中学生
 親に世話してもらうのは 耐えられないということか
 オヤジのつまらぬ小言など 忘れてしまってよいけれど
 自分で我が身を省みて 藍より青しと胸を張れ

<解説>

 こちらの作品は、餞別として贈った詩のうちの一首です。

<感想>

 こちらはしみじみと父親の気持ちがにじみ出る良い詩ですね。
 詩意がしっかり理解出来るには、十三歳ですと、まだ時間が少々必要かもしれませんが、離れて暮らす年月の間に、きっと何度も読み返して「父親の言葉」を噛みしめてくださると思いますよ。

 大切なのは、父親の方の寂しさをどうするかですが、觀水さんならば漢詩がありますからきっと大丈夫でしょう。



2019. 5.31                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第147作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-147

  春宵慕情        

夢醒幽斎暮色生   夢醒めて 幽斎 暮色生ず

薫風何処笛声清   薫風 何れの処にか 笛声清し

徂春又愛懐人夕   徂春又愛す 人懐ふ夕べ

寂慮陶然心亦安   寂慮 陶然 心亦安し

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 仲泉さんからいただいた形ですと、結句が押韻が崩れていますので、何の字と間違われたのでしょう?
 「安」に近い意味で行けば「平」でしょうか。

 転句まではよく納得できる流れですが、結句は「寂慮」「陶然」「心亦安」という心情と並びますので、複雑ですね。
 それは転句で描かれたお気持ちと重なるもので、「徂春」は寂しいものであるが、「懐人夕」ならば「又愛」すべきものとなる、ということでしょう。

 そういう点で言えば、結句は繰り返しであり、わざわざ「寂慮」「陶然」の語を入れる必要があるかどうか、「獨坐南檐」のように心情から離れて行動を描く形で、最後の「心亦安」に余韻を持たせてはどうでしょう。



2019. 6. 1                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第148作は 幸青(鴻洞楼) さんからの作品です。
 

作品番号 2019-148

  拝呈友帰期     友の帰期に拝呈す   

交兄幾許歳華流   兄と交はること幾許(いくばく) 歳華流る

智達清明拓所由   智達 清明 所由を拓す

天与時宜歓対酌   天与の時宜 対酌の歓び

浩恩幸甚酔朋遊   浩恩 幸甚 朋遊と酔ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 大変ご無沙汰しております。ホームページの変わらぬご清栄にお慶びを申し上げます。
 漢詩を作ることが久々なので、リハビリのような感覚ですが、ご批評をよろしくお願いいたします。

 転勤していた友人のために作りました。
 忙しい中、会える歓びを綴ってみました。



<感想>

 鴻洞楼さんはお久しぶりです。
 今回から雅号を変更されて、また、漢詩に戻ってこられました。
 ゆっくりリハビリで良いですので、長く漢詩を楽しんでいきましょうね。

 さて、題名の「友帰期」から考えますと、転勤されていたご友人と久しぶりに会えて、その友人がまた帰っていく(帰期)に贈った詩ということで、送別詩になりますね。

 起句の「交兄」は、結句の「朋」と同じ相手でしょうから、ここは相手に呼びかける気持で「兄」を使われたのだと思います。
 それでしたら、「交兄」と言わずに、「老兄」「大兄」と呼んだ方がすっきりします。
 「幾許」はその場合つながりませんので、「一別」のように離れていた年月を想像させる言葉に替えるとよいでしょう。

 承句はちょっと分かりづらいのですが、そのご友人が「智達」(才知があり優れていること)で、「清明」(心が清らかで明るい)ということ。
 その素晴らしいお人柄が二人の交際のきっかけ(「所由」)であったということでしょうかね。
 起句を「別れた年月」という話に持って行き、承句の下三字で友人と別れていた寂しい気持が描かれると、転句の「天与時宜」という大げさな表現への流れも、ようやく会えた喜びと感謝ということで納得できるように思います。

 結句は「浩恩」「幸甚」がこれまた大げさな表現で、どちらかに絞るか二つとも削って、例えばお会いになった季節とか場所の景色といった情報が入ると、画面に具体性が生まれてくると思います。
 現在の形では、そういった情報がどこにも無く、その分、心の思いの強さは感じますが、それに押し込まれてしまって詩情が弱く感じます。



2019. 6.12                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第149作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-149

  小谷山城址想市姫     小谷山城址にて市姫を想ふ   

鳰海西光湖水宏   鳰海 西に光り 湖水宏し

伊吹東倬雪山横   伊吹 東に倬(たか)く 雪山横たふ

厳兄好匹酷征討   厳兄は好匹(こうひつ)に 酷き征討

乱世念何嫠婦生   乱世 念ひは何(いか)ん 嫠婦の生

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 今冬 滋賀県の小谷山の城址に登った。
 今は石垣を残すのみである。
 西には琵琶湖が光り、東には伊吹の雪山が横たわる素晴らしい光景を前にし、ふとお市の方を想った。
 愛しい夫は兄に成敗され、娘を三人持ち、女性としてどんな思いでこの景色を見たであろうかと。


<感想>

 戦国時代には、地位のある家柄に生まれた女性は、政略結婚の道具としての生涯を送らねばならず、しかし、それ以上に家を守るという意識が強かった面もあるでしょうね。
 茜峰さんの同じ女性に向けての思いが感じらる詩になっていますね。

 起句の「鳰」は琵琶湖の古称ですが、「鳰」は国字ですので、通常は漢詩では使えません。
 ここはしかし、承句の「伊吹」と固有名詞の対ということで、対句として敢えて用いたのでしょう。
 国字を避けるならやはり古称である「淡海」とし、承句は「吹山」とし、下の「雪山」を「雪峰」のように変更する形になりますね。





2019. 6.13                  by 桐山人
























 2019年の投稿詩 第150作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2019-150

  繋希望鞄     希望を繋ぐ鞄   

清眸凝視語希望   清眸は凝視し 希望を語る

学殖欲求心発揚   学殖の欲求 心は発揚す

日本愛縁貽故物   日本は愛縁の故物を貽(おく)る

未来西亜繋豊穣   未来の西亜 豊穣に繋げん

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 先日テレビ放映で知ったことである。
 NPOの活動のひとつとして、日本からアフガニスタンの寒村に学童の使わなくなったランドセルを輸送料込みで送ったということである。(現在も継続中)

 子どもたちは目を輝かせ喜び、将来の希望を語り、学習意欲を増しているようだ。
 今、改めて学習の原点を確認した思いだ。

 いつか必ずこの国の発展に繋がる一因となることを願う。

<感想>

 アフガニスタンと聞くと、アメリカで起きた同時多発テロ(2001.9.11)の衝撃的な映像、アフガニスタン紛争、アルカイダやタリバンといった言葉は蘇ってきます。

 平和な国家に生まれ変わるために最も大切なのは、未来を担う子供たちに教育の機会を保障することだと思います。

 日本では新入学を控えた子供のために、一年も前から高価なランドセルの注文が殺到しているそうです。
 そんなニュースを見た裏側で、こうした活動が行われていることに、心が動かされました。



2019. 6.14                  by 桐山人