2005年の投稿詩 第211作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-211

  尋雨森芳洲庵     雨の森芳洲庵を尋ぬ   

木門十哲号芳洲   木門の十哲芳洲と号し、

尽力邦交事事悠   邦交に尽力事事悠なり

庭樹経年作繁蔭   庭樹経年繁蔭を作し、

草庵更代拝清流   草庵更代清流を拝す

奇童墨跡淋漓迸   奇童の墨跡淋漓と迸り、

長老尊容真摯愁   長老の尊容真摯に愁ふ

今日風波間両国   今日風波両国を間つ、

芳魂泉下果安不   芳魂は泉下に果たして安んずるやいな

          (下平声「十一尤」の押韻)

<解説>

 四月の終わりに滋賀県にある雨の森芳洲庵に行きました。
 彼は江戸時代に対馬藩に仕え、当時の朝鮮との国交に尽力したと伝えられています。奇童九歳の時の五絶の詩がありました。「寒到夜前雪 凍民安兎愁 我儕猶可喜 穿得好衣遊」さすが神童であったと感心しました。
 「清流」はその表現です。老年の尊像があり、古を偲ぶことができました。
 現在の日韓両国の悪化した関係をみて感慨に耐えません。

<感想>

 雨森芳洲は、平等互恵、誠信を外交の基本としたそうですが、国際化と言われる現代人の方が、人と人とが交流するという感覚が鈍くなっているのかもしれませんね。
 また、八十歳を越えても『古今和歌集』の一千遍詠みと作歌一万首を成し遂げたという人物だそうですが、日頃記憶力の衰えを嘆くだけで努力の足りない私などは、頭の下がる思いです。

 初句の「木門」は、江戸の木下順庵の門下のことですが、同門に、新井白石・室鳩巣などが居ました。
 結句の「芳魂」は、「芳」の字を名前と掛けた表現でしょうね。私は、敢えて「芳」を使う必要は無いように思いましたが、どうでしょうか。

2006. 1.20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第212作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-212

  閨怨二首 其一        

入閨皓彩映羅幃   閨に入って皓彩 羅幃に映じ

空坐粧台郎不帰   空しく粧台に坐すも 郎帰らず

秋夜寥寥繍牀冷   秋夜寥寥 繍牀冷やかに

嘆嗟焦思涙沾衣   嘆嗟し思ひを焦せば 涙衣を沾す

          (上平声「五微」の押韻)








 2005年の投稿詩 第213作は 謝斧 さんの「閨怨」詩、其の二です。
 

作品番号 2005-213

  閨怨二首 其二        

羅綺依窓寒玉肌   羅綺窓に依れば 玉肌寒く

黒眸濡涙鎖愁眉   黒眸涙に濡て 愁眉を鎖す

逢郎欲語無消息   郎に逢って語らんとするも 消息無く

含恨花顔夜夜悲   恨を含みし花顔 夜夜悲し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 閨怨詩二首とも習作です。
 古人の詩を貼り合わせて作った、内容の無い、陳套なものです。
然しこういった詩を作ってみてもゆるされませんでしょうか


<感想>

 「羅」「薄い布」ですので、「其一」の起句の「羅幃」はカーテン、女性の白い姿がカーテンに映じたのでしょうし、「其二」の「羅綺」は、美しい(綺)薄衣をまとった女性が窓際に立っているとその美しい肌は寒そうだ、ということになるでしょうが、どちらも男性(「郎」)が訪れてくれない女性の悲しげな姿を描いている表現ですね。
 「其一」の転句は挟み平になっています。

 どちらの詩も、前半二句の描写が命で、読み始めた時にその艶めかしさに「ドキッ」とさせられます。こうした詩は、漢詩では大きな分野にはなっていないのですが、創作の面白さを味わえる詩だと思っています。

2006. 1.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第214作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-214

  看瀑        

長天暵暵壮炎威   長天暵暵(かんかん) 炎威壮(さか)んなるも

山奥樹繁遮日輝   山奥 樹繁くして 日輝を遮る

百丈懸泉下仙境   百丈の懸泉 仙境を下り

涼風清爽未催歸   涼風清爽未だ歸るを催さず

          (上平声「五微」の押韻)

<感想>

 起句で夏の暑さをジワーと感じさせておき、承句で急転、読者を山奥の樹陰へと連れて行ってくれますね。更に、転句で瀧の水を描き、「仙境」にまで誘ってくれますから、嬉しくなります。
 結句の「未催歸」は、逆に言えば「帰らねばならない身である」ことを示していますね。帰るべき現実世界(俗界)を意識させるからこそ、尚更ここでの「仙境」が味わい深くなるわけで、作者のこの場での心情を述べた以上の効果をもたらしていると言えます。

 唐の時代の雰囲気が感じられるような、味わいのある詩ですね。

2006. 1.28                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第215作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-215

  賛五輪競技大会     五輪競技大会を賛す。   

平和祭典五州旋   平和の祭典五州旋り、

選次回帰希臘遷   選次回帰してギリシャに遷る

各国開催三九市   各国開催三九(27)市、

名言遵守百余年   名言遵守百余年

常弘競技敷新制   常に競技を弘めて新制を敷き、

未忘初心答古賢   未だ初心を忘れず古賢に答ふ

聖火精神愈戦火   聖火の精神戦火に愈(まさ)る、

金牌獲得勿乖天   金牌の獲得天に乖(そむ)く勿れ

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 2004年8.15の作です。

 この詩を作詩中に投てきのドーピンク問題が起こりました。それを結句に用いました。「古賢」はクーベルタン男爵のこと、名言はその言葉です、「金牌」は金メダルです。
 英語の固有名詞、例えばアテネなどを、漢字でどう表記するのか判らないので、教えて下さい。

<感想>

 ギリシアを「希臘」とお書きになったように、アテネも固有名詞として使うならば、現代中国語での表記「雅典」にするしかないでしょう。しかし、名前をそのまま音訳するのでは味も何もありませんし、固有名詞を漢詩に多用するのも考えものです。
 地名が限定できるような簡潔な説明で表すことができれば、一番良いですね。

 ドーピングの不正については、最後の句に出たわけですが、それまでが「賛五輪競技大会」の題名に沿った展開だっただけに、やや唐突な感じがします。
 時間が経ってしまったからかもしれませんが、ここでは事件のことは省いても良いように感じました。

2006. 2. 5                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第216作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-216

  噴嚏驚月兎        

風流有罪賞明月,   風流に罪あり 明月を賞で,

野叟凌寒求好詩。   野叟 寒を凌いで好詩を求む。

揮筆無端打噴嚏,   筆を揮い端なくも噴嚏を打てば,

吃驚脱兎落天池。   吃驚の脱兎 天池に落つ。

          (上平声「四支」・新韵「十三支」の押韻)

<解説>

「打噴嚏」:くしゃみをする。
「吃驚」:びっくりする。
「脱兎」:逃げるウサギ。
「天池」:天然の大きな池。海。

 起承は対仗にしていますので押韻していません。滑稽を詩材としています

<感想>

 「風流有罪」の書き出しを見た時に、これは大きく来たな!と思いましたが、前半のきまじめな調子から、結句のディズニーの動画を見ているような楽しい場面への展開、それが「打噴嚏」の一語で結ばれているところが、鮟鱇さんの狙いでしょうか。
 明月を愛でる時に詩を考えるのが一般ですが、柔軟な発想、あとはお酒が必要なだけでしょうね。

2006. 2. 5                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第217作は 鮟鱇 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-217

  賞月裁詩(独木橋体)        

一二之中三百人,   一二の中の三百人,

清秋賞月作詩人。   清秋に月を賞でて詩人と作る。

有誰無酒傾金盞,   誰かありて酒なくして金盞を傾け,

仰月似杯思玉人。   月の杯に似たるを仰いで玉人を思はん。

          (上平声「十一真」・新韻「九文」の押韻)

<解説>

 独木橋体:脚韻をすべて同字とする詩体です。

 この作、「言い間違え」が失笑を買うのはなぜだろうということを考えながらの作です。そして、「言い間違え」を詩の技法として使うことができないかと試行したものです。
 いささかねらいを解説させていただくなら、起承句は、「詩を書くひとはあまり多くないが、そういう詩人のなかでも、秋だというので、月を賞でる詩を書く人は少なくない」という意味のことをいう諧謔の表現として、「三百人のうちのひとりかふたりか」を「ひとりかふたりかのうちの三百人」といい間違えてみました。
 うまくいっているかどうか、みなさんの判断におまかせします。

<感想>

 こちらも、鮟鱇さんの作詩を楽しんでいらっしゃるお顔が浮かんでくるような気がしますね。でも、こちらもお酒は無いのですか。
 起句の「一二三百」の数字並びの面白さもそうですが、想像される場面が面白いでしょう。確かに、「三百人の中の一人二人」ならば順当でよく分かるのですが、逆の表現ですから、「ひとりふたりだと思っていたら、何とまあ何百人もいたことだ」という感じでしょうか。
 こうした「とんでもない」(?)表現は、しかし、作者の驚きや感動の強さを表す時に、通常の表現ではどうしても伝えきれないもの、をれをやむにやまれぬ気持ちで表す時なのでしょうね。

 今回は、前作の影響もあるのでしょうか、一人二人がパパパーと何百人もの分身ができていくような感じで、つまり、またまたアニメのようなイメージで読んでしまいました。

2006. 2. 5                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第218作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-218

  文化日        

菊花争色白紅黄   菊花色を争ふ 白紅黄

文化日初閑故郷   文化の日初めて 故郷に閑たり

晩与老爺聴合唱   晩(く)れて老爺と与(とも)に合唱を聴く

清声和是正辰良   清声和すれば是 正に辰良(しんりょう)

          (下平声「七陽」の押韻)

<感想>

 祝日を故郷でお父さんと過ごされた折の詩でしょうか。

 起句と承句のつながりがはっきりしませんね。「故郷に閑たり」と読んで、「長い間故郷を離れていたが、今日、初めてのんびりとした時間を過ごすことができた」というお気持ちでしょうが、この句では、「文化の日になって、(日頃騒がしい)故郷もやっと静かになった」と解釈されるでしょう。
 ここは、敢えて「故郷」の言葉を入れる必要は無いと思います。

 転句の「合唱」も何を指しているのか、説明が欲しいところです。

2006. 2. 6                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第219作は 諦道 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-219

  臘月摂心会        

老杉雪裏摂心会   老杉の雪裏摂心会

七十伽藍静寂中   七十伽藍静寂の中

凛凛雲堂端坐処   凛凛たる雲堂に端坐する処

宗風脈脈古今豊   宗風脈脈古今に豊たり

          (上平声「一東」の押韻)

<解説>

 禅寺の重要なる修行である十二月の摂心会について、大本山永平寺の修行の雰囲気を詠みました。

<感想>

 永平寺での十二月の摂心会(せっしんえ)は、お釈迦様が悟りを開いた十二月八日に合わせて、1日〜7日の一週間、ほとんど眠らずに昼夜坐禅を行うものだそうですね。お釈迦様も菩提樹の下で一週間座禅をなさって悟りを開かれたということですが、十二月八日というのは、色々な思いをさせる日でもあります。
 次の深渓さんからいただいた詩(2005-220)もそうですが、現代の私たちにとっては、悟りの日ではなく、ますます迷いを深める十二月八日と言えるでしょうか。

 そういう現代においても、宗門と修行の伝統を脈々と守ってきている永平寺は、まさに「凛凛」というのがふさわしいのでしょうね。

 結句では「宗風」「豊」というのは観念的な結びで、それまでの落ち着いた視点から急に主観的な世界に行くような感じで、違和感がありますね。「風」「豊」が冒韻にもなっていますから、「宗風」を最後に持ってくるような形に変えられると良いと思います。

2006. 2. 12                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第220作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-220

  憶十二月八日        

劫餘五紀在明時   劫餘 五紀 明時に在りて

惨憺干戈知不知   惨憺たる干戈 知るや知らずや

憲法九条非改易   憲法 九条 改易に非らず

再軍氣運本多危   再軍の氣運 本(もと)危ふきこと多し

          (上平声「四支」の押韻)

<解説>

 「劫餘」=戦後。
 「五紀」=六十年・紀は十二年。
 「明時」=平和な時代。
 「干戈」=戦争。
 「再軍」=再軍備。

<感想>

 時事問題を扱った漢詩は、漢詩教室などでも「避けるように」指導されることが多いようです。「俗事から遠ざかり、風雅な心を描くことが漢詩だ」という主張もよく聞きます。
 現代の事件などを題材にしようとすると、真っ先に言葉の問題にぶつかります。古代には存在すらしなかったものに囲まれて私たちは生きているのですから、目の前の器物一つを取り上げても、それを古代の言葉では表すことができないのです。それでも、日常的なものならば、ある程度は古語に置き換えることもできましょうが、どうしても無理な場合もあります。
 そんな時には、仕方ないからそのまま現代の言葉で表すしかなく、いきおい、生硬な表現や和習が多くなります。ただでさえ生々しい素材を、たいして調理もされずにそのままの形でドンと皿に盛って出されたら、やはり敬遠したくなる人は多いだろうし、だから、あらかじめ「時事問題の詩は避けよ」と指示しておきたくもなるのでしょう。
 しかし、だからと言って、「漢詩は自然を詠んでいれば良い」わけはなく、社会に目を向けた詩は杜甫や白居易以来の伝統でもあるはずです。
 現代の諸相は漢詩の表現としてどう描き得るのか、固有名詞を違和感なく漢詩に取り入れるにはどんな工夫がいるのか、現代において漢詩に取り組んでいる人は皆、そうした悩みに突き当たっています。そこに真摯に応えようとしなければ、漢詩は現実社会と乖離してしまいます。
 人は、自然の景物を愛でる心もあれば、社会の出来事への関心、感情も持つもの、誰かを愛する優しい心もあれば不正を憎む心もある、様々な心を一身に包含して生きています。その一面だけを取り出そうというのは、鑑賞する側の考えです。自分の心を言葉に託したいという創作する側の気持ちを、私は大切にしなくてはいけないと思っています。

 深渓さんを始め多くの方が、現代社会の様々な素材を、投稿してくださることは、私にとっては、本当に嬉しいことです。そして、作るに当たってのご苦労を思うと、頭が下がります。これからも楽しみにしています。

 前置きが長くなりました。すみません。詩の感想に行きましょう。
 承句の「知不知」は、疑問形ではありますが、意味としては反語、「戦後六十年の平和ボケの人たちは、戦争の悲惨さを、ちっとも分かっちゃいないのだろうね」ということです。
 ここで、相手をまず「わかっちゃいない人」と限定したから、次の「非改易」となります。作者が自分の主張を言うならば、本来は「不可改」「不要改」とでもするところですが、「非」を用いたことで、「そもそも初めから、(第九条は)改めるようなものではない」として、是非の議論を超越した存在として第九条を捉えていることがはっきりします。
 結句は、平仄の関係もあるのでしょうが、下三字が分かりにくいと思います。「再」は副詞ですので、修飾する「軍」は動詞として読むわけで、「再び軍を置く」となりますね。

2006. 2.12                 by 桐山人


深渓さんから、お返事をいただきました。
桐山堂先生 三寒四温の文字通りの今日この頃です。
拙詩 「憶十二月八日」のご講評有り難うございました。

 仰せの通り、(一般には)俗塵を離れ風雅な世界を描けと教えられます。まさにその通りです。が、八月六日などと、老生の心に刻まれた思いを他の方法で表すすべをを知らず、覚え立ての絶句・二十八文字に思いを託そうと(少年兵の体験など)するものです。
 山水風月に親しむ雅の世界を探求したいと望み乍ら、つい現実の世界に引き戻されます。

 これからも、諸先生方の投稿詩を参考にして詩作につとめたいと思います。
 向後とも宜しくお願い申し上げます。匆々

2006. 2.18                 by 深渓






















 2005年の投稿詩 第221作は 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-221

  西宮秋怨二首 其一        

金井梧桐瓦上霜   金井梧桐 瓦上の霜

蛾眉含恨臥空牀   蛾眉恨みを含んで空牀に臥す

沈沈遥夜懸明月   沈沈たる遥夜 明月懸かるも

不照西宮愁夢長   西宮を照らさず 愁夢長し

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 禁省詩二首習作

古人の詩の貼り合せです

「誰憐金井梧桐露 一夜鴛鴦瓦上霜」
王世貞 「西宮怨詩」をふまえる
 秋井近くにある梧桐の葉の露も寒さのため瓦上の霜となる

「懸明月」 懸明月以自照 長門賦 





















 2005年の投稿詩 第222作も 謝斧 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-222

  西宮秋怨二首 其二        

凝粧巧笑競鮮妍   粧を凝らし巧笑して 鮮妍を競ひ

楚楚羅裳待綺筵   楚楚として羅裳 綺筵に待る

秋夜空牀含恨冷   秋夜空牀 恨みを含んで冷やかに

西宮失寵有誰憐   西宮に寵を失ふも 誰有りてか憐まん

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 「禁省」は「禁中」と同じで、宮中のことですが、寵を失った悲しみを詠った二作ですね。
 其の一の方は、ただ一人ベッドで外を眺めている姿がくっきりと浮かび上がってきます。愁いを含んだ女性の絵姿の横にこの詩が添えられれば、申し分ないですね。冷ややかな情景が怨情を抑制して、ふっとため息までも聞こえてくるような気がしますね。

 其の二は、より女性の内面に迫り、前半と後半の対比が生々しい感情を描き出していると思います。承句は「待」で送っていただきましたが、「侍」でしょうか。
 表現がストレートな分、こちらはやや余韻が少ないように感じます。

2006. 2.18                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第223作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-223

  臘月雜詠        

雄心易減歳將除   雄心減じ易く 歳將に除せんとし

禿筆難抛志未舒   禿筆なげうち難くも 志未だべず

無奈菲才違宿望   いかんともする無し 菲才宿望にたが

浪仙龕底獨抄書   浪仙龕底がんてい 獨り書を抄す

          (上平声「六魚」の押韻)

<解説>

 自分の一年を反省し新たな年に備える。

大意
起句  雄雄しい心は衰え易く歳が今にも暮れようとしていて、
承句  古びた筆は投げ打ち難く望みが未だに伸びない。
轉句  劣った才能はどうしょうもなくかねてからの志と違い、
結句  唐の賈島の仏壇の前で自分の手で書を書き写す。

<感想>

 結句「浪仙」は、賈島のあざなです。苦吟派の詩人であった彼は、毎年、歳の終わりには自らの詩を祭ったと言われています。
 その結末から再度起句に戻ると、味わいがもう一歩深まりますね。

 全体的に虚字が多く、表現にもたれが感じられます。また、転句は「奈ともする無し 菲才宿望に違ひ」となっていますが、「菲才宿望に違ふを」と結んで、この句で文を完結させる方が、結句が生きるでしょう。

2006. 2.18                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第224作は 徐庶 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-224

  聖誕節前夜        

冬曜漸消鐘韻均,   冬曜 漸く消きて 鐘韻ひとしく、

梧桐散盡飾燈新。   梧桐 散じ尽くして 飾灯新たなり。

刻肌風氣生朱面,   肌を刻む風氣 朱を生ず面、

攜贈購茶迎戀人。   贈を携へ 茶を購ひて 恋人を迎う。

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 冬の太陽が段々と沈んで鐘の音が響き渡り、
 梧桐の葉は散ってしまって、代わりにイルミネーションが灯っている。
 肌を刻みつけるように寒い風に、赤みを差す顔、
 贈り物を携え、暖かいお茶を買って恋人を迎える。


<感想>

 徐庶さんは、いよいよ大学入試真っ最中でしょうか。年末にいただいた詩ですが、ほのぼのとした若さが感じられます。

 「四当五落」とか「受験戦争」などという言葉を昔はよく耳にしましたが、最近は少子化の影響でしょうか、あまり聞かなくなりましたね。しかし、いつの時代でも、受験生本人は常に厳しい思いをしなくてはいけないし、同時に、十八歳という青春の時を生きていかねばならないし、一番ややこしい人生の時でしょう。
 でも、「自分」という存在に一番ピュアな形で向き合える時期だったと、過ぎてみると思います。

 起句、承句とも、句の前半に冬の悄然とした季節感を出しておいて、下三字で一転、現代的な明るさを描くというのは、面白いリズム感ですね。通常ですと、起句に冬の景(自然)、承句にクリスマスの街の景と配置すると思いますが、このようにポンポンと変化すると、ジングルベルが聞こえてくるような気がします。
 起句の「均」は、音に対して用いるのは珍しいのでしょうが、辺り一面に(鐘の音が響いた)」ということでしょう。
 承句の「散盡」は逆にして「盡散」とした方が、起句との対応が良いでしょうね。

2006. 2.19                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第225作は 柳田 周 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-225

  冬至前厳寒     冬至前の厳寒   

寒気已厳冬至前   寒気已に厳し 冬至の前

行愉落葉舞靴先   行く行く落葉の靴先に舞ふを愉しむ

心身尚幾勝従事   心身尚幾ばくか事に従ふに勝(た)ふれども

六十五誰如壮年   六十五にして誰か壮年に如かんや

          (下平声「一先」の押韻)

<感想>

 季節は人に色々なことを考えさせるのですが、春夏秋冬、それぞれが持つ色合いがあるように思います。ここでは冬という状況ですので、全体的に人生の落ち着きを感じさせる詩になっていますね。
 起承転結の展開もオーソドックスで、結句の「六十五」などは、年齢がそのまま数字で出ているわけですから、通常では俗っぽくなってしまうのですが、この詩では素直に受け入れられる気がします。

 「誰如壮年」は、分かり切った質問ですが、嘆きや怨みを持たせない結びも、この「六十五」という数字が生きているのでしょう。

2006. 2.20                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第226作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-226

  悼坂本定洋     坂本定洋を悼む   

上網黯然知玉砕   上網して黯然たり 玉砕を知る

嘗無面晤相恭在   嘗て面晤無かりしも 相恭する在り

仙魂何處自逍遥   仙魂 何れの処か 自ら逍遥たる

應酹紀州黄橘岱   応に酹(らい)すべし 紀州 黄橘の岱(おか)

          (去声十一「隊」の押韻)

<解説>

 最近の坂本さんの詩は病床吟ばかりのようでしたので心配していました。
 坂本さんと面識はなかったのですが、拙詩およびホームページに対するご丁寧な感想を頂いておりました。卒爾のことで措辞に不適切なところもあると思いますが、一詩ご霊前にささげ、ご冥福をお祈り申し上げます。

上網:インターネットにアクセスする

<感想>

 坂本さんは10月23日にお亡くなりになられました。いまだに私は信じられず、ふと、坂本さんからのメールが届くのではないかという気持ちでいます。
 禿羊さんから哀悼の詩をいただき、また、ニャースさんからも悲しみのお言葉をいただきました。併せてご紹介します。

ニャースさんからのお手紙

 坂本さんが、おなくなりになった件 先生の感想で知りました。
 悲しみにたえません。不思議なもので、一度もお会いしていないのに、坂本さんとは 勝手ながら何年もおつきあいさせていただいた知己のような感じがいたします。
 先生の主宰されるホームページの暖かい雰囲気によるものでしょうか。

 坂本さんは、ホームページデビューから楽しい作品で、私は大好きでした。
なによりもその創作論はほんとうに斬新的な論でした。

 いつも楽しい雰囲気の作品が多く、またウイットに富まれていたので、最近病院での作品が多いなとは思っていたのですが。残念です。先生のおっしゃるとおり、ご冥福をおいのりするしかありません。


2005.11.30

 坂本さんのご冥福を心よりお祈りし、2005年掲載の最後の詩とさせていただきます。

2006. 2.20                 by 桐山人