作品番号 2019-331
初夏偶成
吟行村巷柳毿 吟行す 村巷 柳毿毿たり
上下烏衣來自南 上下す 烏衣 南より来たる
水漲青田蛙鼓聒 水漲る青田 蛙鼓聒し
我家四面野興酣 我が家の四面 野興酣なり
<解説>
初夏の時節、家の近くを散歩しながら、目と耳に入った情景です。
<感想>
柳の木、飛来したツバメ、田植えの終った青青とした田、蛙の鳴き声、辺り一面の初夏の風物を拾い集めて、丁寧に並べてありますね。
ただ、「吟行村巷」で見た光景なのか、それとも「我家四面」の景なのか、言い換えれば「出かけて見た」のか「家で眺めた」のか、そこが食い違います。
作者としては「私の住んでいるこの村」の趣を出したいのでしょうが、それなら「我家」は不要、逆に「家から眺めた初夏の風景」とするなら、わざわざ「村巷」まで「吟行」しなくても良いわけです。
少し範囲を広げて、結句は「比鄰初夏野興酣」でどうですか。
承句の「烏衣」は「黒い衣」で姿を眺めての比喩です。「燕」の字は象形、「鳦」と書くのは「乙」がジグザグに飛ぶ様子を表し、スイッスイッを飛ぶ鳥ということになっています。
」
「上下」だけで「飛」という表現が無いと、「上と下に停まっているツバメ」という感じがします。
「頡頏」という言葉がありますが、これは上下に飛び交う様ですので「飛燕頡頏」。
「巣燕」「乳燕」「帰燕」などの語も、それぞれにイメージが拡がる語ですね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-332
梅雨閑詠
霖雨溟溟懶出家 霖雨 溟溟 家を出づるに懶く
淺斟低唱聞鳴蛙 浅斟 低唱すれば 鳴蛙聞こゆ
黒湯院細腰樹 緑蕪 庭院 細腰の樹
紅紫轉姸詩興加 紅紫 転た妍なりて 詩興加ふ
<感想>
転句は二つの点、一つは「黒刀vですが、これは雑草が生い茂る荒れ果てた庭を言います。
謙遜のおつもりでしょうが、アジサイの美しさを言うのに背景がこれではバランスが悪いと思います。
もう一つは「細腰樹」でアジサイと分かるかどうか、「細腰」はしなやかな美女を表しますので、そういう意味ではふさわしいかもしれませんが、アジサイに普通はあまり「樹」というイメージはなく、花の方に関心は向いていると思います。
先にアジサイだと分かっていれば良いので、「八仙花下細腰柄」とすれば通じますかね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-333
初夏
霖雨霏霏晝尚昏 霖雨 霏霏として 昼尚昏し
一庭新樹掩柴門 一庭の新樹 柴門を掩ふ
紫陽花裏畫蝸篆 紫陽花の裏 蝸篆を画す
香散掀簾坐小軒 香散じ 簾を掀げ 小軒に坐す
<解説>
鬱陶しい梅雨時、紫陽花の若葉の裏に見事に絵をかくかたつむりを見つけた時のことを詩にしました。
<感想>
前半はほの暗いイメージで、後半で紫陽花の鮮やかさに進むのかと思いきや、葉の裏に目を向けたわけですね。
これはこれで、意表を突く面白さがあります。
まずは承句を「鬱蒼庭樹」と暗い形にしておきましょう。
結句は「掀簾」が疑問です。作者は今どこに居るのかを考えると、転句の描写から言えば庭に立っている筈です。そこから「簾を掀げ」るのは何のためでしょうか。
もう一つ、「坐小軒」も雨が降っているのにわざわざ坐るのは変です(お尻が濡れてしまいます)。
どこかで雨が止んだことを言った方が良いですが、前半から急に変わるのも気になります。
転句までは整っていますので、結句の画面を再敲してはどうでしょうか。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-334
與舊朋觀十五夜祭
故郷十里亂山横 故郷 十里 乱山横たひ
暮天燈淡及二更 暮天 灯淡く 二更に及ぶ
節祭寺庭吟酌好 節祭 寺庭 吟酌好し
今宵三五月光明 今宵 三五 月光明らかなり
<感想>
起句で故郷の姿、承句で祭りを待つ夕方の様子、転句からは夜の祭り風景ですね。
承句の「暮天」は「二更」と時刻が合いませんね。かと言って「一更」では早すぎるようにも思いますので、ここは韻字を替えてはどうでしょう。
平仄も合っていませんので、この句は「日暮燈淡秋氣清」とか「野氣清」とかが良いでしょうね。
他の句は良いと思います。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-335
排球全国大会
高知南国式開催 南国高知 式開催
無袖鳴子笑幾回 無袖 鳴子 笑幾回る
雖老排球県代表 老たるといえども排球県代表
千秋膠漆喜歡來 千秋 膠漆 喜歓来たる
<解説>
バレーボール七十才以上の全国大会(おふくろ大会)に愛知県代表チームで参加した時の詩です。
<感想>
県代表ですか、大活躍ですね。私も高校時代バレーボールを部活動でやっていましたので、楽しさはよく分かりますが、七十才では素晴らしいですよ。
難しい素材ですが、ご自身の体験を漢詩で記録することは、とても良いことだと思います。
まず、起句の読み下しは「高知 南国」の語順でないといけません。
大会は中国では「賽」を使いますので、「式」をこちらに変更すると良いですね。
承句は平仄が違っていましたね。
「鳴子」はこの詩では大切ですので、これを上に持っていって「鳴子珠袍」などでしょうか。
結句の「千秋膠漆」はチームメイトとの友情の深さを言ったのでしょうが、やはり大げさですね。
「春秋朋輩(春秋の朋輩)」で、長年一緒に過ごした仲間、ということですが、この辺りをベースにして考えてはどうでしょうね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-336
冬日
冷雲翻影愛松風 冷雲 影を翻し 松風を愛す
殘菊昏鐘心有忡 残菊 昏鐘 心忡有り
葉盡寒鴉歸一寂 葉尽きて 寒鴉 一寂に帰す
三餘凛烈月玲瓏 三餘 凛烈 月玲瓏
<感想>
起句の下三字は上の四字とつながりますか。読み方を「松を愛する風」とすれば、作者が風を愛したとなります。
「聽松風」としても同じような内容になりますが、まだつながりは弱いでしょうね。
「運冬風」と叙景に持って行くと良いでしょう。
承句は「心に忡(うれ)ひ有り」と読みますが、誰の何の憂いなのか、唐突な印象です。
また、「菊」と「鐘」は関係無いし、転句も「葉盡」と「寒鴉」もバラバラという感じですね。
どうせならば、承句の中二字を「花衰」と憂いのある趣きにし、転句には「鐘」を持って来て「鐘韻寒鴉」とすると、夕暮れ感が出ますね。
結句の「三餘」は「冬・夜・雨」ですので、「凛烈」にどこが当てはまるのか、悩みますね。
下三字の「月玲瓏」も、月が美し過ぎて夜が深い感じで、夕暮れの空には合いません。
全体に、結句はこれまでの三句から浮いています。
ここは一旦、下三字を再考する方向で検討するのが良いでしょう。
そうなると、結果から持ってくる必要がありますね。
転句は「幽暮寒鴉隠岑蔚(幽暮 寒鴉 岑蔚に隠る)」として、結句を「鐘聲寂寂」とすれば、下三字を「半彎空」としても釣り合いがとれるでしょうかね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-337
尋祖父江町黄葉祭
露店繁華活氣揚 露店 繁華 活気揚がる
巡妻祭典牧山ク 妻と巡る祭典 牧山の郷
百年鴨脚今猶健 百年の鴨脚 今猶ほ健たり
落葉紛紛滿地黄 落葉紛紛として 満地黄なり
<解説>
「祖父江町」: 愛知県稲沢市。ギンナン生産量日本一、大粒ギンナン発生の地。
「牧山」: 佐藤牧山 幕末から明治にかけての儒学者、尾張藩校明倫堂最後の第十六代督学。
「鴨脚」:形が鴨の足に似ていることからイチョウの別名。伊勢湾台風で四十五度傾いたが、大粒ギンナンの原木「久寿」のこと。
<感想>
起句の「繁華」は重字で「繁繁」が良いでしょう。
承句は「巡妻」はおかしく、「妻を巡らせた」となります。
「誘妻」「伴妻」でしょう。
また、「祭典」はどうも和習の感じがありますので、「游歩」としておくと良いでしょうね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-338
冬日
紅粧勝景滿山楓 紅粧の勝景 満山の楓
紛飛枯葉渡溪風 紛飛の枯葉 渓を渡る風
感深不語板橋上 感深く語らず 板橋の上
冷氣侵肌落日中 冷気肌を侵す 落日の中
<感想>
平仄の点では、「二四不同」「二六対」という句の中の平仄は良いのですが、平句(二字目が平字の句)が三つ並んで仄句(二字目が仄字の句)が一つ、これは「反法」「粘法」で考えるとバランスが悪い形です。
手っ取り早いのは、結句をこのままにして、起句を仄句にすることでしょう。
上四字をひっくり返して「勝景紅粧」とし、下三字は「満地楓」としましょうか。
「山」が無くなるのが少し残念ですので、「山景紅粧満地楓」がよいかと思います。
転句は「感深」は不要な言葉、この気持を詩の内容で伝えることが大切です。
下五字を「孤影板橋上」として、一人で橋の上に立っている形にしましょう。
その上で頭の二字を何か考えると良いですね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-339
冬日
勝景尋來古寺楓 勝景 尋ね来たる 古寺の楓
北都一路畫圖中 北都 一路 画図の中
優輝見返阿弥陀 優輝 見返る 阿弥陀
拈華微笑夕陽紅 拈華 微笑 夕陽紅し
<解説>
京都永観堂の見返り阿弥陀仏を見て。
<感想>
起句は「尋來」ですので、楓を見に来たことになりますね。
承句は「一路」で、お寺の中からまた外に出ることになります。
洛北尋來古梵宮
滿庭霜葉畫圖中
とした方が流れは良いですね。
冒韻にはなりますが、「霜葉」を「楓葉」にするのも良いです。
転句は「阿弥陀」が全て平字ですので、ここは「弥陀佛」ではいけませんか。
結句の「拈華」は「拈香」かと思いますが、どうでしょう。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-340
晩春
嫩晴風靜四山巡 嫩晴 風静かに四山巡る
宮川清流萬里親 宮川の清流を万里親しむ
一葦舟子釣魚遊 一葦の舟子 魚を釣りて遊ぶ
碧霄仰見惜徂春 碧霄を仰ぎ見て 徂く春を惜しむ
<感想>
七言句を四つ作るという課題でしたが、絶句に持って行くとなると、まず転句の末を仄字に直す必要がありますね。
平仄も合わせたいので、「一葦舟夫釣遊影」としましょう。
起句は何が「四山巡」のか、句の流れとしては「風」と思われますが、それが「静」ですと収まってしまいます。
「風爽」「風快」としておくと良いですね。
承句は「川」では平仄が合いませんので「宮水」、「萬里」はかなり長いので、「十里」くらいでどうでしょう。
結句は「仰見」として作者が見上げる行為が出てますが、「碧霄」とありますので、要らない言葉でしょうね。
晩春らしい空の様子を描くと良いでしょうね。
転句の読み下しは「釣りをして遊ぶ」は煩わしいので、「釣遊の影」と熟語で読んだ方が良いですね。
平仄の点では「●●○○●○●」ですが、下三字は「挟み平」となっていますので、「○●●」とみなすことになっていて、二六対も守られています。
「回棹去」(○●●)でも良いですので、どちらが良いかはお好みで結構です。
結句は起句と内容にあまり変化が無いですね。
「碧霄」から始めて中二字を「舞鳥」とか「雲散」、あるいは「鳥声處處」「新青樹下」なども考えられますね。
2020. 1.10 by 桐山人
作品番号 2019-341
晩節
今生殄瘁復誰存 今生 殄瘁し また誰か存(なが)らふ
辰刻停停旭似昏 辰刻 停停し 旭は昏に似たるも
日月行行孤無奈 日月 行行し 孤り奈んともする無し
有終覓句惑吟魂 有終の覓句 吟魂を惑はす
<感想>
起句の「殄瘁」は難しい言葉ですね。「てんすい」と読んで、「とことん疲れ果てる」という意味の語です。
長い人生、色々と疲れたけれど、最後に一句、良い詩を残したいというお気持ちですね。
前半の内容が重い分、後半は少し明るくすると読む方もホッとしますが、承句と転句が似た内容ですので、全体が暗いですね。
このままですと、「有終」の句も苦しんで苦しんで作るような印象、転句で変化を付けて、「晩節残年樂仙境」という感じで軽くすると、良いかと思いますよ。
転句は下三字の平仄が合っていませんが、「孤」が「獨」の間違いでしょうね。
2020. 2. 4 by 桐山人
作品番号 2019-342
念頭
烈日禾逾下 烈日の禾 逾(いよいよ)下がり
寒中椿倍鮮 寒中の椿 倍(ますます) 鮮やか
艱難斯樂土 艱難 斯れ楽土なり
將踏戲殘年 将に踏みて 残年を戯れんか
<感想>
こちらの詩の心境は良いですね。
前半の「烈日」と「寒中」は、「秋霜烈日」と同意で「厳しい天候」というお積もりでしょう。
すると、起句の「禾愈下」は初めは「暑さで弱って萎れている」ことかと思いましたが、逆で、「暑さの中でもよく実って頭を垂れている」ということでしょうね。
そうでないと、承句の「椿倍鮮」が理解出来ません。
厳しい環境であっても、そこから実りや鮮やかな花が生まれるわけで、人生も同じとなると、後半につながりますね。
2020. 2. 4 by 桐山人
作品番号 2019-343
不依序
寂寂悲傷月上東 寂寂たる悲傷 月 東より上る
吾児忽逝望蒼穹 吾が児 忽ち逝き 蒼穹を望む
親死子亡孫没順 親死し 子亡し 孫没するの順
何歓依序歳将終 何ぞ歓ならんや 序に依ること 歳将に終はらんと
<解説>
「不依序」は順番通りでないこと。
寂しくて悲しくて仕方がない。そんなわたしの気持ちにおかまいなしに、月はいつものように東から昇る。
我が子が急逝し、天を仰いで泣き暮れる。
親が死に子が死に孫が死ぬ。順番に逝く事の何と幸せなことか。
そして、時はいつものように流れ、歳が暮れていく。
実体験ではありませんが、私の周囲でも、子に先立たれるという悲しみは意外と多くあり。
<感想>
結句の「何歓」は反語形で、「どうして歓ぶことだろうか、いや、違う」ということでしょうか。
それですと、「順番通りであっても悲しいことだ」ということで、それはそれで分かる話です。
ただ、それならば転句の表現は何なのか、意図が不明になります。
反語形でないとすると、詠嘆形で「何と喜ばしいことだ」となり、訳文を見るとそちらかなとも思いますが、これは駄目です。
仰る通りで、確かに順序は大切で、その順序が崩れた時、つまり親より先に子が亡くなることがあれば、親は深い悲しみに落ちます。
しかし、それは悲しみの深さの問題であって、順序通りだったからと言って、「歓」というのはどうでしょう。
この詩では前半で「吾児」と我が事として表現していますが、後半は他人事のように、理屈が先走りしている感じがします。
「歓」一字のことですが、この詩にはふさわしくない措辞で、詩そのものが潰れてしまう大きな一字だと思います。
2020. 2. 4 by 桐山人
作品番号 2019-344
冬夜偶成
風勁寒窗落葉虚 風勁く 寒窓 落葉虚し
爐邊取暖獨遊書 炉辺 暖を取り 独り書に遊ぶ
墨芳心醉夜長樂 墨芳しく 心酔すること 夜長楽し
至福其時愛宴居 至福なる其時 宴居を愛す
「宴居」…家でのんびりしていること
<解説>
寒い冬の夜、薪ストーブの前で温まりながら書道を楽しんだ。
墨の匂いが何とも芳しく冬の夜長を満喫した。
家でのんびりするそんな時間が幸せの一時である。
<感想>
冬の夜も良いものだと感じさせる詩ですね。
承句の「取暖」は「採暖」でしょうか。
「遊」は「愉」が良いですが、転句の「樂」との重なりを避けたものでしょうね。
結句の「其時」は「此時」でしょう。
2020. 2. 6 by 桐山人
作品番号 2019-345
過八十二歳
新聞細字目繊拘 新聞の細字 目を繊(ほそ)めて拘はる
計畫明朝忘不須 明朝の計画は忘れて須ひず
車往要件免許奈 車往の要件 免許を奈せん
餘齡幾歳我何于 余齢 幾歳 我何(いづ)くに于(ゆ)くか
<感想>
年齢とともに色々と悩ましいことが多くなってきた、ということでしょうね。
起句の「纖目拘」は実感が出ていると思います。
承句は「計畫明朝」を「明朝の計画」とひっくり返すのは無理ですので、「明日期程」としましょう。
転句は平仄が合いません。「○●●●●●●」ですので、どうしましょう。
「免許返還懸案件」としましょうか。
「奈」で「いかんせん」とする時は、目的語は下に来ます。
2020. 2. 6 by 桐山人
作品番号 2019-346
守歳
朔風寒月洒窗櫺 朔風 寒月 窓櫺に洒ぐ
半夜鐘聲側耳聽 半夜の鐘声 耳を側てて聴く
除夕一新春有影 除夕 一新 春影有り
閑居待旦醉微醒 閑居 旦を待ち 酔微かに醒む
<感想>
起句は「寒月」が「洒」というのは、分からないでもないですが、やや気になります。
「寒風月皓(寒風 月皓く)」としてはどうでしょう。
転句の「春有影」は「春の気配がし出した」ということでしょうね。
「春意動」と直接に述べた方がすっきりします。
その「春」を感じさせた正体が結句に出てきてほしいところですが、肩透かしと言うか、どうして「酔いが醒める」のかについても悩みます。
韻字の選択が難しいですが、春らしい物を出すために「暗香庭」「素梅馨」など。
また、大晦日に「閑居」もちょっと、ということで行けば、「醉心待旦老翁亭」とか「祭詩待旦醉翁亭」なども考えられますね。
2020. 2. 6 by 桐山人
作品番号 2019-347
小春
古徑逍遥愛日風 古径 逍遥すれば 愛日の風
村園殘柿散微紅 村園の残柿 微紅を散ず
連山雪僅冬猶淺 連山 雪僅か 冬猶ほ浅し
歸鴉和鳴斜照穹 帰鴉の和鳴 斜照の穹
「小春」: 陰暦十月。この時期は春に似て気候が温和で、春のようであるから言う。
「愛日」: 愛すべき日光。冬の日。
「和鳴」: 鳴きかわす鳥の声。
<解説>
質問ですが、「鴉」の韻は、新字源・大漢和辞典で「六麻」のほかに上声「馬」もあり、仄韻で使いましたが、よろしかったでしょうか。
<感想>
まずご質問の件ですが、「鴉」は漢詩ではもっぱら平字(「下平声六麻」韻)として使いますので、この詩では平仄違いと判断されます。
ここは「大漢和」に載っていると頑張るところではなく、「帰鳥」とすれば同じ意味になりますので、変更しましょう。
全体に無理なく作っておられますので、修正は細かい点になりますが、承句の「散微紅」は「残柿」の色の描写として適切かどうか。
「兩三紅」「数枝紅」くらいが手頃でしょう。
また、最後の「斜照穹」は、その前が聴覚できていますので、あまり鮮明な夕日の空では、「和鳴」が弱くなります。
「薄暮穹」としんみりと終るか、「渡遠空」と動きを出すか、どちらかでしょう。
2020. 2. 6 by 桐山人
作品番号 2019-348
秋日偶成
老嬬捏土作茶器 老嬬は土を捏ねて茶器を作り
愚叟繙書為野詩 愚叟は書を繙き野詩を為る
疏食弊衣倶康健 疏食弊衣なるも倶に康健
偏憐秋日愛吾痴 偏に秋日を憐れみ吾が痴を愛す
<解説>
11月3日、文化の日に、第69回新居浜市美術展覧会(工芸の部)で妻の「唐草文瓶」が入賞、教育委員会賞をいただきました。
私には過ぎたる嫁です。
ボロ着に粗末な食卓でも健康が一番。
お日さんが恋しくなる秋の一日は、部屋に差し込む陽の光を浴びて読書です。
<感想>
奥様は陶芸、亥燧さんは詩歌、お二人で風雅の道を歩いていらっしゃるわけですね。
入賞、おめでとうございます。
奥様の受賞を祝うという気持ちからでしょうか、「愚叟」「野詩」「吾痴」などは謙遜し過ぎの印象です。
(まあ、奥様にだけお見せする詩だということならば、へりくだり過ぎても良いのですが・・・)。
特に結句の結びは、「愚」と「痴」の重なりも感じますし、内容としても自分だけの話になって、せっかくの「倶康健」から繋がらず、詩がしぼんでしまいます。
「野詩」は「雜詩(取り留めもなく書き付けた詩)」くらいにしておくと多少落ち着くでしょう。
結句は、のんびりとした生活を表すならば、例えば「秋光偏愛菊花籬」など。
題名も「秋日偶成」ではつまらないので、「秋日示内」など、奥様を出す方が良いでしょう。
2020. 2. 7 by 桐山人
作品番号 2019-349
趕集有感
扯噪向人喚,
引吭將客請。
山中聲沸天,
莫道不清凈。
「趕集」は「市場に行く」
作品番号 2019-350
無題
蕭然白發娘,
廚下做羹湯。
但欲稱兒意,
酸辛曾遍嘗。
「白發娘」は「白髪娘」でしょうね。
作品番号 2019-351
請叔父嘗咖啡
不必全脂乳,
無須綿白糖。
杯中這般苦,
怎敵所曾嘗。
作品番号 2019-352
古寺有感
荒庭覆榛棘,
敗殿陷藤蘿。
有意振貧困,
無忘訪佛陀。
作品番号 2019-353
外灘有作
臨風浦江畔,
念我可凡兄。
正是緣君在,
東方珠更明。
作品番号 2019-354
貓言
善心大老板,
店門莫急關。
是否可容我,
與君値夜班?
作品番号 2019-355
佛光寺懷梁思成林徽因前輩
輾轉來朝古佛宮,
不由我不憶人雄。
思尋印跡徒勞力,
欲覓勒名休費功。
客去西天心有憾,
魂牽東土意無窮。
諸君切記勿喧噪,
此刻逢伊歸夢中。
「佛光寺」: 中国山西省五台県にある仏教寺院。本堂である大殿は唐代の建立ということで、この年代を特定したのは梁思成の率いる調査チーム。
「梁 思成」: (りょう しせい、1901年4月20日 - 1972年1月9日)は中華人民共和国の建築史家、建築家。中央研究院院士、中国科学院哲学社会科学学部委員。
「林 徽因」: (りん きいん、1904年 - 1955年4月1日)は、中華民国、中華人民共和国の詩人、建築史家、建築家。本名は林徽音。
中華人民共和国の国章を設計した一人であると共に、中国の古建築を調査・整理し、中国建築史の祖とも称される。
※以上、Wikipediaから引用しました。
作品番号 2019-356
看拙作閲讀量有感
自媒體中來撿金,
披沙十日壹難尋。
頻看指數無増量,
多謝平臺已盡心。
酒薄徒勞向人薦,
巷深毎慨有朋臨。
思量到底是才淺,
這便窗前更苦吟。
作品番号 2019-357
早班地鐵
雄鷄猶在夢郷裏,
我輩又逢滋水濱。
起早幾非清俸客,
擠車誰是有錢人?
座猶可待姐休躁,
禮若不周兄莫嗔。
交戰娘娘肯輕語,
容予打壹會兒盹?
作品番号 2019-358
顔回廟憶素王嘆 顔回廟にて素王の嘆きを憶ふ
曲阜郊存陋巷檀 曲阜の郊に存す 陋巷の檀
芳香杳杳至今漫 芳香杳杳 今に至るまで漫つ
如聞孔子天涯哭 聞くが如し 孔子の天涯に哭するを
瓢飲蘋蘩食一簟 瓢飲 蘋蘩 食一簟
<解説>
孔子廟の近く、路地裏に一本の檀が立っている。
顔回廟で孔子の嘆きを思う
古木ではあるが、今も芳香を放っている。
最も期待した弟子顔回の夭折を嘆く孔子の慟哭が聞こえるようだ。
一簟の食に甘んじた顔回の名声は、千年の時を経た異郷の地で、今も語り継がれている。
孔子廟で見た「孔子の墓」も、「弟子の子貢が六年喪に服したという小屋」も、孔子が弟子を教えた場であるという「杏壇」も、「三十而立のレリーフ」も、どれも印象的でしたが、顔回廟の荒れた様子も印象的でした。
文革の名残だったのだと思いますが、孔子の嘆きが聞こえて来るようでした。
「はるかな時と場所を隔てて、現代の日本でも、孔先生の教えや顔回のことを子どもたちが学んでいるのですよ」と孔子に伝えたい気持ちになりました。
<感想>
「一を聞いて十を知る」と言われた顔回ですね。
『論語』ではそのことは「子謂子貢曰。女與回也孰愈。對曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾與女弗如也。」(「公冶長」第五)と書かれていますが、訳もしておきましょう。
「(孔子)先生が子貢に向かって仰ったのは、「お前と顔回とどちらが優れているかな」と。(子貢が)答えて「私はどうして顔回と比べられましょうか。顔回は一を聞いて十を知ります。私は一を聞いて二を知るくらいです」と言った。先生は「及ばないね。私もお前も(顔回に)及ばないね」
題名に使われた「素王」は孔子や老子に対しての言葉で、「王ではないが王の徳を持った人」とされています。
起句は「存」がポツンと浮いていますね。
通常ですと「曲阜郊外」となるところ、顔回の住んでいたところは陋巷だったそうですので、「郊外」では合わないのでしょうね。
「曲阜巷閭看古檀」とか「曲阜偶看陋巷檀」という感じで、自然な流れが良いと思います。
結句は顔回の生活振りを伝える言葉ですが、転句の「孔子の嘆き」だけで顔回が分かるかどうか、ですね。
2020. 2.11 by 桐山人
作品番号 2019-359
秋山行
樵徑遠辿山水森 樵径遠く辿れば 山水 森たり
苔寂斂錦楓琴 青苔 寂として 錦楓の琴を斂む
秋涵萬象無人管 秋は万象を涵して 人の管する無く
幽鳥一聲遺好音 幽鳥一声 好音を遺す
<感想>
晩秋の山を歩かれた景で、丁寧にお書きになっていると思います。
全体が遠景の中で、承句の「青苔」だけが浮いている印象です。
多少視線が近いのは「樵徑」でしょうから、起句の「山水」と入れ替えるような形で検討されてはどうでしょうね。
2020. 2.11 by 桐山人
作品番号 2019-360
令和大宰府坂本宮
山城北列水城東 山城 北に列なる 水城の東
賽客傳聞都督宮 賽客 伝へ聞く 都督の宮と
萬葉華筵千載後 万葉の華筵 千載の後
好文悠馥令和風 好文 悠に馥る 令和の風
<感想>
起句は「山城」は一般名詞、「水城」が固有名詞ということでの同字重出の面白さが狙いですね。
「山」と「水」も対比していて、発想の良さが出ていますね。
こういう句ができると、残りも気合いが入りますね。
転句は「万葉の時代の宴が終わって千年経って」という気持ちでしょうね。「千載後」がやや言葉足らずで、次の「好文」と合わせると、「萬葉」よりも道真公を考えてしまいます。
時代を限定するよりも「千古趣」「千古雅」などと幅を広げた方が良い句になると思います。
2020. 2.11 by 桐山人