2005年の投稿詩 第136作は 諦道 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-136

  永平寺        

越前禅刹永平寺   越前の禅刹 永平寺

七十伽藍緑樹鮮   七十の伽藍 緑樹 鮮やか

三百学僧端坐凛   三百の学僧 端坐 凛たり

吉祥山上繞春煙   吉祥山上 春煙繞る

          (下平声「一先」の押韻)

  <解説>

 越前の禅刹永平寺なり七十の伽藍緑の樹に映えて鮮やかである
 修行している三百名の学僧が常に座禅をして凛々しい姿である
 吉祥山永平寺は変わりなく仏教の教えを説いている

春先永平寺に参拝した折、新緑の美しさに目が留まり、
また七十数個の伽藍が緑に映えているのが目に留まり、
大変綺麗な風景で心が洗われる思いがしました。

見た目には四、五十人の僧侶にしか会うことができませんでしたが
実際には三百名の雲水が厳しい修行をしているそうです。
自然の姿のままが仏教の教えを説いていると言うお話を聞きました。

<感想>

 永平寺は、私も訪れましたが、奥深い繁った樹木に包まれて、辺りの空気までもが歳月の永さを感じさせるような趣でした。

 私が訪れたのは冬の永平寺でしたので、観光客などの人の気配も少なく、まさに鬱蒼という言葉がふさわしい景色でしたが、この詩は新緑の頃、少し明るさが感じられるのはそのためでしょうか。

 承句と転句が対句になっているのは珍しい形で、本来ならば起句承句の前半に対句を置く前対格、あるいは前半二句と後半二句の全対格です。この詩のように対句が置かれた場合の効果(作者の意図)を考えてみましょう。
 承句と転句がつながるため、詩全体も読む時に、転句まで一気に読むことになります。普段は承句で一休みですので、この場合には、強引に読者を引っ張ろうという作者の気持ちが出てきます。そうなると、詩としては転句まででひとまず感動を伝えておき、結句は余韻を生かす形が望ましいでしょう。
 つまり、「起承転結」という役割の面から見れば、この場合は「起承結転」という働きをしていると言えるでしょうか。

 この詩でも、転句末の「端座凛」はそういう点で、印象深い結びになっています。ここで作者もひとまずは満足しておきましょう。更に欲張って結句にも何かポイントを置こうとしてしまうと、逆に対にした効果が薄れ、転句結句が散漫な印象になってしまいます。運動後の軽いストレッチのような感じで、余韻を残すために視点を少し変えておくスタイルがいいでしょうね。

2005.11.12                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

 二韻の詩について斎藤荊園博士は、「前二句を対偶にすることにより、均整な階調を生じせしめる。対偶にしないで起句を踏み落す作例はありはするが少数である。後半がよほどよくできていてその欠点を補い得るものであれば何とかゆるされないことはない(今体の平仄式及び作例 『漢詩入門』)」と言っています。
 七言絶句は五言絶句と違って起句と承句が離れ過ぎているからとも言っています。
 我々初学の者は容易に手をだすべきではないと思います。

 越前禅刹永平寺 ●○○●●○● と六字目が孤平になっています

2005.11.13                 by 謝斧





















 2005年の投稿詩 第137作は東京都にお住まいの 常照 さん、三十代の方からの初めての投稿作品です。
 

作品番号 2005-137

  週末        

十月入深秋   十月 深秋に入り

晩桂香正躇   晩に 桂香 正に躇む

月下歓杯影   月下 歓杯の影

晃然上高楼   晃然として 高楼に上る

          (下平声「十一尤」の押韻)

<感想>

 お手紙には書き下し、解説とも添えられていませんでしたので、私の方でつけました。

 土井晩翠の「高楼の月」の秋バージョンという感じで、素材の配置などは雰囲気が良く出ていると思います。
 気のつく点としては、第一に、承句が韻を踏んでいないことです。絶句は、どんな場合でも承句と結句は同じ韻を持ってこなくてはいけません。それが押韻の大原則です。起句の「秋」が「下平声十一尤」韻なだけに、かえって気になります。
 平仄のことでは、結句は「●○●○◎」となっていて、「二四不同」「二字目の孤平の禁」の決まりを破っていますので、気をつけましょう。
 表現の点では、起句の「十月」は、陰暦では冬に該当します。漢詩では現代の陽暦は避けますので、「九月」とした方が良いでしょう。

2005.11.12                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

常照さんの詩から、原作の通り平仄を合わせれば、以下のような詩になると思います。

  漫躇桂香歩   漫に 桂香を躇みて歩せば
  九月入深秋   九月 深秋に入る
  清夜歓杯影   清夜 歓杯の影
  寒光照畫楼   寒光畫楼を照らす

    漫躇/桂香歩 ○○●○●
    九月/入深秋 ●●●○◎
    清夜/歓杯影 ○●○○●
    寒光/照畫楼 ○○●●◎

 五絶は作り易い詩形ですが、調子は難しく、七絶の上句二句を切り取ったような詩になりがちです。

2005.11.13                by 謝斧





















 2005年の投稿詩 第138作は静岡県にお住まいの 常春 さん、七十代の男性の方からの作品です。
 

作品番号 2005-138

  三宅島        

噴火飛塵被里園   噴火 飛塵 里園をおほ

五春離島太憂煩   五春 島を離れて 憂い煩うことはなはだし

帰來未止硫煙禍   帰り来れど 未だ止まず 硫煙の禍

何日天晴碧海村   いづれの日か 天晴るるや 碧海の村

          (上平声「十三元」の押韻)

<解説>

 この春、五年ぶりの帰島だが、すぐには棲める状態ではない模様が新聞で、テレビで報道されました。これを見、また聞いたときの感想です。

<感想>

 新しい方をお迎えしました。多くの方の詩を掲載するために、私も頑張らなくちゃっと思います。

 三宅島の噴火から、もう随分の月日が経ったんですね。そんな感想を持つこと自体が、もう既に意識が遠くに行ってしまっている証拠でしょう、こうして詩をいただくと、その都度思い起こして、自分の心のバランスを保つような気がします。

 詩を拝見しますと、幾つか言葉の重複が気になります。「噴火飛塵」「硫煙禍」とか、「里園」「碧海村」など。
 また、「太憂煩」は、島民の方の気持ちを描かれているわけですが、ここが主題でもありますので、直接出してしまうよりは、読者に共感を自然に持たせるような方向にする方が良いでしょうね。

 私の印象では、この詩は春にお作りになったとのことですし、季節を感じさせるものを描くことが一つの案かなと思います。古来からの常套手段ということになってしまうかもしれませんが、変わらず訪れる季節という素材を配置することで、傷ついた島の風景や帰島できない人々の状況がより鮮明になるはずです。

2005.11.18                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第139作は 常春 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-139

  蘇門答腊地震     スマトラ地震   

海嘯奔流萬里荒   海嘯 奔流 万里荒れ

攫人刳屋倒瀾狂   人をさらひ 屋をえぐる 倒瀾の狂

電波刻刻傳災禍   電波 刻々 災禍を伝へ

擧世救難印度洋   世を挙げて難を救く 印度洋

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 昨年暮のスマトラ沖地震は津波被害で耳目を集めました。また有数のリゾート地域、被害は地元住民に止まらず、クリスマス休暇のリゾート客をも巻き込みました。あと数日遅かったら、年末年始を楽しむ日本人も多かった事でしょう。
そして、正月、多くの方が救難に携わった事に感謝して。

 この詩、転結句に苦労しました。
ボランティアの方々への敬意第一として、上記転結句としました。

<感想>

 結句の平仄は、●●●○●●◎となっていますから、「四字目の孤平の禁」を冒しています。「救」を換えるならば、「匡」が平声ですが、「匡」は韻字と同韻(冒韻)ですので望ましくはないですね。「拯」も救助する意味ですが仄声ですから、同義で平声の「丞」を用いることになりますね。読みは「たすく(ける)」です。

 すみません、読み違えました。この場合には、「難」は仄声(「なやむ。むずかしい」の時は平声)となりますので、「二四不同」が崩れていると見なくてはいけません。訂正しておきます。

 救難に取り組まれた方々への敬意ということですが、お気持ちがよく伝わる展開になっていると思います。

 常春さんは、アンケートも送って下さったのですが、「現代から逃避しない、新しい感覚を、漢詩の形式に盛り込みたい。情よりも、事や物に関心が偏ります。大変活発なホームページ。大いに利用いたしたくお願いします」と書かれていました。
 現代に生きる漢詩を書きたいというお気持ちは、このサイトに投稿なさっておられる方々からも多くうかがうものです。実際に創作に向かうと、用語の点などで難しい場面も多いと思いますが、積極的に取り組まれて、是非、またご投稿下さい。お待ちしています。

2005.11.18                 by 桐山人


 常春さんから、推敲のお手紙をいただきました。
 スマトラ地震について、平仄のご指摘、とんでもない間違いをしていました。
 この詩の転、結句はじめは『瞬消遊客與民衆 済困扶危義侠昌(瞬にして遊客と民衆消ゆ 困を済い危を扶く義侠昌なり)』としていたのですが、現代のわかりやすさをと考えているうちに、平仄のチェック忘れました。

 因みに太平天国軍挙兵、北上の描写に『扶危済困』があります。
 結句、『挙世支援印度洋』と変えます。

 今後も投稿しますのでよろしくご指導願います。

2005.11.20                 by 常春





















 2005年の投稿詩 第140作は 登龍 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-140

  夏日山居        

午來溽暑有雷生   午來の溽暑 雷の生ずる有り

白雨一過涼意盈   白雨一過 涼意盈つ

樹下繙書心自靜   樹下 書を繙き 心自ら靜かに

清陰假睡動吟情   清陰の假睡 吟情を動かす

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 昼過ぎから蒸し暑く雷がやって来て
 にわか雨が通り過ぎ涼しい気が盈ちる
 木陰で書を紐解き心は自ずから靜に
 清らかな影にうたた寝をして詩を作りたくなった

<感想>

 前半の「溽暑」「涼意」の対応が効果的で、後半の爽やかさへの流れができていると思います。「白雨一過」もすっぱりと言い切ったところが良いので、その分、直前の「有雷生」が少しもたつく感じでしょうか。でも、それほど気になることではありません。

 ただ、「白雨」は、にわか雨ですが、「白く見えるほどの(強い)雨」ですので、そんなに激しい雨の後で「樹下繙書」というのはどうなのかしら、本が濡れちゃわないかと心配するのは考えすぎですかね。
 後半は、夏日山居の静かさを十分に表していますので、強いて「雨が降った」ことで涼しくなったと書く必要はないでしょう。欲張ったことを言えば、私でしたら、前半の二句を使って一首、後半の二句を使って一首、発展して作ってしまうかもしれません。

 尚、結句の「清」は「下平声八庚」の韻ですので、冒韻となります。

2005.11.19                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第141作は サラリーマン金太郎 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-141

  赤穂義士伝 大高源五忠雄        

貧寠堪身属雅人   貧寠ひんろうの身に堪へて 雅人に属し

嗜茶捻句抜羣倫   茶を嗜み句を捻って 羣倫ぐんりんに抜きんず

窮陰知得仇情況   窮陰知り得たり 仇の情況

先駆揮刀挙舞頻   先駆 刀を揮って 舞を挙ぐること頻なり

          (上平声「十一真」の押韻)

<解説>

 ご存知!忠臣蔵から。昨年の師走に創作しました。
 これから私が死ぬまでに赤穂四十七士はもとより忠臣蔵の登場人物をモチーフにした漢詩を賦し挙げ、「漢詩版 忠臣蔵」を生涯のライフワークのひとつにしたいと思っています。
 大高さんは第一号です。浅野家きっての文人としても知られ、その知遇から仇敵上野介の在宅日を聞き出したのはあまりにも有名。

 余談ですが私自身今は公私にわたり臥薪嘗胆の日々ですが、常に大高さんのように風雅の心を忘れることなく、精進して参ります。

<感想>

 「漢詩版 忠臣蔵」という構想は面白く、完成が楽しみですね。私の世代(五十代前半)あたりからは、もう『忠臣蔵』についての知識も薄くなり始めているのではないか、と思いますね。まもなく十二月になりますが、若い方では恒例の時代劇を楽しむ人も少ないのでしょう。
 サラリーマン金太郎さんは歌舞伎にも造詣が深くいらっしゃるから、義士ひとりひとりに対しても、鮮明なイメージが浮かばれるのでしょう。人物紹介に終わらずに、その人物像をどう伝えるかが、こうした詩の工夫のところ、醍醐味でしょうね。
 大高源五忠雄という方を(すみません、私は金太郎さんの解説を読んで、「ああ、そういう名前の人だったのか」と分かったようなレベルなものですから)一番に選ばれたのは、文人義士という点に、きっと金太郎さんの心に響くものがおありなのでしょうね。

 承句の読み下しは「羣倫を抜きんず」とされていましたが、「羣倫に抜きんず」に改めました。結句の「駆」は平仄両用の字ですが、ここでは仄声として使っていますね。
 ストーリーをしっかり思い出せないので申し訳ないのですが、結句の「挙舞頻」は少し補足が欲しいところですね。

2005.11.19                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第142作は 深渓 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-142

  憶乙酉干支        

日露収戈百歳前   日露 戈を収むは 百歳の前、

昭和乙酉熄兵年   昭和の乙酉 兵を熄むの年。

平成時下風雲兆   平成 時下 風雲の兆し、

四海安舒冀大千   四海 安舒 大千を冀はん

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 〇百年前日露戦争が終結した。
 〇太平洋戦争の終結が乙酉の年(六十年前)
 〇平成の乙酉の昨今領海問題、テロと不穏な気配を感じ
 〇四海が安らかであることを、有りとあらゆる世界に願う

 

<感想>

 この詩では、「日露」「昭和」「平成」と固有名詞が使われています。固有名詞を用いる場合には、その必要性と効果を考慮することが肝要だと言われます。
 そのあたりを考えてみましょうか。
 「日露」は「日露戦争」を表していますが、これはこの詩ではポイントですので、どうしても入れなくてはいけないでしょう。
 「昭和」「平成」と、二つの年号が入っています。「昭和」は、『書経』から取られた言葉で、「百姓 昭明して、万邦 協和す」(人民も天下も明かで、平和に治まる)ことを示すわけですが、現代の私たちには年号としてのイメージしか浮かばないのが実情です。一方、「平成」も年号であることには変わりないのですが、これは字そのものが「平らかに成す」という意味をすぐに感じさせるところがあります。
 作者の意図としては、「平和に治まるはずの『昭和』では兵乱があり、平らかに成るはずの『平成』でも風雲の兆しが見える」という対比があるのでしょうが、「昭和」の方は先に書きましたように、年号のイメージが強すぎますから、効果としては難しいように思います。どうしても、ということならば、対句の形にした方が良いでしょう。

 結句の「大千」は仏教語で、「大千世界」、つまり「広大無辺な世界」を表す言葉ですが、この語を使うのでしたら、「四海」は邪魔な気がしますね。

2005.11.19                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第143作は 禿羊 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-143

  夕蝉吟        

於伊賀偶相識与一老嫗、有感。嫗善俳諧。嘗吟夕蝉大為賞得入選。
伊賀に於いて偶々一老嫗と相識る、感有り。嫗、俳諧を善くす。嘗て夕蝉を吟じて大いに賞せられ選に入るを得たり

九旬萍迹幾浮沈   九旬の萍迹 幾たびか浮沈せる

頭被厳霜面皺深   頭は厳霜を被りて 面皺深し

自慰余年唯一事   自ら余年を慰むるは唯一事

終生可伐夕蝉吟   終生 伐(ほこ)るべし 夕蝉の吟

          (下平声「十二侵」の押韻)

<解説>

 伊賀市の介護老人保健施設に入所されている九十歳のお婆さんと知り合いになりました。
 老健施設というのは、脳卒中後遺症や認知症など障害をもった老人のリハビリ施設で、けっして明るいだけの雰囲気の場所ではないのですが、皆さん、障害を乗り越えようと一生懸命頑張っておられますし、職員の方々もその介助に努力されています。

 このご老人も九州で生まれ、大阪で生活し、老後を伊賀で送っておられるわけですが、九十年生きて来られ、現在も車椅子ながら、自適の生活を送っておられることに頭が下がります。
 これはご老人に贈った挨拶の詩です。

<感想>

 この詩の題名につきましては、禿羊さんからは、「於伊賀偶相識与一老嫗、有感。嫗善俳諧。嘗吟夕蝉大為賞得入選」としていただいたのですが、実は索引に長い題は載せにくくて、かと言って半分だけでは意図が通じないし、ということで、私の方で題をつけさせていただきました。
 「夕蝉」という言葉は、この詩では恐らく全体を象徴する意味を持っているのでしょうから、それを題名にすると、主題が明確になりすぎてしまうので悩みましたが、どうにも、この言葉以外には適するものが浮かびません。
 転句への展開も無理な力がなく、禿羊さんとの、穏やかで温かな触れ合いが伝わってくるような良い詩ですね。

 このご老人が詠まれた「夕蝉」の俳句は分かりませんが、今でも口になさっておられるのは、かつて入選したということだけではなく、きっと色々な思いがこもっておられるのでしょう。
 私も、自分で納得できる詩を、いつか作り上げたいものだと思います。

2005.11.19                 by 桐山人


逸爾散士さんから感想をいただきました。
 禿羊さんの「夕蝉吟」の詩の感想です。

 ハート・ウォームな詩ですね。当初の長い詩題も魅力的です。判じ物を解き明かすような鑑賞はおかしいのでしょうが、場所が伊賀であること、老婦人が俳句をたしなむこと、「夕蝉吟」という結句、を思い合わせると、伊賀上野出身の松尾芭蕉とその主君、蝉吟(藤堂良忠)を、俤としたのかな、とも思えます。禿羊さんが「挨拶」という言葉をお使いのなっているのも、俳諧の世界を意識してのことではないかしらん。
 二十五歳で夭折した蝉吟の句、「大坂や 見ぬよの夏の 五十年」を想起すれば(実はインターネットで検索して初めて知ったのだけど、エヘヘ)、ご婦人が長く大阪で暮らしたというのもなにやらゆかしい。

 もとよりこうした“うがち”は作品鑑賞の本道でもなく、感動、感興とはいさかか異質な精神の使い方ではあるのでしょうが、「夕蝉吟」という語から私たちが連想する世界は、俳諧の世界のあれこれでしょう。

 漢詩は、日本の詩歌の中では壮大さや慷慨を詠ずるのに適していると思われているふしもありますが、人と人とのつながりのなかでのこうした「挨拶」の詩は意味深いものと思えます。現代で漢詩を作るには、漢詩に滋味や人懐かしさを盛ることも大切と感じさせてくれる詩ですね。

「から文に 盛るも倭(やまと)の 心かな」 って、全然、句になってませんね。

2005.11.20                  by 逸爾散士

謝斧さんからも感想をいただきました。

定知老嫗得意話慇懃、想見誇色状。
詩人心情甚篤厚、真可知。

2005.11.20                 by 謝斧





















 2005年の投稿詩 第144作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-144

  初夏        

風度秧田送涼気   風は秧田に度りて 涼気を送り

雨過脩竹作新陰   雨は脩竹に過ぎて新陰をを作す

午眠忽訪華胥国   午眠忽ち訪ふ 華胥の国

昼夢醒聞檐馬音   昼夢醒めて聞く 檐馬の音

          (下平声「十二侵」の押韻)

<感想>

 言葉の意味を少し補っておきましょうか。
 「秧田」おうでん「苗の植わった田」「華胥国」「黄帝が昼寝をした時に遊んだと言われる、平和で理想的な国」「檐馬」「軒につるされた風鈴」のことです。

 全対格(前半も後半も対句になっている絶句)ですので、律詩の頷聯と頸聯を抜き出したような趣がありますね。そう思ってみるならば、転句の「華胥国」と結句の「昼夢」の重複感もそれほど気にならないでしょう。余韻の残る「檐馬音」が、寝覚めのけだるさまでも感じさせるようです。

 起句は対句の関係で、押韻しない「踏み落とし」の句になって、更に「挟み平」で六字目が平声になっています。

2005.11.24                 by 桐山人


謝斧さんから感想をいただきました。

一読佳篇遣洗俗腸 初夏田園風景可味 快哉。

2005.11.26               by 謝斧




















 2005年の投稿詩 第145作は 井古綆 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-145

  石川丈山        

菟裘高踏結鴎盟   菟裘高踏 鴎盟を結び

詠月吟花錦字盈   詠月吟花 錦字盈つ

常愛群仙叡山麓   常に群仙を愛す 叡山の麓

武人依筆永垂名   武人筆に依りて 永へに名を垂れたり

          (下平声「八庚」の押韻)

<解説>

 詩仙堂には三回ほど行きました。
 以前に律詩の駄作を作ったことがありますが、三年程前「菟裘」という字を覚えましたので、この詩を作りました。

<感想>

 「菟裘」「隠居所」「鴎盟」「俗世を避けて風雅な交わりをすること」ですので、詩仙堂での石川丈山の生活を描写した句になっていますね。

 石川丈山の生まれた安城市は、私が現在勤務している刈谷市のすぐ隣、確か彼が生まれた時に産湯に浸かった井戸が残っていたと思いましたが・・・・。
 武人として徳川家康に仕え、やがて詩仙堂に隠棲し、質素な生活に徹したと言われますが、井古綆さんが結句で書かれた通りで、まさに文によって名を残しましたね。

 分かりやすく流れるような詩ですが、転句の働きが弱いでしょうか。転句も含めて初めの三句が丈山の紹介になっていますので、結句の「武人」などを転句に持ってくると、丈山の劇的な人生が鮮明になり、転句の効果も生まれてくるように思いますが、どうでしょう。

2005.11.24                 by 桐山人


井古綆さんからお返事をいただきました。
 ご高批有難うございました。
 先生のご指摘どおり、4句とも史実を賦したのみで何の面白みも有りません。此れは石川丈山に対する配慮もありました。鈴木先生のご指摘を頂き、転結に大幅に私見を入れました。
 「無使煙霞捨刀剣、後昆安識武人名」
  煙霞を使て刀剣を捨てしむる無くんば、後昆安んぞ識らん武人の名
とします。
 煙霞=煙霞癖、また京の山水の美、ご高批有難うございました。

2005.11.26                 by 井古綆






















 2005年の投稿詩 第146作は 坂本 定洋 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-146

  病窓偶得眺神戸港        

神港舟船溢   神港に舟船溢れ

孤窓盡日閑   孤窓盡日閑かなり

白雲生處有   白雲の生ずる処有り

知是紀州山   知る是れ紀州の山

          (上平声「十五刪」の押韻)

<解説>

 地元、和歌山の病院から神戸の病院に転院し、少し調子の良い日に得た作です。
 病院からは六甲アイランドを見下ろせ、端っことは言え神戸港の賑わいが伺えます。遠く大阪湾の対岸、更に遠くに目を凝らせば、泉州の山々の肩越しに私には見覚えのある山が見えます。
 生石山(おいしやま、880m)です。日ごろのトレーニングと言うか、まあ惰性で年に10回ほど登っていた山です。生石山からは見晴らしの良い日には明石海峡に架かる橋も見えますから、神戸からも見えるはずです。山の形からも間違いない所です。

 転句は当初、せっかく和歌山で発生した入道雲もヒートアイランド現象の大阪方面に引っ張られ、和歌山では降雨不足と言う社会問題まで見えることまで含めようとしたのですが、そこまで読んでいただく必要はないと割り切り、詩としてこのぐらいが良いと思う所に落ち着きました。
 いつか再び山頂に立てる日を願いつつ、と言うところです。


<感想>

 坂本定洋さんの奥様から、先日メールをいただきました。ご病気療養中の定洋さんでしたが、十月末にご逝去されたとのことでした。
 この投稿詩は、10月初めにいただいたものですが、定洋さんからの最後の投稿作品ということになってしまいました。解説を読みながら、私は定洋さんのお気持ちを思い、涙が抑えられません。四十七歳の若さで、どんなに心残りがあったことでしょう、故郷にどんなに帰りたかったことでしょう、結句の「知是紀州山」からは、定洋さんの胸の奥の呼吸の音までも聞こえてくる気がします。

 定洋さんからは、ちょうど二年前、初めて投稿をいただきました。以来、ご自身の作品の投稿、「桐山堂」への意見発表、他の方の詩への感想など、本当に精力的に取り組まれておられて、たった二年とは思えない、永年の知己を失ったような悲しみから私は抜けることができません。どれだけ私は励まされたか、感謝の言葉もまだしっかりと申し上げていないのに・・・・

 すみませんが、今回の感想はここまでとさせてください。今はとてもこれ以上書くことができません。
 定洋さんのご冥福を心からお祈りします。

2005.11.27                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第147作は東京にお住まいの 玄行 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-147

  霽朝        

彩雲晴朗晁   彩雲 晴朗の晁

葉露下風涼   葉に露下り 風は涼し

桜木滋揺落   桜木ますます揺落し

今花径不香   今花径は香らず

          (下平声「七陽」の押韻)

<解説>

 雨が止んだ後の晴晴とした朝は、葉に露が下り風はひんやりとしてる。しかし桜の木はより一層葉を落してしまい、今ではこの道に花が咲いていた時の香りはしない。

漢詩のページを探していて、ここを見つけました。とても楽しいところなので、よく来ています。
稚筆お許しください。

<感想>

 初めまして、よろしくお願いします。
 「晴れわたった朝」という題名から、爽やかな秋の風景が展開するのかと思いましたが、玄行さんの視点は季節の推移に向いておられるということで、時間的な広がりのある詩でしたね。主題から考えると、題名は「秋朝」とされた方が良いでしょう。
 全体の展開で見ますと、承句に「葉露」を出されたことが気になりました。後半に「揺落」「花径」といった言葉が出てきて、樹木へと目が移っていますので、遠近の関係で言うならば、承句も遠景を描いておき、転句から近景、つまり樹々の梢を持ってくると、印象が鮮明になります。

 部分的なことでは、起句の末字「晁」は平声(下平声二蕭)で押韻の「下平声七陽」とは韻目が異なります。五言絶句は起句は押韻する必要はありませんから、ここは「暁」「旦」などの仄声にした方が良いでしょう。
 転句の「桜木」ですが、漢詩で「桜」と用いる時は、日本の桜とは種類が異なることと、また、ここで敢えて「桜」と限定する必要もないように思います。一般的な落葉樹を思い描くだけでも良いのではないでしょうか。
 結句の「花径」との関わりもあるのですが、転句結句のつながりで言えば、この「花」は桜の花と読みますので、「花径」も、まあ「花盛りの木々の間の小道」と考えます。一般に桜の花は香りも弱く、嗅覚よりも視覚で味わう、そこが梅などとは違うのですが、そうするとますます転句の「桜」は省いた方がいいように思います。
 ただ、玄行さんのイメージはひょっとすると、花壇や公園などの草花で低い視点を持ってきたのかもしれませんね。

 最後に、句のリズムのことですが、五言の句は、原則として「二字・三字」で句切れるように作りますし、読みます。例えば、承句については、恐らく多くの方は「葉露 下風涼し」とまず読もうとしますから、作者の意図である「葉露下り」と「下」の字を述語とは思ってもらえないでしょう。「露下葉風涼」と順番を少し替えるだけで、そうした誤解は防げます。
 同じことは結句にも言えますので、「今」の字を削除するつもりで推敲を進められると、まとまりのある詩になると思います。

2005.11.29                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第148作は 一人 土也 さんからの作品です。
 

作品番号 2005-148

  山景        

碧落呑春靄,   碧落 春靄に呑まれ、

閑吟一片銘。   閑吟 一片の銘。

蒼茫雲日静,   蒼茫 雲日静かに、

遠近数峯青。   遠近 数峯青し。

          (下平声「九青」の押韻)

<解説>

 山の風景

  大空は春の霧に呑まれ、
  のどかに一片の金言をうたう。
  はるかな雲や日は静かに、
  遠近の数山が青い。

<感想>

 五言絶句が続きますが、少ない字数の中にどれだけ奥行きを持たせるかが大切ですね。

 一人土也さんの今回の詩は、起句のスケールの大きさが魅力です。「碧落」「春靄」「呑」まれるという、果てしなく広がる春の山景色が目にくっきりと浮かびます。
 承句の「閑吟」の主語を作者本人と見るか、第三者と見るかで、全体の趣が違ってきますね。
 近世の『去来抄』に次のような一節があります。

  岩鼻やここにもひとり月の客  去来
 先師上洛の時、去来言はく「洒堂はこの句を、月の猿、と申しはべれど、予は、客、勝りなんと申す。いかがはべるや」。
 先師言はく「猿とは何事ぞ。汝、この句をいかに思ひて作せるや」。
 去来言はく「明月に乗じ山野吟歩しはべるに、岩頭また一人の騒客を見付けたる」と申す。
 先師言はく「ここにもひとり月の客と、己と名乗り出づらんこそ、いくばくの風流ならめ。ただ自称の句となすべし。この句は我も珍重して、『笈の小文』に書き入れける」となん。
 予が趣向は、なほ二、三等もくだりはべりなん。先師の意を以つて見れば、少し狂者の感もあるにや。
 (退いて考ふるに、自称の句となして見れば、狂者の様もうかみて、はじめの句の趣向に勝れること十倍せり。誠に作者その心を知らざりけり。)
 先師とは言うまでもなく、俳諧の祖、松尾芭蕉のことです。ここでその芭蕉が問題にしているのは「猿」か「人」かという用語のことではなく、句の中に作者本人を登場させて作者の心情を強く出すか、それともあくまでも風景を描くことに徹して風雅な世界を構築するか、という詩の構成に関わることでしょう。
 私は個人的には、洒堂が提示した「月の猿」の方の句もこれはこれで一つの風景であり、「猿とは何事ぞ」と言われるほどひどいとは思いませんが、この話で感じるのは、読み方によって作者の思い以上に作品の世界が広がる面白さです。去来が最後に添えた「誠に作者その心を知らざりけり」は印象に残る言葉です。
 今回の一人土也さんの「閑吟一片銘」の句を拝見しながら、この『去来抄』の一節を思い出しました。

2005.11.29                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第149作は ぶん さん、五十代の男性の方からの作品です。
 お手紙にはこのホームページの感想として、「漢詩の決まりや韻などを調べるのに便利そうです。これからは少し使ってみようと思います。」と書いてくださいました。

作品番号 2005-149

  牽牛花歌        

謝謝朝顔祝翌年   謝するかな謝するかな朝顔 翌年を祝(いの)る

夏空晨早問花円   夏空の晨早 花の円(まろ)きに問う

出門秋日雲遙遠   門を出づるの秋日 雲遙遠たり

回憶不消心裏辺   回憶は消えず 心裏の辺

          (下平声「一先」の押韻)

<解説>

 アサガオノココロ

アリガト アサガオ ライネンマタネ
ヒトナツ マイアサ アイサツオハヨ
タビダツ アキノヒ ハルカナクモニ
オモイデ ノコルヨ ココロノナカニ

最初に、このカタカナのを作りそれを漢詩にしてみました。
一夏をともに過ごした朝顔も秋の訪れとともに消えてゆきました。 それを旅人にたとえ、思い出と感謝、さらに来年の再会を期する気持ちをまとめたつもりです。
漢詩をまとめるのは初めてなので、うまくできているかどうかはわかりません。

ところで、このような典故も何もないものも漢詩として認められるのでしょうか?

<感想>

 はじめまして、よろしくお願いします。

 全体の構成、平仄や押韻も整っていますので、漢詩を作るのが初めてとは思えない作品ですね。
起句の「謝謝」は現代中国語の口語的な雰囲気も出ていて、効果的な表現だと思います。また、転句からの発展も無理が無く、絶句らしい内容になっています。
 ただ、結句の「回憶不消心裏辺」は、主題が直接に出過ぎていて、そのため詩全体が説明的な印象を与えます。転句までで作者の心の中だということはよく分かっていますので、改めてまた言う必要はないでしょう。
 「回憶」が単に朝顔との思い出だけを言うのか、それとも、夏の他の思い出も朝顔に象徴させているのか、そうした深まりを感じさせるように終わらせると、余情が残ると思います。

 なお、ご質問にありました「典故も何もないものも漢詩として認められるのか」とのことですが、全く構いません。典故があれば、その分、イメージが重層的な詩になりますので、漢詩のような短詩形の文学では効果的に用いることができます。(和歌の本歌取りなどもその類です)しかし、「必ず入れなければならない」ということではなく、作者の意図の問題だと私は思います。
 勿論、今後更に漢詩や漢文に興味を広げられて、そこから得たものを典故として用いるならば、漢詩作りの面白さは一層増すはずですから、ご自身の表現の幅を広げる、引き出しを多く持つ、という観点から、チャレンジなさることもお勧めしますよ。

2005.11.29                 by 桐山人





















 2005年の投稿詩 第150作は 某生(舜隱) さんからの作品です。
 

作品番号 2005-150

  詠史 蘭陵王        

海風       海風高ノ

漫上船樓送    漫に船樓に上つて送目すれば

澄波靜       澄波 靜かに

徐拂薄煙      徐に薄煙を拂ひ

華表朱鮮忽危   華表 朱鮮かに忽ち危く矗つ

廻廊與綺     廻廊と綺屋と

鹿        仙鹿

呦呦自      呦呦ゆうゆうと自ら睦む

祠堂裡       祠堂の裡

干戚樂章      干戚 樂章

舒疾知經幾榮   舒疾 知んぬ 幾榮辱をか經たる

     

嘗聞一雄     嘗て聞く 一雄の族

萬里莫非封     萬里 封に非ざる莫く

居比光祿      居は光祿に比したると

繁華軒冕方相   繁華 軒冕 方に相逐ひたり

東發鴻圖鏑     東のかた鴻圖の鏑發し

臥薪兵鋭      臥薪して兵鋭く

無奈京洛望在   奈ともする無し 京洛 望んで舳に在り

遂西窮交     遂に西のかた窮まつて鏃を交ふるを

     

        時局

竟難       竟に復し難く

縹渺委紅旗     縹渺として紅旗委てられ

搖漾重      搖漾して重なり伏す

可憐髣髴霜楓   憐むべし 霜楓の谷に髣髴たるを

萬古夕陽映     萬古の夕陽映じ

只汀如      只 汀のみ哭するが如し

爾來千載      爾來 千載

獨依舊       獨り舊に依る

入陣       入陣曲

   

<解説>

 ご無沙汰致しております。

 私が詞を填すると何故か大河ドラマが絡むようで…。
 先日の放送で、平家が壇ノ浦で滅びました。その感慨と、以前嚴島~社を訪れた際の囘想、そしてそれらにまつわる妄想(≒フィクション)を織り交ぜて作ってみました。

 扨、この度、「蘭陵王」という詞牌を用いてみたわけですが、これは、平家→嚴島~社→舞樂奉納→蘭陵王という聯想によるものです。この「蘭陵王」は、現在まで日本の雅樂において舞樂として傳えられており、――大河ドラマ『義経』のオープニングで嚴島~社を背景に舞っているのがそれです。――舞の壯麗さもさることながら、曲も蘭陵王の故事に相應しく勇壯且輕快で、私の最も好きな雅樂の曲の一つです。嚴島~社で鳥居を背景に舞われる光景を、是非とも一度見てみたいのですが…。
 この度の詞は、この曲が日本に傳えられるより以前、「蘭陵王入陣曲」として一つの曲・舞と歌詞であったかも知れない舞樂「蘭陵王」と詞牌「蘭陵王」を結びつけるささやかな試みでもあります。

 それから一部、語句について簡單に觸れておきますと;

「干戚」:本來、狹義の「雅樂」において用いられる用語で、俗樂に由來する日本の「雅樂」には相應しくないかも知れませんが、「干戚」の用いられる舞も、舞樂「蘭陵王」もともに「武舞」と稱される點で共通するあたりから用いてみました。
 なお、「狹義の雅樂」とは、「子在齊、聞韶三月、不知肉味。曰、不圖、爲樂之至於斯也。」の「樂」であり、宗廟等で奏された音樂です。そして今日、この「狹義の雅樂」の原型を最もよく留めているとされるのは、韓國の成均で、春・秋の釋奠の際に奏される、「文廟祭禮樂」です。
 一方で、朝鮮王朝の歴代國王・王妃を祀るソウルの宗廟で奏される「宗廟祭禮樂(ユネスコ世界遺産にも登録されています)」は、俗樂に由來する爲に必ずしも狹義の雅樂ではなく、少々事情が込み入ってきます。關心のおありの方は、植村幸生(1998)『韓国音楽探検』音楽之友社をお勸めします。
 因みに、舞樂「蘭陵王」では、實際にはたてやほこは用いず、金屬製の撥を持って舞います。

「鏑」:やはり當時の合戰の始めらしく用いてみたのですが、如何でしょうか?

「霜楓谷」:『平家物語』卷十一「十二、内侍所のキ入の事」には「海上には、赤旗赤符ども、切り捨てかなぐり捨てたれば、龍田河の紅葉葉を、嵐の吹き散らしたるに異ならず。汀に寄する白波は、薄紅にぞなりにける。」とありますが、ここでは、折角なので宮島の紅葉谷をイメージしてみました。とはいうものの、私自身は未だ宮島を秋に訪れたことはなく、寫眞を見たり、話を聞いたりして想像を膨らますばかりです。

 扨、この詞を作る際心掛けたのが、源氏・平氏のいずれかを讚え、貶めるのではなく、中立的な立場から詠もうということでした。それが爲に、特に第二疊などは流れが曖昧になってしまった感を免れません。
 と、「中立的」などと言っておきながら、壇ノ浦の戰を實際に指揮した義經のことは一言も觸れず、「東發云々」でョ朝に言及しているのは私が義經よりはョ朝贔屓だからなのですが…。ョ朝は當時に於いて拔羣の「鴻圖」を懷いていた人物だと思うので。

 この時代に思いを巡らす毎に思うのは、大輪田泊を整備して日宋貿易の振興を圖った平C盛の對外的視野と、以後19世紀に到るまで續く武家政權の礎を築いたョ朝の長大・柔軟な思考が融合されていたら、その後の歴史はどうなっていただろうかということです。地位の確立に藤原攝關家と同じく外戚という手段を用いた平氏は、結局は他者に依存した基盤に留まった一方で、獨自に體制の基盤を構築した鎌倉政權は、元寇に際してはその國際情勢への疎さ、國際感覺の缺如を露呈しております。
 一方で、もし鎌倉政權で對外貿易を推進したとしたら、御家人への所領安堵と御家人の奉公とで成り立っていた體制を維持できたでしょうか?そもそもこの體制は元寇によって對外的な要素が入った時點で破綻を來しています。とすると萬一「C盛+ョ朝」が實現していたら、それら二つの體制とも全く別のものが出現していたことになりましょうが、あるいはそもそもが互いに矛盾を孕むものなのでしょうか?
 とまあ、素人のくせに歴史の「もしも…」を云々し出すと切りが無いので、續きはまたいずれ機會がありましたら。

 以上、長々と屁理屈を捏ね繰り廻しておいた擧句に恐縮ですが、この詞はまだまだ未完成なれば、是非とも皆樣の御指正を賜りたく、お願い申し上げる次第でございます。

<感想>

 某生(舜隱)さんは、初めて漢詩を投稿いただいたのが高校生の頃、岐阜の情緒と高校生の生活感を感じさせる作品を楽しませていただいていましたが、その後大学入学、現在は4年生で、卒論の追い込みの真っ最中だそうです。
 うーん、歳月を感じますね。

 今回は、詞の作品ですが、長短の句をゆっくり口にしていくと、たゆとうリズムに歴史の世界が現出するようです。
 押韻は、「入声一屋」「入声二沃」の通韻ということでしょうか、本文では色を変えておきましたので、間違いがありましたら、ご指摘下さい。

 悪役の清盛、冷酷な頼朝という構図で語られることの多いこの時代ですが、将来を見据え、「国家」としての日本を考えていた二人の政治家の戦いとして見ると、大きな歴史の流れを感じられますね。

2005.12. 1                 by 桐山人