2011年の投稿詩 第211作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-211

  題豫州松山名物五色素麺        

製麺工夫三百年   製麺工夫す 三百年

藩侯献上賞功宣   藩侯に献上して 功を賞し宣せらる

美麗整然添五色   美麗整然 五色を添へ

守來傳統客連綿   伝統を守り来たって 客連綿たり

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 三輪や小豆島、島原など素麺の産地は数多ありますね。
 わが郷里松山では一風変わった、そして見た目に鮮やかな五色の素麺が特産品となっています。


★関連サイト&ドブログ
五色そうめん公式ホームページ

<感想>

 そうめんを家族でお昼に食べていると、時々、色のついたものが入っています。
 うでる前の一束か二束に色付きのものが一本くらい入っているようですが、白いそうめんの中に色が引き立って、見つけると何となくワクワクしますので、入っている理由は知らない方が良いと思い、今に至るまで調べてもいません。
 そのそうめんが五色、ということですので、想像するだけでも楽しそうで、食べている姿を想像すると粋ですね。
 ネットで見ると、正岡子規も好物だったとか、
    「文月のものよ五色の糸そうめん」
 という句をあるようですが、文月(陰暦7月)は夏の暑さのもっとも厳しい時、そうめんへの思いが出ている句ですね。

 金太郎さんのこの詩では、起句がやや分かりにくく、このままですと、「五色の素麺」を作るのに三百年もの間工夫を重ねてきたように感じます。
 「添五色」「三百年」「藩侯献上賞功宣」の前に置き、「五色の麺を考案したことで称賛を得たし、長い年月を生き続けている」とするのが、通常では理解しやすいと思います。
 金太郎さんは「五色にしただけでなく、麺そのものの味の工夫や、色つけに自然の素材を用いることを続けている点なども工夫の中だ」というお気持ちかもしれませんが、それならば、逆の言い方として「工夫三百年」は承句の出来事よりも後に置いた方が良いと思います。
 例えば、起句と転句をポンと入れ替えてみると(押韻などは別のこととして)、話の展開が随分すっきりする筈です。

 粘法の破れた拗体になっていますが、構成を組み直せばその辺りも調整できるように思いますが、いかがでしょう。



2011.10.10                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第212作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-212

  第八十九回全国高校野球選手権大会 稱県立佐賀北高校初優勝        

練習球場無照明   練習球場 照明無きも

精研昼夜学徒盟   精研昼夜 学徒の盟

一彈逆転凱歌上   一弾逆転 凱歌上がり

文武校風轟有名   文武の校風 有名を轟(とどろ)かす

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 もう四年も前の大会になりましたが、当時作詩していたものを投稿させていただきました。

関連サイト&ドブログ

  「asahi.com:高校野球ニュース”佐賀北が5―4で広陵を下し初優勝 8回に逆転満塁HR”

<感想>

 県立佐賀北高校が夏の甲子園で優勝、しかも決勝では八回に逆転満塁ホームランでの勝利というニュース、懐かしい思いで読ませていただきました。
 そう言えば、あのホームランを打った選手は今はどうしたのかな?と、ついついネットで調べてしまいました。ピッチャーの方もホームランの方も大学野球で活躍しているようですね。もう今年は四年生でしょうから、秋のドラフトではまた注目されることかと思います。

 公立高校ということで、野球部の環境自体は私立ほどには充実していないのでしょうが、その辺りを起句で説明されたのでしょう。
 もちろん、夜間照明だけではなく、その他にも様々なことが公私での違いとしてはあったのでしょうが、そこは代表的なものを出すということで。

 結句の「轟有名」は、「有名」以外にも候補は挙げられるように思いますが、敢えてここですっきりとは訳しにくい「有名」を選択した理由は何なのでしょうね。



2011.10.10                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第213作は 澄朗 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-213

  偶感「足利尊氏立願事」     偶感「足利尊氏立願の事」   

倒幕氤氳旗立楊   倒幕の氤氳 旗立ての楊

天涯兵列會高堂   天涯の兵列 高堂に会し、

半生功罪洗心垢   半生の功罪 心垢を洗ふ

今古昇平夢一場   今古の昇平 夢一場。

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

  鈴木先生ご無沙汰しています。漢詩を投稿いたしますので宜しくご指導ください。

 先般私の友と「足利尊氏の戦勝祈願の地」を探索いたしました。その時「太平記」には記されていない「旗立楊」について勉強いたしました。

「旗立楊」
 鎌倉幕府の14代執権・得宗北条高時は西国の宮方の蜂起に対処するため、名越高家と足利高氏を西上させた。高氏は源家ゆかりの将士に反幕の決意を打ち明けて、又天皇に綸旨を奏請しこれを得る。そして丹波篠村庄の八幡宮一帯に営を張って旗揚げの機を伺う、此の時高氏28歳であった。
 この、篠村の八幡宮は明智光秀も祈願し「老いの坂」を越えて本能寺の織田信長を打ち破る事は有名です。
 尊氏はここに2万3千の兵を集め、六波羅を破りましたが、当時の街道は山陰道の一本道、どのようにしてこの大軍を京の都にいっきに集合させたか? 疑問です。


「氤氳」: 気が盛んなさま
「昇平」: 衰乱時代からぬけでて太平に至るまでの上り坂



<感想>

 掲載が随分遅くなってしまって申し訳ありません。

 篠村八幡宮は亀岡市にありますが、確かに京都まではほんの一息、クーデターの旗揚げをするには絶好の距離かと思いますね。ただ、二万三千と書かれていますが、その大軍をどうやって京都に集結させたか、保津川沿いに走ったという説もあるようですので、水陸両方から攻め込んだのかもしれませんね。

 その旗揚げの雰囲気や熱気を表したのが、詩では前半にあたりますね。特に承句は、万余の兵士が集まっている場面が目に浮かぶような句ですね。

 転句の「半生功罪」は西郷隆盛の辞世の句に使われていますが、「人生を振り返れば功もあれば罪もある」という意味です。
 ここでは、足利尊氏が重大な決断を下したこと、それは「功」となるのか、「罪」となるのか、その時点では自身でも分からないことではあるが、私心無く(「洗心垢」)、世の太平をひたすら夢見ていた、ということでしょう。
 足利尊氏の決断と苦悩が感じられ、深みのある詩になっていると思います。工夫されたところでしょう。

 転句の重さを受けとめての結句の収束ですが、最後の「夢一場」がやや軽くて、物足りない印象です。これで悪くは無いのですが、今後の推敲の種だと考えてはいかがでしょう。

 NHKの大河ドラマでは真田広之さんが、意思の強さと純粋な心を持った足利尊氏像を見せてくれましたが、「功」と「罪」に苦しむ姿も懐かしく思い出しました。



2011.10.10                  by 桐山人



澄朗さんからお返事をいただきました。

 いろいろと推敲致しました處、高氏の心境は、得宗北条高時の悪政に対する反幕の決意。
「天の命を革める」ことにあった。

 推敲しました結果、「夢一場」を「放伐彰」と変更しました。

  倒幕氤氳旗立楊
  天涯兵列會高堂
  半生功罪洗心垢
  今古昇平放伐彰


 儒教の革命思想には二つあると云われ、「天の命に従う禅譲と天の命を革める放伐」があることを勉強いたしました。

 ありがとうございました。



2011. 10.13            by 澄朗























 2011年の投稿詩 第214作は静岡の芙蓉漢詩会  辰馬 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-214

  春日陋居        

韶光牆角牡丹開   韶光 牆角 牡丹開く

盡日幽香淑氣催   尽日 幽香 淑気を催す

歸臥旬年和老體   帰臥 旬年 老体和らぐ

吟餘一睡小庭回   吟余 一睡 小庭回る

          (上平声「十灰」の押韻)



<感想>

 「牡丹」の花が来て、晩春の趣が強く出ていますが、「韶光」「淑気」がややくどいかも。
 転句の「帰臥旬年」は、仕事を終えて故山に帰って十年、落ち着いた雰囲気が出てます。
 結句の「小庭回」は主語が分かりにくく、「小庭台」で。



2011.10.11                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第215作は静岡の芙蓉漢詩会  東龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-215

  東日本大地震        

地震波猖千里頽   地震(ふる)へ 波猖(くる)ひ 千里頽る

長閑集落瞬時災   長閑な集落 瞬時の災ひ

難民救援情公衆   難民 救援 公衆の情

切願故園安住來   切に願ふ故園 安住の來たるを

          (上平声「十灰」の押韻)



<解説>

 千年に一度と云う東日本の災害。悲惨な状況、住民の困窮など連日のほ報道に胸が痛む。全国民が一日も早い復興を願っている。

<感想>

 承句の「長閑」を「のんびり」とするのは和語。「長く仕事から離れた」状態を表しますので、ここは「安寧」「寧居」で。
転句の「情公衆」の語順は苦しく、「公衆」も「公道」「公序」が良いでしょう。 



2011.10.11                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第216作は静岡の芙蓉漢詩会  東龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-216

  畫梅花        

融融麗日惠風香   融々麗日 恵風香る

欲樂素描安倍郷   素描楽しまんと欲す 安倍の郷

照眼深園紅白遍   眼を照らす 深園 紅白遍し

筆先得捕一枝芳   筆先捕え得たり 一枝の芳

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 麗らかな春の日、郊外の梅の名所「洞慶院」の梅園に行く。
 紅白の梅が満開で素晴らしく、スケッチを楽しんだ。

<感想>

 起句一句で春の日の光景をよく描いていると思います。
その後に承句でスケッチしようとする自分の姿を示していますが、これは転句に持って行き、承句は情景で揃えても良かったかと感じます。
 結句の「捕」は「攫」「掴」が漢字の意味としては良いでしょう。



2011.10.11                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第217作は静岡の芙蓉漢詩会  蘭君 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-217

  采薇        

薫風翻葉百林   薫風葉を翻して 百林青し

薇蕨爭生采斷陘   薇蕨争ひ生じて 断陘に采る

不覺遙天雲黯黯   覚えず 遥天 雲 黯々たるを

明神山畔聽雷霆   明神山畔に 雷霆を聴く

          (下平声「九青」の押韻)



<解説>

 行の途中、目の前一面の薇の群生に出あう、夢中になって採っていると、ムクムクとまっ黒な雲が空を蔽い、遠くの方でゴロゴロと雷が鳴り出した。
慌てて薇をリュックサックに詰め下山を急いだ。

<感想>

 合評会では、後半の雷は事実とは違って想像したものだと気にしておられましたが、想像であっても、これまでのご自身の体験の中の記憶が結びつけられたものと考えれば良いでしょう。
 詩作では特にとがめられることではありません。
 結句の「聴」は「耳を澄まして聞く」ですので、喜ばしくない山中の雷に対してはどうか。「殷」としておけば、わざわざ「きく」という語を使わなくても作者の意図は出るでしょう。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第218作は静岡の芙蓉漢詩会  蘭君 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-218

  白雨        

檐樹凄凄蟬語忙   檐樹凄々 蝉語忙し

俄傾白雨洗驕陽   俄傾 白雨 驕陽を洗ふ

須臾催霽掲簾見   須臾 霽を催し 簾を掲げて見れば

茉莉花開庭砌香   茉莉花開いて 庭砌に香る

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 樹木に囲まれた家は、夏になると蝉の声に埋もれそう、そんな時,俄雨が待ち遠しい。
庭先の茉莉の花も。

<感想>

 全体に整っていると思いますが、承句の「俄傾」と転句の「須臾」にやや重複感がありますので、どちらかを別の語にしても良いかと思います。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第219作は静岡の芙蓉漢詩会  東薫 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-219

  帯広開拓之祖勉三翁        

森林千古入開荒   森林千古 開荒に入る

艱難辛酸何可忘   艱難辛酸 何んぞ忘るべけんや

着笠持鍬銅像拜   笠を着け鍬を持つ銅像に拝し

繼承不屈内剛腸   継承す不屈にして内剛腸なるを

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 帯広市は、賀茂郡大沢村(現松崎町)の大庄屋に生まれた依田勉三が、開拓団 晩成社を結成、十三戸二十六人を引き連れ、明治十六年、千古斧を知らぬ大原生林に初めて鍬を打ち下ろした土地です。

<感想>

 起句の「森林千古」は、「千古の森林」の意かと思いますが、この語順では「森林がはるかに長い間」となり、下の「入」の主語にも影響します。「入」を「阻」とすると良いでしょう。
 転句の銅像の描写は説明の意図が分かりにくく、もう少し開拓の苦労を感じさせる言葉にしてはどうでしょう。
「何可忘」と「継承」も意味としては重複していますね。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第220作は静岡の芙蓉漢詩会  東薫 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-220

  行千本松原        

東風緩歩訪松林   東風緩歩 松林を訪ぬ

春淺磯香聽汐音   春浅く磯香り 汐音を聴く

仰望霊峰白新雪   仰ぎ望めば霊峰 新雪白し

韶光猶未到高岑   韶光 猶ほ未だ高岑に到らず

          (下平声「十二侵」の押韻)



<解説>

 早春の千本松原を訪れた時の作詩です。詩吟で習い、好きな詩(花朝澱江を下る 藤井竹外)が頭にあり、作ってみました。

<感想>

 起句の「東風」だけがポツンと浮いています。次に「春浅」ともありますので、ここは歩いた時刻を表すような言葉で。
転句の「白新雪」は「白き新雪」と訓みますが、「雪猶白」と挟み平にしてはどうか。結句もごたごたしているので、上を「韶光未到」とした方が良いでしょう。





2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第221作は静岡の芙蓉漢詩会  曉亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-221

  春風閑日        

山櫻爛漫入佳辰   山桜爛漫 佳晨に入り

睍v鶯啼忘世塵   睍vとして鴬啼きて 世塵を忘る

端坐書窓啜新茗   書窓に端坐して 新茗を啜れば

春風駘蕩動吟~   春風 駘蕩として 吟神を動かす

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 あたりの山桜は咲き誇り、鴬の声も素晴らしい春の日の書斎。
独り春風の中で、この気分のよさを詩にとどめておきたくなりました。

「吟神」: 詩を作りたくなる心

<感想>

 全体として特に気になるところもなく、整った詩ですね。
ただ、無難過ぎて、新しい発見や素材が見られないのが物足りない点です。
この場面での作者独自の何かが一つでも入ると、印象に残る詩になると思いました。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第222作は静岡の芙蓉漢詩会  曉亭 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-222

  新此竭コ        

新鵠@潮首夏天   新緑 潮の如し 首夏の天

百花飛盡柳堤邊   百花 飛び尽くす 柳堤の辺

近郊一路南薫度   近郊一路 南薫度り

五月愁人聞杜鵑   五月 愁人 杜鵑を聞く

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 新緑が一度に芽吹き、正に初夏の陽気。
近郊に車を走らせれば、あたりに薫香を満たしてくれる。たまにほととぎすの鳴き声が心地よく、五月の季節が自分を慰めてくれる情景を表現してみました。

<感想>

 「新緑如潮」が面白く、こうした取り合わせが楽しいですね。
 結句は「四月」と旧暦で書いた方が「新緑」には合うでしょう。
 結句の「愁人」は「詩人」ですが、解説では「慰められ」とありますが、「愁う」の意味も含ませているのでしょうか。それは欲張りで、転句までの内容がひっくり返されてしまいます。
 「騒人」とした方がすっきりしますね。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第223作は静岡の芙蓉漢詩会  S.M さんからの作品です。
 

作品番号 2011-223

  姫様道中        

櫻花發遍奥濱郷   桜花発きて遍し 奥浜の郷

陪伴圍姫行列長   陪伴姫を囲む 行列長し

歌舞蹲蹲装絢爛   歌い舞て蹲々 装は絢爛

通街春祭細江香   通街春祭 細江の香り

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 浜松市北区細江町気賀に昔からある姫様道中の祭りが開催されています。 奥浜名湖の姫街道を練り歩き桜満開の川岸の広場にて、豪華絢爛の衣裳を着けて舞踊り、公園が一段と輝き祭りが本番となります。

<感想>

 結句で「細江」の地名を用いた効果については、合評会で意見が分かれたところです。
 起句に「奥浜郷」と使われていて固有名と場面説明の両面での良い効果を出していますので、更に結句で同じ効果を狙うのはどうかと私はその時は感じました。
 ただ、細江の地名を全く知らない人にも場面がよく伝わるという点では良いかな、ともその後は思っています。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第224作は静岡の芙蓉漢詩会  S.M さんからの作品です。
 

作品番号 2011-224

  濱松城懷古        

幕府繁榮無限情   幕府の繁栄 無限の情

徳川三百系年萌   徳川三百の 系年萌す

濱松藩主功名赫   浜松藩主 功名赫として

歴代諸侯出世城   歴代諸侯の出世城

          (下平声「八庚」の押韻)



<解説>

 家康公が二十九歳から四十五歳のころ、周辺諸国の名家、強大な戦国大名に囲まれ、戦い生き延びて、そして天下盗りの夢をつかんだ場所が、浜松城だという。

<感想>

 起句の「無限情」は浜松(静岡)の方ならではの感慨でしょうね。ただ、それが他の多くの方にすっと共感してもらえるためには、もう少し「幕府繁栄」に対しての説明が無いと苦しく、ここは自分の感情を出すより、客観的な表現に換えた方が良いでしょう。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第225作は静岡の芙蓉漢詩会  幹心 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-225

  迎米壽有感        

紅梅馥郁滿庭香   紅梅馥郁として 満庭香し

新哢好音有輝光   新哢の好音 輝光有り

苦節無忘期米壽   苦節忘るる無く 米寿を期す

四恩重謝入蘭堂   四恩重ねて謝し 蘭堂に入る

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 私は趣味として詩吟(岳心流総伝師範)を楽しみ五十余年になります。
 このたび。ありがたく米寿を迎えることができまして感謝いたします。

<感想>

 米寿おめでとうございます。
 私の義父も今年米寿を迎え、先日家族でお祝いをしましたが、日頃坂の多い道でも自転車で走り回っていますので、ここ数年、見た目には全く変化がなく、米寿だという実感が本人にもあまり無いような印象でした。

 幹心先生にも、お元気でますますのご活躍をお祈りします。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第226作は静岡の芙蓉漢詩会  洋靖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-226

  東北大震災        

電影描毫事實疑   電影の描毫 事実かと疑ふ

津波一瞬市街褫   津波一瞬 市街を褫ふ

不明死者何千萬   不明死者 何千万

切願復興倶笑時   切に願ふ復興 倶に笑ふ時

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 テレビで町や家 車 船 あらゆるものが一瞬にして流されて行く影像を見て これは何だとわが目を疑った。

「電影」: テレビ
「描毫」: ものすごさを写し画く
「褫」: さっとうばう

<感想>

 承句の「津波」は世界的に認知された言葉ではありますが、和語であることはかわりません。他にも「狂濤」などの語で、恐ろしさも感じさせる言葉でどうか。
 転句の「不明」は「行方不明」の意味も籠めているのでしょうか。訓みを「死者何千万なるかを明らかにせず」としておくのが良いでしょう。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第227作は静岡の芙蓉漢詩会  薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-227

  鍛腰肢        

風冷衝衣更刺肌   風冷たく衣を衝き 更に肌を刺せど

歩行旁徑鍛腰肢   旁徑を歩行し 腰肢を鍛ふ

天空暗澹將啼泣   天空暗澹 将に啼泣せんとし

嫋嫋雪花雍痩姿   嫋嫋たる雪花 痩姿を雍く

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

「旁徑」: わき道
「嫋嫋」: たおやか
「雪花」: ひらひらと花びらの様に舞う雪

 昨年十月から腰肢が弱り、毎朝夕三十分づつ散歩しました。今は本復しました。雪を優しく感じました。

<感想>

 題名の軽快さに比べて内容は重くなっていますね。結句の「嫋嫋」が「雪花」に対しての愛情があふれるようで、ここでほっとする印象です。
「我姿」は単調なので、俳諧味を出す感じで、「老姿」「痩姿」などにすると、題名とうまく合うように面白いでしょう。


 私の感想は合評会の折のもの、薫染さんからの初稿は次の形でした。

風冷衝衣更刺肌   風冷たく衣を衝き 更に肌を刺せど
歩行旁徑鍛腰肢   旁徑を歩行し 腰肢を鍛ふ
天空暗澹將啼泣   天空暗澹 まさに啼泣せんとし
嫋嫋雪花雍我姿   嫋(でう)嫋(でう)たる雪花 我が姿を雍(いだ)く



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第228作は静岡の芙蓉漢詩会  薫染 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-228

  木蓮通     木蓮通り   

花口群條白木蓮   花口條に群がる 白木蓮

長衢廿里傍行邊   長衢廿里 行邊に傍ふ

疑諸殘雪遊枝幹   疑ふらくは諸(これ)残雪 枝幹に遊ぶかと

野鳥飛來春色宣   野鳥飛来して 春色宣し 

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

「花口」: 花のこと
「一里」: 四百五米
「長衢」: 長い町並み
「行邊」: みちばた

 浜松市都田から市街中心近くまで、約八粁に亘り道路の両側に白木蓮が植えられています。これを木蓮通と呼んでいます。

<感想>

 題名の「詠」は要らないですね。
結句の「飜飛」は時間の動きを出して、「飛来」「来飛」あたりでいかがでしょう。

 こちらの詩も、私の感想は合評会の折のもの、薫染さんからの初稿は次の形でした。

花口群條白木蓮   花口條に群がる 白木蓮
長衢廿里傍行邊   長衢廿里 行邊に傍ふ
疑諸殘雪遊枝幹   疑ふらくは諸残雪 枝幹に遊ぶかと
野鳥翻飛春色宣   野鳥翻飛して 春色宣し




2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第229作は静岡の芙蓉漢詩会  常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-229

  龜城之兒女        

龜城兒向學   亀城の児 学に向かふ

論語日聲昂   論語 日に声昂し

禮節自然發   礼節 自ずと然え発け

親朋倍愛郷   親朋 倍々郷を愛さん

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 藤枝市にある田中城は円形で亀城といい、今下屋敷の一部が復元されている。二月十一日徳川恒孝氏らの講演会の休憩時に、西益津小学校児童による論語素読が披露された。
 この詩はその指導者に贈ったものを推敲した。


<感想>

 今回は常春さんは五言絶句ですね。
部分的なことで、転句の「自然発」は「然」が理解しにくいと思います。「自興復」でどうでしょうか。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第230作は静岡の芙蓉漢詩会  常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-230

  客中春盡        

早朝風尚冷   早朝 風尚ほ冷たし

池水鳥聲閑   池水 鳥声閑なり

眺望古歌景   眺望すれば 古歌の景

曬衣香久山   衣を曬す 香久の山

          (上平声「十五刪」の押韻)



<感想>

 こちらの詩は、持統天皇の歌である「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」を意識したものですね。
 初夏の景を言うのに、起句の「冷」は不似合いに感じます。冷たさの中に爽やかさを意識した「凊」でいかが。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第231作は静岡の芙蓉漢詩会  H.Y さんからの作品です。
 

作品番号 2011-231

  合戰凧        

風起天高弄紙鳶   風起り天高く紙鳶を弄す

角吹嚠喨熱情傳   角吹 嚠喨 熱情伝ふ

逆揚正始牽纏競   逆揚 正に始む 牽纏競ふを

血沸胸騰勢欲連   血沸き胸騰り勢い連ならんと欲す

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 毎年五月に浜松まつりが行われます。初子の誕生を祝い大凧を揚げます。ラッパの音とともにくり広げられる糸切り合戦は有名で興奮を覚えます。

「逆揚」: むかえあげる

<感想>

 合戦凧の熱気が伝わってくる詩ですね。

 承句の「伝」はやや弱いので、「専」とすると、勢いが強くなるでしょう。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第232作は静岡の芙蓉漢詩会  H.Y さんからの作品です。
 

作品番号 2011-232

  初凧        

長子誕生揚紙鳶   長子誕生 紙鳶を揚ぐ

比隣倶祝一家前   比隣倶に祝う 一家前むと

嗣人披露歡如夢   嗣人の披露 歓び夢の如し

多望無疆藉汝賢   多望無疆 汝が賢に藉る

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 浜松まつりでは、初子の誕生を祝い町内で凧を揚げてくれます。
又、初子を披露して、皆に酒を振舞い祝ってもらいます。

<感想>

 こちらは、ご当地の事情を知らないと「嗣人」「汝」が誰を指すのか、「嗣人」と作者の関係もわかりにくい気がします。
特に、転句の「歓如夢」が「嗣人」なのか、「作者」なのか、その辺りを、読者を意識して整理すると良いでしょう。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第233作は静岡の芙蓉漢詩会  恕庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-233

  偶成        

靜坐茶煙淡   静坐 茶煙淡く

蛙聲雨裡喧   蛙声 雨裡に喧し

芸窓無客訪   芸(うん)窓(そう) 客の訪ふ無く

閣閣爽吟魂   閣閣として 吟魂を爽かにす

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 若き頃 草野心平氏の詩集に出合い、一ページにただ一つの黒点のある蛙の詩に驚き、いつか自分も自然に同化した蛙の詩を作ってみたくなりました。

<感想>

 構成としては、承句と転句の内容は逆の方がすっきりしますが、五言絶句の軽快さとして見れば、逆に面白みと言えます。 ただ、せっかく蛙を題材としていますので、題名が「偶成」では寂しく感じます。

2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第234作は静岡の芙蓉漢詩会  恕庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-234

  賀幹心先生米壽        

古梅薫徹一乾坤   古梅薫徹 一乾坤

歌囀老鶯詩趣存   歌囀の老鴬 詩趣存す

多雨多風琴瑟和   多雨多風 琴瑟和し

米年仁壽謝天恩   米年は仁寿 天恩を謝す

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 幹心様ご夫妻にはお世話人として常にご指導いただきまして深く感謝申し上げます。
 本年めでたく米寿を迎えられ益々のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。

<感想>

 幹心先生の米寿をお祝いした詩ですが、『論語』の「仁なる者は寿」の語を用いて、幹心先生のお人柄も浮かんでくるようで、作者のあたたかな気持ちがよく伝わってきます。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第235作は静岡の芙蓉漢詩会  鈴翔 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-235

  河津櫻        

千紅一里傍川流   千紅一里 川流に傍ひ

朶朶花濃香氣柔   朶々花濃かにして 香気柔かなり

風冷早春春滿地   風冷たき早春 春 地に満つ

難消餘韻立橋頭   余韻消し難し 橋頭に立つ

          (下平声「十一尤」の押韻)



<解説>

 二月河津桜を観に出掛けました。風は冷たく肌寒いのに早咲きの河津桜は土手沿いに枝をいっぱいに広げ濃いピンク色によい香りを放ち美しく咲いていました。
 あまりの美しさに橋の上から両岸の河津桜を暫し眺めてしまいました。

<感想>

 起句の「一里」がよく働いています。「一里(約五百米)」の中に「千紅」ですので、ぎゅっと詰まった満開の様子がよく表現できていると思います。
 ついつい数字を大きくしたくなるのが漢詩作の特徴ですが、控えめな表現が効果を出す好例でしょう。現実はきっと、「一里」よりももっと長いのでしょうが、仮に「万紅十里」などとしたら、印象がぼやけてしまうでしょう。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第236作は静岡の芙蓉漢詩会  鈴翔 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-236

  紅葉山庭園        

滿地青青首夏天   満地青々 首夏の天

菖蒲花發轉清妍   菖蒲花発いて 転た清妍

喫茶紅傘緋氈坐   茶を喫し 紅傘緋氈に坐せば

山水整齊情緒牽   山水整斉として 情緒牽く

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 駿府公園の中にある紅葉山庭園へ出掛けました。
 日本情緒溢れる園内は木々の緑が眩しい程鮮やかで池の近くの菖蒲は一際美しく咲き誇っていました。
 新茶をいただきながら心安らぐ楽しいひと時を過ごしました。

<感想>

 全体に言葉選びがやや甘い感じがします。
 「青青」「清妍」「整斉」など、似た要素が続きますので、ここらを整理すると良いでしょう。

 題名(地名)が詩の季節と合わないのが問題で、「駿府庭園」などにしておかないと、読者が混乱します。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第237作は静岡の芙蓉漢詩会  青淵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-237

  村路薫風        

薫風十里雨餘天   薫風 十里 雨余の天

新濠u林聞杜鵑   新緑の林を隔てて杜鵑を聞く

忙月家家農務急   忙月 家々 農務急に

午餐早早又耕田   午餐 早々に 又田を耕やす

          (下平声「一先」の押韻)



<解説>

 農村五月の風景。
 当地の田植えも、昔は六月に入ってからが普通で、レンゲの花も、種がこぼれて自然に次の年の春生えてきたものだったが、今はずいぶんと早まり、レンゲの自然の循環も見られなくなった。


「忙月」: 農繁期

<感想>

 題名の「薫風」は、詩の内容としては導入だけの役割ですので、印象としては邪魔で、「初夏村路」くらいが良いでしょう。

 詩は前半と後半で切れる感じで、杜鵑を聞いていた詩人が急に忙しいことを思い出して田を耕し始めるような印象です。
「午餐早早」は具体的でほほえましい表現ですが、主題を明確にするには結句で詩全体をまとめる視点が欲しいと思います。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第238作は静岡の芙蓉漢詩会  青淵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-238

  思東日本大震災        

地搖海嘯呑邦土   地は揺れ 海嘯 邦土を呑み

幾百萬人災禍遺   幾百万人 災禍遺る

可憐擧世嘆傷處   憐れむべし世を挙げて嘆傷する処

廢址櫻花隨例奇   廃址の桜花 例に随いて奇なるを

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 この度の東北太平洋地方の大震災はまことに心痛むことだった。そして東海大地震を控えて?、他人事ではない。テレビをみていて、廃墟の中に残って咲く桜の花が妙に心に残った。

「海嘯」: つなみ
「随例」: 去年と同じに


<感想>

 全体によく言葉を練って作られていると思います。

 転句の「可憐」を「挙世嘆傷処」で膨らませようとしていますが、重複感があり、結局は「可憐」だけでも良いように感じます。
 転句にすぐに櫻を持ってきて、結句でそれに対する感懐を出すと流れが良くなるかと思います。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第239作は静岡の芙蓉漢詩会  洋景 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-239

  花時出遊        

萬方芳信到   万方芳信 到り

遠近鳥聲頻   遠近鳥声 頻りなり

小徑蒲公笑   小径の蒲公は笑ひ

野原金草純   野原の金草は純なり

詩朋揮玉韻   詩朋は玉韻を揮ひ

吟友動梁塵   吟友は梁塵を動かす

爛漫香雲下   爛漫たる香雲の下

嬉娯待望春   嬉娯す 待望の春を

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 あちらこちらから花の便りが届き、小鳥たちが頻りに囀り私を誘っているように聞こえます。

 友と共に早速出掛け爛漫の桜花の下で、風流に作詩をしたり、吟詠に興じたりして寒く長い冬を耐えて待ち望んだ春を大いに愉しみます。

「蒲公」: たんぽぽ
「金草」: すみれ
「揮玉韻」: 作詩が上手な事
「動梁塵」: 詠う事が上手な事

<感想>

 五言律詩に初めて取り組んだとのことでしたが、よく工夫されていて感心しました。
 難となる点はほとんどありません。

 頷聯の対だけが少し気になりますので、「小径蒲公歴/郊原菫草純」というところでしょうか。



2011.10.11                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第240作は 桃羊野人 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-240

  夜坐感秋     夜に坐して秋を感ず   

光陰易逝志難成   光陰逝き易く 志成り難し

身世何論酒独傾   身世何ぞ論ぜん 酒独り傾ける

院落沈沈人已静   院落沈沈 人已に静かなり

何来白露月三更   何こより来る 白露 月三更

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 桃羊野人さんからは、「鈴木先生は忙しすぎるのではないですか」とご心配をいただきました。本当にありがたいことで、忙しいのは確かですが、一番の問題は以前ほど夜更かしが出来なくなってしまって、夕食の後にほとんどホームページを見ることができないというのが実情です。
 四、五年前にくらべると明らかに体力が落ちていますね。

 ま、それは言い訳としておいても、老化を実感する気持ちになったのは桃羊野人さんの起句に影響されたのかもしれませんね。

 したがって、承句以降もとても実感を持って読ませていただきました。

 全体に秋の夜の趣で統一されて、雰囲気がよく出ていると思います。ただ、その統一感が逆に句の変化を少なくさせているようで、「酒独傾」「沈沈」「人已静」「三更」などは、定番の舞台設定が続き、これでもかの重複感が否めません。
 例えば、承句の「酒独傾」を「酒盞傾」としたり、転句の「沈沈」を「虫声」、「月三更」を「月華清」とするなどしてみると、素材の組み合わせや表現の変化で直接的な言葉を用いなくても「秋夜」の雰囲気は出てくると思います。
 そうした工夫が、詩に作者の独自性を籠めることとなりますので、ご検討ください。



2011.10.26                  by 桐山人