2018年の投稿詩 第331作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-331

  称高校球児西日本豪雨被災地奉仕活動        

甚大天災人知摧   甚大なる天災 人知を摧く

平成最悪不堪悲   平成 最悪 悲みに堪へず

庶民連帯球児意   庶民と連帯 球児の意(こころ)

奉仕精神仁徳随   奉仕の精神 仁徳に随ふ

          (上平声「十灰」・上平声「四支」の通韻)

「仁徳」: 人を慈しむ徳


<解説>

 私の地元 愛媛も南予を中心に未曽有の被害が報告されています。
 災害の後 全国高校野球選手権地方予選の真っ最中に試合を終えた球児が地元に帰り、ボランティア活動に参加。
 次の試合までの間 野球の練習はお預けにして奉仕しておりました。
 脱帽です。

<感想>

 高校球児が試合の合間にボランティア活動をしていたということは、岳城さんのこのお手紙で知りました。
 甲子園予選は高校生にとっては通常、最後の大きな大会になります。その試合の合間にボランティア活動をしていることは、決して気楽な活動ではないと思います。
 自分たちの試合も一生に一度の大切なことですが、未曾有の災害に遭った方々の苦しみも、それまでの人生を一変させるもの、同じ重みで受け取って活動している高校生は素晴らしいと思います。
 詩としてこうして記録されることで、記憶に残る出来事になると思います。

 起句の「人知」は平仄を合わせて「人智」としておきましょう。



2018.11.28                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第332作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-332

  熱闘甲子園        

勝敗分岐神不知   勝敗の分岐 神をも知らず

一投一打入魂時   一投一打 入魂の時

百回歴史栄光証   百回の歴史 栄光の証

奮闘球児郷土貲   奮闘す球児 郷土の貲(たから)

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は、口から出た言葉がそのまま詩になっているような印象で、すっきりと読めますね。

   起句承句は、目の前で繰り広げられる勝負を見ているような面白さがあるのですが、転句で「百回歴史」と入ると、その前半のことが甲子園の歴史をまとめて象徴した形になり、息を呑むような緊迫感が一気にしぼんでしまうように感じます。
 今年、百回の「歴史」も、いつも「熱闘」という描き方になると、臨場感を全体に通すことができると思います。



2018.11.28                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第333作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-333

  帰路        

重雲雪意促帰程   重雲 雪意 帰程を促し

蔌蔌水陰寒更生   蔌蔌たる水陰 寒更に生ず

客鳥無聲何処泊   客鳥 声無く 何処にか泊す

隔川屋比一灯明   川を隔つ屋比 一灯明らか

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 前半は眼前に北陸の冬雲が見えてくるような趣ですね。
 「蔌蔌」(そくそく)は色々な意味があり、「水の流れる音」という意味もありますが、ここは「風が激しく吹く様子」でしょうか。
 
 転句の「客鳥無声」というのは、空を鳴くこともなく飛んでいる雁の群れを眺めている景で、寂寥感を増していますが、「何処泊」が単調で、「客鳥」ですからどこに泊まるかはあまり問題にすることではないでしょう。
 ここは鳥の姿を描いた方が良く、「飛影盡」のような形が良いですね。

 結句は「屋比」、並んだ家屋というなら「比屋」と辞書に載っている形の方が自然でしょう。
 ただ、この「比」「一灯」、並んだ家の中の一軒だけ灯りがともっていたから明るさが際立ったという設定かもしれませんが、画面としてはやや気になるところ。
 風景の綺麗な場所なら「画灯」、窓からの灯りなら「牖灯」など、夕方(転句から推定すると)の場面で「明」が際立つような表現を考えてみると良いでしょう。



2018.12. 8                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第334作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-334

  初冬        

朝行陣陣踏霜行   朝行 陣陣として 霜を踏んで行く

日出自開残月傾   日出り 自から開き 残月傾く

的的紅楓冬尚浅   的的たる 紅楓 冬尚浅し

氷軽風細似春晴   氷軽く 風細かにして 春晴に似たり

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 起句の「陣陣」という言葉から、冬の朝、通勤で人々が行き交う様子を描いたことが分かります。

 承句の読み下しはいただいたままですが、「日出り」はわからないですね。取りあえず「日が昇って」と解釈しておきますが、何か特別な意味を籠めたのでしたら、またご返事下さい。
 で、日が昇って、「自開」は主語が不明、起句を受けるなら「人々が分散した」「霜が融けた」か、雲が開けたならば「残月」につながるかもしれませんが、この句は上四字に苦しみます。

 転句の「的的」は「物事が明らか」ということで、「紅楓」がくっきりと見えたということで、次の「冬尚浅」の根拠を示しています。
 そう考えると、この「的的」はやや理屈っぽく感じます。「紅楓」そのものを形容しておいた方が詩情が増すかと思います。

 結句の「似春晴」はせっかくの転句の描写を無駄にしてしまいます。「冬尚浅」のどちらかにして、季節を表す語(「冬」「春」)は一つにしないと、発想が拡がらず単調さを感じてしまいます。



2018.12. 8                  by 桐山人



地球人さんからお返事をいただきました。

 ご講評有難うございました。
 頂いたアドバイスをもとに推敲いたしましたので、報告いたします。

    初冬
 朝行陣陣踏霜行   朝行 陣陣として 霜を踏んで行く
 日出雲開残月傾   日出り 雲開き 残月傾く
 燦燦紅楓冬尚浅   燦燦たる 紅楓 冬尚浅し
 氷軽風細遠山晴   氷軽く 風細かにして 遠山晴る

2018.12.14             by 地球人
 承句はやはり「日出り」ですか、これは「日のぼり」と訓じているのでしょうか。そうだとしても、わざわざ「のぼり」と読まなくても「日出で」で良いと思いますが、どうでしょうね。

 転句は「燦燦」と替えましたね。光輝くというよりも、色鮮やかさを表す言葉が良いと思いますが、自分が今居る位置をはっきりさせて「街樹紅黄」とか、「片片枯楓」と舞わせるなど、また考えて下さい。

2018.12.17            by 桐山人





















 2018年の投稿詩 第335作は 莫亢 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-335

  郊外停車口占        

開牖倒椅成午夢   牖(まど)を開けて椅を倒し 午夢を成す

覺看蜻蜒雑丹楓   覚めて看る 蜻蜒 丹楓に雑るを

飛機驀地去天外   飛機 驀地(ばくち)として天外に去り

一髮白雲斜蒼穹   一髮 白雲 蒼穹に斜めなり

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

「牖」: 車のウインドウ
「椅」: 車のシート。シートを倒すは現代漢語で「放倒椅背」
「飛機」: 飛行機
「驀地」: 不意に、たちまち
「車中」は自家用車の中のことです。飛行機雲は当初、「縷々白雲」を考えましたが、頼山陽への敬意をこめて「一髪」としてみました。

<感想>

 莫亢さんからの作品、久しぶりですね。
 お手紙には、江戸漢詩の日常性に刺激されたと書かれていましたが、日日の営みの中から風雅を見いだして行くのは現実世界をしっかりと見つめていくことでもあります。
 唐の時代から千数百年を経て、しかも異国での眼前の風物を、中国唐代の言葉を用いてどう描くか、これは江戸文人の思いも同じだった筈で、江戸漢詩が独自の発展を遂げたというのも納得できます。

 莫亢さんの今回の作は、自動車の窓から飛行機を眺めて、という現代の素材を用いて素直に詠んだという印象ですね。
 もちろん、「牖」は車でなく家の窓と考えても良いですし、「飛機」を「鳥聲」とかに替えれば、古典的な詩になります。
 しかし、「驀地去天外」という臨場感のある情景は、ビデオを回しているような感覚で視線が空を横切っていくわけで、これは現代ならではのスピード感だと思います。
 平成の句と言えるでしょうね。

 結句の「一髪」は「一本の髪の毛のようにまっすぐで細い様子」ですので、作者としてはジェット雲というか、飛行機雲が流れていることを表したと思います。

 ただ、「雲」はどうしても線幅がありますので、「一髪」という形容が読者に伝わるか、というと疑問です。
 頼山陽も、きっと雲の上で蘇軾と肩を組み、時を越えて伝わる表現に喜びながらも、「髪の毛一本の雲か」と苦笑しているかもしれません。



2018.12.10                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第336作は 太白山 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-336

  詠太白山        

風暖仙台生出関   風暖かなり 仙台 生出(おいで)の関

屹然聳得片雲間   屹然 聳え得たり 片雲の間

朝臨東海聞啼鳥   朝は東海に臨んで 啼鳥を聞き

夕入西巒催静閑   夕は西巒に入りて 静閑を催す

春摘萌芽逢鹿楽   春は萌芽を摘み 鹿に逢ふを楽しみ

秋観紅葉誦詩還   秋は紅葉を観て 詩を誦して還る

遥看佳景有余趣   遥かに看る 佳景 余趣有り

郷土奇峰太白山   郷土の奇峰 太白山

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 前回の添削、非常に勉強になりました。
 今回は初めての律詩投稿です。

 「太白山」は私の家から、30分程の高さは300メートル程の里山です。
 以前は「大土ケ森」と呼ばれていたそうですが、政宗公の時に中国に倣い、青葉城の西南の山なので「太白山」と改名したとの事。
 仙台では有名な山です。



<感想>

 「太白山」は「仙台富士」とも呼ばれるそうで、ネットで写真を観ると、第二句の「屹然聳得」という描写がぴったりという感じですね。
 太白星(金星)が西に落ちたということとか、長安の都の西にある太白山にちなんだとか、由来は色々あるようですね。

 頷聯と頸聯に対句を置いて、律詩として構成を整えようという意図がよく伝わります。
 頷聯については、「朝臨東海」は太白山の姿を表したものですが、「聞啼鳥」は上四字に比べてスケールダウン、朝の景としてはどこでもあるもの、「この山ならでは」の描写が欲しいですね。

 頸聯は、作者も含めて仙台の方々が常日頃、この山に親しんでいることを表して、よく工夫されていると思います。
 ただ、句の書き出しを見ると、頷聯が「朝臨」「夕入」、頸聯が「春摘」「秋観」となっていて、中二字に目的語を置く構成も全く同じですので、これは変化に乏しくなります。
「春草(薇蕨)萋萋」「秋楓赫赫」のように畳語を使ってみるのも変化を出しますね。



2018.12.12                  by 桐山人



太白山さんから推敲作をいただきました。

    詠太白山(二)
  風暖仙台生出関   風暖かなり 仙台 生出(おいで)の関
  屹然聳得雲間   屹然 聳え得たり 白雲の間
  日昇東海金波湧   日昇る 東海に金波湧き
  欲没西巒物外閑   没せんと欲す 西巒 物外に閑なり
  薇蕨萋萋逢鹿楽   薇蕨 萋萋 鹿に逢ふを楽しみ
  秋楓赫赫覓詩還   秋楓 赫赫 詩を覓めて還る
  遥佳景有余趣   遥かに望む 佳景 余趣有り
  郷土奇峰太白山   郷土の奇峰 太白山


 直された部分の色を変えてみました。
 結果として対句が崩れていますね。
 例えば頷聯の「日昇」「欲没」は文の構造が異なっています。
 ここは対句になるスタートですので、しっかりと対句だと言うことが伝わる形にしたいですね。
 下句も「日没」とすれば話が通じますが、同字ではいけないので「欲」としたのでしょうか。
 「夕日」と分かるような言葉にしたいので、「翳」「暉」「影」などとして、対になるようにしましょう。

 また、頸聯も「秋楓」を持ってくるなら「春草」の方でないと対が悪いですね。

2019. 2.18                  by 桐山人




















 2018年の投稿詩 第337作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-337

  夜立        

秋夜就中多憶郷   秋夜 就中 郷を憶ふこと多く

算嚴慈壽立寒光   厳慈の寿を算へて 寒光に立つ

喟然少小背親逸   喟然たり 少小 親に背きて逸るを

空覺疇時雙燕傷   空しく覚ゆ 疇時双燕の傷み

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 東山さんから二首いただきました。

 故郷のご両親を想っての気持ちが表れている詩ですね。
 「嚴」は父親、「慈」は母親を表す言葉です。

 結句は白居易の「燕詩示劉叟」を下敷きにしてのもの、燕の親が涙ぐましい愛情で雛を育てるが、やがて成長した燕は親を一顧だにせずに空高く飛び去ってしまうという内容で、親の心は子供には伝わらないという諭しになっている詩です。

 こうして白居易の詩を意識して見ると、起句の「就中」も、更には詩題の「夜立」も、やはり白居易の「暮立」を拠り所にしていることが分かります。
 「就中」は「他にもある中でとりわけ」ということで、その「他にも」が示されずに突然「就中」と言われても、普通は途惑うところです。
 白居易の「暮立」の詩でも

   大抵四時心総苦   大抵四時 心総べて苦しけれど
   就中腸断是秋天   就中腸を断つは 是れ秋天

という前段階の説明が入っています。
 東山さんの詩はそういう点でやや説明不足の感はありますが、本歌取りのような形で「暮立」の詩を思い浮かべる工夫をされていると言えますね。



2018.12.13                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第338作は 東山 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-338

  中秋筑後川夜景        

銀輪湧上浸江浮   銀輪湧き上がり 江に浸って浮かび

容漾鱗鱗萬古流   溶漾鱗鱗 万古の流れ

疑是游龍呑月燿   疑ふらくは是れ 游龍の月を呑んで燿き

蜿蜒棲老筑肥州   蜿蜒として 筑肥の州に棲み老ゆかと

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 筑後川の悠遠な姿を龍に見立てての詩、スケールの大きな詩ですね。

 起句は「銀輪」が主語、承句は川が主語と変換されていると思いますが、起句が承句まで引きずって、「月が万古に流れる」と読みそうです。
 川を冒頭に持ってきて主語にした方が、前半のまとまりが生まれるでしょう。

 転句は先述しましたように、面白い比喩ですが、「呑月」とまた「月」が出てくるのは、川の流れよりも「月」が主眼になりそうです。
 そういう意味でも、起句は直した方が良いでしょうね。

 あとは、題名に「中秋」とありますが、現行ですといつの季節でも通用してしまいます。
 題名から「中秋」を削るか、「月」以外にもう一つでも、季節を感じさせる素材を配置すると、詩に臨場感が増して、後半の比喩も生き生きとした佳詩になると思います。
 



2018.12.13                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第339作は 国士 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-339

  雑詩        

風寒枯落樹   風 寒うして樹より枯落す

日短三冬初   日 短く三冬の初め

城址登楼閣   城址の楼閣に登り

酒携長酔居   酒を携へ長酔に居する

          (上平声「六魚」の押韻)



<解説>

 風は寒くなりあらゆる樹木から枯れ落ちる
 日は短くなり長い冬の初め
 近くの城の郭内の高殿に登り
 酒を携えて長く酒に酔って居座った


<感想>

 寒さを感じるようになった初冬の一日、「寒くなったなぁ」「酒でも飲んで温まろう」という会話が聞こえてくるような詩ですね。
 場面を切り取ったような詩ですので、軽さが大切。そういう意味では五言絶句という形式も、前半の対句仕立てもリズムを生んでいると思います。

 起句は「樹」が「枯れ落ち」ては大変ですので、本来は「落葉樹」としたいところ。下三仄を避けて「葉」が無くなったので不自然な表現になりましたね。
「樹より枯落す」という読みも苦しく「枯落の樹」でしょう。冒頭の「風」を受けて「枯葉舞」とすれば穏やかだと思います。

 承句の「三冬初」は、対句という効果は出ていますので、これでも良いですが、「風寒」「日短」で冬が来たことは分かりますので、「三冬」はやめて(「初冬」として題名に置くのは良いですね)をもう少し具体的な風物描写にすると良いですね。

 転句はやや疑問なのは、「城址」「楼閣」ですと、どうしてもお城の天守閣なり何らかの楼に登って酒を飲んだと読むのですが、大抵は飲酒禁止な所、そんな素敵な場所があるのでしょうか。
 「楼台」でしたら土井晩翠の詩を思い描きますが、「寒風の初冬」ですので寒いですし。

 結句は「酒を携へ」ですと「携酒」の語順、ここを「酒楼」として、転句の下三字を「行人絶」とすると収まりが良いでしょうね。



2018.12.19                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第340作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-340

  閑居秋夕        

松間静上閑居月   松間 静かに上る 閑居の月

籬下新香隠逸花   籬下 新たに香る 隠逸の花

又有芳醇瓦罍酒   又有り 芳醇 瓦罍の酒

秋宵一刻更何加   秋宵一刻 更に何をか加へん

          (下平声「六麻」の押韻)



<感想>

 前対格で作られた詩ですが、このまま律詩の後半に持ってきたいような気もしますが、「月」と「菊」と「酒」が揃えばこれ以上は「更何加」というところでしょうか。

 前半の「靜上」はその後の「閑」とくっつき過ぎていて、面白みが無いですね。
 承句の「新香」もそうですが、真瑞庵さんには珍しく、あまり働いていない語が並んでいます。
 どんな月だったのか、どんな香りだったのかを表して、「松間冷艷幽居月」「籬下清芳隠逸花」などのように情報量を多くしてはどうでしょうね。

 転句の「罍」は取っ手の付いた大きな瓶、浴びるほどに飲んでもまだ大丈夫ということで、秋の夜の酒が体中にしみ渡るようですね。
 これは陶潜だけでなく、杜甫の「飲中八仙歌」に登場する詩人達もご招待したいという気持ちでしょうね。



2018.12.19                  by 桐山人



真瑞庵さんからお返事をいただきました。

 少し作り直しました。

  松間静上半輪月
  籬下微香数朶花
  又有芳醇瓦罍酒
  閑居秋夕更何加

 「罍」については青銅器の酒器。取っ手の付いたものから無いものまで大小様々。
 同様に尊もまた青銅製の酒器で大小様々。

 この詩ではさほど大きく立派な罍でなく、土で出来た極めて貧しい酒瓶で、月を見て菊を愛で、ちびりちびり一人楽しみたい。
 従いまして何方もご招待いたしません。
 悪しからず

2018.12.20               by 真瑞庵























 2018年の投稿詩 第341作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-341

  新秋(二)        

此何哀聲白露融   此れ何ぞ 哀声 白露に融くる

只應促織竹林東   只だ応に 促織なるべし 竹林の東

宛延熾日秋纔至   宛延たる熾日 秋纔かに至り

安坐簷闌若オ中   安坐す 簷 月 盞の中

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 秋は題材が多くて良いですね。
 さて、転句は別の詩の「感想」でアドバイスしていただいた句を並べ替えただけです。
 これを使いたくて、そのままいただいて仄声で作りました。こんなのはありかな。

<感想>

 転句は私が平仄を間違えて書いた句でしたが、直して使っていただきましたね。

 前作と場面的には同じなのですが、こちらは「熾日」の語が結句の「月盞中」とぶつかる印象ですね。
 それは、「月」の語を使っているとか、「熾日宛延」の語順と異なることなどが関わっているのでしょう。
 この詩で言えば、わざわざ夏の強い日差しを出す必要はなく、逆に秋の趣を出して「晩風一陣」としても収まりが良いでしょうね。

 転句をこのままで、ということでしたら、「月」はひとまず隠しておいた方がよいでしょう。





2018.12.22                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第342作は 遙峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-342

  仲秋        

蛩聲微細響疎林   蛩聲微細 疎林に響き

曖曖數輪新月臨   曖曖たる數輪 新月臨む

旬日迎寒知節序   旬日 寒を迎へ 節序を知り

清貧衣冷素秋深   清貧の衣は冷やかに 素秋深まらん

          (下平声「十二侵」の押韻)



<感想>

 前作から季節が一つ経過した内容になりましたね。
 秋からすぐに冬の訪れを待つ、という変化を表したいというお気持ちが後半に感じられます。

 起句は、「蛩聲」「微細」なのに「響」という言い方がひっかかりました。
 「聽」とした方が自然でしょうね。

 承句は「曖曖數輪」が何を指しているのかよくわかりません。これは解説をいただきたいですね。
 転句は「十日もすれば寒さが訪れ、季節が替わる」ということで、句意はよく伝わります。
 ここで季節感を出しましたので、また結句で「素秋深」と言う必要は無いですね。

 さらに言えば、「清貧」は自分でその生活を選んでいるわけで、「衣冷」と愚痴ってるわけではないにしろ、そう思う自体もどうでしょうか。

 「陋居風冷夜沈沈(森森)」とか、「斟」を韻字にして酒を出す、あるいは冬を待つ作者の気持を描く、など、色々と考えられそうですよ。



2018.12.26                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第343作は 莫亢 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-343

  聽畢業相片偶成     《畢業相片》を聴きて偶成る   

影集漫翻毀封皮   影集 漫(そぞ)ろに翻(ひら)けば 封皮 毀(やぶ)るるも

攜吾少女當今嬉   吾を携へて 少女 当に今嬉(たはむ)る

光陰二十還奚去   光陰 二十 還た奚(いづ)くにか去る

惆悵華顏拊愛時   惆悵す 華顔 拊愛する時

          (上平声「四支」の押韻)


「畢業相片」: 松任谷由実の「卒業写真」の漢語表記
「影集」: アルバム
「封皮」: 表紙
「華顔」: 花のように美しい顔
「拊愛」: なでてめでる


<感想>

 松任谷由実というよりもユーミンという呼び方がしっくりくるのは、私の世代でしょうね。
 『卒業写真』も癖の強いユーミンの声と、ハイファイセットの澄んだ声と、どちらも好きで、莫亢さんの詩を拝見しながら、ついつい「悲しいことがあると・・・」と歌が口から出て来て、しかも最後まで完璧に歌えてしまうほどです。

 平仄の点で、一二ひっかかりますね。
 起句の「封」、承句の「當」はどちらも平声として使いますので、起句は「二六対」が破れて、承句は「下三平」になっていますので直す必要があります。

 詩のストーリーはスムーズですね。
 結句の「惆悵」、これは「がっかりして気力がしぼむ」ということですが、同じようなテーマの『涙そうそう』を連想させるようです。

 卒業アルバムをめくりながら思い出を噛みしめる、というのは青春時代の定番でしたが、卒業アルバムもCDやDVDになって、SNSですぐに友人と繋がる現代では、どうなっていくのでしょうね。



2018.12.26                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第344作は 莫亢 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-344

  客舎偶成        

宿醉伏牀日三竿   宿酔 牀に伏す 日三竿

夜來不漱口中酸   夜來 漱がず 口中 酸(す)し

枕傍手機模索把   枕傍の手機 模索して把(と)り

山妻緘觖タ然看   山妻の緘觖 タ(てき)然として看る

          (上平声「十四寒」の押韻)


「宿酔」: 二日酔い
「日三竿」: 時間が遅い
「手機」: スマートフォン
「模索」: 心当に手探りする
「山妻」: 妻
「緘觖」: 恨み言のメール、SNSのメッセージを寄せる。「緘」は手紙。「觖」は、心に不満があること。
      「緘愁」(悲しみを手紙に書いて寄こす)をヒントに造語。
「タ然」: 恐れるさま


<解説>

仄起の拗体を試みました。

出張でビジネスホテルに泊まって寝過ごし、もっと早く帰ってくると思っていた妻から叱られた、という、場面です。
妻が怒った理由が、詩からは分かりづらいかもしれません。

頼山陽は「詩 、文語ヲ用フレバ村俗ニ堕シ易シ」と説いたとのことです。
こうした散文的な詩がアリなのか、自信がありません。

<感想>

 この詩も、平仄の点で確認が必要です。
 起句の六字目「三」は数詞の時は平声、転句の「傍」と結句の「妻」は名詞用法で平声、動詞用法で仄声になる両韻異義字、ここはどちらも平声になります。

 散文的な内容が詩になるのか、と言えば、詩は本来記録的な要素を持っているわけですから大丈夫です。
 同時に、詩は事実の羅列だけで終るものではなく、どんな日常的な些事であれ、その出来事によって動いた心が必ず存在します。
 それが読者の共感を呼ぶわけで、読者と作者がつながる部分です。

 今回の詩は、作者がメールを見て怯えているということしか分からないので、読者の方としては、同情くらいしか浮かばず、何と言って良いか困ります。

 例えば、承句は「不漱」では単なる説明文、転句の「模索把」は二日酔いの話をここまで引きずるのはどうでしょうか。
 承句は「不漱」を「酒渇」とすれば詩語らしくはなりますが、まあ、内容としては、不要とは言いませんが、無くても良い句ですね。

 転句の方は、ここに奥様からの「怒りの気持」を描けば、「緘觖」という、解説が不可欠な造語にすがらなくても伝わります。

 その分余裕の出た結句に、もう一歩、妻の怒りに触れた夫(作者)の気持ちが入るでしょうから、そうなると面白い詩になると思います。



2018.12.26                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第345作は 観水 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-345

  雨中觀菊        

重陽時節却連陰   重陽の時節 却って連陰

叢菊露濃秋色深   叢菊 露濃やかにして 秋色深し

逸友莫悲吾且去   逸友 悲しむ莫れ 吾の且く去るを

明朝雨霽便攜琴   明朝 雨霽るれば 便ち琴を携へん

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 陽(はれ)の重なる日というが 陰(くも)り続きで雨がちで
 菊もしっとり露帯びて ぐっと深まる秋の色
 いったん私は帰るけど 友よ悲しまないでくれ
 あした天気が良かったら 琴でも持ってこようかね



<感想>

 結句は李白の句が「明朝有意抱琴來」が思い浮かびます。

 菊の花が「また来てくれ」といっているように感じて、「じゃあ雨が止んだら琴でも持って、また来るよ」と返事をした。

 李白の句を意識下に置きながら、残る側から帰る側に主体を替えたわけですが、この一ひねりが味わいを出していて、まるでメルヘンのような場面が眼に浮かびます。

 観水さんは、今年も漢詩大会で入賞されたそうで、ますます充実した漢詩生活を送っていらっしゃるようですね。





2018.12.31                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第346作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-346

  清凉寺釈迦如来像        

楓葉爭妍紅與黄   楓葉妍を争ふ 紅と黄と

古都秋色不尋常   古都の秋色 尋常ならず

栴檀瑞像窈且嚴   栴檀瑞像 窈にして且つ嚴

陸續賽人浴佛光   陸續賽人 佛光に浴す

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 京都嵯峨の清涼寺の釈迦如来像は「栴檀」の木を彫ったもので、十世紀頃のもの、国宝として「日本三如来」の一つとされていますね。

 前半で京都の秋景色、後半はいきなり仏像の姿に入りますが、前半でお寺に来たことが一言でも入ると、読者の意識が飛ばなくて済みます。
 ただ、「古都」とすることで、「お寺だけでなく、京都の街全体が紅葉に染まる」と描きたかったのだと思いますので、これもありかな、と思います。
 「秋色」として「秋の景色・気配」というだけですとやや弱く、「秋興」「秋影」と「良い趣」という意味合いを加えておくと良いと思います。

 転句は平仄が違います。「且」は仄字、「嚴」は平字です。
 ここは仏像をご覧になった作者ご自身の印象を大事ですので検討をお願いしたいと思いますが、例えば「寛嚴貌」などが考えられますね。

 結句は「四字目の孤平」になっていますので、「賽」を上に持ってきて、ここは「諸人」などとしておくと良いでしょうね。



2019. 1. 7                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第347作は 亥燧 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-347

  祭詩        

貧窮何厭一燈親   貧窮何ぞ厭はん 一灯親しみ

坐破寒氈欲問津   坐破寒氈 津を問はんと欲す

歳暮祭詩身未老   歳暮詩を祭して 身未だ老いず

舎然晩節眼前新   舎然 晩節 眼前新たなり

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 「祭詩」は苦吟詩人の賈島が大晦日に詩を祭ったということから生まれた言葉。
 詩人としては、年末に一年の詩作を振り返る機会として、大切な言葉ですね。

 承句の「坐破寒氈」は「一心に学問に取り組むこと」、結句の「舎然」は「すっきりと理解すること」で、前向きに取り組む意欲が感じられ、結びの「眼前新」が生き生きとしている詩ですね。

 内容としてやや流れが悪く、起句は上の「貧窮何厭」だとどうして「一燈親」となるのか、連結が悪く、どう考えれば良いか悩みます。
 「坐破寒氈燈火親」と繋げた方が分かりやすいですね。

 転句の「身未老」は「身已老」でないと次の「晩節」への流れがおかしくなります。





2019. 1. 7                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第348作は 紫雪 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-348

  山寺觀楓 − 東大寺二月堂 −        

廟廂清影釣燈籠   廟廂 清影 釣燈籠

曾彩櫻花二月穹   曾て 桜花は 二月の穹を彩る

切切蛩聲誰戀泣   切切たる蛩声 誰をか恋ひて泣く

霜楓秋水佇浮紅   霜楓 秋水 紅を浮かべて佇む

          (上平声「一東」の押韻)


「影」: @肖像。『南史・梁宗室傅』「神影亦有酒色」。
     Aたすけ。おかげ。『冊府元龜』「投名於勢要以求影庇」。

「二月穹」: @二月堂の空。
       A二月の空。杜牧『山行』「霜葉紅於二月花」。

「秋水」: @ 秋の澄んだ水。王士禎『樊圻畫詩』「廬萩無花秋水長」。
      A女の眼の清らかさ。又、清らかな眼に喩える。白居易『箏詩』「雙眸翦秋水」。
       袁桷『題美人圖詩』「望幸眸凝秋水」。

「水」: 二月堂では、陰暦二月に堂前の若狭井の水を汲み、加持し、香水とする御水取りの儀式が行われる。
「佇」: 久しく立つ。たたずむ。『詩経』「瞻望弗及、佇立以泣」。



<感想>

 日本文化や文学の情緒を漢詩という表現形式で描こうという紫雪さんの思いが出ていると思います。
 前作のイメージが私に残っているからかもしれませんが、全体にしっとりとした絵巻の世界を見ている気がしますね。

 やや気になるのは承句、春にはこの二月堂も桜の花が満開だった、という回想で、これは作者の実体験でしょう。しかし、詩題は「山寺観楓」ですので、その「楓」に対抗するように桜を出す必要があるか疑問です。
 もっと言えば、春の華やかで艶やかな光景が前提として頭の中にあり、秋の風物はそれに比べて、という読みに導かれてしまうわけで、さて、この詩の感懷は春にあるのか、秋にあるのか、と悩まされます。
 結句の「霜楓」「紅」ももうしわけ程度の感じで終ってしまいますね。
 杜牧の詩は「二月花」を媒介にして「霜葉」を描こうとしているのでブレが無いわけですが、紫雪さんの場合には逆の印象になりますので、まとまりが欠けます。

 承句は斬新な切り口で作者の狙いがあるのかもしれませんが、例えば結句と承句の内容を入れ替えるだけでも随分違ってきます。
 形式で見れば、前半は叙景、後半は抒情というオーソドックスな形になりますが、転句の効果も生きて、詩にも読者にも安心感が生まれるという感じですね。

 結句に心情を入れる、という観点でいくならば、「曾彩櫻花」と回想が良いのか、現在の心境が良いのか、色々な選択肢が生まれてくると思います。
 



2019. 1.20                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第349作は 遥峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-349

  晩秋 U        

一川瀲瀲雁群休   一川瀲瀲として 雁群休み

白葦揺微滸又幽   白葦揺るること微かに 滸もまた幽なり

遷目西山霜葉少   目を遷す西山 霜葉少なく

斜陽連樹未過収   斜陽樹に連なり 未だ過りて収まらず

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

  川面はキラキラ光り、やって来た雁の群れが休んでいる。
  葦の揺れは微かで、辺もまたひっそりとしている。
  目を西山に移せば、紅葉は残り少なくなっているが、
  夕陽はまだ沈まず、樹々を照らしている。

 妻が借りている家庭菜園から、川の向こうに山々が見えます。
 私の一年中好きな場所ですので、詩に表せたらうれしいのですが。


<感想>

 素材として「雁群」「白葦」「霜葉」を配置して、晩秋の雰囲気を表しているのは良いと思います。

 承句の下三字は、ここで「幽」が来ますか。
 この語はある意味、詩の主題を表すような語で、作者の心情が素直に出ていて良いのですが、この「幽」に比べると結句の「収」が随分こぢんまりした印象になります。
 結句に「幽」以上に重みのある韻字が置けると良いですが、そうでなければこの字は「最後にとっておく」という気持も大事でしょうね。
 取りあえず、承句はこのままとしても、結句は「金秋」「深秋」などを韻脚に置けないでしょうかね。

 転句は「遷目」は余分な言葉で、川がどこにあって、作者がどちらを向いていたのかは読者には関係ないわけですから、「遙望」くらいで十分です。
 下三字の「霜葉少」も「晩秋」となるとやや疑問です。
 本来ならば紅葉のシーズンと言えるでしょうから、その時期に「霜葉少」では何か別の原因があるのかと考えてしまいます。

 結句の「樹」は詩の流れから行くと「西山」の樹と読みますが、そうなると西山が随分近くに来てしまいます。
 遠近感がずれていますので、この句は再考が良いかと思います。



2019. 1.28                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第350作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-350

  行荒廃山路        

炎暑台風酷事蹤   炎暑 台風 酷い事蹤

折枝倒木陟危峰   折枝 倒木 危峰を陟る

秋光花卉療飢我   秋光 花卉は 我を療飢す

而聴慢心厳警鐘   而れども 慢心に厳しい警鐘聴こゆ

          (上平声「二冬」の押韻)



<解説>

 台風、地震、猛暑等 自然災害の多い年でした。

 折れた枝をまたいだり、倒木をくぐったりの山行となったり また予定コースを変えざるを得ないようなことが多かったです。
長く山行を続けていて 今までにない体験です。

 でも秋空は碧く爽やかで かわいい花が咲いて 例年と変わらず迎えてくれて心が癒されました。
 歩きながら人間の傲慢さに厳しい警鐘が聴こえるように思いました。

<感想>

 この詩は二度逆接でつないでいます。
 一つ目は転句、前半の二句で「自然災害が続き、山行の径も折れた枝や倒れた木が覆っている」という話から、しかし、秋の光や草花が私を癒やしてくれる」と逆転し、更に結句でしかし、人間への警鐘を感じた」となると、理屈が走って煩わしい印象です。

 漢詩の構成としてよく言われるのが、「転句を隠しても起承結で話が通じるように」ということ、そうした点で見ればこの詩もまとまってはいるのですが、転句が他と全く逆の気持で描かれているので、一転二転という印象になるのでしょう。
 結句の「而」を「只」「猶」「獨」などの言葉に換えるとか、転句も「わずかに癒やされる」というような軽くしておくと、収まりが良くなると思います。



2019. 2.18                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第351作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-351

  五律(隔句對)・兩個嫦娥哂詩叟        

仲秋花眼仰,   仲秋 花眼にて仰ぐ,

明月照黄昏。   明月 黄昏を照らすを。

兩個銀蟾使,   兩個の銀蟾,

嫦娥分倩身。   嫦娥をして倩(うつく)しき身を分けしむ。

三杯碧醪洗,   三杯の碧醪,

醉叟鼓吟魂。   醉叟の吟魂を鼓せるを洗ふ。

左右花容哂,   左右に花容哂(わら)ふ,

佯仙亂視人。   仙の佯(ふ)りせる乱視の人を。

          (中華新韻九文平声の押韻)



<解説>

 花眼は老いてはっきり見えない眼、銀蟾は月の別名です。
 若い頃からの近視と乱視、近視は老眼が進むにつれて視力を驚くほど回復しましたが、
 それにつれて乱視の方は以前よりひどくなっています。
 そこで、仲秋の明月、はっきりとふたつに見えます。
 嫦娥も分身の術で二人になり、私の酒の左右に陪してくれました。

 なお、拙作は頷聯、頸聯を次のとおり隔句対としています。
  兩個銀蟾使,嫦娥分倩身。
  三杯碧醪洗,醉叟鼓吟魂。
 また、奇数句は動詞で終えて次の偶数句とつながるように詠み、
 十言絶句の味わいを出すことを試みてみました。

























 2018年の投稿詩 第352作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-352

  五律(全平全仄對)・醉吟當要調平仄        

雅友誇洪量,   雅友 洪量(大酒量)を誇り,

酒香流不停。   酒香流れて停(や)まず。

瞻玩月開興,   瞻(みあげ)て玩べば月 興を開き,

競走筆含靈。   競って走らせる筆 靈を含む。

我句有語病,   我が句に語病あり,

君詩無風情。   君が詩に風情なし。

推敲平仄後,   平仄を推敲しての後,

共放醉吟聲。   共に放つ 醉吟の声。

          (中華新韻十一庚平声の押韻)



<解説>

 拙作、頸聯を「全平全仄對」で詠んでいます。
 我句有語病●●●●●,君詩無風情○○○○平。

 全平全仄の句作りは対仗としては成立しえても、発音が難しく朗詠には不向き
 そこで敢えて詠むまでのことはないと思います。
 拙作も、詩の中には明示していませんが、次のとおり平仄を推敲しています。

 拙作頸聯は互文です。そこで
 1 我句無風情,君詩有語病。 の意味に読んでもよく
 さらに平仄を調えて読めば
 2 我句有風情,君詩無語病。 の意味に読めます。
 つまり
 「我句有語病,君詩無風情」は謙遜、実は底意として
 「我句有風情,君詩無語病」の意を含んでいます。
 しかし、これでは
  私の作品には風情があるが君の詩は語病がないだけだ
 といっているわけで、穏当ではありません。そこで、さらに互文に読んで
 3 君句有風情,我詩無語病。
  君の作品には風情があるが私の詩は語病がないだけだ
 といっているのだ、とするのが、穏当でしょう。

 しかし、3のままでは韻字「情」の位置が悪く五言律詩になりません。
 そこで、多少手をいれ
  我句有語病,君詩無風情。→我句無毛病,君詩有志情。
  推敲平仄後→笑乘詩興好。

  雅友誇洪量,酒香流不停。瞻玩月開興,競走筆含靈。
  我句無毛病,君詩有志情。笑乘詩興好,共放醉吟聲。

 とすれば、無難な五言律詩になります。

























 2018年の投稿詩 第353作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-353

  五律(錯綜對)・學淺才疏待繆斯        

暮年求玉友,   暮年(晩年)玉友を求め,

翁嫗聚詩林。   翁嫗 詩林に聚(あつ)まる。

學淺相交密,   學ぶこと淺きも相ひ交はること密に,

才疏共醉深。   才は疏なるも共に醉ふこと深し。

傾杯乘雅興,   杯を傾けては雅興に乘り,

覓句競高吟。   句を覓(もと)めて高吟を競ふ。

酣宴空期待,   酣宴に空しく期待するは,

繆斯來撫琴。   繆斯(ミューズ)來たりて琴を撫づること。

          (中華新韻九文平声の押韻)



<解説>

 拙作の頷聯は、対になる「淺」と「深」、「密」と「疏」の対応する位置をずらし、「錯綜對」で詠んでいます。


<感想>

 まとめて三首、読ませていただきました。

 多様な対句の作法、正格を自家薬籠中のものとされた鮟鱇さんならではの試みですね。
 流水対で悩んでいる私では、ついつい「淺深」「疏密」と並べてしまい、ありきたりの薄っぺらな対語にしてしまいますので、勉強になりました。



2019. 2.18                  by 桐山人

























 2018年の投稿詩 第354作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-354

  初秋吟        

木枯不吹夕陽前   木枯らし 吹かず 夕陽の前

金氣未無霜月天   金氣 未だ無き 霜月の天

秋信何來残暑退   秋信 何來 残暑退く

新蟲啼近聴陶然   新蟲 啼きて近づき 陶然と聴く

          (下平声「一先」の押韻)


「金氣」: 秋気。
「秋信」: 秋のたより。
「何來」: いずくよりか来る。
「聴陶然」: 心地よく酔って聴く。


<解説>

 霜月十一月には例年だと木枯らしが吹くのに今年は未だ暄日が続く。

<感想>

 深渓さんのこの詩は、季節感がはっきりせず、題名もいただいたまま「初秋吟」と載せましたが、「霜月」ですと「初冬」ではないかと思いました。
 しかし、後半を見ると「初秋」の感じですし、二つの詩が組み合わさったようで悩みました。

 前半、後半それぞれは良い句ですので、別々に詩を二つ作ってはいかがでしょうか。



2019. 2.19                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第355作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-355

  十二月八日        

波瀾兵火在眼前   波瀾の 兵火 眼前に在り

年少吾軍語惨傳   年少くして 軍に吾 惨を語り伝へん

出陣亡僚私自愧   出陣 僚を亡ひ 私かに自から愧ず

独揮涕涙思悽然   独り揮ふ 涕涙 思ひ悽然たり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 吾少年兵として出陣、齢杖國の今日まで生き延び兵火に倒れた僚を偲ぶ日々である。

<感想>

 十二月八日を迎えた時に思うことは、戦前や戦争を経験した深渓さんのような方々と戦後生まれの私たちでは違いがあるかもしれません。
 戦友への思い、ご自身の半生、それらがこの十二月八日に始まったということは大きな意味があるのでしょう。
 深い悲しみが伝わってきます。

 語句を若干直して、承句の「吾軍」は「従軍」に、転句の「亡僚」は「僚亡」、あるいは読み下しを「亡き僚」にしておくと良いでしょう。



2019. 2.19                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第356作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-356

  又十二月八日        

少年出陣七生心   年を少くして 出陣 七生の心

時僅戦終吟玉音   時僅に 戦ひ終り 玉音に吟く

幼友南溟数多墜   幼友 南溟に 数多墜つ

平安四海恨何禁   平安な四海 恨しみ何ぞ禁ぜん

          (下平声「十二侵」の押韻)


「少年」: 旧制中学3年2学期、十五才五カ月。
「七生心」: 戦いで吾死すとも七度生まれ代わって国に殉じる。
「南溟」: 南海。
「数多墜」: 特攻戦で。

<感想>

 前作と同様に、十二月八日を迎えての感懐ですが、前作の激情とは異なり、少し落ち着いた趣なのは、同じ題で二首目ということもあるかもしれません。
 私はこちらの方が詩としてはまとまっていると思いました。

 承句の「吟」は「うめく」と訓じるのでしょうね。「玉音を吟ず」となるとおかしな話になりますから。
 そういう意味では同じような意味での別の字にした方が良いかもしれませんね。



2019. 2.19                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第357作は 莫亢 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-357

  尤克里里琴     ウクレレ   

多來米發拉梭西   ド・レ・ミ・ファ・ラ・ソ・シ

攏撚抹挑洪亮嘶   攏撚抹挑 洪亮として嘶(な)く

有此雲和好懷抱   この雲和の懐に抱くに好き有らば

復誰睡意轉低迷   復た誰か 睡意 低迷に転ぜん

          (上平声「八斉」の押韻)


「多來米發拉梭西」: 漢語のドレミ。平仄の関係で入れ替えた
「攏撚抹挑」: 白楽天の「琵琶行」に「軽攏慢撚抹復挑」、「攏撚」は弦を押さえてひねること。
「雲和」: 琴や琵琶など、弦楽器の総称
「低迷」: 物事や気持ちがモヤモヤしてはっきりしない様子。
     嵆康の「養生論」に「夜分而坐、則低迷思寢。内懷殷憂、則達旦不瞑」

<感想>

 この詩は、掲載までに三度ほど直されたもので、推敲を続けておられることがよく分かります。

 ただ、結句は結局、ウクレレがどうだと言いたいのかが判然としませんね。
 「睡意が低迷に転ずることを誰がしようか、いや、しない」という反語形だと考えると、誰もがウクレレの音色や懐に入る大きさにうっとりとして、ぐっすりと眠る、ということになるのでしょうか。
 そうだとすると、まわりくどい言い方ですね。

 ウクレレは現代的な楽器であり、しかも手軽なものでもありますので、あまり大げさな表現はしっくり来ません。
 日常的な素材を題材にする場合には、読み手にも同じ感覚が伝わるようにすべきで、そうでないと逆効果になってしまう可能性もあります。
 現代の中国の人が詩にしたらどんな感じになるか、そういう観点で詠んでみるのも良いと思いますよ。



2019. 2.19                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第358作は 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-358

  秋夕        

炎暑遅収寂静庭   炎暑 遅く収まり寂静の庭

微涼嫋嫋聴簷鈴   微涼 嫋嫋 簷鈴を聴く

蒼茫銀漢風流興   蒼茫の銀漢 風流の興

仰見牽牛織女星   仰ぎ見る牽牛 織女星

          (下平声「九青」の押韻)


<感想>

 こちらの詩は押韻や詩題を拝見すると、第三回の桐山堂詩會の参加詩だったのでしょうか。
 失礼しました。
 詩會の方にも掲載をしました。

 結句の「仰見」は転句でもう「銀漢」が出ていますので、更にまた「仰ぎ見る」と言う必要はあまり感じません。この語は転句の頭に「仰看」として置いた方が落ち着きますね。
 「牽牛織女星」を掲揚する言葉を代わりに入れると、焦点が絞られて全体が落ち着くと思います。



2019. 3.17                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第359作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-359

  祝大阪万国博覧会招致        

官民協贊懇望成   官民の協賛 懇望 成る

浪速街頭歓喜生   浪速の街頭 歓喜 生ず

技術英知招集館   技術の英知 招集の館

商都隆盛十分明   商都の隆盛 十分に明らかなり

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 こちらも昨年の11月の終り頃でしたか、ニュースになりましたね。

 東京オリンピックも大阪万博も、どちらも私が学生だった頃の懐かしい言葉と思っていましたが、再度味わうことができるとは思いませんでした。

 「万国博覧会」にふさわしい「技術英知」の言葉が、意義をよく伝えていますし、結句も祝賀のお気持ちが出ていると思います。



2019. 3.17                  by 桐山人
























 2018年の投稿詩 第360作も 岳城 さんからの作品です。
 

作品番号 2018-360

  天災感事        

天災頻發越人知   天災 頻発 人知を越え

不選東西日日危   東西を選ばず日日 危し

風動倒家荒大坂   風動 家を倒し 大坂 荒れ

激震裂地亂蝦夷   激震 地を裂き 蝦夷 乱る

関西空港絶望夜   関西空港 絶望の夜

北国電源消滅時   北国電源 消滅の時

慈善支援伝統意   慈善の支援 伝統の意(こころ)

雄強毅魄再興基   雄強 毅魄 再興の基

          (上平声「四支」の押韻)


「風動」: 風が激しく吹く
「雄強」: 勇ましく強い
「毅魄」: 何ものにも屈しない強い気魄



<解説>

 この夏は自然災害多発 台風による関西国際空港の水没
 地震による北海道全域停電 他にも西日本水害が続きました。
 大変な時代ですが、又復旧に立ち上がる人々の気魄は素晴らしい。

<感想>

 テレビのニュースで見ていると、現実のこととは思えないような画面ばかりで、昔のゴジラなどの特撮映画で描かれた緊急事態の様子が再現されている錯覚に陥るほどでした。
 岳城さんの今回の詩は、中の四句で具体的な地名を挙げて、あちらでもこちらでも災害が続いたことを表していますね。
 やや、浮かんだままの言葉を描いた、という印象で、「不選」「絶望」などは他の言葉にした方が良い、とか、同字重出があったりしますが、記録的な要素としては臨場感をもって描かれていると思いました。

 全体の構成としては、頸聯までの流れからは尾聯の思いはつながりが弱く、災害については前半の四句で、「慈善支援」は災害後の状況として描き、最後に作者の感懷を述べるという流れが良いと思います。



2019. 3.17                  by 桐山人