作品番号 2011-301
西域旅游・玉門関
磧沙漠漠地無垠 磧沙 漠漠として 地は垠り無し
戈壁灘頭絶路人 戈壁灘の頭 路人絶ゆ
萬里別魂千歳涙 万里 別魂 千歳の涙
玉門關上白雲新 玉門関上 白雲新た
<解説>
西安から西へと飛行機で行きまして、敦煌に着きました。
まずは、敦煌郊外の玉門関、辺りには漢の時代の長城が続きます。途切れ途切れですが、遠望すれば往時の姿も想像できます。
玉門関では、王之渙の「涼州詞」の石碑が建てられていました。
涼州詞 王之渙(盛唐)
黄河遠上白雲間 黄河遠く上る 白雲の間
一片孤城萬仞山 一片の孤城 萬仞の山
羌笛何須怨楊柳 羌笛何ぞ須ひん 楊柳を怨むを
春光不度玉門關 春光度らず 玉門関
王之渙の「涼州詞」石碑 | 玉門関全景 | 玉門関遠景 砂漠の中 手前はラクダ草 |
玉門関の近くにある「漢長城遺址」の石碑 |
碧空の下の漢の長城跡 | 長城跡 | 長城跡(遠くにあるのは烽火台跡) |
2011.12.31 by 桐山人
作品番号 2011-302
西域旅游・陽關故址
敦煌城外磧沙丘 敦煌城外 磧沙の丘
烽火臺邊雲影流 烽火台辺 雲影流る
西望陽關絶人馬 西のかた 陽関を望めば 人馬絶え
秋風千里古情悠 秋風千里 古情悠か
<解説>
王維が「西のかた陽関を出でなば 故人無からん」と詠んだ陽関に来ました。
砂漠のオアシスの外れに復元された陽関都尉府の楼が博物館として建っていました。そこから更に砂丘を登っていくと、真っ青な空の下、烽火台の土台が残されていました。
西安の都からはるばる、ここからは西域の地、渺茫と広がる砂漠を眺めて昔の人はどんなことを思ったのか。
そんな気持ちが結句に出ました。
送元二使安西 王維(盛唐)
渭城朝雨浥軽塵 渭城の朝雨 軽塵を浥(うる)ほし
客舎青青柳色新 客舎 青青 柳色新た
勧君更尽一杯酒 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西出陽関無故人 西のかた陽関を出でなば 故人無からん
烽火台 | 烽火台(遠景) |
都尉府のあった場所 | 陽関から先の砂漠 | 陽関博物館 |
2011.12.31 by 桐山人
長安から陽関に向かう道を 古代 陽関道 或は 陽関大道と称していました。
送劉司直赴安西 王維
絶域陽関道
胡沙與塞塵
三春時有雁
萬里少行人
苜蓿随天馬
葡萄逐漢臣
當令外国懼
不敢覓和親
と、王維は安西都護府に赴任する劉司直に厳しい注文をつけておりますが、この詩では陽関道そのものを絶域としています。
「送元二使安西詩」の「西出陽関」は「西のかた陽関を出でなば・・・」と古くからう謳われていますが、陽関と安西の位置は近く、江戸から博多に使いするとすれば、陽関は唐津あたりとなりそうです。
この詩の「陽関」は陽関道を指しているのかなと思い巡らしています。
「西出陽関」は 「西のかた陽関(道)に出でなば・・・」と謳うほうがよいのかなと。
このような詮索も時には楽しいのです。
2012. 1.21 by 常春
作品番号 2011-303
西域旅游・莫高窟
西来万里緑洲街 西来 万里 緑洲の街
堰水泠泠留客鞋 堰水泠泠として 客鞋を留む
紅柳絮飛飄有興 紅柳 絮は飛び 飄として興有り
碧空雲去渺無涯 碧空 雲は去り 渺として涯無し
九層高閣截山壁 九層の高閣 山壁を截ち
千窟聖龕穿礫崖 千窟の聖龕 礫崖を穿つ
仏眼慈厳天女麗 仏眼は慈厳にして 天女は麗し
神貲絲路古今懐 神貲の絲路 古今の懐ひ
<解説>
敦煌郊外の莫高窟では、七言律詩でも描ききれないほどの感動を得ました。
<莫高窟の写真>(写真の上でクリックすると拡大します)
莫高窟(空に残月が見えますか) | 莫高窟 |
2011.12.31 by 桐山人
作品番号 2011-304
西域旅游・鳴沙山
霄漢泬寥無一雲 霄漢 泬寥として 一雲無く
沙山重畳地天分 沙山重畳 地天分く
数条斜径連駝影 数条の斜径 連駝の影
鈴韻玲瓏風裏聞 鈴韻玲瓏 風裏に聞く
<解説>
「月の砂漠をはるばると〜」という歌が自然に口に出てくるような景色でした。
1の写真は、今回の旅行での一番のお気に入りのものです。印刷して我が家の玄関にどんと置いてあります。
ラクダは千頭近く居るそうです。砂漠の風情があふれていました。
詩については、起句の「泬寥」は「どこまでも果てしなく広がる大空」を表した言葉です。
結句の「清涼」は最初「玲瓏」として「リンリン」と鳴る音を表していましたが、西安の金中さんに詩をお見せしましたら、「鈴と同音なので玲は避けた方が良いでしょう」と教えていただきました。
私は「玲瓏は鈴の鳴る音を表すのだから、ドンピシャの措辞だ」と面白がっていましたが、なるほど、納得しました。
<鳴沙山の写真 1>(写真の上でクリックすると拡大します)
鳴沙山 1 | 鳴沙山 2 | 鳴沙山 3 |
天と地が分かれる所 | 山の上から見た沙山 | らくだたち |
2011.12.31 by 桐山人
作品番号 2011-305
西域旅游・月牙泉
沙山風急素秋天 沙山風急に 素秋の天
歩歩駱駝行影連 歩歩 駱駝 行影連ぬ
忽看碧波繁草処 忽ち看る 碧波 繁草の処
千年滾滾月牙泉 千年 滾滾たり 月牙泉
<解説>
鳴沙山のふもとで千年もの長い間、涸れることもなく、滾滾と涌き出でているのが「月牙泉」だそうです。遠くからですと、三日月のような形に見えるそうで、この名があります。
砂漠の中に尽きることのない泉がわき出る、天山山脈の雪解け水のおかげだとのことですが、これもびっくりでした。
<月牙泉の写真 >(写真の上でクリックすると拡大します)
月牙泉 形がよく分かります | 月牙泉 | 月牙泉の脇に建つ仏閣 |
2011.12.31 by 桐山人
作品番号 2011-306
西域旅游・天山
遠峰白雪屹蒼穹 遠峰の白雪 蒼穹に屹ち
広漠沙灘路暢通 広漠たる沙灘 路は暢通す
堰水還流緑洲邑 堰水還流す 緑洲の邑
天山萬世恵慈豊 天山 萬世 恵慈豊か
<解説>
新疆ウィグル自治区に入り、ウルムチやトルファンを回りました。
ここでもオアシスを作っているのは、天山山脈からの雪解け水。命の水を湛えている山の中腹に「西遊記」で有名な火焔山も聳えていました。
この写真は、天池から望遠で見た万年雪の山嶺です。
<天山の写真 >(写真の上でクリックすると拡大します)
八月下旬ですが雪嶺です |
2011.12.31 by 桐山人
作品番号 2011-307
西域旅游・天池
天山峻険路羊腸 天山 峻険 路羊腸
危嶂千尋草樹蒼 危嶂 千尋 草樹蒼し
雲上玉池望雪嶺 雲上の玉池 雪嶺を望み
清波瀲灔映秋光 清波 瀲灔 秋光に映ず
<解説>
中国のスイスと呼ばれている美しい湖ですが、標高二千メートルの場所にあります。
遠望の雪嶺は五千メートルクラスの山(ボゴダ峰)です。
左の写真も天池ですが、逆光が美しい波の反射を描いてくれました。
お気に入りですが、あくまでも偶然の産物です。そういう意味では最近のデジカメは素晴らしいです。
<天池の写真 >(写真の上でクリックすると拡大します)
天池 | 逆光の天池 |
2011.12.31 by 桐山人
西域旅游、七言絶句 無破綻 甚秀絶。何等傑作、使我快。髣髴岑參詩
僕輩浅思、七言律詩 作詩以破題、即可先命意 肝要逎勁。
先生之詩、草草下筆。僕輩又然 最可忌。
有中聯同律之瑕、即為四実。有変而無化、詩味為冗長。
下批侫寛恕。
2012. 1. 6 by 謝斧
作品番号 2011-308
聖夜偶成 其一
歳暮扶桑迎聖夜、 歳暮の扶桑 聖夜を迎へ、
萬民齊集幽燈下。 万民 斉しく幽灯の下に集ふ。
雖憂災禍祈安全、 災禍を憂へて安全を祈ると雖も、
恥我一身求慰藉。 我が一身の慰藉を求むるを恥づ。
<解説>
年の暮れの日本は、今夜、聖夜の日を迎えて、国中の人々が薄暗い灯りの近くにいっせいに集まっていました。
クリスマスの漢詩の一つ目です。
たとえ今年の思いがけない災害を憂い、安全を祈ってはいたとしても、私は自分の身一つを慰めいたわっている現状を恥ずかしく思うのです。
クリスマスの漢詩は参考とする例が少ないのですが、何とか詠んでみました。
今年は入院が続いていた私自身の身の回りと、世の中で起こった大震災などの大きな出来事を引き比べて、
悩みながら考えながらも何とか漢詩を作っていました。
これからもどちらもきちんと考えていこうと思います。
来年の日本は、もっと良い一年になればいいなと私も願っています。
<感想>
この詩と次の詩は、玄齋さんからは「新年漢詩」としていただきましたが、内容としてはクリスマスということですので、新年漢詩ではなく、2011年の投稿詩として載せさせていただきました。
2012. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-309
聖夜偶成 其二
偏養沈痾困苦年、 偏に沈痾を養ふ 困苦の年、
値君厚意得奇縁。 君の厚意に値ひて奇縁を得たり。
尊崇三聖雖相異、 三聖を尊崇すること相異なると雖も
今爲佳人欲敬虔。 今は佳人の為に敬虔ならんと欲す。
「三聖」: 孔子・釈迦・キリストの三人の聖人のことです。
<解説>
今年はひたすらに私の長い間の病気を療養する苦しい年でしたが、クリスマスの漢詩の二つ目です。
あなたの思いやりのある気持ちに出会って、あなたとの不思議な縁を得ることができました。
たとえ孔子・釈迦・キリストの三人の聖人を敬い尊ぶ度合いがそれぞれ違っていたとしても、
今は美しい人のために敬い慎しむ気持ちになろうとしています。
作品番号 2011-310
夏日農隙
雷聲電閃破甘眠 雷声電閃 甘眠を破る
白雨一過朱夏天 白雨一過 朱夏の天
農隙隣人携酒到 農隙の隣人 酒を携へて到り
詩情勃勃潤吟箋 詩情 勃勃 吟箋を潤す
<解説>
夏の梅雨時は雷やいなびかりで昼寝もできない。
雷雨は清流も忽ち濁流とする。梅雨の天候である。
雨続きで暇のできた農家の友人は酒をさげてやってきた。
そこで詩情が涌いて、詩箋を埋めることが出来た。
<感想>
刈谷東高校の漢詩講座は、全日本漢詩連盟に「桐山堂刈谷」で団体登録していますので、この名称で書かせていただきます。
今年度の講座では、中唐の白居易の詩を中心にして、一年間学習をしてきました。
例年のように、受講生作品発表会を2月4日(土)、刈谷東高校で開催しますので、ご都合のつく方は是非ご来場ください。
受講生の皆さんは熱心に取り組んでおられ、通常の課題以上に自主的に作詩をされる方も多く、私も刺激を受けています。
静岡の芙蓉漢詩会にも紙上参加させていただいた作品を掲載しますので、お読みください。
2012. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-311
訪華渓寺
東皇欲去暖風軽 東皇 去らんと欲して 暖風軽し
一路吟行大垣城 一路吟行 大垣の城
墓域清閑書院寂 墓域 清閑 書院寂たり
緑陰猶有古人情 緑陰 猶有り 古人の情
<解説>
梁川星巌の生誕地大垣の曽根城跡の華渓寺を訪ね、星巌の一生を老僧より拝聴する。
「吉野懐古」の吟が流れ、尊皇の詩人を追憶す。
<感想>
こちらの詩は何度も推敲し、現在も推敲を重ねている作品で、経過発表という形ですが、梁川星巌への思いをどう表すか、が難しいところです。
2012. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-312
憶初夏逍遥之時
清風触髪意中煕 清風は髪に触れ 意中煕らぐ
碧水潺湲涼感宜 碧水潺湲として 涼感宜し
鯉幟飄飃初夏節 鯉幟 飄飃たり 初夏の節
寿康佳配一双怡 寿康 佳配 一双怡ぶ
<解説>
五月初旬、妻と散歩に出た際、髪に触れる風を深く吸い込んで、爽やかな気持ちとなりました。
雪解けの水も豊かに涼を増し、河畔に揚げられた鯉のぼりも薫風を受けて躍るようでした。
ふと、私たち老夫婦もまた一年、健康で頑張りたいという気持ちになり、詩にしました。
<感想>
作者は八十歳、ご夫婦ともにお元気でお過ごしになっているお気持ちを結句で表しました。転句からのつながりがもう少しあると良いですが、子どもの成長を祈る鯉のぼりを眺める老夫婦、という構図は、ほほえましく、幸せを感じさせてくれますね。
2011. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-313
海浜即事
乱雲溽暑夕陽収 乱雲 溽暑 夕陽収まる
月満沙汀皓皓周 月は沙汀に満ちて 皓皓として周し
漁火玄溟明滅放 漁火 玄溟 明滅放つ
波聲但聴海瀕叟 波声 但だ聴く 海瀕の叟
<感想>
結句の「波声」は、下に「聴」があるために間延びした感がありますので、「軽波」などのような波を形容する言葉を置くと、より情景が深まるでしょうね。
2011. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-314
秋日
紅葉連山雁影横 紅葉 連山 雁影横たふ
秋風蕭索日西傾 秋風 蕭索 日西に傾く
溪橋獨歩烟村遠 渓橋 独歩 烟村遠く
夜雨傷心蟋蟀聲 夜雨 傷心 蟋蟀の声
<感想>
M.Oさんは女性の方で、辞書を丹念に読み、言葉を一生懸命に探して作詩をしています。
最近、詩語を探すのにやや雑になってきた私は、反省しきりです。
2011. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-315
行暮急帰路
荒村蓬屋日西傾 荒村 蓬屋 日西に傾き
山近松風雁影清 山近くして 松風 雁影清し
一点暮鐘知有寺 一点の暮鐘 寺有るを知る
深秋扶老憶妻情 深秋 老を扶けて 妻を憶ふの情
<感想>
作者は、この講座で初めて漢詩を作るようになり3年目になりますが、詩に味わいが出てきました。
一生懸命取り組んでおられることの表れでしょうね。
2011. 1.11 by 桐山人
作品番号 2011-316
諏訪湖
半晌徘徊湖水辺 半晌徘徊す 湖水の辺
午風颯颯掃晴煙 午風 颯颯 晴煙を掃ふ
白帆碧浪遠近盡 白帆 碧浪 遠近尽き
時鳥一声諏訪天 時鳥一声 諏訪の天
<感想>
講座に入られて二年目ですが、しっかりした詩を作られる方です。
2012. 1.12 by 桐山人
作品番号 2011-317
飛光
郷天幽静雨如煙 郷天 幽静 雨 煙の如し
偶有飛光古寺辺 偶たま飛光有り 古寺の辺り
午下騒人行野径 午下 騒人 野径を行けば
一風涼意百花鮮 一風の涼意 百花鮮やか
<感想>
一瞬にひらめいた雷光を詩の中に定着させるためには、その前後の情景をどう落ち着けるかによりますね。
そのあたりに工夫をされた作品ですね。
2012 1.12 by 桐山人
作品番号 2011-318
初夏江村
新篁兩岸聽流泉 新篁 両岸 流泉を聴く
無月風涼雨後天 月無く 風涼し 雨後の天
螢火霏霏江上路 螢火 霏霏 江上の路
閑人今夜獨蕭然 閑人 今夜 独り蕭然
<感想>
講座開設の折から受講していらっしゃる女性の方ですが、いつも素直な詩作をなさっています。
七月にお作りになった詩ですが、その折の私の感想を紹介しておきましょう。
転句の「霏霏」は螢の形容としては合いませんので「双飛」として、やや寂しげな雰囲気をだす形で行きましょう。
「江上路」も、結局は起句の「新篁両岸」と同じ場所になりますので、もう少し変化が欲しいところ。
起句の方を直す形で考えて、まず「新篁両岸」を「新篁灑翠 」など竹の様子を描く形で、また、「聴」は作者の動作を表しますが、叙景にまとめる形で「隔流泉」としてはどうか。
結句は「今夜」がやや甘いのですが、「今夕」というところでしょうか。
まとめれば、
新篁瀟翠隔流泉 新篁 瀟翠として 流泉を隔つ
無月風涼雨後天 月無く 風涼し 雨後の天
螢火雙飛江上路 螢火 双つながら飛ぶ 江上の路
閑人今夕獨蕭然 閑人 今夜 独り蕭然
作品番号 2011-319
遊慈恩寺大雁塔
聞説迷禽雁塔収 説に聞く 迷禽 雁塔に収まる
蔵経玄奘尽心酬 蔵経 玄奘 心も尽くして酬ゆ
唐楷間架戯余響 唐楷間架 余響を戯しみ
百歩階梯善薩樓 只管 階梯 善薩の樓
<感想>
この詩も推敲を重ねられた作品ですが、あまりにも有名な西安を代表する建造物なだけに、どこに着目して描くかが難しいですね。
承句は「酬」よりも「悠」の方が意味が広がるでしょうし、転句も「戯」も「嬉」を用い形が全体のまとまりが生まれるでしょう。
2012.11.12 by 桐山人