2015年の投稿詩 第241作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-241

  酔翁夜座聞落潮        

秋陽西海没   秋陽 西海に没す

斗柄北天周   斗柄 北天周る

潮落漁聲遠   潮落ちて漁声遠く

風鳴群海鷗   風鳴いて海鴎群る

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 鈴木先生 長い間ご無沙汰していました。
 涼しい風に一息ついています。

 これからまた心機一転、失った時間に挑戦です。
 どうぞよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます

<感想>

 お久しぶりです。
 八十歳の誕生日の記念として、自作の漢詩八十首を載せた詩集が出来上がった芳原さん、「今度は百首を目指して」というお言葉でしたので、また気力を高めて下さいね。

 さて、前半は語順が気になります。
 起句は「秋陽没西海」でないと「西海が没した」となりますし、承句も「斗柄周北天」でないと「北天が周る」となってしまいます。
 「二四不同」も考えなくてはいけませんので、修正した形にしますと、

   秋日没西海
   斗杓周北天

 韻字も含めて、これに続くように転句以下を検討してはどうでしょうか。

 内容的には、承句以降はもう夜になっているのだと思いますが、そうなると結句の「海鷗群」は目で見ている筈ですので、どうも食い違っている感じがします。

 詩に描かれる風景は野外の海辺という雰囲気なので、題名の「夜座」は妙ですね。
 海に近い場所に居るのかもしれませんが、それでは「西の空の夕陽を眺めて、北天の星を眺めて」ということにはなりません。
 簡単に言えば、「夜座」を削った方が良いでしょうね。



2015.10.13                  by 桐山人


芳原さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、懇切なご指導頂きありがとうございます。
感謝とお礼申し上げます。

先日の投稿詩を次のように改めました。

   酔翁聞落潮
  秋日没西海   秋日 西海に没し
  斗杓周北天   斗杓 北天を周る
  漁声潮落遠   漁声 潮落ちて遠く
  淅瀝暗中淵   淅瀝たり 暗中の淵

2015.11.15         by 芳原

























 2015年の投稿詩 第242作も 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-242

  秋懐        

世路逶迤至八旬   世路逶迤として八旬に至る

一場春夢那可論   一場の春夢 那ぞ論ずべけん

遼遼轉目秋天遠   遼遼 目を転ずれば秋天遠く

短日黄昏残象伸   短日黄昏 残象伸ぶ

          (上平声「十一真」の押韻)



<感想>

 押韻に用いた「論」ですが、「倫」と同意だとされることがありますが、通常は「上平声十三元」韻として使われます。
 平仄両用で名詞の場合には仄声になります。
 この句では平仄も「二六対」が崩れていますので、下三字を直した方が良いですね。「新」「真」あたりがこの句には使いやすいと思います。

 他の句は落ち着いていると思います。



2015.10.13                  by 桐山人


芳原さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、懇切なご指導頂きありがとうございます。
感謝とお礼申し上げます。

第一句をのように改めました。

「一場春夢那可論」⇒「一場春夢一何瞵」  一場の春夢 いつに何ぞ瞵ならん(かがやかしき)

2015.11.15          by 芳原

























 2015年の投稿詩 第243作は 徠山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-243

  猛雨        

向暖地球人屢論   暖に向かふ地球 人 屢しば論ず

如今猛雨被災繁   如今 猛雨 被災繁し

雷車殷殷茅廬震   雷車 殷々 茅廬震ひ

空對檐端銀竹奔   空しく檐端に銀竹の奔るに対す

          (上平声「十三元」の押韻)

(注)甲午九月十日詩成後、颱風十八号襲撃而常總地域被甚大水害

「銀竹」:大雨の形容。李白「白雨映寒山、森森似銀竹」など。


<感想>

 颱風18号は鬼怒川の洪水を起こした災害でしたね。
 私の住む知多半島に上陸ということでしたが、こちらは「上陸した」という頃には警報が解除になるということで、直撃の割りにそれほどひどくなかったね、と家族で話していたくらいでしたが、その日の夕方には、遠く離れた関東地方がひどい雨と水害のニュースを聞き、びっくりしました。

 温暖化のせいなのか、近年は「百年に一度」とか「観測史上最高(悪)」という言葉をよく耳にするようになりました。

 徠山さんはそうした事情を前半でまとめ、結句の「空對」の語に、人為、人知の無力感を凝縮させていますね。
 この「空」の一語は色々な語に替えることができますので、「悲」「嘆」などの言葉にすれば被災者の立場での詩となり、別の形での臨場感が出ますね。



2015.10.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第244作は 徠山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-244

  煙花戲        

煌煌閃閃火花開   煌々 閃々 火花開く

灼熱垂球亦美哉   灼熱の垂球 亦た美なる哉

老若共娯銷夏戲   老若 共に娯しむ 銷夏の戯

風檐宴了晩涼催   風檐 宴了りて 晩涼催す

          (上平声「十灰」の押韻)



<感想>

 庭から花火を眺めている光景ですね。
 起句の「煌煌閃閃」の畳語の繰り返しがリズムを生んで、目と耳で楽しむ花火を効果的に描写していると思います。
 工夫が結果に結びついた好句ですね。

 承句の「灼熱」は、大空の花火ですので実際に温度を感じているわけではありませんが、これも燃え落ちる姿を比喩的に描いて、実感が伝わってきます。
 下三字は好みかもしれませんが、ここで花火をまとめるよりも、もう少し花火そのものを描いて、楽しませてほしい気持ちもあります。
 後半が割りに淡淡と余韻を残していますので、もう一度音を出して、「轟萬雷」なども面白いと思います。



2015.10.14                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第245作は 徠山 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-245

  夏日睡起        

羲皇自擬北窗眠   羲皇 自ら擬して 北窓に眠る

盡日虚閑六月天   尽日 虚閑 六月の天

午睡覺來無一事   午睡 覚め来たって 一事無し

檐鈴未動日如年   檐鈴 未だ動かず 日は年の如し

          (下平声「一先」の押韻)

(語注)羲皇 [晋書隠逸伝]に「陶潜尚言、夏月虚閑、高臥北窓下、清風颯至、自謂羲皇上人」とみえる。

<感想>

 夏の日の午睡、暑い夏の日に午前中ひと汗かいて、お昼に軽くビールを飲み、その後で本などを読みながら昼寝する、何とも最高の贅沢という気がして、私の憧れです。
 徠山さんは「盡日虚閑」とされていますが、ゆったりとした時間の流れが感じられますね。

 転句の「無一事」は承句の繰り返しのような印象がありますので、どちらかを削ってはどうでしょう。

 結句の「日如年」は、丁度、江馬細香の『夏日偶作』に「永日如年昼漏遅」の句がありますが、一日が一年のようにあっという間に過ぎてしまうこと、あるいは一日一日が繰り返されて行くことを表します。
 ここにはよく合うのですが、「日」が承句にも使われていますので、うーん、どちらを残すかの検討ですね。



2015.10.14                  by 桐山人


徠山さんから、承句の修正をいただきました。

  承句 盡日虚閑六月天→正昼虚閑六月天   正昼 虚閑 六月の天

2015.10.21          by 徠山

























 2015年の投稿詩 第246作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-246

  忙中醉・多忙無恙啜金觴        

多忙,          多忙なるも,

無恙,          恙なく,

偸閑啜酒觴。     閑を偸んで酒觴を啜る。

悠揚,          悠揚として,

高唱,          高唱す,

偶成詩擬唐。     偶成の詩の 唐に擬ふるを。

          (中華新韻十唐平仄両用の押韻)



<解説>

 「忙中醉」は実は、最近私が好んで詠んでいる短詩のひとつ「十八字令」です。
 十八字に詠む詞には「閑中好」がありますが、「閑中好」のことを考えていて、ふと、人間いつも閑とは限らない、と思いました。
 そして「多忙」の二字が頭に浮かび、煙草の火を消して家に入り、一気呵成に書きあげたのが上掲の拙作です。
 この作、とても気に入っています。
 「閑中好」がすでにあるのに、それとは別の詞体をあえて作る、
 その理由として「人間いつも閑とは限らない」この説明には、
とても説得力があるからです。
 そこで、私は、私が詠む十八令で過度の飲酒を題とするものは「忙中醉」と呼ぶことにしました。

 さて、「十八字令(又名 忙中醉)」の譜、私は次のように考えています。

 1 平声を主押韻とする場合
  △平,▲仄,△○▲●平。△平,▲仄,△○▲●平。

   2 仄声を主押韻とする場合
  ▲仄,△平,▲●○○仄。▲仄,△平,▲●○○仄。

 上記譜で五字句は律句であればよいと思っています。



<感想>

 前作の「馳志裁詩投硯池」を拝見した時にも思いましたが、この平仄両用韻は面白いですね。
 今回は「ang」の韻で揃えていらっしゃるのですが、ピンインで並べて見ると

  duo mang2
  wu yang4
  tou xian chuo jiu shang1
  you yang2
  gao chang4
  ou cheng shi ni tang2
    ※韻字の最後の数字は四声

 「閑中好」に対して「忙中酔」と洒落たところも面白く、さて、この詩譜でどんな詩が展開していくのか、楽しみですね。



2015.10.14                  by 桐山人


























 2015年の投稿詩 第247作は 紫陌青猫 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-247

  謹倣石倉先生十八字令 秋吟        

苔皺,          苔 皺めき,

露稠,          露 稠(おお)く,

東籬菊正秀。     東籬の菊 まさに秀なり。

醇酒,          醇酒,

紓憂,          憂ひを紓(ゆる)めるに,

不妨泥盞旧。     泥盞 旧(ふる)くとも不妨(おかまいなし)。

          (中華新韻七尤平仄両用の押韻)



<解説>

 鮟鱇です。私が提案する「十八字令」の詞譜(曲譜)を用い、中国人の詩友紫陌青猫さんが一首詠んでくれました。
 「十八字令」が新しい定型として定着するにはまだまだですが、
 千里の道も一歩から、その二歩目を紫陌青猫さんに踏んでもらえたことがとてもうれしく、
 皆さんにも紹介させていただきたく、私の解説を交え代理投稿させていただきます。

 紫陌青猫さんの「秋吟」、菊と酒を配し、陶潜の意境が彷彿とするとても美しいし、素晴らしい作品ですが、
 同時に、わたしたちにはあまりなじみのない詩語が使われており、味わいがあります。

 まず、苔皺、とても美しい表現だと思います。
 皺は日本語では「しわ」と読んでしまい、体の皺を思ってしまうので、日本の漢詩人にはなかなか使えないのですが、
 皺という言葉は、さざ波が波立つ様子にも使うことができます。
 紫陌青猫さんの苔皺、苔がさざなみの立つごとくに青々としている情景が眼に浮かびます。

 また、紓憂の紓字。緩和する、解除する、という意味ですが、音が舒服の舒と同音、酒を酌めば憂いが解け
 心が愉快になる という様子を的確に表現する動詞に思えます。

 そして泥盞。
 泥のような色あいの粗末な陶器の盞(小さな杯)。
 泥の字に、不妨泥醉(泥酔するもおかまいないし)という響きもこめられているようで趣があります。

   新しい詩体の提案、それだけではその詩体が定型詩として広く定着するものではありません。
 紫陌青猫さんのこの作品のような佳作があってはじめて、よし、私も作ってみよう、と多くの人に思ってもらえ
 定型詩として広く定着していくのだと思います。
 私は、「十八字令」例の提案者として、紫陌青猫さんがこの素晴らしい作品を詠んでくれたことに、とても感謝しています。

 さて、「十八字令」の譜、私は次のように考えています。

 1 平声を主押韻とする場合
  △平,▲仄,△○▲●平。△平,▲仄,△○▲●平。

   2 仄声を主押韻とする場合
  ▲仄,△平,▲●○○仄。▲仄,△平,▲●○○仄。

 上記譜で五字句は律句であればよいと思っています。
 紫陌青猫さんの作品は、2の譜によっています。



<感想>

 前作の鮟鱇さんの作品の感想から、狙いすましたような並びの掲載になりましたが、勿論、意図的な順番です。

 鮟鱇さんの提案された型式が、他の方にも使い得るものだという証明ですね。
 この後、まだまだ掲載予定がありますので、皆さんお楽しみにしてください。

 鮟鱇さんの素晴らしい解説に付け加えることはありませんが、「苔皺」がとても心に残りましたので、私なりに七五調で訳してみました。

  青める苔は波打ちて
  軒端(のきは)に置ける露しとど
  籬の菊ぞ盛りなる
  古杯(つき)に酌む旨酒に
  浮き世の憂さも離(か)れ果てぬ
  いそぎ参らす秋の夕暮れ
   ※「いそぎ」は「急ぎ」と「支度」を懸ける



2015. 9.15                  by 桐山人


























 2015年の投稿詩 第248作は 紫陌青猫 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-248

  石倉十八字令・秋吟(二)         

菊媚,          菊 媚(みめよ)く,

柳垂,          柳 垂れて,

迎三秋月桂。     迎へり 三秋の月桂。

瓜脆,          瓜 脆(うれ)て,

鱸肥,          鱸(すずき)は肥(あぶらがの)り,

恰低吟淺醉。     恰(ほど)よし 低吟し淺醉するに。。

          (中華新韻七尤平仄両用の押韻)



<解説>

 鮟鱇です。私が提案する「十八字令」の詞譜(曲譜)を用い、中国人の詩友紫陌青猫さんが、さらに一首詠んでくれました。
 皆さんに紹介させていただきたく、私の解説を交え代理投稿させていただきます。

 紫陌青猫さんの「秋吟」(二)、すごい作品です。どこがすごいか というと

 1 詞の内容。この点については、余計な解説は不要かと思います。

 2 「十八字令」を「石倉十八字令」とされていること。
   実は一七三七字に作る「十八字令」は中国の詩人たちによってすでに詠まれているので、
  それとは区別できる名前にした方がよい、ということで「石倉十八字令」
。    「石倉」は私の姓です。しかし、中国の人からみれば、浙江省松陽県石倉村の石倉ではないかと思います。
   石倉村は、完全な状態の明清の土地契約・民間文書や万暦以来の明清古建築を留めることにより、
  学術界・建築界から注目を集めている(以上 亜東書店の書籍案内から)とのこと。
   そうであれば、「石倉十八字令」は、その石倉村で新たに発見された詞譜(曲譜)のようでもあるし、
  また、普通話での発音が、詩倉、詩蔵にも通じるので面白い。
   そこで、私が提案する二二五二二五型「十八字令」は、今後、石倉十八字令と呼ぶことにします。

 3 紫陌青猫さんが、五字句を上二下三ではなく、上一下四に詠んでいること。

  私が作詩上、特にすごいと思うのは 3です。
  上一下四は、詞曲でよく用いられる句法ですが、私が提唱する十八字令の別体が早くも誕生したからです。
  今のところは、上二下三と上一下四、甲乙つけがたくどちらもよい、ということにしておきたいのですが、
  将来、多くの人が「石倉十八字令」を詠むようになれば、上一下四の方がよい、となってしまうかもしれません。
  上一下四型で詠むと、二二五字を、その実、二二一二二、一を挟んで左右対照に詠むことになり、
  そこが面白いように思います。

 なお、「石倉十八字令」の譜は、

 1 平声を主押韻とする場合
  △平,▲仄,△○▲●平。△平,▲仄,△○▲●平。

   2 仄声を主押韻とする場合
  ▲仄,△平,▲●○○仄。▲仄,△平,▲●○○仄。

 上記譜で五字句は律句、あるいは上一下四の五字句であればよいと思っています。
 紫陌青猫さんの作品は、2の譜により、五字句を上一下四に詠んでいます。

<感想>

 近体詩の感覚で行くと、「上一下四」の特に「下四」は斬新ですね。
 「詞曲でよく用いられる」とのことですが、口語的な要素があるのでしょうか。

 「石倉十八字令」の命名は納得ですね。
 鮟鱇さんの創作力(敢えて「力」と付けましたが)は誰もが賛嘆、驚嘆するものです。
 広範な詩体への取り組みの中から熟成を経て新しい形式が生まれる、それは通常ですと、優れた詩人の集団があって、その中で時間を掛けて為されるものでしょう。
 現代の日本という、漢詩としての条件はかなり悪い環境の中で、鮟鱇さんのこれまでの独自の歩みには、これから共鳴し賛同する方も増えていくと思いますよ。



2015. 9.15                  by 桐山人



鮟鱇さんから、私の書きました「詞曲でよく用いられる」とのことですが、口語的な要素があるのでしょうかという疑問に対して、お返事をいただきました。
 上一下四の五字句について補足します。

 絶句・律詩では、句は五言、七言と決まっていますが、詞では一字句〜九字句(九字句より長いものもありますが、少ない)の長短句を織りなします。
 詩との比較でいえば、四字句、六字句を基調するものがかなり多いです。

 詩は五言であれば二・三、七言であれば四・三、つまりは、下三字(二一あるいは一二)という奇数で切れます。
 これに対し、詞の四字句(二・二)、六字句(二・二・二)は句末の二字の切れが弱く、その不足を補うようにして次の句へつながっていきます。
 特に四字句は、連綿と続いていく感じで、そこが詞の妙味でもあるのですが、どう収束すればよいか、という問題があります。

 そこで考案されたのが、五字句の末句を上一下四に作る句法ではないか、と思えます。
 七字句を末句を上三下四にするのも同様の句法。
 連綿たる偶数字句の連続を断つようにして上一、上三の奇数字の句読を挿入することで、下四をそれまでの叙情の余韻として響かせる、そういう働きが生まれるように思います。

 これは、詩にはない詞の味わいです。

 なお、上一下四、上三下四の句法は、どちらかといえば長い詞で多用されます。
 長い詞は、偶数字句、特に四字句を多用するので、上一下四、上三下四の句法がそれになじむからではないかと私は思っています。
 ただ、短い詞でも上一下四は用いられていいますので、例として挙げておきます。

 1 醉太平

     醉太平  劉過(1154年−1206年)

   情高意真,眉長鬢青。小楼明月調箏,写春風数声。
   思君憶君,魂牽夢縈。翠綃香暖銀屏,更那堪酒醒!

   醉太平 詞譜・雙調38字,前後段各四句四平韻 劉過

  ○○●平,○○●平。▲○△●○平,●○○●平(一四)。
  △○●平,△○●平。▲○△●○平,●▲○●平(一四)。


 2 清商怨

      清商怨  晏殊(991年−1055年)

   關河愁裏望處滿,漸素秋向晩。雁過南雲,行人回涙眼。
   雙鸞衾裯悔展,夜又永、枕孤人遠。夢未成歸,梅花聞塞管。

   清商怨 詞譜・雙調43字,前後段各四句,三仄韻 晏殊

  ○○○●▲▲仄,●▲○▲仄(一四)。▲●○○,△○△▲仄。
  △△△△▲仄,●▲▲、▲△△仄。●●○○,○○○●仄。

2015.10.17       by 鮟鱇

























 2015年の投稿詩 第249作は 桐山堂刈谷のM.O さんの作品です。
 

作品番号 2015-249

  春日郊行        

泉石雲流爽氣清   泉石 雲流れ 爽気清し

香風駘蕩道中平   香風 駘蕩 道中平らかなり

遊人小憩澗溪徑   遊人 小憩 澗渓の径

満目桃林舞玉英   満目の桃林 玉英舞ふ

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 私の刈谷での漢詩講座の受講生であるM.Oさんの詩ですが、載せましたのは最終完成稿です。
 この詩については、完成までに三度推敲を重ねました。
 皆さんの参考に、私が添えた感想も一緒に、推敲の流れをご紹介しましょう。

[初稿]
  春日郊行
 満目桃林百囀声   満目の桃林 百囀の声
 黛螺新樹緑陰清   黛螺 新樹 緑陰清し
 暄風片片花絨毯   風暄 片片と花絨毯
 路傍芳菲歩歩軽   路傍の芳菲 歩歩軽し

 「春日郊行」という題ですが、承句に出したものはどれも初夏を感じさせるものばかりで、この句だけが季節外れという感じです。
 空気が澄んで遠くに青青とした山が見えた、ということでしょうが、通常ならば靄に霞む山をイメージしますので、それを否定するためには、今日は特別ということを表すことが必要でしょう。

 また、「桃」「新樹」「緑陰」「花絨毯」「芳菲」と、植物がどの句にも入っているのは単調な感じがします。
 「郊行」という詩題からは仕方ないかもしれませんが、何か他のものとか動きを入れるような工夫も欲しいですね。

 起句の「満目桃林百囀声」を結句に持ってくるような形で、全体を検討してみるとよいでしょう。

[再敲作]
  春日郊行
 泉石綿綿爽氣清   泉石 綿綿として 爽気清し
 雲流駘蕩道中平   雲流れ 駘蕩 道中平らかなり
 香風片片花絨毯   香風 片片と花絨毯
 満目桃林百囀声   満目の桃林 百囀の声

 「綿綿」はどういう意味で使ったのでしょうか。「長く続く」という意味が主ですが、それだと「爽気清」に繋がっていかないので悩みます。
 「静か」という意味もあります。ただ、それなら他にも似た言葉があるので、わざわざこの言葉を使う必要はないですね。

 「泉石」が山水の自然を表しますので、こちらに承句の「雲流」を持ってきてもまとまります。

 また、承句に「駘蕩」を置くならば、「香風」を持ってきた方が良く、「香風」が転句に残ると「風がひらひら」という変な形容になります。
 その「片片」は下の「花」に懸かっていくわけですが、「駘蕩」があるのに風がどうしてここにあるのか、という気になります。

 転句は前回のままですが、「満目桃林」が直後に来ましたので、「花絨毯」が気になりますね。これは桃の花が散り敷いたのでしょうか。どうも言葉がかぶっているような感じがします。

 結句の「桃林」を残すなら、同じ花を出している転句の下五字を検討する、逆に転句を残すなら「桃林」を検討する形でしょうね。

[再再敲作]
  春日郊行
 泉石雲流爽氣清   泉石 雲流れ 爽気清し
 香風駘蕩道中平   香風 駘蕩 道中平らかなり
遊人小憩行厨味   遊人 小憩 行厨味わふ
 満目桃林鳥送迎   満目の桃林 鳥送迎す

 うーん、結句の「鳥送迎」はあまり面白みが無いですね。せっかくの「満目桃林」ですので、やはり花が舞うような様子が良いです。

 転句は「行厨味」では、景色を味わうことから別の味わいに移ってしまいますので、良くないです。

 最終稿では、鮮やかな景色で句を収めることができたと思います。
 粘り強く推敲を重ねた結果ですね。



2015.10.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第250作は 桐山堂刈谷のM.O さんからの作品です。
 

作品番号 2015-250

  姉七十七歳祝        

波瀾萬丈是人生   波瀾万丈 是れ人生

今者優游自適成   今者 優游 自適成る

賀曲祝觴長壽宴   賀曲 祝觴 長寿の宴

慈孫滿座笑顏明   慈孫 満座 笑顔明かし

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 もう一首、M.Oさんの詩で、推敲の過程がよく見えるものをご紹介します。

[初稿]
  姉七十七歳祝
 波瀾萬丈鬢毛更   波瀾万丈 鬢毛更はる
 康健安居大姐明   康健安居 大姐明るし
 喜壽祝觴期百歳   喜寿の祝觴 百歳を期す
 芳筵笑語樂餘生   芳筵 笑語 余生を楽しむ

 起句はこれまでの人生、承句は現在の姿、ということですが、急に「康健安居」と来てもピンと来ないので、こちらは現在だ、ということを示す必要があります。
 また、「鬢毛更」は年をとったことを表しますが、直接「波瀾万丈」のせいではなく、そうした大変な人生を経てきたからのこと、そうなると、「波瀾万丈是人生」としておいて、髪の色は現在のことですので承句に持って行く形が考えられますね。
 あるいは、「波瀾歳月鬢毛更」と収める方法もありますが、どちらにしても同字重出になりますので、後半を直す必要がありますね。

 転句の「喜寿」は和語ですが、「壽を喜び」と訓じれば良いでしょう。ただ、どうしても入れる必要はあまり感じませんので、逆に題名に持って行った方が良いように思います。
「賀曲祝觴長壽宴」という感じでしょうか。

 結句は、「子どもや孫に囲まれて」というように「芳筵」を「児孫」にして、全体を検討してはどうでしょう。

[再敲作]
  姉七十七歳祝
 波瀾萬丈是人生  波瀾万丈 是れ人生
 今者優游自適成  今者 優游 自適成る
 賀曲祝觴長壽宴  賀曲 祝觴 長寿の宴
 兒孫談笑坐深更  児孫と談笑 深更に坐す

 風景を詠む詩に較べて、こうした祝賀の詩は言葉を選ぶのに難しいですね。

 全体にまとまりましたが、最後の「坐深更」が弱いですね。
 また、「児孫」が出ていると小さな子どもが居ることを想像しますので、そんな小さな子どもが「深更」まで起きているのは違和感がありますね。
「児孫満座笑顔明」という感じでしょうか。




2015.10.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第251作は 桐山堂刈谷の眞海 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-251

  賞長谷寺牡丹花        

薫風一路逐風光   薫風一路 風光を逐ふ

空翠名花初瀬方   空翠 名花 初瀬の方

紅白牡丹豊艶態   紅白の牡丹 豊艶の態

登廊佇立醉芬香   登廊に佇立すれば芬香に酔ふ

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 眞海さんの詩も、やはり推敲の過程を見ていただきましょう。
 掲載しましたのは推敲作です。

[初稿作]
  賞長谷寺牡丹花
 宮樓富貴漾僧堂   宮楼の富貴 僧堂に漾ひ
 紅白丹黄誇艶粧   紅白丹黄 艶粧を誇る
 爛漫花王初瀬寺   爛漫たり 花王 初瀬の寺
 登廊佇立醉幽香   登廊に佇立すれば幽香に酔ふ

 全体に冒韻が多いですね。「楼・黄・王・廊」と韻字以外にも全部の句に入っているのは、ちょっと多すぎかなと思います。

 起句の「宮楼」と「僧堂」は重複というより、違いが分からないという感じです。
 実際の場面では距離感もあるのでしょうが、この句だけでは判断がつきません。
 結局、楼の所から僧堂まで牡丹の花が咲いているということですかね。「漾」がありますから、花そのものよりも香りが立っているという感じでしょうか。
 香りは結句にでますので、ここは長谷寺の様子や天候を描いてはどうでしょう。

 牡丹の花の様子が承句と転句に置かれていますが、これはバランスが良くないです。
 「誇艶粧」と「爛漫」も重なっていますので、前半は長谷寺のことを言っておいて、転句から牡丹に入るのが展開としては良いですね。
 私なら転句を「紅白牡丹豊艶態」でしょうか。「初瀬」は承句に置いても良いですね。

 「幽香」は牡丹の香りをぼかしますので、「芬香」「芳香」「清香」などが落ち着くでしょうね。

 上記のような私の感想を参考に、眞海さんが推敲をされたものが掲載作です。
 完成まではもう一歩という感じで、推敲作に添えた感想は以下のものでした。

 起句は「吟行」か「薫風」かですが、「吟行」ですと説明臭くなりますので、「薫風」で良いでしょう。

 承句は「初瀬」を出していますので、「名花」は邪魔ですね。転句の描写も甘くなります。
 「古園」「名庭」ではどうでしょう。
 そうなると、「空翠」がどうか、というところですので、「訪至(訪ね至る)名庭」という感じでしょうか。

 後半は良いと思います。




2015.10.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第252作は 桐山堂刈谷のM.T さんからの作品です。
 

作品番号 2015-252

  祝孫入学        

山村四月満開桜   山村 四月 満開の桜

入学愛孫祝賀盈   入学 愛孫 祝賀盈つ

不願英賢願心健   英賢を願はず 心健やかなるを願ふ

歓談寄膝笑顔膨   歓談 膝を寄すれば 笑顔膨らむ

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 転句からは、お孫さんへの愛情がにじみ出てきますね。
 勿論、賢くはあって欲しいわけですが、それ以上に、心の健康を願うというのは、私も孫を持つ身として共感できます。

 結句からは、家族皆で入学を喜び、祝う様子がうかがわれ、ご家庭の温かい雰囲気が伝わってきます。



2015.10.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第253作は 桐山堂刈谷の勝江 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-253

  秋海        

高天水郭記曾遊   高天 水郭 曽遊を記す

四顧潮音動客愁   四顧 潮音 客愁を動かす

夕暮沙鷗何處去   夕暮 沙鴎 何処に去る

流光千里海風秋   流光 千里 海風の秋

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 勝江さんはしばらく体調を崩されて、刈谷の講座の受講も今年度は取りやめていました。
 久しぶりにお手紙をいただき、「十ケ月入院していましたが、退院し、最近ようやく漢詩を創ろうという気持ちが出ました」とのお言葉、安心をしました。

 何よりも、近況報告に漢詩を使って下さったことがとても嬉しく、詩を紹介させていただきました。

 以下は私が返信に添えた感想です。


 題名は「秋海」だけでは物足りないので、「秋日海浜」「秋日水村」「秋日海遊」などがよいですね。

 起句は「記曾遊」ですとややわかりにくいので、「改曽遊」として、以前来た場所にまた来た、という趣を出します。

 承句、転句はよく分かる良い句です。

 結句は「流光千里」が伝わりにくい表現ですね。「千里」がスケールが大きすぎるのと、「流光」が「千里」というのもピンと来ません。
 「沙鴎」がどこかに行ったならば、対応として、詩人はどこで何しているのかが欲しいところ。今回は病床から戻ったということも含めて行くと、「復看好景海風悠」としてはどうでしょうか。「秋」は起句で「高天」とありますのでもう伝わっていると判断しました。

 ただ、十ヶ月の闘病生活を意識して、「秋という季節にまた逢えた」という気持ちを入れるなら、「海風秋」のままでも良いでしょう。
 その場合には、読み方を「海風の秋」とすると意図がはっきりしますね。




2015.10.15                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第254作は 地球人 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-254

  秋来詩作        

幽人客裏繞村嬉   幽人 客裏 村を繞りて楽しむ

多彩花間吟歩遅   多彩 花間 吟歩遅し

雲尽藍天秋興好   雲尽き 藍天 秋興好し

漸成詩就喜無涯   漸成 詩就て 喜び涯り無し

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 秋になり。気候がよくなったので、詩を作ってみようかといった状況を描いてみました。

<感想>

 秋の爽やかな気配を表したいという気持ちがよく出ていていますね。

 若干気になるところで言えば、起句の「幽人」は「世を離れてひっそりと暮らしている人」ですが、これは次の「客」、つまり「家を離れている人(状態)」という言葉と重なって、どうもすっきりしません。
 わざわざ「幽人」と言う必要があるのだろうか、という疑問を持ちつつ続きを見ていくと、
 承句は「花間」ですので「花がいっぱい」ということは分かるので「多彩」はどうか
 転句は「藍天」と秋空を表していますので「雲尽」は無くても良いし、
 結句も「成」「就」は同意で、結局、どの句も上二字と中二字が似通ったことを繰り返しているように感じます。

 乱暴なことを言えば、いっそのこと五言絶句にして上二字を全部削っても詩意は伝わるし、簡潔な描写が生きてくるように思います。
 四句の上二字、合計八文字ありますので、情報は沢山入ります。素材を吟味して、残すものは残し、新しいものを入れると、描く景色がまた変わってくると思います。

 その他では、「嬉」「好」「喜」の似た感情語が三度出てくるのも気になりますね。
 後半の二つにして、起句の下三字は、景色を表す形にした方が良いでしょう。



2015.10.21                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第255作は 調布T.N さんからの作品です。
 

作品番号 2015-255

  和歌山城懐古        

虎城白壁映蒼天   虎城の白壁 蒼天に映ず

栄得親藩三百年   栄得たり 親藩三百年

一転興亡戊辰役   一転の興亡 戊辰の役

往時隆盛澹如煙   往時の隆盛 澹として煙の如し

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 紀州和歌山藩は徳川御三家の一つとして、格式も高く栄えてきたが、明治維新に至り一朝にして凋落。
 旧藩士も零落す。
 銚子我が高祖父もその一人なり。

<感想>

 調布T.Nさんも旧藩士のお家柄だったのですね。

 お気持ちとして、ご先祖の不運を歎きたいのは分かりますが、和歌山城を目の前にしての感懐としてはどうでしょうか。
 城が跡形もなく消えてしまって、土台くらいしか残っていないと言うのなら「往時隆盛澹如煙」もそれなりに共感できますが、「虎城白壁映蒼天」と起句では美しさを誇っているわけで、そうするとここでの歎きは「私のご先祖が落ちぶれてしまった」という個人的な恨みになりそうです。

 転句の「一転」を「変転」としておくと、結句の「往時隆盛」の上四字を残して、その名残が今でも残っているという形に出来るでしょう。
 和歌山にお住まいの方にとっても、「今は跡形も無い」と言うよりも「栄華の後が残っている」とした方が共感できるでしょうね。
 「下平声一先」でしたら、韻字も多いので、変更しやすいと思います。



2015.10.25                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第256作は 調布T.N さんからの作品です。
 

作品番号 2015-256

  小田原城懐古        

昔時名将拠當城   昔時の名将当城に拠り

制覇八州為太平   八州を制覇して太平を為す

一転興亡天正陣   一転の興亡天正の陣

路傍墓石促詩情   路傍の墓石詩情を促す

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 熱海からの帰途小田原を訪ね、市中の一角に「前相州刺史墓」と刻銘有る北条四代氏政のわびしい墓石あり。
 早雲、氏綱、氏康と三代の名将の覇権の跡を小田原に観る。

<感想>

 前作もそうですが、かつての栄華と現状の対比を描くのに、「一転興亡」で済ますのはやや安直な感じがしますね。
 北条氏としては最大の領土を誇った氏政が何故亡んだのか、そこに到るには数多くのドラマが積み重なっていた筈ですが、そこをあっさり「一転興亡」で片付け、「今では墓石」と言われると、どんな「詩情」が湧いたのか、なかなか共感できません。

 歴史の狭間に埋もれていった人物や事物にどんな照明を当てるか、何事もなければ「太平」を保っていた筈ですから、「興亡」が起きたからには何か事情があった筈、そこを詩では描いて欲しいです。
 七言絶句ですので表現できることには限界がありますが、氏政の墓石を見たということでしたら、彼に対しての批判なり再評価なり、作者自身の思いが出ると詩としてまとまると思います。
 



2015.10.25                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第257作は愛知県武豊町にお住まいの 酔竹 さんからの、初めての投稿作品です。
 

作品番号 2015-257

  初秋即事        

夜半颱風斷暑痕   夜半の颱風 暑痕を断ち

一朝日色照田園   一朝 日色 田園を照らす

閑人散歩新涼裏   閑人 散歩す 新涼の裏

秋入家家農事繁   秋は家家に入りて 農事繁たり

          (上平声「十三元」の押韻)



<感想>

 酔竹さんは、私の地元の知多半島にお住まいの方で、私の本をお読みになり、独学で漢詩の規則を勉強して作詩されたそうです。

 最初にいただいた時点では、起句の「颱風」が「暴風」になっていたため、「四字目の孤平」になっていましたので、その一点だけ「颱風」に直していただきましたが、他は平仄も整っていて、よく勉強なさっていることが分かります。

 承句の「一朝」は、「早朝」の意味で「夜半」に対応させるつもりでお使いになったようですが、「一」は時間の短さを表します言葉、わざわざ「今日のこの朝早く」と言うと、後半がぼやけてきます。
 前半はこれで完結させるように、時間経過が出るように、「朝来」とか「今朝」とするとまとまるでしょう。

 転句はこれで悪くは無いですが、「閑人」と入れるのは「私は」と言っているのと同じで、一人称を用いています。必要がなければあまり使わない方が良いですね。
 詩としては、ここに「一朝」と入れると「今日の朝」というニュアンスが強調されますので、「一朝散歩新涼裏」がリズムも良いように思います。

 結句は「秋は家家にやって来て、家家は農事に忙しい」という形で、「家家」が目的語であると共に、主語にもなっているという構文で、工夫されたところでしょうね。
 狙いは分かりますが、逆に言えば、二つの役割がある分、意味をつかみにくい欠点もあります。
 短歌や俳句では常套の手法ですが、漢詩では句の意味がすっきりしていることが大切です。

 結句については、「災去家家農事繁(災い去り家々農事繁し)」とも考えられたそうですが、「災」は「台風」のことのようですね。
 詩を読み返してみると、台風のことは承句や転句の導入に過ぎず、詩としては「台風の後の穏やかで爽やかな風景」をいう中の二句が中心となっています。
 今さら台風を思い出しても、もう読者の心は忘れてしまっているわけで、「一体、何の災いだろうか?」と悩んでしまいます。
 ここは「九月家家農事繁」と流れていった方が印象深くなるでしょうね。



2015.10.27                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第258作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-258

  偶成        

性本頑愚自不群   性本頑愚 自から群ぜず

関身塵事似浮雲   身に関わる塵事 浮雲の似し

閑居最好薫風下   閑居最も好きは 薫風の下

凭几抄他傲吏文   几に凭り抄せんとす 他の傲吏の文

          (上平声「十二文」の押韻)



<感想>

 結句の「傲吏」は「威張った役人」という意味もありますが、ここでは謝斧さんのお好きな荘子のことですね。

 荘子が威張っていたということではなく、彼が役人をしていた時に、楚王が彼を宰相として迎えようと多くの財物を用意して使者を送ってきたのですが、荘子は笑って答えたそうです。
 「祭りの生け贄になる牛は、数年の間は大切に育てられるが、やがては犠牲になる。その時になって、牛ではなく誰にも構ってもらえない豚の方が良かったと思っても、どうにもならないのだよ。
 宰相の地位という餌をぶらさげて釣ろうとするなど、私の心を汚すな」と追い払いました。
  (『史記』「老子韓非子列伝」)
 金銭や待遇で心を動かさない、「傲」は「威張る」でなく「誇り高い」ということを表していると思います。

 謝斧さんの望む生活も、世間の評価、地位や金銭などとは離れたもの、そんな想いが出ている言葉ですね。



2015.10.28                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第259作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-259

  酔翁相斟月下杯        

秋冷星河近   秋冷ややかにして星河近し

天邊月白晶   天辺 月白晶らかなり

相斟坐終夜   相斟んで坐すこと終夜

不覚槖中軽   覚えず 槖(たく)中の軽きを

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 数日来の見事な名月に誘われました。

<感想>

 今年は月の美しい夜が多いようで、空が澄んでいるのでしょうか。
 夕方に散歩していても、空気の爽やかさとともに、月の美しさに目を見張りますね。

 起句の「星河近」で「星がきれいだなぁ」と思っていると、やがて月も上ってきて、空が明るく見えるのでしょう。
 星と月は同時には見られないので、その辺りで時間経過を出しているのでしょうね。

 転句は「相斟」ですので、誰かご友人と一緒なのでしょうか。一人ならば「独斟」としておくところです。
 どちらにしても、風雅な夜ですので、結句の「槖中軽」ときて、ふところ具合のことを出すのは味わいが消えますね。
 「不覚」だから、気にしていないのだと思うかも知れませんが、意識の中に「槖中」があるから出てくる言葉で、言葉としても出さない方が良いですね。
 何を「不覚」とするか、ということでは、他にも色々と考えられると思いますので、検討されると良いでしょう。



2015.10.29                  by 桐山人


芳原さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、懇切なご指導頂きありがとうございます。
感謝とお礼申し上げます。

「酔翁相斟月下杯」の転句と結句を次のように改めました。

転句 「相斟坐終夜」⇒「相斟吹一曲」   相斟んで一曲を吹く
結句 「不覚槖中軽」⇒「不覚至三更」   覚えず三更に至る

ありがとうございました。

2015.11.15         by 芳原
























 2015年の投稿詩 第260作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-260

  題烏江亭     烏江亭に題す   

後宮誰最䘏   後宮 誰最も䘏(あは)れ、

垓下想花顔   垓下にて花顔を想ふ。

策略乾坤博   策略 乾坤の博、

闘争楚漢間   闘争 楚漢の間。

和歌虞妃舞   歌に和す 虞妃の舞、

誘涙項王艱   涙を誘ふ 項王の艱。

渡水江東近   渡水 江東近し、

孤舟不敢還   孤舟 敢へて還らず。

          (上平声「十五刪」の押韻)



<解説>

 ご存知、四面楚歌の場面。行ったことも無い烏江亭に思いをはせながら、かきました。

<感想>

 凌雲さんの五言律詩、「四面楚歌」から「項王最期」まで、『史記』の名場面ですね。
 高校の教科書にも採録されることが多い箇所で、私もつい先日、この部分を授業しました。時間の関係で、項羽が舟に乗ることを拒否し、自刎するところまでは扱えなかったのですが、結末だけ口で伝えると、生徒も何か感じるところはあったようです。

 「題烏江亭」という題では、晩唐の杜牧の詩が有名です。

   題烏江亭   杜牧(晩唐)
 勝敗兵家事不期   勝敗は兵家 事期せず
 包羞忍恥是男児   羞を包み恥を忍ぶは是れ男児
 江東子弟多才俊   江東の子弟 才俊多し
 巻土重来未可知   巻土重来せば未だ知るべからず

[口語訳]
 勝敗は時の運、兵法家でも予期できるものではないのだから
 一時の恥は堪え忍ぶのが、これは男児というものだ。
 江東の若者はそもそもすぐれた者達ばかりなのだから、
 風が土を巻き上げるように再挙すれば、結果はどうなったかは分からないのに


 凌雲さんの今回の詩は、首聯では虞美人のことから詠い出していますが、頷聯では項羽の事績、頸聯でまた宴の場面に戻り、最後に烏江に到るという形で、場面の動きが大きく感じますね。
 有名な歴史の内容ですから理解はしますが、そこに寄りかかっているとも言えます。

 頷聯と頸聯の内容を入れ替えると前半のまとまりが出てくると思います。
 その場合、後半は、尾聯の項羽の最期に進むように、追い詰められていくことを描くと良いでしょうね。



2015.11. 5                  by 桐山人



凌雲さんからお返事をいただきました。

「江烏亭に題す」の解説についてですが、
 策略乾坤博、闘争楚漢間。は項羽の事績について触れたのでなく、漢の側の策略が一種の博打の様であったと、汲んで欲しかったのですが、拙い文章のためか伝わらなかった様なので、付け加えさせていただきます。

 楚間の戦いの過程で、後に平国侯に取り立てられた、公侯を項羽の元に派遣して、停戦協定を結ぶ場面が在ったとおもいますが、後に其れを反故にして項羽をだまし討ちにして漢軍は楚軍を攻め、項羽は敗走し四面楚歌になったようです。〔史実は藪の中だと思いますが〕。
 漢の幕僚だった張良か陳平が建てた策略だと思われますが・・・・・司馬遼太郎の項羽と劉邦位しか読んでませんが・・・・・其策略を文字道理、乾坤一擲の大博打であったと読んだつもりです。
 そうしてみると此の詩の味わいも少し変わるかな〜

 ちなみに孫子の兵法によると兵は詭道なりと言う言葉もあったとおもいます。

2015.11. 8              by 凌雲

 「博」は博打でしたか。広い台地を表しているのかと思っていました。
 表現としてはやや苦しいかな、という感じはしますが、項羽の事績ではなく漢の策略ということで読み返して見ました。
 「乾坤一擲の大ばくち」ということで見ると、次の句の「闘争楚漢間」がのんびりした印象で弱すぎます。
 順序を入れ替えて、

   楚漢闘争久
   乾坤策略環

 とした方が、流れとして盛り上がるでしょう。

 「闘争」を「権謀」としても良いでしょうね。

2015.11.10              by 桐山人























 2015年の投稿詩 第261作は 陳 興 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-261

  石倉十八字令・秋日偶題          

無寐,          寐(ねむ)るなく,

夢回,          夢は回り,

秋深紅葉醉。     秋深く紅葉に醉ふ。

花蕊,          花の蕊,

雲飛,          雲へ飛ぶ,

旅思明月會。     旅の思ひ 明月に會ふ。

          (中華新韻五微平仄両用の押韻)



<解説>

 鮟鱇です。私が提案する「石倉十八字令(紫陌青猫さんの命名)」の詞譜(曲譜)を用い、紫陌青猫さんに続き、陳興さんも一首詠んでくれました。
 皆さんに紹介させていただきたく、私の解説を交え代理投稿させていただきます。

 陳興さんの玉作、後半の三句「花蕊,雲飛。旅思明月會。」の解釈が少し難しいです。
 前半に無寐,夢回とありますので、半夢半醒の状態で思う花蕊、ここは女性の心ではないか と思います。
 末句「旅思明月會」からも遠く離れている女性、つまりは恋人とか妻であることかと思われます。
 そこで、「花蕊,雲飛」は、「花蕊,雲飛ぶ。」ではなく、「花蕊,雲へ飛ぶ」と読み下し、  花蕊=女性の心が雲へ飛び、雲へ飛ぶ旅の思いと、明月のもと、飛びゆく雲のうえで会う という含み を持たせてみました。

 なお、「石倉十八字令」の譜は、

 1 平声を主押韻とする場合
  △平,▲仄,△○▲●平。△平,▲仄,△○▲●平。

   2 仄声を主押韻とする場合
  ▲仄,△平,▲●○○仄。▲仄,△平,▲●○○仄。



<感想>

 鮟鱇さんの提唱された「十八字令」、やはり中国の方には入りやすいのでしょうね。

 新しい文学のスタイルを作ることは、日本では、江戸の口語文学、明治の言文一致文など、時代そのものが変化する中で生まれてきました。
 漢詩では、何百年も伝統的な「漢詩」の枠内で過ごしてきていますので、新形式で漢詩を書くという発想自体が難しいこと。

 誰もが作れるということではないでしょうが、次の一地清愁さんの作品と併せて、ご紹介をしましょう。



2015.11. 7                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第262作は 一地清愁 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-262

  石倉十八字令・三 首          

        一 

春雨,          春の雨,

輕吁,          輕く ああ,

階前滴碎句。     階前に滴りて句を碎く。

花絮,          花の絮(わた),

沾衣,          沾(しめ)りたる衣に,

微風拂不去。     微風 拂ひ去りえず。

          (中華新韻十二斉平仄両用の押韻)

        二 

雲淡,          雲淡く,

風閑,          風閑かに,

西池秋已半。     西の池に秋すでに半ば。

藕斷,          藕(蓮根)斷たるるも,

絲連,          絲は連なり,

温情留幾片。     温情 幾片かを留む。

          (中華新韻八寒平仄両用の押韻)

        三 

風定,          風定まり,

月明,          月明るく,

窗陰題小令。     窗陰に小令を題す。

幽徑,          幽徑に,

落英,          落ちる英(はな)

斯人悄入夢。     斯(ここ)に人 悄(しず)かに夢に入る。

          (中華新韻十一庚平仄両用の押韻)



<解説>

 鮟鱇です。私が提案する「石倉十八字令(紫陌青猫さんの命名)」の詞譜(曲譜)を用い、紫陌青猫さん、陳興さんに続き、一地清愁さんも三首詠んでくれました。
 皆さんに紹介させていただきたく、私の解説を交え代理投稿させていただきます。

 一地清愁さんには、婉約で余情嫋嫋たる詞の佳作が多く、その本領を発揮していただくには 二字句を重ねる「十八字令」は短すぎて、少々詠みづらかったのではないか、と思います。
 それでも

  花絮,沾衣,微風拂不去。
  藕斷,絲連,温情留幾片。
  幽徑,落英,斯人悄入夢。

 連作三首の後半は、清愁さんらしい美しい情理を詠まれています。

 これで「石倉十八字令」、中国の詩人三人に詠んでもらえました。
 新しい詞体を創り、提案することは中国では珍しいことではなく、「十八字令」も、「十六字令」一七三五字を一七五五字に作る詞体が提案されています。
 なお、中国詩詞の根幹である「韻律(押韻と平仄に関する規律)」依拠した新しい詩体の提案は、詩ではなく、すべて詞曲に分類されます。
   また、「石倉十八字令」の譜は、

 1 平声を主押韻とする場合
  △平,▲仄,△○▲●平。△平,▲仄,△○▲●平。

   2 仄声を主押韻とする場合
  ▲仄,△平,▲●○○仄。▲仄,△平,▲●○○仄。























 2015年の投稿詩 第263作は山口県にお住まいの 釈慧眼 さん、八十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2015-263

  寺芸術愉喫茶     寺で芸術(アート) 喫茶(カフェ)を愉しむ   

秋光木木輝朱黄   秋光木々は 朱(あか)黄(きい)に輝く

寺芸術愉茶喫場   寺は芸術(アート)と喫茶(カフェ) 愉しむ場

弾六絃琴心寥寥   六絃(ギター)と琴を弾ず 寥寥の心

奏吹管笛響経堂   吹管(リコーダー)と笛(オカリナ)の奏で 経堂に響く

初荒城月親鸞了   荒城の月に初まり親鸞に了はる

且写真書画覧相   且く写真と書画を相覧る

会了喫茶談不尽   会了はり喫茶(カフェ)で 談尽きず

老翁男女満堂廊   老翁 男女 堂と廊に満つ

          (下平声「七陽」の押韻)


  秋連なり 木々が朱や黄に輝く昼のひと時。
    お寺でアート&カフェに参加、異色の催しに感ありて詩を詠む。


「秋光」:秋の景色
「弾」:引く
「寥寥」:心うつろなる様
「覧相」:共に広く観る
「老翁」:私自身



<感想>

 初めての投稿をいただきました。
 釈慧眼さんは、八十代の後半とのことですが、「喫茶(カフェ)」「六弦(ギター)」など、現代の言葉をカタカナ語で漢詩に取り込んで読もうという試み、若々しいお気持ちが感じられます。
 入谷仙介先生が以前、『宋詩選』(朝日新聞社)の読み下しを出来るだけ和語を用いて書いておられましたことをふと思い出しました。
 お名前もすばらしく、お寺の方でしょうか。

 独学で漢詩を勉強された、ということですので、大変だったと思います。
 独りでは気付かない点もありますので、今後の推敲のご参考に、やや細かくなりますが、気の付いた点を書かせていただきます。

 まず、題名にも用いている「芸術」ですが、これは「藝術」と書きます。常用漢字では「藝」を「芸」に転用していますが、本来は別字。
 面倒でも、詩の本文(題も含めて)の方は「藝術」としないといけません(書き下し文は日本文ですので、現代の表記に従って「芸術」と書いても間違いにはなりません)。
 また、同様に、第一句に「木々」として投稿いただきましたが、「々」は記号で漢字ではありませんので、本文には使えませんので、私の方で直しました。
 以上は表記上の問題ですね。

 漢詩の規則で見ていくと、「喫」「茶」「了」「堂」の字が同字重出しています。これは、句中対など、特に強調効果を出す時以外は避けた方が良いですね。
 同字重出があるだけで、不注意と言われかねないからです。

 句を順番に見ていくと、第一句はこれでも良いですが、「木木」を「きぎ」と読んでいるのは日本語ですので、音読みすると「ぼくぼく」? あまり耳に馴染みませんので、「樹樹」とした方が良いですね。

 第二句は「寺芸術」は「寺の芸術」と読みますので、何のことか悩みますね。仏画とか仏像のことを指すのかと思いました。
 また、「芸術と喫茶を愉しむ」とするには、この語順では苦しく、「愉」を目的語の前に置く必要があります。
 「茶喫」は平仄の関係で入れ替えたのでしょうが、述語と目的語という構成の熟語を入れ替えると、「茶喫す」となって、文が通じなくなります。
 あくまでも中国古典(漢文)の文法に合わせなくては、読者が混乱してしまいますからね。
 ここは、例えば「古寺喫茶愉藝場」とすると、「茶を喫し藝を愉しむ場」という形になります。

 第三句は「六絃琴」が中国語でギターのことを表しますので、作者の意図である「ギターと琴」とは読んでもらえないでしょうね。
 ギターだけで我慢すれば、このままでも良いでしょうが、直すなら「琴韻六絃」、合わせて第四句も「壎声吹管」としてはどうでしょう。

 下三字も対にしないと対句になりませんので、「心寥寥」に対するのに「響洋洋」でしょうか。
 ただ、楽しく楽器を聞いていたのに、「心寥寥」は今一ピンと来ません。音色が悲しげだったのか、その辺りが説明が無いと苦しいですね。
 何か他の言葉を探した方が良いようにも思います。

 第五句は「荒城の月」の演奏から最後はお寺ですのでお経を読んだということですか。奇抜な表現で面白いと思いますが、「親鸞了」は「親鸞が終る」と読まれるでしょうから、「親鸞至」くらいが良いかも知れません。

 第六句の「且」は、ここは対句は無理ですので、句頭に置く必要はありませんね。
 「且」が頭にあると、目的語である「写真書画」が主語になってしまい、「覧」との流れがおかしくなります。今のままですが、読み下しは文法無視という感じで、良くないですね。
 七言の「二・二・三」のリズムを崩さず、「書画写真」と始めると、倒置法という形ですっきりします。

 「覧相」を「相覧る」と読むならば語順も「相覧」でないといけませんが、押韻のために持ってきたのでしょう。
 「覧相(相を覧る)」と「相覧(相覧る)」では意味が変わりますし、「相」の平仄も異なるはずです。
 「書画写真清雅昌」のように、「書画」や「写真」がどうだったのかを説明する形で検討されると良いですね。

 第七句は「了」の同字重出を避けますので「畢」に替えて「会畢香台談不尽」でしょうか。

 第八句は「老翁」は、わざわざここで作者が出てきても、何もせずにその他大勢の中ですので、あまり意味がありません。
 これは「一人称の使用」での注意事項と同じですね。
 作者と限定せずに、一般的な「老翁」と読むこともできますが、そうすると、次の「男女」との流れで、「老翁と男女」となり、男女とは別に「老翁」が居ることになります。
 お婆さんも居ただろう、と言われると困りますので、ここは「許多男女満堂廊」でどうでしょう。
 第四句で「堂」を残しているならば、下三字は「満長廊」でしょうか。

 長くなりましたが、せっかく律詩をお作りになりましたので、作品として完成させるお手伝いにという気持ちです。
 今回の詩に限らず、ご質問やご意見がありましたら、ご連絡下さい。



2015.11.8                  by 桐山人





釈慧眼さんからお返事をいただきました。

  寺喫茶愉藝術  寺で喫茶(カフェ)藝術(アート)を愉しむ
 秋光樹木輝朱黄   秋光樹木は 朱(あか)黄(きい)に輝く
 寺喫茶愉藝術場   寺は喫茶(カフェ)藝術(アート)を愉しむ場
 琴韻六絃欒聴者   琴と六絃(ギター)の韻(ひびき) 聴く者を欒(まど)かに
 壎音吹管響経堂   壎(オカリナ)と吹管(リコーダー)の音(ね) 経堂に響く
 荒城月従親鸞至   荒城の月従り親鸞へ至る
 書画写真機足忘   書画と写真 機忘るに足る
 軽食雅懐談不尽   軽食 雅懐の談(はなし)尽きず
 善男信女満院荘   善男信女 院荘に満つ

     (下平成「七陽」の押韻)

 秋連なり 樹木が朱や黄に輝く昼のひと時
   お寺でアート&カフェに参加、異色の催しに感ありて詩を詠む。

「秋光」 :秋の景色
「欒」  :人の集まりの平和なさま
「機足忘」:世俗を忘れるに十分
「雅懐」 :風流の心
「院荘」 :寺院


ご指摘の事項等訂正し、その他、自分なりに修正しました。
「雅号」は浄土真宗本願寺で帰敬式を受けた時に戴いた「法名」、企業を定年後、詩を弄(独習)す老翁。


 独習で取り組まれていること、大変だと思いますが、楽しく学んでいただければと思います。
気の付いた点だけ書かせていただきます。

 第二句は「二・二・三」のリズムが崩れていますが、「寺は茶を喫し 藝術を愉しむ場」と読んで、許容範囲ですね。
 第五句の「従」は上に来ないとおかしいですので、「従荒城月」の語順になります。ただ、起点を示す「従」が使われると、「親鸞に至る」と読んでもらえるか疑問です。
 「荒城の月から親鸞が来た」と読まれても困りますので、「奏荒城月親鸞唱」でどうでしょう。

 第六句は読み下しで読んでいると気にならないかもしれませんが、下三字、「機」は本来目的語ですから「足忘機」とならねばなりません。
 上の「書画写真」が「足忘」の主語ですが、やはり、この「書画写真」の形容をした方が良いと思います。

 第七句は「軽食」「談不盡」は不自然ですので、「清食」としてはどうでしょうか。
 「雅懐」との対応も良いでしょう。

2015.12. 8          by 桐山人




















 2015年の投稿詩 第264作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-264

  秋日郊行        

白雲来往四山幽   白雲来往 四山幽なり

移歩吟行半日遊   歩を移す 吟行 半日の遊

小径無人三里許   小径人無く 三里ばかり

稲花柿熟一郊秋   稲花 柿は熟す 一郊の秋

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 この詩は、仲泉さんの遊び心が表れたものですね。

 各句の五字目に数詞を入れて、うまくまとめましたね。
 しかも、視点を最初の遠景から、次第に身近に持ってきて、「稲花柿熟」と来ました。

 「一郊」ですと、再度範囲を広げますが、それも一つの表現ですね。
 ただ、転句の「三里」が結構具体的なイメージを出していますので、詩を広げて終るよりも少しせまく完結させる方が良いように思いますね。
 「一村秋」で収まるように思いますが、いかがでしょうか。





2015.11. 8                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第265作は 明鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-265

  全國植樹祭 一        

訪加賀路聖賢親   加賀路を訪ひて 聖賢は親しく

植樹式場湖畔隣   植樹の式場は 湖畔の隣

漾緑薫風山映水   緑を漾はす薫風に 山は水に映じ

併添遠景嶺峯遵   併(さら)に添ふ遠景に 嶺峯は遵(したが)ふ

          (上平聲「十一眞」の押韻)



<解説>

 天皇・皇后の御幸を迎え、第66回全国植樹祭は小松市・木場潟湖畔の中央公園で、昭和58年の第34回以来32年振りに石川県で催行された。
 当日は、頗る好天のもと白山の嶺峯を遠景に、緑陰の水面にはその連峰が薫風と共に清々しく映じて、県下県民に幸いした。

<感想>

 感想と言うよりもお詫びですが、明鳳さんのこの詩は前回の世界漢詩同好會の折の参加詩でした。
 私の所にも期日前にきちんと届いていたのですが、何かのはずみで私が入れ忘れてしまったようです。
 きちんと詩も拝見し、「明鳳さんから今回も参加詩をいただいた」と感謝したことも覚えているので、私自身も掲載したとばかり思っていました。
 明鳳さんが今回の世界漢詩同好會への参加詩を送ってこられた時に、「載っていませんでした」とお伝え下さって初めて知った次第で、全く面目ないことでした。

 重々お詫び申し上げましたが、せっかくの作品ですので、一般投稿のページで二首、ご紹介をさせていただきます。



2015.11. 9                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第266作は 明鳳 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-266

  全國植樹祭 二        

加賀牙湖農圃隣   加賀の牙湖(がこ=木場潟)は 農圃の隣

守生態系水魚親   生態系を守って 水魚は親しむ

平成御代多端濟   平成の御代は 多端に済(わた)るも

引繼信州更問津   引き継ぐ信州 更に津を問はん

          (上平聲「十一眞」の押韻)



<解説>

 植樹の式場は、牙湖と雅称される木場潟湖畔で催行された。
 その周辺は一面、緑風漾う田圃と農園が拡がり、生態系と自然環境は良好である。
 只、平成の御代を顧みるに、地震や風水害など自然災害が数多く、加えて人災等々誠に多事多難に過ぎて来た。
 来年の植樹祭は長野県に引き継がれるが、尚一層緑の自然と生態系の改善保全が期待される。


























 2015年の投稿詩 第267作は 越粒庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-267

  殘菊        

僻郊多廃屋   僻郊 廃屋多し

斜日照荒園   斜日 荒園を照らす

獨敖籬邊菊   獨り籬邊の菊の敖るのみにて

空尋舊主魂   空しく舊主の魂を尋ぬ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 本村に迷いこむと、あちこち立派なお宅が荒れ放題になっています。
 秋風に郵便受けが、かたかた鳴っているのはいかにも侘びしく、思い粛然、人生の無常を感じます。
 どんな家族が住んでおられたのでしょう。

<感想>

 私の家は、四十年ほど前に山を削り拓いた宅地にあり、旧市街からは少し離れています。
 この辺りは以前からいらっしゃっる方が多く、若い人たちの移住も少しずつはありますが、圧倒的に、年配者だけの住まいも目立つようになってきました。
 独立した子供さんたちは、仕事の関係で遠くに居たり、都会や駅に近い便利な土地に住みたがりますので、全国的にも老人タウンは多くなってきているでしょうね。

 そうした状況を「残菊」に象徴させて、寂しい晩秋の趣を描いた詩ですね。

 「僻郊」「廃屋」「荒園」、更に「斜日」と前半に畳みかけるように並べた言葉が、五言絶句ですのでもう限界という感じで、荒涼とした風景を一気に現出させています。
 その中に、以前の住人が育てていたのでしょう、籬の菊だけは誰も住まなくなった家でも、季節を知って花を開く。
 実はその菊も「残菊」ですから、すでに真っ盛りの時は過ぎたことで、健気さが際立ちますね。

 結句の「尋」は苦労されたところではないでしょうか。
 この一字は、いろいろな言葉が浮かんできて、それぞれに句の意味が変わってきます。
 たとえば、「香」「残」「余」などを入れれば、菊がかつての住人(主)の思いを成り代わって示していることになるでしょうし、「知」「尋」「過」などでしたら作者のこの家を前にしての感懐になるでしょう。
 五言ならではの一字の重みとも言えるでしょうね。



2015.11.16                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第268作は 茜峰 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-268

  晩夏登蝦夷山     晩夏 蝦夷の山に登る   

磊磈峨峨碧立欹   磊磈 峨峨として 碧立欹つ

園庭朱実早秋姿   園庭に朱き実 早や秋の姿

往年事故慮凄惨   往年の事故 凄惨を慮る

遥遠岩稜涼気吹   遥遠の岩稜 涼気吹く

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 八月下旬 北海道のトムラウシに登った。
 巨大な岩壁が屹立し私たちを迎えた。その手前の園庭は箱庭のごとく、ナナカマドの赤い実が早や秋の訪れを告げていた。
 頂上に立ち遥か旭岳からの稜線を眺めると 先年の事故の思い出される。
 この絶景も一つ違えば牙をむく。

 複雑な思いでただ涼風に身を任せていた。


<感想>

 茜峰さんがお書きになった「先年の事故」は、2009年の夏の7月にトムラウシに登ったパーティの九人が凍死したという事故です。
 亡くなった方達の多くが六十代以上で登山経験もあり、「シニア登山ブーム到来!」という時期での大きな事故で、胸を痛ませた方も多かったことと思います。
 茜峰さんが「複雑な思いで」と書かれたのも、よく納得できますね。

 前半で眼前の実景を描き、転句で事故のことを想起させる展開は、インパクトがありますし、結句の「涼気」が単なる秋の風ではなく、悲しみを含んだ鎮魂の風であることを伝えていますね。

 余韻の深い詩だと思いました。



2015.11.28                  by 桐山人
























 2015年の投稿詩 第269作は 凌雲 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-269

  音楽会        

威容礼装揃前壇   威容の礼装 前壇に揃い、

破静轟雷百楽官   静けさを破る轟雷 百楽官。

合奏共鳴旋律起   合奏 共鳴して 旋律起こり、

管弦交響和音残   管弦 交響して 和音残る。

謳歌革命将開闇   革命を謳歌して 将に闇を開かんとし、

解放民心更重刊   民心を解放して 更に刊を重ねん。

一瞬昇魂翔永遠   一瞬の昇魂 永遠を翔し、

只今天籟有飛鸞   只今 天籟 飛鸞有り。

          (上平声「十四寒」の押韻)



<解説>

 先ずは芸術の秋。楽しみましょう。

<感想>

 凌雲さんからは題名をいただかなかったので、私の方で勝手に入れておきました。

 部屋に居ながらクラシックコンサートに出かけたような気持ちになれる詩ですね。なかなか普段は忙しくて出かけられない方も多いでしょうから、この詩を読みながらCDを掛けると、雰囲気が出るのではないでしょうか。

 頷聯で、演奏が始まる前の張り詰めた雰囲気から一気に楽曲が始まった、という趣が出ていますね。
 「破静」は緩やかな展開ですが、「刹那」とか尾聯の「一瞬」などを持ってくると、爆発するような趣が出るでしょう。
 「一瞬」が「百楽官」と合うように思います。

 頷聯はすっきりしていて、良いですね。

 頸聯は、最初は『革命』というタイトルの曲なのかな、「解放民心」とあるから『英雄』かな、と考えました。あるいは、そういう歴史に関わる話ではなく、新しい音楽が人々の心に救いを与えたことを抽象的に表したのか、とも考えたり、「雷が鳴るような出だしの曲は何だったっけ」とか考えたり、なかなか悩ましい部分です。
 「更重刊」がよく分からないので、そこがはっきりすると、悩みも消えるかも知れませんね。



2015.11.29                  by 桐山人



凌雲さんからお返事をいただきました。

「更重刊」の意味ですが、「刊」は出版するの意味で、これまでも刊を重ね更にこれからも出版を重ねるであろう位のつもりで書きました。
 ベートーベンの書いた楽譜についてと解釈してほしかったのですが・・・

 昔は録音の技術が無かったので音楽も出版物だったらしいです。

2015.12.13         by 凌雲























 2015年の投稿詩 第270作は 觀水 さんからの作品です。
 

作品番号 2015-270

  偶成(漢詩大会授賞式)        

一出壇場不可還   一たび壇場に出でて 還るべからず

田夫蹙蹙雅人間   田夫蹙蹙たり 雅人の間

從他藝識獨淺薄   従他(さもあらばあれ) 藝識 独り浅薄なるは

碩學仁風嘉越山   碩学の仁風 越山嘉し

          (上平声「十五刪」の押韻)




<解説>

いったん式に出ちゃったら もう引き返すことはムリ
風流人にかこまれて ひたすら縮こまるばかり
わざも知識もないけれど 今日のところはまぁいいさ
諸橋博士のご遺徳の 仁風よろしき越のくに

<感想>

 觀水さんは、先日発表された新潟県三条市の「諸橋轍次記念館」での第7回漢詩大会で、「優秀賞・中華人民共和国駐新潟総領事館賞」を受賞されました。
 詳しくは「諸橋轍次記念館」「新潟県漢詩連盟」のホームページに掲載されています。
 当日の受賞者の皆さんの集合写真も拝見しましたが、觀水さんは若い世代の筆頭、楽しみですね。

 本当におめでとうございます。

 授賞式に参加されたお手紙もご紹介します。

 第七回諸橋轍次博士記念漢詩大会にて、「優秀賞・中華人民共和国在新潟総領事館賞」を受賞し、表彰式に出席してまいりました。

 有難くも「諸橋轍次賞」「新潟県知事賞」「三条市長賞」に続く第4位の賞ですので、「メダルには手が届かなかったけど大健闘」といったところでしょうか。
 こうして細く長く漢詩創作を続けていられるのも、「桐山堂」あってのこと。
 本当に、いつもありがとうございます。

 それにしても、毎回、「自信作!」と思って応募しているつもりでも、いざ上位の賞となって目立つ場所に掲載されると、ちょっぴり照れくさい感じもあります。
 さらに、選評に曰く「正直に言えば少し難があるが〜奨励すべき方向性の云々」とのことで、まだまだ勉強しなくっちゃ、との思いをあらたにした次第です。

 觀水さんの、日日の暮らしを見つめながら、気負わずに詠う玉作は、私にとっても刺激になり、励みになります。
 ますますの投稿を楽しみにしています。

 受賞作に次韻して作られたのが、今回の作品です。
 「わざも知識も」更に磨けよ、と諸橋先生の激励を感じ取った感性が何よりも素晴らしいと思いますよ。

 いただいた題名は「偶成」でしたが、私の方で副題をつけさせていただきました。

 受賞作も送っていただきましたので、ご紹介しておきましょう。

   九日歸ク
  菊花時節客當還
  轣轆鐵輪天地間
  獨酌車窓杯酒盡
  夢中已見上州山

 觀水さんは、式の当日、黒翌ウんのお姿も見ました、と教えていただきました。
 ホームページで受賞者一覧を見ましたら、特別賞を受賞されていました。
 黒翌ウんも、おめでとうございます。



2015.11.30                  by 桐山人



緑風さんからお手紙をいただきました。

 鈴木先生いつもご指導有難うございます。

 今日ネットで『観水さん受賞』の投稿を拝見しました。
 私も久しぶりの三条市を見ようと出かけましたが、やはり遠くて疲れ二週間ほど休養していました。

 特別賞受賞の件、先生にはいち早くお礼を兼ねご報告すべきですが、大変遅れて申し訳ございません。
 受賞者が多く知らない人ばかりで、観水さんのことも全く気が付きませんでした。
 失礼しました。

 来年は、全日本漢詩大会は京都のようですから、何とか体調を整え大会に参加したいと思っています。その節にはよろしくお願いします。

2015.12. 1          by 緑風