2011年の投稿詩 第151作は 仲泉 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-151

  晩春偶成        

風韻入窓幔帳振   風韻窓に入りて 幔帳振ふ

庭潦花落艶容新   庭潦 花落つ 艶容新なり

人空夢醒春徒過   人は空し 夢醒めて春徒らに過ぐ

緑映煌煌不染塵   緑は映えて煌煌 塵を染めず

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 承句は「庭潦」(庭の水たまり)に花が落ちたということでしょうが、このままですと「艶容新」の主語が「庭潦」となるため、表現がしっくりしません。水たまりである必然性がはっきりしないですし、「潦」も仄声で平仄が合っていませんので、「庭除」「庭陰」などでどうでしょうか。

 転句の「人空」は唐突ではありますが、転句ということを考えれば描写を一転させるためと解釈することはできます。しかし、「春徒過」を「人は空し」の理由とするのは飛躍があると思いますし、もっと言えば、この「人空」の二字は無くても気にならない印象です。
 前半や結句の描写から見ても転句はあまり重くしない方が良いように感じますので、この「人空」は削除した方が全体にすっきりするでしょうね。


2011. 7.19                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第152作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-152

  原子炉崩壊 東日本大震災       

三陸港都激震後   三陸の港都 激震後

狂濤摩天似雷吼   狂濤天を摩して雷吼似たり

忽失川途呑市街   忽ち川途を失ひては 市街を呑み

如此災禍未曾有   此の如き災禍 未だ曾て有らず


原子炉屋甚堅牢   原子炉屋 甚だ堅牢

不耐激震缺炉槽   激震に耐へず 炉槽缺く

炉心溶融無由冷   炉心溶融するも冷すに由し無く

無奈放射線量高   奈んともする無し 放射線量の高しを


人恐被曝去故土   人被曝を恐れて 故土を去り

即棄生業慮労苦   即は生業棄てて 労苦を慮る

難防拡散放射能   防ぎ難きは 放射能の拡散するを

已無居人幾萬戸   已に居人の無きは 幾萬戸なり


已乎邦家累卵危   已乎 邦家累卵の危ふきに

廟堂拱手人怨咨   廟堂手を拱きては 人怨咨す

唯有政争無政策   唯政争有りて 政策無く

廟議混迷講策遅   廟議混迷して 策を講ずること遅し


宰相糊塗尚老獪   宰相糊塗にして尚ほ老獪

政府報道軽災害   政府報道す 災害の軽しを

人人安堵撫心胸   人人安堵して 心胸を撫で

世論漸知事重大   世論漸く知る事の重大を


報道難伝事局真   報道するも 伝へ難きは事局の真

何事虚偽欺人民   何事ぞ虚偽をして人民を欺く

至此事事初露見   此に至り 事事初めて露見し

復興災地艱難新   災地を復興に 艱難新し


賈嗤海外又無奈   海外に嗤を賈つては又奈とも無し

廟堂無人誰能那   廟堂に人無く 誰か能く那んせん

以弁飾非不堪任   弁を以つて飾を非るも任に堪ず

恋恋欲盗宰相座   恋恋として盗まんとす宰相の座


看眼時事怒不収   眼に時事を看ては怒り収まらず

伴食宰相是国讎   伴食の宰相は是れ国讎なり

草屋何堪空座視   草屋何ぞ堪へん 空しく座視するを

冗子呑声国歩憂   冗子声を呑みて国歩憂ふ


<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから転載しました。




2011. 7.19                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第153作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-153

  愛媛縣神社廳松山支部北条分会伊勢神宮正式参拝書感        

神橋已就傍鑾川   神橋 已に就って鑾川らんせんに傍へば

淨域森然絶俗縁   浄域森然 俗縁を絶す

儼粛遷宮式年到   儼粛遷宮 式年に到らば

定思千載徳音全   定めて思ふ 千載 徳音の全きを

          (下平声「一先」の押韻)


<解説>

 平成22年(2010)9月13日(月)、神社庁松山支部の神職・総代一行20人は外宮から内宮の順で御垣内正式参拝した。もはやこの神殿を拝めるのも最後であろうと思うと感慨ひとしおであった。
 いずれ新たに社殿造営の暁には、また皆と元気に参拝したいものである。

 承句の「神橋已就傍鑾川」については、正式な式年遷宮は平成25年(2013)であるが、これに先立ち五十鈴川にかかる神橋(宇治橋)は既に平成21年に架け替えられていた。
 「鑾川」とは、もちろん流れ清らかな五十鈴川。


★関連サイト&ブログ

伊勢神宮

伊勢神宮式年遷宮広報本部 公式ウェブサイト

<感想>

 サラリーマン金太郎さんからのお手紙では、先に掲載しました「平城遷都千三百年祭訪奈良平城京」と「中秋南都猿澤池釆女祭」の二作と、今回の二作は同時期の旅での作品なので「奈良と伊勢関連詩の一括処理をお願いします」と書かれていました。
 うっかりと忘れてしまいましたので、おわびします。

 伊勢神宮は私も近い土地に住んでいますので、小学校の時の修学旅行で初めて行き、その後も家族で時々出かけています。サラリーマン金太郎さんが書かれたように、「淨域森然絶俗縁」というのは、まさにそのまま、俗世のざわめきがはるか遠くに感じる場所ですね。この一句で伊勢神宮の趣を十分に伝えていますね。

 ただ、この詩の主題は後半にあり、遷宮を素材にしてその長い歴史へと思いを馳せるわけですが、後半と前半をつなぐのが起句の「已就」になるのでしょうね。

2011. 7.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第154作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-154

  大和國多武峯 賽談山神社     大和国多武峰とうのみね 談山たんざん神社に賽す   

登到岡巒黄葉翻   登り到れば岡巒こうらん 黄葉翻り

神風松籟聽啼猿   神風松籟 啼猿を聴く

曾期親政運帷幄   曽て親政を期して帷幄をめぐらし

以後皇威千歳尊   以後 皇威 千歳尊し

          (上平声「十三元」の押韻)


「岡巒」: 山並み、峰々。
「運帷幄」: (昔、陣営に幕をめぐらしたところから)作戦を立てる所。本営。本陣。


<解説>

 談山神社は中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足が逆臣蘇我入鹿を討つ謀議をした史跡である。
平成21年(2009)11月、職場の旅行で参拝した。

★関連サイト&ブログ

談山神社公式サイト

大化の改新ゆかりの「けまり祭」 奈良・談山神社 - MSN産経ニュース

<感想>

 こちらの詩は一年違いがありますね。

 前半が叙景、後半が歴史的な出来事を描く構成は、やや前後が切断された感がありますね。
 結句の「以後」は説明的な印象です。私の感じでは、「千歳皇威松籟尊」というような感じがまとまりが良くなると思いますが、いかがでしょう。


2011. 7.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第155作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-155

  旅土耳古     トルコに旅して   

曽跨駱駝連隊商   曽て駱駝に跨り 隊商を連ね

古都絹市訪彷徨   古都 絹市 訪ねて彷徨す

緑髦青眼歓迎裡   緑髦 青眼 歓迎の裡

親日恵風吹客裳   親日の恵風 客裳に吹く

          (下平声「七陽」の押韻)



<解説>

 四月十六日から十日間トルコに旅する。
 親日の国とは聞いていたが愚老のヤギひげが珍しいのか、地元の高校生の男女に、また、警備の兵士、新婚らしい男女などなどとモデルをさせられヤヤ閉口の感

「絹市」: イスタンブールを指す。

<感想>

 昨年秋に岡山の漢詩大会でお会いした時に、深渓さんと真瑞庵さん、そして私の三人で倉敷を回りましたが、三人とも髭面で、他の観光客からは変な三人組と思われただろう事を思い出しました。

 お元気で世界漫遊のご様子、うらやましい限りですね。


 承句の「訪彷徨」は作者の行為が出ていますが、詩としての面白みから言えば、叙景で揃えて、ここは町の現在の賑わいを表してはどうでしょうか。

 転句の「青眼」は「碧眼」の方が誤解もなく、分かりやすいと思いました。



2011. 7.29                  by 桐山人



深渓さんからお返事をいただきました。

桐山堂先生
暑中お見舞い申し上げます。

拙句「旅土耳古」に懇切なご感想有難うございました。

仰せのとおり、初めは「碧眼」と作詩しましたが、考えすぎて阮籍の故事を用いました。

心致します。
   深渓拝


2011. 8. 1             by 深渓


そうですね。
「白眼青眼」を意識して、「親しそうな目で迎えてくれた」という意味を加えられたのだろうとは思いましたが、唐突に持ってこられると、「では、白眼はどこかにあるのか」とか「対になった緑髦は何を意味するのか」と余分なことまで考えてしまいます。
 結句に「親日」と大きな言葉がありますので、ここは形容に徹するのが良いと思って、私は感想を書きました。






















 2011年の投稿詩 第156作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-156

  辛卯花茨忌        

光陰過客白云云   光陰は 過客なりと 白云云

石友忘言久不聞   石友 忘言 久しく聞かず

故舊相逢倶ト悌   故舊 相逢うて 倶にト悌

惜何無影我三君   惜しむらくは 何ぞ影無き 我が三君

          (上平声「十二文」の押韻)



<解説>

 今年は第十三回花茨忌を迎える。
 例年恒例の追悼詩であるが、趣向を凝らして、起承転結の各々に故人の姓名を嵌め込んだ。
作詩の方法として意義があるか否か、知らないが、詩句を選ぶ手段としては、却って有効であった。

 故人は芭蕉の研究(おくのほそ道)に生涯を捧げた。
先ず、起句は「おくのほそ道」の冒頭句、李「白」である。
「石」交の友人、言葉は要らない友(忘言)とは言え、早や十三年回忌である。彼の肉声を久しく聞かない。
旧友とのト「悌」の席に、我が「三」君の姿が見えぬのが残念である。


    独吟歌仙「花茨」第十一之巻

発 句(夏)  みちのくの旅なつかしき花いばら
脇  (夏)  卯の花かざし田植歌聞く
第 三(雑)  古里は原発汚染に泣かされて
月の座(秋)  フォーコーナーズ・コロラドの月
五句目(秋)  終戦日また敬老の日を迎ふ
擧 句(秋)  アグファカラーの彼岸花咲く


 折しも「おくのほそ道」は、福島原発騒ぎに明け暮れている。
「独吟歌仙」の舞台は、どうしても戦争の影から抜け出せない。

おくのほそ道(序章):
  月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。

おくのほそ道(白河):   卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にも越ゆる心地ぞする。
     卯の花をかざしに関の晴着かな(曽良)
     風流の初めや奥の田植うた



<感想>

 私の方も、「花茨忌」の詩を拝見するのが恒例のこととなり、また一年が過ぎたことを感じるようになりました。

 『奥の細道』の白川関の記述にも触れておられますが、先の大震災でここも被害を受けたと聞いています。福島は原発事故の被害も大きく、かつて歌枕とされた地が大変なことになっているという印象です。

 能因法師の歌である「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白川の関」により、その跡を追った西行、その西行を追った芭蕉と、何百年の時を越えて詩人が心を重ね合わせてきた地の復興を祈らずにはいられません。

 転句の「ト悌」は「親しみ、なごむ」意味ですが、友人達との邂逅の楽しさの後に「無影」が来て寂しさがよく強調されていると思います。



2011. 7.29                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第157作は大阪府にお住まいの 南芳 さん、六十代の男性の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2011-157

  初孫        

初孫拝謁一歓愉   初孫に拝謁 一歓愉す

小指丹心不受汙   小指に丹心 汙を受けつけず

志尚青雲存不朽   志は尚ほ青雲 不朽に存す

蛾眉弘毅是明珠   蛾眉 弘毅 是れ明珠

          (上平声「七虞」の押韻)


<感想>

 新しい仲間をお迎えでき、とても嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いします。

 お孫さんのご誕生、おめでとうございます。さっそくの漢詩、拝見しました。

 お手紙では作詩は初めてとのことでしたが、平仄も押韻も整っていて、感心しました。

 起句の「拝謁」は大げさな表現ですが、楽しみに待っていて、ようやく「お目にかかれた」という気持ちで、喜びがよく表れていますね。

 承句の「汙」は「汚」の異体字、「かわいい指、真っさらな心、今後の人生で汚れに触れないように」というお爺ちゃんとしての希望でしょう。「小指」「丹心」の組み合わせがやや気になりますが、真っ先に指が目に入ったのでしょうね。

 転句もお爺ちゃんからの言葉で、「夢は大きく持てよ(青雲の志というのはどんな時代でも消えはしないのだぞ)」という思いでしょう。「不朽に存す」というのは訓みにくいので、「志在青雲猶不朽」とするところでしょうか。

 結句は、「娥眉」は単に眉の形状を表したのでしょうか、この語は女性をイメージしますので、「弘毅」とのバランスが悪く感じます。
 男女の双子ということでしたら分かりますが。


2011. 8. 6                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第158作も 南芳 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-158

  賀結婚        

華燭高堂万寿春   華燭の高堂 万寿の春

欣欣永契意中人   欣欣として 永く契ふ 意中の人

無量満座呈祥瑞   無量 満座 祥瑞を呈し

敬愛軒昂是好姻   敬愛 軒昂 是れ好姻

          (上平声「十一真」の押韻)

<感想>

 こちらの詩は、ご長男さんのご結婚に際しての作詩とのこと、またまたおめでとうございます。

 起句承句は結婚式の華やかな様子が目に浮かぶようです。

 転句からがちょっと分かりにくくなりますね。
「無量」「祥瑞」に本来は懸かっていくのでしょうが、句の頭に置いたために独立してしまい、行き所が無い感じです。ここは「座」の様子を表す言葉が適するでしょうね。
 結句は「敬愛」「軒昂」の組み合わせはどうでしょうか。結婚をする二人への作者からの感懐が表れたところ、若い夫婦へのアドバイスとしてもう少し練ってみるといかがでしょう。



2011. 8. 6                 by 桐山人



南芳さんからお返事をいただきました。

お世話になっております。
御指摘部分を訂正して見ました。よろしくお願いします。

    賀結婚
  華燭高堂万寿春
  欣欣永契意中人
  家門結夢恩波洽
  昌運群来是好姻

2011. 9.18                 by 南芳


 転句と結句を直されたのですね。
 「恩波洽」は何となく持って回ったような表現で、お祝いならば前作の「呈祥瑞」を使った方が良いでしょう。

 結句の「群来」は「いっぱいやってくる」ということで平仄を合わせたのでしょうか。「群」が気になりますね。「来迎」「来臨」などでいかがでしょう。



2011.10. 2                by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第159作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-159

  地震行 国歩難編       

海内政情多事時   海内の政情 多事の時

日本国歩累卵危   日本の国歩 累卵の危

廟堂無人奈社禝   廟堂人無く 社禝奈ん

草茅危言慷慨悲   草茅に危言して 慷慨悲し


徒弄詐言多虚詭   徒に詐言を弄して 虚詭多く

恋恋盗位不知恥   恋恋位を盗んで 恥を知らず

宰相無能難堪任   宰相無能 任に堪へ難く

国蠧拱手災民死   国蠧手を拱ねいて 災民を死(ころす)


被災窃笑是好機   災を被むりて窃かに笑ふ 是れ好機なりと

巧逃退陣民意違   巧に退陣を逃れては民意と違ふ

失言失政又失態   失言 失政 又失態

揶揄醜聞賈嘲譏   醜聞を揶揄しては嘲譏を賈ふ


廟堂混迷誰可罰   廟堂混迷 誰か罰すべけんや

不省災地多病歿   災地の病歿の多きを省みず

原子炉心隠溶融   原子炉心の溶融するを隠し

市井鼎沸脱原発   市井は鼎沸す 脱原発を


股肱建議説安全   股肱建議す安全を説くを

宰相返汗何平然   宰相汗を返しては 何ぞ平然たり

宛似登屋外梯子   宛も似たり 屋に登りて梯子を外し

自縄自縛又迍邅   自縄自縛して又迍邅す


媚民声高説災後   民を媚び声高に 災後を説くも

焦眉災禍易噤口   焦眉の災禍に 口を噤み易し

動欠熟慮弄放言   動すれば熟慮を欠きて 放言を弄し

専政宰相面皮厚   専政の宰相 面皮厚し




「返汗」: 一度命令したものを反故にする 「綸言如汗」

<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから転載しました。




2011. 8. 6                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第160作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-160

  越前少将 松平春嶽公        

幾奏建言蒙譴責   幾たびか建言を奏して 譴責(けんせき)を蒙(こうむ)るも

蟄居何可屈高懷   蟄居して何ぞ高懐を屈すべけんや

或稱公武國防議   或(あるい)は公武を称(とな)へ 国防を議し

赫赫勲功躋位階   赫赫(かくかく)たる勲功 位階を躋(のぼ)る

          (上平声「九佳」の押韻)



<解説>

「幾奏建言蒙譴責」: 昨年掲出の拙詩「詠山内容堂公」でも触れたが、「安政の大獄」で謹慎蟄居の身となった。
「稱公武」: 公武合体政策により難局を乗り切ろうとした。
「赫赫勲功躋位階」: 従一位勲一等旭日大綬章など位を極めた。

★関連サイト

Wikipedia 松平春嶽

[官位]: 正四位下 左近衛少将 越前守 内国事務総督 民部官知事 民部卿 大蔵卿 大学別当 侍読、正二位、勲二等、従一位、勲一等 江戸幕府政事総裁職
[藩]: 福井藩主

<感想>

 サラリーマン金太郎さんの幕末シリーズですが、歴史の勉強をしているような気持ちで読ませてもらっています。
 前回の時にも書かせていただきましたが、このジャンルの作詩には手慣れた趣があり、安心して読むことができます。

 今回は前半に松平春嶽公の気骨ある姿を述べておられ、春嶽公への作者の思いがストレートに出ていて、分かりやすく思いました。
 この前半は人柄を表し、転句で政治家としての見識や言動をまとめようというのが作者の意図でしょうが、冒頭の「幾奏建言」という行為と転句が重複しているようで、インパクトが弱く感じました。
 結句とのつながりで見るならば、転句も後日談という形で、例えば維新後の公の行動などを描くと全体がまとまるように思いました。

 結句は個々の感覚の違いかもしれませんが、すばらしい勲位があるぞという形で春嶽公の評価を収めるのは、幕末を生きた政治家という位置づけで読んできた私には、違和感が残りました。
 先に述べましたように、転句を工夫されると解消するのかもしれませんが。



2011. 8. 9                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第161作も サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-161

  大老 井伊直弼公        

來列艨艟浦賀濱   来り列(つら)ぬ 艨艟(もうどう) 浦賀の濱

泰然交渉尚凝辛   泰然交渉して 尚 辛を凝(こ)らす

何料雪中英傑殪   何ぞ料(はか)らん 雪中 英傑殪(たお)るも

誰知開國獨醒人   誰か知らん 開国 独醒の人

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

「雪中英傑殪」: 「桜田門外の変」により討たれる
「獨醒人」: 混乱した社会に一人正気でいる人。

 幕末明治維新当初、直弼の評価は、行き過ぎた粛清「安政の大獄」や「違勅調印」の咎で芳しくなかったが、今日においては「日本開国の父」として再評価を得るようになった。



★関連サイト

Wikipedia 井伊直弼

<感想>

 こちらの詩も、後日談を結句に置いて収束させる構成は同じですね。
 ただ、井伊直弼公の場合には殺害されるという大事件があり、それが転句としての効果を生んでいて、ストンと結句が腹に落ちる感じがします。

 転句の「何料」と結句の「誰知」の疑問詞の重ねは、気になる方もいるかもしれませんね。
 転句の読み下しが「雪中 英傑殪る」と逆接でつないでいるせいもあるでしょう。どうして逆接なのか分からないのと、一つの文に疑問詞が複数というのも違和感を生んでいるわけで、ここは「雪中 英傑殪(たお)る」として転句と結句をそれぞれ独立させた方が良いでしょうね。



2011. 8. 9                 by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第162作も サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-162

  最後將軍徳川内府慶喜公         

進取英明志未銷   進取英明にして志、未だ銷(け)せず

毅然外患内憂邀   毅然として外患内憂を邀(むか)ふ

泰平三百徳川績   泰平三百徳川の績(いさをし)

大政奉還昆後昭   大政奉還して昆後(こんご)に昭(あきら)かなり

          (下平声「二蕭」の押韻)

<解説>

 

「昆後昭」: 「後昆(こうこん)」ともいう。「後」も「昆」も、のち、の意。
      のちの世の人にその政治判断は評価されるであろうの意。

★関連サイト

Wikipedia 徳川慶喜

<感想>

 最後の将軍、徳川慶喜公が今回の対象です。
 将軍になる前、将軍の時、そして将軍を辞した後の明治期、それぞれの時期で受ける印象も随分異なるのが、歴史の変動期を生きた人物の足跡ですね。
 慶喜公が大政奉還して将軍を辞されたのが三十歳の時、その後大正二年、七十二歳でなくなられるわけで、四十年以上も「元将軍様」という立場でいたのは大変だったろうな、と庶民の私は思ってしまいます。
 サラリーマン金太郎さんは大政奉還までの前半生、安政の大獄で松平春嶽公らと共に蟄居謹慎させられた頃から、将軍として大政奉還までを成し遂げるところまでをまとめられたものですね。

 承句の「邀」は「迎え撃つ」という意味を持っていますから、難局に立ち向かう気概が感じられますね。ただ、表現としては「内憂外患毅然邀」とした方が分かりやすいかと思います。

 後半は「最後将軍」という点を意識した表現ですね。
 結句の「昆後昭」は、当時に作詩されたのならともかく、すでに明治維新から百五十年近くを経ていますので、解説に書かれたような「のちに評価されるだろう」では弱いでしょう。ここは「のちのちまでも明るく照らしている」と、現代の作者の判断を示したとすべきです。
 そうした作者の判断に対しては賛意もあれば異論もあるかもしれませんが、詩としてはここで自分を出さないといけません。傍観者のような視点で歴史上の出来事を述べただけという印象になる危険があるからで、それは避けるべきだと私は思っています。



2011. 8.13                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第163作は 展陽 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-163

  夏日閑遊        

無朋来陋屋   陋屋に来る友無し

曳杖近郊行   杖を曳いて近郊を行く

戯蝶娟娟舞   戯蝶は娟娟と舞ひ

飛蝉聒聒鳴   飛蝉が聒聒と鳴く

幽林斜日照   幽林 斜日照り

遠嶺白雲横   遠嶺 白雲横たふ

独坐看餘景   独坐し 餘景を看

高吟楽此生   高吟して此の生を楽しむ

          (下平声「八庚」の押韻)

<感想>

 大きな自然に囲まれた中で、ゆったりとした生活を楽しんでいる姿が浮かんできますね。

 構成や対句も工夫されていると思いますが、全体的には題名の「夏日」の雰囲気が足らないように感じます。
 特に叙景の頸聯に季節感が弱いのが残念です。「幽林」「遠嶺」は修飾語を替えてみて、例えば「風林」とか「翠嶺」などにすると夏らしさが出るでしょう。
 「斜日」「白雲」も最適な言葉かどうか、そうした観点で推敲されると良いでしょう。


2011. 8.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第164作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-164

  閑居春眠        

太白微芒覘破壁   太白の微芒 破壁を覘ひ

姮娥素影涵荒籬   姮娥の素影 荒籬を涵す

寺鐘音静詰晨近   寺鐘 音静かにして 詰晨近きも

茅屋褥親睡起遅   茅屋 褥親しくして 睡起遅し

臥聴鳥禽声睍v   臥して聴く 鳥禽 声睍vたるを

坐観花卉露淋漓   坐して観る 花卉 露淋漓たるを

閑居妙意在塵外   閑居の妙意 塵外に在り

借問餘生作一詩   借問す 餘生 一詩を作せるやと

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 詠い出しで、東に昇る朝日と西に残る残月を並べた構図も面白いですが、「破壁」「荒籬」の修飾語や、日と月という空からの光に対して「覘」「涵」と動詞の使用に配慮がされていて、現実感が強く感じられる詩ですね。

 首聯から頸聯まで対句を並べています。ともすると音調が重くなりがちですが、首聯の工夫が生きていて、軽快なリズム感が出ていると思います。第一句は踏み落としになっていますが、首聯対句の場合はそちらが正格です。

 頷聯の「詰晨」は「詰朝」とも言いますが、「早朝」の意味です。

 尾聯の「借問餘生作一詩」は佳い句ですね。謙遜とも取れれば矜持とも取れ、味わいのある句です。ただ、「閑居妙意」にひたりすぎてしまうと、詩を作ることすら忘れてしまう心配はありますが。



2011. 8.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第165作は 真瑞庵 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-165

  江村雨景        

堤楊畔竹吐蒼烟   堤楊 畔竹 蒼烟を吐き

江村六月風翠然   江村六月 風翠然たり

雨歇西山碧空急   雨は西山に歇んで 碧天急に

彩橋一架跨秧田   彩橋一架 秧田を跨ぐ

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 青のトーンで雨の江村を描こうという狙いですね。
 起句の「青烟」、承句の「風翠然」、特に「風翠然」は、梅雨時の江村がしっとりと湿り気に溢れる情景を髣髴とさせて、広がり感、奥行き感を生み出していますね。

 ただ、転句の「碧空」は、イメージの異なる雨上がりの空に同じ色調の語を用いていて(それが作者の意図なのでしょうが)、使い過ぎという印象です。
 ここは色を出さずに「霽空」などでぐっと辛抱しておくと、結句の「彩橋一架」という虹の七色が生き生きとしてくるように思います。



2011. 8.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第166作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-166

  梅雨偶感        

梅雨横斜湿草廬   梅雨 横斜 草廬を湿し

老翁懶惰愛闍   老翁 懶惰にして闍盾愛す

如今孫輩為何事   如今 孫輩 何事をか為す

学舎喃喃励読書   学舎 喃喃 読書に励むならん

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 鈴木先生、お久しぶりです。
 大変な年になりましたが、如何お過ごしでしょうか。

 近頃はスランプと言いましょうか、詩想が湧かず詩作もめっきり減ってきました。
おまけに下の孫も小学校に入り、逢う機会も減ってしまい寂しいことです。

<感想>

 お孫さんも小学校に通うようになっては、そうそう相手もしてもらえませんね。
 我が家も上の孫が来年から小学校、下の孫はまだ這っていますので、もうしばらくは爺さんに付き合ってくれそうですが、禿羊さんの寂しいお気持ちはよく分かります。息子や娘とは寂しさが違いますよね。

 詩は、禿羊さんのお気持ちがよく描かれていると思います。「詩想が湧かない」とのことですが、「詩心」はたっぷりと蓄えられているようですよ。
 前半の描写は、肩の力が抜けた軽いスケッチのような印象ですが、その軽さが転句からのお孫さんへの連想に生きています。
 内容としては、前半と後半は分離しているわけですが、「雨に降られて、部屋の中でぼーとしている」怠け者の私が、あれこれと考えている中でふと、「最近、孫はちっとも来ぬが、どうしとるんじゃろう?」と思うのは、とても自然な感じがするのですが、これはひょっとすると、孫を待つ爺さんの連帯感でしょうか。



2011. 8.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第167作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-167

  花時出遊        

風和日暖散紛葩   風和らぎ日暖かくして紛葩(ふんぱ)を散じ。

一帯田間覧物華   一帯の田間 物華(ぶっか)を覧る

紅藕白蓮池上彩   紅藕(こうぐう)白蓮(はくれん)池上を彩る

更登山径訪桃花   更に山径(さんけい)を登って桃花を訪はん。

          (下平声「六麻」の押韻)


<解説>

 春の田舎路をバイクで走るとそこは桃花や桜が一面に咲き乱れています。
 田園地帯を見るとしあわせになるなという思いを詠みました。

<感想>

 「田園地帯を見るとしあわせになる」というのは、楽聖さんのようなお若い方でもそうなんですね。私のような年齢ですと、子供の頃が懐かしいという理由付けができるのですが、楽聖さんもそうだとなると、年齢を問わずの(現代)人の共有感覚なのでしょうかね。

 題名の「花時出遊」の通り、花を探してあちらこちらと走り回る、という姿がよく分かる詩になっています。具体的な花の名が出るのは後半ですが、桜、菜の花、スミレ・・・、春の象徴がいくつも目に浮かぶようです。

 結句の収束も、「更登」という言葉で、作者の「しあわせ」感が浮き出ていると私は思いました。



2011. 8.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第168作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-168

  作曲有感        

操将七韻管弦鳴   七韻操り将って管弦を鳴らす。

交響音声集大成   交響せる音声は集大成。

譜面縦横馳構想   譜面縦横に構想を馳す。

漸終作曲夜三更   漸く作曲を終えれば夜三更(さんこう)。

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 太刀掛呂山著の漢詩の手本第2輯を読んでいて、集大成という詩語に私は引っかかった。
 8人いればオーケストラだという解説を読み、そうだこの間作曲したオーケストラは9人だった。あれも管弦だなと。あれは室内楽だと言えばそうだけど、これも立派なオーケストラだということを教えてもらい、交響曲の作曲の苦しみよりも喜びを作詩したものです。
 いつか大ホールを満員にした私の漢詩が合唱団に歌われる交響曲を作曲して、21世紀の第九を作曲して世界平和に貢献して、格差是正、貧富の差のない社会と抑圧や干渉のない社会建設、そんな社会が実現できればと思います。
 脱原発、反核、平和の作曲家の願いです。

<感想>

 交響曲を作曲するとなると、頭の中で、あれもこれもと様々な楽器の音とその組み合わせ、音の調和を予想しながらのことでしょうから、随分大変なことだろうなと思います。すみません、そんな感想くらいしか、素人は浮かびません。

 苦しさを前面に出さずに、この詩のように、曲を作る喜びが生き生きと浮かび上がってくる構成は良いですね。特に転句は、音楽家ならではの表現ですね。
 「譜面」に限らなければ、漢詩を読んだり、作っている時にも、「縦横馳構想」という思いになることが私も時々(ごくまれに・・かな?)あります。楽しい陶酔の時間ですよね。

 結句の「漸」は「だんだん、少しずつ」の意味ですので、「才」「纔」とするところでしょう。



2011. 8.15                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第169作は 兼山 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-169

  辛卯花茨忌(二)        

花茨似雪十三還   雪に似たる 花茨 十三たび還る

故影不忘如對顔   故影 忘れず 顔に対するが如し

海嘯襲來東北路   海嘯 襲来す 東北路

倶君誰憫雨聲頑   君と倶に 誰か憫れまん 雨聲頑なり

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 毎度、ご丁寧な御指導を頂戴し、有難う御座います。
先日(06/01)、「辛卯花茨忌」を投稿致しましたが、過日(07/06)、法事を済ませました。
その折に詠んだ漢詩「辛卯花茨忌(二)」を送付致しますので、宜しく御願い致します。

******************************************************

 芭蕉が奥の細道の旅へ出立したのは、元禄2年(1689)3月27日(陽暦5月16日)であった。
白河の関、平泉中尊寺を経て、5月17日(陽暦7月3日)山刀伐峠から尾花澤に向かい、10泊。
5月27日(陽暦7月13日)山寺(立石寺)に着いた。江戸を出て丁度二ヵ月後である。
因みに、故人の祥月命日(7月5日)は、偶々芭蕉翁が尾花澤に逗留した11日間の第3日目、恰も花茨や紅花の季節に当たっている。

 今年の九州地方の梅雨明けは、南部は例年よりも早かったが、福岡地区だけは若干遅れ、「辛卯花茨忌」を修した日(7月6日)には、梅雨時には珍しい大雨が降った。
 午前中は何とか降らずに過ぎたが、午後からは、天気予報通りの豪雨となった。
 法事が済んだ後の話題は、故人がこよなく愛した「おくのほそ道」であり、その舞台である「みちのく」を襲った「東日本大震災」であった。

  梅雨大雨み佛のこゑ途切れけり(兼山)

<感想>

 起句の読み下しは「花茨 雪の似(ごと)くにして 十三たび還る」とする方が良いでしょう。

 結句の収束は情感あふれるもので、つい涙ぐむほどの思いがします。
 ただ、この収束は、故人が「みちのく」へ深い思いを持っていたことが前提ですので、この詩だけを初めて読む方には東北の震災と「倶君誰憫」のつながりが分かりにくいかもしれません。
 勿論、今回の解説を読めば十分に理解はできるわけですが、そもそもが故人への供養のための詩でもありますので、知っている人が分かればそれで良いのだろう、という気もします。
 「知っている人」の仲間に入れていただけるならば、私は、この後半の二句は作者の思いの籠もったとても良い句だと思いました。


2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第170作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-170

  病中漫吟 其一        

養痾牀上養詩魂,   痾を養ふ牀上 詩魂を養ひ,

漸醒午眠黄卷繙。   漸く午眠を醒まして黄巻繙く。

愛讀樂天閑適句,   楽天の閑適の句を愛読し,

同懷陶令忘塵煩。   同に陶令を懐ひて塵煩を忘れん。

          (上平声「十三元」の押韻)



<解説>

 昨年四月から一年ほど入院して、現在はまた検査入院中です。
その間に病気が進行して身体が衰えて車椅子の生活になってしまいましたが、少しでも明るく生きていこうと思います。


「樂天」: 白楽天(白居易)のことです。
「陶令」: 陶淵明(陶潜)のことです。
結句の「同に」は病人と白楽天がともに、という意味です。

<感想>

 玄齋さんから最近投稿が無いなぁと気になっていましたが、七月の末にお手紙をいただき、入院していたことを知りました。
 長年病気と闘ってきていらっしゃる玄齋さんから「少しでも明るく生きていこう」というお言葉をいただくと、私の方が励まされる思いがします。
 大震災についての詩も送って頂きましたので、併せてごらんください。

 「閑適」は仕事が休みの時に詩作に力を入れることが本義ですので、病気をして、少し落ち着いた状態の時は詩作の点ではまさに好都合だとも言えます。
 ただ、私の経験では、夢の中で詩を作った時と似ていて、ベッドの上で素晴らしい詩句をふっと思いつき、これだ!と喜ぶのですが、メモしようと筆を取ると思い出せない、ということがよくありました。あれは何なのでしょうね。
 玄齋さんの詩は、久しぶりに拝見しましたが、変わらず楽しく拝見しました。
特に、起句は句中対が効果的で、この一句で詩が完成していると思われるほどです。


2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第171作も 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-171

  病中漫吟 其二        

病臥已經旬,   病臥 已に旬を経て,

對書排悶辰。   書に対ひて悶を排するの辰。

老荘知展卷,   老荘 巻を展べて知る,

根本在修身。   根本 身を修むるに在りと。

偏願醫多疾,   偏に多疾を医するを願ひ,

切思安両親。   切に両親を安んぜんと思ふ。

自雖生薄命,   自ら薄命に生まるると雖も,

未死惜陰人。   未だ死せざれば 陰を惜しむの人たらん。

          (上平声「十一真」の押韻)



<解説>

 入院中に作った漢詩です。
 僕の病気はあまり長生きのできるものではありませんが。少しでも前を向いて生きていこうと思います。

<感想>

 そうですね、ご病気に対しても十分にご理解されて、「惜陰」(時を惜しんで努力する)の言葉が出てきたのだろうと思いますが、それでも「未死」は痛烈で、読む側もつらいものがあります。
 尾聯の「自雖生薄命」「自」も思いの籠もったものかもしれませんが、

   此生雖薄命,
   未逝惜陰人。

 くらいでいかがでしょうか。



2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第172作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-172

  初夏偶吟(憶東日本大震災)        

初夏報晨鶏語横,   初夏 晨を報じて鶏語横たはり,

雨餘農畝曉雲晴。   雨餘の農畝 暁雲晴る。

幾望老叟荷鋤圃,   幾たびか望む老叟 鋤を荷ふの圃,

欲聽豐年撃壌聲。   聴かんと欲す豊年 壌を撃つの声。

地震罹災窮未脱,   地震 災に罹りて 窮 未だ脱せず,

民貧持節盗無生。   民貧しくも節を持節して 盗 生ずること無し。

朝餐粒粒皆辛苦,   朝餐 粒粒 皆 辛苦なり,

一食毎懷憂國情。   一食 毎に懐ふ 国を憂ふるの情。

          (下平声「八庚」の押韻)





「撃壌」: 壌(じょう)という土製の楽器を鳴らし、あるいは、地面を踏んで拍子を取って歌うことです。
     これは古代中国の伝説の帝王の尭の時代を讃えた言葉で、天下太平で、民衆が生活を楽しんでいることのたとえです。
「粒粒皆辛苦」: 唐の李紳の五言絶句、『憫農 其二』より、「鍬禾日當午,汗滴禾下土。誰知盤中餐,粒粒皆辛苦。」


私が入院している間に震災が起こって大変胸が痛みました。
被災地で辛い日々を送られている中で、復興に向けて立ち上がろうとしている方々には本当に頭が下がります。
現在も入院中ですが、私も一人の人間として、何ができるのかをもっとしっかりと考えていかなければと、改めて思います。

<感想>

  東北・関東大震災のコーナーから転載しました。



2011. 7.                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第173作は 楽聖 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-173

  三月十一日        

失言連日是何災   言うことを失ふ連日 是れ何の災ひぞ

生死難図苦悶催   生死図り難く苦悶催す

一億国民多落涙   一億国民落涙(らくるい)多し

深更夢覚不堪哀   深更(しんこう)夢覚めて哀しみに堪えず

          (上平声「十灰」の押韻)




言うことを失うくらい最悪の事態があったというのを連日の報道で感じました。
友人も苦しんでいます。

 原発問題とかありますけど、事態はまだ安心できません。これは直後に書いたものですけど、時事というのは難しい課題だと言えるでしょう。

<感想>

  東北・関東大震災のコーナーから転載しました。

2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第174作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-174

  地震行 仮寓編        

市街呑尽逼奔濤   市街呑み尽して奔濤逼り

母子相呼携手逃   母子相呼びて 手を携えて逃げん

小児無力竟分手   小児力無く 竟に手を分ち

阿母免死苦心労   阿母死を免がれて 心労に苦しむ


泣哭如狂憫吾幼   泣哭狂うが如く 吾幼を憫む

却恨児死我獨救   却って恨む 児死して 我獨り救われるを

難忍壊屋遺老親   忍び難きは 壊屋老親を遺すを

傍人呑声空俯首   傍人声を呑みて 空く首を俯れる


災餘百日仮寓身   災餘百日 仮寓の身

空懐旧時多傷神   空しく旧時を懐えば 神を傷めること多し

毎問安否無消息   毎に安否を問うも 消息無く

如是天殃是何因   是の如き天殃は 是れ何んの因ぞ


仮寓譁然無安息   仮寓譁然として 安息無く

暑気難耐慣少食   暑気耐え難し 少食に慣れ

児童得友遊嬉多   児童友を得ては 遊嬉多しも

今日災禍未知得   今日の災禍 未だ知るを得ず


災人劬労忍天殃   災人劬労して天殃忍び

何日復興得安康   何日か復興して 安康を得ん

陳情不解仮寓苦   陳情するも解せず 仮寓の苦

政策疎漏政争忙   政策は疎漏しても政争忙がし





<感想>

 東北・関東大震災のコーナーから転載しました。




2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第175作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-175

  秋風無情        

顧齢驚倒古希翁   齢を顧みて驚倒す 古希の翁

不覚長程一夢中   覚えず 長程 一夢の中

今見空房秋髪影   今見る 空房 秋髪の影

誰知心緒弗勝窮   誰か知らん 心緒窮むるに勝へざらんを

          (上平声「一東」の押韻)

<感想>

 前半二句に、古稀をいつの間にか迎えてしまったという気持ちがよく出ていますね。長い人生も振り返ると「夢の中」のようだというのは、実感なのでしょうね。
 よくまとまった詩だと思います。

 難を言えば、転句の「空房」は誰も傍に居なくなってしまった状態を表しているわけですので、結句の「誰知」と尋ねるのは妙なもの、「纔知」「猶知」などが良いと思います。



2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第176作は 芳原 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-176

  雪中客        

頽壁閑塵外   頽壁塵外に閑なり

天寒書翰慵   天は寒し 書翰は慵し

屐声高淡雪   屐声 淡雪に高し

一献忘宵鐘   一献 宵鐘を忘る

          (上平声「二冬」の押韻)

<感想>

 五言らしい軽快なテンポが出ていると思います。

 転句で題名の「雪中客」の来訪を教えてくれますが、客と限定できるかどうか、通行人の下駄の音かと私は最初思いました。
下駄の音のノスタルジックで諧謔味の残る素材は捨てがたいところですが、「有声」とすれば誰かが訪問してきたという転換になるでしょうね。



2011. 8.16                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第177作は 洋宏 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-177

  父親背        

光彩飛翔葦雀騒   光彩 飛翔 葦雀騒がし

山顛遙遠黒雲濤   山顛 遙遠 黒雲濤(なみだ)つ

奔流攫取幼童脚   奔流 攫取す 幼童の脚

在背看竿水面高   背に在って看竿 水面高し

          (下平声「四豪」の押韻)

<解説>

 小さい頃 親父と故郷の川へ釣りに行った時 その背中から見た川の流れが怖かったことを思い出しました。

<感想>

 幼い頃の思い出を描こうとすると、記憶の中のさまざまなエッセンスが湧き起こり、あのこともあった、このこともあったとついつい内容が豊富になりすぎることがあります。

 今回の詩でも、恐らく作者の目には子供の頃に見たものがありありと浮かんでいて、キラキラとまぶしい太陽の光、飛び交うヨシキリの鳴き声、遠くの山の上にわき上がった入道雲、足をすくわれそうになった川の流れ、そしてお父さんの背中の思い出、どれも共感できる懐かしさで、これらを描きたいというお気持ちは分かるのですが、配置と構成が大切です。

 起句の「光彩」は下の語と関連が無く、二字が孤立しています。
 川に居ることが分かるのは「葦」の語だけで、これも「葦雀」という鳥名の一部ですので、場所が明確ではなく、更に承句に「山顛」が来るので、ますます場面が分かりにくくなっています。
 冒頭の「光彩」を「川上」のような言葉にすると、それだけで前半のまとまりが生まれます。

 前半で川にいることが分かれば、転句の「怖さ」も伝わりやすくなると思います。ただ、お父さんの背中に居るのか、水に足を入れているのか、時間的に異なることを一緒のように書いたために、結句が混乱してしまいます。
 また、「水面高」という結びで作詩の意図が十分に出ているかも疑問ですので、結句を再度練ってみたはいかがでしょうか。



2011. 8.17                  by 桐山人






















 2011年の投稿詩 第178作は 劉建 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-178

  勺薬        

花陰重重玉容垂,   花陰 重々として 玉容垂れ

空庭紛紛墜粉遺。   空庭 紛紛として 墜粉遺す

盛夏居閑絶塵壒,   盛夏 閑に居し 塵壒を絶ち

孤雲落日數歸期。   孤雲 落日 帰期を数ふ

          (上平声「四支」の押韻)



<解説>

 花の陰に重々しく、玉の様な姿の勺薬がうな垂れていて、寂しい庭に紛紛とその白い花弁が散り残っている。
 夏の盛りをひっそりと暮らしているが、塵や埃が立たなくなり、孤独な身に一日が終わると、帰日を指折り数えているのだ。


 この漢詩は去年の夏、女房が実家に帰った時の心境を書きました。

<感想>

 芍薬の花の美しさを描いた前半に、フムフムと納得しながら読んでいましたが、最後まで行くと、どうやらこれは奥様の美しさを象徴していることに気がつき、やや、一杯食わされたという気持ちですね。
 まあ、それはそれとして、詩としては、愛する人の帰りをひとりで待つという情感がしっとりと出ていて、良い雰囲気になっています。
 転句の「絶塵壒」も、解説では現実的に「独りで静かに暮らしているから塵や埃もあまり立たない」ということのようですが、もちろん、一般的な「俗世間の汚れから逃れて暮らす」という意味も想像できます。
 ただ、あまりここで快適な生活という雰囲気が出てしまうと、「数帰期」が待ち遠しい気持ちとは逆になってしまいますので、作者の言うように「埃さえも立たない静かな生活」とするのが良いでしょうね。

 妻を待つ夫、が作者の設定のようですが、逆に夫の帰りを待つ妻でも良いでしょう。ただ、その場合には先ほどの「絶塵壒」は「きれいに掃除もして待ってます」という感じで、これも良いですね。

 一日千秋の待ち遠しさをより強調するならば、結句を「朝雲落日」として「朝から晩まで一日中」とすることも考えられます。あるいは雲は夕方には山に帰るという意味を強調して、「暮雲落日」もありますね。

 そうしておいて、転句の「居閑」の落ちつかなさを「孤閑」とすることで解消してはどうでしょうね。



2011. 8.17                  by 桐山人



謝斧さんから感想をいただきました。

「勺薬」は詠物題で、詩の内容は詠物体にならなければなりません。
詠物体では、題と内容が合わないのは重大な大疵になります。
もし詠物体するのであれば、三四句も勺薬に拘わる叙述にしなければなりません。

「見勺薬有感」くらいなら許せるのですが


2011. 8.23              by 謝斧





劉建さんからお返事をいただきました。

 初めまして、劉建です。
 ご挨拶遅れました。謝斧さんから感想をいただきまして感謝いたします。

 漢詩創作において題に対する、詩の構成の指摘をくださり、勉強になりました。
 漢詩創作の機微に触れ、この会が有意義であると改めて思いました。

 貴重な意見を糧にして詩作に励みたいと思います。


2011. 9. 7              by 劉建






















 2011年の投稿詩 第179作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-179

  初夏竹陰        

雨餘清晝竹亭幽,   雨餘の清昼 竹亭 幽なり,

横臥簟牀吟夢悠。   簟牀てんしょうに横臥すれば 吟夢 悠なり。

漸脱睡郷涼味爽,   漸く睡郷を脱せば 涼味 爽かに,

胸中春景幾時留。   胸中の春景 幾時をか留めん。

          (下平声「十一尤」の押韻)

「簟牀」: 竹のすのこのことです。

<感想>

 初夏の爽やかさがにじみ出てくるような詩ですね。
 特に転句は、「漸」が効果的で、午睡のまだぼんやりとしている頭が次第に醒めてくるのにつれて涼しさも感じられるようになって行く様子が、実感を伴って出ていると思います。

 その分、結句の「春景」がいかにも理屈っぽく、違和感があります。初夏という季節の移り変わりの時節を表そうという意図でしょうが、午後の清陰が単に季節を表すだけに終わってしまい、作者自身のこの一瞬の満足感が弱くなってしまっています。
 せっかくつかんだ清涼感をふくらませる形が良いと思います。



2011. 8.24                  by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

「春景」としてしまうと季節の移り変わりのみで、爽やかな満足感を表現し切れていないということですね。
季節の言葉を使うのはもったいないなと改めて思いました。

今回は以下のように改めました。

 初夏竹陰(推敲作)
雨餘清晝竹亭幽,   雨餘の清昼 竹亭 幽なり,
横臥簟牀吟夢悠。   簟牀てんしょうに横臥すれば 吟夢 悠なり。
漸脱睡郷涼味爽,   漸く睡郷を脱せば 涼味 爽かに,
念頭新句幾時留。   念頭の新句 幾時をか留めん。




2011. 8.25             by 玄齋






















 2011年の投稿詩 第180作は 玄齋 さんからの作品です。
 

作品番号 2011-180

  初夏看薔薇     初夏、薔薇を看る   

庭院漸舒新緑枝,   庭院 漸く舒ぶる新緑の枝,

看花已忘落花時。   花を看て已に忘る落花の時。

籠烟荊棘纏長檻,   烟を籠めて荊棘 長檻に纏はり,

帯雨薔薇覘短籬。   雨を帯びて薔薇 短籬を覘ふ。

麗女唇紅含笑臉,   麗女の唇は紅にして 笑臉を含み,

病夫頭白展愁眉。   病夫の頭の白きも 愁眉を展ぶ。

群芳復為何人咲,   群芳 復た何人の為に咲くや,

一放天香君忽知。   一たび天香を放てば 君 忽ちに知らん。

          (上平声「四支」の押韻)

<感想>

 こちらの詩も、第二句が理屈っぽい気がします。
 「看花」は庭に発いた薔薇の花でしょう、その薔薇を見ていると「落花時」の惜春の情も消えてしまうという発想は、作者独自の面白さではありますが、実際の場面を考えた時に、眼前の花を眺めながら、「ああ、俺はもう昨日の愁いを忘れている」と思うのかなぁと疑問に感じます。
 もちろん、そういう冷静で客観的な自己認識をすることを否定はしませんが、そういう第三者的な視点を入れることが、以下の薔薇の美しさへの感動に対してプラスに働くのかどうか。
 絶句ならば展開が早いので気にならないかもしれませんが、律詩は、より描写が丁寧にできるわけで、読者も作者の見たものをよく理解しようとします。作者の感動にストレートに没入するのを、第三者的視点が邪魔するように思います。

 うまくまとまっている頷聯以下を生かすためには、この第二句だけ、表現を変えてみてはいかがでしょうか。



2011. 8.24                  by 桐山人



玄齋さんからお返事をいただきました。

鈴木先生、ご指導ありがとうございます。

二句目で別の発想を入れるよりは、三句目以降へすんなりとつなげた方が良いということですね。

今回は次のように二句目を改めました。

 初夏看薔薇(推敲作)
庭院漸舒新緑枝,   庭院 漸く舒ぶる新緑の枝,
聯莖秀萼帶花時。   茎を聯ねて秀萼 花を帯ぶるの時。
籠烟荊棘纏長檻,   烟を籠めて荊棘 長檻に纏はり,
帯雨薔薇覘短籬。   雨を帯びて薔薇 短籬を覘ふ。
麗女唇紅含笑臉,   麗女の唇は紅にして 笑臉を含み,
病夫頭白展愁眉。   病夫の頭の白きも 愁眉を展ぶ。
群芳復為何人咲,   群芳 復た何人の為に咲くや,
一放天香君忽知。   一たび天香を放てば 君 忽ちに知らん。


いつもありがとうございます。
宜しくお願いいたします。



2011. 8.25              by 玄齋