2014年の投稿詩 第301作は静岡の芙蓉漢詩会の 蘭君 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-301

  蘭亭懷古        

朝朝洗硯玉池瀕   朝々硯を洗う 玉池の瀕

亭午養鵞公事閑   亭午鵞を養ひて 公事閑なり

借問永和人奈處   借問す 永和の人 奈処にありや

惟餘千載此邱山   惟余す 千載 此の邱山

          (上平声「十五刪」の押韻)


「玉池瀕」: 美しい池(鵞池)の水ぎわ。
「洗硯」: 王羲之はこの池で硯を洗ったのであろう。
「公事閑」: 王羲之は会稽郡の太守であった。
「永和人」: 永和九年(三五三)三月三日、蘭亭にて「流觴曲水の宴」に集ひし、四十余名の群賢たち
「邱山」: ただ山陰の佳山水のみは、千七百年前のまま、その姿を易えず、今に留める。



<感想>

 



 はかない人間と不変、永遠の人間を対比させるのは伝統的な取り合わせで、無理なく読めますね。
 ただ、主題が闌亭なのか無常なのか、そこがやや不明確ですので、それを解消するならば、結句を「惟餘此地此邱山」としておくと良いと思います。

 転句の「永和人」については、前半で王羲之のことを詳しく語っていますので、ついついここも彼個人のことかと思ってしまいます。
 注に書かれたように「群賢」としたいならば、「曲水酒杯流奈處」(曲水の酒杯 流れて奈処)と杯に人々を象徴させるような形も考えられますね。


2014.12.16                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第302作も芙蓉漢詩会の 蘭君 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-302

  紹興途中        

蘭渚山前百頃園   蘭渚山前 百頃の園

菜花花裏日黄昏   菜花花裏 日 黄昏

牧童不識會稽恨   牧童は識らず会稽の恨み

牛背吹笳過遠村   牛背 笳を吹いて 遠村を過ぐ

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

「蘭渚山」: 浙江省紹興県の山
       麓の村は一面菜の花畑の長閑な風景が広がる。

転句は杜牧の詩「泊秦淮」の「商女不知亡国恨」の模倣。

<感想>

 承句の「花裏」、黄色い菜の花の中に赤い夕陽が沈んでいくという描写が、雄大でしかも色彩的にも鮮やかで、とても印象に残りますね。

 転句は「模倣」ではなく、古人に倣うと見れば良いでしょう。



2014.12.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第303作も芙蓉漢詩会の 蘭君 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-303

  湖南省旅懷        

湖南煙景畫難形   湖南の煙景 画けども形なり難し

水態山容四送   水態 山容 よも 青を送る

嶽麓鐘聲猶似舊   岳麓の鐘声 猶ほ旧に似

長沙史蹟亦堪銘   長沙の史蹟も亦 銘するに堪ゆ

馳懷湘浦扁舟繋   湘浦に懐を馳せて 扁舟繋ぎ

弔古汨羅悲涙零   汨羅に古を弔らへば 悲涙零つ

此地恰遊端午日   此の地恰も遊ぶ 端午の日

滄浪一曲奈邊聽   滄浪の一曲 奈辺に聴かん

          (下平声「九青」の押韻)



<解説>

「岳麓」: 衡山七十二峰の一、岳麓山のふもとに「岳麓書院」
      又、杜牧の詩「山行」に因み建てられた「愛晩亭」がある。
「長沙史蹟」: 宋の大儒朱熹が長沙で広めた南宋文化等、明末清初に到りても多くの事蹟を見る。
「汨羅」: 楚の屈原が五月五日の端午の日に入水自殺した川。
「滄浪一曲」: 漁父が歌った「滄浪の水清めば以って吾が纓を濯ふべし 滄浪の水濁らば以って吾が足を濯ふべし」

<感想>

 きれいにまとまっている律詩だと思います。
 典故も場面にふさわしいものになっていますが、歴史的な面が多く、実際の景が少ないため、何となく理屈っぽい詩になっている印象です。
 作者自身がこの地に立っている、という実感が伝わってくると良い詩になると思います。



2014.12.17                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第304作は芙蓉漢詩会の 辰馬 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-304

  盛夏偶成        

蟬聲喧噪午陰庭   蝉声 喧噪なり 午陰の庭

蛺蝶穿花翅翼青   蛺蝶 花を穿ち翅翼青し

溽暑茅庵吾奈懶   溽暑の茅庵 吾懶しを奈かんせん

一杯麥酒惰心醒   一杯の麦酒 惰心醒む

          (下平声「九青」の押韻)



<感想>

 夏の午後の物憂さがよく表れていますね。
 やや気持ちが強く出過ぎたのか、転句の「懶」と結句の「惰」、両句に同じ意味の言葉が出てくるのが気になります。
 転句にまとめる形で「溽暑茅庵甘懶惰」、結句を「一杯麦酒一心醒」としてはどうでしょうか。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第305作も芙蓉漢詩会の 辰馬 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-305

  同期會遊本栖湖畔        

富峰西麓碧潭湖   富峰の西麓 碧潭の湖

談讌逍遙回想紆   談讌 逍遥 回想紆る

連袂佳人積年憶   袂を連ぬる佳人 積年の憶ひ

五旬離別慕情蘇   五旬の離別 慕情蘇る

          (上平声「七虞」の押韻)



<感想>

 五十年ぶりの同期生との再会、懐かしい思いでいっぱいだったことでしょうね。
 中には、かつてのマドンナのお姿もあり、淡い恋心を思い出したというのが後半の主旨ですが、まず「積年憶」「蘇」はしっくり来ません。「蘇」というからには、「慕情」は今まで消えていたわけで、「積年」と食い違ってくるからです。
 また、その「積年」を受ける形での「五旬離別」は、別れていた五十年ずっと思い続けていた、ということで、これはあまりに重すぎますね。
 大げさに書くほど現実性が薄れますので、そういう意味では安心して他人に見せられるわけで、意図的なものでしょうね。

 もう少し穏やかに書くならば、承句は「連袂佳人忘久闊」「連袂佳人叙長闊」、結句は「五旬歳月旧情蘇」として、子どもの頃の楽しい友情が戻ってきたという形でしょうが、まあ、そこは作詩の意図によるでしょうね。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第306作は芙蓉漢詩会の T.E さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-306

  訪立石寺        

山寺老松雅趣枝   山寺の老松 雅趣の枝

滿眸濃翠麥秋時   満眸翠濃やかに 麦秋の時

蟬鳴未聽靜閑裏   蝉鳴 未だ聴かず静閑のうち

磴道途中仰句碑   磴道途中 句碑を仰ぐ

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 起句が「四字目の孤平」になっていますので、ここは修正する必要があります。
 「山寺老松風趣枝」とか「山寺高松雅趣枝」など、色々と考えられますね。

 承句の「麦秋」は季節を言うだけのつもりかもしれませんが、上四字が目で見た風景である分、下三字も実際に「麦が実る」、つまり茶色というか黄金色の麦畑が見えていると想像しますので、色彩も含まれてきます。
 「滿眸」とあるわけで、色を一つにして「滿眸初夏翠克栫vなど、考えてみると良いですね。

 転句は芭蕉の「閑かさや岩にしみいる蝉の声」を意識しての句で、最後の「仰句碑」と照応させているものですね。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第307作も芙蓉漢詩会の T.E さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-307

  老翁大暑        

炎蒸流汗氣根凋   炎蒸流汗 気根凋む

一陣涼風期待要   一陣の涼風 期待して要む

日没發天煙火美   日没 天に発く 煙火の美

浴衣團扇憩良宵   浴衣 団扇 良宵を憩ふ

          (下平声「二蕭」の押韻)



<感想>

 題名の「老翁」は要らないでしょうね。

 起句の「氣根凋」から承句の「一陣涼風」と来ると、暑い中にさっと風が吹いたのかと思ってしまいます。読者に余分な期待を抱かせないためには「只待涼風」、下三字はやはり暑さに耐えている姿が良いでしょう。
 転句からは涼しさがくるわけですので、前半に「涼」の字はあまり使いたくありませんので「晩風」でも良いでしょう。

 転句は「發天」が説明的ですので、「日没中天煙火發」という感じでどうでしょうね。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第308作は芙蓉漢詩会の 報昇 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-308

  遊三浦半島城島        

曲岸春潮洗   曲岸 春潮洗ふ

奇岩峻嶮磯   奇岩 峻嶮の磯

高低鷗鳥舞   高低 鷗鳥舞ふ

遠近釣船歸   遠近 釣船帰る

嶺上富峰聳   嶺上 富峰聳え

灣中繪島幾   湾中 絵の島幾(ちか)し

南風闕ソ久   南風に 闕ソ久し

吟意向雲飛   吟意 雲に向かって飛ぶ

          (上平声「五微」の押韻)



<解説>

 四月中旬、白秋歌碑の立つ城ケ島公園を散策す。
 今も海蝕が進んでいる馬の背洞門、ウミウ展望台、西岸には白色の灯台が岩礁に立つ。
 翌朝、新晴の相模灘を展望す。


<感想>

 頷聯、頸聯それぞれを単独で見ると、対句も整った形になっていますが、下三字については、実はどの句も二字の主語に述語(補語)という形で文の構造が同じで、「鷗鳥が舞い」「釣船が帰り」「富峰が聳え」「絵島が幾い」となって、読んだ時のリズムが単調に感じます。
 頸聯を直す形で考えますが、「富峰」「絵島」は動かしにくいので、述語の部分を名詞に替えて「嶺上富峰影」、下句は「湾中絵島磯」としてみます。
 「磯」は二句目に「峻嶮磯」と使われていますので、こちらを「奇岩映夕暉」としておく形でしょうか。

 「高低」と「遠近」の対応も、奥行きを出して立体的な構成ですが、句の組み合わせがありきたりで新鮮味がありません。
 例えば、「高低鷗鳥舞  多少釣船歸」とすると、熟語の構成は同じでも組み合わせとして意外性が生まれるでしょう。
 同様に、頸聯の「峰上」「湾中」も「遙望」と「徐看」に替えてみると、リズムも変化が出てきます。

 ついでに、「絵島」は「美しい島」という雰囲気を出しています。その狙いを生かすならば、上句の「富峰」も単なる固有名詞ではなく「霊峰」として気持ちが少し入る表現に替えると良いでしょう。

 まとめると、こんな感じですね。

  曲 岸 春 潮 洗   曲岸 春潮洗ふ
  奇 岩 映 曉 暉   奇岩 暁暉に映ず
  高 低 鷗 鳥 舞   高低 鷗鳥舞ひ
  多 少 釣 船 歸   多少 釣船帰る
  遙 望 霊 峰 影   遙かに望む 霊峰の影
  徐 看 繪 島 磯   徐かに看る 絵の島の磯
  南 風 坐 久   南風に 闕ソ久し
  吟 意 向 雲 飛   吟意 雲に向かって飛ぶ




2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第309作は S.G さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-309

  初秋吟        

七夕新涼夜氣C   七夕 新涼 夜気清し

松陰獨坐聽秋聲   松陰 独坐 秋声を聴く

牽牛織女吟情淡   牽牛織女 吟情 淡く

回憶往年懷舊盟   往年を回憶し 旧盟を懐ふ

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 秋はさまざまな物思いをさせるわけですが、ここでは遠い昔の恋の思い出という感じでしょう。
 もちろん、それを導いたのは「牽牛織女」ですが、年に一度の逢瀬というよりも離ればなれの想いが際立つ形になります。

 転句の「吟情淡」は「淡」がぼやけた表現で、「離思迥」というところでしょうか。

 結句もあまり心が伝わってきませんので、ここも「憶昔紅頬初有情」くらい書いた方が気持ちがはっきりすると思います。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第310作も芙蓉漢詩会の S.G さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-310

  水亭聞蛙        

水亭窓暗雨霖霖   水亭 窓暗く 雨霖々たり

閣閣蛙聲夜已侵   閣閣 蛙声 夜已に侵す

錯雜喧騒時律動   錯雑 喧騒 時に律動

村醪小酌又閑吟   村醪 小酌 我閑吟

          (下平声「十二侵」の押韻)



<感想>

 承句は私は「夜已深」を考えましたが、「侵」もじわじわと夜が深くなるようで良いですね。

 転句は、蛙の声がバラバラに騒ぎ鳴いているかと思うと、時にはリズムが合うように調和する、ということで丁寧な描写なのですが、「律動」は和習ですので、残念です。
 「時有和」あるいは「有時和」とすれば意味としては似通うでしょう。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第311作は芙蓉漢詩会の M.S さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-311

  憶潮騒        

C漣浣岸海湯湯   清漣岸を浣ふ 海湯湯たり

日暮遙天月影蒼   日暮の遥天 月影蒼し

惟聴潮騒無限靜   惟聴く潮騒 限り無く静かに

佳人獨坐奈憂傷   佳人独り坐して奈んぞ憂傷す

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 夕暮れの湖畔、麗人独り岬に坐して何を偲ぶのか。

<感想>

 起句「浣」は水をかけて洗うことで、波がゴボゴボと音を立てて岸を当たっている状態を表しています。

 「海湯湯」「遙天」と広々とした景色を出して、一点、月の光を切り取る構図は目に浮かぶような絵画ですね。

 その波の音が一層静かさを強調する中で、女性が一人浜辺に坐しているという場面、「憂傷」が女性の胸の中を表した心情語ととると俗っぽくなりますが、これも女性の姿を形容したものと考えれば、読者に様々な思いを浮かばせます。

 転句の「潮騒」は和語ですので「潮聲」としておくところ、ただ、この後半の静かさを描くならば起句は、前述したように「浣」は音を感じさせますので、「寄岸」のようにあっさりと述べておくのが良いでしょうね。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第312作も芙蓉漢詩会の M.S さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-312

  從尉峰眺望        

途岑日午草花香   途岑 日午 草花香

視野眺望天一方   視野 眺望 天の一方

凝目三方原大地   凝目 三方原大地

濱名湖影眩煌陽   浜名の湖影 煌陽に眩き

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 尉(じょう)ヶ峰より我が郷を望み浜名湖の漣が陽光を浴び眩しさだけが記憶に残りました。

<感想>

 この詩では「方」の字が重出しています。
 ただ、「三方原」は固有名詞なので許されるとも言えますが、そもそも「三方原」の名前が「三つの方角」を意味しているとも言われるようですので、同意でもありますから、どうでしょうね。
 また、「視野眺望」「凝目」も同じような表現ですので、承句を尉ヶ峰の様子を描く形で全体を推敲してはいかがでしょう。



2014.12.18                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第313作は芙蓉漢詩会の 修玲 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-313

  無題        

紙窓兀坐月微明   紙窓兀坐すれば月微明なり

獨樂三餘輕世榮   独り三余を楽しみて世栄を軽んず

蓬髪迎霜詩道遠   蓬髪霜を迎え詩道遠し

光陰一夢感吾生   光陰一夢 吾生を感ず

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 前半は現在の生活を肯定的にとらえ、穏やかな気持ちがよく出ているのですが、後半になるとどうして重くなってしまうのか、読者は不審な気持ちになります。
 「三餘」は読書や勉強をするのに適した時ということで「夜」「冬」「雨」と三つを言うのですが、そうした生活を楽しんでいるわけですから、うらやましいくらいです。
 後半は、老いを迎えたことと詩の道がなかなか満足できない気持ちが出ていますが、「老」は誰もがいつかは迎えるもの、「詩道」も誰もが到達点になかなかたどり着けないものなわけで、それほど大ごとと嘆くことはないように感じるのですが、結句になると「感吾生」と来てしまいますので、詩全体が暗く重い形で終ってしまいます。

 書き出した時はおそらく、もう少し軽い気持ちだったと思うのですが、だんだんと筆に追われてしまったのでしょうか。
 転句の「詩道遠」を「まだまだ道は遠い(から楽しみだ)」という形に転換した方が、結句が軽くなって良いでしょうね。
 例えば「詩道愈」、あるいは「蓬髪迎霜」から逆接で受けて「詩想溢」などでしょうか。



2014.12.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第314作は芙蓉漢詩会の 修玲 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-314

  水亭觀螢        

團扇輕衫消夏遊   団扇軽衫 消夏の遊

新螢熠燿映C流   新蛍〓燿 清流に映ず

高低亂舞無風夜   高低乱舞す 無風の夜

忘刻涼亭爽醉眸   涼亭 刻を忘れ酔眸を爽かにす

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 夏の夜の螢、雰囲気のよく出ている詩になっていると思います。

 結句だけ気になる点があります。
 「涼」「爽」も作者の感情が入っている言葉で、両方が助け合っていれば良いですが、ここではどうでしょう。
 特に「涼亭」は疑問で、せっかく螢を描いて昼の暑さを退けたのに、そもそも「涼亭」に居るのなら暑さは無かっただろう、という気持ちになります。
 「忘刻」も前の部分を受けているはずなのに、下の「涼」に引っぱられてしまいます。
 「清流」があるから避けたのかもしれませんが、ここは「水亭」くらいにしておくべきでしょう。

 下三字も「爽」が余分な心情語で、承句転句の描写を生かすなら「涼」とか「爽」の字は使ってはいけませんね。
 「明醉眸」として、「醉眸」の俗っぽさも消しておくと良いと思います。

 読み下しとしては、転句は「風無きの夜」、結句は「刻を忘るる涼亭」の語順が良いです。



2014.12.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第315作は芙蓉漢詩会の 洋靖 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-315

  中秋觀月        

碧天如水玉輪明   碧天水の如く 玉輪明らか

墜露無聲絡緯鳴   墜露声無く 絡緯鳴く

母逝幾年吾亦老   母逝って幾年 吾も亦老い

中秋夜月故園情   中秋 夜の月 故園の情

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 起句の「碧天」、月を見ているのは夜ですので「碧」の色は違和感があります。「涼天」とした方が良いですね。
 「如水」の比喩も、仲秋の明月の時に適するかどうか、「独占」くらいが良いと思います。

 転句は唐突感がありますが、月が故郷を思い出させるという結句の表現で納得できるものですね。
 その結句ですが、「夜月」は起句の「玉輪」と重複していますし、内容的にもう少し転句を受けるようにして、「倍懐此夜故園情」(倍ます懐ふ 此の夜 故園の情)のような形が良いでしょう。



2014.12.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第316作は芙蓉漢詩会の 洋靖 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-316

  看菊        

中庭高興菊花粧   中庭高興 菊花粧ふ

萬態千株自放香   万態千株 自から香を放つ

愛育丹精大輪報   丹精愛育 大輪報ず

午來觀賞見重陽   午来観賞 重陽を見る

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 起句の「高興」は趣をまとめた言葉です。どうして「高興」なのかを説明するのが「菊花粧」から後になりますが、どうでしょう、最初に「高興」と言われるとやや白けてしまう感じもあります。
 「高興」を「黄白」としてみると、叙景に徹した前半になりますね。

 転句の「丹精」は和語ですので、「多年」「精心」などが良いでしょう。

 結句、「重陽」を「見」るというのはどういうことか分かりにくいので、「喜重陽」「亦重陽」でしょうか。



2014.12.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第317作は芙蓉漢詩会の 常春 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-317

  水村初夏        

平淺晨潮退   平浅 晨に潮退けば

屈身探蛤蜊   身を屈して蛤蜊を探る

香風喜聲滿   香風 喜声 満つ

愉快正忘疲   愉快 正に疲れを忘る

          (上平声「四支」の押韻)



<感想>

 初夏の潮干狩り、私の住む知多半島でもゴールデンウィークの頃になると、特に大潮の時などは、名古屋の方から沢山の自動車が有料道路を南の海辺へと向かいます。
 私も何度か行きましたが、潮干狩りの楽しさとは別に、帰りの渋滞をどう避けるか、そのためにはいつ頃海から上がるか、という変なことを考えてばかりいました。

 高村光太郎でしたか、夜中に貝の音がすると書いていたのは。ん、あれはシジミでしたか?。
 ともあれ、砂出しで水にいれたアサリが夜中に水を吹いている様子などは、何となく懐かしい気持ちにさせてくれますね。

 「屈身」での潮干狩りは腰が痛くなってなかなか大変、そんな気持ちが結びの「疲」からは感じられます。
 「疲」はそのものずばりの表現で、ここは「時」とした方が雅味が出ると思いますが、痛む腰を「うーん」と伸ばして初夏の青空を眺めた爽快感を表したのでしょうね。




2014.12.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第318作は芙蓉漢詩会の 常春 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-318

  東信葡萄酒新郷        

桑田風土適葡萄   桑田の風土 葡萄に適ふ

往昔養蠶含繭繅   往昔 養蚕 繭繰るを含む

敬遠繁都温素願   繁都を敬遠して素願を温め

觀望荒域解青袍   荒域を観望して青袍を解く

家園先選殊珍種   家園 先ず選ぶ 殊珍の種

鮮果陳藏秘醸槽   鮮果 陳蔵す 秘醸の槽

質朴村郷新活力   質朴の村郷 活力新らし

清杯香盞對榮褒   清杯 香盞 栄褒に対さん

          (下平声「四豪」の押韻)



<解説>

 玉村豊男さんが平成四年(一九九二)桑田の跡地に欧州系ワイン葡萄品種を植え創業したワイナリーは、洞爺湖サミットに採用され、二〇〇七年国産ワインコンクールの最高金賞に輝いた。
 かつての繭の糸繰りと同じく、ワイン造りは農業の仕事という哲学は共感を呼び、東信州地方にワイン造りが定着してきた。

<感想>

 まとまりがあって、解説に書かれた事情や情報が詩を読むだけでよく理解でき、七言律詩ならではの作品になっていると思います。

 頷聯の「観望」はやや甘く、「曠望」くらいの方が良いと思います。

 頸聯の「家園」「鮮果」の対は、「南園」「瑤園」など「園」を修飾する字が入ると収まりが良くなるでしょう。



2014.12.20                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第319作は芙蓉漢詩会の 緑楓林 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-319

  巡礼雑詩        

秋深山影白雲通   秋深の山影 白雲通じ

寂寞仙源古梵宮   寂寞たる仙源 古梵宮

幽響鐘聲清浄境   幽に響く鐘声 清浄の境

何妨佞佛淡煙籠   何ぞ妨げん佞仏 淡煙籠むる

          (上平声「一東」の押韻)



<解説>

 西国三十三ヵ所観音霊場巡礼に参加した時の詩です。

<感想>

 西国三十三ヶ所廻りをしたい、という気持ちが数年に一度ずつ、急に湧き起こってきます。
 以前の朱印帳やガイドブックを引っ張り出して、結局は一つかせいぜい二つのお寺に行くだけで収まってしまいますので、はやり病のような感じで、私の場合にはどうも信仰心ではなく、日常生活からの脱出願望かもしれません。

 この詩はどの札所なのかわかりませんが、落ち着いた雰囲気と心情が伝わってくるような詩ですね。
 承句の「仙源」「古梵宮」は重複感がありますので、「溪頭」「空林」など別の言葉が良いと思います。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第320作は芙蓉漢詩会の 緑楓林 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-320

  聴雨        

半夜困眠流落人   半夜 困眠 流落の人

煩愁客裏坐斟醇   煩愁 客裏 坐して醇を斟む

光陰一夢思君影   光陰 一夢 君の影を思ふ

細雨蕭蕭花作塵   細雨 蕭蕭 花塵と作る

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 旅先の旅館で夜降りしきる雨音を聴きながら酒を飲んでいる時の詩です。

<感想>

 どんな事情で旅に居るのか分かりませんが、ともあれ寝付かれずに酒を飲んでいるという形ですね。

 転句の「君」が誰を指すのかも気になりますが、昔の思い出に浸っているという雰囲気ですので、それはそれで楽しいものだと思います。
 となると、起句の「流落」は表現が大げさ過ぎる気がします。
 「流落」「煩愁」「光陰一夢」と続くと追い詰められた状況で、その中で「君影」を想ったり、花を心配したりするのはどうか。
 前半の人物設定と後半の心情が合わない感じです。「流落」を「窮老」とした方が収まりが良くなります。

 「流落」にしろ「窮老」にしろ謙遜の表現ですが、言葉がイメージを作るわけですので、謙遜しすぎないことも必要です。
 この場合には、承句の「客」「流落」も重複していますので、とりわけ余分な言葉に感じます。

 同じようなことで言えば、「煩愁」も「流落」からの流れでしょうが、本来は「旅愁」くらいのその場限りのものが「煩」がつくことで話が大きくなってしまった、という印象です。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第321作は芙蓉漢詩会の H.Y さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-321

  秋日郊外        

秋天郊外伴妻行   秋天 郊外 妻を伴ひ行く

林道逍遥紅葉明   林道 逍遥 紅葉明らかなり

偶入山中有松蕈   偶たま入る 山中 松茸有り

薫香馥郁自歓声   薫香 馥郁 自ら歓声

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 浜北森林公園を散歩した時の詩です。

<感想>

 散歩の途中で松茸を見つけるとは、これはラッキーということで、結句からはお気持ちがよく伝わってきます。

 「林道」を歩いていたら「山中」で見つけたというのは順序が逆ですので、「林道」を「山道」、「山中」を「林中」とした方が流れが自然でしょうね。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第322作は芙蓉漢詩会の H.Y さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-322

  祝敬老会        

街巷媼翁団賀壽   街巷 媼翁 賀壽あつま

多才余興喜津津   多才な 余興 喜び津津

一吟披露聊声震   一吟 披露 聊か声震へ

拍手乾杯昌老人   拍手 乾杯 老人昌なり

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 地元の敬老会で詩吟を披露した時の詩です。 

<感想>

 日頃何度も人前で吟じていらっしゃっても、やはり地元の知らない方達の前ですと勝手が違いますかね。
 転句の緊張感と結句の安堵感の対比を面白く読ませていただきました。

 転句から結句への流れを考えると、読み下しは「声震へ」でなく「声震ふも」と逆接で持って行った方が吟じた時は分かりやすいでしょう。

 あと、「一吟」でも良いですが「拙吟」で、結句の「昌老人」は「満座親」とした方が臨場感が出ますね。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第323作は芙蓉漢詩会の 恕庵 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-323

  偶成        

雲間孤雁影   雲間 孤雁の影

遙想故郷天   遥かに想う 故郷の天

何耐歸心切   何んぞ耐へん 帰心の切なるを

人行流水邊   人は行く 流水の辺

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 李白の『春夜宴桃李園序』「夫レ天地ハ万物ノ逆旅ニシテ、光陰ハ百代ノ過客ナリ、浮生ハ夢ノ若シ」に出会いました。

<感想>

 承句と転句が同じ意味のことを言っているように感じます。
 起句の「雁」が結句の「人」と照応しているわけですが、それならば前半は雁のこと、後半は作者自身の思いと分けた方がすっきりします。
 承句の「想」を「去」と一字替えれば整いますね。





2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第324作は芙蓉漢詩会の 恕庵 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-324

  偶成        

C宵燈下坐   清宵 灯下に坐す

措大未憂貧   措大 いまだ貧を憂へず

名利非吾事   名利 吾が事にあらず

唯歡有問津   唯だ歓む 津を問ふこと有るを

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 筆を持つ前に、必ず静かに坐し、自分を見つめつつ心落ち着かせるう心掛けています。

<感想>

 承句の「措大」は「書生」のこと、作者自身を表していますね。

 結句は『論語』(微子篇)の「長沮・桀溺」の故事からの言葉ですが、一般には「学問の道を問う」「人生の道を問う」と解されますので、ここは自身の人生を見つめることができるのを喜んでいるということですね。
 作者の日頃の真摯な生き方が伝わって来る詩ですね。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第325作は芙蓉漢詩会の 洋景 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-325

  中秋觀月        

東天皓皓玉盤明   東天 皓皓たる玉盤明らかに

今夜良宵秋氣C   今夜良宵 秋気清し

曾望晁卿異郷賦   曾て望む 晁卿 異郷に賦す

騒人想起故園情   騒人想起す 故園の情を

          (下平声「八庚」の押韻)

「晁卿」: 阿倍仲麻呂のこと(唐名)

<解説>

 皓々と輝く月をみていると此の名句が思い浮かび、私も故郷の十五夜の事など思い浮かべるのでした。

  天の原ふりさけみえば春日なる
        三笠の山にいでし月かも


<感想>

 阿倍仲麻呂は遣唐使として海を渡り、唐の国の官僚として重んじられましたが、とうとう帰国は叶わず異国の地で亡くなりましたね。
 百人一首にも採られている「天の原」の歌は、仲麻呂の望郷の思いをよく伝えるものですね。

 転句は「仲麻呂が曾て故郷を望んで異郷で詠んだ詩」という意図でしょうが、この句では「晁卿が異郷を詠んだ賦を以前望み見た」、あるいは「晁卿がかつて望み見た異郷の賦」と解することになり、どうも主語が混乱していて分かりにくいです。
 主語を作者自身にして、「曾見晁卿望郷賦」「幽詠晁卿望郷賦」とするのが良いでしょう。

 同様に、結句も「騒人」が作者だと分かるように、「騒人亦想故園情」でしょうか。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第326作は芙蓉漢詩会の 洋景 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。

作品番号 2014-326

  彼岸花        

颯颯西風涼欲流   颯颯西風 涼流れんと欲す

郊村彩色入雙眸   郊村彩色 双眸に入る

棚田染畔絳英帯   棚田 畔を染む 絳英の帯

君逝經年還迓秋   君逝きて経年また秋を迓ふ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 彼岸花が咲く頃になると早逝した友を思い出します。

<感想>

 私の住む半田市でも、秋分の頃になると、田や川沿いの道に赤い彼岸花が咲き並びます。
 特に、童話「ごんぎつね」の作者新美南吉のふるさとということで、彼の記念館がある岩滑(やなべ)の川沿いには、地域の人たちが育てた彼岸花が真っ赤に群生し、その季節には多くの方が訪れます。
 彼岸花は「死人花」とも呼ばれ、墓に生えるとも言われますが、川の土手一面に咲きそろった姿はやはり美しいものです。

 結句で突然、亡くなった友人を思い出すというのは唐突な感じがしますが、彼岸花のこうした別名を意識すると、納得できる気がします。ただ、漢詩ですので、読者が皆同じような連想をしてくれるとは限りませんので、発想的には和習でしょうね。

 転句で鮮やかな色が出てきますので、承句の「彩色」は邪魔で、「暮色」「午景」などにした方が良いでしょう。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第327作は静岡の芙蓉漢詩会の 洋景 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。
 

作品番号 2014-327

  秋日吟        

郊墟秋日淡   郊墟 秋日淡し

萬頃正C涼   万頃 正に清涼たり

赤卒成群舞   赤卒 群れを成して舞ひ

黄田垂穗穰   黄田 穂を垂れて穣(みの)り

東籬薫採菊   東籬 採菊薫り

西嶺没斜陽   西嶺 斜陽没す

茜染暮雲散   茜に染む暮雲散じ

晩鐘懷故郷   晩鐘 故郷を懐ふ

          (下平声「七陽」の押韻)



<感想>

 頷聯の「赤卒」は主語ですが、「黄田」は場所を表す言葉ですので対応が気になりますね。
 また、頸聯の「東籬」「西嶺」も場所を表しますので、ぶつかってしまっています。
 ここは、「赤卒が〜する」「稲が〜する」という形にしないといけませんので、「黄田」を「黄禾」とし、句全体を「黄禾垂首穣」としてはどうでしょうか。

 頸聯は「採」が動詞なので、これを「斜」に対応するように「細菊」とか「野菊」とすると対応が良くなりますね。

 尾聯は、「茜染」を「茜色」とした方が文がすっきりします。
 内容的には「懐故郷」が唐突で、どうして故郷を思い出すのか読者には伝わらないですね。「晩鐘」に何か思い出があるのかもしれませんが、ここは「通故郷」「伝故郷」として、鐘の音が故郷まで届くとした方が通じます。「故郷」の語を出さないなら「伝四郷」。
 あるいは「晩鐘」を「老笻」とすることも考えられます。

 全体的には、「赤卒」「斜陽」「茜色暮雲」の赤色、「黄田」「採菊」の黄色が混ざっていて、色彩的にごちゃごちゃした印象になっていますので、その辺りを整理することが推敲の方向になるでしょう。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第328作は静岡の芙蓉漢詩会の F.A さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。
 

作品番号 2014-328

  晩春偶作        

輕寒午日半陰晴   軽寒の午日 半ば陰晴

花片飄零微有聲   花片飄零 微かに声有り

行路石階紅絡袖   行路石階 紅 袖に絡む

徂春麗色惹詩情   徂春の麗色 詩情を惹く

          (下平声「八庚」の押韻)



<感想>

 承句はきれいにまとまっていると思います。
 ただ、承句も転句も花のことですので、変化が少なく面白みが欠ける印象です。

 起句と転句の内容を入れ替えて、前半を花で揃えると解消します。
 結句は「惹詩情」はありきたりで、内容が軽くなります。
 何か他の感情の方が詩の結びとしては良いでしょうね。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第329作は静岡の芙蓉漢詩会の F.A さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。
 

作品番号 2014-329

  時有作        

首夏閑庭C晝幽   首夏の閑庭 清昼幽なり

南風度竹入窓流   南風竹を度り 窓に入りて流る

作詩三昧忘餘事   作詩三昧 余事忘れ

任意微吟心自悠   意に任す微吟 心自から悠たり

          (下平声「十一尤」の押韻)



<感想>

 前半は情景が丁寧に描かれ、よくまとまっていると思います。

 後半になると、やや息切れでしょうか、表現が平板になってきます。
 特に結句は、「任意」は直前の「忘餘事」と重なり、くどく感じます。
 同じく、下三字の「心自悠」もやはり重複感があり、またありきたりで、前半の丁寧な描写が無駄になっています。
 「自」を「更」「兪」とするだけで具体性が生まれますので、そうした一字一字へのこだわりが作詩の楽しみでもありますね。



2014.12.21                  by 桐山人
























 2014年の投稿詩 第330作は静岡の芙蓉漢詩会の 冬湖 さんからの作品です。
 今年の10月18日に「芙蓉漢詩集第15集」の合評会が浜松市で開かれ、桐山人も参加しました。
 感想はその折のものをベースにしています。
 

作品番号 2014-330

  夏夕納涼        

縹渺暮煙波似羅   縹渺たる暮煙 波 羅に似たり

櫓聲軋軋和漁歌   櫓声軋軋 漁歌に和す

濱名湖上納涼會   浜名湖上 納涼の会

小飲幽吟詩興多   小飲 幽吟 詩興多し

          (下平声「五歌」の押韻)

   夏の日の
    暮れはて行くを涼風は
   金褸にまさりて
     首すじを撫づ

<感想>

 冬湖さんの詩は、いつも言葉の一つ一つが厳選され、張り詰めたような緊張感と透明感がありますね。

 この詩は、起句の比喩がとても良く、これだけで豪華な舞台を見ているような効果があります。
 (浜名)湖上の納涼会というだけでも贅沢な楽しみ、そこに好風景が加われば最高でしょう。

 添えられた短歌も漢詩には出てこない「風」を主役にし、「金褸にまさりて 首すじを撫づ」という官能的な優雅さで描き、フランス映画の一シーンのようです。

 私の感覚で言えば、結句の「詩興」は十分に表されていますので、結びの下三字は叙景に戻した方が、読者の共感を持続させるように思いますがいかがでしょう。



2014.12.21                  by 桐山人