作品番号 2011-121
  熱海之一夜        
舊朋相會酒杯傾   旧朋相会し 酒杯傾く
忘刻追懷已二更   刻を忘れ追懐 已に二更
沐浴窓前煌熱海   沐浴すれば窓前 熱海煌く
再逢又約友情觥   再逢又約す 友情の觥
<解説>
 十年ぶりで旧友と熱海で再会し酒酌み交わし、夜の更けるまで懇談した。楽しい夜だった。
<感想>
 楽しげな雰囲気がよく伝わる作品になっていると思います。
 承句の「忘刻」はやや説明的なのと下三字の「已二更」と重なりますので、別の表現が良いでしょう。
 旧友と会ったということならば、「道故」(班荊道故)などの典故を用いてもよいでしょう。
 結句の「又」は「相」とすると、一人一人との存在が強まります。
 (註記 楚の伍挙の故事、老朋友路上で逢い合う)竹内記
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-122
  箱根晩秋        
層雲覆嶺漾硫烟   層雲嶺を覆ひ 硫烟漾ふ
湖上白波遊覧船   湖上に白波 遊覧の船
黄葉紅楓山影彩   黄葉紅楓 山影彩る
箱根風物晩秋天   箱根の風物 晩秋の天
<解説>
 秋の一日、吟友と箱根に旅行した。
 白煙漾う大涌谷を散策、芦ノ湖の遊覧など、周辺の風物を楽しんだ。
<感想>
 結句の「箱根」は、従来は和風を避けるためということで「函嶺」「函関」などと言い換えていました。
 「箱根」の文字は題名にも入っていますので、ここは「函関」というところでしょうか。
 承句の「覆嶺」を「函嶺」として結句の「箱根」に別の語を入れることも考えられますね。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-123
  望郷        
阿水行人渉   阿水 行人渉り
良山雲表深   良山 雲表深し
苑荒無故舊   苑 荒れて 故旧無く
天凍有飢禽   天 凍りて 飢禽有り
木末凄風急   木末 凄風急に
原頭夕日沈   原頭 夕日沈む
瞻望桑梓外   瞻望す 桑梓の外
漫發倚門心   漫りに発す 門に倚る心
<解説>
憶ふ五十数年前
阿武隈川に架かる
鉄橋を渡り
遠く雲海を隔つ
安達太良山に見送られ
ふる里を出て来たことを
我が家の苑は荒れ
ふる馴染みは問う術もなし
子供の頃
辺りを黄金色に染めて
夕日の沈む
行って見たこともない
遥か遠くの原頭を
飽かずに眺めた
もうあの桑の木のある
家の門前に立って待っていた
母はいない
「桑梓」: 故郷(詩経、小雅、小弁)
<感想>
 昔日を憶う気持ちがよく出ていると思います。
 題名は「望郷」よりも「帰郷」として現実の景とした方が詩意が深まるかと思います。
 「阿水」「良山」は固有名でなく川や山を形容する言葉にすれば、一般的になり広く読まれる詩になるかと思いますが、作者の故郷への深い思いを尊重するなら、このままですね。
 第三句の「故旧」は対句で考えれば「故友」が良いでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-124
  遊美瑛        
染紫丘陵香草煙   紫に染むる丘陵 香草煙る
遙望列嶂雪波連   遥かに望む 列嶂 雪波連なる
氣澄風爽拷A憩   気澄み風爽やか 緑陰に憩へば
初夏田園大地妍   初夏の田園 大地妍なり
<解説>
 景気の悪い昨今ですが、自然の力強さ、鮮やかさに脱帽。
<感想>
 富良野の雄大さがよく出ていると思います。
 起句の「染紫」はラベンダーの花が丘を埋めていることを出しているのでしょうが、「香草」を直接修飾していれば良いのですが、この形ですとちょっと分かりにくいですね。私は夕暮れの景かと思いました。
 承句は「列」と「連」が重複感があります。どちらかを変えた方が良いでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-125
  歳末歸郷        
北向津輕千里餘   北のかた津軽に向ふこと千里の余
驛頭留別就歸途   駅頭 留別し 帰途に就く
車中斟酒年將暮   車中酒を斟む 年将に暮れんとす
窓舞六花燈影孤   窓に舞ふ六花 灯影孤なり
<解説>
 何となくもの悲しい年の暮、北へ向かう列車。はやり唄にもあるような景色でした。
<感想>
 承句の「駅頭」と転句の「車中」がどちらも場所を表し、散文のような印象がします。
 「車中」は別の時間経過を表す語の方が良いでしょう。
 結句の「窓」も場所、雪の舞う様子の「乱舞」でいかが。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-126
  歳暮慟哭        
寒風凍雨在吾家   寒風凍雨 吾が家に在り
七十星霜兩鬢華   七十の星霜 両鬢の華
驚愕訃音朋友逝   驚愕の訃音 朋友逝く
籠居痛飲老翁嗟   籠居して痛飲 老翁の嗟き
<解説>
 昨年暮れに五十年来の親友が急死してしまい、 嘆き悲しんでいる気持ちを表しました。
<感想>
 五十年来のお友達ということですので、悲しみもひとしお深かったことと推察、お悔やみ申し上げます。
 訃報を聞かれての痛切な思いが伝わって来ます。
 参考という程度で、起句の「寒風」を「暗風」とするとやや不安な雰囲気が出ますから、「暗風寒雨草廬家」と、また、転句も「驚起」として、元稹の白楽天を憶う詩から言葉を持って来るのも一案です。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-127
  遊大岩堤        
攜杖行幽徑   杖を携へて 幽径を行く
禽聲慰旅魂   禽声 旅魂を慰さむ
爽哉新樹   爽やかなるかな 新樹の緑
溪水響潺湲   渓水 響き潺湲たり
<解説>
 自分の住んでいる地域にある大岩堤は、幼い頃からの思い出にあふれている場所ゆえ、気の向くままに小さな旅に出たつもりで、ここの自然に親しんでいます。
 五言絶句は初めて作り、少ない文字で表現する難しさを知りました。
<感想>
 五言らしい詩だと思います。
 字数に限りがあるので、どれだけ一字に意味を持たせるか、承句の「禽声」は鳥を詳しくして、「群禽」「山禽」などで少し深まります。
 結句の「響潺湲」の「湲」は「カン」ですと「上平声十五刪」、ここは「エン」と読んでおきます。
 結句の「響」は「久」とすると余韻が出ます。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-128
  偶成        
庭梅花發野鶯鳴   庭梅花発きて 野鴬鳴き
閑日煎茶吟興清   閑日茶を煎れば 吟興清し
八十餘春吾事足   八十余春 吾が事足る
能親風雅養殘生   能く風雅に親しみて残生を養はん
<感想>
 八十歳を越えての落ち着いた心境が感じられる詩ですね。
 このままでも良い詩ですが、題名を「春日偶成」とされると、起句からの入りがすっきりするでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-129
  除夕感懷        
光陰如矢劇怱怱   光陰矢の如くして 劇(はなは)だ怱々たり
悲喜人生過夢中   悲喜の人生 夢中に過ぐ
爐畔傾杯寒月上   炉畔杯を傾くれば寒月上り
鐘聲隠隠歳將終   鐘声隠々 歳将に終らんとす
<感想>
 承句の「悲喜」は語がこなれていないように、また「過夢中」は起句と重なるように思います。
 前の「偶成」の詩と重なるかもしれませんが、「八十人生」とする、あるいは「糾縄」の語を用いると良いかと思います。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-130
  幸司家族欣上棟        
人生守拙一途忙   人生拙を守って 一途の忙
四拾餘年入夢長   四拾余年 夢に入ること長し
正是君家欣上棟   正に君が家 上棟を欣ぶ
新居郁郁放輝光   新居郁々 輝光を放つ
<解説>
 一生懸命働き、我が家を持つことを夢見て四十余年やっと上棟をみることができ馥郁と香る光り輝く新居新築、幸せを感じ喜んでいる息子家族を祝い、詠んでみました。
<感想>
 個人的に贈るにはこの題でも良いですが、一般に示すならば「賀(息子)上棟」くらいで。
 結句の「新居」はこの句だけを見れば問題ないのですが、転句の「君家欣上棟」があると重複です。記念の詩でもありますので、季節の花を持ってきて「寒梅」「梅花」などとしてはどうでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-131
  浜松百歳        
市制施行期百年   市制施行 百年を期す
劫餘激動意堪憐   劫余の激動 意憐れむに堪へ
平成合併看時變   平成の合併 時の変るを看る
政令浜松衆庶縁   政令浜松 衆庶の縁
<解説>
 明治四十四年七月一日、浜松市が誕生(人口三万七千人)
 大正、昭和、平成と励み、平成二十三年七月、百歳を迎えることと成りました。(人口八十二万人余)
「政令浜松」: 政令市浜松、内閣が制定し命令す。
「衆庶縁」: 政令市として県庁所在地でない北九州市と浜松市、特に浜松市は民間の力のみにて政令市と成る。
<感想>
 構成から考えると、「政令浜松衆庶縁」は起句とペアにしないと、句の意図が分からなくなります。
 後半は、戦後のことは転句に、平成のことは結句に持ってくると収まりが良くなります。
 結句の韻字を「遷」として、世の中の変化に主眼を置く形になります。「滄桑」のような語を入れると明確になります。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-132
  題麁玉湯        
與婦時遊麁玉湯   婦と時に遊ぶ 麁玉(あらたま)の湯
澄泉滑澤療凋傷   澄泉滑澤 凋傷するを療す
溪邊喬木通雲景   溪辺の喬木 雲景を通し
一顧呑茶生氣昂   一顧して茶を呑めば 生気昂る
<解説>
「凋傷する」: しぼみ衰える
「一顧する」: ちょっと振りかえってみる
「麁玉」: 古の万葉から浜北区にある地名
「滑澤」: なめらかで、つやがある麁玉湯は県立森林公園にある閑静な日帰り温泉です。
     泉質はぬめり透明です。
<感想>
 最近私は忙しくてなかなか日帰り温泉にも連れて行ってやれず、妻に申し訳なく思っていますので、今度連れていくことにします。
 それまではこの詩は見せられないかな、と思っています。
 結句の「一顧」は「一浴」とした方が前半とのつながりが出るように思います。
2011. 6.23                  by 桐山人
拝啓
梅雨明けて連日の酷暑
先生にはご多忙の連続かと推察申し上げます。
先生のご感想の通り、「一顧」は前半との繋がりと言う具体性に欠けました。
結句を 「一浴呑茶生氣昂」 一浴して茶を呑めば 生気昂る
とお改め下さい。
2011. 7.12 by 薫染
作品番号 2011-133
  小惑星探査機隼        
使隼探査小惑星   隼をして探査せしむ 小惑星
歸途誤迪漾幽冥   帰途 迪(みち)を誤り 幽冥に漾ふ
専心教授圖~術   専心する教授 神術を図り
頼得終逢戀貌形   頼(さいわ)いに終に逢ふを得たり 恋しい貌形
<解説>
「貌形」: 外から見た形
 諦めを知らないプロジェクトマネイジャー川口教授の快挙を称える詩です。
<感想>
 起句の「使」の使役形は詩では読みづらいので「飛隼」とするのが良いと思います。
 結句もせっかくの感激の場面、すっきりと伝える方が良いでしょうから、「邂逅天涯(天恩)」などでどうでしょうか。
2011. 6.23                  by 桐山人
起句を
飛隼探査小惑星 隼を飛ばして探査す 小惑星
とお改め下さい。
ご感想の通り「飛隼」として、読み易く力強くなりました。
結句を
邂逅天涯戀貌形 天涯に邂逅(かいこう)す 恋しき貌形(ばうけい)
とお改め下さい。
ご提案の邂逅天涯を頂き、これで漢詩らしく骨太になった様に感じます。
昨年ご講演でお話しされた「多商量」を少し実践出来ました。
有難うございました。
2011. 7.12 by 薫染
作品番号 2011-134
  迎歳有感        
春光盎盎五雲中   春光盎々 五雲の中
萬戸門松淑氣通   万戸の門松 淑気通ず
志業汪然身壯健   志業汪然 身壮健
年頭偏念太平風   年頭偏に念ずる 太平の風
<感想>
 穏やかな正月の風景と作者の思いがよく表されていると思います。
 「門松」は、地区によっては稀少なものになりつつあり、現代でも「万戸(ばんこ)」で通用するかどうか。
 決まり言葉とも言えますが、あまりに実態と異なるようなら、別の表現を探す必要がありますね。
 転句は句中対を生かすなら「汪然」は「汪洋」が良いでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-135
  春郊所見        
韶光行樂好風吹   韶光行楽 好風吹く
柳色青青不背期   柳色青青 期背かず
堤上釣翁眠正熟   堤上の釣翁 正熟な眠り 
郊村景地十分奇   郊村の景地 十分の奇
<感想>
 「春郊」という題ですので、承句は「不背期」に対して、柳だけでは寂しい気がします。何か花も置いた方が良いでしょう。
 逆に柳だけにするならば、水辺を歩いていると早めに示しておくと受け入れやすくなります。
 転句の読み下しは「眠り正に熟す」と読むことになります。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-136
  懷舊        
百人一首姉声牌   百人一首 姉牌を声にす
弟妹輸贏盈笑嬉   弟妹輸贏して 笑嬉盈つ 
冬夜團欒壁爐暖   冬夜の団欒 壁炉暖かし
老來倍想少年期   老来 倍して想ふ 少年の期
<解説>
「壁炉」: ペチカ。壁にはめ込まれた管状の炉で、壁をはさんで二部屋共用できる。
 小学校三年まで大連に住んでいた。六人兄弟、このペチカを背にして、歌留多、トランプなど打ち興じたものだ。
<感想>
 通韻の詩ということですね。
 起句は「姉声牌」は難解です。「誦牌詞」が考えられるのですが、「姉」を入れる必要があったのでしょうね。
 結句の「倍」は「ますます」と読むと伝わりやすくなりますが、この上四字は常套句過ぎて詩全体を平凡にしています。
 大連という土地柄を出す、あるいは思い出を総括するような表現にした方が味わいがあります。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-137
  初春偶成        
梅枝點素動寒風   梅枝素を点じ 寒風に動く
景況低迷萬策窮   景況低迷し 萬策窮む
幾許青錢難活計   幾許の青銭 活計難し
今春看過昨年同   今春看すみす過ぐること昨年に同じ
<感想>
 起句から承句へのつながりが逆接のため、起句だけが独立している形になっています。
 杜甫の句を最後に持って来て詩の重さを軽減し、起句ともつなげようという狙いは分かりますが、それでもサンドイッチ構造、すっきりとはしません。
 承句と転句を前半、あるいは後半に置く形が良いでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-138
  二俣城懷古        
斜陽染草照荒垣   斜陽草を染め 荒垣を照らす
一戰攻防跡尚存   一戦の攻防 跡尚存す
名將史編懷古涙   名将の史編 懐古の涙 
遠江古寺葬英魂   遠江の古寺 英魂を葬る
<解説>
 二俣城は遠江の国にあった城で武田軍と徳川軍がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。
 二俣城といえば家康の長男信康が織田信長の陰謀により若くして父に切腹させられた悲劇の地としても知られ、その霊は今も清瀧寺に葬られている。
<感想>
 転句の「名将史編」はもう少し具体的なことを書くと、「懐古涙」まで流す理由がはっきり出てきますね。
 「古」の字が二度出てきますが「同字重出」になりますので、結句の「古寺」を「舊寺」としておくと良いでしょう。
 ただ、寺は当たり前すぎますから、山とか丘を持ってきて変わらぬ自然に包まれているとした方が面白いと思います。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-139
  夏日舟行        
水面放舟携友遊   水面に舟を放し 友を携へて遊ぶ
水心魚躍謾悠悠   水心魚は躍る 謾として悠悠たり
誰歌漁唱吟情爽   誰か歌ふ 漁唱 吟情爽かなり
熱散涼催興趣幽   熱散じ涼催す 興趣幽なり
<解説>
 去年の夏友人と天竜川で舟遊びをした時の様子です。
<感想>
 こちらの詩も「水」が重複しています。
 天竜川とのことですから、承句の「水心」を「龍川」としてはどうでしょう。
 「謾」は魚の気持ちを出したのでしょうか。「漫」として広がり感を出すのも一案です。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-140
  偶成        
蕭庭春尚淺   蕭庭 春尚ほ浅し
剪剪薄寒加   剪々として 薄寒加ふ 
茅舎爐邊坐   茅舎 炉辺に坐すれば
瓶梅披玉葩   瓶梅 玉葩披く
<解説>
 国宝「紅白梅図屏風」(尾形光琳)に初めて接した時の思い出は今でも忘れられない。
 暦の上では春とは言え、まだまだ当分寒さの中でじっとしていることの多い日々。
 床の間の梅の蕾がふっくらとして、玉のような白い花が開くのは、さていつか待ちこがれる。
<感想>
 この詩は「瓶梅」に主眼が置かれているのですから、起句の「蕭庭」から「茅舎」「爐辺」「瓶梅」「玉葩」と視点をどんどん小さな物に向かわせていくのは、違和感なく素直に読むころができます。
 ただ、庭が必要かどうか、承句の「剪剪」を持ってくるためにも、「庭」の代わりに「風」を出してもよいかと思います。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-141
  偶成        
樓上蕭條月影明   楼上蕭條として 月影明かなり
秋風颯颯夜寒生   秋風颯々として 夜寒生ず
思君瞻望郷關遠   君を思うて瞻望すれば郷関遠く
擧盞愁多數雁鳴   盞を挙げて愁ひ多く 数雁の鳴く
<解説>
 李白の「静夜思」の心境で自己流に作ってみました。
 長旅に出た時のふる里への想い。
 満月の秋の夜はなんとも言えぬ思いになります。
「岳陽楼の記」を毛筆で書いた時の作者の心はいかばかりであったろう。
<感想>
 月を媒介としてはるか遠くの友と心を通わせる手法は、伝統的なものですが、よくまとめていらっしゃると思います。
 結句の「愁多」は語順は逆にするのが良いでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-142
  蘆湖船遊        
函山湖上小春風   函山の湖上 小春の風
碧水波平影半空   碧水波平かにして 影半空
荒国悼ゥ寂寥覺   緑荒れ蒼黄 寂寥覚ゆ
纔看崖岸一紅楓   纔に看る 崖岸の一紅楓
<解説>
 十一月の始め詩吟の会でバス旅行、箱根に出かけました。
 船上からの山の景色は素晴らしかったのですが、紅葉には少し早かった様で寂しい気がしました。
<感想>
 意図的なのかどうか、詩中に色を表す字が多く、ややあざとい感じがします。
 「寂寥覚」の理由も今一すっきりしませんし、結句の「一紅楓」の感動を薄くしているようです。
 感情形容語でもありますし、転句を推敲されると良いと思います。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-143
  淺間山        
野風山色領秋光   野風山色 秋光を領す
脈脈噴煙觀彼方   脈々たる噴煙 彼方に観る
鬼押危巖方戰慄   鬼押の危巌 方に戦慄す
天明爆發不尋常   天明の爆発 尋常ならず
<解説>
 今も白い噴煙をあげている浅間山、天明三年の爆発で人家家畜全てがのみ込まれ村が消滅しました。
 数十分の出来事だったと聞いています。
 こんな鬼押出しの巨大な岩石が襲ってくるかと思うとぞっとしました。
<感想>
 こちらの詩は趣旨も明確であり、すっきりと書かれていると思います。
 承句の「観」はやや弱いので、「流」くらいでも良いかと思います。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-144
  時事雜感        
世人今者醉文明   世人今者 文明に酔ひ 
電腦遺傳自在營   電脳遺伝 自在に営む
君識若怱何處往   君識るや 若く怱ぎて何処にか往くを
窃怔天咎幾時生   窃かに怔る 天咎の幾時にか生ずるを
<解説>
 IT、DNAなどをはじめ、近年の科学技術の進歩は何とも物すごい勢いです。
 数千年を一ヶ月ですます、感じで、商業主義がそれを利用して地球環境を急激に破壊して、このまま行くと、いつとんでもない天罰が下るのかと、恐ろしい予感がするこの頃です。
<感想>
 私も現代の技術革新に不安を感じる一員で、こんな風でいいのかなぁと思うことがあります。
 承句の「電脳遺伝」は、パソコンと遺伝子操作のことでしょうが、この四文字だけを読んでも意味がわかりません。
 強引な措辞ですが、しかし、逆に無機質な印象を産み出してもいますね。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-145
  早春散歩        
堤草蒼蒼敷好毯   堤草蒼々として 好毯を敷き
四山黛黛展帷屏   四山黛々として 帷屏を展ぶ
流水有情催柳眼   流水情有りて 柳眼を催し
啼鶯無貌繞郊坰   啼鴬貌無くして 郊坰を繞る
<解説>
「好毯」: よい敷物
「帷屏」: たれた幕のおおい
「郊坰」: 郊外、野原
<感想>
 全対格で早春の郊外の様子を巧みにまとめていると思います。
 ただ、情景から作者の姿や心情が浮かぶか、というとそれは弱いわけで、叙景(だけ)の詩と言うことになりますね。
 この四句を間に置いて、前に散歩の事情、後に作者の姿や心情を出す聯をそれぞれ添えた律詩に持っていくのが、ちょうど良いかもしれませんね。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-146
  皇帝大麗花        
淡照秋陽田舎家   淡く照らす秋陽田舎の家 
拂階瑤朶帝冠誇   階を払う瑶朶 帝冠を誇る
風搖薄紫方優美   風揺薄紫 方に優美なり
聞説渡來奇致花   聞く説く 渡来奇致の花
<解説>
 数年前、車で長野へ旅行した時、生垣より大分上に見事に咲く大輪の花を見つけました。
 何の花だろうと不思議に思っていました。
 今、方にその花、皇帝ダリアがお隣の庭に美しく咲き誇っています。
「階を払う」: 背丈の高い意
「奇致の花」: 珍しい花
<感想>
 皇帝ダリヤと言われても、すみません、私はわからないのですが、でも、詩からしっかりと想像はできました。
 起句は、「皇帝」と「田舎家」ですので一体何が起きるのか予想もできない、このアンバランスが面白いですね。
 意図的に狙われたのでしょう、効果的な書き出しだと思います。
 私が皇帝ダリアを知らないと言いましたので、洋景さんから、後日、皇帝ダリアの写真をいただきました。
 
 確かに、立派な花ですね。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-147
  早春訪友        
春風駘蕩水潺湲   春風駘蕩 水潺湲
久闊君家新柳煙   久闊君が家 新柳煙る
啜茗交談無識刻   茗を啜り談を交え刻を識る無し
桃花歴亂夕陽鮮   桃花歴乱 夕陽に鮮やかなり
<解説>
 のどかな春の日、久し振りに友の家を訪ねました。
 友の家は川の畔で柳が芽をふいて柔らかな日射しを浴びていました。
 楽しい話やら作詩の話など何時までも尽きず、帰ろうと外にでた時には、桃の花が夕陽に照らされて一層鮮やかに輝いていました。
<感想>
 詩を談ずる友がいることはうらやましいですね。
 高啓の『尋胡隠君』の「渡水復渡水/看花還看花/春風江上路/不覚到君家」を髣髴とさせる詩だと思います。
 結句の読み下しは「夕陽 鮮やかなり」とせざるを得ないでしょう。
2011. 6.23                  by 桐山人
作品番号 2011-148
  坂本龍馬        
出ク奔走望南洋   出郷 奔走して 南洋を望む
磊落不覊誰可妨   
薩長同盟ョ君就   薩長同盟 君に
維新八策獻朝堂   維新の八策 朝堂に献ず
「磊落不覊」: 何事にもとらわれない姿勢。「不羈」は、束縛されないこと。「奔放不羈」とも言う。
「維新八策」: 「船中八策」
                       <出典:Wikipedia>
<解説>
 昨年の「大河竜馬ブーム」に触発され、幕末維新のキーマンたちを漢詩にしてきています。
 今回はまさにその人です。
<感想>
 昨年の大河、そして江戸時代へのタイムスリップドラマの「JIN−仁−」も高視聴率、幕末期は今や大ブームという感じですね。
 魅力の一つは、やはり坂本龍馬の姿でしょう。その行動力、性格、実績、そして非業の死、という歴史に名を残すにふさわしい英雄ですので、詩に書きたいと思う方は多いと思います。
 しかし、短詩型(絶句など)の場合には字数に制約がありますから、「坂本龍馬はさまざまな活躍をした人だし、人間的な魅力もあるし・・・・」とあれもこれもと入れようとすると、詩としてのまとまりが弱くなります。
 ポイントを絞り込む、それは逆に言えば、ある面は切り捨てるということでもあり、その覚悟を持たないと、龍馬のようなスケールの大きな人物に負けてしまいます。
 この絞り込むという作業は別に歴史を扱った詩だけのことではなく、美しい景色や感動的な出来事に遭遇した時でも同じことを行っているはずです。描きたいことを全て書き籠めるわけではなく、残念ながらこれは削って、これも削って、これだけは残して・・・・という過程を経て、詩が仕上がるわけです。
 そして、経験的に見れば、素材を集めるのに苦労した詩と比べれと、切り捨てたものが多い詩ほど奥行きが広く感じます。
 坂本龍馬のどの面を詩の題材とするか、それは作者が坂本龍馬のどの面に一番心惹かれているか、の表れであり、そういう意味では龍馬を描きつつも実は作者自身を描いているのだともいえますね。
 さて、起句の「望南洋」は、桂浜での龍馬像をイメージされたのでしょうか。南の海の更にその先に彼は何を見ていたのでしょう。それだけを想像するだけでも胸が高鳴る気がするのは、龍馬ならではの魅力でしょうね。
 ただ、「出郷奔走」と組み合わせて置かれると、脱藩の後という形で限定されてきますのでややスケールダウン、「奔走」して何をしていたのか、と続けた方が収まるように思います。
 結句は下三字、「船中八策」を出すならもっと力を籠めて、「動朝堂」とまでした方が作者の思いが明解に出るかと思います。
2011. 7. 5                 by 桐山人
作品番号 2011-149
  春山行(蝦夷風物詩)        
尋芳覓焠踏春泥,   芳を尋ね 
葉向天伸枳棘蹊。   葉 天に向かって伸ぶ 枳棘の蹊
採嫩芽煎香又脆,   
歸途憶菜一身迷。   帰途 菜を憶はば 一身迷ふ
<解説>
 旬の山菜を尋ねて、焠(たら)の芽を捜し、春の雪解けの泥道を行くと、葉を天に向かって伸ばしている、棘だらけ樹木の小径に到る。
 この樹の新芽の柔らかい所を採って、油で揚げると、香ばしくて、サクサクとした食感がたまらないのだ。
 そんな食べることばかりを想像しながら家路に着く途中、ふと気が付くとたった一人山道に迷ってしまった。
「煎」:煎じるとは、漢和辞典では主に少量の油で炒めるという意味がありますが、岩波文庫『随園食単』255頁には「○煎(あげる)=多量の油で揚げること。」とあるので、それを踏襲しました。天ぷらにするのが一番おいしい食べ方にこだわってしまった、結果のことです。
<感想>
 タラの芽の天ぷらの食感はたまらないものですし、この時期になりますと、コシアブラや山ウド、ワラビなど、香りの高い山菜を食べると身体の中がきれいになるような気がしますね。
 山の中で採みながらも心がウキウキする様子がよく表れている詩だと思います。
 転句の「脆」は「硬くてもろい」ですが、「サクサクと歯ごたえが良い」という意味も持っていますね。
 ただ、頭の「採」は無駄な字です。「煎」についても、用例があるとしても「油で揚げる」という意味に理解してもらえるかどうか。「油炒めにするとおいしいんだな!」と解釈されても作者は文句を言えません。「天ぷらが一番だ」と強調するなら「炒炸嫩芽」というところでしょうか。
 結句は付け足し感が強い句ですね。転句が鮮烈ですので、もうとっくに食べたのかと思っていましたが、まだ山の中だったのか、という印象です。「憶菜」も言い訳っぽい、というか、道に迷う理由とするのはこじつけに感じますし、何よりも説明臭いです。
 題名が「春山行」ですので、場面を元に戻して収束させようという意図でしょうね。食べ物の話に終わるのを避けようとした気持ちもあるでしょう。それでしたら、春山の景に戻すべきで、鳥の鳴き声、雲や空の様子など、描くものには不足しないと思います。
 自分の行為がここでも出てくるのは、転句からの流れで締まりがない感じですね。
2011. 7.11                  by 桐山人
作品番号 2011-150
  春宵夜景        
春宵一刻対詩書   春宵一刻 詩書に対す
客舎開窓月出初   客舎窓を開けば月出づるの初め
清景眼前真似画   清景眼前 真に画に似たり
偶然領会苦吟余   偶然領会す 苦吟の余
<感想>
 蘇軾の「春宵一刻直千金」を踏まえての起句ですので、当然、意味合いとしては「直千金のこの春の宵に詩書に向かっている」ということでしょう。
 承句に「客舎」とありますので、旅先での一夜でしょう。ホテルの部屋でひとり詩を作っていて少し疲れて、窓を開けてみたら美しい月景色だったということ、そう解釈すると結句の「偶然」と書いた意図が理解できます。
 ただ、そうであるにしても、この「偶然」の語はあまりに説明的で、直前の「真似画」の感動を薄めてしまいますね。
 また、転句は「苦吟余」が「領会」するという主語述語構造だと思いますが、このままですと、「自分は苦吟しているんだなぁと、美しい景色を見て偶然に領会した」のようにとれ、表現が曖昧なものになっています。
 結句は推敲されるのが良いでしょう。
2011. 7.16                  by 桐山人